東方プロジェクト・ネタバトルSS 東方殴り巫女伝説 〜Bare Knuckle Players〜 2回戦 Bブロック第1試合 レミリア・スカーレット VS アリス・マーガトロイド               ※ ※ ※ 「それでは、続きましてはBブロックの二回戦。激戦の連続となったAブロックの勢いに 乗り、こちらもハイペースの試合展開となるのでしょうか!? 第一試合は、圧倒的な力 で慧音選手を下したレミリア・スカーレット選手と、こちらも圧倒的な瞬殺劇を演出して みせたアリス・マーガトロイド選手! 一回戦を完封した者同士、注目の一戦となります っ」  そういう文の会場放送に促される形で、レミリアとアリス――これから戦いを始める二 人の妖怪がリングの上に降り立った。  レミリアはその羽根のひと叩きで宙を舞い、赤コーナーのポストの上へ。  アリスは硬いロープを肩で押し開けて、その間をくぐってキャンバスへ。  それぞれに咲夜、魔理沙とセコンドをつけての入場を見届けた文は、一回戦での二人の 試合を見ていない阿求に簡単に説明する。 「レミリアさんは慧音さんに好きに攻撃させた上で、それがダメージにならないことを確 認させてギブアップをとりました。アリスさんの方は兎の不意打ちを見抜いて回し蹴り、 ですね」  それは本当に説明不足であったが、阿求は自分の頭の中にある『情報』としての双方の 戦闘方法と照らし合わせると、まるで男のように腕を組んで「ふむ」と唸る。 「なるほど……どちらにしろ、予想ができるほど力を見せてくれた感じはなさそうですね。 吸血鬼は自分から手を出して力で押し切るのが本領……と私は思っていますし、人形遣い も魔法使いということで対戦相手ごとに戦闘手段を変えてくるのが定石でしょうね」  特に、と阿求は自陣である青コーナーの三角地帯のロープ上に人形たちを並べ始めたア リスに視線を向ける。 「魔法使いがわざわざ魔法無しの試合に出てくるというのは、それなりに用意を済ませて いると思っていいんじゃないでしょうか?」 「同感ですね」  うなずく文も、『魔法使い』という肉体的にはただの人間と大して変わらない種族を侮 ってはいない。 「こちらが風を生もうとすれば、風の発生自体を封じる。水が嫌いなら、大量の水を召喚 する。魔法使いの戦い方は、大多数の妖怪のまるで逆ですね。やりたいことを相手に押し 付けるのが得意な妖怪に対して、相手のやりたいことを封じる魔法使いという感じです」  妖怪として圧倒的な身体能力を持つ文でも、魔法使いが万全の構えで待つ根城に取材で 突入するにはそれなりの覚悟が必要だ。そのくらいに『やりにくい』相手なのである。 「アリスさんは勝機『あり』なのでしょうね。まあ、一回戦よりはお互いに底を見せてく れる試合になるとは思いますよ」 「……底を引っ張り出せなくて悪かったな」  あははと笑った文を、慧音は憮然とした顔で見る。それこそ文が言ったような『レミリ アを封じる』戦い方を狙って失敗したという慧音に、阿求はクスリと微笑ましいものを見 た笑みで告げる。 「人里代表だったのに、残念でしたね。直接見れなくて、みんなへの土産話が減りました」 「不甲斐無いことだ」  と、肩をすくめる姿にも、どこか負けたことに『ムキ』になっている感じがすると阿求 は思う。 (可愛いところを引っ張り出されちゃってまあ)  一回戦で『底』を見せたのがレミリアと慧音のどちらだったのか、それだけで充分予想 ができてしまう。  そうして阿求がクスクスと笑い続けていると、ところでと慧音が話題を変えた。 「ところで、この幻想郷縁起なんだが」  そう言って彼女が阿求に返却するのは、すでに本の形にまとめられた阿求の労作だ。妖 怪が神社に集まっているこの大晦日こそ妖怪たちに内容チェックをお願いする良い機会と、 まず最初に慧音に渡しておいたものである。  それが渋い顔と共に返されたことに、阿求は不安になって尋ねる。 「何か訂正部分でも?」 「いや。よく纏まっているし、この前見せてもらった八代目のものよりずっと読みやすい と思う。これなら、寺子屋の子供たちも読んでくれそうだよ」 「ええ、そこを意識してみました」  今回の幻想郷縁起は『誰にでも読める』がテーマの一作なんですよ、と阿求は地平より も起伏に乏しい胸を張った。実質的な執筆は終わり、後は妖怪本人による訂正と清書を残 すのみなので、意識して狙った部分を褒められれば素直に気分も良い。  ただ、釈然としないのは慧音の表情だ。阿求の作を賞賛しながらも、彼女の表情は渋い。 実に渋い。  もしや作者を前には言いにくいことなのでは、と阿求は少し真剣な気持ちになった。欠 点があるのならば妥協しない。一生に一冊の『幻想郷縁起』なのだ。作ることができる最 善のものを遺すのが、彼女が自分自身に――千年以上も――課している仕事だった。  だから、問い詰める。尋ねるのではなく、言わせようと言葉を放つ。 「お世辞は結構なんで、忌憚無いご意見をお願いします」  すると、その阿求の真面目な顔に慧音も心が決まったのか、渋かった顔を困ったような 笑顔に変える。わかったよ、というそれに、阿求もホッと頬をほころばす。 「では、どこに問題が?」 「ああ、いや、問題というかな……感想なんだが」 「はい」 「私の頁、開いてくれるか」 「はあ……こうですか?」  首を傾げたまま、阿求は言われるままに縁起の該当頁を開く。そうして自分の胸の前で クルリと回転させて慧音へと内容を向けた。それを見て、慧音は頬を掻く。  確認するように、 「子供たちからのひとことがあるな」 「生の声を是非にと」 「それでその注釈なんだが、お前が?」 「会心です」 「そうか」  ぐっと小さな拳を握る阿求に、慧音が笑う。  笑って、立ち上がる。  お? と座ったままの阿求が見れば、慧音は教壇の上から里の愛すべき子供たちを見る のと同じ、自愛に満ち溢れた目で阿求を見ていた。  そして、 「お前がどういう目で私を見ているかはわかった」 「へ?」  場違いな笑顔が怖いんだけど、と思った瞬間、寺子屋の子供たち曰くの恐怖の象徴が降 って来た。 「ぎゃっ!?」  自分の目から火花というものが出るのを初体験し、阿求の身体がひっくり返る。同時に 聞こえたのは、文のカメラのシャッターが下りるかシャットいう音だ。 「はい、頭突き一発。良い写真をありがとうございました〜」  まさか自分自身も肉弾戦を経験するハメになるとは、さすがの九代目御阿礼の子も予想 してはいなかったのであった。               ※ ※ ※ 「決着がついたようですわ。KOで」 「? 時間軸が間違ってるわよ、咲夜」  放送席の方を眺めて言ったセコンドの咲夜に、レミリアはいつもながら変なことを言う 子だと思いながら訂正する。 「決着はつくわ――KOで」  そうして浮かべるのは、これから試合に挑む者とは思えないほどの余裕の笑みだ。  それはまるで、体育の試験課題が得意な逆上がりに決定してほくそ笑む子供のようで、 つまりは彼女にとってアリス・マーガトロイドとはその程度の対戦相手でしかなかった。  吸血鬼と魔法使い。接近戦を行えればどちらが有利か、妖精でもわかるというものだ。  だから、 「魔法使いごとき、私に敵うはずもない」 「お言葉ね」  ふっと鼻で笑うレミリアに、しかしリングサイドで本を読んでいたパチュリーがボソリ と呟く。それは他の者にはほとんど聞き取れないようなものだったが、運動能力と同じく 聴力にも優れたレミリアはペロッと舌を出して訂正した。 「パチェは別」  軽くおどけるように吸血少女が言うと、友人である魔女は無言のままうなずいて視線を 本へと戻した。それらの一連のやり取りを眺めた咲夜は、レミリアがこの上なく平常心で あることを確信する。これからの試合を『勝って当たり前』と捉えていることが、表情に ありありと表れている。  だが。 (でも、油断しているわけでもない)  すでに試合前の定番となった紅茶を美味しそうに啜るレミリアは、余裕の態を見せなが らも戦いを前にした者特有の研ぎ澄まされた空気を身に宿していた。  事実、 「おかわりはいらないわよ?」  紅茶の中身が少なくなったのを見た咲夜がポットを持つ手を無意識にピクリと震わせる ――その程度の動きに、レミリアの目は反応していた。 (凄いわね、これは)  その集中力に、咲夜は改めて己の主が化け物じみているのは身体能力だけではないこと を思い知る。  神経を研ぎ澄ませながら、肉体と精神は緊張させずにリラックスを保つ。それは理想と して語られるところではあるが、理想だけに体現は何より困難なものの一つだ。  それを、いともたやすく行ってみせる。  本人は意識せずとも、自然とそのような状態になってしまう。  実力で勝り、集中で勝り、リラックスしつつ油断しないで己の実力を発揮するというそ の泰然とした戦闘への構えは、まさに王者の風格と言い換えることができるだろう。  故に、咲夜は賞賛に次の言葉を選んだ。 「完璧ですわ、お嬢様」  対戦相手が可哀想なくらいに、と咲夜は空になったティーカップを受け取った。すると、 レミリアはその人差し指の長い爪先でカップをチンと弾いて鳴らして言う。 「紅茶と一緒よ。質と品、そして格を揃えれば自ずと完璧になるわ」 「? ……ああ」  その意味を思い出すのに、咲夜にはわずかな時間が必要だった。  それは子鬼が巻き起こした宴会の日々に決着がついてから一番最初の満月の夜、他の誰 でもない咲夜から話題を振った紅茶の『格』にまつわる雑談だ。 「懐かしい話ですわ。あれは百年ほど前でしたか……」 「こらこら、あんたは何百年生きてるの」  昨年の話でしょ、とレミリアが咲夜のボケに突っ込んだ。  ともあれ、 「格の高い私が、正しく質の良い力で、品を備えて戦った場合どうなるか……そろそろそ れを見せておかないと、この大会で目立つタイミングを失うじゃない」 「まあ、紅白とかお花屋さんとか、派手なのが揃ってますしね」  集中していると思ったらそんな理由ですか、とは咲夜は言わなかった。「だから全力よ」 などと呟いているレミリアに呆れながらも、まあそんなものだろうと思う。  アリスはレミリアにとって『三回戦に上がるために踏み越える壁』なのだ。彼女がアリ ス・マーガトロイドという相手を使って何をするつもりなのか、咲夜は想像がついてさら にアリスが気の毒になった。 (お嬢様の調整相手とはねぇ)  誰しも戦いの場において常に万全の力が出せるわけではない。例えば人間であれば、準 備運動無しで急激に動けばどれほどに身体を鍛えてあっても靭帯などを痛めることになり、 その本領を発揮する前に試合を棄権するハメになることもある。  妖怪も同様だ。人間よりも頑丈で融通の効く――ある意味出鱈目な身体の――妖怪であ るが、そんな彼女たちが戦いの場に赴く時には、その精神状態――いわゆる『テンション』 というものがかなり重要になってくる。  これは真剣に戦うなどの『心構え』とはまた別のもので、戦い続けることで心に溜まる 『熱』とでも言うべきものだ。真剣にカードゲームに取り組むことと、真剣にカードゲー ムに取り組み熱中することの違いのようなものである。  そういう状態に、試合を通じて自分を持ち上げていく。スペルカード的に言うのであれ ば、二、三枚破れてからが本慮発揮、といったところだろうか。  そして、レミリアの栄えある準備運動に選ばれたのが、アリスということなのだ。その ことを察し、 「お気の毒」  咲夜は悩ましげにため息をついた。 「お気の毒だわ、自分」  二回戦を勝ち抜けば、次にその役目をやらされるのは自分だったりする咲夜であった。               ※ ※ ※  そのようにしてレミリアが咲夜にため息をつかせている場所とは反対側にある青コーナ ー。  そこではアリスもまた不敵に笑って言っているのだった。 「この試合、勝ったのは私よ」 「時間軸が間違ってるぜ」  こちらで突っ込むのは、一回戦に引き続いてセコンドについた魔理沙だ。寒さに弱いと 公言する彼女は毛布を身体に巻いてコーナーポストの裏に立ち、自信ありげなアリスに怪 訝の視線を向けている。 「なんだ? 真っ赤な人形でもバラして吸血鬼を倒した気分でも味わったのか?」 「……あなたが私をどう見ているかはよ〜くわかったわ。でも、残念ながら不正解」  別に残念じゃないぜ、と魔理沙は減らず口を続けていたが、アリスはそれに一瞥を加え るだけで背を向ける。 「言ったでしょ。参加者全員の能力を分析して試合のシミュレートしたって」  傾向と対策は充分と語るアリスに、しかし魔理沙の顔にはまだ疑問の色が強い。確かに アリスはそのシミュレートの結果一回戦でてゐの不意打ちを迎撃してみせたのであるが、 今回は相手が相手である。 「シミュレートして吸血鬼と殴り合いができるのか? 言っちゃ悪いとは思わないんで言 うが、兎とは違うぜ」 「魔理沙、あなた何か勘違いしてない? 近距離戦闘が殴り合いだと思っているタイプで しょ?」 「お?」  魔理沙のもっともな疑問に対してアリスが返したそれに、魔理沙は不覚にも理解が及ば ずに首を傾げてしまった。  魔理沙は魔法無しの接近戦はと訊かれれば『殴り合い』と返答するしかない。そもそも 魔法使いである魔理沙の体術は並の人間と変わらない――と言うか、普通の十代の少女だ ――ので、特性の魔法丹でも飲んでドーピングしなければ、格闘ごっこなどやってはいら れない。単純に手や足を出す以外の戦闘技術など持っていないのだ。  その条件は、同じ魔法使いのアリスにもだいたいは当てはまるはずなのだが、 (まあ、私よりは器用だし、組み技とかできるんだろうな。でもなぁ……)  無難な結論に達した魔理沙が、いやいやそれでも無理だろと脳内否定をしていると、ア リスはそれが面白くて仕方ないというふうに含み笑いをする。その余裕の笑みに、魔理沙 はますます七色の少女に対する疑念を深めた。  この少女、珍しく胡散臭い。  なるほど、と魔理沙は深まった疑念にむしろ自らも口元を緩める。 (勝機『あり』、か)  奇しくも、放送席の文が言ったものと同じ感想を覚えた。今では幻想郷のパワーバラン スの一角を占めようという吸血鬼のレミリアに対し、アリスは強い緊張に身体を固くする こともなく、あくまで自然体だった。  それは気軽な気持ちで戦えるだけの自信を、自分のシミュレートから得ている良い証拠 だ。  そのことに気がついた魔理沙は、ならば後は試合での種明かしを待とう、とアリスの背 中に向かって手を伸ばす。すると、それを待っていたかのようにアリスが胸に抱えていた 魔導書を後ろ手に渡す。 「大した集中だ。見なくても私の動きがわかるのか」 「あ〜、それは人形で」 「……知ってたぜ」  バツが悪そうに応えるアリスに、たまに褒めればそれかと肩をすくめて魔理沙はロープ の上に並んだ人形の上に魔導書を置く。  小さな人形は分厚い本を二体がかりでどうにか支えると、ぴょんとリングを降りて安全 地帯へと避難する。  そして、コホンと咳払い一つの時間で調子を取り戻したアリスは言う。 「魔理沙も下りておいた方がいいわよ」  半端に振り返った横顔だけで意味深に。 「たぶん、コーナーポストは綺麗さっぱりなくなるから」  預言にも似たその言葉。  たぶんと言いながら今後の『展開』を確信したその響きに、魔理沙はうむとうなずいた。 そうやってうなずいてから、 「なあ、アリス」 「なに?」 「死亡フラグって知ってるか?」 「し……!? って、あんたねぇ、決勝で当たったら酷いわよ!?」  さらりと自分の勝利宣言をして、七色の人形遣いはリング中央へと進んでいったのであ る。               ※ ※ ※ 「ふぅん、珍しいわね。あなたが私の前に出てくるだなんて」  向かい合うなりそう笑ったのは、レミリアだ。その挑発と威圧の両方を兼ねた言葉に、 しかしアリスは意味がわからないというふうに肩をすくめて切り返す。 「なんのことかしら?」 「うちに来ても私の所にだけは顔を出さないなんて、つれないじゃない」 「あいにくと、図書館を利用する時は急いでいる時が多いのよ。図書館の番人が読書の邪 魔をしてきて疲れるし」 「そうなの、パチェ?」  子鬼の宴会事件の時とか、とアリスが渋い顔をすると、レミリアは興味深そうにリング サイドの友人に尋ねる。  すると、パチュリーは氷のような冷たい目でアリスに目をやって応えた。 「無断で忍び込んでくる輩を他にどう扱えっていうの?」 「だ、そうだけど?」 「仕方ないのよ、急いでいるんだから。それで、急いでいなければあそこに用は無い」  きっぱりさっぱりありませんとも、とアリスは言い切った。  ――言い切ったが、そのすぐ後に頬に手を添えて呟く。 「ああ、でもゆっくり調べものができる場所は魅力的ね」  そうして、一つ提案するようにパチュリーに言うのだ。 「正式に手続きを取れば、利用させてもらえるのかしら?」 「させるわけがない」 「ほら、紅い館の主に会う機会なんかあるわけがないのよ」  すげなくパチュリーに断られると、アリスはレミリアに向き直る。それを宴会の外周で 聞いていた萃香は、一人寝そべって酒を飲みながらべっと舌を出して言った。 「嘘つき」  彼女はアリスが意識的にレミリアや幽々子といった強妖を避けていることを知っている。 一度や二度であればそれも偶然で済ませられるが、五度、六度と重なっていけばそれは明 らかに故意だ。 「まあ、魔法使いらしいって言えばそうなのかもね〜」  自分の命を危ぶませるような相手に好き好んで会いに行くほど、アリスは能天気ではな いのだろう。  宴会のような、妖怪だろうがなんだろうが『場を荒らすこと厳禁』の場でのみ強妖とも 席を共にするアリスの慎重さに、萃香は鬼という強い立場から賢い鼠を見る思いで感心す る。その慎重さや分別は、肉体的に丈夫な妖怪たちとは一線を画す、魔法使いという種族 独特のものだ。  そして、レミリアもまた萃香と同じことを理解しているだけに、アリスが今その例に反 して目の前に立っている事実に唇の描く弧を深くする。 (面白い……何かあるな?)  魔法使いが真正面から素手で吸血鬼と殴り合って勝てるわけがないことは、証明の必要 がないくらいに自明の理だ。その自明の理に逆らうように自信のある顔つきのアリスに、 レミリアは思いがけない喜びを得ていた。  ただの調整相手と思っていたが、 (これは、想像以上に楽しめるのかしら?)  その『予感』に、吸血少女は胸を躍らせる。両手の指を胸の前で絡み合わせ、初めて自 分の真正面に立つ少女に確認する。  「なら、これは貴重なお話しの機会ってわけね」  そろそろ始めましょうか、と彼女は言った。  アリスも、それを受けてうなずいた。 「ゆっくりお話ししましょう。時間は、たっぷり十分もあるんだから」  と。  リリーホワイトが舞い降りて試合の開始を告げたのは、そのタイミング――十分もいら ないというレミリアの返答よりも先のことだった。               ※ ※ ※ 「始まりました、吸血鬼対人形遣い! 阿求さんがノックアウトされていますので、ここ は人形などの道具に詳しい香霖堂店主にコメントをいただきたいと思います。どうでしょ う、店主。アリスさんに勝機があるとしたら、どの辺りです?」 「それを僕に訊くのかい? まあ、まともに遣り合っても一回戦の繰り返しだ。人間並の 腕力で吸血鬼相手じゃ、攻撃を当てても『痛い』と思わせることができてもそれをダメー ジにすることはできないからね。もしあるとすれば、この大会でも何度か見た、脳を揺ら す頭部への攻撃。正直それくらいしか思いつかない」 「『ズシン』と残るダメージ重視の攻撃とは違う、『スパッ』と意識を刈り取る一発です ね。確かに、良い角度で顎を捉えることができれば、例え吸血鬼といえども数秒間の機能 停止は免れません」  ですが、と文は霖之助に目配せした。もちろん霖之助も文の言いたいことはわかり、中 指で眼鏡の位置を修正しながら苦笑する。 「もっとも、そこまで完璧な一発を命中させるには、やはり吸血鬼の運動性能は桁違い過 ぎる。それを可能とするなら『何か』があるというなら――」  それはまさに。  誰もが疑うことなく。 「『魔法』と言っていいだろうね」 「アリス選手の魔法、それをこの試合で見ることができるのか! それとも、レミリア選 手の力がそれを出させるまでもなく試合を終わらせるのか!? 試合は静かに立ち上がり、 まだ今後の展開を予想させません!」  そのような文の煽りの通り、リングの上ではまだレミリアもアリスも動きらしい動きは 見せていなかった。試合開始の宣言から三十秒近く経過していたが、無構えのまま。二人 ともリング中央で数歩分の距離を取って向かい合った状態で動かない。  ――そのように、周りには見えた。  しかし、実際には二人はすでに数手の攻防をこなし、膠着状態のまま睨みあっているの が現状であった。  レミリアの右手の指先がピクリと動く。それに合わせて、アリスの左肩がピクッと震え る程度に持ち上がる。  レミリアがキャンバスを蹴って飛び出そうと、心持ち膝を曲げようとする。それに見て、 アリスはわずかに腰を低めて重心を尻――後ろに傾ける。  レミリアの身体が右からステップして入り込もうと揺れると、アリスの身体はその反対 側に動くために同じように揺れる。  それは、遠目ではわからないほどに微動の牽制合戦だ。棒立ちにしか見えないが、レミ リアすでに何度かの『相手に飛び込む』動きを起こそうとしていた。だが、アリスはそれ に後の先を取る動きの揺れを見せ、レミリアに『動いてもかわすぞ』とメッセージを送る ことで、それを事前に潰しているのだ。  なるほど、とレミリアは胸に添えた両手で拳を作る。 (良く研究しているわね)  自分の動きの『起こり』全てに反応してみせるアリスに、レミリアは早くも舌を巻かず にはいられない。  が。 (でも、実際に受けられる!?)  実戦とシミュレーションの違いを浮き彫りにするための『最初の一撃』を、レミリアは アリスに向かって放つ。踏み込まず、その場で腰を回し、右肩と腕を思い切り伸ばして拳 を突き出した。 「!」  アリスはその二歩以上離れた位置からの攻撃に、咄嗟に左腕を上げて顔面を庇った。バ チィン! と弾ける音と共に腕に鞭を受けたような引きつる痛みが奔り、その痛みに顔を しかめながら後退する。 「羽根〜!」  という文の放送が、レミリアの攻撃の正体だった。レミリアは届くはずがない位置から 拳を繰り出しながら、同時に皮膜の張った右の羽根での横殴りの一撃をアリスに見舞って いたのだ。  それでもその意表をついた攻撃にアリスは対応した。そのことに、レミリアは続けざま にキャンバス蹴って跳ぶ。後退したアリスの目の前に一足飛びに入り込み、お礼でもする かのように腰を九十度折り、その背中の羽根をまさかりのように振り下ろす。  レミリアの上半身自体が羽根という『武器』を隠す壁であり、そしてフェイントだ。見 えない位置から襲い掛かってきたそれに、しかしアリスはさらに後ろにステップすること でそれを紙一重で避けた。 「つ……っ」  羽根の先端が両肩をかすめ、アリスは服と一緒に肌が裂けるビリッとした感覚を覚える。 完全にかわしたつもりが、そのことでバランスを崩して彼女は中途半端なステップでキャ ンバスに足をつけ、跳んだ勢いを殺せずにそのまま二歩三歩と後退した。  まともに受ければ鎖骨程度簡単に砕きそうな羽根の大振りは、しかしレミリアに致命的 な隙を生む。両足を揃え、大きく上半身を倒した『お辞儀』の形。 (そこから出せる攻撃なんて――)  下がり過ぎたせいで背中をコーナーポストにつけながらも、アリスはそこで体勢を立て 直す。  レミリアが上半身を起こすよりも先に前へと踏み出したアリスに、赤コーナーの裏で咲 夜が否定の言葉を告げる。 「いいえ、『ある』わ」  その声に反応したかのように、レミリアの膝が深く落ちる。キャンバスを踏む両足が充 分なバネを溜め、少女は俯いた口元に必勝の笑みを浮かべて自らの身を撃ち出した。  すなわち、 「ヴァンパイアロードクレイドル!」 「そう、一つしか無いわ!」 「!?」  重なり合った声にレミリアが目を見開く。低い位置から弾丸のような頭突きで飛び込ん でくるレミリアに対し、真正面から挑んでいたアリスが唐突に身を後ろ斜め下に『ふっと ばす』。レミリアのクレイドルよりも速い速度で倒れこみ、アリスは手を伸ばしてレミリ アの襟首を掴むと、巴投げの要領で突っ込んでくる相手の勢いそのものを利用して真後ろ に放り投げる。  その先にあるのは、 「――――!?」  コーナーポスト。  羽根を折り畳み、文字通り弾丸となっていたレミリアには、自らの動き止める手段は無 かった。顔面から鋼鉄のポストに激突し、その衝撃があまり丈夫ではない金具を弾き飛ば してコーナーポスト自体を押し倒す。 「ぐっ」  一瞬目の前が真っ黒に染まり、レミリアはそのままポストと一体になってリングの外へ と落下した。巻き込まれてロープが千切れ、リングを覆う四角形の囲いが消滅する。  直後、 「場外! ワン、ツー、スリー!」 「効いたぁ〜! これは、さすがの吸血鬼といえども耐え難い、きつい一発! 自らの攻 撃力をそのまま自分の身に受け、レミリア選手まさかの場外落下です!」  映姫が笏を掲げてカウントを始め、文の声が会場のどよめきを誘ってレミリアの耳を刺 す。 「いたぁ……」  レミリアは赤くなった額を押さえ、脳に重く残った鈍い痛みを噛み殺す。驚きを禁じえ ない表情は、しかしアリスの取った作戦への驚きでも、自分がダメージを受けたことへの 驚きでもない。 (何、あれは?)  同じ驚きを得ているのは、それをちょうどポスト付近のリングサイドで見ていた永遠亭 の面々だ。 「な、なに今の!? 今、アリスが変な落ち方しなかった!?」  兎耳で天を突き刺して驚くのは、鈴仙だった。彼女は隣に座るてゐを見たが、幼い姿の 妖怪兎はむしろ怪訝な顔で首を傾げる。 「落ちたのは吸血鬼でしょ?」 「そうじゃなくて、その前。なんだか重力おかしくなかった?」  足を地面から外して倒れこむとか、膝を曲げて腰から寝転がるとは明らかに違う、弾け るような倒れこみ方。それに違和感を覚えて、鈴仙はリング上のアリスに視線を注ぐ。  そして疑問を受けるアリスは、多少のダメージはあれどまだ健在でリングに戻ってくる レミリアの姿に、乱れた髪を手櫛で整えながら呟いた。 「あと三本、ね」  それまで自分の体力が保つかしら、と肩をすくめるのだった。               ※ ※ ※ 「……さて、からくりの答えを教えてもらおうかしら?」  リングへと戻ったレミリアは、少なくとも表面上は大きなダメージを受けてはいなかっ た。その耐久力に、予想はしていたとはいえアリスはやはり呆れてしまう。 「頑丈ねぇ。何でできているのよ」 「砂糖とスパイスと素敵な紅いモノよ」 「あ〜」  それなら仕方ないと、アリスはそこでようやく構えをとった。  レミリアに対し左肩を向けるそれは、半身というよりも肩の裏を相手に見せるような極 端な斜形だ。左腕は自然に垂らされて脇腹を隠し、右腕は肘を曲げて腹の前で開いた掌を 下方向へと向けている。 「普段通りか」  と魔理沙が呟いたのは、それが見慣れたアリスの戦闘態勢だったからだ。試合前に手放 した本を左手に抱えれば、それだけで普段の弾幕ごっこ及び弾幕格闘ごっこの際と同じ立 ち姿となる。 (でも、それでいいのか?)  疑問に思うのは、そのアリスの構えが魔法と人形前提のものであるからだ。人形を操創 する右手を相手から一番遠い位置に隠すその構えが、格闘ごっこという別種の戦いの場で どれほどの意味を持つのか、魔理沙にはわからない。 (攻撃しやすい構えには見えないんだが……?)  しかし、それを見て別の感想を覚える者もいた。一回戦でのアリスの試合を最初から最 後まで見ていたほぼ唯一の強妖の藍である。  彼女は肘で橙をつつくと、その耳元で囁いた。 「一回戦と違って隠すつもりもないみたいよ。面白い技だから、よく見ておきなさい」 「そうするわ」 「うわ!?」  左側に座った橙に向かったつもりの藍は、目の前に『右側』に座っている紫の耳があっ て大きくのけぞった。身体の一部だけを『スキマ』を通じて出現させるのは紫の十八番だ が、空飛ぶ耳というのはさすがに慣れていても心臓に悪い光景だ。  そうした興味津々の多くの視線の中、アリスと対峙するレミリアは変わらず両手を胸に 添えた基本姿勢のままだ。だが、彼女がその姿勢のままありとあらゆる技を繰り出してく る光景をアリスはかつての弾幕格闘ごっこの際に目撃している。 (集中して、見逃さないこと)  自然体がすでに攻撃態勢なのが、レミリア・スカーレットなのだ。  そのレミリアだったが、彼女もまたアリスの一挙手一投足に集中するつもりでその血色 の目を凝らしていた。 (攻撃手段はだいたいわかる。また私の自爆を誘導するつもりね)  レミリアといえども、自分の攻撃力をそのまま反撃に利用されれば当然ダメージは免れ ない。何せ、吸血鬼は攻撃力と防御力がほぼ同等に高いが、その同等は身を構成する蝙蝠 の一匹でも残っていれば復活が可能な再生能力を含めての話だ。  その卓越した肉体能力は普段のままに、しかし再生能力を封じられた今のレミリアは、 切れ味の良すぎる剣を手にした剣士のようなものであった。相手に剣を奪われれば、その 切り返しで大打撃を受けるのは自分なのだ。 (だけど、もう次は無い)  アリスの狙いがはっきりした以上、クレイドルを初めとする『大技』は危険だとレミリ アは判断する。後はそれを念頭に置いて、速く連打の効く攻めを行うだけで勝敗の行方は 決すると、自明の理が告げる。 (……で、『アレ』をどう判断するか、ね)  気がかりなのは、先ほどアリスがクレイドルを巴投げをした際の不自然な動きだった。 頭に鈍く残った痛みがその不安要素を意識させないではいられない。――楽しみにしない ではいられない。 (『手品の種』が尽きる前に、私を倒しきることができる? 人形遣い)  堂々と臆すことなく構えたアリスの態度自体が『攻めて来い』という挑発だと感じ、レ ミリアは笑う。  あからさまに存在する何かの『仕掛け』。  それを見たいが故に、彼女は躊躇することはなかった。 「さあ、もう一度見せて!」  その罠に自ら飛び込むために、レミリアはキャンバスを蹴って走り出していた。そうい う小細工を正面から打ち破ることこそ、自分の強大な力を証明することであると彼女は理 解しているのだ。 「レミリア選手、ダメージは残っていないのか、前に出る!」  一瞬で詰まるほんの数歩の間合い。他の皆に比べて短く回転の良い手足は霞むほどの速 度で足場を連続で蹴り、そのわずかの距離で彼女の速度を一気に最高速にまで持ち上げる。  ――デーモンロードウォーク!  身を屈めながらのそれは、アリスからはレミリアが消えたかと錯覚するほどのもの。速 過ぎるそれに、しかしアリスはその軌道を予測して一発の横蹴りを繰り出した。  それが、 「!?」  レミリアの右膝を直撃した。勢い良く踏み込んだところに急停止をかけられ、レミリア がつんのめる。払うように蹴るのではなく、真っ直ぐに足の裏で押さえ込む蹴りだ。  その思わぬバランスの崩壊に、だがレミリアは慌てない。つんのめりながらも反対側の 左足でキャンバスを踏み、そこで転倒を堪えて強引に左手の手刀で目の前を薙ぎ払おうと した。  そこに、アリスの右の下段回し蹴りがレミリアに飛ぶ。目にした二人の間の『距離』に、 レミリアは手刀が届くと思っていた自分の間違いを悟った。 (足を着けないで引き戻した!)  アリスは遠い間合いから左足を槍のように伸ばして蹴った後、その足をキャンバスに下 ろさず、自分の位置――右足のある位置まで戻していた。結果、アリスが蹴ったために間 合いが『縮まった』と思っていたレミリアの手刀は、いかに腕を伸ばそうと射程距離の外 だ。  転倒を拒否しようと完全にキャンバスに接地した左足では、足を折り畳んで迫るローキ ックへの受けを行うことができない。ほとんど本能の動きでレミリアは攻撃に使おうとし ていた左腕を太腿へと伸ばして防御に使う。  そこに藍が言った。 「引っかかった!」  アリスの蹴り足が『跳ね上がる』。膝を曲げたまま腿から蹴り出す『初動』のその膝の 向きで蹴りを下段と錯覚させたアリスは、回し蹴りの身体の回転に合わせて膝の角度を上 へと修正して、その蹴りを顔面への回し蹴りへと変化させた。  足を固定され、左腕を下段の防御に使ったレミリアは、目を見開きながらもそれを自ら 膝を折ることでかわした。前のめりにつんのめっていた勢いを受け止めていた左膝を崩し、 蛙座りになって鋭い蹴りを頭上にやり過ごす。 「それをかわしますか!」  文がマイクを手に舌を巻く。吸血鬼の集中力はアリスに劣らず、そしてその反応速度は 天狗にさえ匹敵する規格外だ。  そうして低い姿勢になったレミリアは、立ち上がる動きに合わせて下からすくい上げる ような右の熊手での一撃を、回し蹴りの流れで一回転したアリスに叩き込もうとした。  それを止めたのは、またしてもアリスの放った膝への蹴りだ。  クルリと回ったアリスは、レミリアに背中を向けた段階で、右手で『スカートを摘んで 思い切り引く』ことで振り切ったはずの右の蹴り足をもう一度足の付け根から『引き絞っ た』。  そして、下段から上段へと変化させた蹴りを、再び下段に――今度は回転する勢いだけ を使った、足を伸ばしきったままの棒のような打ち下ろしの下段蹴りで、身体を伸ばす動 きで体重を上方向へ撃ち上げていたレミリアの『軽い』下半身を薙ぎ払ったのである。 「ぶっ!?」  そのアリスの動きに、鈴仙が口に含んでいた酒を噴きそうになる。  同時、魔理沙がその発想は無かったと手をポンと叩く。 「あ〜、そういうのも『あり』か」  アリスの変則の旋風脚で無防備な足を払われたレミリアは、払われた部分を支点にして 風車のように直立横回転する。伸ばした手はキャンバスに触れ、逆立ちになったレミリア は、 「これでどう!?」  逆さの状態で、サッカーボールを蹴るようなそれをアリスの胸に打ち込んだ。蹴りは壁 のように揃えられたアリスの両腕に防がれたが、その威力は容易くアリスを後ろにズレさ せて一呼吸の間合いを作る。  だが、レミリアは『一呼吸』しない。  アリスを蹴り離した足をそのままキャンバスまで振り下ろして立ち上がると、レミリア は逆立ちを終えた形――アリスに向かって背を向けた状態で立つことになる。  そこから後退したアリスを追いかけるために、彼女は思い切りキャンバスを踏み切って バック宙返りをした。 「!」 「羽根のように軽いでしょう?」  レミリアがアリスの上に肩車の状態に『着席』する。  直後、少女の両足がそれぞれアリスの両腋に通されてロックした。結果アリスは両腕を 左右に伸ばすことになり、それを見た文は言う。 「これは吸血鬼が掟破りの十字架固め! アリス選手、両腕を封じられ――」  言葉が終わるよりも、レミリアが両拳を頭上に組み合わせ、その凶器をアリスの顔面に 向かって振り下ろす方が早かった。  しかし。  直撃の前にアリスが後ろに『弾け』た。  棒立ちのまま、跳躍でもなくただ後ろに吹っ飛ぶ。そこにあるのは、やはり後退して誘 い込んだ鋼鉄の『武器』。  コーナーポスト。 「お嬢様!」 「――――!?」  ゴッ、という音がしてレミリアの後頭部が咲夜のいる赤コーナーに痛打した。  否。 「防ぎました!」  振り下ろそうとしていた両手を、レミリアは咄嗟に自分の頭の後ろに回して致命的なダ メージを避けていた。それを見て取った文が、角度的にわからない観客のために解説した が、状況はさらに加速する。 「やっ!」  一声気合を入れて、アリスがのけ反っていた上半身を今度は前に倒す。アリスが頭を下 げれば彼女の上に乗っているレミリアも傾くことになり、深いお辞儀はレミリアの頭をキ ャンバスへと一直線に落下させる。  誰もがレミリアがキャンバスに激突すると確信したその流れで、それでも彼女は冷静だ った。先ほど後頭部へのダメージを防いだばかりの両手を前に出し、キャンバスへの落下 を受け止める。  そこから、 「ふっ!」  キャンバスについた両腕の力で真後ろに『撃ち出し』た。身体をくの字に折ったアリス と、そのアリスの両腋に足を絡めたレミリアの二人が、不自然な組み体操のような形でコ ーナーポストに激突する。 「うぐ……っ」  呻いたのは、当然背中に衝撃を受けたアリスの方だ。  力の抜けたアリスの身体から自分の両足を取り戻すと、レミリアは悠々と立ち上がって 彼女に振り返り、言う。 「案外つまらない『種』ね」  コーナーポストに背を預けて立つアリスの足元を良く見れば、そこにはごく細い蜘蛛の 糸のようなものが蛇のようにうねりながら存在してた。それは束になってようやく視認で きるほど細い糸で、コーナーポストからキャンバスを経由し、そしてアリスの身体を這い 登ってその肩口へと消えている。つまり、最初の攻防でレミリアの羽根による一撃で切り 裂かれた、そのブラウスの綻びへだ。  レミリアに促される形で目を凝らした文は、手で額にひさしを作りながらそれを確認し、 おおっと感心の声を上げる。  観客たちも、ようやくその糸の存在に気がついて、目を丸くした。 「え? アレいいの?」 「これ格闘ごっこでしょ?」  そういう声の中、文はう〜んと難しい顔でマイクに口を寄せる。 「糸……ですね。どうやら、アリス選手、先ほどの攻防で裂けた服の一部をコーナーポス トに巻きつけていた模様! 要所要所での不可解な動きはこれが理由のようですが――」  と、彼女はリングの上で笏を構える映姫に目配せした。それを受けた映姫は、ふむとう なずいて、胸元に添えていた笏を頭上に掲げ、大きくはないけれど良く通るその声で会場 の妖怪たちへと告げる。 「私は、これは彼女の衣服の一部であり、レミリア・スカーレットの攻撃で裂かれること がなければ、このように道具として利用することはできなかったと判断します。これを認 めないのであれば、私はあなたたちに全裸で試合をしなさいと言わなければならなくなる」 「まあ、そうですよね」  審判長の言葉に、文はさもありなんと納得の声をマイクに乗せた。他の者たちはまだ複 雑な顔をしていたが、 「ルール的には何の問題もありません。彼女は道具を持ち込まず、魔法を使っているわけ でもないのです」  という映姫の駄目押しに、結局それを受け入れることとなった。  そして、そこで藍がようやく橙にも教える。 「そう。一回戦から、アリスはあれを使っていたのよ。あの悪魔に裂かれる前から、いく つもの自然な綻びがあの服にはある」  身だしなみに気を遣う少女が人前に出るのに、どうして着古した服で現れるのか。それ は明らかにルールの隙間を狙った意図があり、周りが問い詰めても『格闘ごっこで汚れる』 から、とアリスがひとこと言えば反論できない、完璧な『種』だ。 「身体中に張り巡らせた『糸』を、彼女はあの後ろに隠した右手で操っているのさね。人 形遣いというのも、さすがに伊達じゃない」  ふう、と呼吸を整えて構えるアリスは、やはり先ほどまでと同じ背中の左側を相手に向 けるほどの極端な斜形だ。橙が注目すれば、確かにアリスが右手の指をわずかに震わせる と、彼女は足を肩幅に開いて構えを完成させる。  それにうんうんとうなずくのは、魔理沙だ。 「アリスがあんなに動けるんだ。何かあるとは思っていたぜ」  一回戦でアリスが言った『あんまり参考にならないわよ』という言葉の奥に隠されたも のを、魔理沙はようやく完全な意味で理解した。 (確かに、私の戦いの参考にはならないけど……)  これはこれで、と魔理沙は唇の端に笑みを浮かべる。 (面白そうだぜ)  慣れない格闘よりも、指先の方が圧倒的に器用なので、その自分の『技術』を信じると いうアリスの発想は納得できる。  しかし、同時に魔理沙は思うのだ。 「『傾向と対策』を完備してて、それを実行できる『いい動き』ができるからって、勝て る相手じゃないぜ。まだ何かあるんだろ」  思わず口をついて出た呟き――それが背中を押したように、レミリアが動いた。  リングの端であるコーナーポスト前に追い込んだ相手に、レミリアは大技を使わない。 横蹴りで膝を狙うこともできない近距離まで詰めた今、使うのは両の拳だけで充分だった。  勢い余ってアリスの背後のコーナーポストを殴ってしまわないように、破壊力よりも速 度重視の右拳を横殴りに打ち出す。  それを、 「なっ!?」  アリスはレミリアに向けた『左の背中』を使って受け流した。わずかに前に進み出なが ら身体を左側に回して『正面向き』に直す動きで、レミリアの右の拳を背中と左肘で巻き 込んで後ろ側に流したのだ。  そして、アリスが前に出たために、二人の身体が密着する。拳を打ち出したままのレミ リアの身体に両腕を回し、まるでダンスをするかのようにアリスは二人の位置をクルリと 入れ替えた。  その流れるような動きに鈴仙が唸る。 「あれを糸で!?」  凄い、という言葉尻に被さる動きで、アリスがレミリアを突き飛ばした。いくら筋力が 強くても体重自体は見た目のままでしかないレミリアが後ろに下がると、 「ふっ!」  彼女は大きく腿から左足を上げる大げさに一歩を踏み出すような動きで、棒立ちとなっ たレミリアの右膝を『踏ん』だ。 「また膝か……っ」  足にダメージを与えるというよりも膝の関節を痛めつけるようなその踏み蹴りに、レミ リアがついに顔を歪める。一撃を入れてすぐに下がるアリスを一瞥した視線は、自然と自 分が背にした赤コーナーのすぐそばにいる魔女へと流れていく。 (……さすがにやりにくいわよ、パチェ)  彼女が舌打ちしたい気分になったのは、その膝への攻撃が効いたからではない。寸前の 自分の攻撃が『速度重視』だったことが失策だったと気づいたからだ。 (私に『用心』させた)  彼女は自分が『コーナーポスト』に踊らされていることに気がついたのだ。もしいつも 通りに重く威力のある攻撃であれば、アリスは拳を受け止めた背中を回転させるどころで はなかったはずだ。 (こちらの『平常心』を利用したってわけね)  レミリアが選んだ戦闘の『正解』を、アリスは利用したのだ。もしこれがフランドール であれば、アリスがコーナーポストを武器として活用していることにも気づかずに、全力 で殴りかかって自滅していただろう。  罠は二つ。  全力で打てば、自滅。  軽めの打撃で追い詰めようとすれば、完備した対策で逃げられる。 「万全ってわけ」 「あら、私はいつも万全よ?」  アリスの返答に、レミリアはここまでの戦いを振り返る。  当たらない攻撃。  何度か攻撃を受けた左膝。  コーナーポストに打ちつけて赤くなった額。  追い詰めても簡単にコーナーから逃げられたこと。  試合を支配しているのは、明らかにアリスだった。レミリアは何一つ『失敗』をしてい ないのだが、アリスはレミリアの『正解』に対応して動いている。  ――なるほど、これは……。 (強い)  レミリアがそれを認めた瞬間、カ〜ンという甲高い鐘の音が一つして、文が一ラウンド の終了を告げた。               ※ ※ ※ 「さて、ここまでの五分間をどう見ますか、慧音さん?」 「見事と言うしかないな」  試合の緊張感から解放された観客たちがほぅっと一息をついているラウンド間の時間、 文はレミリアとの試合経験がある慧音に話を振った。すると、慧音は肩をすくめて素直な 賞賛の言葉を口にする。 「私が入れていたカウンターは、結局彼女が『急停止』しているところに合わせていたも のだ。吸血鬼の力を利用した一撃とは言い難いな。それに比べ、アリスは相手の破壊力を そのまま利用した『自爆』を狙っている。私が利用した太陽の『盾』無しであれを行う冷 静さは、凄まじいのひとことだ」 「はい、コメントありがとうございました。それでは、一分間の休憩時間を置いての第二 ラウンド開始となりますが、このインターバルがどちらに有利に働くのか! 吸血鬼と人 形遣い、お互いに技術、経験値ともに充分なだけに、作戦の立て直しも含めて勝敗を左右 する一分間になるかもしれません!」  そういう文の声がマイクを通して会場に響き渡るのを聞きながら、青コーナーでは魔理 沙が火照った顔で息を整えるアリスに尋ねた。 「……とか言ってるが、作戦の立て直しとかするか?」 「しないわ」  静かに深呼吸をしていたアリスは、上着の襟元を緩めて冷たい空気を取り入れる。その 右手にいくつもの赤い筋がついているのを見て、魔理沙は目を細める。 「終わりまで保つのか?」 「そうね……これで勝てなかったら、里に下りて大道芸人にでもなるわよ」 「ウケると思うぜ。上海アリス雑技団」  一ラウンドを乗り越えてきたアリスの景気の良い言葉に、魔理沙は口笛を吹きそうにな った。試合ということで魔法の接続を全て切られている上海人形を掴んで、行儀良く膝を 揃えて丸椅子に座っているアリスの肩に置く。  アリスがその上海人形の頭をひと撫ですると、人形は小人よろしく主の肩からコーナー ポストの上へと跳び移り、そこに寄りかかっていた魔理沙の顔を小さな手でぐいっと押し のけた。 「お、なんだ?」 「下りて、下りて」  人形が甲高い声でしゃべる。魔法なのかアリスの腹話術なのかわからないそれに押され、 魔理沙はセコンドの位置からリングの下に移動することになる。その意図はわかりやすく、 彼女はアリスの言葉を繰り返すように口にした。 「『コーナーポストは綺麗さっぱりなくなる』、か」  『攻撃』のための武器はあと三本しかないぜ、と魔理沙は立ち上がるアリスの背中に言 葉を届けるのだった。  そして、対する赤コーナーでは、レミリアが用意された椅子にも座らないで上機嫌でい た。 「いい感じね」 「負けてもいいですけど、服はあまり汚さないでくださいね」 「こらこら」  洗濯するのは私なんですから、という咲夜の言葉に、レミリアは唇を尖らせて拗ねる。 もうちょっとさあ、と。 「がんばってください、とか、私に考えがあります、とかは無いの?」 「はあ、ではアフタヌーンティーのジャムは何がよろしいでしょうか?」 「ジャムは駄目よ。クローテッドクリームにしなさい。格調高い時間を過ごせるようにね」 「承知いたしました、お嬢様。では、質と品はこちらで用意いたしますので、後の格はお 任せしますわ」  優雅に一礼し、咲夜は結局レミリアが腰を下ろさなかった椅子を回収してリングを降り る。  今から二時間後の午後四時――準決勝直前であろう時間の紅茶を美味しく飲むために一 番大切なものを、咲夜はレミリアに託したのである。 「素敵な紅茶に、美味しいスコーン……当然食べられるに決まってるじゃない」  最高の気分でいただくわ、とレミリアは小さな舌でチロリと唇を舐めて言う。 「格が違うのよ、人形遣い」  と。  そして、戦いの中に挟まれた一分間の空白が終了する。 「両選手、リング中央へお願いします!」  文に促されてレミリアとアリスがそれぞれリングの中央に向かうと、映姫がうなずいて 笏を掲げる。 「第二ラウンド、始め!」  そのかけ声に、アリスが再び前のラウンドと同じ形に構える。魔理沙に言った通り、作 戦の変更は無しだ。クン、と右手の指先を動かすと、糸で繋がった左の指先がピクリと動 く。 (調子は良いわ、怖いくらい。試合も私の予定通りに進んでる)  あとは、とアリスは仕切り直しとなって正面に立つレミリアを見る。コーナーに詰めて いた一ラウンドの終わりの方が都合の良い状況だったが、それはルールなので仕方がない。 (あとは、残り三本分をどう上手くやるか、ね)  すでに最初に与えた額へのダメージの影響はレミリアには無かった。一分間の時間でア リスは呼吸を整え、レミリアはダメージを回復させた。  条件は、試合開始の時とほぼ同じと考えてよかった。  そしてそれならば、 (勝てるわね)  自信たっぷりに、アリスはそう考えていた。  その表情に、同じように揺るがない自信を笑みに乗せてレミリアは言う。 「正直、あなたを甘く見ていたわ」 「?」  唐突に、攻撃ではなく口からの言葉を放ったレミリア。アリスは予定に無かった『それ』 に眉根を寄せた。レミリアはその様子に面白そうに頬を緩めながら、言葉を続ける。 「魔法使いらしい頭脳と、傀儡を操る人形遣いの技術。確かにあなたにしかできない戦い 方ね。面白かったわ。たくさん動けたし、次の試合までかかると思っていた準備運動も、 この試合で全部終わり」  翼も、拳も、蹴りも、跳躍も、存分に動かしたので、もうそれで良いとレミリアは思う。  だから、礼を言う。 「ご苦労様」  そして、 「これから、あなたが『ゾッ』とすることをするわ。それでこの試合はおしまい」 「何を――」  アリスが疑問に口を開こうとした時、レミリアが大きく後ろにバックステップした。ま るで宙を滑るかのように長い跳躍で赤コーナーのポストに足を乗せ、 「ヴァンパイアロードアロー!」  頭からではなく、蹴り足を伸ばしてアリスに向かって突撃した。それに目を見開きなが らも、アリスは間一髪で身を伏せる。そうしてすぐに振り返ると、 「え?」  ドガーン、という轟音が響いた。青コーナーのポストが直撃した衝撃に耐えられずに傾 ぎ、リングの下にいた魔理沙が慌ててそれから身をかわす。レミリアはと見れば、そのポ ストに蹴りこんだ勢いで、さらに別のコーナーポストへと三角飛びで飛んでいた。 「まさか……!」  アリスが絶句する。それは予想だにしない理不尽な『反則』だ。  そうこうしているうちに、もう一度破壊音がしてニュートラルコーナーが弾け飛び、落 下してくるそれに観客席の妖精たちが逃げ惑う。  最後に、 「はは!」  悪魔の笑い声が、最初に飛び立った赤コーナーへと突き進む。三角飛びから、さらに三 角飛び。二段階に減速していたが、それでも充分な威力を残したクレイドルが赤コーナー のポストを――。  破壊した。  その破壊の三連鎖。青いポストが地面に横たわるのを間近に見下ろし、魔理沙はそれで アリスの計画が大きな修正を余儀なくされることを確信して戦慄する。 (ありか、こんなの……!)  その思いは、会場にいる全員に共通したものであった。その思いを代表し、文が早口に 叫ぶ。 「理不尽発動ーーーーーーー! 第一ラウンド、リング四隅のコーナーポストに苦しめら れたレミリア選手、まさかまさかの『リング破壊』! その大胆な作戦に、会場息を呑ん で言葉もありません!」  その破壊が単なる癇癪などではないことを、文は承知している。見た目は幼い子供なが ら、レミリアは自分なりの状況判断に基づいて行動を起こす――知性あるお子様だ。 「圧倒的な破壊力と防御力を誇るレミリア選手! その牙城を切り崩し、ダメージを与え る手段であったコーナーポスト! 店主のお言葉を借りるならば『魔法』! その『魔法 の種』を封じられ、アリス選手に果たして勝機はあるのでしょうか!?」  いやありません、という反語を、文は不覚にも浮かんでしまった笑みの中に飲み込んだ。 無意識に手に取っているカメラは、これから訪れる『決定的瞬間』に期待するが故だ。 (さすが、盛り上げてくれます)  役者が違う、と文は最高の被写体にファインダーを向ける。  そして、会場全てを絶句させた紅の主は、霧を生み出す時のように胸の前に両手を添え て言い放つ。 「これが私の流儀」  どのような罠を張ろうと。  どのような策を練ろうと。  その用意したものごと。  あらゆるものを。 「叩き潰すわ」  準備運動は、最終段階に入った。               ※ ※ ※  レミリアがキャンバスを蹴る。真っ直ぐな突進は、もはやコーナーポストを意識した消 極的な技を繰り出すつもりがないことを示していた。  迎え撃つアリスは、今更変化を加えることもなく身体の左側を向ける斜形だ。  まず、レミリアは右の巻き打ちを叩き込む。前のラウンドの最後に放たれたものと同じ 一撃を、アリスはやはり同じように背中で受け流す。  が。 「ぐ……っ」  回転の途中で、アリスの身体が真横に弾ける。拳の破壊力を受け流しても、流す過程で 触れた腕がラリアットのようにアリスを『投げた』のだ。  それを見て、クスリと輝夜が笑う。 「まるで『永夜返し』ね。ね、永琳」 「あれでは著作権料は取れませんよ」  同じ打撃での投げであっても、相手の体重を支配して投げる輝夜の技と純粋に力で投げ るそれでは、見た目は同じでもその性質は真逆に近い。  その馬鹿げた腕力で飛ばされたアリスは、しかし慌てずに右足からキャンバスを踏んで 着地し、間髪を入れずに『斜め左前』にステップした。  その真横を、アリスを追いかけていたレミリアが通り過ぎる。レミリアが真っ直ぐに自 分を追いかけてくると予測したアリスは、その突進を闘牛士のように交差法でかわしたの だ。 「さすがに良い反応ね!」  自分の動きを読み切っているアリスに、レミリアは不敵な笑みで振り返る。その振り返 りざまにアリスの下段回し蹴りがレミリアの左膝に向かうが、レミリアは左足を折り畳ん でそれを余裕で受け止める。 「でも、あの変化する蹴りは厄介だから――」  そのままレミリアはアリスの足の戻りに合わせて前に身体を進め、 「――この位置で仕留めてあげるわ」  ついに、アリスの懐を奪うことに成功する。アリスと真正面と真正面で向かい合い、お 互いに『構え』などとる余地の無い、ほんの三分の一歩――腕を伸ばせば、レミリアの肘 の部分でアリスの身体に触れ、そのまま伸ばせば拳がアリスの遥か後方にまで突き抜ける 位置。  ゾクッとアリスの背筋に冷たいものがよぎった瞬間、 「!?」  レミリアの左拳が真っ直ぐにアリスの胸元を狙って放たれた。それをアリスは右足を引 いて、身体の左半分だけをレミリアに向ける形にして、どうにかかわす。  しかし、 「その位置でそれは、自殺行為よっ」  この試合、最初からアリスの動きに注目していた鈴仙が言う。  身体を密着させた状態で横を向けば、それは――。 「レミリア選手、もう一度左!」  レミリアの巻き打ちに対し、無防備に鳩尾をさらすのと同義だった。  速度重視ではない、思い切り破壊力を乗せたレミリアの拳がアリスの腹に向かって直角 に突き刺さる。  そう鈴仙には見えたが、アリスはその瞬きほどの時間で判断し、行動していた。  アリスが引いた右足を残した左足に引き寄せながら、小さく鋭い右回転をする。ギュル ン、と音がしそうな独楽回りで、アリスの右の肘打ちがレミリアの攻撃よりも先に彼女の こめかみを狙う。  その攻防一体の一発を、レミリアは頭を『前に出す』ことで受け止めた。ピンポイント で肘の先端を当てなければならないそれの、肩口から肘の間に入り込んだのだ。  結果、レミリアの巻き打ちは外されることになったが、アリスも回転を半端な形で止め られた形になる。 「す、凄っ」  鈴仙がアリスとレミリアの攻防に目を丸くすると、永琳は逆に目を細めて言う。 「『腹を開かせた』なら『腹を打つ』でしょう? それがわかっているのよ、あの子には。 それに、あの悪魔もね」  レミリアが自分の頭を使って回転をせき止めたアリスに向かって、一番近い右の拳をア ッパーの形で突き上げた。密着状態――隙間の無い状態で身体の表面を滑って顎に飛んで 来るそれに、アリスは躊躇なく身体を真後ろに倒す。 「アリス選手、バック転!」  文の言葉通り、アリスの身体が弧を描いて緊急回避する。  だが。 「レミリア選手、それを逃がさない!」  アッパーを振り切ったレミリアは、その右腕を元通りに戻すこともせずに、身体を前に 進めていた。移動しながら攻撃することもない。反撃を想定しない無防備さで距離を詰め、 アリスの着地と同時に再びお互いの身体を密着させる。 「前進、前進、また前進! レミリア選手、距離に妥協しません!」 「当たるっ」  レミリアが振り上げたままだった右腕を曲げ、肘打ちでアリスの鎖骨を狙って打ち下ろ す。それに対しアリスは、レミリアの身長に合わせて膝を沈めると、自らも左肘を横振り に突き出した。  アリスの狙いは、レミリアの『右腋のくぼみ』。腕のみで振り下ろしたレミリアの肘よ りも、腰の回転を加えたアリスの肘の方が速く目標に届き、その肘がレミリアの『腋が閉 まる』のを妨害する。 「良く勉強しているわ」  そのアリスの防御行動に永琳は軽く拍手する。そうして、彼女は先ほどから驚いてばか りの弟子に嫌味なく言った。 「これは良いお手本よ。ウドンゲ、見習いなさい」 「は、はい!」  鈴仙も素直にうなずいて居住まいを正す。それだけの価値が目の前の試合にはあると、 彼女にもわかっているのだ。 「打撃力も、耐久力も、体力も、全てにおいてあの吸血鬼が勝っているのに、アリスを仕 留めることができない。中間距離での膝への蹴りとか今のとか……カウンターとはまった く違う、ストッピングアクション? 参考になります」 「ほんの少しの例外を除いて、肉弾戦闘術の動きは膝を経由しなければ発生しない。腕の 振り下ろしもそう。腋に一定以上の大きさのものが入れば、そこはもう閉まらない。彼女 は人体の構造上の特性をそのまま格闘の場に持ち込んで、実行しているのよ」  人の身体は、どのようにして動いているのか。  棒立ちの状態からは、どのような動きが可能?  両腕を真上に挙げたら、そこからできる動きは? できない動きは?  検証を重ね、その稼動限界を探り、その仕組みを知った上でその妨害策を考える。  それはやがて、どのようにしたら腕が折れるのか、どのように首を絞めれば人は気を失 うのか、そういう問題への答えを導くことにも繋がる。 「あの子、医者か人体破壊の専門家にでも転職するのかしらね」 「さあ……でも、いくらなんでも無理ですよ、あの距離じゃ」  そのような永琳の感想を聞きながら、しかし鈴仙は自分たちが賞賛するアリスの限界は 近いと考えていた。  いくらアリスが人体構造を把握していても、レミリアの攻撃を永遠に封じ続けることは 不可能だ。それがレミリアの挑んだ『超接近戦』という間合いである。 (身体を自由に動かせる空間が、絶対的に足りないわ。膝を蹴って止めることができる中 間距離の方がずっとマシ。このままだと、そのうち手数に飲み込まれる。まともに当たる 必要なんてない。かすっただけで充分体勢は崩れる!)  レミリアが百度攻撃する。  アリスが百度回避しようとする。  もし一回でもアリスが回避を失敗すれば、それはレミリア・スカーレットの放つ一撃だ。 「当たれば、一発で試合は終わります。アリスはあそこから離れないと……っ」 「離れられないわよ」  冷徹な永琳の分析が、リングの上で続く変わらない接近戦の理由だ。  レミリアの右腕を真っ直ぐに伸ばした薙ぎ払いの攻撃を、アリスが左肩からレミリアの 身体に体当たりし、同時に左足をレミリアの右足に内側から絡める大内狩りで、レミリア の膝をガクンと落とす。レミリアの身体を手を使って掴まないのは、元から体力負けが確 定しているからだ。  そして、アリスはレミリアから後ろに跳ぼうとする。それを、膝を崩しながらも強引に 身を立て直したレミリアが一歩の踏み出しで距離を詰める。 「あの悪魔は、絶対にあの子を逃がさない。あなたの言う通りあの距離が一番攻撃が当た る可能性が高いし、逆に言えばあれより離れたら、今の人形遣いの反応速度を前に全ての 攻撃を『潰される』わ」  レミリアにとって、今の距離こそが最善であり、他の距離を選択する利点など何一つあ りはしない。  それ故に、レミリアは攻撃の手を休めてでも距離を詰める。距離を詰めてから、攻撃を する。レミリアにとっては手間のかかる作業だが、アリスにはそれを自発的に引き剥がす 『力』がない。 「相手に自分を害する攻撃力がない以上、前に進むことを躊躇う理由なんてないのよ」  そういうアリスの状況を何と言うか、青コーナーの下から試合の展開を眺めていた魔理 沙は呟く。 「ジリ貧かよ……っ」  攻撃を避け続けるアリスの『百発先にある敗北』の光景が容易く想像され、魔理沙は唇 を噛む。同じ魔法を使う者として、アリスの状況が他の誰よりも実感できるのだ。  入念に準備を進め、布陣を完璧に固めた魔法使いに勝てる者は、そうはいない。  だが、もしその準備の結果である『魔法の種』を奪われてしまったら。  『決定打』を打つ道具を奪われ、しかし戦いをやめることはできずに逃げ続けることし かできなかったら。  しかも、相手が自分たちのように修行で手に入れた力で立つ者ではなく、『生まれつい て』の強大な力で立つ者あれば。  積み重ねた『布石』を強引な力技で覆される――そんな理不尽を突きつけられたのであ れば。 (どういう気分だ……アリス)  魔理沙は自分の足元にいる人形たちが手にしたタオルを掴み取る。すでにコーナーポス トもロープも失われたリングの縁に肘をつき、いつでもそれを投げられるように待機する。  そうした魔理沙の動きを、周りの皆は良い判断だと納得した。  そこに、 「これは……なんです? え? 一分間……クリーンヒット無し?」  手元の砂時計。  その進み具合を確認した文の驚きの声が、会場に届けられた。試合を見るのに熱中し過 ぎて時間の経過を気にしていなかった魔理沙は、それを聞いて思わず放送席を振り返る。 「はあ?」  それがどれほど不自然なことか、さすがに格闘知識に疎い魔理沙でもわかったのである。 そして慌ててリングに視線を戻す。  そこで戦うアリスは、劣勢にありながら慌てる素振りもなく、ひたすら淡々とまるで作 業のようにレミリアの攻撃を回避し続けていた。 (このくらい、予測していたわ)  アリスは周囲の驚きの中、変わらず冷静に自らの身体を糸を使って操っていた。  彼女の右手の指がピアノ弾きのように時には繊細に、時には激しく動いて、四肢と身体 を操作する。 (レミリアと戦う以上、絶対に足を止めた接近戦になる場面がある。そのくらい――)  ――覚悟していたわ。  頬を伝う汗。これ以上無い真剣な表情で、アリスは自分を攻めるレミリアの動きを『肌』 で感じ取る。胸を押し付け合うような、目では相手の全体を見ることができない超接近戦 に入った瞬間から、アリスは全ての防御をレミリアへのシミュレートと研ぎ澄ました『感 覚』を頼りに行っていた。 (集中!)  レミリアの右のアッパーが勢いに乗る前に、下ろした左の肘で受け止める。 (集中!)  死角から飛んでくる左の巻き打ちを上半身を後ろに倒してかわし、全力攻撃の空振りで 腰を回転させ切るレミリアの見せた左の背中を右手で押し、その回転を加速させて一回転 させて時間を稼ぐ。 (集中!)  それら全ての動きを、驚くほど正確にアリスは捉えることができた。  避けられる。  避け続けられる。  その異様な光景に、ラウンドの間に目を覚ました阿求が目を見開いて呟く。 「私は鬼と、吸血鬼の姉妹……この三人に足を止めて戦うような超接近戦で対抗できる妖 怪はこの会場にはいないと思っていたんですけど、これは考えを改めなければいけないみ たいです。あの吸血鬼の得意な距離で、ここまで人形遣いが戦えるだなんて……」  千年の常識も覆された、という顔で言う阿求に、しかし文は自分もリングの上に目を奪 われながらも訂正する。 「少し違いますね。レミリア選手は接近戦は得意ですけど、超接近戦は得意ではないので す」 「?」  戦闘などは専門外の阿求にはその言葉の意味が理解できない。彼女は考えることも時間 の無駄と、目配せで文に答えを要求した。  すると、文はコホンと軽く咳払いをしてから解説する。 「先ほど挙げた三人ですけど、全員接近戦が得意なのは間違いありません。ですが、接近 戦は接近戦でも、その性質は少しずつ違うのです」 「性質、ですか?」 「まず、萃香選手。彼女はいわゆる『超接近戦』が得意ですね。三人の中では一番小柄で すし、酔拳のような変則の動きで相手の懐に入ると、そこからはもう押せ押せです。その 圧倒的な前進力で相手を後退させながら、相手の懐の内側に内側にと攻撃を繰り返します」  それに阿求もうなずく。それが彼女の頭の中にある、鬼や吸血鬼の戦う姿だ。  だが、文は次の例でその認識を訂正させる。 「次に、フランドール選手。彼女は『中間接近戦』ですね。身体が密着するような距離よ り、自分の手が届くか届かないかという距離に立って、そこからの縦横無尽の攻撃、そし てカウンターを狙います。彼女のように『目で見て』攻撃に反応するタイプには、そのく らいの距離がちょうど良いのでしょうね。予測で動く経験値はありませんし」 「あ〜」 「最後に、今戦っているレミリア選手。彼女は『超接近戦』でも『中間接近戦』でもない、 超接近戦と遠距離接近戦を交互に入れ替える『出入りの接近戦』のスペシャリストです。 蹴りや羽根の間合いで戦っていると思えば、あの凄まじい瞬発力で一気に相手の懐に飛び 込んでその腕力を生かすこともできる――前二つのタイプに比べて、非常に汎用性が高く、 完成度の高いタイプと言えます。相手は目まぐるしく変化する『距離』に振り回された挙 句に倒されることでしょう」 「……なるほど、ひとことで『接近戦』と言っても、色々あるんですね」 「まあ、こちらは私たちが専門なのですから、お気になさらず。――とにかく、レミリア 選手はアリス選手相手では遠距離の攻撃は当たらないと判断して、出入りを封じて超接近 戦に挑んでいるわけです。そういうわけで、この距離は確かに彼女の得意な距離ではない のですが……」  それでも、一方的に攻撃しているのは、レミリアなのだ。  腕を振り回し、肘を振り回し、膝を打ち上げて、それでもレミリアの攻撃が当たらない のは、異常事態と言える。そもそも、超接近戦に至るとある程度の技術差は消滅する。何 せ、相手の攻撃がほぼ全て視界の外から飛んでくるのだ。どれほどに防御力が優れていよ うと、必ず一発二発は打撃を喰らう覚悟が必要な距離なのである。 「なんでその距離で当たらないのです?」  距離の違いによる戦闘の性質の差であれば、文は阿求に自信を持って解説することがで きた。だが、その知識があるが故に、今目の前で起こっている『不自然』には首を傾げざ るを得ないのが現状だ。  そして、リング上で戦っているアリスは、文の疑問に答えることができた。  自分にはそれができて当然だ、と彼女は思う。  見えなくても、予測ができる。  予測ができるから、反応できる。 (私にはわかる。私には読める。『人の形』をしたものが、どういうふうに攻めてくるか、 全部が手に取るようにわかるわ……っ)  彼女はそれを目標としてきた。  彼女はそれのために勉強を重ねてきた。  人形という『人の形』を作り、人体というものがどういう構造であるか探り、人の心と いうものがどういうものであるか理解を深め、それらのものを生み出すも破壊するも自由 自在という『領域』を目指してきた。  もちろん、自分がその『領域』に完全に達するのは、まだまだ先のことだ。だが、その 過程で得ることができる『成果』もある。 (『成果』は充分。実験は成功っ)  迫る吸血鬼の拳。一撃でも受ければ敗北必至のそれを、右手の動きで身体を操って避け る。前髪を凄まじい速度の凶器がかすめ、彼女は背筋に冷や汗が浮かぶのを止められない。  その『成果』――相手の攻撃への予測能力と、自分の身体を効率の良い最高速で動かす 技術。それを含んだ上で、レミリアとの戦いは限界ぎりぎりだ。 (もっと集中……集中!)  負けられない、とアリスは思う。  他の皆が想像するよりもずっと、アリスはこの格闘ごっこ大会に意義を感じていた。こ れまで自分が溜め込んでいた『人形遣い』としての能力、その総決算とも言える実験が行 えるからだ。  その実験の目的は、永琳の思うような医者や人体破壊の専門家になるためではない。 (神綺様の――)  魔界に生を受けた者であれば一度は望むその高みへ。 (『神の領域』への挑戦の、下実験よ!)  レミリアの拳がアリスの耳をかすめ、風圧が彼女の金色の髪を揺らす。それでもアリス は瞬き一つしないで、この世にあるものは自分とレミリアだけかと錯覚するくらいに、あ らゆる知覚を『二人』の存在に集中する。  そのレミリアが圧倒的に攻め、それをアリスが『圧倒的に避ける』様を眺め、輝夜はほ くそ笑む。 「人形遣い……ね」 「姫?」 「あの子、数十の人形を同時に扱うこともあるそうね」 「え? あ、はい。見たことあります」  輝夜の質問にうなずいたのは、永琳ではなく鈴仙だった。差し出がましいとは思いつつ、 彼女は早口に輝夜に説明する。  それは宴会でのこと。アリスが余興の人形劇で無数の人形を同時に操った姿を鈴仙は見 たことがある。弾幕ごっこでも同様だ。また、話に聞くところでは、人里の祭りでも彼女 は人形劇を披露することがあるという。 「お祭りなら、もっと大規模な出し物もしているんじゃないかと思うんですけど……それ が何か?」 「ふふっ。同時に無数の人形を操る集中力。その集中力を今、自分という操り人形一つを 動かすのに総動員しているのよ、彼女は」  それは、四方八方に広がった蜘蛛の糸を一つの束にまとめあげるのにも似ているかもし れない。拡散していた時でも遥かに常人よりも優れていたその集中力。無数の人形の状態 を全て把握し、別々に動かしてみせるその集中力。  それが自分とレミリアのみに向かっているのであれば――。 「あの子に見える世界は、今どの『領域』に達しているのかしらね?」  心底楽しそうに、輝夜は袖口で口元を覆って微笑んだ。彼女には予感があるのだ。  その予感を裏付けるように、アリスはレミリアの攻撃をかわし続ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。               アリスが避ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。              アリスが避ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。             アリスが避ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。            アリスが避ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。           アリスが避ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。          アリスが避ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。         アリスが避ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。        アリスが避ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。       アリスが避ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。      アリスが避ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。     アリスが避ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。    アリスが避ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。   アリスが避ける。 (集中)  レミリアの拳が繰り出される。  アリスが避ける。  アリスが避ける。   レミリアの拳が繰り出される。 「は!?」  それが起きた瞬間、試合に注目していた文が、鈴仙が、そして永琳が目を丸くした。否、 誰よりも驚いたのは、右の拳の一撃を繰り出したレミリアだ。 (なに、今のは!?)  アリスが避ける。    レミリアの拳が繰り出される。  アリスが避ける。     レミリアの拳が繰り出される。  アリスが避ける。      レミリアの拳が繰り出される。  アリスが避ける。       レミリアの拳が繰り出される。  アリスが避ける。        レミリアの拳が繰り出される。  アリスが避ける。         レミリアの拳が繰り出される。 「え? え?」  妖怪たちが、狐に化かされたような顔になる。  アリスが明らかにレミリアの攻撃が繰り出されるよりも前に身を動かすようになったの だ。そうなれば、当然レミリアの拳は『当たる』どころではない。もはやかすりもしなく なった拳が、空を薙ぎ、まさに空転する。  そのような状況を生む力を、レミリアは知っている。 (パチェの『確定予測』!?)  それは似ているようで、違う。  そこに『至った』アリスを見て、ついに輝夜が袖の裏に隠した口で声を上げて笑い出し た。 「あはは! 永琳、見て、永琳! 人形遣いが少しばかり『覗いて』きたようよ?」 「地上の魔法使いの著作権侵害は、やはり深刻な問題のようですね」  楽しげな輝夜に対し、永琳はどこか憮然とした表情だ。その珍しさに、鈴仙は試合のこ とも忘れて永琳の横顔に目が釘付けになる。  と、永琳はその視線に気づいたように口を開いた。 「集中に集中を、一瞬の動きを見逃さず、その一瞬の中でさらに集中して、一瞬の半分の 動きを見逃さず、さらに一瞬の半分の半分を見逃さず――刹那を分割して、さらにそれを 分割して……」  そのよう集中を重ねてたどり着くのは、どこか。  『そこ』で、アリスは自然に口元に笑みが浮かんでくるのを止められなかった。  アリスはレミリアが次にどう動くのか予測していた。  予測して、そこに集中する。  右腕が動く、右腕が動く、とそこだけに集中する。  すると、レミリアが動く『そぶり』を見せる。  集中を深める。  レミリアが腕を伸ばそうとする。  集中を深める。  レミリアが腕を伸ばす。  本来なら一瞬で自分のもとへ届くその動きに、アリスはなおも集中を重ねる。  『認識』とは、知覚したものを『塊』ごとに処理した結果だ。例えば、普通アリスはレ ミリアが『腕を振った』動作を一つの塊として捉え、認識する。だが、実際にはこの世に 『腕を振る』という大雑把な動作は存在しない。  『腕を振る』とは、『腕を動かす』を何回も繰り返すことで成立する『連続動作』だ。 その証拠に、ゆっくりとそれを行えれば、腕は途中で止めることができる。つまり、実際 には『腕を振る』という『一』は無い。『腕を動かす』を百繰り返した結果としての、『 塊』としての『腕を振る』があるのみだ。  アリスは集中を重ねることで、その『塊』を細分化していく。もっと細かく見ていく。 妥協せずにそれを繰り返す。  結果。 (!)  アリスはレミリアの一回の攻撃を数百回『認識』していた。レミリアが腕を動かして動 かして動かして動かして――という、通常の時間の流れとは別に存在する、アリスの脳の 中にだけある別の『時間の流れ』だ。  そして、数百回『認識』することは、数百回『判断』することができるということだっ た。アリスはレミリアの肩が攻撃の『そぶり』を見せるのを数百回感じ、余裕を持ってそ の事実を捉え、心を落ち着けて、レミリアが『そぶり』から『実行』に移す前に、  ――避ける。 「なんで当たらない!」  ついにレミリアが叫ぶ。彼女の顔に初めて焦りの色が浮かび、より力を込められた一撃 必殺が連続する。  だが、 (『当たる気がしない』だなんて……どういうこと!?)  空転する。  左右の拳を開き、力を抜いた速度重視に切り替える。それでも。  空転する。 「な、なんだかもう、アリスだけ別世界ですね。一人だけ時間の流れが違うみたいな……」  鈴仙が不機嫌そうな永琳を気にしながらも唸る。その鈴仙の臆病さと、永琳の不機嫌の 両方を楽しみながら、輝夜は無知な月の兎に教えてやるのだ。 「正解ではないけれど、まあそういう考えでもいいわ。あれはね、イナバ」  自分の専売特許。 「『須臾の領域』っていうのよ」  と。  それを受けて、永琳もうなずいた。 「『深く理解』するということは、物事を細分化することにも繋がるわ。確かに『人形遣 い』なら人体の仕組みを細分化できて、あの集中力があればそれを『認識』できるでしょ うね」  あれはアリスが人体を『化学した』結果なのだ。  そうして、はぁとため息を漏らすのは、主二人の言葉に感心した鈴仙だ。 (やっぱり、遠いなぁ)  目の前のアリスの『出鱈目』にも笑える輝夜と、冷静に分析できる永琳。その余裕に少 しはあやかりたいと思ったりもする鈴仙だ。  そして、次に輝夜が言う言葉にも、鈴仙は首を傾げることになる。 「でも、仮初めの須臾がどこまで保つものかしらね?」  どこか見下すようなものを含んでいるクスクス笑い。それがどういうことなのか、やは り鈴仙には理解できないのだった。  一方、 「神の入り口か、あれは……」  放送席では、慧音が口をポカンと開けてリングの上で繰り広げられる空転の宴に見入っ ていた。  しかし、それに水を差すように文は難しい顔で言う。 「まあ、悪魔を凌駕するならそれは神かもしれませんけど……あれではアリス選手は勝て ませんよ」 「?」 「攻撃手段がありませんから」  その事実は、赤コーナー側のリング下にいる咲夜の目にも明らかだった。彼女は攻撃に 熱中しているレミリアにそれを伝えようかと思ったが、 「レミリア選手、後ろに跳んだ!」  言うまでもなくそれを実行したレミリアに、自分の老婆心を知る。  レミリアは自分の攻撃が回避され続けることに対して驚きはしていたが、それを受け入 れる冷静さを保っていた。  要は、 (そういう『能力』があるってことよ)  未来予測されて先に動かれるのも、集中力で動きの『起こり』を見抜かれて先に動かれ るのも、結果としては似たようなものだ。 (もし私がパチェを相手にしたら?)  その仮定をもとに、レミリアは打開策を取る。  それは、 「レミリア選手、タックル!」  両腕を広げ、レミリアは立ったまま全力で前に走り出した。アリスが左右どちらに逃げ ようと腕を引っ掛けられる位置。さらに跳び越えられないように、背筋は伸ばしたまま。 「そう。反応速度が異様に早いだけで、『身体の動きの速さ』そのものは何も変わってい ないのです!」  私でもそうします、と文は叫ぶ。  もし膝を蹴られて止められようと、転びながら上半身で体当たりすれば良い。  もし投げられようと、『武器』であるコーナーポストは存在しない。  他の部位への打撃は、レミリアには通用しない。もし打ってきたなら、 (打撃ごと、轢き倒す!)  レミリアの選択は、アリスの『秀でた』ところを全て潰す、彼女の戦闘経験値の高さを 示すものだ。  その『正しい』判断に、 「それを待っていたわ、吸血鬼!」  アリスが身体を反転させて背中を向ける。  両腕を広げ無防備に突進してくるレミリアに対して、彼女は真後ろに突き出すような右 の後ろ蹴りを放つ。 (無駄よ!)  その一撃をレミリアは自分の薄っぺらい胸で受ける。そのままそれを弾き飛ばそうとし て、 「っ!?」  自分の胸に広がった、何かが破裂したような衝撃に、動きを止めた。足が止まり、レミ リアはそこで両手で胸を押さえる。 「ぐ……ごほっ。けほっ……なん……!?」  そのままレミリアは咳き込む。  身体の力が抜ける。  パチュリーが本を閉じて立ち上がる。驚くフランドールと美鈴に構わず、彼女は叫んだ。 「レミィ、逃げなさい!」 「いいや、遅いぜ!」  パチュリーの叫びと、魔理沙の会心の歓声がレミリアとアリスを同時に動かす。  右足を引き戻したアリスが、背を向けていたそこから全身の捻転で回転する。レミリア はその場から後ろに下がろうとして、しかしこみ上げてきた咳に身体が揺れて一瞬その動 きが遅れる。  そして。  遠心力を加えた右の回し蹴りが、驚愕に彩られたレミリアの側頭部に炸裂し、勢い良く 薙ぎ倒した。 「つぅ!?」  倒れたのは、レミリアとアリス二人同時だ。身体ごと投げ出すような自らの蹴りでキャ ンバスに落下したアリスは、右足に残る手ごたえ――足ごたえ――に、すぐさま視線を映 姫へと向ける。  映姫は自分を見るアリスと、キャンバスに横になったレミリアを見て、笏を頭上へと掲 げて宣言した。 「ダウン!」  それは会場に愕然と――。  一瞬後の大歓声を生み出した。               ※ ※ ※ 「いっぱぁぁぁぁぁぁぁぁつ! ここに来てクリーンヒットはアリス選手の回し蹴り!  まさか『効く』とは思っていなかったレミリア選手、キャンバスに大の字〜!」 「狙っていたな、今のは。膝への蹴り、コーナーポスト、全部『これ』への布石か!」  絶叫のように盛り上がる会場に、文と慧音の言葉がマイクで放たれる。  全てはその通りだった。  アリスの罠は、結局はレミリアの『正解』の先に潜んでいたのだ。  最初にコーナーポストを『武器』として利用したこと。  膝へのストッピングの蹴りを連発したこと。  それらは、アリスの攻撃手段が『それしかない』と思わせる布石であった。 「コーナーポストが無くなってからが勝負だった……ってことか」  魔理沙はようやくアリスの『残り三本』の意味を理解した。それは武器として利用する ものが残り三本なのではなく、残り三本の破壊が必要だった、ということだ。  当初アリスは自分がレミリアを誘導してその破壊を行うつもりだったのだろうが、奇し くも『正解』を選んだレミリアによって、リングからコーナーポストは無くなった。  そして、その無くなったことによってレミリアが得る『アリスには攻撃手段が無くなっ た』という安心感が、アリスの狙う一撃には絶対に必要だったのだ。  慧音も己の考察を続ける。 「膝への蹴りは、吸血鬼の得意な『出入り』の動きが無駄だと意識させるため。あの回避 力もあり、吸血鬼は超接近戦へと『正解』で誘導され……」 「ええ。その超接近戦で『焦らす』ことで、レミリア選手に『蹴りを受けてでも掴まえる』 という『正解』を選択させる。と言うか、レミリア選手が『正解』するまで、回避を延々 と繰り返したのです」  勝利のために『正解』を選ばなければいけないレミリア。  『正解』の先にある罠。  その罠を全て破壊したと思った先に、最後の罠は用意してあったのだ。 「最初から彼女の狙いは『肺』。防御力が幾ら高くても、肺を叩かれれば呼吸の乱れは避 けられません。ダメージにはならないけれど、相手の動きを止めるその一発。さらにその 後の、脳を揺らすための全力の一打」  辛抱に辛抱を重ねて結果を手にする、完璧なシナリオだった。  これぞ、と文は言う。 「これぞ『魔法』! アリス・マーガトロイドの魔法が炸裂しましたー!」 「フォー、ファイブ、シックス!」 「ぐ……」  カウントが進む。  レミリアは頭を横殴りに蹴り抜かれたことで揺れる視界に、自分の『甘さ』を噛み締め ていた。 「ここまでやるだなんてね……」  掌の上で操られたという事実は、レミリアにとって屈辱ではなかった。それは自分の失 敗が原因であり、その失敗を生んだ自分の『認識不足』こそ、彼女にとっては恥以外の何 ものでもなかったからだ。 (準備運動?)  馬鹿な、とレミリアはほんの数分前の自分に舌打ちする。  油断は確かに無かったかもしれない。  真剣に倒そうとしていたかもしれない。  だが、それでも彼女が出していなかったものがある。 「……パチェに後でなんて言われるか……」  気づくのが少し遅過ぎたと、動かしにくい手足を使って立ち上がりながらレミリアは思 う。  そう、今のアリス・マーガトロイド相手では、遅過ぎる。  人形遣いが、真剣に戦うだけでは足りない――本気で戦うべき相手だったことに、レミ リアはようやく気がついたのだ。 「続」  レミリアが立ち上がり、映姫が二人に戦いの継続を指示しようと口を開く。 「行!」  その合図が終わるよりも早く、レミリアは飛び出していた。  直後、レミリアの突進にアリスの前蹴りが直撃した。               ※ ※ ※ 「入ったー! アリス選手の前蹴り、またしてもレミリア選手の胸を捉えました!」 「ぐ……っ!?」  右腕を伸ばしてアリスに掴みかかったところを狙い打たれ、レミリアが肺を貫いた再び の衝撃に顔を歪める。  肺を打たれてレミリアの動きが止まるのは一瞬だが、アリスはその一瞬に的確に攻撃を 繰り出す。前蹴りに使った左足を戻すと、入れ替わりで右足を真下から跳ね上げる。 「顎ー!」  爪先を使った蹴りで顎を蹴り抜かれ、レミリアの上半身が後ろに反り返る。反り返りな がらも、その背中から左右二枚の翼が鞭のように飛ぶ。 「レミリア選手の奇襲! しかし――」  アリスはそれに反応する。決して閉じないその両目。人形のように瞬きしない集中力で、 軸足でキャンバスを蹴って後ろに下がる。 「避ける、かわす、当たらない!」  アリスの目の前で翼が交差し、それを防御の盾としてレミリアが上半身を戻す。そのわ ずかな時間に、アリスは着地の足でさらにキャンバスを蹴って前に跳んでいた。 「アリス選手、さらに!?」  振り上げた右の踵落としが、レミリアの交差させた翼を叩き落とす。そうして開いたレ ミリアの『真正面』に、 「判断が早過ぎる! あらゆる行動に反応する! レミリア選手の穴を突く!」  踵落としの足を踏み足とした、左足での飛び出すような膝蹴りが、レミリアの胸にアリ スの体重分の破壊力を加算して打ち込まれた。 「が……っ」  それに押されて後ろにたたらを踏んだレミリアが右手で目の前を薙ごうとするが、その タイミングで肺が『咳』を要求する。 「ごほっ!」  動きの鈍るレミリアの攻撃よりも、アリスが充分に折り畳んだ右膝が飛ぶ方が早い。回 し蹴りなど放てないその近距離で、アリスはほとんど真横に寝るような勢いで身体を左に 傾ける。そうすることで自然と右足が持ち上がり、斜め下からの膝蹴りがレミリアの顎を 再び跳ね上げる。 「顎、顎、またしても顎! ここに来て、ピンポイントの打撃がレミリア選手の脳を揺ら します!」 「にん……ぎょう遣いー!」  叫んだレミリアが下からすくい上げる攻撃をしても、アリスは軽快に二歩の後退でそれ を避ける。完全にレミリアの攻撃の距離を見切って、かわし切る。  そのレミリアの劣勢に、一回戦で彼女の強さを味わった慧音が思わず呟く。 「ダメージが足まで来て、もう速度が出ない。それでも、間合いを詰めなければ何もでき ない。だから前に出るが……アリスの集中力は、それを狙い打つ」  打つ手の無い状況。  跳ね返され続けるレミリア。  完全に攻守の入れ替わったその光景。 「これが『あの』吸血鬼か? 彼女を体術だけでここまで追い詰めることができるのか?」 「ダメージが大き過ぎますね。レミリア選手の動きが目に見えて遅くなっています。もう レミリア選手も無防備ではないのに、攻撃へのカウンターで胸を狙えていますよ」  一見多く動いて攻撃しているのはレミリアだったが、実質的に『攻撃』しているのはア リスだった。レミリアの攻撃全てをかわして、カウンターの打撃を当て続けている。レミ リアのダウンまでは回避だけに専念していたので、それだけレミリアが『遅くなった』と いうことだ。  そのレミリアのダメージの深さに、鈴仙は隣にいる永琳に尋ねた。 「アリスの蹴りでも、吸血鬼の動きを止められるくらい効くんですか?」 「効くわよ」  あっさりと永琳はうなずく。 「肺打ちは、肉体というよりも肺の中身――空気を叩くのよ。空気に衝撃を与えて、その 衝撃で相手の身体に影響を与える。もちろん空気だけじゃなく、身体の中に溢れている水 分でも同じよ。自分の手の甲を掌で思い切り叩いてみなさい」 「はあ」 「血液への衝撃で毛細血管が破裂するから」 「うわあ!?」  言われるままに実践しようとした鈴仙が、振り上げた手を慌てて止める。恨みがましい 目で見てくる弟子に、永琳は何食わぬ顔で言葉を続けた。 「それにしても面白い作戦を選んだわね」 「え? ええ、まさかアリスがこんな……」 「違うわよ」 「はい?」  言いかけた言葉を封じられ、鈴仙が目を白黒させる。話の流れからしても、彼女は永琳 がアリスのここまでの作戦について言及したと思っていたのだ。  その鈴仙の疑問に、永琳は逆に尋ねるように言う。 「どうしてあの悪魔は離れてダメージを回復させないの」 「え? それは、近づかないと何もできないからじゃ?」 「そんなに安くないわよ、アレは」  永琳は文の放送や鈴仙とは意見を異にしていた。確かにレミリアはアリスに対して近づ かなければ状況を打開できないが、何も『ダメージが深いまま』突進する必要はない。 「距離を詰めればカウンターを受けるけど、距離を詰める『権利』を持っているのは悪魔 の方なのよ」  レミリアが前に出れば、アリスはそれを迎撃する。さすがにアリスでも、防御に回った レミリアの胸に攻撃を仕掛けることはできないだろう。 「なのに、悪魔は前に出る。理由は簡単よ」  つまり、と永琳は言う。 「あの子を、わずかの時間も休ませたくないんでしょうね」  同じ結論に達したのは、放送席の慧音だった。  文が景気良くアリスの攻勢を叫ぶ横で自分が経験した『レミリア』と比べていた慧音は、 やはり今のレミリアとそのイメージの差に違和感を覚えていた。 (彼女は馬鹿じゃない。罠から逃げる性格じゃないが、勝機を見逃すタイプでもない)  それならば、 「わざと無謀に攻めて、アリスに迎撃させ続けている?」  そして、それを一番感じているのが、攻めているアリス本人だった。  レミリアが進み出る。  無造作に――まるで当たらなくても構わないとでもいうふうに、腕を振るう。だが、そ れはアリスが全力で集中しなくては避けられない速度。  だから、アリスはその動きが発生する前に、その『起こり』を見逃さずに避ける。避け て、レミリアに生まれた隙に付け込んで蹴りによる肺への打撃を命中させる。  レミリアの動きが止まり、次に今度は頭部へのピンポイントの打撃。肺への攻撃を行っ た姿勢から、一番威力のある攻撃を選択して、実行。  一撃を受けたレミリアが後退しかけ、そこからまた前に出る。  それが繰り返される。  まるでダウン前に行われていた『無造作に距離を詰めて攻撃する』をなぞるように、何 度も何度も繰り返す。 (この……っ)  そのしつこさに、アリスは攻勢ながらも危険を感じていた。  まさか、だ。  アリスが避ける。         レミリアの拳が繰り出される。  アリスのカウンターが入る。  アリスの一撃が入る。  アリスが避ける。        レミリアの拳が繰り出される。  アリスのカウンターが入る。  アリスの一撃が入る。  アリスが避ける。      レミリアの拳が繰り出される。  アリスのカウンターが入る。 「…………っ!」  アリスの頭部への回し蹴りを、レミリアが腕で弾いた。  アリスが避ける。     レミリアの拳が繰り出される。  アリスのカウンターが入る。  アリスの頭部への顎への膝蹴りを、レミリアがかわした。  アリスが避ける。    レミリアの拳が繰り出される。 「は……はは!」  レミリアが笑う。笑って、アリスのカウンターの後ろ蹴りを胸の前で鷲掴みに受け止め る。  アリスが避ける。   レミリアの拳が繰り出される。  レミリアがアリスのカウンターを払い落とす。  アリスが避ける。  レミリアの拳が繰り出される。 「づ!?」  レミリアの拳がアリスの右肩をかすめて、アリスはそのビリッとした痛みに小さな声を 漏らした。  それが集中の限界だ。 「そ、んな……む、無茶苦茶よ、この……っ!」 「あはははははは!」  全身の毛穴から堰が崩れたように吹き出した汗にアリスが毒づくと、真逆にレミリアは 汗一つない綺麗な顔で哄笑を上げる。ダメージはない、と余裕を見せるかのようだ。 「これは、どういうことです?」  その再びの攻守の交替に、放送席の文はついていけない。そこで何が起きたのか理解し ている者は会場に少なく、そして文の隣にいる慧音はその数少ない内の一人だった。 「あれは」 「集中力の限界」  慧音と異口同音に言ったのは、やはり驚いていた鈴仙の横にいる永琳だ。彼女は肩をす くめ、むしろ自明の理を告げるように自らの弟子に言う。 「人は永遠に集中状態を維持できるものではないわ。精神力だって、体力と同じで使えば 疲労するの。常に気を張っていることは、それは脳にとって大きなストレスなのよ。だか ら、適度に集中を緩めて強弱の幅を作るのが『持続』のコツなわけなんだけど……」  レミリアは、その『脳を休める時間』をアリスから奪った。それは呼吸を止めて水に潜 るのに等しい。  さらに、 「しかも、あれは『須臾の領域』」  そう続けた永琳の目が冷たくなる。 「一瞬を数百に分ければ、それを認識する疲労も数百倍。たかが地上の妖怪ごときが姫の 真似事なんて、不遜にもほどがあるわ」  それが入り口を覗いただけにしてもね、と永琳は締めくくった。  それを黙って聞いていた輝夜は、 「たまには私が説明役をしてみたかったわ……せっかくさっき思わせぶりに振っておいた のに」  仮初めの須臾とか、と少しスネた。  ともあれ、そうして全ての『仕組み』を理解した鈴仙は、しかしそれだけに背筋が寒く なった。 (つまり……そういうこと? あの吸血鬼、『いつまで続くかわからない』アリスの集中 が途切れるまで、打たれ続けるつもりだったってこと!?)  馬鹿げてる、と鈴仙は叫びたかった。  叫びたかったが、リングの上では勢いを取り戻したレミリアの攻撃が繰り出されている。  それを凌ぐアリスは、自分の目論見が脆くも崩れ去ったことを実感していた。彼女はレ ミリアが『正解』を選んで一呼吸の間合いを作ると思っていたのだ。 (さすがに、そう簡単には行かないわね……っ)  離れてくれて良かった。回復するまで時間を稼いでくれて良かった。何故なら、アリス はレミリアを攻めて『倒そう』とする気など、最初からなかったのだ。  その事実に、ようやく文も気づく。 「まさかプライドの高い吸血鬼がこんな無様な作戦を実行するとは驚きですが……しかし そのおかげで、ようやくアリス選手の目的がわかりました! アリス選手、おそらく狙っ ているのは『判定勝ち』! 前のラウンドから積み重ねた布石は、全て『肺打ち』を武器 に見せかけた、『攻める気のない攻め』です! そして、時間は――」  文の目がチラリと砂時計に向かう。  その残りの量は、 「あと二分! なんと、圧倒的な攻撃力を誇る吸血鬼相手に、十分間戦い抜いての判定勝 利狙い! 耐久力で集中力を破ったレミリア選手も無茶苦茶ですが――」  誰も狙わないようなこと。  不可能に近い故に盲点だったことを狙う少女。 「アリス選手も、充分に無茶苦茶です! さあ、残り時間はわずか二分、いえ、一分五十 秒! 一ラウンドを優勢に戦い、このラウンドも充分に優勢だったアリス選手、このまま 逃げ切れば、判定勝ちは間違いありません!」  つまり、そう言うことだ。アリスの狙いはその通りだった。  アリスがレミリアに勝つには、レミリアの想像の『上』を行かなければならない。近距 離戦闘が『肉弾戦』で『倒すこと』と考える魔理沙やレミリアのわかりやすい直球の思考 には無い手段を、彼女は選んだのだ。  そして、その手段は最終段階に入った。 (残り二分弱……耐えられる!)  だが、忘れていた疲労に襲われた脳はずっしりと重く、レミリアの連続攻撃がさらに意 識を散らしていく。  終盤に来てのレミリアの無尽蔵とも思える手数に、文は言う。 「レミリア選手、アリス選手の逃げ切りを防ごうと攻める、攻める! まだクリーンヒッ トはありませんが、この勢いがアリス選手を飲み込むのは時間の問題です!」  試合の流れはアリスから始まり、レミリアに移った。集中力の切れたアリスがレミリア の攻撃を二分間耐え切ることは不可能だと文は判断していた。  ――が。 「何か勘違いしてるわね」  そう呟いたのは、レミリアのダウンの際に立ち上がったままのパチュリーだった。彼女 は分厚い本の頁を手馴れた様子で開き、再びそこに視線を落として独り言のように言う。 「全員不正解。レミィはそんな複雑なこと考えていない」  あれは、と。 「ただ『作戦無し』で攻めているだけ。『真剣に勝つ』から、『本気で捻じ伏せる』に切 り替えただけよ」  それは微妙な違いであったが、重要な違い。  油断せずに真剣に倒すのと、己の全精力を傾けて倒すの違い。  そもそも、大きく腕を振って攻撃する度にレミリアの足が『揺れる』のをパチュリーは 見逃していない。レミリアの動きは、アリスが集中力切れを起こすまでの連続被弾のせい で明らかに衰えている。アリスの動き自体が悪くなっているせいで、それが目立っていな いだけだ。  空元気の笑みを浮かべながらアリスに向かうレミリアを見て、パチュリーは肩をすくめ るしかない。  ――準備運動なんてとんでもない。 「必死ね、レミィ」  レミリアにも余裕はない。  二人のうちどちらに勝利が与えられるのか――それは、残り二分の中での我慢比べにな ったと言ってよかった。               ※ ※ ※ (そう、策なんていらないわ……っ)  腕が重い、と思いながらレミリアは左右の巻き打ちを放つ。左右に薙ぐ攻撃が多くなる のは、直線の打撃よりもそちらの方が回避が困難だからだ。直線の動きはわずかに横にズ レれば避けられるが、巻き込む動きは大きく身体を捻らなければ避けられない。 (私は普通に攻撃を『押し付ける』だけ。それだけで、それが最善の策となる……!)  左右に、左右に、愚直に繰り返す。  それしか知らない子供のように繰り返す。  『それだけ』で良い。 「どうしてかわかる!?」  言葉が口をついて出る。  疲労しながらも、レミリアは少しも弱気になどなってはいなかった。 「私は『夜の王』! 運命は、私が歩く道に勝利を与えてくれる!」  覚えておきなさい、と彼女は叫ぶ。 「私が打てば、それは――」  右拳を握り締める。折り畳み、背中に隠れるほどに捻って溜める。  それを、 「絶対に当たる運命!」 「!?」  叩きつける。  ついにアリスの集中力が途切れ、肩口に拳が命中する。その一撃がアリスの身体を真横 に吹き飛ばし、足が浮いて完全に身体の自由を失った少女向かい、レミリアは両足をたわ めて最後の力を込める。  そして。  渾身のクレイドルが、目にも止まらぬ勢いで弾丸のようにレミリアを撃ち出し、アリス の顎をその頭突きで斜め上へと打ち抜いた。 「――――!」 「アリス!」  アリスの苦痛の叫びなどなかった。ただ、そのクレイドルが炸裂した瞬間に赤いものが 空間に散り、声を失った少女の代わりに魔理沙が悲鳴を上げた。  その声に――。  背中からキャンバスに落下しかけたアリスが、左手をついてそれを逃れた。  左手、両足、と順番に着地して、アリスは態勢を立て直す。  だが、起き上がったアリスの上に、クレイドルで上空に舞い上がったレミリアの影が落 ちる。  その影が、 「これで、終わりよ!」  駄目押しのサッカーボールキックで、少女の顔をさらに弾き飛ばすのだった。               ※ ※ ※ 「あ、悪魔だ……っ!」  容赦のまったくないその最後の一発に、鈴仙が自分の顔を押さえてゾッと表情を歪める。 アリスの身体が、今度こそ力を失って、大の字になってキャンバスに叩きつけられた。  バンッ、と激しい激突音が暗雲の空まで響き渡る。  直後、間髪を入れずに映姫の笏が頭上に上がって宣言される。 「そこま――」  宣言が終わる間を与えず、アリスが跳ね起きる。  は?  という空白の一瞬。  レミリアでさえ目を丸くする、そのダメージを感じさせない簡単な起き上がり方。  クレイドルの一撃で口の端から血の筋を流し、すでに顔も上げる気力もないのか、完全 に俯いた状態で――。  それでも、彼女は立っていた。  その光景に、永琳は感心したようにうなずく。 「レミリア・スカーレットは『悪魔』に間違いないわ。でもね、ウドンゲ」  アリスを指差して言う。 「あれも、『魔人』の類よ」  永琳が示しているのは、アリスの右手――その指だった。  それで鈴仙も思い出す。 「ゆ、指だけ動けば、全身を動かせる!?」 「まあ、折れば別でしょうけど、『ダメージ』じゃ倒れないわよ、あれは」  残り一分。  人形遣いは倒れない。               ※ ※ ※ (さ……すがに……)  痛いなぁ、と割れそうな一発を受けたアリスは完全に一瞬暗幕に落ちた視界を確保する。 霞んだ映像の中で、レミリアと思しき塊が目の前に立っているのを彼女は確認した。  すると、 「あ〜、痛みとか感じてるでしょ?」  レミリアが信じられないという声で尋ねてきたので、アリスは時間稼ぎも兼ねて応えた。 「感じないわ」 「本気で痛くないの?」 「痛くないわ」 「……あなたから買った五寸釘が欲しいわね、今凄く」  レミリアの『信じられない』は、ついに『呆れた』に変化して、吸血少女は頬をポリポ リと掻く。  それに対して、開いた口から血が垂れて服に落ちるのに渋い顔をしながらアリスは思う。 (きついわね……一分間、『このくらい』のをもらい続けるっていうのは)  正直、気が遠くなるほどに痛かった。  アリスの用意していた手札の中で最後のものが、この『倒れない』ということだ。人体 を研究し、指先一つで自由自在に操れるようになった『成果』がこれだ。  だから、アリスは痛みの辛さの中でも、唇の端に笑みが浮かぶのを止めない。 (でも、勝った)  アリスは残り一分弱、『右手』を破壊さえされなければ、それで良い。ダメージの深い 今のアリス相手であっても、的の小さな右手にピンポイントで攻撃を当てることは、レミ リアには難しい。 (……痛いのは、我慢!)  覚悟を決め、アリスは一番最初の構えに戻る。  彼我の距離は中距離。左半身をレミリアに向け、右手を死角に隠してアリスはレミリア の前に立った。 「残り四十秒!」  文の声が十秒ごとに時間を刻む。  その残り時間を聞きながら、レミリアは両の拳を握り締める。小さな拳に力を込め、人 形遣いの呆れるほどの『勝利への魔法の種』の数に、その一つずつを思い出す。  一の魔法は、自らを操る器用さの糸。  二の魔法は、糸を引っ掛け、緊急回避を可能とするコーナーポスト。  三の魔法は、レミリアに自爆させ、ダメージを与えるコーナーポスト。  四の魔法は、中間距離を封じる膝へのストッピング。  五の魔法は、近距離での回避力の要の集中力。  六の魔法は、二から五の魔法で導き出す、肺打ちの一撃。  七の魔法は、気づいた時にはもう遅い、時間切れの罠。 「七色、ね」  確かアリスの二つ名もそのようなものだったとレミリアは記憶している。故に、彼女は この試合を『そういうもの』だと理解した。 「ふふっ。あなたとはゆっくり話したことはなかったけど……この十分で、お釣りが来る わね」  たっぷり十分間お話ししようと言ったのは、確かにアリスの方だったのだ。結局自分は その運命に巻き込まれることになったのだと、レミリアは思わず笑ってしまう。 「ええ、なかなか素敵。私好みの子だったのね、アリス」  つまり、アリスはやり遂げたのだ。 「この私相手に、自分のやりたいことを『押し付けて』みせた」  一つ一つ、自分にできることを確認するかのような試合運び。  レミリアの行動を『邪魔する』というよりも、自分の好きなように『操って』みせたそ の手腕。  この試合の間一貫したその姿勢は、 「実験台にしたわね、この私を?」  レミリアに『勝つ』ことが目的ではなく、レミリア『で』技術の成果を試すことが目的 だったということだ。  それを知って、レミリアの笑顔は止まらない。  テンションが上がる。決勝まで、徐々に上げていこうとしていた、戦うためのテンショ ンが。  すでに頭部へのダメージは深く。  少し吐き気がして。  足の踏ん張りも怪しくて。  殴れるとしたら、あとせいぜい二、三発。 (よくここまで追い詰めてくれたわ!)  それでも、盛り上がった気分は疲労を無視させる。軋む身体を無理矢理動かし、レミリ アは今度こそ最後の力をもって身体を左に捻った。左の拳を力強く折り畳んで構え、右の 手を手刀の形で左肩に添える。 「残り三十秒! レミリア選手、打撃の構えに入ります! 一分の半分の時間で、アリス 選手を倒せるだけのダメージを与えられるのか!? どうでしょう、店主?」 「また僕に訊くのかい?」  砂が落ちる。  映姫が笏を掲げて終了の合図の構えに入る。 「これは試合開始の時とは立場が逆転したと考えていい。アリスがレミリアへの攻撃を頭 部に絞るしかなかったように、レミリアもアリスの頭部を狙って、一発で気絶させるしか ない。しかし、まあ彼女の回避力を考えれば、頭狙いはほぼ不可能だと思うね」 「同感だ。彼女の疲労から考えても、狙えるのは胴体のみ。だが、それでは――」 「ダウンは奪えても、『指』の動きまでは奪えませんね」  順番に霖之助、慧音、文が感想を連ねていく。  レミリアが呼吸を整え。  アリスがそれを待ち構え。 「試合前と同じで代わり映えしないが、もしレミリアが一撃で相手の『指』の動きまで止 めるダメージを与えることができたなら、それは」  やはり、 「『魔法』と言っていいだろうね」 「残り二十秒!」 「っ!」  そこでレミリアが動いた。  ギリッ、と噛み締めた牙を剥き出し、少女は上半身を左に『溜め』、今の自分に出せる 全速力でアリスに向かって踏み込んだ。 「ここに来てその速度ですか!?」  天狗の放送を置き去りにする速度で、レミリアは左の肩口から右手の手刀を繰り出す。 閃光のようなそれが自分の顎を狙おうとしているのを『認識』したアリスは、半歩退きな がら保険として顎の前に自分の左手を配置する。 「つっ!?」  ガツン、と衝撃が左肩に奔ったのは、その瞬間だ。  レミリアの手刀は指の部分でアリスの顎を狙い、そして『手首から肘』にかけての部分 でアリスの『左肩』を引っ掛けていた。  そのままレミリアが右の手刀を振り切ると、顎への攻撃は回避しながらも手刀の『柄』 に肩を押されてアリスが『回転』する。  左肩をレミリアに向けていた状態から、真正面向きへと。 「しま……っ」 「アリスは七色。でも、レミィにも一色の魔法があるわ」  それは赤より紅い鮮烈な一閃。 「『レッドマジック』」  パチュリーの言葉と、レミリアが最後まで溜めていた左の拳が真っ直ぐにアリスの胸元 へと叩き込まれたのは、同時だった。  ドン、という音と共にアリスの胸に胸骨が砕けそうな衝撃が響き渡り、それは一発でア リスの呼吸を奪う。電流が胸から全身に回り、血管という血管が破裂したかと錯覚する。 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」  響いた。  それは重く、致命的な一撃だ。  ――『普段であれば』。 「ぐ……」  自分がレミリアに叩き込み続けた肺打ちの効果を喰らいながらも、アリスは倒れなかっ た。レミリアの左の拳が胸に突き刺さり、その状態のまま二人の動きが止まる。  否。 「アリス……」  レミリアが震える拳をアリスの胸から引き戻す。一撃必殺とならなかったその小さな左 拳を再び固め、大きく振りかぶり、 「マーガトロイドーーーーーーーーー!」  それがアリスの斜め下から、後ろ足の踵から拳の先までが一直線になるような軌跡で放 たれる。身体全身で打ち込んでくるそれを、アリスは回避しようと右手の指を動かした。 「!?」  動かしたつもりだった。  しかし、アリスの『指』はピクリとも動かない。 (身体が――)  直後、ドクン、と心臓が跳ねる。  血が流れ始める。  指が反応するが、それはもう遅い。 (心臓を止めた……!?)  驚愕に染まるアリスの顎を、レミリアの一撃が跳ね上げてキャンバスに叩き倒す。足が 浮き、頭を始点に回転するようにしてアリスがキャンバスに落下する。  ズダーン、という音に、自らも崩れ落ちかけたレミリアは、それでも両足で足場を踏み しめて堪えて口を開く。  言うのは、 「Heart Break」  そのひとこと。  映姫がアリスのダウンを宣言し、 「ダウン! ワン――そこまで! タオル投入を認めます。勝者、レミリア・スカーレッ ト!」  魔理沙がリングへと投げ込んだタオルが、長かった十分間の戦いの終止符となった。               ※ ※ ※ 「けっっっっっちゃーーーーーーーーーーーーーーーく! 残り時間十余秒! 逆転につ ぐ逆転、驚きにつぐ驚き、無茶苦茶につぐ無茶苦茶の一戦の最後は、タオル投入によるT KO! レミリア・スカーレット選手が、激戦を制し三回戦進出を決めましたっ!」 「決着はTKOになったが、これは実質KO勝利だな。審判がカウントしたということは、 まだアリスには戦闘意欲があったんだろうが……まあ、セコンドの判断は妥当だと思うぞ」 「同感だね」 「ところで、湿布いただけませんか……たんこぶが……」  劇的な幕切れに沸く会場の歓声に文、慧音、霖之助、それから阿求の声が重なる。  拍手とおひねりが観客席からリングに向かって飛び、それらはそこに立つレミリアに触 れる前に、咲夜の抱えたザルの中に消えていく。  納得がいかないのが、ここまで様々な疑問を抱えてきた鈴仙だ。 「結局、最後のはアリスの集中力が途切れて止められなかった……ってことですか?」  そろそろ解説を師匠にお願いすることに抵抗を感じなくなってきているような気もした が、それでも他に尋ねる相手もおらず、鈴仙は永琳を見る。  そして、その辺り付き合いの良い永琳は「少しは自分で考えなさい」というジト目で弟 子を眺めつつ、 「あれは心臓打ちよ。基本は肺打ちと同じで、胸の左右を叩くか、中心を叩くかの違いね。 胸の中心部は一番筋肉が薄い場所だから、肺打ちよりもダメージにはなりやすいわ」 「あ〜、それでアリスの『指』を止めたってことですね」 「普通に打っても、ああはならないわ。心臓打ちで『響かせる』どころか、『鼓動と神経 系の働きを止める』だなんてね」  ポイントは、と永琳は言う。 「打ち込んだ瞬間、拳を『止めた』こと。便利だから、あなたも覚えておきなさい。重心 の中心である鳩尾よりも上の部分を叩く場合は、打ち抜くより止めて『残す』。打ち抜く と、立てた棒の中心より上を叩いたように『倒す』攻撃になってしまうわ。――繰り返す けど、あの悪魔の腕力があるから一撃で動きを止められたのよ。あなたは狙うにしても、 回数を重ねるつもりでいること。いいわね?」 「は、はい!」  本当にこの大会は勉強になるなぁ、とメモの用意を始める鈴仙なのであった。  で。 「はぁ〜……良い運動だったわ」 「お〜、余裕か。全然か?」 「来たわね、無粋者」  レミリアが戦いの余韻に浸るようにして大きく伸びをしていると、上海人形を手にした 魔理沙がリングに上がってくるところだった。  魔理沙はレミリアの横で大の字になっているアリスを見下ろすと、その瞼が閉ざされて いることを確認してから、 「このスカートも、あれか? あの特別な糸か?」 「案外安物ね」 「こ、こらこら、何やってるのっ!」  魔理沙とレミリアにスカートを摘み上げられ、アリスが慌てて身を起こした。そうして、 すぐに顔をしかめて口元を押さえる。 「いたぁ〜、ガクガクしてるじゃない、もう〜」 「あなたも魔法使いにしては頑丈ねぇ。パチェとは大違い」  その元気の良い姿に、レミリアが呆れたようにそう言った。アリスは確かに大ダメージ を受けてはいたが、とりあえず『指』が動けば行動だけは可能なのは先ほどまでと変わっ てはいなかった。  そして、単純なダメージというのであればアリスよりもよほどレミリアの方が大きいは ずであったが、彼女はふむと軽く眉根を寄せると、 「あ」  驚くアリスと魔理沙の目の前で、その幼い身体が一瞬にして真紅の『群隊』に変わる。 ズルリと部品がズレるように無数の蝙蝠が『レミリア型』を崩し、雪崩式にリングの上を 滑る。そこから横向きのJの字を描くようにして空へと舞い上がり、再びアリスたちの前 に集合した。  バタバタバタバタと激しい翼音が歓声すら飲み込むほどに鳴り響き、それが収まった時 には、 「服は、後で着替えないとね」  ダメージのすっかり抜けた、完全体のレミリア・スカーレットが復活していた。  あ〜、とその再生を目にしたアリスと魔理沙は目配せし合う。 「……魔理沙、どう思う?」 「いや……羨ましくないぜ?」 「あら、羨ましいなら、すぐにでも――」 「遠慮しておくわ」 「お日様に顔向けできない人生は送ってないぜ」  速攻で、二人は両腕で×の文字を描くのであった。  ともあれ。 「いたたた……」  アリスが数体の人形に吊るされるようにして立ち上がると、レミリアはザルを抱えた咲 夜を後ろに従えて言う。 「面白かったわよ、七色の魔法。後で、品と質と格の揃った最高のアフタヌーンティーに ご招待するわ」  その言葉を残し、レミリアはリングを降りていく。最初に上がった時に比べ、コーナー ポストもロープも無くなって、実に降りやすい状況だ。  それを見送ったアリスも、魔理沙を促して歩き出す。  ――のではなく、 「あ〜、なんか前も見たな」  人形に両腕、両肩を掴まれてリング外へと引きずられていくアリスの姿に、魔理沙は腹 を抱えて大爆笑するのだった。  それに憮然としつつ、 「まあ、実験は充分できたし、これで良し! よ」 「そうそう。これで良し」  アリスが言えば、上海人形が相づちを打つ。爆笑で浮かんでしまった涙を指で拭う魔理 沙には、結局それが腹話術なのかどうかもわからないのであるが、とりあえず気になって いることを一つ訊く。 「そう言えば、なんで今までは今日みたいに自分を操っていなかったんだ? あれができ るなら、弾幕ごっこでも色々有利じゃないか?」 「あのねぇ。この子たち扱いながらそんな余裕無いわよ。それに、魔法使った方が強いに 決まってるんだから」  苦虫を噛み潰したような顔で応えるアリスに、魔理沙はふむとその意味を咀嚼してから おもむろにうなずくと、 「安心したぜ」  そのように、少しホッとしたように言うのだった。  ――そして。 「なあ、アリス」 「なに?」 「大道芸人になれ」  『約束』に、アリスが凍りついた。                         『Bブロック第1試合』――決着!