東方殴り巫女伝説 〜Bare Knuckle Players〜 2回戦 Bブロック第2試合 蓬莱山輝夜 VS 十六夜咲夜 ※ ※ ※ 「人間対決?」 と言い出したのが誰だかはわからないが、二回戦の四試合目――つまりトーナメント表 の左側における最終試合となるそれは、妖怪の集った博麗神社境内の中に十名といない『 自称人間』同士の一戦ということになっていた。 普通に考えればそのような組み合わせでは迫力のある戦いは期待できず、妖怪たちも今 年最後の食事に集中してしまうのではないかと思われたが、 「さあさあ、どっちに賭ける!?」 「メイドに一枚!」 「お姫様に三枚!」 その試合に限っては盛況も大盛況。それまでにないほどの賭札の売り上げに、永遠亭の 兎たちの手が回り切らず、試合開始の時刻がズレこむほどの混雑ぶりだった。 「ちょっとちょっと、こっちはリングも直して疲れてるって――そこ、割り込むなって言 ってるでしょうが!」 前の試合で壊れたリングの修理、そしてこの販売地獄と、さしものてゐも可愛い子ぶる 余裕をなくして小さな拳を振り上げる。 それを見かねた鈴仙がコーナーポストに跳び乗り、その狂気の瞳で助け舟を出すが、 「ちょっと落ち着きなさい、あなたたち!」 「お? おおおおおおおおおおおおおおおお?」 「っぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーー!」 真っ赤な瞳で睨まれた妖怪と妖精たちは、『真っ直ぐに兎たちのもとに歩いたつもりで 斜めに流れ』て、お互いに衝突してその背を押しあった。結果起きた盛大な将棋倒しがリ ング周りにいた兎たちまで雪崩れ込んできて、動物兎やら妖怪兎やらてゐやらの悲鳴が阿 鼻叫喚の爆竹音となって年末の空に響き渡った。 その地獄絵図を高みから見下ろした鈴仙は、 「……うわ」 「『うわ』じゃない!」 霊夢の陰陽玉を喰らって、もんどりうって倒れた。 そのバタバタとした騒乱は放送席にまで及んでおり、騒ぎを他人事と見ていた霖之助も 目を回した妖怪少女が頭に生えた小さな角を向けて突っ込んできてのけ反るハメとなった。 「……っと。大丈夫かい?」 「あ〜、どうも〜」 机を挟む形で突っ伏していた少女は、霖之助に手を貸してもらって礼を言いかけたが、 「って、あんた泥棒の親分! 本返せ!」 霖之助の顔を見てハッと顔色を変えた。バサリと背にした朱鷺色の翼が大きく動いて、 その派手な姿で自己主張する。 それは通りすがりの霊夢に意味も無く痛い目に合わされ、さらに大切にしていた本を奪 われた挙句にそれを霖之助に売却され、奪い返そうとしたら魔理沙に邪魔されたという不 運のトリプルスターを誇る少女の数年越しの要求であったのだが、 「あわわわわわわわわわわわわ!」 「え、あ、ちょ……っ!」 鈴仙の力で視界を狂わされた妖精たちに体当たりされて、その姿は人波に飲み込まれる ようにして消えていく。 それに霖之助が肩をすくめると、そんな彼の背中を叩く者がいた。振り返れば、マフラ ーに白い吐息を隠すほどに顔を埋めた馴染みの少女が立っている。 「魔理沙?」 「ちょっと返してもらうぜ」 言うが早いか、魔理沙は霖之助の手を取ると彼を放送席から連れ出していった。いきな りのそれに文は目を瞬いて驚いていたが、しばらくして合点がいって「はは〜ん」と面白 そうに唇で笑みを描く。 「『仕込み』ですか。あの人もさっきまで寒がっていた割には元気ですね」 「どちらかと言うとアレは悪巧みだな。まあ、次の試合の話は後でするとして、だ。酷い 盛り上がり方だな」 魔理沙と会場、両方に対しての呆れの声を慧音は漏らす。彼女が言う通り、前方で誰か が転んでも構わずに前に出て賭札を買う光景は、とどまるところを知らない土石流の勢い だ。 しかし、それも仕方ないと文は思う。 「何せ、滅多にいない『妖怪以上の人間』同士の試合ですからね。氷精だの化け猫だの、 いくらでもいそうな妖怪の試合とはわけが違います。皆さん、珍しいものが大好きなので す」 「……つまり、見世物小屋に近いわけですね、感覚は」 周りの妖怪たちのようにワクワクした面持ちで説明する文に、人間の一人として放送席 にいる阿求は苦笑を隠せない。 だが、文が言った以外にも理由はある。 妖怪たちがそれだけ無邪気にはしゃげるのは、この試合の勝敗が自分たちにとって『彼 岸の火事』だからだ。ともすれば幻想郷のパワーバランスに横槍が入りそうになる強妖同 士の息詰まる戦いよりも、妖怪には直接影響のない人間同士の試合の方が気楽に眺めるこ とができるということである。 (まあ、お互い様) それは逆に言えば阿求にとって妖怪同士の試合こそが気楽に眺められるものということ でもある。 なので、 (二人とも、大きな怪我をしなければいいけどね) これから始まる試合に対してそのような思いを抱いてしまう、千年以上転生し続けても まだまだ現役『人間』の阿求なのであった。 ※ ※ ※ 「永琳、髪を」 「御意」 輝夜が持っていた結い紐を永琳に渡して背を向けると、従者はわかっていますよとばか りにうなずいて、手慣れた様子でその髪を結い上げる。一回戦と同じ、運動仕様のポニー テールだ。 「はい、可愛いですよ」 上出来、と永琳が自分の仕事に頬を緩めると、陰陽玉の一撃で額を赤くした鈴仙が慌て て駆け寄って手鏡をかざす。 輝夜は鏡の中の自分を角度を数回変えて眺めてみてから、 「うん。やっぱり永琳にしてもらうのが一番ね」 「ありがとうございます」 永琳の笑みをさらに深いものにさせた。 そうして輝夜が準備運動をするように肩をグルンと大きく回すと、鈴仙はまたバキボキ となまりきった音が鳴るのではと思ったのだが、予想に反して音は無い。一回戦の直後か ら続いた永琳の整体マッサージの成果だ。 要するに、 「調子もいいし、猫の次は犬の相手。こっちは楽な相手ばかりで悪いわね、永琳」 クスクスと笑ってしまうほどに、輝夜は調子が良かったりした。その笑みの意味は明ら かで、競争を持ちかけられた永琳はふむとうなずき、 「まあ、私の方も一回戦は楽なものでしたし」 「うあ……」 鈴仙をへこませる。そうやって二人で連携して月の兎で遊んでいると、ようやく混雑の 収まってきた会場に文の声が響き渡る。 「あ〜、両選手、中央にお願いします」 その、いい加減に試合を始めたいなぁ、という声音に、輝夜と永琳はきょとんと顔を見 合わせ、それからプッと吹き出した。 「早く始めたらもったいないのにね。すぐに終わってしまうんだから」 「ご存分にお楽しみください」 「あ、永琳。先に負けた方がバツゲームだからね」 「あら、ゲームなら私も遠慮しませんよ?」 ポンポンと応酬されるのは言葉の手鞠。お互いにお互いが負けるなどとは思っていなさ そうなそのやり取りに、鈴仙は呆れつつも感心する。 軽い足取りでリングの中心へと歩んでいく輝夜の小さな背中に、鈴仙は思うのだ。 (それで、勝っちゃうんだろうなぁ〜) もちろん、輝夜は運動能力という点では鈴仙よりも遥かに劣る。短距離走でも長距離走 でも永遠亭で一番遅いだろうし、巨岩を持ち上げることなどもってのほかだ。 それでも、鈴仙には彼女が負ける姿というものを想像することができなかった。 彼女の身につけた護身の技は、磨き上げた石の球のようなものだ。最初は興味本意の暇 潰し程度のつもりで拾った道端の石ころだったのだろう。だが、そのでこぼことした表面 を悠久とさえ言えるほどの歳月をかけ、徐々に徐々にと研磨した。 一日十分の研磨ならば一年間で六十時間。千年かければ、六万時間。それだけで、生身 の人間が一日八時間をかけて二十年以上かかるほどの修練だ。 そしてその結果は今、ツルリと滑らかな『球』となって輝夜の手の中で輝いている。鈴 仙から見れば正直対処しようのない絶技――『永夜返し』となってだ。 (積み重ねた『時間』そのものが、姫様の力の背骨……ってことよね。妖怪どもの付け焼 刃の格闘技なんてメじゃないっていうのがわかるわ) 溜め込んだ経験値の差が出るのは、当たり前のことだ。そういう意味で、幻想郷に輝夜 を越える経験値の持ち主など、いても一人や二人程度だろうと鈴仙は思っている。それが 彼女の専門としない格闘技であってもだ。 (ってことは……もしかして、そのまま優勝持っていっちゃうのかな? まあ、その方が 機嫌良くなるだろうし、平和でいいけど) でも、それはそれで永遠亭で格闘ごっこが流行しそうで鈴仙としては憂鬱だ。姫様の相 手をさせられるのは、どうせ永琳か自分なのである。 (そ、それはともかく!) 永琳と並んでリングから下りながら、鈴仙は師匠の平静そのものの横顔を盗み見る。 この自慢の師匠が太鼓判を押してリングに上げる永遠亭の姫。負けるはずがない。 (もし姫様に勝とうとするなら……) 輝夜との間にある、積み上げられた時間の壁を越えでもしない限り不可能だ。 そこまで考えて、鈴仙は一つのことに気がついて顔をしかめる。 「……一人いたわね」 時間を操る。 それこそ、輝夜の対戦相手――十六夜咲夜の得意技なのだ。 ※ ※ ※ 一方。 「作戦は無しで」 「そのつもりよ」 青コーナーでは、咲夜と美鈴が試合前の最終打ち合わせをしていた。 打ち合わせとは言っても、徒手の戦いに詳しい美鈴が基本的には素人の咲夜に助言をす るという一方的なものだ。それも、咲夜が素手での戦いに慣れていないだけで戦闘そのも のに関しては充分に玄人なので、今の発言のようにずいぶんと簡単なものになってしまっ たりする。 そして、二人の意見が一致したということは、咲夜と美鈴の中で輝夜に対する見解が一 致したということでもあった。 しかし、 「それにしても……少しは働いてもらいたいわね」 と咲夜は自軍コーナーを取り巻く紅魔館の制服を着た妖精メイドたちの群れを見遣って 言った。妖精たちは一回戦の時と同じく自分たちの長の試合は絶対に見逃さない姿勢であ り、そのせいで会場全体の給仕の手が不足しているのが咲夜にとっては頭が痛い。 仕事を増やすな、と言いたいのだが、 「メイド長がんばって〜!」 「メイド長の方が美人よ〜!」 「?」 人間である咲夜に対して挑発的であった一回戦に比べ、妖精メイドたちからの声は好意 的なものが大部分を占めるようになっていた。怒るよりもまずそのことが疑問で、そうし て咲夜が不思議そうな顔をしていると、美鈴が苦笑いしながら観客席の一角に他の寒さ好 きの妖怪と一緒になって座っているレティを指差し、「ほら」と説明する。 「一回戦って『所詮は冬の妖怪』だったじゃないですか」 「まあ、そうね」 「正直、咲夜さんからしたら格下だとみんな思ってたんですよ。負けると思っていないか ら、同じ館の者同士で刺さりあえたんです。でも、今回は相手が相手ですし」 今度は、伸ばした人差し指を冬の黒幕から対岸の永遠亭の主へと移動させる。 つまり、 「メイド長対妖怪じゃなくて、紅魔館対永遠亭なら、みんな全力で応援しますよ。もちろ ん私も」 「……ありがたくて涙が出るわ」 要するに『外敵』への敵意が人間である咲夜への反発よりも勝っているということだ。 咲夜としては、別に嬉しくとも何ともない。思わず、皮肉の一つも出ようというものだ。 ただ、少しだけ救いもある。 「妖夢、そろそろおやつの時間だと思わない?」 「はい、幽々子様!」 「藍、ら〜ん、お酒が切れたわよ〜」 「はい、紫様!」 普段から宴会では息つく暇もない多忙を極めていた咲夜にとって、自分の代わりに右 往左往している者たちがいるというものは、なかなかに新鮮な光景ではあった。 (悪くないわね) あくまで皮肉げだったが、そういう感想も出る。 リング中央への集合を促す文の声が届いたのは、そのタイミングだ。 「それじゃ、行ってくるわ」 「ご武運を」 「ええ」 そう言って、二人は一回戦でもそうしたように手をパチンと叩き合せた。その際に咲夜 が自信ありげに笑みを浮かべていたことに、美鈴は自らも微笑んで軽い痺れの走った右手 を握り締める。 (さすが妖怪『メイド』!) 永遠亭の主に対しても怯むことがない妖怪じみた態度に、美鈴はあれは本当に人間の少 女なのかと疑ってしまう。 そして、今回の試合はそうした妖怪に負けない精神面だけではなく、体力面においても 相手に劣ることなく戦えるはずだった。 (今回は一回戦と違って相手も人間だし、咲夜さんの持ち味を充分に生かせる。彼女との 相性は、私よりも咲夜さんの方がずっといいっていうのが……不思議よねぇ) それこそトーナメント表の生んだ偶然だと美鈴は思う。 もし輝夜が表の反対側――永琳とその位置を入れ替えていたならば、美鈴は正直助言の ために頭を抱えただろう。 頭脳派らしく緻密な計算で相手を誘い込み、そこからひと捻りで鈴仙を戦闘不能にする、 技と破壊力の両方をバランス良く兼ね備えた永琳。輝夜とどちらの技が上かなどと論議す るより先に、その『頭脳プラス破壊力』の戦闘スタイルは咲夜にとって非常に相性が悪い ものだった。 (咲夜さんって、回避力は高いけど耐久力は人並みだから、腕をぶん回すだけの相手なら どうにかなるけど、ああいう手合いに上手くハメられて擒拿を仕掛けられたらそこで終わ り……よね、やっぱり。攻撃力も手数が必要だから一試合に時間がかかるし) 振り返れば、レティ・ホワイトロックとの試合も、本来ならば咲夜の一方的な攻勢で終 わっていてもおかしくはなかった。当てた攻撃の数を考えれば、それが自然だ。だという のに、妖怪と人間の体力差が顕著に現れたおかげで、最終的には接戦という形になってし まった。 だが、逆に考えればその不利が――双方の間に大きな体力差、破壊力の差がないと仮定 すれば、咲夜ほど怖い相手はいないと美鈴は考えている。 (正直、咲夜さんのセンスはズバ抜けてる。距離感もいいし、ピンポイントで狙う当て感 も凄い) 手数の多い攻撃の全てが急所を狙ってくるのだ。レティもたまったものではなかっただ ろう。 ――そして、対する輝夜。 彼女が永琳の代わりに萃香と戦うことなっていれば、それは今度は萃香にとって最悪の 組み合わせだっただろう。何せ、輝夜の技は相手の攻撃力をそのまま返す『永夜返し』だ。 (技の性質上、一発で鬼が気絶してもおかしくないわね……) 怖っ、と美鈴の背筋に寒気が走る。それは美鈴を対象にしても同じ事で、万が一自分の 全力の一打を跳ね返されたらと思うと、頬に浮かべていた笑みが引きつってしまいそうに なる。 が。 (ま〜、でも、咲夜さんなら攻撃力無いし) その事実が、美鈴にはこの試合を『相性が良い』と判断させていた。カウンター技は攻 撃者の破壊力が高ければ高いほどに反撃も威力を増すのが物理的な理屈だ。相手の勢い、 速度、腕力を利用するのだから、輝夜のような細身の少女でも妖獣の端くれである橙を一 発KOできるのである。 その『絶大な破壊力』が、人間並みの腕力しかない咲夜相手には生かすことができない。 もちろん咲夜も自分の打撃を倍返しされる恐れはあるが、その一発や二発で倒れるほど咲 夜もヤワではない。 そうなれば、後は技単体の性能よりも、試合の中での駆け引きが重要となってくる。彼 女たちの主であるレミリアのような腕力自慢の妖怪にありがちな『いかに当てるか』では なく、一発当ててそれを突破口にして連続攻撃の流れを作る『いかに倒すか』の駆け引き だ。 (咲夜さんが『永夜返し』の隙を見つけることができれば、勝ち。そうでなければ、少し ずつ体力を削られて……負け) 美鈴はそのように永遠亭の面々――例えば自信満々に赤コーナーから輝夜を送り出す永 琳が思っているほど、輝夜と咲夜の間には格闘能力的に差は無いと見ている。技の輝夜だ とすれば、力と速さの咲夜だ。 故に、咲夜が輝夜を捉える可能性は高い。 (この試合、面白くなりそうね) 会場の妖怪たちが期待に盛り上がるのも当然だ、と美鈴は納得するのであった。 そして。 (要は弾幕ごっこと同じってことね) 難攻不落にも思える輝夜の『迎撃力』を頭の中で想像しながら、狂ったような難易度の 弾幕を何度もくぐり抜けてきたメイド長はクスリと笑う。 彼女は美鈴の予想する『相性』とはまったく別の要素が勝敗を分けると考えていた。 そもそも、この試合のキャッチフレーズは何なのか。 (人間対決?) そのように言われた。 (紅魔館対永遠亭?) そのように考える者もいる。 (地球人対宇宙人?) 咲夜的にはそういうのも『あり』なのであるが、 やはり、 「『主従対決』……ってところでしょうかね?」 お嬢様、というリングの上での小さな呟きを聞いたのは、リングサイドの特等席に座る レミリアだ。 地獄耳の少女は、咲夜からの問いかけに意味深に目を細めると、左右に座っている友人 と妹に言うのだった。 「パチェ、フラン。いい見世物が見れそうよ」 私の紅魔館のメイドが勝つのは当然として、と永遠に紅い幼い月は続ける。 「十六夜が十五夜を喰らう、年末の天文スペクタクルが始まるわ」 と。 ※ ※ ※ 「よろしく。お手柔らかにお願いするわ、仔犬さん」 「こちらこそ。胸をお借りしますわ、永遠の姫」 リング中央で向かい合うと、輝夜と咲夜はどちらからともなく挨拶を交わしていた。 輝夜は両手を太腿の上に滑らせ、揃えた膝を掌で包み込んで自然と身を前に倒す。人体 の構造上それで自動的に頭も下がる、古式ゆかしい挨拶の一礼。 それに対し、咲夜は片足を引いて、スカートの裾を摘まむ洋式の一礼。 片方は小さくまとまった、慎ましくも日本風。 もう一方はふんわりと広がる、華やかなりし西洋風。 東方西洋相反するが、共通するのは、ただ優雅。 黒髪銀髪相反するが、共有するのは、ただ笑顔。 そうして同じ夜の名を持つ二人の少女がそれぞれの位置で頭を上げると、それに合わせ て閻魔が笏を空へと掲げる。 「始まりですよ〜」 舞い降りたリリーホワイトの声が、Bブロック最後の試合の幕を開けた。 ※ ※ ※ 「さあ、注目の人間対決、今開始され――」 ました、と文が気合いを入れて言おうとした瞬間だ。 咲夜が構えを取るか取らないかという試合直後のタイミングで、輝夜が前に出た。伸ば された右掌が咲夜の胸の谷間よりも少し上、喉と胸の間――胸骨と鎖骨の繋ぎ目にトンと 触れる。 「!」 咲夜の反応は早い。触れられたと悟った瞬間には左腕全体で自分の前を巻き込み、輝夜 の腕関節ごと絡め取ろうとした。 が。 腕を振り切った時、咲夜の目の前には輝夜の膝があった。 膝と、その『上』方向にキャンバス。 「!?」 上下逆さまの視界に、咲夜は目を見張る。 咲夜は直立したままバトンのように一回転し、その足の裏を空へと向けていた。 そして、咲夜への左足での足払いを決めた輝夜は、彼女の胸を突いた右手をそのまま下 に向けて膝を屈する。掌が咲夜の顎に引っかかり、そうして――。 ※ ※ ※ 咲夜の脳天をキャンバスへと叩きつけた。 ※ ※ ※ ズン、という音が、赤コーナーの永琳に輝夜の瞬殺を確信させる。自分の放送中に起き たそれに、文が慌ててマイクにかじりついて叫ぶ。 「そ、速攻! 輝夜選手、試合開始と同時の攻撃で咲夜選手を――いえ」 言葉の途中で文は気がつく。杭打ちのようにキャンバスに突き刺さった咲夜の両足がピ クリと動き、直後鋭角に曲げられた膝が屈みこんだ輝夜の頭上に断頭台の刃のように降っ てくる。 「輝夜選手の首に――」 今度も言い切る前に行動が完了した。輝夜の細い首を狙った膝蹴りは、彼女が後ろに身 をのけ反らせたことでその目の前を通り過ぎる。 通り過ぎたそこから、 「ふっ!」 「!」 咲夜がキャンバスへの直撃をぎりぎりで防いでいた両手――その曲がっていた肘を逆立 ちの要領で伸ばしながら両の足先を揃えて斜めに突き出し、撃ち出し槍のような蹴りを放 つ。 すでに上半身を反らしていた輝夜は、そこからさらに下がるすべを持たない。 「入った!」 美鈴がグッと拳を握り締める。 しかし、そこからさらに『だが』だ。 輝夜は蹴りに対して身をかわそうとはしなかった。膝立ちのその状態で、彼女は両手の 手首の内側をくっつけ、影絵の『花』のような形を作る。その両手で、迫った咲夜の両足 蹴りの脛の辺りを真下から斜め上へと押し上げた。 ぐいっと進む方向をわずかに上に逸らされた咲夜の蹴りは、輝夜の頭の上を通り過ぎる。 単純に弾いたのではなく、自らも後ろに倒れこみながら、飛んでくる咲夜という槍の表面 を『流れた』と表現した方が近いかもしれない。 結果、輝夜はトスンと背中をキャンバスにつけ、その上を流された咲夜も尻餅をついて 着地する。 同時、 「足癖の悪い子ね。はしたない」 「食生活の違いかしら?」 何事もなかったように、二人に立ち上がった。 そこでようやく文の放送が追いつく。 「連続攻防〜! 試合開始早々、両選手の攻撃に次ぐ攻撃、切り返しに次ぐ切り替えしの 連続! 先制は輝夜選手のもの凄い足払い、そしてそこからの叩きつけ! しかし咲夜選 手その必殺フルコースを凌ぎ、なんと生存っ。反撃のギロチン蹴りと両足蹴りを繰り出し ましたが、そちらも輝夜選手が凌ぐという、互角の攻防が展開されました!」 文の声におお〜と続いたのは、観客たちの感嘆だ。 軽く拍手まで生まれるのは、妖怪たちの予想よりも二人が機敏に動いたからである。二 人が並の人間ではないことはわかっていたが、それでも妖怪並みと言っても過言ではない 素早い攻防であった。 そのように多くの観客が『動き』自体に感心しているのを傍目に、博麗神社の屋根の端 という特等席からリングを見下ろしていた幽香は、隣に座る魅魔に子供のように目を輝か せて言う。 「あれも面白そうね。私にもできるかしら?」 「洋食だと足が長くなる?」 「じゃなくて、投げたやつ」 幽香が興味を引かれたのは、輝夜が咲夜を一回転させた『技』だ。その『仕組み』を理 解できたのは、彼女のように高い位置から選手たちの動きを見下ろしていた者だけだろう。 同じようにそれを見ていた魅魔は、 「私ならできるね」 「それなら私にもできるってことね」 うふ、とハートマークがつきそうな笑みで二人はしばし睨み合い――しかし先に退いた のは、悪霊の方だった。 彼女はふむと肩をすくめると言う。 「胸の上を押して、少しだけ相手の身体を傾ける。そこに相手がどう反応するか見極めて から、最適な方法で投げる、かな?」 それは運動神経云々ではなく、恐ろしいほどの集中力――それこそ前の試合のアリスの ような――があって初めて可能な『崩し投げ』だった。 本来、投げというのは警戒した相手には決まりにくい。正しく定められた重心を崩し、 それをコントロールすることで、初めて投げは成立する。そのため世の中には多くの『崩 し技』が存在するのだが、輝夜の取った手段はその常道とは発想からして違うものだ。 魅魔の言葉に、ほぼ同じ分析をした幽香もうなずく。 「そう。触れることで、相手に『動き』を起こさせる。自分は身体の『軸』を残した準備 姿勢で、あのメイドの巻き込みの重心移動を利用して投げた。面白いと思うわ」 それは騙し討ちに近い。 輝夜に投げられることを嫌う咲夜は、当然輝夜が触れてくればそれを振り払おうとする。 今回のように輝夜の腕を取ろうとするかもしれないし、自ら後ろに逃げようとするかもし れない。輝夜はその咲夜の行動をその類稀な集中力で『見届けて』から自分の投げ技を決 定し、実行したのだ。 見下ろす形の二人からは、腕を伸ばして触れた『真っ直ぐ立った』輝夜。それに対し一 瞬傾き、巻き込みで身体を『横捻り』させた咲夜という構図が丸見えだった。腰を捻って いるということは、足を払われても踏ん張ることができないということだ。下手に堪えよ うとすれば、横に動かしている筋肉の筋を傷めかねない。 そのようなわけで、結果だけを言えば輝夜が触れる、咲夜が腕を巻き込もうとする、輝 夜が足払いを仕掛ける、という流れでしかないが、その過程に存在する『心理戦』は試合 直後という『戦闘態勢に移る準備時間』を突いた見事なものであることを幽香も魅魔も認 めないわけにはいかなかった。 (それで……まあそういうこと) そういう戦い方を仕掛けるということで想像される輝夜の意図に、幽香は唇に笑みを乗 せて呟いた。 「一方的に叩き潰すつもりなわけね」 単純なのは、嫌いではないのだ。 そうやって屋根の上で幽香たちが自分たちなりに試合の展開を読み解いている間、咲夜 は最初の投げの際に頭を庇った両の手を握ったり開いたりして調子を確認していた。 (動くわね) さすがに衝撃時には潰れるほどの痛みがあったのだが、骨にヒビが入っているというこ ともなく使用可能だった。 (これも食生活のおかげかしら?) 最近レミリアが納豆に凝り始めたおかげで、自分まで健康生活な咲夜だ。 つまり、 「ダメージは無し、か」 美鈴がホッと胸を撫で下ろす通りだ。輝夜の先制攻撃には面食らったものの、咲夜はダ メージらしいダメージを受けずにそれを乗り切っていた。 (そこら辺の妖怪だったら、頭割られてたなぁ……) 一回転した勢いは、咲夜の巻き込みの体重移動に輝夜の足払いを加えたものだ。これが 妖怪の腕力を利用されたものであれば、両手で受け止めるどころではなかっただろう。 でも、と美鈴はコーナーポストに身を乗り上げる。 「咲夜さん、今みたいな『落とす』投げには気をつけて! 他の投げなら着地できますけ ど、今のはちょっとマズイです!」 その言葉を受けて、咲夜は背中でうなずいた。 そして、同時になるほどと思う。 (ああいうのも『ある』わけね) 己の身体を実験台にして輝夜の技の一端を垣間見た咲夜は、試合前からの方針を再確認 することとなった。 そのように咲夜が遠巻きにしていると、リング中央に立つ輝夜は袖で口元を隠してクス リと笑う。 「いいわよ、遠慮なく来てちょうだい。来ないなら、私から行かせてもらうけど?」 「おおっと、これは輝夜選手、咲夜選手を挑発します! しかし、皆さんご存知の通り、 輝夜選手はあの橙選手の素早い攻撃全てを捌いた投げ技の名手。さすがの紅魔館のメイド 長でも、自分から仕掛けるのは躊躇われるところです!」 輝夜の余裕の言葉に文が煽りを重ね、観客の注目は自然とそれを受ける咲夜へと集まっ た。咲夜がどう動くのか、それを見て輝夜も自分の行動を決定するだろうからだ。 ――果たして、 「それでは、つい今しがた珍しい技を見せていただいたお礼も兼ねて」 咲夜は痺れの取れた両手を下ろし、一度大きく深呼吸してから前に出る。 「正面から」 咲夜の踏み出しは、構えも何もないただ前へ歩くだけの動きだ。それを目にした輝夜は、 少しだけ驚いたように笑いを止める。 「ふぅん?」 口元に添えた袖の上、墨のように黒い瞳が細められた。両手を下ろし、こちらも自然体 へと態勢を移す。 無造作に咲夜が一歩。 二歩。 それで文にも咲夜がフェイントでも何でもなく、本当に真っ直ぐ歩いているだけである ことがわかった。 「これは本気で真正面……ですか? さすがは紅魔館のメイド長! 悪魔の走狗は主以外 には媚びない、慣れない、へつらわない!」 「当然ね。そういうふうに鍛えてあるから」 そういうレミリアの言葉を背景に、咲夜は輝夜との距離を詰める。 左足での三歩目で左手が動き、 「はっ!」 鋭い呼気と共に、咲夜は真正面から五指を揃えた手刀を打ち放った。前に出した左足と 同じ、相手に近い左手での手刀。自分の鳩尾付近から外側へと振り抜くその斜め横振りの 一撃に、向かい合った輝夜の右手が反応する。 「姫に打撃は無意味よ」 永琳のその言葉通り、咲夜の鋭い手刀に合わせて、自分の腕と掌を水平にした被せるよ うな平手打ちを輝夜は繰り出した。 「やはりそこでカウンターの投げですか!」 狙ってそれができる輝夜の集中力に、放送席の文が舌を巻いた時だ。 「つ……っ!」 バチン、という音がして輝夜の右手が弾け、少女は苦痛の悲鳴を声を上げた。「え?」 と永琳の目が初めて丸くなり、しかし彼女はすぐにそれを理解した。 「姫、一度下がって!」 その言葉が輝夜に届くよりも、咲夜が次の行動を起こす方が早かった。咲夜は手刀で右 手を弾かれて身体を開くハメになった輝夜に対し、すかさず右の下段蹴りを放つ。それは 本来狙う左足の外側ではなく、それよりも遠い輝夜の右足の内側を狙った一発だ。 「きゃっ!?」 バチィーン、と景気の良い音と悲鳴が重なり、堪らず輝夜が後ろに下がろうとする。そ こに咲夜は回し蹴りで反転した身体を戻す流れで、今度は右手での手刀を逆袈裟に切り上 げた。 反射的に輝夜はそれに左手のカウンターを合わせるが、 「!」 またしても、その手は咲夜の手刀に弾かれる。輝夜の手は咲夜の腕を捉えようとするの だが、『咲夜の狙う輝夜の顎と、咲夜の放った手刀の距離』が『輝夜の繰り出す平手と、 咲夜の放った手刀の距離』よりも肩幅を合わせた分だけ遠いために、追いつけなかった輝 夜の手が中途半端に顎を庇う防御の手と化して、手刀の一撃を受けて弾かれてしまってい るのだ。 「ああいう防ぎ方がありましたか!」 今度は咲夜の方に舌を巻く文に、慧音も驚いたという顔で口を開く。 「打撃を打撃で投げるあの技は、基本的に『外から内』への動きに対応したものだ。一回 戦の黒猫の引っかきがまさにそうだな。真っ直ぐの突きも、この内側への攻撃に含まれる。 そういう『外からの攻撃』を自分の手で押さえ、足を払って重心を自在に操って投げるの が『あれ』なんだが、彼女の手刀はその範疇から外れている」 「ええ。咲夜選手が今使っている手刀は、『内側から外側』へと身体の捻りで『斬る』性 質のものです。その軌道上に、輝夜選手の『技』の入る余地はありません」 結果、投げを打つはずの輝夜の手が、逆方向からやって来た咲夜の手と正面衝突して弾 かれているのが、直前までの二人の攻防の結果だった。 「あの『払う』動きに対して『打撃投げ』を打とうとすれば、それは自分から腕を的とし て差し出すようなものだ。顎は守れているが、これは組み合わせの妙が出たな」 「あ〜、そう言えば、内側から外側への攻撃を主力にしているのは咲夜選手くらいですか」 そもそも打撃の種類として『内から外』というのは珍しい。輝夜の『打撃投げ』は大部 分の攻撃方法に対応してはいるが、希少性の高い咲夜の攻撃には対応していなかったとい うのが、現在の輝夜が押されるという状況に繋がっていた。 それは作戦云々ではなく、『咲夜だからこそ』だ。 「彼女は輝夜選手に対して『対抗策』を練る必要がなかった。私は輝夜選手の技を破ると したらどのような方法かと期待していたのですが、これは意外……と言うか、拍子抜けで す。相性が出てしまいましたね。これはもしかしたら――」 注目する。 リングの上では、得意技をいきなり封じられてしまった輝夜が咲夜の矢継ぎ早の攻撃を どうにかかわしている。咲夜の狙いは正確に顎で、斜めに刈ろうと迫る手刀の先端が掠っ た輝夜の肌には小さな血の粒が浮いていた。 「――あっという間に終わってしまうかもしれませんよ」 中指の爪に輝夜の赤い血を掠め取った咲夜が自らの両腕を胸に抱き込んだ。顎を切られ た痛みに顔をしかめながら後退していた輝夜は、両腋に手を差し込むような咲夜の構えに 瞬時の判断を要求される。 (左? 右?) 咲夜が下がる輝夜を追う足を加速させる。狭い歩幅で連続でキャンバスを蹴り、姿勢を 低めて体当たりするような勢いで相手の懐に潜り込む。 それに対する輝夜の答えは、 (両方!) 身体を後ろに倒しながら輝夜は顎を引き、両腕を交差させて自らの顎と喉を庇った。そ れと咲夜が両手を抜き放ったのは同時だ。 「押さえたっ」 と、それを見た鈴仙は口にする。自らも『振る』動きを使用して弾かれている輝夜は、 今度は『待ち構える』ことで咲夜の手刀を受け止め、投げようとしていた。 (同時に打たないで、予め手刀の軌道に配置しておけば弾かれないで受け止められる。さ すが!) そうして、鞭のようにしなる咲夜の手刀が狙い通りに輝夜の顎の前で防御の手に炸裂す る。 ――そう見えた瞬間、ハの字に交差させた『肘の内側』を叩かれた輝夜の両の腕が左右 へと弾け、少女の身体の前面が大きく『開い』た。 振り切った咲夜の両手の形は手刀ではなく、『拳』。手刀よりも弾く力の強い拳という、 単純な切り替えだ。 「まさか――!」 決定的な状況、輝夜の『防御が消滅した』状態に鈴仙が顔を青くし、そして美鈴が身を 乗り出して叫ぶ。 「咲夜さん!」 その声に咲夜がキャンバスを蹴る。上に跳ぶのではなく、鋭くその場で前回り一回転。 「くっ!?」 遠心力を乗せて頭上から落ちてくる咲夜の踵落とし蹴りに、輝夜は両手を弾かれて対応 できない。かろうじて頭を横に傾けると、弧月を描いた蹴りが細い鎖骨の上に落ちた。ズ シンと重い痛みが右肩に奔り、輝夜の膝がその重みに押し潰されるようにして屈する。 それに驚くのは大量の小銭と紙幣が入った籠を抱えているてゐだ。 「ひ、姫様が攻撃を受けた……っ!?」 いつも子供のように遊び回っている彼女が、この時だけは本気で血相を変えて叫んだ。 その叫びに反応したのか、輝夜が痛めたはずの右肩を持ち上げ、自分の首との間に咲夜 の足を挟み込む。 (浅かった……!) 足をすくい上げられる形となった咲夜はすぐさま左足を引き戻そうとしたが、輝夜は右 肩を持ち上げるだけではなく右腕での巻き込みもそれに加えた。 (足を取られる!) そう察した咲夜は躊躇いなくキャンバスに着地していた右足を跳ね上げる。そうして輝 夜が巻き込みを完成させる前にその胸を蹴って、自らの身体を思い切り後ろ側に押し飛ば した。 「きゃ!?」 胸を押された輝夜がたたらを踏みながらどうにか後退を止め、対照的に咲夜は鮮やかに 着地する。 トン、と咲夜がスカートの裾を押さえながらキャンバスに足をつけると、 「ア、アンタッチャブル神話崩壊〜! 輝夜選手、一回戦から通して初めて胴体への一撃 を許しました!」 文の放送の流れる中、自分の技を外されて驚きを隠せない輝夜に、咲夜はエプロンを直 しながら言った。 「『今の』はさっき教えていただいたわ」 「っ!」 「咲夜さん、畳み込んで!」 美鈴に言われるまでもなく、咲夜は輝夜に休む時間を与えはしなかった。低い姿勢で真 っ直ぐに走り、ナイフのような左手を突き出す。 「不用意よっ。姫様なら取れる!」 「いいえ」 拳に汗を握って鈴仙が叫ぶが、それを否定するのはあろうことかセコンドスペースにい る永琳だ。 輝夜は右手でその単純な突きを払おうとしたが、 「あら?」 右肩が持ち上がらない。 その口が思わず不思議を声に出してしまった瞬間、動くことを拒否した右の肩口に今度 は咲夜の貫手が突き刺さった。 「い……!?」 筋肉の間であり関節でもある場所に爪先が食い込み、輝夜が思わず片目を閉じて苦痛を 漏らす。その声でダメージを確信した咲夜は、輝夜の腕が動かないという好機に、素早く 左斜め前方に跳んだ。 その位置は、 「上手い! 咲夜選手、負傷した輝夜選手の右肩方向に回り込みました! その位置に対 し、輝夜選手には対処方法がありません!」 死角である以上に、動かない右肩を抱えた輝夜には不利な位置取りだ。その負傷具合を、 永琳はひと目で看て取る。 (あれだと、身体ごと傾けることはできても、右腕単体では使えない。そうでなければ、 先ほどの足取りで終わっていたわ) 本来ならそれでも足が極まっていておかしくはなかったのだが、永琳も驚くのは咲夜が そこで『輝夜の模倣』をしてみせたことだ。 触れさせた四肢の末端部に対する相手の反応で後の先を取る『見』の技――最初に咲夜 が輝夜の腕を巻き取ろうとしたのと同じ状況に対し、攻撃と緊急回避の違いはあれど彼女 は輝夜の絶技を実践してみせたのである。 「学習能力が極めて高く、それをすぐに実践する度胸もある……面白い素材だわ」 「師匠、そんな暢気な! 姫様劣勢ですよ!?」 悠長に分析する永琳の呟きに、試合の展望をハラハラと見守る鈴仙の悲鳴が重なる。 そして、張り付くような『輝夜の真横』から、咲夜が右の裏拳を彼女の後頭部に向けて 繰り出した。それは正確に輝夜の首と頭蓋の付け根――延髄を狙っており、一発で小脳の 運動機能を麻痺させる一振りだ。 だが、 「劣勢? 誰が?」 永琳が意外そうに鈴仙に言った瞬間、輝夜がコマのように回転した。動く左腕を跳ね上 げながら、右に二回転。ダンスのように激しく足元が入れ替わり、輝夜の身体が咲夜の身 体の表面を滑るように『真横から真後ろ』に回り込む。 二人が『背中合わせ』になったため、咲夜の裏拳は目標を失い、輝夜の首の高さで大き く振り切られる。 その咲夜の右腕に振り上げた輝夜の左腕が絡み、二人の肘と肘が鉤の形に交差したと同 時に輝夜が身体を前に倒してお辞儀する。咲夜の背筋が後ろに反り、輝夜はさらに右足を 後ろに蹴り上げ、足の裏を使って彼女の左膝の裏を叩き――。 咲夜の身体を浮かす。 「な!?」 いとも簡単に、片腕だけの輝夜によって咲夜の身体は宙に飛ばされていた。背中合わせ になった輝夜に重心を完全に奪われ、膝の裏を蹴られた勢いで下半身が弧を描いて天へと 向かう。 しかし、 (遅い!) その投げはふわりとした緩やかなものだ。そのまま裏一本背負いでキャンバスに叩きつ けられても受身をとる自信が咲夜にはあった。 あったのだが、 「?」 輝夜は咲夜の腕を引いて『落とす』ことはしなかった。咲夜の足が真上に持ち上がった 途端、彼女は逆に咲夜から自らの腕を放して素早く身を起こした。 受身を歓迎する投げっ放しの一本背負い。 否。 身を起こしながら、輝夜の左手が下からすくうように咲夜の肩を斜めに弾く。スパーン というそれに、咲夜の身体が――。 「え?」 落下しながら錐揉み回転を与えられる。 さらに、 「永夜返し――」 そうやって振り上げた左手を、今度は斜めに振り下ろす。落下する咲夜の腰、身体の重 心の基盤であるそこを、 「『丑の二つ』」 斜めに打ち、咲夜の身体を文字通りキャンバスに叩き落とした。 ※ ※ ※ その一撃は『投げ』のような派手な音はしなかった。宙空で回転と方向転換を連続して 加えられ『自分がどういう向きでいるのか』もわからなくなった咲夜が、頭と肩を同時に キャンバスに激突させたそれは、ゴキッというあってはならない音を立てて着弾し、撥ね、 牛にでも轢かれたかのように少女の身体を勢いよく転がした。 一回転二回転と回り、咲夜の身体がリングサイドのロープにぶち当たって止まる。長い 手足がロープに絡み、落下を防いでその力の抜けた身体をリング側へと押し返す。 ゴロン、と。 大の字に寝転がった姿に皆の絶句が終わった時、映姫が笏を掲げて叫んだ。 「ダウン! ワン、ツー!」 「な、何が起きましたーーーーーーーーーーーーー!?」 「投げた!? なんだ、片手でか!?」 「回って浮いてまた回って……ええ!?」 観客席が破裂したように悲鳴を上げ、文が放送席で腰を浮かし、慧音と阿求も状況が理 解できなくて混乱の声を上げた。その混乱に構わずに映姫は冷静に規則正しいカウントを 開始したが、咲夜の『事故』を目撃した者たちはそれに一斉に突っ込んだ。 「無理でしょ、あれは!」 「スリー、フォー!」 カウントは正確に一秒一回。その十秒の『猶予』が無意味に思えるほどの、『大惨事』 だ。 それを目の前――咲夜が突っ込んだロープのちょうど正面に座っていた妖夢は評する。 「さすがに……人間じゃこれは耐えられないわね」 自分も半分人間であるが故に、彼女は自分の半身と同類である咲夜のか弱さを良く理解 していた。彼女風に言うのであれば「幽霊に比べると人間側は余り強く出来てないの」と いうことになる。 (私にとって半分の弱点が、彼女にとっては全体の弱点だ) ともあれ、次が自分の試合である妖夢は、今リングの上で展開されている光景を心に刻 む。 (油断すれば明日の我が身、ね) そのように改めて試合に挑む心構えを作っている妖夢を横目で盗み見て、幽々子はふむ と扇を開いた。 そうして、 「妖夢、永遠のお話を覚えてる? あの美味しい夜の」 「はぁ? あ〜、はい。永夜のことですね」 唐突に言い出した幽々子に、妖夢は面食らったように自らの主に振り返った。いきなり 何を言うのかと驚く妖夢に、幽々子は意味ありげに微笑んでみせる。その表情に思い出さ せられるのは、昨年初めて輝夜の姿を見た際の会話だ。 あの夜、幽々子と輝夜の間に交わされた会話の意味を、妖夢は半分も理解してはいなか った。 例えば、 ――珠はね、少しでも欠けると価値は無くなるの。 「珠は璧。傷の無い珠は完璧の璧。彼女はその珠のようね」 「はぁ」 『彼女』というのが輝夜のことであることくらいは、妖夢にもわかった。妖夢から見て も、輝夜の技は絶技のひとことに限る。 だが、幽々子はさらに続けた。 「それで、あちらは完全な者。完全は欠けたものがないこと、足りないものがないこと」 今度は、咲夜について。 完璧と完全の二人。 つまり、 「互角、ということですか?」 と妖夢は受け取ったのだが、幽々子はそれに対し扇を口元に寄せて嘆息しながらかぶり を振った。 「龍と犬が同じなわけないじゃない。彼女は完璧だから龍で、あちらは完全なメイドなの よ? 今もああして倒れているのがその証拠」 「????」 妖夢は混乱してきて頭を抱えた。幽々子が何を言いたいのか、妖夢にはわからない。 そして、わからない妖夢に、 「珠は傷がつけば完璧ではなくなるけれど、完全は何があろうと完全なのよ」 幽々子がそう言った瞬間、映姫によるカウントが止まった。 え、と妖夢が頭を抱える手をそのままに顔を上げる。 会場全体が「え?」と不自然な沈黙に包まれた。 深い息をつくのは、ロープに寄りかかるようにして立ち上がった一人のメイドだ。 「『新しい芸』……確かに見せていただきましたわ」 「立ったー! メイド長十六夜咲夜、カウントの終わりを待たずに立ち上がりました!」 「姫様、とどめいけます!」 「姫様、ちゃーんす!」 「うさー!」 「うささー!」 その咲夜が立ち上がったことによる『呆気』は、しかし永遠亭の面々にとっては『輝夜 の見せ場到来』でしかなかった。 「続行!」 無情に映姫が宣言すると同時に、輝夜が前に出た。 迎え撃つ形となる咲夜の視界は定まらず、頭を強打した彼女に見えるのは万華鏡のよう にチカチカした世界だ。極度の寝不足の時のように、目を開けているのが辛く、眩しいか と思えば次の瞬間には真っ黒な暗幕が目の前に広がり――。 (落ちた?) 咲夜の襟口を掴もうと左手を伸ばした輝夜は、その途中で咲夜がカクンと頭を落とした ことに動きを止めた。 (ま、こんなものかしら?) 正直、咲夜が立ち上がってきた時に一番驚いたのは輝夜だ。肩への一撃を許したのは油 断ではなかったし、手刀との相性の悪さも本物で、咲夜が輝夜の負傷を狙って大技を仕掛 けてきてくれたのは彼女にとってまさに起死回生の好機であった。 手を止めた輝夜に、永琳もうなずく。 (勝負を分けたのは『引き出し』の数) 逆転劇ではあったが、『打撃投げ』を封じられ、片腕さえも失った状態からの輝夜の一 撃は、苦し紛れでに何でもなく、正しく『技』としての流れに則った『道理』の一撃だ。 輝夜の引き出しには相手の力を利用して投げる技が無数に存在し、見出した好機にその 中の一つを使って投げた。結論を言えばそれだけのことだ。 確かに咲夜は、輝夜の技を受けながら模倣してみせた。そのセンスは侮れない。同じ技 は二度は通じないのかもしれない。 が。 (最初からあらゆる状況への対処法を知っている者と、その一撃を受けながら覚える者。 どちらが最後まで立っていられると思う?) その質問への答えなど、わかりきったものなのだ。 だから、 「姫の負けはあり得ないわ」 永琳はそう言い切った。 直後に、咲夜の手刀が輝夜の左手を弾き飛ばした。 「い……た!?」 「まだ、動ける!?」 輝夜と永琳が驚愕する前で、咲夜がほとんど目を瞑りながら、ロープに寄りかかりなが ら右手を横へと振り抜いていた。 弾かれた左手。 輝夜の右手は、動かせない。防御のできないその腹に、倒れそうな背中をロープに支え させた咲夜の前蹴りが突く。 かはっ、と息を吐いて輝夜がよろめいた。 それを見て、いけないと永琳は唇を噛んだ。 (効いた! 本来の姫なら、あんなものは簡単にいなすのに……!) いかに輝夜といえども、片腕を弾かれながら身をかわすのは容易ではない。運動能力自 体がそれほど高くない彼女に『強さ』というものを成立させているのは、隙の無いその技 のキレそのものだ。 (打撃は全部捉えられるというのが、姫の近接戦の大前提。いくら対処法を知っていても、 不意打ちで流れを作られとまずいっ) そして一瞬の気の緩みが生んだ腹への一発は、輝夜に身をくの字に折らせるほどに致命 的だった。目尻にじんわりと涙の玉が浮かび、吐き出してしまった息を取り戻そうと口を 大きく開いたそこに、 「……ふっ!」 咲夜が一気に連撃を叩き込んだ。 今度は内側からではない、左手を『外側から』回しての巻き打ちのような貫手で、輝夜 の首の右を狙う。それに対して輝夜は身体を左に傾けることによって右肩をやや持ち上げ、 首を庇って肩で咲夜の爪先を受け止める。 刃物で刺されるような痛みに輝夜が身を硬直させると、咲夜は今度は右手を裏拳気味に 内側から繰り出し、無防備な輝夜の右頬を往復ビンタの『復』のように広げた掌の甲の部 分で弾く。 よろけた輝夜が後ろに下がるのを見て、幽々子は扇の陰で囁いた。 「まぁるい珠は綺麗な卵。どこかを割らないと、中身は啜れないわ」 咲夜の前回り蹴りが入れた『右肩』という亀裂が、輝夜の鉄壁の守りを越え、その内側 の輝夜本人へと打撃を届けさせていた。 「餓えた悪魔の犬に美味しそうな中身を見せたら、もうおしまい」 よよよ、と幽々子は世を儚んで崩れ落ちるように、隣の妖夢の肩にすがりつく。 「私の分も残さず、全部食べられてしまうわ」 言う間にも、咲夜の手は止まらない。 否。 『手だけ』は止まらない。彼女の足はすでに激しく震え、逃げる輝夜を追う足はゆっく りとした、歩き出したばかりの子供のような頼りなさだ。 「なんで動けるの!?」 そう鈴仙が叫んでしまうほどに、咲夜のダメージは深刻だった。実際、咲夜の顔はうつ むいてまともに相手を見てはいない。それでも正確に急所に突き刺さる攻撃は、会場にい る妖怪たちをしてゾッとしないではいられない。 そのよたよたとした前進に、誰かが呟く。 「『殺人ドール』……」 冬の寒気の中、幽鬼のように獲物に迫る完殺者。逃げる相手をどこまでも追いかけるそ の姿は、愚直なまでに目的がはっきりしていて、恐ろしい。 「ひ、姫様が倒れるまで止まらない?」 「……そんな妄想で彼女を定義するのは失礼よ。信じがたいけれど、あれは精神力で自分 の身体を支えているとしか思えないわ」 「で、でも精神力でって言ってもあんな――って!?」 上擦った声で言った鈴仙は、師匠の横顔を見て絶句した。 焦っていた。 赤コーナーの裏に立つ永琳が、飛び出しそうな自分をロープを握り締めて耐えていた。 輝夜が肩を壊した程度では見せなかったその顔に、鈴仙は改めて輝夜のダメージを悟る。 (で、でも、姫様があれから受けたのは前蹴り一発と、貫手、それからビンタ?) 頭から落下した咲夜に比べれば、取るに足らない程度の痛手のはずだった。 だが、鈴仙は思い出す。そもそも輝夜は姫であり、技はキレるが身体を鍛えているわけ ではない。しかも、一回戦でも一撃も受けないで試合を終わらせるほどに、防御の術に優 れている。 まともに格闘でダメージを受けたことがない少女。 つまり、 (――打たれ弱い!) 愕然とする鈴仙の視界に、再び輝夜が打たれる姿が映し出される。やはり咲夜はうつむ いたままだったが、手刀は捌こうとする輝夜の手を嘲笑うかのように急所に突き刺さる。 (それにしても、どうしてあんなに正確に当たるの!?) その答えを持っているのは、青コーナーの美鈴だ。 彼女は自分の応援する咲夜の攻勢であるというのに、ジットリと掌に冷たい汗を掻きな がら確認する。 (咲夜さんの能力の中で格闘に使えるもので一番怖いのがこれ……『空間認知能力』!) 時間と空間を自在に操る彼女は、自分の周囲の空間に対する『認知力』が極めて優れて いる。それは例えば、人混みの中で的確にスペースを見出して歩く能力だとか、部屋に入 った瞬間に中の状態を把握するだとか、そういう誰もが持っている能力だが、咲夜のそれ は常人とは桁が違う。 (向かい合えば、相手のどこを叩けば痛がるのか、どこを突けば殺せるのか――) それを認知して、咲夜はそこを攻撃する。 まともに相手を見ていなくても、余所見をしながらでも的確に投げ投げナイフを命中さ せる彼女だからできる、疲労の局地での精密打撃。 「どんな状態でも『完全』な攻撃を仕掛けるのが、うちのメイド長よ!」 勢い込んで美鈴は声に出して叫んだ。その叫びが、さらに咲夜を勢いづかせる。 が。 主の劣勢に顔色を無くしていた鈴仙の耳に、永琳の思いがけないほどに大きな呟きが聞 こえてくる。 あと一撃、と。 「あの精神を絶つ楔の一撃。軽くでいいわ。撫でる程度――その一押しで彼女は倒れる」 それにハッとして鈴仙はリングの上を見る。確かに輝夜に負けず劣らず咲夜も限界に近 い。 「姫様、いっぱーーーーつ!」 「応援せーのっ!」 「うさー!」 「うさー!」 「うささー!」 輝夜ワッショイ、輝夜ワッショイ、と月と地上の兎たちが両腕と前足を振り上げて叫び を上げた。 それに負けずと、紅魔館の面々も一斉に立ち上がって声を張り上げる。 「咲夜さん、押し勝ってます! 大技はもういりません。手刀でまとめて!」 「メイド長、がんばってー!」 「咲夜様〜!」 赤コーナーと青コーナー。二つの陣営が総力で叫び合い、お互いの声をぶつけ合う。兎 が跳ね、妖精メイドがバタバタと羽根を羽ばたかせて大音声を重ね合う。 そうした騒音の中心で、輝夜はついに咲夜によって『ロープ際からロープ際』まで追い 詰められていた。リングを一直線に通り抜け、自らの背に触れた弾力のある感触に輝夜は ズキズキと痛む右肩と、ともすれば膝が砕けそうになるくらいに身体の力を奪う腹の鈍痛 を意識し、一度大きく深呼吸をする。 (予想外……ね) 舐めていたわけではなかった。 ただ、相手がここまで立ち続けるとは思わなかった。咲夜の腕力が人間並みとはいえ、 永夜返しが完全な形で炸裂したのだ。自分の攻撃力を倍以上にされて頭という一点に叩き 込まれれば、普通戦闘を続行できるものではない。 だというのに、咲夜はまだ立っている。 根性だ。 (たかが宴の余興一つで……) そこまで熱くなれるのか、と輝夜は呆れてしまう。輝夜にとってこの格闘ごっこ大会は 遊び以外の何ものでもない。高貴な月の民である自分が負けるなどとは、当然のように思 ってはいないが、それでもトーナメントなのだし、疲労が溜まれば負ける時には負けるだ ろうと単純に考えていた。 (肉体労働は私の仕事じゃないの) というのが、輝夜の持論である。優雅ではない。 だから、 (……何を考えてるの?) 一歩、一歩と、肩を上下させる苦しい呼吸を繰り返しながら近づいてくる咲夜に、輝夜 はもう下がる空間が無い場所で考える。 (私に負けるのは恥じゃないわ。それは彼女もわかってるでしょうに) たかだか紅魔館のメイド長。 例えば永琳に負ければ失われるものもあるだろうが、永遠亭の『主』である輝夜に負け ても、失うものなど何も無いはずだ。レミリアが輝夜に負けない限り、紅魔館の名が落ち るはずもない。 それなのに、何にこだわって咲夜は立つのか。 (勝てると思っているのなら――) それは屈辱ね、と輝夜は腹に力を入れた。 背中のロープを弾いて、背筋を伸ばす。 咲夜が前に出てくる理由はわからないにしても、輝夜の側にもそれなりの主張があるの である。 それは、 (永琳には、ゲームで勝たないとね) とても自分勝手で、咲夜の存在など微塵も気にしない、尊大な月の姫の思考回路なので あった。 対して、萎えそうになる足を動かしている咲夜は、自分があと一発で落ちることなど百 も承知だった。手刀の射程距離まで残り一歩の場所で、彼女は両手を左右の腋の下に入れ る。 「またそれ?」 「ええ。お付き合いくださいな、輝夜姫」 重い身体を引きずった二人が、向かい合う。 限界に近い咲夜の身体を支えるのは、試合前から抱えている一つの想いのみだ。 だから、最後になるだろう攻撃の前に咲夜は言う。 「輝夜。あなたは主の側の人よね」 「? ええ」 緊張の距離の中、咲夜が言い出したことに輝夜は怪訝そうに眉根を寄せる。その反応に、 咲夜はそうでしょうとうなずきながら続きを告げた。 「雇われ者は辛いってことよ」 「?」 「主は途中で物事を投げ出しても許される。気分の問題なのよね。だけど、従者は主の命 がある限り決して手を止めることは許されない」 そうでないとご飯もいただけないわ、と少女は愚痴る。 「メイドというのも因果な商売よね。部下は役立たずだし」 その言葉にむぎゃっと胸を押さえるのは、数多の妖精メイドのほぼ全員。 はあ、というのは誰の呆けた声だったか。何を言い出すのかと呆気に取られる会場、そ して輝夜を前にして、咲夜は花の咲くような笑顔を浮かべる。 「本当に、苦労の連続。お寝坊で我侭なお嬢様にお仕えするのは、大変よ?」 完全な笑顔。 瀟洒な笑顔。 お客様に向ける、極上の笑顔。 だけれど、 「でもね」 完全で瀟洒なその笑顔の中、紅に染まった瞳の色だけが彼女の魔性を示していた。立つ 理由など、それしかないというふうに彼女は口にする。 「生きているうちは、そんなお嬢様の我侭に付き合うと決めているの」 二回戦を勝ち抜いたレミリア。 彼女の『遊び相手』となるために――咲夜は輝夜を倒さなければならない。 理由はそれだけ。 根性? 誇り? そういうものなど関係ない。 輝夜など眼中には無い。 ただ、間に邪魔者が一人いるだけという事実に、咲夜は吠える。 「お嬢様が待っているわ。そこをどきなさい、月の姫!」 「……面白い」 その最高の『侮蔑』に、輝夜は口元を緩めた。 『勝てると思っている』どころではない。 (『勝つ気しかない』わけね) 力で負けていようと。 技量で及ばなくても。 『負ける可能性』がどれほど高かろうと、『負けを受け入れる』選択肢は咲夜には存在 しないのだ。 ようやく輝夜は咲夜が『立つ』その本質を理解した。その本質は、自分に対するとある 人物の姿勢に近い。 「ふふっ」 「姫?」 チラリと視線を向けてきた輝夜に、永琳は彼女にしては珍しく戸惑った。瞳にあったの は、今まで輝夜が見せたことがない種類の感情だ。 その永琳の困ったような表情も面白くて、輝夜は一度目を閉じた。 (『永琳相手』に出し惜しみをしたら、駄目ね) ここまで『打撃投げ』にこだわってきたのは、圧倒的な力で捻じ伏せて、相手に彼我の 差を見せつけてやるためだった。彼女の競争相手は永琳だけであり、他の者たちとこの格 闘ごっこで『技を競う』つもりなどありはしなかった。ただの、『倒したら一点獲得』の 対象であり、負けてもそれは永琳に後れを取るだけのことだ。 それだけのことでしかないはずだった。 だが。 輝夜は、瞼を開いて真正面を見た。 そこにいるメイドに、輝夜は言う。 ※ ※ ※ 「『試合』をしましょう、十六夜咲夜」 ※ ※ ※ そして輝夜は自ら一歩を踏み出した。 その一歩で、『もう歩けない』咲夜の間合いに入る。 瞬間、 「上がってきなさい、咲夜!」 レミリアが命令した。 咲夜の両手が同時に動く。輝夜はその両手のどちらが来ても、両方が来ても投げるべく、 左右の動きに集中に集中を重ねる。 須臾の動きすら見逃さない輝夜の視界の中、左右の手刀が内側から外側へと切り裂く動 きで放たれた。最初から散々苦労したその内側からの攻撃に対応し、輝夜は己の左手を無 造作に前へと突き出した。 輝夜が咲夜の腕を捉えるための距離よりも、咲夜が内側から輝夜の顎を捉える距離の方 が近い。 だが、それよりもさらに近いのは、輝夜が真っ直ぐに咲夜の身体を捉えるための距離だ。 そこに、 「ミス――」 真下から、 「――ディレクション」 咲夜の右の膝蹴りが飛び出し、輝夜の顎を跳ね上げた。 そのように、見えた。 真下からの膝蹴り――それに対し、輝夜は自らの上半身を前に折り畳むことで、咲夜の 右の足を左腕で『抱き止め』ていた。そうしてそこから輝夜の身体が反転する。一本背負 いのように咲夜の右の膝裏を自らの左肩の上に引っ掛け、ロープに対して平行になるよう に横を向いて、 お辞儀。 それは既視感のある、先ほどの裏一本背負いと同じ構図。違うのは、それが腕か足かの 違いのみ。 (これはさっき『覚え』た!) 咲夜は『輝夜式の背負い投げ』への対処法をその身で覚えている。複数回の重心変換を 加えられて受身の方向がわからなくなるのであれば、致命傷になる頭だけを庇えば良い。 輝夜の左足が後ろに跳ね上がり、咲夜の背中を叩いてその身体を弧を描いて回転させる。 美しく半月。 『永夜返し――丑の二つ』。 咲夜は両腕で頭を抱え、輝夜が自分の身体を放し、新たなる回転を加えるのを歯を食い しばって待つ。 待つその咲夜を。 輝夜は、一度も手放さずに、強引にキャンバスへと叩きつけた。 ※ ※ ※ ズダーン、という音は、咲夜の身体が『うつ伏せ』にキャンバスへと打ち付けられた音 だった。小細工も何も無い、ただ単に全力の『背負い投げ』。 それが炸裂した瞬間、レミリアが、幽々子が、そして幽香が目を見開いてその腰を浮か した。 皆がガバッと審判に振り返る。その時には映姫は曇天を突き刺すようにその勝敗を定め る笏を掲げていた。 「そこまで! 勝者、蓬莱山輝夜!」 盛大に空に舞い上がった賭札とおひねり、そしてそれを上回る悲鳴と歓声が爆発した。 ※ ※ ※ 「けっちゃーーーーーーーーーーく! 注目の人間対決、最後は永遠亭の姫、蓬莱山輝夜 選手の投げが、まさに咲夜選手の執念をその意識ごと刈り取りました!」 「…………」 「慧音さん?」 会場が歓声と悲鳴に満ち溢れるのと同時に文が叫ぶ。そして、呆けたように目を丸くし ていた慧音の顔の前に手を翳し、阿求が呼びかける。 と。 「あ? あ、ああ、すまない。見惚れてしまった。……凄いな、アレは」 ようやく我を取り戻し、慧音が照れ隠しでコホンと咳払いをする。最後に輝夜が見せた 『ただの投げ』。それが描いた満月の曲線に、思わず歓声が聞こえないほどに感動してし まった自分がそこにいた。 しかし、その技の『意味』は重要だ。 「最後の投げ。あれが決まる寸前にメイドは確かに頭を庇った。一つ前の投げと同じ形式 の投げと判断したはずだ」 私もそう思ったし、と言う慧音に、文も相づちを打って後を引き継ぐ。 「そうですね。だというのに、輝夜選手は投げを『振り切った』。まあ、つまり『永夜返 し』ではない普通の投げを打ったってことなのですが、これって問題ですね」 「どういうことです?」 格闘技に疎い阿求が不思議そうに尋ねると、文は肩をすくめて処置なしというふうにお どけて応えるのだった。 「輝夜選手は、同じ『流れ』でも普通の投げと『永夜返し』を使い分けられることを見せ たのです。ああなると、技が始まってからでは、どちらで投げられるか判断がつきません。 あれは『受身』に対する凶悪なフェイントとなりますね。対抗するには、『技をかけられ る前』にどうにかするしかありません」 そして、その『技をかけられない』ことが一番難しい相手が、輝夜という相手だ。 (それってつまり……) ふむ、と阿求は自分なりにその情報を吟味する。 結論すると、 「最悪ですか?」 「最悪です。まあ、ともあれ」 と文は試合前に大量に売れた賭札がそれに比例する量だけ宙を舞うのを眺めて言う。 「注目の人間対決でしたが、結果は輝夜選手の見事な勝利! これで、輝夜選手が三回戦 にて紅魔館の主、レミリア選手と対決することが決定しました! これもまた注目の一戦 です!」 「それはそれで……酷い試合になりそうだ」 興味津々の対戦が実現したことをマイクに乗せる文の隣で、慧音は皺の寄ってしまった 眉間を揉み解しながら呻くのであった。 一方。 「お疲れ様です」 「ぎりぎりね。でも、これで永琳の応援ができるわ。負けてたら、嫌がらせしたのに」 永琳がコーナーで迎えた輝夜は、そう言ってポニーテールを束ねる糸を抜き取った。解 放された長い黒髪がハラリと空気を巻き込んで舞い、その優雅な姿に頬を染めて鈴仙は自 らの主にタオルを差し出した。 「お、おめでとうございます、姫様!」 「まあ、こんなものでしょう」 その「感動しました!」と輝く狂気の瞳に、輝夜は機嫌良く微笑みを返す。ちなみにタ オルを受け取ったのは痛めていた右手だが、すでにそれは彼女本来の回復力で元通りの動 きを取り戻していた。 「いい運動をしたわ。次は永琳の番ね」 「ご期待に沿えるようにはしますよ、姫」 「ふふっ。『永琳』に勝った後は嬉しいわ」 「……なるほど」 その輝夜のひとことで、永琳は試合中の『視線』の意味を理解した。他方、その会話を 聞いた鈴仙はてゐと耳打ちするが、 「どういうことかしら?」 「さあ? 姫様とお師匠様のおしゃべりって難しいもの」 結局、宇宙人の言うことは理解はできなかった。鈴仙も宇宙兎であったが、理解できる ほどに歳を重ねてはいないのである。 ともあれ。 「ところで、姫様が勝ったということは、例のアレやるの?」 「もっちろん♪」 鈴仙が気になって尋ねると、てゐは勢いよくうなずく。おひねりを受け取るためのザル を抱えて、ひとこと居並ぶ兎たちに号令をかける。 「そ〜れ!」 「うさーっ」 「うささー!」 怒涛のような、そのワッショイ。 姫様ワッショイ! 蓬莱山ワッショイ! 輝夜ワッショイ! 永遠亭ワッショイ! リングの中を駆け回る。 降り注ぐ賭札とおひねりの中を踊り回る。 その賑やかな光景に、鈴仙はもはや確信を持って呟くのだった。 「優勝、しちゃうんでしょうね……」 そう思わざるを得ない、蓬莱山輝夜の強さだったのである。 で。 「いたた……なかなか良い試合でしたわ」 「あなたは夢の中ででも試合してきたのかしら?」 頭を振りながら身を起こした咲夜の横には、頬を膨らませたレミリアが立っていた。不 機嫌を隠しもしないお嬢様の姿に、咲夜はとりあえず頭を下げる。 「はあ、申し訳ありません」 「やっぱり人間だわ。使えない子ね」 負けても気にしていない様子の咲夜にちっと舌打ちし、レミリアは唇を尖らせる。そう して言うのが「もの凄く期待しちゃったわよ」なのだから、咲夜は苦笑するしかない。 実際、レミリアはそれほど怒ってはいなかった。自分の予想が外れて悔しいというのが 本音であり、刺々しい言葉も挨拶代わりのようなものだ。 「まあいいわ」 そうやってひとしきり悔しがった後、レミリアは視線を赤コーナーへと向けた。そちら で騒ぎ立てる永遠亭の面々に、紅の悪魔は目を細めて咲夜だけに聞こえるように言う。 「霊夢の前に、蓬莱人の血をいただくのも悪くはないものね」 その言葉は試合前の輝夜と同じ類のもので、自分が負けるなどとはまったく考えていな いものだ。生まれながらにして持っているその自信に、咲夜はふむと気軽に考える。 格は同じ。 質と品もお互いに充分過ぎるほど満たしている。 そういう二つがぶつかれば……それはどうなるのか。 「好みの問題かしら?」 「お茶の話?」 「ええ。極上の紅茶のお話ですわ」 「あら。なら話は簡単よ」 何を呟いているのかと気になって尋ねたレミリアは、咲夜の返事に拍子抜けしたように 肩をすくめ、応える。 いいかしら、と。 「より紅い方が、より良い紅茶よ」 「……心に留めておきますわ、お嬢様」 その簡潔な答えに、咲夜は思わず笑ってうなずいた。確かにその通りだ。 そして思う。 蓬莱山輝夜は完璧な永遠の姫かもしれない。 だが。 (うちのお嬢様も、負けていないわね) 悩むことなく真理を口にする自らの主の『紅さ』に、咲夜はジンジンと痛む自分の頭に 触れて思う。 (お嬢様ならばあるいは……) 自分を最後まで翻弄した技――『永夜返し』。それを、咲夜が実行したような内から外 からの攻撃でもなく、真正面から打ち砕く何かを見せてくれるのではないか。 (期待していますよ、お嬢様) ようやく主の試合に集中できる身分を手に入れたパーフェクトメイドは、これから生ま れるであろうこの世でもっとも紅い紅茶の姿に、クスクスと止まらない笑みを続けるので あった。 『Bブロック第2試合』――決着!