東方殴り巫女伝説 〜Bare Knuckle Players〜 1回戦 Dブロック第1試合 プリズムリバー三姉妹 VS 藤原妹紅 ※ ※ ※ 一回戦も最終のDブロックになると、最初は戸惑っていた観客たちも賭けや応援のスタ ンスを確立したようで、試合間のしばしの休憩時間に自分たちの席の位置を入れ替えてい た。 談笑しながらぞろぞろと移動するのは、赤コーナー寄りと青コーナー寄りに分かれる、 いわゆる応援席の交替だ。自分たちが応援する選手に近いコーナーをその陣営の応援席と 設定しているため、それがそのまま賭け率の多寡を視覚的に教えてくれる。 「けっこういるかな、私にも」 自らの青コーナー裏に集まった観客たちを眺め、妹紅は愉快そうに破顔した。両手を洋 風にアレンジした差貫の隠しに入れてリラックスしたそれは、お祭りごとを楽しむ屈託の 無いものだ。 普段は腫れ物に触るように自分を避ける妖怪たちが、自分の『強さ』というものだけは 評価して身銭をかけてくれる様は、彼女にとってなかなかツボに入る『笑いごと』なのか もしれない。 そして、 「少なくとも、あなたよりは賭け率いいと思わない?」 「……私は相手が悪い。お前もあまり油断するな、相手は三人だぞ?」 「ふぅん」 意地悪く軽口を叩かれて唇を尖らせるのは、先ほどまで放送席に座っていた慧音である。 妹紅のセコンドについた彼女は、リングの上で緊張のきの字も見せない妹紅の姿に呆れた ように忠告するのだが、地につきそうなくらい長い髪の少女はそれを聞き流して白毛を指 先でいじくるお気楽ぶりだ。 鼻歌交じりに、ひとこと。 「何人いても同じこと」 肝だけは据わってるのよ、と妹紅は発見した枝毛に肩をすくめる。 「ストレスかな〜。肝にも悪いかなぁ?」 「肝々言うな。だから少しは緊張を――」 「そう言えば、半人半獣の肝というのは食べたことがない」 「喰うな!」 不穏当な言葉に、がうっと慧音が吠える。その剣幕に一瞬きょとんとし、それから妹紅 は何がおかしいのか、こみ上げてきたものを堪えられないというふうに肩を震わせて、腹 を抱えて笑い出す。 「ぷ、くく、あはは! そうかそうか! いや〜、怖がらなくていいのよ、お嬢ちゃん。 頭が良さそうな連中の肝は決まって硬い。特にお前のは格別に硬そうだ」 「……悪かったなっ」 馬鹿にされていると思ったのか、慧音は顔をカッと朱色に染めて妹紅を睨む。だが、自 称『年上』の少女はそれを笑いの涙を浮かべた目で簡単に受け止め、 「あ〜、悪かったね。うん、若もんらしくてよろしい。最近は可愛くないのが多くてさ。 巫女とか」 魔法使いとか、と妹紅は指折り数える。そのようにしている姿は、少し世慣れた気さく な少女といった感じだ。それでいて肌は色素が抜け落ちたように白く、青い血管が透けて 見える頼り無さ。白雪の髪など色どころか魂が抜け落ちたようで、死衣装を着せればその まま幽霊役が務まりそうな少女であるのだが――。 「あとはメイドとか〜」 と続ける表情は、感情豊かで生命感に溢れたものだ。服装も肌の透けない厚手のブラウ スに差貫をサスペンダーで吊るすという飾り気の無いもので、深窓の姫君を思わせる容貌 とはずいぶんとギャップがある。 ともあれ。 藤原妹紅。不老不死の人間。彼女は実に幻想郷の『妖怪らしい』性格をしているのだっ た。感情豊かで、コロコロ言動を入れ替えて何が真実かわからない胡散臭さなど、まさに 『もののけ的』を感じさせる少女だ。時代を経た今においてわざわざ狩衣の延長にあるよ うな格好を好むのも、冗談を含めた彼女一流の自己表現なのだろう。 そのような彼女の陽気さに、慧音もついには毒気を抜かれて苦笑する。 (まあ……確かに蓬莱人のこいつなら、試合程度で大事には至らないだろう) 心配するだけ無駄な連中というのが、幻想郷にはありふれているのである。 ※ ※ ※ 一方、赤コーナーでは件の騒霊三姉妹が集まって相談ごとをしていた。 こちらも青コーナーに負けず劣らず無邪気で華やかで、むしろかしましいくらいに言葉 が飛び交っているのだが、その内容はやはり同じように『妖怪らしい』ものであったりし た。 「だから、何度も言ってるじゃん。最後は私が決めるって! 私の音が一番偉いじゃん!」 「駄目よ、リリカ。今日は私が絶好調。二人には悪いけど、やっぱり私の音が一番よね!」 「冷静になりなさい、メルラン。地につかない音は足元を払われるだけ。冷静になって、 そう、冷静に……ほら、冬には私の音が一番良いと思わない?」 リリカが我が侭いっぱいに主張し、メルランが勢い良く反駁し、そしてルナサが静かに 威圧する。 自分が一番、というのは妖怪ならば誰しも主張することであるが、プリズムリバーの三 人は姉妹の中でもそれを競い合う。日常的なその光景は、手段が『音』から『格闘』に変 わっても、なんら変わることはない。 「楽しそうねぇ」 そんな『三人寄れば』を体現したような三姉妹の姿に、リングサイドに陣取った西行寺 幽々子は朗らかに微笑んだ。プリズムリバーのお得意様である白玉楼の主は、赤コーナー 側の筆頭賭け主として応援に参上しているのである。 「そうですねぇ」 幽々子がいるということはもちろんその従者である妖夢もいるというわけで、その空間 は冬場ということを差し引いても生者にはきつい体感温度になっていたりする。 そのような極寒の地で、妖夢は幽々子に酌をしながら思い出した。 「プリズムリバーの方々と言えば、幽々子様と一緒に舞踊のお稽古をしたことがありまし たね」 「懐かしいわねぇ。いつだったかしら?」 思い出せない、とばかりにお猪口片手に首を傾げる幽々子の姿に、妖夢は半ば予想して いたのか苦笑する。 「それほど前でもないんですけど……まあ、いいです。あの動きを見れば、あの三人が格 闘ごっこにおいてとても有利なものを持っているのがわかります。もし二回戦で当たった なら、油断できませんよ」 「妖夢も大変ねぇ。あの蓬莱人が負けてくれるのなら嬉しいけど」 「幽々子様のお話ですっ」 まるで他人事のような幽々子に、妖夢は「この人はトーナメント表を見ているんだろう か?」と疑問に思ってしまう。 だが、すぐに気づく。 (あ〜) 妹紅の敗戦を喜ぶこと。 それはそのまま、天下無敵の西行寺幽々子が蓬莱人と二回戦では当たりたくはないと気 にしたということではないのか。彼女にとって重要なのは、プリズムリバー云々ではなく、 妹紅が勝ち上がってくるかどうかではないのか。 (苦手って言ってたしなぁ……) 白玉楼を訪れた八意永琳、そして竹林での肝試しで出会った藤原妹紅。それぞれ冗談め かしながらとはいえ、妖夢が『怯える幽々子』を目にしたのは後にも先にもそれきりのこ とだ。その姿は、妖夢の脳裏に『珍しい幽々子様の図』として克明に焼きつけられている。 (でも) 妖夢は幽々子が不安に思う妹紅の二回戦進出の可能性は、かなり低いものだと思ってい る。彼女はプリズムリバー三人のことを多少とはいえ見知っており、それ故にその戦いの 『有利さ』も理解しているのである。 だから、妖夢は自信を持って言った。 「大丈夫です。もし三人が上手く連携するのであれば、蓬莱人を倒す期待は大です」 今回の大会用にほんのわずかだけ貰ったお小遣いを、プリズムリバーの勝利に賭けてい る妖夢なのである。 ※ ※ ※ 「さあ、一回戦も最終ブロックとなり、試合を控えた選手も残り八名となりました。この 十名が行う四つの試合の結果により、残った四組の二回戦進出者が決定するわけですが、 まず初戦に登場するは皆さんお馴染み『お騒がせ演奏隊』プリズムリバー三姉妹! 対す るは『不死身とか嘯く妙な人間』藤原妹紅選手となっております!」 幻想郷でも人気の少女演奏隊の出番ということで、文はことさらに声高らかにその名を 呼んだ。彼女の発行する『文々。新聞』でも何度も取材対象になったプリズムリバー三姉 妹の知名度は、『文々。新聞』の発行部数の少なさに反比例するかのように高い。 だが、そのテンションの盛り上がりに水を差すように、慧音は言う。 「八名じゃなく、十名なんだがな。これはいいのか、三対一」 「ま〜、あの人たちは三人一組が基本ですので」 慧音が突っ込んだ通り、今リングの上には四人の選手が揃って閻魔に説明を受けていた。 三対一という変則試合だけに、特別なルールがあるのは仕方のないことだ。 そのルールを会場の皆に伝えるために、文は手帖を開く。 「え〜、選手たちも今説明を受けているところですが、この試合の特別ルールをお伝えし ます。三人で戦うプリズムリバー三姉妹のダウンに関しては、全員が同時に倒れている場 合にのみ適用されます。つまり、一人だけでも立っていれば、残り二人がノックアウトさ れていても試合は続行となります。その代わり、妹紅選手の数的不利を考慮し、試合は一 ラウンドの短期決戦。しかも一ラウンド終了の時点で妹紅選手が立っていた場合、どのよ うな劣勢であろうと無条件で妹紅選手の判定勝ちということになります」 つまり、妹紅は三人を相手にしなければならないので不利だが、体裁にさえこだわらな ければ逃げ回っても勝利を得ることができる。また、プリズムリバー三姉妹は数では圧倒 的に有利だが、勝つためには確実にKOを狙いにいく必要がある。 そういう、お互いに一つずつの有利不利を抱えたルールだ。 それを理解し、妹紅は「要するに」と一人納得する。 「要するに、私が『勝つ』には三人殴り倒さないといけないってわけね」 「姉さん姉さん、あんなこと言ってるよ?」 不遜にも言ってのけた妹紅に対し、末っ子のリリカは自分より背の高い姉たちの間に挟 まれて耳打ちする。それは耳打ちとは言っても妹紅にも聞こえる声の大きさで、応えるル ナサも隠す気もなく言ってみせる。 「そう。お祭は人を高揚させる。でも、高揚しすぎると周りが見えなくなる。それで気づ いた時には……大きな恥をかいているわ。あれはその典型」 「うふふ。一番美味しいのは程よく熱したやわらかいお肉だものね。高揚しているくらい がちょうどいいわ。姉さん、リリカ、今日はご馳走よ!」 三人肩を寄せ合っての、妹紅に聞こえるひそひそ話。そうやってお互いに挑発を終え、 三人と一人は視線を交換し合った。 『KOで決めてやる』 という意志がお互いに瞳に表れる。プリズムリバーにとっては当然のことだが、妹紅の 方も、逃げ回って五分間を待つような性格ではない。 (たかだか五分。千年に比べると、ちと短い気もするけど……) チラリと妹紅は一瞬だけリングサイドに目を遣った。 そこにいるのは、兎の目立つ大集団。賭けの胴元として兎の出入りも激しい、永遠亭の 者たちが席を確保した一角だ。 その中央にいる、肘掛に肘を乗せてくつろいだ一人の少女。面白げに視線を向けてくる その黒髪の少女に、妹紅は自らも好戦の笑みを返してから、再び三人の敵に視線を戻した。 思うのは一つだ。 (あいつにかけた時間の万分の一でも、こいつらに使うのはもったいない) だから、妹紅は言う。 あの少女――蓬莱山輝夜が一回戦を快勝したからこそ、対抗するように、 「一人一分だ」 人差し指を天に向かって突き立て、そう言った。 それに対して「ほう」と目を細めたのはルナサで、彼女はしかし妹紅の高まるテンショ ンを抑え込むように呟く。 「多分、そんなことにはならないわ」 「ライブは五分ぎりぎりいっぱい。当然そうでしょ?」 「それで、最高のライブでお客さんを楽しませるの!」 リリカ、メルランの順番で言葉を引継ぎ、彼女たちは散開した。リリカが真っ直ぐに数 歩下がり、長女と次女はそれぞれ左右の斜め後ろにステップを踏む。 そうして姉二人が赤コーナーと三角を作る左右の『辺』のロープに背中を預けたタイミ ングで、空からリリーホワイトが舞い降りた。 それを見届け、 「さて、このルール、どちらにとって吉と出るか! それでは三対一の変則マッチ、試合 開始となります!」、 「始まりですよ〜」 文の言葉と春の妖精の宣言が、ほぼ同時に会場に響き渡った。 ※ ※ ※ 「三人一緒の方が手間がかからなくていいんだけどね」 「成功するライブの秘訣は、一番実力のある演奏家がまず観客を引きつける!」 試合開始と同時に景気良く叫んで身を沈めるリリカに、妹紅は自らも右肘を引いて構え た。 「なら、このライブは失敗ね」 妹紅の構えは攻撃的で、足はほぼ棒立ちで左足をやや前に出したものだ。右腕を折り畳 んで後方に引き絞り、一見後ろに肘打ちでも打ち込もうかという形にも見える。その握っ た掌は上へと向けており、残りの左腕は手で自分の左肩を触る要領で屈せられ、そこから クルリと手首を回して、こちらは掌を相手――リリカへと向けている。 それは「これから右拳で殴るぞ、殴るぞ!?」とばかりに脅迫する構えであり、また別 の視点で見れば、衆生を救う『仏さま』の手の形にも良く似た構えでもある。 もちろん、妖怪たちに見えるのは妹紅の攻めの姿勢であり、まがり間違っても仏さまな どに見えたりはしない。 そして、対するリリカは体勢を低く低くと保っていた。右足を大きく前に出し、そのほ とんど垂直に曲がった膝に自分の胸を押し付けるくらいに前傾する。両手は肩幅で開いて 構え、発射される寸前のゴム鉄砲のような『溜め』を感じさせながら、リズムを計るよう に身体を前後に細かく揺する。 二人の構えを見た観客たちの反応は、二通りだ。 一部の外の世界に知識が多少ある妖怪は、次のように理解する。 「空手対アマレス」 だが、その他の大部分の妖怪にとっては、この対決の構図は次のような理解なのである。 いわゆる、 「打撃対相撲」 という曖昧な理解だ。 素手で戦うことを主眼とした武術がほとんど存在しなかった時代に閉鎖された幻想郷で は、後になって普及した空手などのような『打撃を主にした構え』は馴染みに薄い。ぼん やりと、「あれで右手に刃物持って真っ直ぐ突き出したら殺せるな。ってことは、あれは 突き刺すように使う腕なのかな?」くらいに想像する程度だ。 ともあれ、『一分KO』を宣言した妹紅は、低い位置にあるリリカの顔を見据えながら タイミングを計る。リリカの身体の揺れを見極め、 「ふっ!」 リリカの身体が『前』に揺れたのに合わせて、左足で踏み込んだ。緩やかに振り子運動 していたリリカは、身体を後ろに戻すか、それとも左右に動かすかで一瞬迷う。 「上手いっ」 文が舌打ちするほどに、それは『呼吸』を合わせた初動だった。これがリリカが『後ろ』 に揺れた場合であれば、リリカは対抗して前に出て交差法を狙うこともできた。だが『前』 への揺れが終わってからでは、そこからさらに前へ出るのは無理が過ぎる。 結果、生まれたのはリリカの動きの『空白』。そこに接近した妹紅の攻撃の気配に、リ リカは回避も反撃も不可能であることを悟った。 (受け……っ) と、攻撃してくる妹紅の右拳から頭部を守るために、リリカの両腕が動こうとした瞬間 のことだ。 ゴッ、という硬い衝撃がリリカの右目の上を叩いた。それは踏み出しと同じ動作で真っ 直ぐ斜め下に突き出された、妹紅の左手での一撃だ。リリカが『妹紅が防御に使う』と思 っていた左手が、掌の根元の手首付近をぶつけてくる掌底打ちとして飛んできたのである。 「い!?」 右手にばかり注意が行っていたため、それは完全にリリカの想定外であった。右が来る と思い予想していた攻撃タイミング――その半瞬前に逆からの一発を受けてしまったのだ。 そこに、さらに今度は本命の右拳が繰り出される。突き出していた左手を引き戻すのと 連動した動きで、流れるように左右の拳が入れ替わる。 「やば!」 そのいかにもな『凶器』が突き出されるのに対し、リリカは自分が用意していた選択肢 に無かった行動を取った。 受けるとか回避する以前の行動で、彼女は真後ろに跳ぶ。もともと前足を深く曲げた構 えは、前への移動も後ろへの移動もスムーズにするためのものだ。その構えの特性を生か し、弾かれたように後ろへ飛びすさる。『く』の字をさらに折った姿勢での後退だ。 (これじゃあ、反撃も何もできなくなるけど……とりあえず体勢を立て直して――) その暇は無かった。 目標を失った右の正拳突きを妹紅が引き戻し、その戻す動作に合わせて今度は踏み込ん でいた左足の裏でキャンバスを強く踏みしめ、その位置に引きつけるように腰を前に出し ながら、右足を槍の勢いで前に蹴り出したのだ。 「あだっ!?」 低くしていた顔面に靴の底を受け、リリカが後退の勢いも重なって転ぶように赤コーナ ーポストに背を叩きつけられる。 「は、鼻が低くなったらどうしてくれるのさ……って、早っ!」 涙目で鼻を押さえたリリカの前に、妹紅が右手を引き絞って前進してきていた。だが、 今度はリリカも躊躇いはしなかった。 (この距離はまずいっ) 前へ前へと圧力をかけてくる妹紅に対し、リリカはキャンバスを蹴って低い組み付き体 当たり――タックルを狙った。両腕を伸ばし、妹紅の拳での打撃の威力を殺せる低さを保 ってその足を狙う。 その切り替えの早さに、妹紅は感心した。コーナーポストに詰まりながらも攻めに転じ てきたその動きには、妹紅の『膝』によるタックル迎撃を受けても構わない、という意志 が見られた。 例え打撃の距離では痛めつけられるだけとはいえ、自ら懐に踏み込んでくるのには相手 の動きを読んでの『確実性』が必要になってくる。最初の攻防は、リリカがその『確実性』 を見出す前に行われた妹紅の先制攻撃だったはずだ。 だから、リリカのこのタックルは『成功二分、失敗八分』という博打性の高いものとな る。それをするくらいなら、キャンバスを転がってでもコーナーを脱出すればよいものを、 騒霊の少女は妹紅に対して正々堂々正面からの戦いを挑んできたのである。 (なかなか度胸があるじゃない) 妹紅の認識では、末っ子は三姉妹の中で一番そういう『勝負度胸』に遠い存在だった。 だというのに、最後の最後の土壇場で見せたその思い切りに、妹紅は敬意を表してお望み 通りの左の膝蹴りを突き出す。 「見直した!」 一人一分KOのまず一人目、と妹紅は確信する。 その確信を、妹紅は視界を覆った二つの靴底に顔面ごと吹き飛ばされた。 「なぁ!?」 「次女、メルラン選手のコーナーポスト上からの飛び蹴り〜!」 コーナートップからのドロップキック――ミサイルキックをまともに喰らい、妹紅の上 半身が後ろに大きく反り返る。膝蹴りを出そうと足を浮かしかけていたこともあり、その まま倒れそうになる身体を、妹紅は混乱する頭で無意識に立て直す。 そこに、リリカのタックルが下半身に命中した。 「えへへ〜。見直した?」 そういうリリカのしてやったりの声が聞こえると同時、妹紅は自分の足がキャンバスか ら浮いたのを感じた。リリカに両腕で足を絡め取られ、そのまま引き倒されたのだ。 そこまで行って、妹紅は理解する。 (保険か!) リリカには度胸など無かった。ただ、タックルが失敗しそうになれば姉が助けてくれる とわかっていただけなのである。 つまり。 「コーナーに誘い込んだってこと……!?」 「せいか〜い」 「リリカは、こういうことばかりお利口なのよ〜」 仰向けのまま顔をしかめて妹紅が確認すると、そんな彼女の両足を一本ずつ手にして姉 妹が笑う。 そして。 「会場の皆様、お待たせしました」 飛び降りたメルランと入れ替わりのように、赤コーナーのポストの上に立ったルナサ。 彼女が片手を上げて、次に指揮を取るようにゆっくり振り下ろす。すると、リングの上空 に三つの楽器が現れ、それぞれが競争するかのように口火を切った。 途端に生まれる大音声。 突然の三つの騒音に観客たちは一斉に顔をそちらに向けた。浮いているのは、バイオリ ンにトランペット、それからキーボード。別々の演奏法で別々の種類の音を撒き散らし、 だがそれは三つ重なることで、ただの騒音から旋律のある『曲』へと進化する。 BGM:幽霊楽団 〜Phantom Ensemble〜 (4:38) 「さすが、魅せてくれます」 放送席で、文が会心の笑みでカメラ片手に立ち上がった。 「良い余興ね。今度うちにも招いたらどうかしら?」 リングサイドで、輝夜が感心した表情で永琳に提案する。 それらの反応を待ってから、ルナサ・プリズムリバーはキャンバスに立つ自分の妹たち に目配せした。少女たちは掴んだ妹紅の足を肩を寄せ合う自分たちの『内側の腋』へと挟 み込んだ。 メルランはリリカの右肩に寄せた自分の左腋に。リリカはメルランの左肩に寄せた自分 の右腋に。 そうやって妹紅の両足を真っ直ぐ伸ばした状態で固定し、少女たちは異口同音に叫んだ。 「姉さん!」 「それでは、我ら騒霊楽団の今年最後のライブ……その第一弾。お楽しみください」 妹紅の身体が風車のように回転させられたのは、次の瞬間だ。 ※ ※ ※ 「お〜っと、これは凄い! 妹紅選手、大回転〜!」 妹紅の足首を固定した二人が、自分たちの内側の足の踵を中心軸として、横回転する。 その遠心力で浮いた妹紅の身体は、巨人に振り回される姿よろしく軽々と旋回した。いわ ゆるジャイアントスイングというものだ。 一回転、二回転、速度は決して速くはないが、勢いで水平になった身体はそこからでは 何の反撃も行うことができない状態だ。背筋を伸ばしたまま足の裏にまで手が届く腕の長 さなど、妹紅には無い。 「ちょ……何考えて……っ」 遠心力で体内の血が頭に上っていき、長湯でのぼせるようなそれに、妹紅は鼻血が出そ うなムズムズさを鼻の奥に覚えた。直接的なダメージは無いが、 「うあ〜、目が回るってば〜!」 「三回、四回!」 文がマイクで会場に声を届ければ、それに呼応して観客たちも声を上げる。 「ごか〜い、ろっか〜い!」 大合唱。 妹紅が回る。大きく回る。遠心力は回転すればするほどにどんどん力を増し、メルラン とリリカも目が回っては足元がおぼつかなくなってその回転はより『大雑把に鋭く速く』 強化する。 ぐるん、ぐるん、がぐるぐるに。 ぐるぐる、がくるくるに。 くるくるが、 「じゅ〜ろく、じゅ〜しち」 「うあ〜」 「じゅ〜く」 「やぁん、リリカ、そろそろ!」 「にじゅ〜!」 「うは〜、限界!」 一定の限界を越えた時、騒霊二人は無体にも妹紅の足を同時に手放した。 「へ?」 面食らったは妹紅だ。勢いのついて回転させられ、すっかり目を回していたところに支 えを失い、彼女の身体はハンマー投げのようにぶっ飛んだ。 「むぐぁ!?」 ごちん、とコーナーポストに後頭部をぶつけ、妹紅は顔をしかめてそこをさすりながら 立ち上がる。目が回ってふらふらしていたが、見れば残り二人も同じようにヘロヘロにな っている。 (何考えてるんだか……) これでは、妹紅一人と同じダメージをプリズムリバー二人が喰らったのと同じことだ。 そこに、 「もう一人いるわよ」 「!」 不意に、妹紅の懐に入り込んだ黒い影があった。反射的に妹紅は後ろに逃げようとした が、回転に酔ってグルグルと回った視界では満足に動くことができずに足をもつれさせた。 体勢を崩したところに、ルナサの平手が妹紅の頬を強かに打つ。掌打でもない、ただの ビンタに、妹紅はカッと頬を紅潮させる。 「この……舐めてるのっ」 身体全体で前に出て、目の前にいたルナサを押し返す。そのまま酔いを無視して正拳を 繰り出す妹紅だが、ルナサはそれを身体を右半身にしてすり抜けると、妹紅側に向けた右 腕での平手打ちを再び彼女の頬で鳴り響かせた。 「開始前も言ったけれど、恥をかくのはあなた。でも安心して」 まるでフェンシングの構えのように右肩を相手に向け、左手を自らの後ろ腰に回したル ナサが、妹紅にだけ聞こえる囁き声で言う。 「あなたにも、ライブには参加してもらうわ。ちゃんとした見せ場つきでね」 さあ、観客の皆さんを喜ばせましょう、という言葉を妹紅は聞いた。 聞いたと思った直後に、目の前のルナサがぴょんと軽く跳び上がる。訝しげに思うそこ に、いつの間にか転がり込んでいたリリカが寝転がった状態から、草を刈るような低空蹴 りで妹紅の足を払う。 「お!?」 不意打ちにバランスを崩す妹紅の袖を取り、ルナサが妹紅の身体をリング中央へと振っ た。まずルナサの跳躍に意識を取られ、次にリリカに下半身を崩された妹紅は、ふんばる ことができずに前につんのめるようにして移動する。 待ち受けていたのは、飛び後ろ回し蹴りを放つメルランだ。空中で回転して全身の体重 を蹴り足に乗せてくる着地を考えていない捨て身技に、妹紅は顔を引きつらせる。 (これを喰らうのはやばい!) せめて頭への直撃だけは避けようと、両腕で頭を抱え込む。 が。 衝撃は頭部ではなく、無防備となった胸部へと叩きつけられた。しかも、予想していた 踵での鋭いものではなく、横長で胸全体を横切るような幅広の肺に響く打撃だ。 「!?」 「メルラン選手、全身を使った迫力たっぷりの後ろ回し蹴り! その威力が妹紅選手を一 撃で薙ぎ倒す!」 メルランの後ろ回し蹴りは、打者と被打者が前後の位置関係にある通常のものではなく、 キャンバス中央にやってくる妹紅に対してやや横にずれた位置から放たれた、交差法的な 一発だ。 それだけ打者と被打者の距離が近く、当たった瞬間にはお互いの立ち位置はほとんど横 並びとなる。そのため、妹紅の胸に当たったのはメルランの踵と膝の間、つまり『ふくら はぎ』の軟らかい部分だ。 そうしたメルランの蹴りは、打撃の威力としては低いが、その分『体重で押し倒す』に は向いている。 「あの細い身体のどこにそれだけのパワーがあったのか! 蹴りで人が薙ぎ払われる姿な ど、そうそうお目にかかれません! 観客の皆様、年末ラッキーです!」 「そう、ラッキーハッピー♪」 観客を煽るような放送に、素早く起き上がってコーナーポーストに駆け出しながらメル ランは歌うように呟く。 対する妹紅は、 「!?」 という感情を未だに表情に残していた。その表情の妹紅の上に、一気にコーナーポスト に飛び乗ったメルランが、 「いくわよ〜!」 妹紅に背を向けた状態から、バック宙返りで落下してくる。そこで膝を落とされれば負 けと、妹紅は逆に自らの膝を立てて迎え撃とうとした。だが、その膝の動きを読んだリリ カが妹紅の足の上に腹這いに乗る。左腕で足首を抱え、右肘を妹紅の膝に添えて関節を極 める。 そして、完全に無防備な妹紅の腹に対して十字に交差するように、メルランの『腹』が 直撃した。 「ぐっ」 身を硬直させてそれを受けた妹紅は、しかしやはり「!?」という感情から逃れること ができない。 それもそのはずで、メルランの攻撃はどれも『ダメージ』が無いのだ。 (なに?) 衝撃はある。体力は確かに削られる。だが、明らかにもっとダメージを与える攻撃がで きるはずだった。後ろ回しも、ムーンサルトボディプレスも、身体の鋭角な部分を妹紅に 当てればそれだけで彼女を悶絶させることができる。 だというのに、 「大技〜! 先ほどから、メルラン選手の華麗な空中技が映える映える! フォローする のは末っ子リリカ選手! 姉妹の連携が冴え渡ります!」 会場の盛り上がりは、上空で奏でられる曲も相まって高まっていく一方だ。プリズムリ バー三姉妹の攻勢に、赤コーナー側はやんややんやの大喝采。妹紅を応援する青コーナー も、悲鳴交じりかつ怒声交じりで忙しい。 (……まるっきり、見世物ってことね) ようやく、妹紅は理解した。 会場を埋め尽くす観客たちは、妹紅やプリズムリバーの面々に高度な技術戦など要求し ていないのだ。期待していたのは、幽香やスカーレット姉妹のような強妖同士の試合の合 間にある息抜きとしての『騒霊ライブ』であり、とにかく派手な試合を楽しみたいと思っ ているのだ。 「プロフェッショナルってわけ? このちんどん屋姉妹っ」 「あだっ」 メルランが妹紅の上から退くや否や、妹紅の右足にアキレス腱固めをかけようと脇に抱 え込んだリリカの肩を、妹紅は空いた足の爪先で蹴った。突き刺すようなそれに腋の真上 の『肩と腕のつなぎ目』を突かれて、堪らずリリカが手を離す。そうしてからもう一度、 今度はリリカの鳩尾を蹴って彼女を蹴り剥がすと、妹紅は身を起こしながら呆れたという 顔で言う。 「そんな調子でこの先も試合していく気? こっちは遠慮なく行くけど?」 「残念だけど、こちらは最初から全力よ。ライブで手を抜いたことは一度も無いの」 応えたのは、姉妹を代表する長女のルナサだ。彼女の言う全力が自分の考える全力とは 違うことを、妹紅は意識した。 それは倒すための全力と、観客を喜ばすための全力。 最初、妹紅はルナサがダメージの無い平手打ちを使ったことに、自分を舐めているのか と激昂しかけたが、それはお門違いの怒りだ。その後の流れを見ればわかるが、ルナサは 決して手加減をしているわけではなく、ただ『妹たちに繋がる流れ』を組み立てていたに 過ぎない。一人で戦う妹紅とは違う、複数人で一人を攻める連携というものを考えた戦い をルナサはしているのだ。 観客はその連携を求めており、その連携を組み立てて試合を進めながら最後にしっかり 勝つのがプリズムリバーの戦いなのだろう。『三人がかりで最速で倒す』という戦いは彼 女たちの流儀には存在せず、個人的な戦闘力では彼女たちを上回る妹紅の攻撃をぎりぎり で凌ぎながら、試合を進めているのだ。 負けと隣り合わせのぎりぎりを進む、全力なのだ。 なるほど、と妹紅はうなずく。 「そういう顔してるって思ってた」 生真面目そうな長女の顔立ちに、妹紅は肩をすくめてため息をつく。気がつけば、奏で られる騒霊の曲は中盤を越えて最後の盛り上がりに入ろうとしていた。一ラウンドが五分 で、一曲が約四分三十秒なので、ラウンドももう少しすれば終わりだ。 後わずか、妹紅が逃げ切れば勝ちということになる。 「なるほど」 と妹紅は再度繰り返した。 勝ちか、と。 プロフェッショナルである騒霊たちは、自分たちのライブを完成させるために、残りの 時間を今度こそ妹紅を仕留める気で攻めてくるはずだった。三人の連携は姉妹だけに見事 なもので、正直妹紅はここまでその攻撃に対処仕切れているとは言い難い。 「そっちがプロに徹するなら、こっちも勝ちにこだわらせてもらうわ」 例え無様でも、負けるよりは良いと妹紅は思った。妹紅が試合に勝つことは、騒霊のラ イブが失敗することでもあり、それは結果的に妹紅が試合のみではなくプリズムリバー三 姉妹の意地にも勝ったことになる。 「さあ、時間も残り一分三十秒を切りました! このままプリズムリバー三姉妹が圧倒的 なKO劇を見せてくれるのか! それとも、妹紅選手がその全てを受けきるのか! 二回 戦にコマを進めるのは、果たしてどちらでしょうか!?」 文も時間切れならば妹紅が勝つルールを思い出して声を上げ、それにルナサとメルラン は目配せし合う。 「あら、やっぱりKOが良いみたい。姉さん、そろそろ」 「ええ。メルラン、行くわよ。――リリカ、そろそろ立って」 「うえ〜」 腹を抱えて唸っていたリリカが真っ青な顔で起き上がり、恨みがましい目で妹紅を睨む。 だが、妹紅はその視線を受け止めはしなかった。リングの上で瞼を下ろし、脳裏に一人 の黒髪の少女を思い描く。 ――儀式はそれだけ。それだけで彼女は本来の冷静さを取り戻す。 よし、と妹紅は視界を開く。 そこに見えたものに、妹紅は自分の成すべきことを十二分に把握した。 (無様でも勝つ!) 三人の騒霊。 嫌になるほどの美貌の三人。 妹紅もそうだが、足元に届きそうに長い――だけれど、妹紅では絶対に適わない、うら やむような漆黒の色の髪。 一度見れば一生忘れることはないその容貌に、妹紅は思うのだ。 (だから言ったでしょう、慧音。『何人いても同じこと』って) そこに見えるのは三人の、同じ顔をした美しい少女たち。 『常人とは少し違うところにある冷静さ』は、彼女に「三人じゃ足りないくらい」と呟 かせる。 だから。 「三人一分だ」 無様でも良いから、時間内に全員をKOすることに、彼女は決めたのだ。その『妖怪ら しい』決断に、ルナサはうなずいて自ら前に出る。 「それじゃあ、最高のライブにしましょうか」 どのような状況だろうと、己の『我』――自分のルールを守ることが大切なのが、妖怪 という生き物だ。その『ルール』を守りきった時、それこそが妖怪にとっての『勝利』と 言える。 その勝利を掴むためならば、無様でも何でもさらしてやる、と妹紅は思うのである。 (いや、私は人間なんだけど) という突っ込みも、妹紅にとってもう慣れ親しんだものなのであった。 ※ ※ ※ ルナサと妹紅の前進はほとんど等速で、お互いに遜色の無い速さでの衝突となった。 (一対一の打ち合いなら私の方が強い!) 妹紅は最後の一歩と同時に腰を回転させ、小細工無しで右の正拳突きを繰り出した。ル ナサはそれを右半身で入り込みながら、右手で妹紅の腕を内側から外側へと弾き、そこか らさらに前に出る。 「ちっ!」 妹紅の腕を弾いたままの形がそのまま右肘での肘打ちとなり、胸の中央を狙って飛んで くるそれを、妹紅は肩口に残していた左手で受け止める。受け止めると即座に、弾かれて いた自分の右腕をラリアットのように内側に向かって振って、ルナサの首を刈る一撃を叩 き込む。もちろん腕の振りだけでは威力が出るものではないが、さらに右半身の形で前に 出ていたルナサの右足を足で払い、投げ技として彼女をその場に倒す。 「はい、ストーップ!」 そこに、メルランが右からの横蹴りで妹紅の脇腹を蹴った。左足でルナサを転ばせた直 後の妹紅はバランスを崩して横に身体が流れ、その位置にリリカが殴りかかる。 だが、リリカの打撃はルナサに比べれば遅いのひとことだ。体勢を崩しながらも、リリ カの野球の投手のようなぶん回し殴りを右腕で受け、左手の掌底打ちを真っ直ぐに彼女の 顎へと打ち当てた。 「ぎゃっ」 と悲鳴を上げてリリカが倒れ、妹紅が「一人!」と思った時だ。 真っ直ぐ打ち抜いた左腕。その腋の下を通るようにして、真横に立ったメルランからの 左回し蹴りが妹紅の顎を跳ね上げた。 「つぁ!?」 見えない位置、しかも両腕を攻防に使った後の攻撃に、妹紅は受けを行うまでもなく後 ろにのけ反らされる。 「決めるのは私でいいわよね!」 「りょ、両腕使うのは駄目か……っ」 一人を相手に両腕を使って戦うことで生まれる隙を突かれ、妹紅が痛む顎を我慢しなが らメルランの二度目の回し蹴りを屈んで避ける。 (速いけど、大振りし過ぎ!) 屈んだ状態から伸び上がり、それに前進する勢いを加えて妹紅は正拳を突き出す。腹を 狙ったそれをメルランは十字にした腕で受けるが、それでも真っ直ぐに貫こうとする力を 殺せずに、身をくの字に折る。 妹紅の打撃は、それだけの一打必倒の意志で放たれている。例え打ち終わりの隙を狙わ れても、それくらいの威力を込めなければ残りわずかな時間で三人を倒すことは不可能だ とわかっているだからだ。 もともと個々の力では妹紅の方が上だからできる、強引な戦法。 つまり、 (力でねじ伏せる!) 余裕や冗談を脱ぎ捨てた時、結局残るのはそういう単純な手段だ。しかし、単純故に効 果的で、彼我の戦力差によってはそれが一番有効であることもある。 (あいつなら、優雅さの欠片も無いって言うんだろうけど……っ) 仇敵とする蓬莱山輝夜のような、長い歳月で汎用性を高めた格闘技術など自分には無い。 ただ、一点突破しか芸の無い、長い人生で気まぐれに覚えただけの技術が自分にはあるだ けだ。 「お嬢ちゃんたち!」 腹への一撃で怯んだままのメルランに、妹紅は回避されれば自分の身体が横一回転しそ うな勢いの下段回し蹴りを叩き込む。 「あんたらは、観客沸かせるプロかもしれないけど――」 それで膝をつくメルランの側頭部に、 「私は『この生き方』のプロを千年以上やってきたんだから、年季が違う!」 必殺の中段回し蹴りを放った。 が。 その攻撃の勢いを、起き上がったルナサが身体ごと妹紅の側面に体当たりすることで寸 断した。 「この……っ」 「姉さん!」 「メルラン、リリカ。手助け大歓迎よ」 止めを刺すところを邪魔され、妹紅がルナサに向き直る。その動きよりも早くルナサの 右拳が妹紅の左目を叩き、ゴッという音と共に彼女の頭を弾けさせた。 「!」 その一発は、妹紅を驚愕させるに充分な、まさに見えない速度の一撃だ。閃光のような その拳の速さに、天狗の文でさえ目を見開く。 「身のこなしはともなく、あの手の速さ……私より速いですか!?」 「姉さんの右手は、騒霊最速の稲妻バイオリンの弓を動かしてるのよ!」 騒霊たちの楽器はその能力で手を触れずに演奏することができるが、それは本人たちの 演奏技術あってのことだ。雷速の早弾きを得意とするルナサの右手は、文字通り稲妻の速 さで妹紅に突き刺さる。 (でも、軽い!) 左目の痺れに視界を塞がれながら、妹紅は全身で打ち出す正拳を繰り出そうとした。そ の右肩がピクリと動いた瞬間、 「なぁ」 半身で肩口に添えたルナサの右拳が、スナップを効かせて妹紅の鼻面を打って、まさに 出鼻を挫く。それでも負けじと、もう一度右を打とうとすれば、 「にぃ!?」 やはり動き始めにルナサの拳が顎に入り、妹紅は後ろに下がらされた。一歩、二歩と下 がる妹紅の姿に、その背を青コーナーから見る慧音は戦慄する。 「あれは……カウンターか?」 『打った』ところに反撃を当てる通常のカウンターと、それは根本の部分では変わりな い。ただ、その反応が早すぎて、『打とうとしている』ところに反撃を当てているカウン ターだ。 (なら!) 妹紅は右の肩の動きを見せながら、最初にリリカにそうしたように左足で踏み出しなが らの左の掌底打ちを放った。そのフェイントで、ルナサの右拳に自分の左をカウンターで 合わせようとしたのだが、 (動かない!?) ルナサはそのフェイントを見破っていた。逆にその左の掌底打ちに対して、ルナサは右 回転の動きで後ろ腰の左手を刀を抜き放つように振り払った。 ガツン、という音は、それまでのゴッという音とは違う威力を妹紅の側頭部に与えた。 妹紅の突きを自らの右肩にかすらせるようにして、そこから右回転。己の身体を巻き込ん での遠心力を加えた左腕によるハンマーのような『ぶん殴り』は、一撃で妹紅の膝を落と すだけの脳震盪を与えたのだ。 「あなたのリズムは見せてもらったわ」 あくまで落ち着いた声が吹き飛びかけた妹紅の意識に届く。 これです、と言ったのは妖夢だ。 「プリズムリバーのリズム感は天性のものです。音楽も、舞いも、格闘でもあれは他人の リズムまで盗みきる。幽々子様との舞いの練習でも、すぐに同じように踊っていましたか ら」 そして、と。 妖夢の言葉の合間に入り込むように、頭を振って起き上がったリリカがお返しとばかり に妹紅に拳を振るう。 変わらないその稚拙な攻撃を、妹紅は眩暈を噛み殺しながら受け止めようとし、 「づっ!?」 防御のために上げた右手の下をくぐり抜けて胸を打たれ、予想外の衝撃に驚く。驚いた が、リリカの非力では大したダメージではない。とりあえず末っ子は無視してルナサに向 かおうとして、しかし妹紅は突然の左側頭部への衝撃に首がへし折れそうな『重さ』を受 ける。 「ここに来て、ドロップキーック!」 ルナサに叩かれて塞がれた左目の死角――そこからのメルランの飛び蹴りに、ついに妹 紅は倒れかけて膝と手をキャンバスについた。 (あ――) 揺れた脳に視界に真っ黒な幕が下り、 「ま……だ、まだっ!」 閉じかけた右目を、妹紅は無理矢理こじ開けてその場で低空の足払いを三百六十度に放 った。グルンと回転し、それを三人の騒霊が下がって避けたのを確認し、立ち上がる。 (こっちの攻撃も、それなりに当たってる……っ。とりあえず、一人でも減らして――) 相手の攻撃の手段を減らす。 そう思った矢先に、再びメルランだ。先ほどから、常に矢面に立つ姉妹は入れ替わって いる。最初はリリカ、次にメルラン、続いてルナサ、再びメルラン、という具合だ。 そのメルランが、蹴りと同じで大きな振りかぶりから右の拳を突き出してくる。妹紅は 今度こそ左手でそれを捌いて、反撃の右の拳を叩き込もうとした。 「!?」 だが、内側から外側に振り払う動きの左手は空を切っていた。『メルランの拳が届く前』 に左手は受けを終え、その空白地帯を通り過ぎて、メルランの打撃が妹紅の顔面を捉える。 それはリリカの打撃を受けようとした時と同じで、『防御』をすり抜けてくる攻撃だ。 妖夢が言いかけていた言葉をようやく続ける。 「――そして、これが一番厄介なんですけど、あの三人は全員速度もリズムも違うんです。 打撃技っていうのは相手の速さを予測して受けたりかわしたりするのに、その定石があの 三人には通用しない。……と言うか、『慣れる』ことができないんです、違う速度が三つ あるから。だから、誰の攻撃の速度かわからなくなって、見える打撃もかわせなくなる」 ハマったらあれはもう駄目です、と妖夢は断定する。 妹紅の勝機があるとすれば、一箇所だったのだ。 「一番最初、試合開始と同時の初弾でリリカを倒していれば、この展開はありませんでし た」 それだけの速度も、破壊力も、妹紅には無かった。あるのは、プリズムリバーと同じ程 度の速度と、プリズムリバーよりもやや強い程度の腕力。 「天狗や吸血鬼なら、できると思います」 三対一というのはこれほど厳しい戦いなのだと、妖夢は幽々子に警告するのである。 その言葉と同時に、妹紅はメルランの蹴りを腹に喰らいながらも前に出た。 「痛いけど痛くない!」 強引過ぎる正拳突きは、メルランを防御の上から後ろに弾いたが、その背中をリリカに 前蹴りで蹴られて妹紅はメルランと同じ方向に倒れそうになる。 「うるさい!」 ダメージにならないリリカの攻撃にいらついて、妹紅は振り返りざまの裏拳打ちを放っ た。大きく回転したそれを受けたのは、しかしリリカではなくルナサだ。 両腕で受け、地面に生えた杭のように妹紅の回転を止めたルナサは、妹紅の右側面に張 り付いたその状態から、即座にその雷速の右手で彼女の顎を突き上げる。ほとんど横から 抱きついている形からの手打ちの打撃ではそれほどの痛手にはならないが、妹紅の注意を 逸らすには充分だった。 「『まさか』って思ってるんじゃない?」 その『不注意』に、リリカは妹紅の後ろに回りこんでいた。普通に回り込んでも、妹紅 ならば裏拳が飛んでくるのがわかっている。だから、リリカは妹紅に先に裏拳を打たせ、 それをルナサに受け止めさせた。 そして、リリカは妹紅の背中に飛び乗って左腕を妹紅の首にかける。妹紅の首を横断し た左腕で自分の右上腕を掴み、右手はさらにロックを強めるために妹紅の頭を掴んで締め 上げる。両足は妹紅の腹に絡みついたそれは、完全な裸締めだ。 「『まさかこんな雑魚に自分が』って、思ってる」 「ぐ……っ」 気管が圧迫され、妹紅が表情を歪める。両手がリリカの腕にかかるが、もう遅い。 「『リズムを崩されて、三人がかりでやられれば、私も意外に弱いのかも』って思いなが ら――」 リリカが腕に力をこめながら後ろに反った。 「お休み!」 「――――っ」 それは一瞬だった。 リリカが力を入れた瞬間、妹紅の膝から力が抜けた。膝だけではなく、全身から力が抜 けた。膝かっくんを受けたようにその身体が後ろに倒れ、背中に張り付いたリリカを下敷 きにキャンバスに倒れる。 トサ、と。 それは勢いのない軽い音がした。 「あ」 と文が口を開き、ルナサがようやく安堵の息をつく。 尻餅をついたメルランが、もう限界と大の字に寝転がる。 リリカが会心の笑みで両腕を振りほどき、動かない妹紅を自分の上から横に転がす。 曲が最後のサビに入る中、映姫が笏を頭上に掲げた。 「リザレクション」 「って、えぇ!?」 そこからの展開はリリカにはついていけない速度だった。 目を開いた妹紅が素早く膝立ちになって、リリカの首に左腕を引っ掛けて立ち上がる。 その耳元で妹紅は囁く。 「――ってね、ただの死んだふり。自慢じゃないが、死んだ回数で私にかなう者はそうは いないでしょ」 そうして、 「我慢比べなら、私の領分。私をオトせる締め技は存在しない!」 「あぐ……っ」 後ろからの裸締めに、リリカが一呼吸で膝を落とす。その身体を、妹紅は慌てて起き上 がろうとしていたメルランに向かって突き飛ばした。 「リ、リリカ邪魔――むぎゅう!?」 リリカの身体に押し倒されて悲鳴を上げるメルランの顔を、投げつけた身体を盾にする ようにして駆け込んだ妹紅が『踏みつけ』た。踏みつけると同時にもう片方の足がキャン バスから浮くような全身の体重を乗せた強烈な一撃に、メルランが一発で目を回してリリ カと一緒に昏倒する。 ふう、と深く息を吐いたのは妹紅だ。 彼女は振り返り、試合開始から初めて驚いた顔を見せるルナサに、不敵な笑みを浮かべ て言う。 「盛り上がったでしょ、ライブ」 「……まさか、ここまでのは演技?」 「さすがにそれはない」 それこそ信じられないと尋ねてくるルナサに、妹紅は首を横に振る。実際、妹紅も必死 だったことには変わりない。 「無様でも、まずは勝つことにしただけ。打撃のリズムが読めないなら、打撃を使わせな いで仕留めるだけってね。あ、背中を見せたのはわざと」 ここにだけは自信があってね、と妹紅は自分の首を撫でさすった。 それは妹紅の『誘い』だった。 打撃の戦いに見切りをつけた妹紅は、とにかく『一人減らす』ために、戦いの中で多く 背中を見せるようにしたのだ。三人も敵がいるというのに、メルラン一人に強引に大きな 正拳突きを出したのも、その後に裏拳を出したのも、故意に『がら空き』の背中を見せる ために他ならない。 プリズムリバー三姉妹はルール的に妹紅をKOしなければ勝ちは得られないというのに、 時間ぎりぎりまで妹紅と戦いを続けていた。だというのに、妹紅から見て三人は彼女をK Oできるほどの打撃力を持っているわけではなかった。 では、彼女たちは何を狙っているのか。 必ず妹紅を気絶させる『大技』を出してくると、妹紅は読んでいたのだ。最後の裏拳は 尻餅をついたメルランに背を見せるためだったのだが、結果的にリリカが動いてくれたの が、妹紅には良い方向に働いた。 「答えは締め技。ギブアップ狙いの関節技だと私が残り時間分我慢するかもしれないから、 必ずオトしに来ると思ってた」 「でも、なんて無茶な……」 一歩間違えば気絶していたわよ、と呻きを漏らすルナサを、妹紅は一笑に付す。 「私を誰だと思っている、小娘。さっきも言ったけれど、私はこの生き方を千年続けてい るのよ。あなたみたいな若輩者とは――」 言いながら、妹紅は前に踏み出した。 ルナサはそれを迎撃しようと右半身になる。だが、妹紅は拳を繰り出さない。顔の前で 両腕を組み、守りを固めてルナサに『胸』で体当たりする。 「!?」 そうした、二人がほぼ棒立ちのまま向かい合った状態で、 「――年季が違う!」 拳でも何でもない、思い切り身体を後ろに反らしてからの妹紅の頭突きが、ルナサの額 にぶち当たった。 「え?」 というのが、ルナサの正直な感想だっただろう。 しかし、それまでの妹紅の空手のリズムとは違う『ただの素人の頭突き』は、拳を越え る手加減抜きの破壊力であり、 パタン、とプリズムリバーの長女をキャンバスに大の字で寝転がした。 「は?」 と呆けたように大口を開けたのは、妖夢だ。 そこに、映姫の宣言が会場に響き渡る。 「そこまで! 勝者、藤原妹紅!」 ※ ※ ※ 「ぎゃくて〜〜〜〜ん! いえ、あれ、これは作戦通りだから、逆転じゃないのですか? と、ともあれ結局、妹紅選手の貫録勝ち! 自称人間、千年だとか嘘臭いことを言いなが らの勝利です!」 ルナサが倒れると同時に、空に浮いていた楽器は力を失って演奏を途切れさせていた。 光の粒子になって散った楽器が残していた曲の時間はほんのわずかで、文は感心と共にそ れを会場に告げる。 「KO時間は四分五十五秒! ですが、これは一人の相手を倒した時間ではありません。 三人の妖怪をKOし、妹紅選手二回戦への進出となります!」 その結果に、一斉に赤コーナーから外れた賭け札が空を舞う。対する青コーナーからは、 札の変わりに喜びの声が上がっていた。 「さすが蓬莱人!」 「勝ち方まで胡散くさー!」 「妖怪っぽ〜い!」 「……びみょ〜ねぇ」 素直に褒め言葉に聞こえないそれらに、妹紅はタンコブができた額をさすりながらロー プに寄りかかった。試合が終われば蓬莱人は傷が治るが、疲労だけは抜けずに、翌日筋肉 痛になったりもするのだ。 「苦戦したな」 「ちょっとね」 リングに入ってきた慧音から汗を拭くためのタオルを受け取り、妹紅はそう肩をすくめ る。結果的には三人分それぞれ『一発ずつ』で倒したが、予想以上の苦戦だったことは確 かだ。 と。 妹紅が寄りかかったロープ。その正面にあるリングサイドの席に座る少女と、妹紅は図 らずも視線を合わせてげんなりとした。何を言われるか、すぐにわかったのだ。 そうして、その少女――輝夜は、妹紅の予想通りの言葉を言ってくれるのである。 「優雅さの欠片も無いじゃない。無様な戦いね、妹紅」 どっと疲れが出てしまう、妹紅なのであった。 ちなみに、妖夢が失った賭け金は、幽々子にもらったお小遣い全部であったことを追記 しておく。 『Dブロック第1試合』――決着!