東方殴り巫女伝説 〜Bare Knuckle Players〜 幕間1→2 『阿求来たりて何思う』 ※ ※ ※ 年の暮れ、博麗神社へと続く道無き道、いわゆる獣道を、私は白雪に膝まで沈み込ませ ながら歩いていた。周囲を葉の落ちきった裸の木々に囲まれ、その合間の闇からいつ腹を 空かせた獣が出てくるかもわからない、少々危険な道程だ。 面白い見世物があると蟲の知らせ――まさに――を受けたのが昨夜のこと。長い時間を かけて書いていた仕事がひと段落したこともあり、大晦日を酒びたりで過ごすのも良いだ ろうと手土産の風呂敷を抱えて屋敷を出たのが今朝のこと。 そして、どんよりと曇った雲の上の太陽が真上を過ぎようとしている今現在。 さすがに無謀だったか、と私――九代目御阿礼の子という肩書きを持つ稗田阿求は少し の後悔の念に襲われる。一歩を進むためにはしっかり腿を上げて踏み込まなければならな い深雪の強行軍は、生来頑丈には生まれついていないこの身体には少し無理が過ぎた。 「はあ……」 ため息も、視界も、全てが白い。他人が見れば、私の肌も同じように白いことだろう。 頬だけは夏の林檎のように真っ赤だろうことだけが救いである。それがなければ、今の私 は雪山の中を彷徨う死人の態にも見えたことだろう。 ともあれ。 幻想郷の冬は人間の身には厳しすぎると思うことがある。 春には桜、冬には白雪と四季の色がはっきりと表れる幻想郷では、その美しさ、そして 厳しさもまたはっきりと表れる。 例年に負けず今年――この百二十季の冬も、山の木々が鈍茶に枯れ果てたと同時に、そ の秋の死を人目から隠すかのような豪雪によって幻想郷は一晩で白銀に染め上げられた。 それに喜ぶのは能天気な妖精たちやら、それと一緒になって初雪に遊ぶ子供たちくらいの もので、大部分の大人たちは新しい季節の到来とその混じりけの無い白の色に心の中の『 子供』を刺激されつつも、これからの長い冬を思うと憂鬱にため息をつかずにはいられな い。 そう、幻想郷の冬は厳しく、長い。 寒さは畑を雪の下に眠らせて男たちの仕事を奪い、酷いところでは大人の胸元まで積も る雪は人間が山に入って野狩りをすることを拒む。だから里の皆は秋のうちに収穫した野 のものを漬物に、肉のものを燻製にして、長い冬篭りに備える。 山に入ることができるうちに、暖をとるための薪を。 美味なるものを、美味だからといって食べきることはせず、しっかり貯蓄し数ヶ月後の 自分のために。 それらのことを、多くの人手と、それからほんの少しの『妖怪手』を使って私たち人間 は冬までにこなす。 特に大豆は作り過ぎて困ることはない。 煮豆、炒り豆、お豆腐――冬のお鍋にはこれがないと――、納豆、豆乳、それから味噌 や醤油、調理油。私たちに必要な多くのものが、大豆からできている。食用油としては最 近では菜種油も実用段階に入ってきたが、またまだ昔ながらの大豆製法が中心である。 とにかく、幻想郷の冬は、深く、長く、厳しく、そして美しい。 その長さに堪えるに、多くのものを。その厳しさに堪えるために、日々の楽しみとなる 美味なるものを。 その上で真白に染まった景色で心の無聊を慰める感性を持って、初めて人々はこの幻想 郷の冬を乗り越えることができるのである。 「……いやいや」 思わず自分の現状を嘆こうと色々と考えてはみたが、小賢しくも私の唇はそれに逆らっ た。 「正解は、冬の美しさをのんびり堪能するために、雑事がいらないように貯蓄を作る、な んだけど」 まあ、ここまで引っ張ったが、実のところ冬とは何であるかと言うと『毎日酒を飲みつ つ唄って遊ぶおめでたい季節』だったりする。 冬の幻想郷は厳しいが、その厳しさに対抗するすべを私たちは長い歳月の間に習慣とし て身につけているのだ。 冬が始まり、大人たちは憂鬱になり、それを払拭するために溜め込んだ食材を食べ、飲 み、騒ぐ。そうして自分たちが楽しむ陽の気が、力を失った太陽に春気として蓄えられ、 新しい春を迎えるための助けになると信じているのである。 冬も後半になるとさすがに皆保存食に飽きてくるのだが、その頃になると今度は春の兆 しが見えてきて、雪解けと同時に山入りしての山菜取りの一大行事がある。 それを考えると、冬とは新しい春までの間に畑と太陽、そして男たちに与えられたひと 時の『休憩時間』なのかもしれないと、私は思う。 つまり、 「皆、今頃盛り上がってるんだろうなぁ……」 人里の皆、イコール酒盛り中。 妖怪の皆、イコール宴会中。 特に、今日は大晦日。寝ずに二年を跨いで宴会をするのが当然の、一年で一番酒の消費 量が多い一日である。 本当に、何故私だけがこのように寒い目にあっているのか、面白いことがあれば教えて 欲しいと契約していた『蟲の知らせサービス』と自分の好奇心を恨みたくなってくる今日 この頃だったりする。 とにかく、寒い。 とにかく、疲れた。 「にゃー」 とにかく、にゃー。 いやいや。 見れば、一緒に屋敷を出て私の前を進んでいた三毛の猫が、機嫌良く尻尾を真上に立て ながらこちらを振り返っていた。原稿を書く際には最大級の妖怪よりも厄介な邪魔者なの だが、こういう時には実に良い愛玩生物。真っ白な雪の上に体重など無いが如くに佇むそ の姿は、和紙の上に描かれた精緻な画のように完成された美しさがある。 神が山 吾が足止まる雪の路の 行き道知らす 三毛の声かな (稗田阿求) 「寒いっ」 「にゃぎゃ!?」 思わず寒気のする一句を詠んでしまい、私はすかさず足元の雪を手にして邪悪な三毛に 投げつけた。思わず『雪』と『行き』を掛けてしまったり、無駄に寒さが増した気がする。 しかも、下手な歌でとても他人に聞かせられたものではない。 しかし、収穫はあった。 三毛に制裁を加えた直後に視界に入ったものは、私に正しく目的地の神社の位置を教え てくれたのだ。 要するに、 「どぉ〜れ」 と、木々に積もった雪が震えて落ちるほどの大音声が空から降ってきた。それは私の真 正面やや上方向の枯れ木の合間に覗いた、『巨大な子鬼』という矛盾を孕んだ表現が必要 な怪獣が発した声だ。 三毛は、その鋭い動物感覚で私よりも先にその気配に気がついていたのだろう。 「にゃ〜……」 偉い。 ※ ※ ※ 幻想郷の東の果てという辺鄙な場所にある博麗神社。 この幻想郷では、太陽は毎日博麗神社の鳥居の向こうから生まれ、そして西の果てにあ る妖怪の山の向こうへと沈んで行く。 そういう意味で、博麗神社こそ幻想郷の時間の『始まりの場所』であるが、別の意味で もここは『始まりの場所』でもある。 それは博麗神社が範囲的な意味でも、幻想郷の『始まりの場所』であるということだ。 幻想郷という領域を生み出す博麗大結界の最端が、この博麗神社の境内なのである。 もっと詳しく言えば、この博麗神社の境内は幻想郷ではない。内と外を分ける結界の線 上に存在するこの場所は、二つの世界の両方から認識される唯一の場所であり、正しき手 順さえ踏めば内外の『出入り』さえ可能な公式の――たまに、偶発的に似たような場所が できることもある。無縁塚とか――接点だ。そのため、博麗神社は幻想郷であり、同時に 外の世界であるとも言える。逆に言うならば、そのどちらでもない『博麗神社』という場 所なのかもしれないが。 そして、私が長い階段にへばりながらもたどり着いたその境内は、なかなかに呆れる有 様となっていた。 「……なんなんだか」 千年の時を越えてきた幻想郷の歴史たるこの私が過去に記した書物、また他から仕入れ てきた知識の枝葉を総動員しても、この状況を説明するには厳しかった。 さして広くもない境内に、綱で囲んだ四角い舞台が一つ。その周囲には茣蓙が敷かれ、 これでもかというくらいに集まった妖怪たちが酒を酌み交わしながら赤い顔で談笑してい た。 寒さを忘れたような彼女たちの間を、紅魔館の妖精メイドたちが小さな身体で一生懸命 酒の肴の盛られた皿を運んでおり、見ればその宴会場の最外周には簡易の調理場が設けら れており、数少ない人間であるメイド長の十六夜咲夜が手が霞むような速度で次々と新し い料理を作ってはメイドにつまみ食いされてナイフを投げたりしている。 強いて言うなら、 「どこの神社の奉納相撲?」 「それは半分正解」 「あら、紫様」 不意に声がしたので上を見れば、ちょうど私の真上の空間に切れ目が入り、そこから古 参の妖怪でも特に力のある八雲紫が顔を覗かせていた。その空間の切れ目――主に幻想郷 ではこれをスキマと呼んでいる――の向こうには地面に敷いた茣蓙が見えるので、紫様は 現在普通に座った状態で上を向いているのだろう。想像すれば、私たちは二人とも上を向 いて顔を向かい合わせたこととなるので、変な話だ。 「調子はどうかしら?」 と、紫様は前の話とはまったく切り離して尋ねてきた。それが何のことであるとわから ない私ではない。 ええ、私と彼女の接点と言えばそれ以外には無いのだから、私は自分の仕事の進行具合 に満足をもってそれにうなずく。 「縁起の清書、滞りなく。来年早々、二十一季の発表となりそうです」 「斬新な手法の割には修正箇所も少なかったし、内容の濃さも今までの縁起に劣らない見 事な作でしたわ」 「もったいないお言葉、ありがとうございます」 私は紫様からの評価に会心の笑みを浮かべた。 このやりとりもすでに九度目なのだろう。私が縁起を『同じように良い出来』で書ける のは当たり前のことで、紫様の関心も『どのような書き方で仕上げるか』の方にあったは ずだが、それにも満足いただけたようでホッとする。 が。 「ただ、絵が、資料をまとめた時期に幅があるせいで統一性にかけるわねぇ」 厳しい。 そのように私が間抜けにも真上を向いたまま離していると、紫様が式として使役してい る九尾の妖獣が寒さに真っ青な肌色をしていた私を気遣ってか、白磁のティーカップを片 手にやって来てくれた。 「紅茶で良かったかしら?」 「ああ……あなたは大変良い式です。本当に良い式です」 縁起の内容にもっと色をつけてあげよう。そうしよう。私も欲しいなあ、式。 差し出された湯気を上げるティーカップをかじかんだ手で受け取ると、紅茶の味を引き 出すには熱過ぎるくらいの熱が、快い刺激で掌を暖めてくれる。そうやって外から暖を取 りながら一口紅茶を啜れば、今度は喉を焼きそうな乱暴な熱が食道を通りながら胃の腑に 落ちていき、私は思わずぐっと瞼を瞑る。 熱い。 だけれど、それは手っ取り早く熱を得るには手頃な熱さでもあった。はぁっと吐いた息 は真っ白で、私はさらにもう一口、今度は先ほどよりも多めに紅茶を口に含んで飲み下す。 味わう暇もない飲み方だが、それはまあ仕方ない。 「ありがとう」 人心地ついてから私が礼を言うと、九尾の式は慌しく調理場に戻っていった。どうせな らこの宴会の趣旨を語ってからにして欲しかったが、心尽くしの一杯の後に贅沢は言えな い。 空を見れば、すでにそこにスキマはなく、紫様の姿も消えていた。境内には百を越える 人妖の姿があったので、そのどこかに混じっているのだろう。 さて。 紅茶を飲み干した私は、風呂敷を抱え直して顔見知りを探すことにした。現在舞台―― リングとも言う――の上には誰もおらず、しかしざわめく妖怪たちの声を聞いてつい先ほ どまでそこで子鬼と蟲の妖怪が戦っていたことを知ることができたのは僥倖だった。 大きく張り出されたトーナメント表も見るに、どうやら妖怪たちはこの大晦日に何らか の試合を行っているらしい。それは実戦を離れて久しい妖怪たちにとって有意義な稽古と なるだろう。 「あの名前もねぇ」 トーナメント表に書かれた、いくつもの名前。それがあからさまに年を経た妖怪から、 逆につい最近生まれたばかりの妖怪までと、多岐に渡ることが好ましい。それでこそ、稽 古になるというものだ。 稽古という言葉の由来は、私こと稗田阿礼も深く関わった『古事記』にある。太安万侶 の記した序文の末にある古(いにしへ)を稽(かむが)ることが『稽古』であり、それは 年長者に学ぶことに同意だ。さすが我が相方。良いことを書く。 もっとこういう催しを多く開き、妖怪の妖怪たる意義を忘れない教育の場としてもらう のも、幻想郷全体のためには良いことではないだろうか。 「にゃ」 そう、にゃ……ではなく、私の横を歩く三毛が注意しろとばかりにこちらを見上げる。 それもそのはずで、私が境内に踏み入った時からじっとうかがういくつもの妖怪の目があ るからだ。 まあ、それも当然のこと。普通の人間が、こうまで堂々と妖怪のただ中を歩くことは滅 多にない。 そうして、そういう珍しいことに敏感な存在も、やはり予想はつくのである。 「阿求さん、こっちこっち! こちらが特等席なのです!」 案の定というか、鴉天狗の射命丸文が手を挙げて私を呼び止める。舞台横に設けられた 長テーブルの一角に、私はそこを審判席なのだと予想をつけた。そこに座るのは天狗に半 人半獣――慧音さん――、それから香霖堂の店主だ。なかなか興味深い組み合わせではあ る。 私が目的地を得て足を運ぶと、天狗はことさらにわざとらしい笑顔で迎えてくれた。 「御阿礼の子が視察に来るとは、この大会も早くも有名行事の仲間入りですか」 いえ、凄くマイナーですから。 とりあえず、私は手土産ですと多少の肴の入った風呂敷を手渡す。これほどの規模の宴 だとは思わなかったので全員分には足りないが、我が家の使用人が腕によりをかけて作っ てくれた品だ。不味いはずがない。 「観戦料、確かにお預かりしました。この後、ご予定は?」 「特には。許されるのなら、後学のために大会が終わるまで観戦させてもらえればと思い ますが」 妖怪の場に入り込むには、力の強い妖怪の後ろ盾があれば良い。天狗ならば私の安全を 保障するするのに充分だと私は判断していた。 果たして、 「それなら、こちらの放送席はいかがです? ついでに、公開が迫った今回の幻想郷縁起 についてもひとこともらえるなら」 「ええ。喜んで」 天狗もその辺りのことは理解しているようで、阿吽の呼吸でお互いに交換条件を差し出 し合う。 ああ、そう言えば。 「天狗と言えば」 思い出した。 ここまで上がってくる階段の途中で目撃したのだ。 「階段に天狗が三人ほど転がっていましたよ。酔い潰れたのか、肩とか足とか関節まで外 して」 天狗が酔い潰れるのは珍しいが、まさか天狗が喧嘩でもして関節を外されるような醜態 は晒すはずもないので、あれはやはり酔い潰れていたのだろう。うんうん唸っていたので、 あまり良い酔いではないようだったが。季節はずれにも花に埋もれていたので、凍死する ということもないはずだ。 「はあ? じゃあ、後で回収しておきます」 小首を傾げ、釈然としない顔で天狗は了承する。そうして進められた席――茣蓙と違っ てこちらは椅子――に着くと、早速彼女は手帖を片手に私に切り出してきた。 「では、今回の幻想郷縁起ですが」 「ええ。……あら?」 取材モードに入る天狗に簡単に受け答えしながら、私は視界の端に入った紅白の色に目 をとめた。 その目にも鮮やかな二色は、舞台横の最前列の茣蓙に座って茶を啜っている博麗の巫女。 湯飲みをお行儀良く両手で持っているその背中に張り付くように、寒がりと聞いたことが ある黒白の職業魔法使いもいる。 もう一度『そう言えば』、だ。 「巫女は、この大会に関して文句は言わなかったのですか?」 私は天狗の取材に割り込むようにしてそう尋ねていた。 だが、天狗はそれに気を悪くした様子もなく、むしろニヤリと意地が悪そうな笑みを浮 かべて返す。 「いいえ。むしろ、乗り気でしたよ。今年は春以降大きな異変は無かったので、最後にぱ ーっと楽しいことがしたかったようで」 その、どこか確信犯的な受け答え。 巫女ならばいかにも言いそうなことだけれど、だからこそ天狗の作り話にも聞こえそう なその言葉。 紫様は何と言っていただろうか。 「奉納相撲?」 いやいや、それは私が言ったことなのだが。それでも、半分は正解なのだと妖怪の賢者 は微笑んだ。 ならば、 「年越しの大祓、か」 「それでは、規定の休憩時間を終え、二回戦を開始します」 舌に乗せた言葉の意味が自分の脳に伝わり切るよりも前に、二回戦を開始する旨の宣言 が舞台に上がった閻魔様よりなされた。 ありがたいそのお姿に視線をやりつつ、私は思う。 まあ、今考えることではないわね、と。 妖怪が集まって騒ぐことに特別の意味があったとしても、この宴会を楽しんだ後にその 意味を考えれば良いことだ。幻想郷縁起に追加で記すにしても、まずは終わってもらわな ければ結果も拾えない。 今は、まず観ることにしよう。そして、それから考えよう。歴史とは、これから起こる ことではなく、起こったことのことを言うのだから。 天狗の面白げな視線を横顔に受けながら、私はそう結論して肩をすくめるのだった。 暖かい部屋じゃないと、頭回らないし。 幕間1→2――決着!