東方プロジェクト・ネタバトルSS 東方殴り巫女伝説 〜Bare Knuckle Players〜 2回戦 Cブロック第2試合 フランドール・スカーレット VS パチュリー・ノーレッジ               ※ ※ ※  ばちぃ〜ん、という鞭で叩いたような音がリング上で弾けたのは、不意のことだった。 「?」  十分間しかない試合間の準備時間のこと、選手以外の妖怪たちは空になった皿に肴を補 給するために仮設厨房に向かっていたり、神社の厠へと駆け込んだりと慌しく動いていた。  当然のように試合の行われないリングの上に目を向ける者などいなかったのだが、それ はそのタイミングでの、まさに皆の意表をつくようにして響き渡った大音声であった。 「なんです!?」  妖怪たちが驚いて一斉に振り返る中、ここまでの試合を記事にするためのメモ書きをし ていた文も同様に顔を上げ、そして目を丸くする。 「おや、これは美味しい」  すかさずカメラを構え、シャッターボタンを押す。  そうして撮影されたのは、宙に浮いている――否、『ぶっ飛んで』いる色鮮やかな緑の 衣装に身を包んだ紅魔館の門番の姿だったりするのであった。               ※ ※ ※ 「……ったぁ……っ」  子供特有のやわらかい関節のしなりで放たれたフランドールの裏拳を受けた美鈴は、鞭 どころか鉄棒で横殴りされた勢いで真横に吹っ飛ばされて、顔をしかめながら目前に迫っ たキャンバスへと手を伸ばした。  完全に足が浮き、テーブルの上から払い落とされたグラスのように落下しかけていた身 体を、その右手一本を着くことで受け止めて、体操競技のように一回転。風車のような側 転で着地すると、ズン、と重い音が彼女の足元からリングの表面を震わせる。  そうやって激突と同時に炸裂するはずだった吸血鬼の破壊力を足の裏で『踏み殺した』 美鈴だったが、そこにさらに飛び込んでくるものがある。 「――いりん!」  側頭部を叩かれたおかげでキーンとうるさい耳鳴りの中でも聞こえた子供らしい高い声 に、美鈴はほとんど反射でその場に膝を折った。左膝を深く屈し、右足をアキレス腱を伸 ばす準備体操のように後ろに伸ばす。さらに左腕を顔の横に立てて盾とすると、 「ぐっ」  直後にフランドールの、その幼い姿からは想像できないような腕力による右拳の一撃が 美鈴の左腕を直撃して、ミシリと嫌な音を響かせた。身体を真横に弾こうというその吸血 鬼の馬鹿げた破壊力を、美鈴は奥歯を噛み締めてその場で受け止める。 「あれ?」  それに、フランドールが目を見張る。吹き飛んだ美鈴に追いすがり、着地した彼女を狙 って放った、充分に勢いを加えた会心の一撃だ。 (さっきは簡単に飛ばせたのに?)  背の高い木は暴風で倒れるが、切り株はどのような嵐でも倒れることはない。そういう 理屈にフランドールが行き着くよりも前に、美鈴は吸血少女と顔を突きつけあう低姿勢か ら、後ろに伸ばしていた右足でキャンバスを押して前へと身体を『発射』した。 「かぁ!」 「っ!」  鮮烈な気合いが一閃し、低空からの掌底打ちがフランドールの胸を打った。ズン、と音 がして、しかし強烈な一発を喰らったのは美鈴の方だった。 「ん、な……っ!?」  自分の目から飛び出た火花に、美鈴は不覚にも絶句する。近距離からの打撃を狙ったと ころをカウンター気味に左拳でこめかみを打ち抜かれ、彼女の上半身がたまらず横に流れ る。  それはダメージ以上に、精神的にショックだ。 (完璧なタイミングだったはずなのに……っ)  変則な動きを得意とするフランドール。彼女に対して美鈴が狙ったのは、彼女の動きが 一瞬でも停止する、『打撃を相手に受け止められた』隙だ。基本的に素人同然のフランド ールの拳は身体の外側を大きく回ってくる無駄だらけなものなので、いかに速度があろう と受け止めることだけならばそれほど難しくはない。  が。 (片手を受け止めても、もう片方の手が無茶苦茶なタイミングで飛んでくるってわけ)  殴られた勢いで数回たたらを踏み、美鈴は痺れる頬を手の甲で拭ってフランドールに振 り返った。軌道が見え見えなフランドールの攻撃が避けにくいのは、その『二発目』があ るからだ。  一発なら、待ち構えれば処理できる。だが、彼女の攻撃はその大雑把な一撃の後に、視 界に入らない場所からの変則の連続攻撃へと続く。それは美鈴のような武術の経験者にこ そ特に有効な『お約束の破壊』である。  普通、妖怪を一撃で昏倒させるほどの打撃を放てば、それは大きな隙になる。受け止め られても、身をかわされても、待っているのはその全力打撃の隙を突いたカウンターだ。 そうなると、大振りを放ったフランドールの方はそのカウンターを喰らうか、必死の回避 行動を取るしかない。急所を庇うなり、その場から逃げるなりするしかない――それが『 お約束』のはずだ。 (だけど、お嬢様はそれを破壊する)  驚くべきことだが、素人同然のフランドールには、大振りを放った後の隙が無いのだ。 それは『隙を作らない軽い連打』とは違う、『隙の無い重い連打』という、馬鹿げたもの である。  どうしてそのようなことが可能なのか。  その理由を、美鈴は改めて確認する。  確認を裏付けるように、 「それ!」  フランドールが、反撃に出た美鈴の右足での前蹴りを左腕で外側に弾き、交差法でいと も簡単に自分の短い手足を叩き込める近距離へと入り込む。そうして、美鈴が「入られた !」と表情を硬くした時には、指を大きく開いた右手が彼女の喉へと突き出されていた。 「ぐっ」  体温の低い冷たい指先が汗ばんだ肌に触れ、爪が内側に食い込む圧迫感に、しかし美鈴 は苦痛を覚えながらも両腕を万歳のように振り上げる。  降参の合図――ではない。  目一杯の背伸びをしたフランドールが『掴んだ』後に『握り込む』その一瞬の間に、美 鈴は振り上げた両の拳槌をフランドールの無防備な頭へと振り下ろす。  が。  釘すら打てる鈍器が命中する寸前。力強く美鈴の足を払いのけたばかりの左拳が、振り 子のように戻って美鈴の右脇腹に突き刺さった。 「…………っ!」  喉を押さえられていた美鈴は声すらなく、身体がくの字に折れる。そのくの字は目の前 にいたフランドールに覆いかぶさるような形になったのだが、少女は落ちてきた美鈴の上 半身を嫌がるように、自分も上半身を後ろへと反り返らせた。  まるでブリッジでもするようなその反り返りの胸に美鈴が顔を埋めたと思ったら、 「!?」  今度は『身を後ろに寝かせながら』の右の拳が美鈴の顔を真横へと殴りつけ、崩れ落ち かけたその身体を自分の真上から弾き飛ばした。 「痛、たっ」  不幸中の幸いと言うか、その一発が良い気付けになり、美鈴は真っ暗になっていた視界 に光を取り戻して、数歩のよろめきだけで態勢を立て直す。 (ポ、ポンポン飛びすぎ……っ)  だが、自分より頭一つ分以上小さな子供相手に情けない、とは思わない。思うべきなの は「子供相手に」ではなく「吸血鬼相手とは言っても」だ。  そして、美鈴はここまでの一連の攻防でその『吸血鬼フランドール・スカーレット』の 今の実力――その強さの仕組みを分析することに成功し、お役目御免とばかり構えを解い た。  準備運動終了、だ。 「要するにさすがは吸血鬼……ってわけね」  思わず漏れたため息に、上半身を起こしたフランドールも動きを止める。最初から構え など存在しない彼女の姿に、つまりは、と美鈴は呟く。 「全部『手打ち』」  それがフランドールの無茶苦茶な『変則』の種明かしだ。  フランドールは攻撃の際に、まったく『腰』や『足』を使っていないのだ。近づくため に歩いたり走ったりはするが、いざ攻撃となるとフランドールは『腰の回転や踏み込んだ 足のバネを利用して打つ』などの、いわゆる拳に体重を乗せて放つ打撃を使用していない。 ほぼ棒立ちで、肩から先の腕力だけで相手を殴りつけている。  尋常ではない技量の持ち主が見た目だけは手打ちのようだがしっかり体重を乗せた打撃 をするのとは違い、正真正銘の下手糞な手打ちである。  普通それは格闘においてあり得ないことだ。試してみればわかるが、どれほど力を込め ようが腕の振りだけでは充分な破壊力を生むことはできない。そのような攻撃では仮に当 てたとしても意味は無い。打つだけ無駄というものだ。  しかし、吸血鬼の腕力は特別だ。  大人は赤ん坊を転がすのに足のバネや腰の回転を使う必要は無い。ただ、手で触って傾 けてやれば良いだけだ。つまり、フランドールの馬力は『そのレベル』なのである。  結果、『馬鹿げた腕力』という条件が可能とする、『拳を当てるだけで良い』攻撃。  結果、『拳を当てるだけで良い』という条件が可能とする、『変則』攻撃。  『当てるだけで良い』のなら、攻撃に威力を乗せる正しい格闘の構えなど必要無く、フ ランドールは自由な両足で好きなだけ動いて相手の攻撃をかわすことができる。打撃に腰 の回転も必要としないので、くにゃくにゃ上半身を傾けて、奇妙奇天烈な角度から相手に 拳を繰り出すことができる。しかも、腰も足も必要としない打撃は幾ら繰り出しても身体 のバランス――軸を崩すことはない。通常打撃の際に生じるはずの体重移動が存在しない からだ。  その体重移動の少なさ、まるで極上の達人のような重心の安定が、さらに彼女の回避と 連打を支え、先ほどの美鈴の体当たりを弾き返したように、あらゆる状況からのカウンタ ーを可能とさせる。  そのため、彼女には美鈴たちのような攻撃や防御の後の『攻撃不可能な時間』が存在せ ず、いつでも『自分の好きな時に攻撃ができる』のだ。 (ずるいなぁ)  全ては、吸血鬼の圧倒的な腕力があってこそ。腕力が手打ちでの攻撃力を保証し、手打 ちでの攻撃力がバランスを崩さない足を保証し、バランスを崩さない足が無限の攻撃の軌 道とカウンターを保証する。  フランドールの戦闘スタイルは、己の種族によってのみ可能な、まさに『才能の産物』 なのである。  そしてその意味することに、美鈴は唇の端に笑みの蕾を生まずにはいられなかった。 (いける!)  一回戦で大苦戦したフランドール。今回の試合前の『組み手』は、フランドールに自信 を取り戻させるための軽い調整程度であったが、その短い手合わせで美鈴は自らの肌を通 してそれを理解した。  棒立ちで戦うフランドール。  手打ちで変則の攻撃で攻め立てるフランドール。  それだけで充分に驚異的な強さを誇っているのだが、 (手打ちってことは、お嬢様はまだ攻撃姿勢じゃない!)  恐ろしい事実がそこにある。  手打ちですらレミリアに並ぶ破壊力を持つフランドールだ。もし今後正しく『体重を乗 せて』打撃を放ったら、どれほどのものになるのか。  それを考えると、唇の端に先ほど生んだ蕾が開いて、花が咲く。  なので、 「うん!」  パァーッと太陽を背負うような笑顔で美鈴は自らの胸をドンと叩いて言うのだった。 「フランドールお嬢様! 不肖紅美鈴、しっかりとお嬢様に武術指導させていただきます よ」  ダイヤモンドの原石を磨ける機会を得られれば、妖怪といえども嬉しくなってしまうも のなのだ。  ――が。  そこで美鈴は気がついた。  上半身を起こした後、美鈴が吹き飛んだために空いてしまった五歩近い距離。それを前 にして、フランドールがその両膝を沈めてぐっと力を溜めていること。 「……あれ?」 「ヴァンパイアロード――」  真っ赤な目を爛々と燃やしたフランドールが、すでに一回戦で失いかけた自信を取り戻 すどころか、戦いに興奮して『調整終了』の合図にすら気がついていないこと。  『自分の前で構えを解いた美鈴』という絶好の標的相手に、姉譲りの技をぶちかまそう としていること。  簡単に言うと、 「クレイドル!」  フランドール・スカーレットが、無防備な紅美鈴に向かって弾丸のように飛びたった。 うげ、と美鈴の目が剥かれ、彼女は主であるレミリアの必殺技の威力を思い出す。 「やばっ!」  避けられない。  悟った時には、身体が自動的に動いていた。美鈴の足が雷速で一歩を踏み出し、ズダァ ーンというキャンバスが立てた音が、そのまま彼女の全身をクレイドルにも負けない一個 の巨大な『拳』と化す。  カチリと美鈴の中の何かが『フランドールを気分良くするための調整相手』から『迫る 危険を打ち落とす妖怪』へと切り替わる。 「ひゅっ!」  鋭い呼気が肺を震わせ、その呼吸法に内臓すら外への勢いを与えられる。何も後ろには 残さない、全体重を横方向に乗せて放つ、右肩の裏を使った必殺の体当たり。  そして、コンマ一秒で間に合ったそれは、真正面から飛び込んでくるフランドールの頭 突きと激突し、 「!?」 「…………!」  一瞬の均衡の後、ドガァン!という肉同士がぶつかったとは思えないような音を立て、 悪魔の妹と紅魔館の門番はそれぞれ逆方向へと勢い良く『ぶっ飛んだ』のであった。               ※ ※ ※ 「これは……試合前から派手ですねぇ。試合に影響なければ良いのですけど」  リングの上で頭を抱えて丸くなっているフランドールと、背中を押さえながら突っ伏し て何やらピクピク痙攣している美鈴。そんな二人を見て文がぼやくと、新しいツマミをも らってきた慧音も苦笑する。 「まあ、吸血鬼の体力ならば問題無いだろう。この大会なら補給もし放題だしな」  後ろからそう言う彼女は、手に握り寿司の乗った皿を持っている。文が視線だけでそれ を問うと、慧音は厨房の方を示して、もの凄い速さで寿司を量産している八雲藍の姿で返 事とした。 「あの人も器用ですね。狐ですし稲荷寿司だけかと思っていました」  呆れながらも、文は自らの手帖にメモすることは忘れない。特筆すべきは、ふんだんに 使われている海の魚介だ。幻想郷は海に面していないので、どこから持ってきたのか推測 するだけで『文々。新聞』一回分の記事となる。  そうやって文が手帖に筆を走らせていると、 「しかし、魔法使い相手の試合前に自分の手の内を見せるというのも凄い自信だと思うね」  一つ前の魔理沙と妖夢の試合にセコンドとして参加していた霖之助もまた、手に皿を持 って放送席へと戻ってきた。そちらはだし汁の色に染まったゆで卵や大根、がんもどきに 焼き豆腐と、間食にはありふれたおでんの品々だ。  霖之助は大きな皿を一枚テーブルへと置くと、その横に小皿を数枚並べる。小皿には味 噌に塩、ネギダレに辛子、しょうが醤油などがそれぞれ乗せられており、それを見た文は 思わずほうっと驚いた声を上げる。 「珍しく気が利きますね。私たちの好みまで考えてくれるとは意外です」 「僕が色々食べてみたいだけだったんだが、その寿司も悪くなさそうだ」 「私は全員分のつもりで持ってきたぞ」  交換条件を霖之助に告げられ、慧音はまったくとため息をついて自らも寿司の皿を置い た。そこに横から小さな手が伸びたと思うと、ひょいっと軍艦巻きを一つ摘み上げていく。 「あ、こら!」  と慧音が声を荒げた時にはもう遅い。手に劣らず小さな口へと寿司を放り込んだ阿求が、 もぐもぐごくんと『その一品』を平らげ、 「とっても美味しいですよ。紫様も果報者ですね」  舌鼓と共にそう評す。そのコメントに慧音はぶすっとした顔でうなずいた。  ちなみに阿求が掠め取っていったのはあさりの軍艦巻きで、甘辛く煮付けたあさりに刻 みネギを混ぜるだけの簡単なものであったが、川の幸に親しんだ里の者たちにとってはお 袋の味と言える定番の好物だ。例に漏れず慧音も狙っていたのだが、ここは阿求に遅れを とってしまった。結構悔しい。  しかし、慧音は文が面白そうに自分を見ているのに気がつくと、表情を改めてコホンと 咳払いを一つ。 「……まあいい。それより次の試合だな。身内対決になるわけだが、どう予想する?」 「普通に吸血鬼が有利で良いのでは?」 「同感だね」 「私もそう思います」  すぐに応えたのは、文、霖之助、阿求――つまりは全員だった。「だろうな」と言う質 問者の慧音を含めて、四人の見解は一致している。というか、尋ねれば会場の大体の者か ら同じ応えが返ることだろう。 『吸血鬼と魔法使いの接近戦なんてお話にならない』と。  だが、それだけでは放送席の解説陣として面白みが足りないと思ったのか、文は燗した 酒を手酌でお猪口に注ぎながら付け加える。 「パチュリーさんが一回戦で見せてくれた回避力は驚異的でしたけど、さすがに妖精以外 相手に十割の回避率はあり得ません」 「何しろ、ただ『避ける』だけを考えるなら、あの悪魔の妹はこの大会に出場している者 の中で最悪の相手だからな」  文も慧音も大会に参加した身だから言えることだが、自分が戦うことを想定した場合、 攻撃が避けにくいという点でフランドールの変則攻撃は一番厄介だ。しかもそれを連続で 打ち込まれれば、どれほどの回避力を誇る者でも一発二発の被弾は覚悟しなければならな い。 「そして、一発与えればそこで試合は終わりです。『幻想郷縁起の通りだ』と皆さん仰る でしょうね」 「試合内容次第では訂正するつもりなんですけどね。たいていの妖怪は『力が強いから気 をつけて』で良いんですけど、彼女は珍しく身体が弱いみたいですから……興味深いです」  阿求が妖怪たちに回し読みさせている幻想郷縁起のパチュリーの項目には、彼女の身体 能力が人間にも劣ると記してある。阿求としては、これからの一戦は自分の労作に訂正が 入るか入らないかの重要な試合となる予定だ。 「魔女がドーピングも無しにどう戦うんでしょう。楽しみです」  一回戦のパチュリーの試合を見ていないからこそ、他の面々よりもずっと期待している 阿求なのであった。               ※ ※ ※  そして、青コーナー。  フランドールが美鈴相手に調整を進めていたり、放送席で解説者たちが雑談を繰り広げ ているといった賑やかな周囲に反し、パチュリーが自陣とするコーナーでは彼女とその友 人の二人だけが静かに会話を行っていた。 「どう、パチェ?」 「十割。充分ね。――クレイドル」  小さな呟き。それと同時に、リングの中央ではフランドールが頭からの体当たりを実行 し、美鈴の切り返しの技でお互いに真逆に弾け飛ぶ。  それを見て、レミリアが「さすがパチェ」と拍手した。フランドールの組み手を眺めて 彼女の次の行動を先読みし続けるというパチュリー流の『調整』が順調に進んでいるのが わかったからだ。  フランドールが脳天の痛みに涙目になって丸くなると、そこでパチュリーの『調整』も おしまいとなる。彼女はふむとうなずいて手にしていた本に視線を落とそうとして、 「…………っ」  乾燥した冬の空気が肺に障ったのか、そこでごほごほと咳き込んだ。口を手で押さえて 顔をしかめていると、リングの下からお盆片手の咲夜が湯気の立つ和風の湯飲みを差し出 してくる。 「パチュリー様、お茶ですわ」 「ごほ……」  礼を言う余裕もなく湯飲みを受け取り、濃いめに作られた茶色――まさに茶色――の茶 を口に含む。コクリ、と喉が一回動いて水分が気管を湿らせると、彼女は「ほう」と一息 ついてから自分が飲んだ液体を見る。 「苦いわね」 「花の妖怪がリングにドクダミの花を咲かせていましたので、葉をお茶にしてみました」  白い四枚の花弁が十字架のように表面に浮かんだ茶は、吸血鬼の館の魔女が飲むには不 吉だったかもしれないが、充分な温かさと湿気で彼女の肺を慰めてくれる。独特の臭みの ある茶に再び口をつけるパチュリーに、それを見ていたレミリアは嫌な顔をして心持ち身 を遠ざけた。 「パチェ、臭いわよ」 「これ?」 「ひょれ」  感覚の鋭いレミリアにはドクダミの香りが強過ぎるのか、彼女は鼻を摘んで温かい湯気 から逃げている。対してパチュリーはそれほど匂いを気にすることなく、湯飲みの中身を 一気に飲み干した。  うげ〜、と自分が飲んだような顔をするレミリアに、パチュリーは素朴な疑問をぶつけ てみる。 「そんなに駄目なの? レミィ、納豆好きじゃない」 「あれは噂ほど匂わなかったわ。美味しいし。でも、それは苦い」 「臭いものというか、苦いものが駄目なのね」  要は子供舌ということなのだろう。納得して、パチュリーは掌でほのかな熱を楽しんだ 後、湯飲みを咲夜に返却する。  ドクダミ茶も慣れればその苦味が美味しいと思えるようになってくるのだが、健康食品 に気を遣う必要の無い吸血鬼がわざわざ慣れるほど繰り返し呑むことは今後もないだろう。  ちなみに、話題に上がった納豆であるが、そちらは臭気を吸い取る古伝来の藁で作った 納豆に、さらに事前に咲夜が辛子を入れてじっくり掻き混ぜてから、とどめに香り高い醤 油を数滴垂らして食卓に並べたものだ。辛子の成分は納豆の匂いの元と化学変化を起こし て、まったく別のものを作り出す。お子様に食べてもらうための努力は惜しまないメイド なのである。 (発酵は神の力、とは誰の言葉だったかしら? そして発酵につきまとう匂いを他の食品 で打ち消す食卓の化学、ね)  東の果ての食文化も素晴らしいものだわ、とパチュリーは脳裏に浮かんだ納豆ご飯に惜 しみない賛辞を送った。対鬼用に大量購入した大豆が、納豆になれば吸血鬼の食料になる のだから、研究材料としても魅力的だ。 (炒れば自分を傷つけるものを美味しいと言っているんだから、不思議なものね)  そのように考える。  その程度に――試合の前にそのくらいくだらないことを考えることができる程度に、彼 女はリラックスしていたりするのである。  だから、彼女はこれから戦う相手の姉に確認しておかなければならなかった。 「一応訊いておくけど、授業はどこまで?」  と。  それは気軽な質問であったが、空気中に拡散したドクダミの匂いを振り払っていたレミ リアの手の動きを止めるだけの含み――二人の間だけで通じる特別の含みが込められたも のだ。  そして、 「LUNATIC」  幼い顔に不釣合いな長い牙を見せ、レミリアは単語のみで答えた。その『注文』を了解 し、パチュリーは「リング中央にお願いします」という放送席からの呼びかけにパタンと 分厚い本を閉じる。 「酷い姉ね、レミィ」 「あら、私ほど良い姉はそういないわ。可愛い子は千尋の谷に突き落とせ、よ」 「そうね。違うけど」  吸血鬼との対決を前にして、軽口を叩くことも忘れない一週間少女なのであった。               ※ ※ ※ 「さて、試合前にフランドール選手側の興味深い組み手ありましたが、Cブロック第2試 合は時間通りに開始させていただきたいと思います。フランドール選手のダメージは…… 大丈夫のようですね。お腹ぱんぱんのようです」  派手に吹き飛ばされたフランドールであったが、今は血のように真っ赤な紅茶――つま りはそういうことだが――を飲み干し、汚れた口の周りを美鈴にハンカチーフで拭っても らっていた。『補給』を終えたその元気な姿には、先ほどの組み手による疲労の色は見ら れない。 「フランドール選手。準備が済みましたら、リング中央へお願いします」 「は〜い」  放送席からマイク越しに文が促すと、存外素直にフランドールは承知を返した。コーナ ーポストを跳び越えてセコンドスペースに戻る美鈴に背を向け、彼女は胸元で小さな拳を きゅっと握り締める。 「よぉ〜し……っ」  その息が熱く、表情にもまだ先ほどの調整の最後に生まれた高揚が残っているのを見て、 美鈴はう〜んと難しい顔をした。  一回戦で予想外の苦戦を強いられたフランドール。それ以降微妙に落ち込んでいた彼女 のテンションを上げるために準備運動代わりの組み手を行ったが、予定よりもテンション が上がり過ぎた感がある。 (ま、落ち込んでるよりはいいわよね)  通常の生物よりも精神の状態に依存する部分が大きい妖怪にとって、『成すすべなくボ コボコにされた』記憶というのはかなりの大ダメージだ。辛くも勝利したとはいえ、フラ ンドールの『自信』には深い亀裂が刻まれた形となっていた。  その亀裂を、今フランドールは『気分』で覆い隠すことに成功している。人間もそうだ が、宴の席で「一気一気」と囃し立てられれば、普段そんな馬鹿なことはしないと思って いる者でも酒を一気に煽ってしまう。現在のフランドールは、美鈴相手に調子良く戦えた ことで一時的に己の攻撃力への自信を取り戻した状態だ。試合に挑むのに、何の恐怖も感 じてはいない。  一時的な高揚など過去に受けた傷を何も癒してはくれず、それが去ってしまえば再びも との傷口が晒される程度のものでしかないが、今はそれで充分だと美鈴は思っていた。  応急処置で充分。 (『考える間』を作らないで試合を終わらせればいいのよ)  そして、パチュリー・ノーレッジを相手にそれが可能な戦力をフランドールはその小さ な身体に宿している。  なので、早く試合を始めたくて仕方がないというふうに足早にリング中央に向かう背中 に、美鈴はセコンドとして最善の策を声に乗せて飛ばした。 「お嬢様。一回戦の最後に教えた必殺技、出し惜しみしないで一番最初から使っていって ください!」  三十秒あれば八雲藍を倒せると豪語した技だ。 「上手く決まれば」  問答無用で――。 「一瞬で終わります!」  はっきりとした声で言われた言葉に「お〜」と会場がざわめく。最初から試合を決めに 行くという作戦を隠しもしないその自信に、フランドールを迎えるパチュリーも興味深そ うに赤コーナーの門番を見遣る。  その視界を遮るのは、下からひょこっと顔を出したフランドールだ。 「だって。やめておく?」  ふふ〜ん、と腰の後ろで腕を組んだフランドールの笑顔は、火照って赤味を帯びている。 その様子を真逆の温度の低い視線で見下ろし、パチュリーは無言で本をお互いの顔の間に 差し込んで衝立とした。  黙殺、だ。 「むっ」  その感じの悪い態度に、フランドールは頬を膨らませて憤慨する。そもそも、最初から 気に入らないところがあったのだ。 (お姉様……あっちにいるし)  パチュリーの顔が本の向こうに隠れてしまうと、自然フランドールの視線はその後ろの レミリアへと向かう。青いコーナーポストの裏で不敵な笑みを浮かべている姉に、フラン ドールは思わず口を開いた。 「お姉様。いつも紅々言っているんだから、赤コーナーにいらしたら?」 「パチェの方があなたよりよほど『紅い』でしょう?」  多分に嫉妬の含まれた皮肉を、レミリアは意味不明な理由で跳ね除ける。その意味不明 さが、また腹立たしい。 (美鈴はお姉様が私のこと大切に決まってるって言うけど……本当かしら?)  色々と疑わしい。  後ろを振り返って美鈴をじとっと睨めば、門番は引きつった顔で「大丈夫大丈夫」と愛 情保証サインを送ってくる。  ……実に疑わしい。 「でも、ま、いいわ」  姉と自分の関係については、昨日今日始まった問題ではない。それに、レミリアを自分 のコーナーに連れ込むことは、それほど難しくはないとフランドールは思っている。 「要は、私以外応援する相手がいなくなればいいのよね」 「あ〜、色々と物騒な結論が出ているようですが、そろそろ試合を開始してよろしいでし ょうか?」  五百年近く生きている吸血鬼の極端な理論に、放送席の天狗は「それも一つの正解では あるのですけどね」と苦笑いしながら確認を取った。  すると、それまで黙っていたパチュリーがコクッとうなずいて、しかし相変わらずフラ ンドールからは見えない本の壁の向こうから告げる。 「フランドール、そろそろお勉強の時間よ」  その言葉を待っていたのか。  白百合の花弁のように真白い春の妖精――リリーホワイトが空から舞い降り、いつもと 変わらない暢気な笑顔で言うのだった。 「始まりですよ〜」  と。               ※ ※ ※ 「さあ、ざわめきの中、試合開始! 紅魔館の住人同士の戦い……しかし、当主であり姉 であるレミリア選手は、妹ではなくその対戦相手であるパチュリー選手のセコンドについ ているという残酷な構図! この状況下でフランドール選手はどのような動きを見せるの か、そしてパチュリー選手はそれをどう受けるのか、予想がつかない吸血鬼対魔女の開幕 です!」  文の放送の声が飛ぶリング上では、さっそくフランドールが動きを見せる。その場で相 手を覗き込むような猫背になり、両腕をダラリと下ろした無防備な彼女独特の構え。これ から肉弾戦をするとは思えないその無構えで、彼女はゆっくりと身体を左右に揺すり始め る。  左――右――左――というその動きはごく小さく、自分の肩幅の半分ほどの振り子幅だ。  六文銭の穴に糸を通して軽く左右に弾いたようなそれに嫌な顔をしたのは、対戦相手で あるパチュリーではなく、観客席にいる騒霊の姉妹たちだった。 「うえ。姉さん、アレ気持ち悪いよ」 「まるで狂ったメトロノームね……振り子幅が一定じゃない。見ていると、私たちのリズ ムまで狂う」  音楽に通じる関係上『リズム』というものに鋭敏なリリカが口に手を当てて弱った声を 上げると、それを受けたルナサが眩しい太陽を直視した時のように目を細めてその理由を 説明する。  ルナサのその言葉通り、良く見ればフランドールの左右の揺れは幅が一定ではない。左 右への移動が均等ではなく、右に大きいかと思えば左に小さく、振り返しが大きくなった かと思えばそこからの返しはさらに大きい。  それを見て、うむ、とうなずくのは一回戦で彼女と相対した八雲藍だ。藍は、自分の横 に座る小さな化け猫に講釈するように言う。 「肉弾戦に限らず、札遊びや将棋も含めて『攻防』というものは相手の『リズム』を読む ことができるかで勝率が大きく変化する。橙、お前は私に札遊びで滅多に勝つことができ ないでしょう? あれは、お前がどういう状況でどんな札を出すか、私が見切っているか らさね」 「はぁ。でも、藍様も紫様に全然勝てないですよね」 「それはまあ」  チラリ、と彼女は橙とは反対側に座る主の横顔を見る。二人の会話が聞こえていないは ずはなかったが、紫は特に口出しするつもりはないらしく、その視線に応えることはない。 なので、藍も安心して言いたいことを続けた。 「ともあれ、作戦にしろ勘にしろ、行動を起こすにはそれなりの理由……『動機』がある。 相手の態勢を崩そうとか、今なら絶対に当たると思うとか、『動いた方が良い』という判 断。その動機は個人個人で違うから、『癖』と言ってもいい」  だが、と彼女は視線をパチュリーに向かいジリジリと間合いを詰めるフランドールへと 戻す。 「その『癖』が実にわかりにくい、アレは」  次の瞬間何をしてくるかわからない。それがフランドールと戦う上での一番の悩みどこ ろだと藍は評する。  それに対するパチュリーは、試合前からの本を前に突き出した構えのままだ。上に向け た左の掌に本を持ち、それに隠れるように身を縮こまらせた窮屈な構えは、一回戦と同じ 防御重視のものである。  その二人の構えを見て、阿求は素直な感想を述べる。 「まるで正反対ですね」  身体を大きく開いて歩くフランドール。  身体を小さくまとめて待ち構えるパチュリー。  身体能力に定評のある吸血鬼。  身体能力にまったく評価のない喘息魔女。  そんな二人が、パチュリーが持つ本を間に挟んで距離を詰める。フランドールは左右に 身体を振っているが、パチュリーの本もそれに合わせて左右に動くので、未だに二人は顔 を合わせていないことになる。 「あの先読み――『SpellPractice』だったか。さすがに凄いものだな」  慧音が感心する通り、パチュリーの本はフランドールのランダムな揺れに完全に対応し ていた。常にお互いの視界を遮る位置を保持し、フランドールに飛び込むタイミングを計 らせない。  文風に言うならば、 「相手の顔が見えないと、出てくるつもりなのか、待ちに徹するつもりなのか、わかりに くいのです。威圧感ありますよ、あの本」  ということになる。  構えが正反対だというのに、お互いがお互いに『出方』を読ませないという部分だけが 似通っている。  しかし、それで試合が膠着していては面白くないというのも、文の本音だ。 「緊張感はありますが、予想外に静かな立ち上がりになりましたね」  そして、さすがのフランドールもパチュリーの『先読み』相手には警戒して手が出ない のか、と文が言おうとした瞬間だ。  キャンバスを蹴って、フランドールがいきなり前に出た。 「!」  パチュリーが目を見開く。それはただの前進ではない。背の低い扉を前にした時のよう に、フランドールが『お辞儀』をしてパチュリーが突き出した本の下をくぐり抜けてきた のだ。 「速い! いえ、それ以上に……遅いですっ」  思わず文が言う。それまでの沈黙を破って動き出したフランドールの速度は目を見張る ものであったが、問題はそれから逃げようとしたパチュリーの後退だ。  腕の下を通って迫る小さな少女の姿にパチュリーは後ろに飛び退ろうとしたのだが、そ の意思に足が反応していない。そのヒラヒラとした服の中に重りでも入っているかのよう に足が動かず、パチュリーはその場で無防備にフランドールの次の動きを待つことになっ た。  ――否。 (『SpellPractice』!)  顕著に現れた運動能力の差を前に、しかしパチュリーは慌てずに自らの唯一の『武器』 を発動させた。  懐を取ったフランドールが、右拳を握り締めながら斜め下からパチュリーに鋭い眼光を 向ける。二人の視線が交錯し、フランドールの攻撃意思がパチュリーの瞳を射抜く。  だが、魔女は怯まない。  並の妖怪であれば硬直せざるを得ない迫力を受けても、パチュリーは動ぜず本を持つ左 手を自らの身体に引き戻した。右手で左手の手首を掴み、強引に左脇腹の前に添える。役 目を終えた右手はそのまま本の内側に回り、裏表紙に手首から肘の間を密着させて補強す る。  そこまでが淀みなく動いた。  他の場所を打たれたらどうしよう、などとは考えない。  果たして、フランドールは上半身を前に傾けた状態から、その身を右側に捻る。つまり 使うのは右拳、狙うのはパチュリーの左脇腹だ。  確定予測は外れない。  しかし、  フランドールが身を低くするためにたわめた右足を、思い切り『伸ばす』。 「パチェ、受けるな!」  レミリアの警告が届くよりも、竜巻のように回転して放たれたフランドールの拳にパチ ュリーが撥ね飛ばされる方が早かったのである。               ※ ※ ※ 「うぐ……っ!?」  フランドールの拳を本で受け止めた瞬間にパチュリーが受けたのは『痛み』ではなく『 衝撃』だった。凶器となった拳が本にぶち当たり、より大きな『面』の鈍器としてパチュ リーの脇腹を押したのだ。  結果、ほとんど無抵抗にパチュリーの身体が浮いた。その身体が象にでも轢かれたかの ように弾け飛び、鈍い音を立てて横倒しにキャンバスに落ちた。それだけでも足らず、勢 いは彼女の身体をキャンバスの上で一転二転と回転させ、最終的にリングサイドのロープ に飛び込ませる。大きくしなったロープは魔女の細身を跳ね返し、ゴロンとうつ伏せのパ チュリー・ノーレッジが作られたところで、その『事故』は終わった。  一瞬会場がシンと静まり、 「ご、ほ、ごほごほっ」 「あ……圧倒的な破壊力! フランドール選手、最初の一発でパチュリー選手を文字通り 殴り飛ばしましたー!」  キャンバスに突っ伏したパチュリーが苦しげに咳き込み始めると、文がこれぞ実況の役 目とばかりに大きな声を会場に響き渡らせた。それと同時に観客たちが騒ぎ出す。 「今の、魔女受け止めたでしょ!?」 「うわ、勝負にならないじゃんっ」  悲鳴の多くは、パチュリーに賭けた妖怪少女たちだ。フランドールが一回戦で苦戦し、 逆にパチュリーは無傷での勝利だったため、パチュリーの賭札を購入した者は多い。  そうやって観客がざわめく一方で、放送席では阿求が他の面々に向かって感心の面持ち で言う。 「ん〜、やっぱり吸血鬼の腕力は凄いですね。あんなに体重を乗せて身体ごと打ち込むん じゃ、相手も堪ったものではないでしょうね」 「……そういうことか」  その言葉に、慧音は試合前に美鈴の言っていた『必殺技』の意味を知った。フランドー ルの試合を今初めて目にした阿求と違い、一回戦を見たからこそわかる『違い』に慧音は 背筋を冷たくせずにはいられない。 (悪魔の妹が体重を乗せて打ってきた!)  左足を前、右足を後ろにして足場を固定。そこから身体を右斜め後ろに一捻り。そうや ってわかりやすく『右足に乗せた体重』を、右足でキャンバスを蹴る伸膝運動で前方向に 打ち出す。そうして生まれる短距離走のクラウチングスタートのような勢いを、柔軟な上 半身を使って威力を内側に『溜め込み』ながら横反転――鋭い腰の回転で、自分の上半身 と右腕をまさに『巻き込み』ながらパチュリーに叩き込んだのである。  それは明らかに大振りで、隙だらけの一撃ではあったが、その欠点を補って余りある威 力を持っているのも今目にした通りだ。 「あの『回転打ち』……あれを普段の変則十発の中に一発混ぜるだけで、彼女の攻撃力は 倍以上に跳ね上がるぞ。『避けられないので受け止める』ことが多くなる変則に、『受け 止められない』打撃が混じることになるから、最悪だ……っ」  格闘技の基本であれば、間合いの取り方であるとか、防御術だとか、色々なものがある。 それら多くの基本の中からあえて『全力一打』を選択して教え込んだ美鈴に、慧音は憮然 とした視線を送る。 「確かに『必殺技』だな。あれで連撃で攻め込まれたら、対処のしようがない」  ――と。 「お嬢様、瞬殺!」  赤コーナーで美鈴が叫んだ。試合前の彼女の言葉を思い出し、フランドールが長い牙を 見せて笑う。自然と足が動き、気がついた時には彼女は思い切りキャンバスを蹴ってその 場を踏み切っていた。 「パチュリーーーーーーーーー!」 「っ!?」  咳き込みながら立ち上がった魔女が目を見張る。駆け込むとかそういうレベルではなく、 無助走の幅跳びで文字通り飛び込んできたフランドールを目にし、慌てて頼みの本を構え 直す。 (『SpellPractice』……っ)  結果を見るまでもない。フランドールは両腕を頭上に振り上げて目の前に迫っている。 だから、パチュリーが『視た』のはさらにその先だ。  フランドールが鉄槌の破壊力で振り上げた腕を、二刀流のように十字に交差させて振り 下ろすと、その一撃に対してパチュリーは本を『下ろし』た。 「!?」  さすがにそれは予想していなかったフランドールが驚く。簡単に鎖骨を砕く拳槌が、わ ずかに後退したパチュリーのケープの布地を掠めて通り過ぎ、魔女が回避を成功させる。 (かわされた!? でも――)  着地したフランドールは左右行き違いになった両拳を開き、指先を揃えて手刀へと切り 替える。着地したそばから前に進み出て、両腕の交差を逆回転させての、斜め下からの十 字手刀で振り抜いた。  それはパチュリーの喉を裂く……はずだったのだが、 「!」  スパーンと音がして、パチュリーとフランドールの距離が開いた。パチュリーが顔の前 に置いていた本にフランドールが手刀を加え、彼女が腕を振り抜く勢いに負けたパチュリ ーが両腕を『万歳』して後ろに退いたからだ。 (またかわしたっ)  自分の指が本の表紙に触れた途端に『刃物』から『鈍器』に変化したのをフランドール は自覚する。一見フランドールがパチュリーを弾いたようだが、その実手刀本来の攻撃力 は無にされたのが手応えでわかる。  と。 「無防備!」 「いや、それは悪魔の妹も同じだ」  阿求が本の防御を弾かれたパチュリーを見て身を乗り出し、慧音がいやいやと手刀を振 り切ったフランドールを見て腰を落ち着けたまま言う。  言ってから、 「なに!?」  アルファベットのYの字を形作るように伸ばされたフランドールの両腕。その指先が曲 がり、気がついた時には熊手――鉤爪を生み出していた。  そう、慧音の判断は間違っている。  美鈴と藍、フランドールと深く手合わせした者たちにはそれがわかる。 「お嬢様の攻撃は」 「あの程度じゃ止まらないってことさね」  最初の飛び込み十字打ち、着地してからの振り上げ十字斬り、そして、フランドールは 三度目にさらに歩を前へと進めて両手を左右から真っ直ぐに『閉じ』た。  パァーン、と掌がぶつかり合う乾いた音が響き、逃げる遊び相手を前へ前へと追いかけ 続けていたフランドールは、何も捉えることなく重なり合った自らの手を見る。 (また、かわされ……っ)  パチュリーは、 「下」  最初に『それ』を『視て』いた。  背の低いフランドールのさらに下、万歳したままちょこんと正座した魔女のひとことに、 フランドールは合わせた掌をピクリと動かす。その手が再び開かれて攻撃に変わるよりも、 パチュリーが本をフランドールの顎に向かって突き上げる方が早い。 「!」  パチュリーが立ち上がろうとするのが見え、フランドールが攻撃を捨てて上半身を後ろ に反らす。  そうすると、パチュリーの攻撃は空を切り、二人の一連の攻防は終わりを告げる。  はずだった。 (その流れはお嬢様の十八番!)  上半身を反らしたフランドールが、合掌していた手を開き、その左腕を大きく回してパ チュリーの側面を狙った一撃を繰り出した。脇腹でも肩でも腕でも、引っ掛ければそれだ けで妖怪を薙ぎ倒す変則の『手打ち』だ。  一回戦で藍相手に散々成功させた『流れ』にフランドールは命中を確信し、 「!?」  スカッと、誰もいない空間を通り抜けた自分の拳に目を丸くする。  パチュリーは真っ直ぐに立ち上がってはいなかった。立ち上がりながら、自らもフラン ドールのように身を後ろに反らしていた。  そして、意表を突かれたフランドールのあどけない顔面に、思い切り振りかぶって反動 をつけた分厚い魔導書の表紙が叩きつけられたのである。               ※ ※ ※  べちん、というのは少女が虫のように叩き潰される時に響く、滅多に聞くことができな い音だ。 「ひっくり返った〜! フランドール選手、一気に試合を決めにかかったところに、逆に 手痛い一発を受けて転倒!」 「あらら」  リングの上で吸血少女が倒れ、それを文が盛り上げるのを聞きながら、リングサイドの 茣蓙に座ったアリスが苦笑いする。  昨年の夏、幻想郷を包み込んだ妖気――正体は子鬼だったが――の調査のために紅魔館 にある図書館に忍び込んだアリスは、同じ一撃を受けて目を回した経験がある。  鼻が痛いのよ、とぼやくアリスだったが、重い本を振り切ったパチュリーにはそのよう な呟きの余裕すらなかった。 (『SpellPractice』!)  倒れたフランドールを前に、大急ぎで後ろに飛び退る。それと同時にフランドールが掌 でキャンバスを叩き、その馬鹿力で『直立したまま』起き上がる。そのまま彼女が頭を前 に振ると、背中の翼が二本の刃となって大上段から前面の空間を裂く。 (これも当たらない……っ)  不意打ちしたつもりのフランドールがギッときつい目で睨むと、安全圏で悠々と本を構 え直したパチュリーが、例によって死角になって見えない口を動かして言う。 「レミィのマネじゃ、私には通用しないわよ」  そして、 「瞬殺がどうかしたの?」 「…………っ」  挑発の言葉が、フランドールの足を動かした。じっくり間合いを見ることもせず、フラ ンドールはパチュリーに向かって無造作に右手を伸ばす。狙いはパチュリーが前に出した 魔導書で、その本を掴み取ろうとする彼女の手の動きに、パチュリーは単純に自分の手を 引くことでその手を空振りさせる。  構わずにフランドールは今度は左の手を伸ばす。真っ直ぐに指を揃えた貫手で相手の顔 を狙うと、前の動きで引き戻されていた本がその指を防ぐ。だが、直撃は防いでもパチュ リーの腕力で吸血鬼の指先は止められない。抵抗感も無く進んだ貫手に押された本がパチ ュリーの額をドンと打ち、見えない魔女の顔が歪んだのをフランドールは感じる。  すかさず、左手と入れ違いに引き戻されていた右手が、鉤爪になって真横にパチュリー の腹を裂こうとする。それを、パチュリーは腰を引いて『腹をへこませる』ことで避ける。  そのように連続でフランドールは攻撃を仕掛けるのだが、 「よ、避ける避ける。攻めるフランドール選手に、避けるパチュリー選手。一方的な攻勢 ですが、これが……」  マイクを前に、文は言葉を溜める。 「当たらない!」  その通りだった。  フランドールが縦横無尽に拳を振るう。  ――だが、強烈な破壊力を持つ拳は全て事前に拳が『そこを通る』ことを知っているか のようにパチュリーは身をかわす。  フランドールが速度重視に手刀を振るう。  ――だが、切り裂く爪は魔導書に触れた段階で刃としての特性を失ってしまう。  他の打撃もそうだが、拳や爪といった『小さな打撃面』が、本を通した時には本の大き さの『大きな打撃面』に変化させられてしまう。  打撃とは、同じ腕力で叩きつけるならばより打撃面が小さい方が『破壊力』は高くなる。 簡単に言えば、同じ重さの木製バットと平らな薄い木の板、どちらで叩いた方が痛いかと いうことだ。  どれほどにフランドールの拳の破壊力が優れていようと、パチュリーに分厚い魔導書で 受け止められている以上、その真価を発揮することはない。本来ならば受け止めた腕ごと へし折る『貫く』力が、本の面積でパチュリーを『押す』力に変換されてしまっているか らだ。力の『総量』は変わらなくても、『破壊力』は見事に殺されている。 「本や盾があれば誰でも同じことができるというわけではありません。パチュリー選手の 卓越した回避力があってこそです」 「あれは……本気で十割、全て読み切る勢いだな」  もはや感心を通り越して呆れ口調で慧音はリング上での回避劇を見る。同じように知性 派と言われているが、パチュリーのそれは情報量云々でどうにかなるレベルのものではな い。  知識人と呼ぶより遥かに相応しい称号が彼女にはあるのだ。 「やはり『魔女』ということか」  一方、 「でも、避けているだけじゃ勝てないと思うんですけど」  率直に言うのは興味深そうに試合を見る阿求だ。いつの間にか手元に紙と筆が用意され、 彼女は墨で固められた筆先を舐めて『魔女の肉弾戦闘力は吸血鬼を上回る?』とメモして いる。  その阿求の疑問に顔を見合わせるのは、文と慧音である。  二人はふむ、とうなずき合い、 「完全に『読める』のなら、そろそろですよ」 「『読める』というのは、回避だけに有利というわけじゃない」  調子を合わせてそう言った。  そういう会話が放送席で行われている間も、フランドールの猛攻は続いていた。空振り が多くとも、空気を穿つような速度の『振り』はパチュリーの白い服の余りを掠めてビュ ッ、ビュッ、と鋭い衣擦れの音を生む。  音はフランドールの攻撃がどれほど『惜しい』かを観客たちにわかりやすく教え、ある 種の期待感を抱かせるに充分だった。  つまり、 「あと何発で当たると思う?」 「さすがに全部避けるのは無理でしょ。どこかで一発くらい当たるよ」  最初の『事故』の印象が強く残っている妖精たちはそうわくわくと予想し合う。その中 でリグルが、 「うわぁ〜……」  と自分の萃香相手の試合を思い出し、豪腕が肌を掠める感覚に背筋をゾワゾワと震えさ せる。見事な回避が可能でも、反撃でダメージが与えられない辛さは、彼女が一番身に染 みて理解している。  が。 「この……この!」  命中まであと一歩のところで腕を振り回しているフランドールは、観客たちが思うほど 自分が優勢だとは思っていなかった。拳が相手の服を掠めるのも、惜しいと思うより先に もどかしいと感じてしまう。 (なんで当たらないの!?)  これまでフランドールは、攻撃を繰り出せばそれを面白いように命中させることができ ていた。藍相手でも、美鈴相手でも、フランドールの打撃が続けて三発以上かわされたこ とはない。フランドールの変則は、それほどにかわしにくく、相手にとって厄介なものだ からだ。  それ故にフランドールは叫ぶ。 「何か変よ、こんなのおかしいっ」  その思いが、より彼女に手数を出させる。だが、むきになって打撃の数を増やしても、 パチュリーはそれを冷静に捌くのみだ。  ついに苛立って、フランドールは自分がこの試合で唯一ダメージを与えることができた 攻撃に頼る。 (これなら……っ)  左から右への手打ちの大振り。パチュリーがそれを半歩退いて難なく避けると、フラン ドールは大振りの勢いを利用して身体を右側に捻る。同時に左足をわずかに進め、『足場』 を作る。 「そう!」  ニッと美鈴が笑みを浮かべる。 「そのままぶちかます!」  赤コーナーからの声に、フランドールが必殺の回転打ちを放つ。  そこに、野球のバッターのように本を振りかぶって魔女は言う。 「当たるのが当たり前? 甘えるのもいい加減にしなさい」 「っ!」  辛辣な言葉と同時に飛んできた横振りの本の『角』――それが、  フランドールの顔面を捉え、その首を真後ろに押し倒した。  その時に響き渡った音がどんな音だったのか、正確に表現できる者はいない。ただ、自 分の拳と入れ違いに飛び込んできた本を喰らったフランドールは、真正面に広がった冬の 曇り空に口を開く。 「な――」  全体重を乗せた一発。それを放った右腕を振り切り、身を右側から左側に捻りきった少 女の姿。左足が前、右足が後ろで、しっかりと地面に支えられたその姿。  その姿で、首だけは後ろにのけ反り、瞳孔が開ききった目はパチュリーのいる正面では なく、誰もいない空を見つめている。 「――ん?」  たっぷり一秒以上かけて、疑問が形となり、 「――――――――――っ!」  直後に眉間から広がった激痛に、フランドールは奥歯を噛み締めて悲鳴を飲み込んだ。 ビリリッと電撃が奔るような、細かい神経の一本一本まで響く痛みが足の指先にまで届き、 グラリと足元が揺れる。  『思い出す』。 (こ……)  幸い、足場は棒立ちではなく前後に広げてあったため、フランドールが倒れることはな かった。  だが、 「カウンターーーーーーーーーーーー! ついにパチュリー選手が攻撃に転じましたっ」 「『読める』というのは、全てかわせると同時に、いつでも攻撃を当てることができると 言うことだ。しかも、自分の『読み』を絶対と信じる自信があるならば、普通ならば考え られないような全力のカウンターを叩き込むことができる」 「は〜。それで、あんな掠っただけでも吹き飛ばされそうな吸血鬼の攻撃にも飛び込める んですね」 「さすがのフランドール選手も、自分の破壊力をそのまま利用されてはタダではすみませ ん。しかも、眉間――急所に完璧に入りました。あれは効きましたよ。パチュリー選手、 チャンスです!」  賑やかな放送席の会話が、フランドールに『思い出さ』せる。顔をしかめ、痺れるよう な痒いような感覚の残る指先に力を込めて握り拳を作る。 (この感じ……っ)  痛みが。  放送席のうるささが。 「入ったー!」 「いけー!」  観客席の盛り上がりが。  自分にとって嫌なものを『思い出さ』せる。  それを脳裏から追い出すために、フランドールは再び身を右に捻った。動かないといけ ない。動きを止めると、気づいてしまう。自分が盛り上げたテンションによって心の片隅 に封じ込めたものが、出てきてしまう。  だから、足場を作り直すのも忘れてもう一度『回転打ち』を繰り出そうとして、  カクン、と踏ん張りの足りなかった右足の膝が折れた。  派手な音は無く、自然な流れで剥き出しの膝小僧がキャンバスに接地する。 「あ」  それに、会場の皆が口を揃えた。  明らかな大ダメージ。  膝をついたフランドール。  わかりやすい構図に、 「あなたの戦意は所詮付け焼刃」  まるで自室で読書を始めるかのように悠々と魔導書を開きながら、パチュリーは言うの だ。 「フランドール・スカーレット。レミィと同じくらい生きてきて、レミィと同じくらいの 身体能力を持っていて、レミィと同じくらいの魔力を持っていて、それからレミィと同じ くらいに不死身の身体」  だけれど、と。 「あなたは負け犬。だって、もう『一回戦で負けている』でしょう?」  思い出させる。  八雲藍――大妖怪八雲紫の式に、手も足も出せずに叩きのめされたあの一分間。あの時 の、脳と身体に刻み込まれた大ダメージ。  この『痛み』は、それを思い出させる。  そして、 「ダウン!」  笏を掲げた映姫の宣言が、状況をより一回戦のそれへと近づけていくのであった。               ※ ※ ※ 「ダウーーーン! 耐え切れずに思わず膝をついたフランドール選手っ。審判長の閻魔様 はそれをダウンと裁定。パチュリー選手、フランドール選手ともにリングには転がりまし たが、ついにダメージ量が目で見てわかる、ついでに聞いてもわかるダウン宣言にまで達 した模様です!」 「全力の一打は、自らにとっても諸刃の刃――それをよく表した展開だ。魔女は非力だが、 あの魔導書での一撃はさすがに堪えるだろう」  これぞ機会と声を張り上げる文に、さもありなんと慧音も解説を加える。それを聞いた 阿求は、先ほどのメモ書きの上に大きく円を描いて確定事項とした。  そうした周囲の盛り上がりの中、青コーナーでは膝をつくフランドールの姉であるレミ リアが笑いを抑えられない態で肩を震わせていた。 「あはは! さすがはパチェ!」  言ってくれる、とレミリアは二度、三度と拍手する。その実に楽しげな様子に周囲の妖 怪たちは「あんたの妹でしょうに」と呆れた視線を飛ばすが、紅い悪魔はどこ吹く風だ。 「姉妹の格の差を思い知らせるのに、これ以上の役者はいないわ」  上機嫌。  しかし、主の後ろに控えた咲夜は、閻魔によるカウントが始まったというのにパチュリ ーがニュートラルコーナーに下がろうとしていないことを見逃さなかった。  彼女はわざわざフランドールの目の前に立ち、それでいて無視するかのような読書の挑 発を見せつけているのだ。  それの意味するところを考え、咲夜は視線を片膝をついたフランドールに向ける。  要するに、と。 「シックス、セブン、エイ――」  規則正しくカウントを数えていた映姫がその言葉を止める。皆が注目する中、フランド ールは大きく深呼吸をしてから屈していた右膝を持ち上げ、回転打ちの基本の構えへと状 態を取り戻していた。 (要するに、まだフランドールお嬢様の心は折れていないというわけね)  意地悪なこと、と口の中だけで呟く咲夜の背後から、お〜、という感心の声と拍手が立 ち上がったフランドールへと降り注ぐ。 「パチュ……リぃっ」  フランドールは赤く『点』のついた眉間も気にせずパチュリーを上目遣いに睨みつける。 吸血鬼の丈夫な身体は、強烈とはいえ一撃のダメージで戦闘不能になることはない。  ――ないのだが、 「良い目ね、フランドール」 「っ!」  視線を文字に落としたまま発せられたパチュリーの言葉に、フランドールはギクリと身 を強張らせた。  その緊張に、 「続行!」  閻魔の言葉が重なり、パチュリーが開いていた魔導書を閉じる。  そうして魔女は試合再開の合図に戦闘態勢に構えるのだが、その構えは先ほどまでの『 盾』を前にして身を隠すものとは違う。 「本気?」  信じられない、と小さく呟くのは同じ魔法使いのアリスだが、同じ感想は魔法使いでな くとも皆が皆抱くものだった。  誰よりも、 「…………!」  目の前に立つフランドールが、睨みつける眼光さえ忘れて絶句した。  パチュリーの構え。それは先ほどまでの一連の攻防の最後の瞬間に見せた、本の下の両 角を掴み、野球のバッターのようにフランドールに左半身を見せるというものだ。つまり、 これからその魔導書で思い切り殴る――それ以外の行動はしないと明言する構えだ。  そんな構えを、『決め』のための大打撃の構えを、戦いの流れの中で一時的にとるので はなく、最初の最初からフランドールの前に晒す。 「ゾクゾクするわ」  一人笑みで言うのは、レミリア・スカーレット。  まさか、と誰もが思う。  フランドールも思う。  故に、フランドールは構わずに右拳に力を込め、 「う、ああああああああ!」  叫びと共に、自分に打てる最大の破壊力の攻撃を繰り出した。  キャンバスを蹴る右足。  回転する腰。  破壊力の乗せられた拳がパチュリーに向かい、  そして――パチュリーのフルスイングの魔導書が、フランドールの眉間を捉えて鈍い音 を響かせた。 「ぎ……!?」 「あ、当たった、当たりました……って、どうして当たるんですか、アレ!?」  結果は、思い切り上半身を前に振り出し右腕を振り切ったフランドールと、右足――フ ランドールから遠い方の足を一瞬浮かせ、半歩下がりながら背筋を伸ばして本をフルスイ ングしたパチュリーの交錯、という形だ。交錯でありながら相打ちではなく、頬ぎりぎり で相手の拳を通り過ぎさせたパチュリーの攻撃だけが一方的にフランドールの顔面を打ち 据えた。 「〜〜〜〜〜〜〜っ」  ダウンの際と合わせて連続して二回も眉間を打たれたフランドールは、さすがに動きを 止める。全身が硬直する痛みに攻撃後の姿勢のままで停止した彼女の耳元で、同じように 本を振り切った姿勢でパチュリーが囁く。 「私は、あなたの心が折れるまで殴るのをやめない」 「っ!」  そのひとことに、フランドールの負けん気が刺激される。左拳に力が入り、左側に身体 が捻りきった状態から、逆回転の動きを始める。 「左でも打てるのか!」  慧音が言うが、パチュリーは目を細めるのみだ。 「言ったはずよ。殴るのは、私」 「いた……っ!?」  左の回転打ちを放とうとしたフランドールの顔に、本の角が飛び込んできた。前のカウ ンターで野球バットのように振り切った姿だったパチュリーが、左手を本の角から放し、 その手で背表紙を押してこちらも逆回転させたのだ。  ゴスッと鼻面を打たれたフランドールがのけ反ると、パチュリーはそこからトンと後ろ にステップする。回転打ちを途切れさせたフランドールがブンと斜め下からの変則殴りを するが、それも空を切る。 「パチュリー選手、やはり変則もかわす! 見事な回避力ですが、今度はそこにプラスカ ウンター! 全ての攻撃をかわされるだけではありません、今度は攻撃すれば自分がダメ ージを受ける!」 「く……この!」  それでもフランドールは前に出るが、拳を水平方向に振るいながら進むところに、パチ ュリーが両手で本の底を持って水泳のビート板のように突き出した。すると、魔導書はあ やまたずフランドールの鼻と唇の間に命中する。振る動きにつっかえ棒をされた上半身は そこで停止し、短い腕がブンとパチュリーから拳一つ分の距離を通り過ぎていく。  その空振りで、フランドールは自分とパチュリーの間にある有利不利に気がついた。 (届……かない!?)  フランドールの拳がことごとく空を切る。それは先ほどまでの『絶対回避』に状況が似 ていたが、根本的なところで大きな違いがあった。  前者はフランドールが飛び込み、それをパチュリーがぎりぎりでかわし、または本で受 けるという流れだった。そこにはイライラしたが「もしかしたら当たるかも」の期待感も また存在していた。  対して、後者はフランドールが飛び込み、それに対してパチュリー『半歩下がって』間 合いを広げる。その間合いは、ちょうどフランドールの手が届かない距離だ。 「離れれば当たらない。単純な理屈ですが、彼女はそれをフランドール選手の踏み込みに 合わせて実行しています。わずかでも自分の方が早く動いてしまえば、フランドール選手 の反応速度ならば動きを『修正』してきますから、これは相当な度胸ですよ」  博打に近いです、と半ば変なものを見るような目で文はマイクに言葉を通す。  それは徒競走の「よ〜いドン」に近いかもしれない。より早く、より「ドン」に合わせ ようとしてフライングしてしまえば、待っているのは失格だけ、踏み込みを修正したフラ ンドールの一撃を喰らうだけだ。  その度胸の理由を考え、文は唇を舌で湿らせる。  要するに、 「ご覧になっているでしょうか、会場の皆様! 『次に何が来るか』どころではありませ ん。『いつ何が起こるか』で動いているパチュリー選手! 今更ながらに驚かされます。 彼女はそれほどまでに、自分の予測を信じているのです。少しでも疑えば足がすくむ『無 謀』! ですが、パチュリー選手にとってはそれは当たり前! 何を言う、私の予測が外 れるはずがないっ。パチュリー・ノーレッジ、恐るべきは、この大魔女の――」  知識と知恵と集中力が保証する、 「己への絶対信仰心!」  声を張り上げながら、文はそれこそが幻想郷の強妖の中でも特に最強クラスと称される 者たちに共通する精神傾向だとうなずく。  自分のしていることは全て正しい。間違っているはずがない。否、自分が通る道こそが 正しいものとなるのだ。  そういう傲慢とも言える心。他者の都合などお構い無しに突き進む、強烈な自己中心論。  『それ』が、迷いの無い力を生む。  彼女たちと強妖との間に、実際にはさほどの力の差など無い。それでもレミリアが、幽 幽子が、紫が、萃香が、ただの強妖たちと違うところは、『それ』が身を満たし、溢れ出 たものが独特の雰囲気となって相手にも思わせるからだ。 (こいつには勝てない)  と。  それがカリスマというものなのです、と文は結論付けているが、今のパチュリーには『 それ』に近いものを彼女は感じていた。 (肉弾戦は不得手でしょうに)  決して運動神経に優れているわけではない、むしろ人間にも劣る速度の肉体性能。フラ ンドールにまともに一撃喰らえばそれで終わるという枯れ枝のような身体で、しかし彼女 は躊躇の欠片もなく近距離で吸血鬼にカウンターを合わせる。 (……やりますね)  自分が紅魔館の魔女を『吸血鬼の部下』くらいに過小評価していたことを、文はカメラ のシャッターをすかさず切る程度に反省するのだった。  そしてフランドールは、 (本、邪魔……っ)  前進と大振りを繰り返しながら、パチュリーにカウンターを簡単に受ける仕組みに唇を 噛み切りそうなほどに悔しい思いをしていた。  一番最初のように、パチュリーの不意をついたつもりで身を沈めながら潜り込んで回転 打ちを使おうとしても、 「うぐっ」  本の『角』が目に飛び込んでくる。払おうにも、ちょうどフランドールが踏み込むと同 時に腕を振り絞った絶妙のタイミングなので無理な話だ。やわらかい眼下に本の一番硬い 部分が突き刺さり、それ以上進めなくなったフランドールの拳はまたしても空転する。  いくら腕を振り回しても『届かない』。  パチュリーがカウンターを加え、なおかつ自分が被弾しないでいられるのは、その『腕 の長さ』の差が大きい。先読みによってフランドールの『軌道』さえわかれば、後はそこ に腕と魔導書を足した、この会場にいる誰よりも長いリーチの攻撃を配置すれば、一方的 に打撃を当てることができる。  もちろんそれも『半歩下がる』タイミングがあってこそだ。相手の動きを超反応の手打 ちで潰すのがフランドールの持ち味だというのに、それすら使えない『動いている最中』 を狙われている。『動きを止めたところ』を狙ってきた藍や美鈴とは、パチュリーの戦い 方は違いすぎる。 (全部、読まれてる……)  それを意識せざるを得ない。 (私の攻撃が、何も通じないっ)  何度も繰り返される、フランドールの回転打ち。それしか当たらないと思ってこだわり 続ける大振りに、パチュリーは本の一撃を作業的に打ち当てていく。  フランドールが左足を前に出す。  右の拳が振り出され、それにパチュリーがそちらも大振りな魔導書での攻撃を繰り出す。  二人が交錯すると、頭蓋骨が砕けるのではないかという音が響き、ついにフランドール の眉間が割れる。赤よりも紅い血が飛び散り、少女の瞳の焦点が揺れる。 「……うぅっ!」  フランドールが、今度は右足を前に出す。すると、左右反対になった構えから、左の拳 が勢い良くパチュリーに襲いかかる。  それにさらにカウンター。  フランドールの頭が真後ろに弾け、だが少女はすぐにその頭を前に振り戻すと、愚直に 左足を前に出す。  膝にぐっと力を込め、右の回転打ち。  そこにさらにカウンター。  本の角がフランドールの傷ついた眉間に打ち込まれ、鮮やかな血の色に染まった本が振 り抜かれる。傷ついた場所を狙うならば、防御力も何も関係ない。剥き出しの痛点を何度 も叩かれたフランドールは唇を引き結んで、  右足を前へ。  カウンター。 「パ……チュ……」  くわんくわんと、寺の大きな鐘の中でその大音声を聞かされたように視界が『ぶれ』る。 弾けた血がキャンバスを紅色の水玉に染め、七発、八発、九発、十発目のカウンターを連 続で受けた少女は、最後に振るった自分の拳の勢いに耐えられずに身体が前へと『泳ぐ』。  胴体は一度も打たれておらず、足も元気なままだったが、強打された頭は脳の機能を麻 痺させ、手足を硬直させる。  多くの者は誤解しているが、身体を動かすのは体力ではない。脳からの命令だ。それが 伝達路である神経を通り、筋肉を反応させる。いかに手足が体力を蓄えていようと、その 燃料を使えという意志が届かなければ手足は動かない。  それが『切ら』れる。  脳から四肢への回路、脳に繋がったコンセントプラグが引き抜かれる。  香霖堂にある電化製品のように『何も壊れていないのに動かなく』なる。 「あ……」  まずい、と思った時には、爪先がキャンバスの上を滑っていた。眩暈のせいで自分の動 きを受け止められなかった足が浮き、つんのめる。  咄嗟に手をついて顔からの落下は食い止めるたが、すぐにでもパチュリーが本を振り下 ろしてくるだろうと彼女は首をすくめて、打撃に備えて歯を食いしばった。  しかし、 「なんのつもり?」  降ってきたのは追撃ではなく、無感情な声であった。  その言葉を、脳震盪を起こしかけているフランドールは、理解することができなかった。 (攻撃……してこない?)  会場中がざわっと驚きの気配に包まれたのを感じ、彼女は転んだ拍子に目に入った血を 手で拭う。  一拍の、戦闘停止時間。  そこに、 「土下座なんて、どこで覚えてきたのかしら」 「ち、違……っ」  キャンバスに膝をつき両手をついた姿をパチュリーにそう表現され、フランドールは壊 れるのではないかというくらいに目を見開いた。ようやく、自分がどのような格好で跪き、 それが周りからどう見るかに思い至ったのだ。  それ以上言葉も出ない彼女に、パチュリーは逆に目を細めて続ける。 「土下座がどうして屈服を意味するか、わかる? 武器を手放して抵抗の意志がないこと を示すという俗説もあるけど、本当は立ち上がれないほどに打ちのめされた姿を再現した ものだから。だから、土下座のように膝をつくというのはこの場では正しくない。力尽き て土下座する、が正しいわね」  ちなみに今のあなたの土下座は実に自然で八十九点、と魔女は『フランドールが立ち上 がるのを待ちながら』言った。審判がダウン宣言していない以上、彼女に攻撃の手を止め る必然はない。だというのにわざわざそうする理由は一つしかない。  もはや疑いようのない『パチュリーの目的』。  真正面に位置を取り続け、自分からは攻めずにカウンターのみを狙うその姿勢。 「なんで……」  試合に勝つというのが『格闘ごっこ』の最終目的であり、当然のようにフランドールも それを目指していたというのに。 (勝つのが目的じゃ、ないんだ)  脳が痛い。  自分の全力打撃を返されるダメージは、短い時間で想像以上にフランドールを蝕んでい た。  その脳でもはっきりとわかる。 「立ちなさい、フランドール。何度も言うのは面倒だけど、レミィとの約束があるから、 もう一度だけ言うわ」  つまりは、 「私は、あなたの心が折れるまで殴るのをやめない」  自分は今、嬲られ、壊されようとしているのだ。               ※ ※ ※            『一回戦と同じように』               ※ ※ ※  へたり込んだフランドールの身体から力が抜け、映姫が笏を掲げると、藍はため息をつ きながら隣に座る主に言う。 「変則は読めないから変則。あの魔女にとって、吸血鬼の動きは全部無駄の多い大きな動 きでしかないんでしょうね」 「彼女にとって、あの子の動きほどかわしやすいものはない、ということかしら」  私は苦労したのに、とぼやく藍に、うふふと笑いながら紫も同意した。そして、しかも と彼女は付け足す。 「しかも、試合の合間にあの子が心の隙間に沈めたものを掘り返す。姉がわざわざ言う通 り、これ以上の役者はいないわね」  パチュリーは言っていた。『付け焼刃』と。  また、美鈴が懸念していた。今のフランドールの勢いは、しょせん落ち込んでいた心を 無理矢理奮い立たせたものである、と。  そういうフランドールが抱えた爆弾のような『不安要素』を考えれば、パチュリーのこ こまでの戦い方も納得できる。  「心の歯車は、とても繊細なもの。身体の、感情の、そうしたものの影響を簡単に受けて しまうもの。避け続けることで未熟さを思い知らせ、次に叩き続けることで心を萎えさせ を、あの魔女は再現しようとしているのよ」  フランドールの心が折れた瞬間――八雲藍の前に頭を抱え、もう嫌だと泣いたあの瞬間 を、だ。  それは決して難しいことではないと紫は思う。  何せ、フランドールは『忘れている』だけなのだ。『忘れたまま』勢いでパチュリーに 勝利してしまおうという作戦だったのだろうが、彼女の回避力の前に短期決着の道を閉ざ された今、フランドールはカウンターを喰らいながら考えずにはいられなかったはずだ。  『あの時と同じだ』と。  そして、その思考が完全に藍との戦いと重なった時――。 「心は折れるわ」  残酷なことを、しかし愉快げに隙間妖怪は口にするのであった。  同時に、 「……酷いな。仮にも、同じ場所に住んでいる者だろうに」  その圧倒的なパチュリーの戦いに、放送席では慧音が苦い顔をする。その呟きを驚異的 な聴覚で聞き取り、レミリアは肩をすくめた。 「部外者ではなく、使用人ではなく、さらにフランのことを本人以上に理解し、手玉に取 れる者」  これに該当する者が、他にいる?  レミリアがパチュリーに求めたのは、フランドールの決定的な意識改革であった。  藍に純粋な『妖怪としての力』で叩きのめされ、妖怪と妖怪の戦いとは一方が一方を『 壊す』ためのものではなく、お互いが同じ尊厳を持って『壊し合う』ものである――自分 さえ壊される可能性が付きまとうということをフランドールは学んだ。  そこで今度は、レミリアはフランドールに『身内の強者の力』を見せつけることを考え た。生まれ持った力だけでは適わない相手もいることを知ったフランドールだが、ではそ こでどうすれば良いのかを、彼女は知らない。  だから、彼女が学ぶには『見本』が必要なのだ。そしてそれは『フランドールが認める 強者』でなければならない。彼女が素直に頼り、教えを乞うことができる相手だ。  それはいかに優れていようが、使用人ではいけない。  『主の側』が部下に教えを乞うなど、吸血鬼の誇りが許さない。『教えてくる』ものを 吸収するのは構わないが、『教わろうとする』のは堪えられない。  だから、いかに強かろうが、メイドではいけない。  だから、いかになついていようが、門番ではいけない。  部外者など、もってのほかだ。 「これに該当する者が、他にいる?」  今度は口に出し、レミリアは世界に向けて問う。応えは、リングの上の状況だ。  故に、レミリアは胸を押さえるように両手の指先を揃え、長い牙を覗かせて言う。 「まさに、運命通り!」  運命を操る程度の能力の持ち主は、満足げに宣言するのだった。  そのタイミングで――。               ※ ※ ※ 「……じゃあ、私の勝ちじゃない」  小さく呟いて、フランドールは立ち上がった。               ※ ※ ※  ダウン、という映姫の試合中断は結局は無かった。膝を屈したフランドールが動かない のを見て彼女が笏を掲げ、 「そこ――」  まで、と言いかけた時、それに合わせるように吸血少女が立ち上がったからだ。  それに、対戦相手であるパチュリーは驚かなかった。打撃で与えたダメージで脳から手 足の機能が切れるのは数秒程度だ。その効果が切れて回復したのだろう、と再びバッター のような構えに戻る。 (もう折れる)  年齢不相応のフランドールの経験値の低さは、追い詰められた際に対応能力の不足とい う形で露出する。自分が不利な時にその不利をどう覆せば良いのかわからないフランドー ルには、パチュリーの『SpellPractice』を破ることはできない。  案の定、うつむいたままのフランドールは先ほどと何も変わりなく身を右に捻る。馬鹿 の一つ覚えの回転打ち。 「それしかないのかしら? 無様ね、フランドール」  言いながら、パチュリーは『SpellPractice』を発動させる。    パチュリーの辛辣な言葉に、だがフランドールは応えなかった。無言のまま力を溜   め、渾身の右。軌道はパチュリーの左脇腹から拳半分下がった場所だ。 「――――」  パチュリーの辛辣な言葉に、だがフランドールは応えなかった。無言のまま力を溜め、 渾身の右。軌道はパチュリーの左脇腹から拳半分下がった場所だ。  それに向かってカウンターの本を横振りに繰り出しながら、パチュリーはさらにその『 先』を予測する。 (『SpellPractice』!)    キャンバスに飛び散るフランドールの血。だけれど構わずにフランドールは連続し   て二発目の攻撃を打つ。――が、一撃目の影響なのか振りが今までよりも大きい。 (カウンターは『当たる』)  当たった未来が『視え』る。当たった上で反撃してくるフランドール相手では、パチュ リーは前もって幾つかの予測を得ておく必要があった。一手一手フランドールの行動に合 わせていて予測を発動させていては、パチュリーの鈍い運動神経ではついていけない。  だから、油断は無い。  余裕は無い。 (嫌な役回りね)  実際には必死に回避とカウンターを成功させながら、その表情は常に無表情に、圧倒的 余裕を示し続けるパチュリーに慢心という心の隙は無い。  あるのは、わがまま友人からの『お願い』を果たそうという研ぎ澄まされた集中力のみ だ。  結果、何も変わらず、半歩下がったパチュリーの一撃はフランドールの顔面を叩き、鈍 い音を会場に響かせる。  そして、パチュリーは苦痛の声を上げた。 「つ……っ!?」  瞬間、パチュリーは何が起こったのか把握できなかった。  『手首に激痛が奔った』。  フランドールの頭がパチュリーの魔導書を『通り過ぎる』。これまでは喰らう度にのけ 反り、または動きを止めていた少女の頭が、腕の振りと一緒にパチュリーのそばを通り過 ぎる。  キャンバスに飛び散るフランドールの血。だけれど構わずにフランドールは連続して二 発目の攻撃を打つ。――が、一撃目の影響なのか振りが今までよりも大きい。  顔をしかめながらパチュリーはそれにも折り返しのカウンターを合わせ、 「…………っ!」  フランドールの顔面への着弾と同時に、言葉にならない悲鳴がパチュリーの唇から漏れ た。それは明らかに苦痛の声で、パチュリーの本が『弾かれる』。 「なぁ!?」  そのありえないような光景に思わず驚きの声を上げる放送席の面々だったが、驚きの声 には二種類があった。  一つは、 「よくわかりませんが、何があったんです?」  純粋に突然の出来事に驚いた阿求。  もう一つは、 「普通やりますか、あんなこと!」  思わず実況を忘れて本音で叫んでしまった文。  その時フランドールが何をしたのか、わかったのは会場にいる一握りの者たちだけだっ ただろう。  それくらいに――パチュリーが未来を『視て』も違いに気づけないほどの、これまでと の違い。  もはや、呆れさえも通り越して、慧音は解説の一人としてマイクに言葉をこぼした。 「『顔面で殴った』ぞ、あの悪魔の妹は……っ」  その言葉が答えだった。  打撃の反動で痺れるとか、そういうレベルではない。二回の激突で両手首に受けた痛み に、ついにパチュリーは驚きを隠せないで表に出した。  すると、うつむいていたフランドールがようやく顔を上げる。  そうして言うのだ。 「それしかないのかしら?」  自らも『倍化』した痛みに顔をしかめながら、それでも口調を模倣して。  「無様ね、パチュリー」  それはその『攻撃』が偶然の産物でも何でもなく、正しくフランドールの狙い通りであ ることの証明であった。  パチュリーの目的が自分を倒すことではなく嬲ることであると思い知らされたフランド ールは、これからどんな攻撃をしても必ず自分はカウンターを喰らわされるのだと理解し た。  恐ろしいことだ。  自分の攻撃が通用しない。力が及ばず、破壊されていく。  『絶対に来るカウンター』で。  つまり、 「フランドール選手は、自分が唯一パチュリー選手と接触する箇所――打撃を喰らう顔を 使って攻撃することを考えたのでしょうね。普通、考えませんけど」  気がふれているんじゃないですか、と文は指でこめかみを揉み解す。同じように比較的 常識人を自認する慧音も苦い顔で続ける。 「何度も喰らって学習したタイミングで歯を食いしばり、首に力を入れて固定して、振り 抜く。言うのは簡単だが、自分の勢いを増した分だけカウンターの威力も上がっていたは ずだ。それを……」  二回連続で、パチュリーに休む暇なく繰り返し、ほんのわずかな間にその手首に深いダ メージを与えた。  ふむ、とそれらの言葉を受け取り、霖之助が箸を二本十字に合わせる。 「さらに、こうかな。長い棒の片方を握って地面に水平に構えるとする。それに向かって 思い切りもう一本を振り下ろすと、当然打たれた棒は傾く」  その時に棒から手を離せば良いが、もし、『打撃の衝撃に耐えるために手首を固定』し ていたら?  結果は、 「ええ。剣や棒と同じ。なまじ魔導書を持っていたがために、パチュリー選手の手首は『 捻れた』のです」  良くて捻挫、悪くて骨折ですよ、と文は付け足した。  さらに「ですが」とも言う。 「ですが、ここに来てフランドール選手がこれほど柔軟な対応能力を発揮するとは思いま せんでした。対して、パチュリー選手は予想外のダメージ!」  放送席からの解説に、会場の皆もなるほどとあの一瞬に何が起きたのかを把握すること ができた。  しかし、そうなると次に疑問に思うことがある。 (どうして、いきなり?)  ズキズキと痛むが幸いにもまだ動く手首を庇って後ろに下がりながら、パチュリーは警 戒のために『SpellPractice』を使用する。    フランドールは無造作に大股で間合いをつめ、右の回転打ちを叩き込む。 「!」  フランドールの攻撃が『視え』、パチュリーは一時雑念を消し去った。即座に攻撃姿勢 に構える彼女に、フランドールは無造作に大股で間合いを詰め、右の回転打ちを叩き込む。  カウンター。 「くっ」 「つぅっ」  苦痛は二人分の声となった。目をぎゅっと閉じて痛みを堪える吸血少女と、唇を噛む魔 女。  そこから、フランドールは間髪なく動いた。  右足を進めて構える。左拳を打ち、パチュリーのカウンターがそこに炸裂する。  次に左足を進めて構える。右拳を打ち、パチュリーのカウンターがそこに炸裂する。  右足で半歩前。  左足で半歩前  繰り返される行動にパチュリーは同じように、 (『SpellPractice』) (『SpellPractice』!)  連続してその攻撃の軌道を読み、半歩下がりながら的確にそれを迎撃する。その度に手 首がもげるような痛みが腕から肩を経由してパチュリーの集中を乱そうとする。  が。 「…………っ」  その痛みを彼女は噛み殺す。  この程度が、という思いがある。 (この程度が我慢できないと思っているの?)  身体能力で劣っていようと、パチュリーもまた妖怪だ。痛みへの耐性は人間の比ではな い。  一方、 「ぐ……っ」  弾けるフランドールの顔は、もうボロボロだった。当然だ、前にも増して勢いをつけた 顔面を叩きつけているのだ。フランドールの柔軟な上半身は、自ら攻撃をする際以外にも、 打撃を受けた時の『受け流し』にも有効だったのだが、今はあえてそれを封印して『棒』 と化して振るっている。  パチュリーの手首が完全に折れるでもしない限り、結果的にフランドールの受けるダメ ージが増えただけの話だ。 (我慢比べでいいなら、付き合ってあげるわ!)  それはそのまま、フランドールの心が折れるまでの時間が短くなっただけだとパチュリ ーは判断した。  それでも、フランドールは止まらない。  左右に薙ぐ攻撃は止まらない。  その攻撃に苦痛を抱えながらカウンターを合わせるパチュリーは、半歩下がり、半歩下 がり攻撃を確実に避けられる間合いに保ち――そして、  ギクリとした。 (しまった……っ)  まさか、とパチュリーは『そのこと』に気がついた。  気がつくと同時、パチュリーはその場で『後ろ』ではなく『横』に身をかわそうとした。  しかし、 (『SpellPractice』!)  その移動したい『横』方向から、フランドールの拳がパチュリーを巻き取るかのような 軌道で迫ってくる。  額からの血を顎まで伝わせながらも、フランドールの速度は落ちていない。パチュリー の動きを遥かに凌駕する腕の振りの速さは、『一歩下がらないと直撃する』。 「!」  迷っている暇など無い。  パチュリーは後ろに下がってカウンターを加え、また返しの拳をかわしてカウンターを 加え――。  耳にする。 「追い……詰めた……っ」  血まみれの顔で、だけれどそこだけは満足げにつり上がったフランドールの唇の端。そ れが紡いだ言葉。 「……参ったわね」  背中に触れたもの。それにため息をつき、パチュリーは首だけを巡らせて自らの後ろを 確認した。  ロープ。  リングを取り囲む四辺のロープのうち、赤コーナーとニュートラルコーナーの一つを結 ぶ一辺にパチュリーは背中を押しつけていた。下がろうとしたところを意外なほどの弾力 に押し返されたパチュリーは、自分がまんまとその場所に『誘導』されたことを知るのだ った。               ※ ※ ※  パチュリーをロープ際まで誘導したフランドールは、口元がほころぶのを止めることが できなかった。  大ダメージを喰らいながらとはいえ、『予定』していた場所に相手を追い込めたことは、 彼女にとって大きな達成感だ。頬くらい弛む。 「あは……あはは!」  その顔は血に濡れて痛々しいが、それを帳消しにするくらいの覇気。ダメージにダメー ジを重ね、それでも笑うことができるのが吸血鬼自慢の耐久力である。  対照的に、傷一つ無い顔で額に汗の玉を浮かばせているのがパチュリーだ。心が折れる と思っていた矢先に一転してしまったフランドールの余裕と、もはや感覚すら怪しくなっ てきた両の手首に、ここまで冷静を保っていた魔女もさすがに険しい表情となっている。  フランドールの作戦は、単純なものだ。 「パチュリー選手は、フランドール選手の戦意を挫こうと、圧倒的な優位を『見せつける』 ために、同時攻撃専用の構えで戦っていました。目的はわかりませんが、膝をついたフラ ンドール選手に加撃をしなかったことを見ても、パチュリー選手は体力的よりも精神的な ダメージを主に考えていたと思われます」  だからこそ、『見せつけられた』フランドールはカウンターを利用して手首にダメージ を与えることを思いついた。  しかし、それにはさらに先があったのだ。 「フランドール選手は、パチュリー選手のその精神への攻撃を利用したのです。あの構え が、フランドール選手の回転打ちに対応していることは、彼女も気づいていたでしょう。 変則を回避され続け、起死回生の大振りの回転打ちに頼ったところへのカウンター。精神 へのダメージは最大級です。ならば――」 「それまでと同じように意地になって回転打ちを繰り返しているように見せれば、魔女は 作業的に『一番効果のある迎撃方法』を使い続ける。半歩下がって打撃を空転させ、一方 的にカウンターを当てる、絶望のための最高の手段をだ。そしてそれは、半歩ロープに近 づくこともである」  文の言葉を、慧音が引き継いで舌を巻いた。  あくまでフランドールの心を折ろうとしたパチュリー。その彼女に対し、フランドール は回転打ちを連続で繰り返し、自らの停止時間を短く短くしていくことで、『仕切り直し』 の機会を失わせたのだ。  もしフランドールが痛みで動きを止めていたり、途中でダウンしていれば、パチュリー は左右のどちらかに移動してリングの中央に戻っていたことだろう。  それ故に、彼女は我慢した。本来の目論見を隠すために、馬鹿げた『顔面打撃』すら行 い、パチュリーに危機感を抱かせないで、かつ未来の映像を『視て』も判断できないよう に、特別な動作変化は起こさずに一方的にやられている時と同じ回転打ちの連打を繰り返 し、そうして半歩、また半歩、と積み重ねた結果、 「吸血鬼は体力を失い、魔女は逃げ場を失ったわけですね」  なるほど、と阿求がうなずいた。周りから見ればフランドールの苦し紛れの『顔面打撃』 とパチュリーのカウンターの『潰し合い』だったが、それはフランドールからすれば『体 力』と『距離』の交換だったのだ。  ともあれ、パチュリーはロープを背にした。もう、後ろに下がってカウンターを繰り出 すことはできない。文をして、 「お見事」  としか言いようのない結果だ。  もっとも、 「私なら、こんな馬鹿げた作戦は思いついても絶対に実行しませんけどね」  という呆れ半分の評価ではあったが。  そして、呆れる余裕など一切無いのが、一気に形勢不利に陥ったパチュリーだった。 (どうしていきなり?)  火照った息が、その口から白い靄となって大気に溶ける。パチュリーは自分の攻撃が確 実にフランドールに一回戦に匹敵するダメージを与えている手応えを得ていた。だという のに、だ。 (どういう、こと?)  途中で意志が挫け、膝をついたはずのフランドールは、なおも攻撃する気満々で目の前 に立っている。 (叩き過ぎて、一回戦の記憶も飛ばしてしまったのかしら?)  そのようなことすら考える。  だが、フランドールの答えはその予想の正反対だ。  小さな吸血鬼はすっかり思い出していた。  否。  『パチュリーの目論見通り』、全てを思い出していた。  だから、フランドールは言うのだ。 「あの時と同じなのよ」  迫る化狐の打撃の痛さ、容赦無さ、こちらの攻撃は当たらず、相手の攻撃ばかりが当た ることによる絶望感。  『かなわない』という実感。  確かに、あの時心は挫けたのだ。折れたのだ。  だが。 「だけど、あの時勝ったのは、私だわ」  痛くて、泣いて、美鈴に説得されて第二ラウンドの舞台に立った時、八雲藍は倒れてい た。  思い出す。  あの時の紅美鈴の言葉。 『お嬢様は、お嬢様が強いと思った相手より強かったんですよ!』  それが多分に慰めであることは、フランドールにもわかっていた。それでも、真実の一 端であることも確かだ。  戦って苦戦し、相手を『強い』と思っても、勝利することができることもある。一回戦 の勝利は、フランドールの耐久力が藍の攻撃力を最終的に上回ったということだ。 (だったら)  前の試合の最後の場面を思い出しながら、フランドールは思う。 (この試合も、同じ!)  相手の方が強い時、恐れというものは発生する。  生まれてしまった恐れに対し、どう対処するか。打開策を考える。勝ち目を考える。  ――打開策が無ければ、戦う意欲が失われる。  ――勝ち目が無ければ、絶望するしかない。  ――心を折るしかない。  ――逃げる決断を打つしかない。  だが。 「三十秒我慢できるなら、私はどんな相手にも勝てるんだもの」  美鈴が保証した『必殺技』に、フランドールはそうパチュリーに向かって言った。  その何かが吹っ切れたフランドールの瞳の輝きに、パチュリーはついに全ての『カラク リ』を理解した。 (……折れないはずだわ)  なるほど、と。 (『出来ること』があるなら、『希望』があるなら、確かに心は折れないわ。大したもの ね……根性論者からしか出ない理屈だわ)  それはフランドールというよりも、赤コーナーの裏で拳を握り締めてガッツポーズをと っている美鈴に対する賞賛だった。  美鈴は『必殺技』ならば三十秒で誰でも倒せるとフランドールに保証した。それは空元 気を与えるだけのものだったかもしれないが、かつて陥ったことがないピンチの際に告げ られた言葉は、すがるものを欲していたフランドールの胸に深く深く刻まれた。  つまり、『どんな窮地でも必殺技に頼って三十秒我慢すれば打開できる』と刻まれたの だ。  どのような習い事でも、経験の浅い未熟者に自信を与えるのは、熟練者からの『保証』 だ。黒帯を取ったから、白帯よりも強いはず。メイド長が良い味と言ってくれたから、お 嬢様の食卓に並べても良いはず。……そういう自信だ。  『それ』を、パチュリーは一回戦の状態を再現することで、フランドールに思い出させ てしまったのである。  しかし、失策だとは思わない。 (そう)  背後はロープ。  もはや下がって逃げることができない場所で、おそらくは左右から飛んでくる回転打ち に備えてパチュリーは身を縮めた構えを取る。  一番最初の、魔導書を盾にする構え。  フランドールが呼吸を整え、身を右に捻る。 (そういうこと)  美鈴に保証された希望にすがり、パチュリーを追い込んだフランドール。だが、それは 結果論にしか過ぎない。  どれほどに希望があろうが、それは心が折れるのを防ぐだけで『打開策』にはならない。 それだけであれば、フランドールは変わらずにパチュリーに叩かれ続けて、いずれ心より も先にダメージで倒れていたことだろう。  が、フランドールは見事にパチュリーをロープ際に誘導した。そうと悟られないよう、 自分の身体を犠牲にして、吸血鬼の耐久力を信じて強引に押し込んだ。  その『過程』を脳裏に描き、魔女はこの状況にしてほんの少しだけ頬を弛めた。  希望という名の戦う意志は、決定的な勝利には繋がらない。繋がるのは、意志を抱いた 上で、『何をするか』だ。  『何をするか』を、フランドールは自分で思いついたわけではない。経験の浅い彼女に そのような機転が利くはずもない。  『いる』のだ。  この大会で、回避力の優れた魔女相手に自分の身体を餌にして状況を打開した者が。『 吸血鬼』の耐久力を利用した戦い方をした者が。  最初にキャンバスに倒れ、即座に起き上がって羽根で攻撃してきた時もそうだった。  困った時。  苦しい時。  フランドール・スカーレットは――。 「レミィのマネをするのね」  吸血少女が『見本』とすべき存在は、新しく作るまでもなくすでに存在したのだ。               ※ ※ ※  直後、象の体当たりのような衝撃がパチュリーが本を構えた左脇腹に炸裂した。               ※ ※ ※ 「ぐ……っ!」  右拳による回転打ち。ボロボロになり、それでもフランドールの速度は衰えてはいなか った。  むしろ、 「速い!」  文が思わず叫ぶほどの速度で、フランドールの腕と上半身がパチュリーの前を横一閃し た。その破壊力と衝撃に耐えられず、パチュリーの細い身体が足元から『浮く』。  瞬間。 (『SpellPractice』!)  パチュリーは最初から最後まで自分が頼るべき接近戦用の唯一の武器を使用する。反撃 のためではない。 (追撃をかわして、リング中央に戻る……っ)  この一撃で吹き飛び、キャンバスに転がった後に追いかけてくるフランドールを捌いて 逃げなければならない。そのための確定予測を、一秒後の映像をパチュリーは『視』る。    さらに折り返したフランドールの右拳が、今度はパチュリーの沈んだ左肩を引っ掛   けて薙ぐ。  その映像に、横にズレるように吹き飛びながらパチュリーが目を見開く。 (なんでロープ際!?)  思った時、視界の隅で右から左に捻れたフランドールの上半身が『折り返し』た。それ は、パチュリーが散々カウンターで迎撃していた回転打ちの二発目だ。  しかし、 (速過ぎる!)  身体を捻りきる回転打ちは、途切れない変則手打ちと違って、一発一発の間にわずかだ が『隙』があった。  理屈に合わない出来事に混乱するパチュリーの思考を、 「!」  炸裂した左の回転打ちが消し飛ばす。  ――否。  ぎりぎりで、ほとんど偶然のように構えた魔導書が、その左拳も受け止めていた。結果、 パチュリーはピンポン玉のように反対側に撥ね、 「あぐ……っ」  さらに折り返したフランドールの右拳が、今度はパチュリーの沈んだ左肩を引っ掛けて 薙ぐ。  その一撃で上半身が傾き、そしてパチュリーは見た。  右足でキャンバスを蹴り、竜巻のように拳を繰り出すフランドール。回転の勢いは強く、 パチュリーの肩を打った拳はそのまま上半身と共に左側へと捻れていく。右足で発射され た体重が、左足の方へと移動していく。  左足は上半身の回転を受け止めるためにぐっとキャンバスを踏む。  踏んで、一瞬膝が屈し、  勢いを足の裏とキャンバスの間で殺さず、柔らかい膝が『くるん』と外側を回って、膝 先を内側へと向けた。 「!?」  足首と膝、その二つの関節の描いた『円』が、ジェットコースターの一回転コースのよ うにフランドールの上半身に遠心力を加えて――最後にキャンバスを蹴って折り返させる。  止まらない。  むしろ加速した左拳の回転打ちが、身体ごと叩きつける絶大な破壊力で今度こそパチュ リーの右脇腹に命中した。 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」  バキィーン、と脳髄まで響く音がして、パチュリーが肺の中を息を吐く。本来なら出る はずだった悲鳴すらなかったのは、 「折り返し〜!」  文の言葉と共に再度戻ってきた右拳が、パチュリーの左の頬を打ち抜いたからだ。ゴキ ン、という明確な打撃音が会場を通り抜け、その音が代わりにレミリアの叫びとなった。 「パチェ!」  紅い悪魔が青コーナーのポストに飛び乗った。正反対の赤コーナーでは、美鈴が同じよ うにポストに手をかけてその光景を見る。  ほんの一秒足らずの間に四発の連撃を叩き込んだそれ。  『それ』こそが、美鈴がフランドールに伝えた『必殺技』だ。 (基本は回転打ち)  フランドールが上半身を竜巻――つまり円の動きで振る。まず最初は右から左、反時計 回りだ。  その円が反対側に達した時、『背中側』へと捻れていく勢いを受け止めて傾いた足首と 膝を使って、円の回転の力を『一回転』させる。『背中側』という右から始まった円の動 きにとっての終着点に到着する前に、左膝を使って回転のエネルギーを『すくい上げる』 と表現しても良い。  そうやって左足をジェットコースターの路にし、今度は左から右への円の動きで回転打 ちを放つのである。 『数字の八を横にしたように。∞の記号を描くように、円を描く、終わる前にすくい上げ る、逆から円を描く、そちらも終わる前にすくい上げるを繰り返すんです』  一発一発『途切れる』回転打ちの弱点を克服する、隙の存在しない無停止連打。  まさか、と美鈴は言うのだ。 「太極拳の『準備運動』がお嬢様の手にかかれば必殺技になるだなんて、誰も考えないで しょうね」  試合が始まった時から積み上げた回転打ちという体重移動の『練習』が、太極拳独特の 膝に負担をかけないゆっかりとした無限大運動と合わさった『それ』。 「遊びでも絶対に喰らいたくないわね」  自分で教えておきながらそう言う美鈴は、名づける。 「――禁忌『禁じられた遊び』――」  右の拳がパチュリーのこめかみを打つ。左の拳が頬を叩く。右の拳が頬を貫く。左の拳 が頭蓋を掠める。パチュリーの手が頭を庇うように持ち上げられ、右の拳がその腕を殴り 飛ばす。魔導書が宙を飛ぶ。その瞬間にパチュリーは最後の気力を振り絞り、 (Spell……Practice……っ)  最後の『逃げ道』を探したが、    フランドールの右拳が、崩れ落ちたパチュリーの首を薙ぎ、骨の砕ける鈍い音が吸   血少女の拳に返る。 「ちょ――っ!」  加速した左右の連打が、ほとんど同時に炸裂してパチュリーの意識を切断した。  膝が崩れる。  パチュリーの身体が崩れ落ちる。フランドールの左拳が空を裂き、真っ赤に燃えた彼女 の瞳は相手の状態など確かめずに身体を折り返らせる。勢いは止まらない。 「パァチュリーーーーーーーーーーーー!」  渾身のフランドールの右拳が、崩れ落ちたパチュリーの―― 「フラン!」  突如横から現れた手が、フランドールの顔面を弾き飛ばした。 「ぎゃっ!?」  それはまったくの不意打ちで、顔を鷲掴みにされたフランドールの身体が浮き、キャン バスに倒れる。鋭い爪が肌に食い込み、驚きに目を見張るフランドールの上に馬乗りにな った少女――レミリア・スカーレットはため息と共に言うのだった。 「そこまで、よ」 「え?」  姉の言葉にきょとんとするフランドール。  そして、 「そこまで! セコンド乱入によるパチュリー・ノーレッジの反則負けにより、勝者フラ ンドール・スカーレット!」  閻魔の裁定が、全てを決定した。               ※ ※ ※  突然のレミリアの乱入と、決着。それに会場の皆が目を丸くしていると、やはり最初に 仕事を思い出したのは、放送席の文だった。  彼女は慌ててマイクを掴んで叫ぶ。 「けっっっっちゃーーーーーく!」  と。  その声が音速で通り過ぎた箇所から、会場の妖怪たちは理解する。  そして、弾けるように会場から確認と悲鳴の声が上がった。 「え、あ、これ一応KO決着だよね?」 「つ、強……って、最後の連打、おかしくない!?」 「魔女死んだ、あれは死んだってば!」  その吹き上がった無数の声の中、自分の声こそ一番皆に届ける価値があるとばかりに、 文も声を張り上げる。 「連打と回避に彩られた紅魔館対決、終始優劣が入れ替わるこの試合を制したのは、『悪 魔の妹』フランドール・スカーレット選手! 筆舌に尽くしがたいこの試合、今度記事に する私は大変困るのですが、とりあえず今は言えることを一つ!」  溜める。  そうやって注目を集め、彼女は言う。 「なんとも凄まじき、吸血鬼の爆発力! 最後の連打が始まってからものの数秒、たった それだけの時間に炸裂した打撃は二十数発っ。さしもの魔女も抵抗の『て』の字も無く、 まさに弾幕に『埋もれて』いきました!」  左右からの拳に挟まれて、段々と『下』にズレていったパチュリーを、文はそのように 表現した。  その隣で額の汗を拭いながら、慧音も文にマイクを借りる。何か、どっと疲れてしまっ た人里の知識人だ。 「魔女は、自分の先読みがアダになってしまったな。なまじ十割に近い精度で『少し先』 が見えるせいで、戦いの『戦術』ばかりに目が行ってしまったんだろう。そうでなければ、 彼女が悪魔の妹の『戦略』を見過ごすとは思えない」  すると、その言葉に阿求もうんうんとうなずく。うなずきながら、彼女はメモ用紙の魔 女と吸血鬼の肉弾戦闘力に関する記述に大きく×を書く。 「『戦術』と『戦略』……千年以上前から、勝負事の鉄則ですね。その場その場の状況に 対する『戦術』と、戦いそのものの最初から最後まで通しての勝利のための『戦略』。ど ちらも大切なんですけど、ここは吸血鬼ならではの頑丈さを使った『戦略』が魔女の『戦 術』を飲み込んだってことでしょうか」 「ええ。あの強引さこそが、まさに吸血鬼なのです。まあ、結果的には、試合前の私たち の予想通りでしたね」  そのように、文が笑いながらおでんの大根を箸で摘みあげる。  そうやって放送席の面々が感想を言い合っている頃、赤コーナーの美鈴と青コーナーの 咲夜は、リングの内側に踏み込むべきかどうか、お互いに目配せし合っていた。  何故なら、 「…………」 「…………」  キャンバスの上、倒れたフランドールと、その上に乗るレミリア。二人は映姫による決 着の宣言の後、ピクリと動かずにその場で視線を絡み合わせていた。  何を言うか。  何を言われるか。  そういう時間が何十秒か過ぎた時、 「む、むきゅ〜」 「!」  完全に気を失っていたパチュリーが、降って来たおひねりの袋が額に当たって目を覚ま した。それを機会に、レミリアはフランドールの上から身をどけると、パチュリーに手を 貸して立ち上がるのを助ける。  フランドールはそれを寝転がったまま見ていたが、 「つ……酷い妹ね、レミィ」 「あら、私の妹だもの。朱に交われば紅くなる、よ」 「そうね。漢字が違うけど」  そういう二人のやりとりを聞いて、ふむ、と何か一つ納得したような顔になって、自ら も身を起こした。  そうして、 「お姉様」  フランドールがレミリアに声をかけると、それぞれのコーナーで従者たちが緊張する。  だが、 「これで私しかいないでしょ?」 「こらこら、パチェを潰しておいて嬉しそうにしない」  そのようにフランドールが白い歯を見せ、その額をレミリアは人差し指で弾いた。その 姉妹の様子に、二人の従者たちはホッと胸を撫で下ろす。  そして、レミリアのでこぴんをきっかけにしたのか、フランドールの身体が『崩れ』る。 無数の蝙蝠になった少女は、観客の拍手にも負けない羽音を立てて上空に舞い上がり、充 分な高度を得ると今度は一気にリングの中央へと雪崩れ込んだ。 「お〜!」  と皆が驚くと、フランドールは渦巻く蝙蝠の中から再び実体化する。そうすると、あれ ほど酷かった眉間の傷は綺麗さっぱりなくなり、滴っていた血もまた消えていた。  便利だなぁ、と皆が思った瞬間。  フランドールは叫んだ。 「やーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」  両腕を頭上に振り上げ、ただ単純にそれだけを。  会場を埋め尽くした妖怪、妖精たちは顔を見合わせ、 「やーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」  負けじと大声を張り上げ、そしてそれは雄叫びの大合唱となって会場を包み込んでいっ た。  それは、五百年近く生きた幼い少女の、純粋な喜びを込めた勝利宣言だったのである。  で。 (フランドールに美鈴。扱いにくい子に、良い辛子が入ったわね)  食卓の化学、と懐から取り出した軟膏を頬に塗りながら、すっかりボロ雑巾のパチュリ ーは思う。 (誤算は、フランドールが『成長していない』と思っていたこと。一試合で、随分と経験 を上げたものだわ)  それは八雲藍及び美鈴の手柄だろうと、パチュリーはぴりりと痛む脇腹に眉根を寄せる。  変則手打ちに、それに混ぜた回転打ち、そして追い詰めた時の『必殺技』。それら絶大 な攻撃力に加え、パチュリーでもなければ回避すら困難な命中力。さらに、吸血鬼ならで はの反応速度と耐久力。  要するに、とパチュリーは笑顔を振り撒いて喜ぶ吸血少女を眺めながら思う。  ――フランドール・スカーレット、完成、と。                         『Cブロック第2試合』――決着!