東方殴り巫女伝説 〜Bare Knuckle Players〜 1回戦 Cブロック第2試合 魂魄妖夢 VS ルーミア ※ ※ ※ (まだまだ時間はたっぷりあるわね。この調子なら、夕方までには終わるかしら?) 正午を過ぎた現在、文たち放送席組は紅魔館メイド長お手製の生春巻きなどというまた 微妙なものを麦酒と一緒に堪能しつつ、大会の進行を行っていた。 度重なる実況で喉がカラカラになったところの一杯と、そこに添えられた葱や韮といっ た今が旬の冬野菜をクルリとライスペーパーで巻いた生春巻きは、隠し味のゆり根の自然 な苦味も格別で、思わずマイク越しに感想も出る。 「いやまあそれにしても試合もいいですが、美味しいですね〜、これ。お米で作ってるっ て本当ですか?」 と、米による酒造実験の過程で潰してしまった米の有効利用を考えて、何故か生春巻き 製造法に辿り着いてしまった香霖堂店主に尋ねれば、 「ライスペーパー。潰した米から絞った汁を引き伸ばして作る。大掛かりな道具もいらな いし、薄いから場所もとらない。良い作り置き食材になってくれるんじゃないかな」 霖之助はそう即答して、箸で生春巻きを一つ摘まんで目の高さまで持ち上げてみせる。 「ちなみに、僕はこっちのピーナッツのタレが美味しいと思う」 そこにピクンと反応するのは、彼の隣に座る慧音だ。 黙々と各種のタレを試していた人里の知識人は、主婦としてこれだけは聞かなければな らんとばかりの視線を霖之助に向け、 「いや、私はやはりこちらの魚醤だな。店主、こちらの名前は?」 「ええと……ヌクマムだね。紅魔館のメイド長が樽一個自分で担いで持ってきたんだが、 確かにそれも美味い」 「ああ、実に味わい深い。これは何の魚を浸けたのか……」 慧音が腕を組んで唸る放送席は、時ならぬ美食品評の場と変化していた。大晦日に集ま った妖怪たちは、大会の観戦料代わりにそれぞれが何かしらの食材を持ち込んで来ており、 会場のそこかしこで珍しい食べ物を見た驚きの声が上がっていたりもする。 (後で作り方を教えてもらおうっと) 各種小皿料理に舌鼓を打ちつつ、文は手元のトーナメント表に現在の時刻等細々とした 要件を書き足していく。 そして、その作業がひと段落着くと、 「衝撃的な決着となりましたCブロック第一試合。その後を受けるのは、このお二人! 冥界は白玉楼の庭師、魂魄妖夢! そして、今大会暗幕係りとして大活躍中の宵闇の妖怪、 ルーミア! 第二試合は周りより少々小柄な、この二名による戦いとなっております。健 闘を期待しましょう!」 試合が一回戦の折り返しを越えても、司会の文はまだまだ元気溌剌なのであった。 ※ ※ ※ まず最初にリングの上に上がってきたのは、セコンドのいないルーミアだ。鶏の腿肉を かじりながら現れた彼女に、文は「あらら」と苦笑しながら注意する。 「あ〜、ルーミア選手。一応食べ物も『武器』扱いになりますんで、試合前までに昼食は 済ませておいてください」 「んむ?」 言われたルーミアは、了解とばかりに大きくうなずいて、肉にかぶりつくペースを早め た。小さな口が目一杯に開かれ、吸血鬼にも負けない立派な牙が覗いたと思えば、それは 大きな軍鶏の肉を噛み千切る。 軍鶏といえば、妖怪たちも多少は嗜む闘鶏用の鶏である。戦うために引き締められた肉 は旨味の熟成する老鶏になればなるほど固く食べにくいものとされているが、自前の牙を 持っているルーミアにとってはそんな固さなどあって無きが如しだ。 「んぐ、もぐ」 無心で頬張るルーミアには、そもそも試合前だから鶏肉を一時保留するなどという考え は無かったよう。むしろ、急かされたように両手で肉を掴み、獣のように骨まで砕いて咀 嚼する。 それを見て顔をそらすのは、人一倍小食の吸血お嬢ことレミリアだ。 「うぷ……」 少ない時ならばパン一切れ。多い時でもメインディッシュの肉を食べきったことがない レミリアには、鶏腿肉の炙り焼きなど彼岸の彼方の食べ物だ。 だが、怖いもの見たさというものはあるもので、「あの骨は最後まで行くのか?」とチ ラリと視線を戻してしまったレミリアは、さらに胸をむかつかせることとなる。 「んむ?」 ハムスターのように頬を膨らませて肉を咀嚼していたルーミアが一瞬だけその動きを止 め、その思考の間に何を思ったのか油でべとべとの手をスカートの隠しに突っ込み、そこ から三本の小瓶を取り出した。 そして、躊躇いもなく腿肉に向かって振る。出てくるのはそれぞれ違う色の粉末で、赤、 緑、黒とバラエティ豊かだ。 「唐辛子、山椒、黒胡椒」 と、パチュリーがリングサイドから一瞥して呟くよりも早く、宵闇の妖怪は三色が入り 混じった凄まじい色合いなった肉に口をつける。 「ん〜、美味しっ」 「ぐあ……」 というのは、思わず味を想像してしまったレミリアの呻きだ。お子様舌の彼女は、もち ろん辛いものも苦手なのである。 だが、パチュリーは違う感想を抱いて呟く。 「今の香辛料は、全て発汗作用のあるものね。脂肪を燃やし、熱に変える……冬場の今に は最適の選択だわ」 「ああ、それで一時期麻婆豆腐ばかり」 ようやく合点がいったと、レミリアが出来るだけリングを見ないようにしながらうなず いた。昨年の春から夏にかけて――幻想郷が訪れない春に凍えていた頃、紅魔館では創作 中華が咲夜の流行になり、日々そればかり食べていたのだが、その理由がようやくわかっ たのだ。 寒かったから、ではない。 「脂肪が燃えるのね」 一回戦の試合を終えて今は料理人としての腕を振るっているメイド長が聞いたら、笑顔 で紅茶にタバスコを入れそうなコメントである。 ともあれ、レミリアが感慨に耽っているうちにルーミアは大きな腿肉を骨まで平らげ、 油でテカエカした指を舐め終えたところでようやく人心地つける。 「ご馳走様〜」 「……じゃ、ありません。ちゃんと手を洗いなさい。対戦相手に失礼です」 ほら、と笏の先でルーミアの手を叩いたのは映姫だ。まるで口うるさい母親のように笏 から噴き出した水で手洗わせ、さらに断りも無しにルーミアの服の隠しからハンカチーフ を取り出して、油で艶めいた唇を拭わせる。 「ん……なんでハンカチの入ってる場所わかったの?」 「見ればわかります。それと、女の子が口一杯に食べ物入れるんじゃありません。もっと お上品にですね――こら!」 くどくどと説教を始める映姫をかわし、ルーミアは両腕を翼のように広げて「きーん」 と青コーナーからリング中央へと駆け出した。その背中に映姫が呼びかけるが、ルーミア は「面倒臭いわ〜」と聞く耳を持たない。 その様子に、映姫は深いため息を一つ。 「まあ、良いですけどね。個性も大切です。でも、周りに倣うこともまた大切なことを覚 えなさい」 静かな声は、しかし無視を決め込んだルーミアの足をピタリと止める。 勝手に心に入り込んでくる閻魔の声を無視できる者などそうはおらず、ルーミアもまた 初めて体感するその不思議な力に、思わず振り返って次の言葉を待った。 「自由奔放も良いですが、もっとその元気を人間に恐怖を与えることに使う、それが今の あなたにできる善行――先人たちから引き継がれたあなたの役目なのです」 「……ふーん、天狗と同じことを言うのね」 目をパチパチさせてルーミアがそう言うと、映姫はちゃんと聞きましたね、と満足の表 情でうなずきを返す。 「『妖怪』の教えですからね。古い者が口を揃えて言うことは聞いておくべきなのです」 「そーなの?」 「そうなのです」 「そーなのかー」 ようやく納得したルーミアであったが、他方では放送席で文が引きつった笑いを浮かべ ていたりした。 「ひ、ひとのこと『古い』とか言わないでくださいっ」 とのことだ。幻想郷最速の天狗、射命丸文。一緒に遊んでいる少女たちよりも『少し』 年上の女の子だったりするのである。 しかし、その『少し』の分だけ立ち直りも早いのか、文は軽く咳払いをしてすぐに気持 ちを切り替えてマイクに口を近づけて放送を続ける。 「と、ともあれ、ルーミア選手、腿肉を一気に平らげる辺りからもその好調がうかがえま す。今はリング中央で両腕広げて十字のポーズ! このパフォーマンス、まったく理解で きません!」 ルーミアお得意のポーズに文の疑問が飛ぶが、ルーミアは外野の声など気にすることな くその姿勢のまま考え込んでいた。 「怖がらせる、かぁ〜」 う〜ん、とまだまだ少女というよりも『女の子』という幼さの強い顔に難しい色を浮か べ、直立不動。その様は、まるで何かの修行僧の苦行にも見えるし、ちょっと大きな風見 鶏の姿のようにも見えた。 「哲学ね」 というのは、邪道にもスプーンで昆布ダシの効いた湯豆腐を口に運んでいたパチュリー の呟きである。周囲は「また適当なこと言ってんな〜」という視線を向けたが、飲み込ん で胃に落ちた湯豆腐の熱さに彼女がプルプル震えて腹を叩くと、仕方なく美鈴が水の入っ たコップを差し出す。 今日も紅魔館は平和である。 涙目になったパチュリーは、次に赤コーナーへと目を向けて言う。 「それで、もう一方は戦いに哲学を持ち込む幽霊」 「哲学対決ってわけね」 パチュリーとレミリアの二人の会話に周りは「絶対違う」と思っていたが、突っ込み要 員の咲夜がいない今は放置決定だ。 その話題に上がった妖夢は、例え宴会の最中だろうと決して肌身離さぬ二本の刀を、今 まさに主である西行寺幽々子に託した所である。 「勝手にいじったりしないでくださいね」 「やあねぇ、そんなことしないわよ。妖忌みたいなこと言わないの」 刃物の取り扱いに関して念を押すように言った小柄な少女に向かって、幽々子はそのゆ ったりとした衣装の胸に楼観剣と白楼剣を抱いてクスクス笑う。彼女の周りには常に数体 の幽霊が護衛よろしく浮かんでいるが、今はその内の二体がそれぞれ丸っこい頭――と言 うのかどうなのか――にお盆を乗せて妖夢の前にやって来ていた。 「?」 妖夢は自分の胸の高さに浮かぶ幽霊が差し出してくるお盆の二品、寒椿の漆椀に盛られ たふろふき大根と、野薊の焼き皿に乗せられた酢漬けの蕪に怪訝そうな顔をする。 そんな妖夢に、幽々子は常通りいかにも気楽そうな調子で言うのだ。 「これを食べてから行きなさい。腹が減っては……お腹空いたわねえ」 「はあ……」 何か良いことを言おうとしながら突然お腹をさすりだす幽々子に、妖夢はガクッと肩を 落としながらもありがたく軽食を受け取った。 「ほふほふっ」 湯気を立てる熱々のふろふき大根を箸で小さく区切って口に入れると、妖夢はその熱さ にてこずりながらも、だし汁を吸い込んだ素朴な甘みを楽しんだ。パチュリーと違って和 食に慣れた彼女は、熱い煮物を一気に胃に落としたりはしない。 そして、 (美味しい!) 大根の見事な味わいに、妖夢は目を丸くして感動した。 美しく盛り付けられたふろふき大根は全体がごく淡い醤油色に染まり、だし汁が内部ま でしっかり行き届いていることが見て取れる。だというのに、長時間煮込むことによる煮 崩れという必然をまったくと言って良いほど回避していた。 味が良く、やわらかく、それでいて皿の中に屹然と己を主張する『大根の形』を失うこ とのなく佇み、食べ手の箸が入るその瞬間まで己を保つ熱々の一品。 (完璧だ!) 妖夢がこれまでの数十年の生で初めて出会った、職人の技。 それを成し遂げた料理人はと言うと、 「紫様、いかがですか?」 「ふつー」 『藍のお味噌汁が飲みたい』と駄々をこねた主のために、会場端の調理場で紅魔館のメ イド長と並んで怒涛の勢いで和食を大量生産していたりした。 続いて、妖夢は蕪の酢漬けを一口で口に放り込む。それもまた美味で、酢漬け独特の酸 っぱさと甘さの入り混じった味、そして蕪本来の清々しい味が入り混じって一つとなり、 妖夢好みの味わいとして舌に合う。 野菜の歯ごたえを失わない程度で、それでいてしんなりと食べやすいちょうど良い漬か り具合は、まさに『妙技』としか言いようがない。 だから。 「ご馳走様でした!」 妖夢は両手をパシンと合わせて空になった食器に頭を下げた。それはほんの少しの軽食 であったが、真の意味での『ご馳走』だった。これから勝負に挑む気力を充実させるには 充分すぎる一食だ。 が。 「妖夢」 「はい?」 「今食べた味は忘れないようにね。後で私も食べるんだから」 「って、私が作るんですか!?」 いきなりの無茶に、妖夢は目を剥いて赤コーナーに張り付いた。その向こう側で、幽々 子は畳んだ扇子を唇に添えて意味ありげに笑う。 「そう、寒椿に熱物、野薊に冷物。ワビとサビ。妖夢にはまだ難しいかしら?」 面白がるようなその視線に、妖夢はう〜と必死に先ほどの味付けを思い出しながら唸る。 悲しいかな美味がわかる妖夢は、それがどれほどの研鑽の果てに作られるものかわかって しまうのだ。 正直、再現は不可能に近い。味付け自体というよりもあれは『煮終える時間』や『漬け 終える時間』といった、ギリギリのタイミングを見極める経験が必要な料理なのだ。 「その半分死んだ脳細胞で、しっかり思い出すの。いいわね?」 「脳細胞全部死んでる幽々子様に言われるだなんて……」 そもそもなんでいきなり料理、と妖夢はため息をつきながらコツンと額をコーナーポス トへと当てた。ひんやりとした感触は、妖夢を少しだけ冷静にしてくれる。 (……とにかく、二回戦はあの魔理沙だ。ここで格闘戦の感覚を取り戻さないと) 妖夢はもちろん剣術以外にも徒手格闘の技術を身につけているが、それは冥界にいる幽 霊たちの相手をするには役に立たないため、自然と使う機会が無く未使用のまま錆びつか せていた。 (破壊力は魔理沙の方が上みたいだし、捌きを少しでも長く実戦の中で練習する) ルーミアを勘を取り戻すための実験台にする心積もりが彼女にはあった。強敵と戦う前 の下準備は、いくらしても足りるものではない。 かつて、妖夢は師である魂魄妖忌に慢心ほど愚かしいものはないと教え込まれている。 そもそも妖忌相手の修行では自分が情けなくなるばかりで慢心のしようもなかったのだが、 その教えは今に生きて、来るべき魔理沙との対決を彼女に意識させている。 (霧雨魔理沙か……) 曲者ではあるが、格闘では恐れる相手ではないと高をくくっていた妖夢だったが、直前 の試合を見てその評価は大きく変化していた。 曲者プラス純粋なパワー。 かつて子鬼が巻き起こした終わらない宴の際の格闘ごっこ――その時に体験した何をし てくるかわからない魔理沙の戦闘スタイルに、妖怪を凌駕しそうな破壊力が追加されたの が、メディスン戦で見た魔理沙だ。 正直、妖夢は戦慄した。もしリングの上に立っていたのがメディスンではなく妖夢だと しても、あの『ルールを越えた』一撃は後頭部を捉えていたのではないか。 一回戦で魔理沙に当たっていれば、自分は負けていたのではないか。 そういう想像が、妖夢に拳を握らせる。コーナーポストを正面に、両手でロープを掴ん で妖夢は深呼吸をした。 (冷静に、冷静に……って、ああ、そっか) 不意に妖夢は理解した。幽々子の言う『寒椿に熱物、野薊に冷物』の意味である。 未熟、と妖夢は苦笑する。 「冬には熱いもの、夏には冷たいものを……」 消極には積極を、激し過ぎには冷静さを。精神の中庸こそが、戦いの中で実力を発揮す るためにもっとも大切なことだ。 (よし!) 気力を充実させ、妖夢はリング中央へと振り返った。まずはこの試合に勝利し、次の魔 理沙戦に集中する。 「じゃあ妖夢。あの宵闇を倒してきなさい」 「はい、勝ちます」 背後にいる幽々子に宣言をする。 自分にとってもっとも重い言葉で。 「師匠の名に懸けて!」 そのように。 そうした妖夢の言葉が聞こえたのか、ルーミアは文曰く『理解できないパフォーマンス』 である十字状態で小走りに赤コーナーへと駆け寄った。 「ねーねー」 「あ、ルーミア。試合よろし――」 ルーミアの拳が、妖夢の顔面を殴りつけた。 ※ ※ ※ 「!?」 痛い、と思うよりも先に後頭部に衝撃が来た。妖夢は自分がコーナーポストに叩きつけ られたことを悟り、 「うりゃ!」 「がっ!?」 二発目の拳が鉄球の破壊力で自分の鼻面を打ち、ポストとの間に挟まれた頭蓋が悲鳴を 上げる音を聞いた。 視界が暗い。ルーミアの拳がずいぶんと大きな物体として目の前にある。それが引かれ て視界が開け、 「てりゃ!」 もう一度衝撃が来た。 「とりゃ!」 もう一度来た。 「えい!」 いつの間にかルーミアの背が伸びていた。頭一つ分どころではない。二つ、三つ、もっ と高い。 妖夢は膝をついていた。 最後に。 「てーい!」 両拳を組み合わせたルーミアが真上から振り落としたその一撃を、妖夢は無防備に喰ら ってキャンバスに倒れ伏した。 ※ ※ ※ 「待ちなさい! そこまで、勝者ルーミア! ――止まりなさい!」 「ほえ?」 倒れた妖夢に馬乗りになり、さらに攻撃を加えようとしたルーミアを、映姫が慌てて後 ろから押さえ込んで止めた。引きずるようにして引き剥がすと、その下からコーナーから 一歩も動かずに崩れ落ちた妖夢の姿が現れる。 「は?」 と文が呆けた声を上げたのも無理はない。会場も、シンと静まり返って声がない。 そして、 「ちょ……ありか、今の!?」 あろうことか、前の試合で『ルール違反』をやってのけた魔理沙がそう叫んだのが起爆 剤となり、会場はこれまでで最大級のブーイングを爆発させた。 「試合開始前って、無しでしょ!」 「今の賭けどうなるのよっ!?」 「さすがに無い、今のは無い!」 「こ、これはさすがに弁護のしようもない状況。ルーミア選手、まさかの試合開始前の奇 襲攻撃! 回避の間に合わなかった妖夢選手はおそらく最初の一撃でノックアウト。続く 連撃でとどめを刺されましたー!」 盛大に賭札が宙を舞う。これまでのような勝ち負けによるものではなく、そもそも賭け の対象である試合が始まりもしないで結果が出てしまったことへの怒りは、単純にその対 象であったルーミアへと向かおうとしたのだが――。 「黙りなさい」 「う……!」 審判長、四季映姫・ヤマザナドゥの静かな言葉に、全ての声は一斉に掻き消された。 彼女は笏を天へと掲げると、厳かに託宣のように会場へと告げる。 「私がルーミアの勝利と宣言した。それに何か不満でも?」 「い、いえ、ですが……試合開始の合図もありませんでしたし」 「おや。もしかして、あなたはリリーホワイトのことを言っているのですか?」 眉根を寄せて言う文に映姫が尋ね、文はその確認のような問いにうなずいた。 そして、それに映姫は「それなら」と事実を述べる。 「試合は別にリリーホワイトによって始まるわけではありません。私が渡されたルールに そのような事項存在しない。よって、試合自体は双方がリングに上がった時点でいつでも 開始できる状態であったとします。これまではリリーホワイトがそれを担い、今回はルー ミアの先制攻撃がそれを担っただけの話。ルール的には何の問題もない」 よって、と映姫は倒れる妖夢、十字姿勢のルーミアを交互に一瞥し、 「ルーミアの勝利は正当なものです」 「そんな……あ、本当だ。あちゃ〜」 手帳をめくって自分のルール作成ミスに気づき、文は頭を抱えて放送席に突っ伏した。 ダウンや試合時間、インターバルを含めたラウンド制に関するルールは明記されていたが、 肝心の試合開始についてのルールはどこにも存在してはいなかった。 そもそも『始め』の合図もなしに戦いを始める者がいるとは思わなかったのだ。ヨーイ ドンで徒競争が始まる不文律を破られたに等しい。 文がぐうのねも出ないでいると、その間に映姫は赤コーナーのセコンドに立つ幽々子に 視線を向けて確認した。 「そういうことでよろしい、亡霊嬢?」 「映姫様がそうおっしゃるなら。それに、あのまま試合していてもねえ?」 と、幽々子は扇を開いて顔を隠す。 それと同時に、妖夢が目を開けた。 「……え?」 何が起こったのか、妖夢は理解できていなかった。 知らないうちに自分は倒れ。 寝転がった自分の視界の中では、引きちぎられた賭け札が曇天の下を舞い。 頭上方向にある赤いコーナーポスト。そこに、見覚えのある扇があった。 「!」 気がついて、妖夢は慌ててその場に跳ね起きた。すぐ近くにルーミアの姿を認め、拳が 握られ――ようとして、映姫の笏がそれを押さえた。 怪訝な顔をする妖夢に、映姫は言う。 「魂魄妖夢、試合は終了しました。あなたの負けです」 「……え?」 目を覚ました時と同じ呟きを、妖夢は繰り返した。 繰り返してから、映姫ではなく幽々子を振り返り、 「ゆゆ……こ、さま?」 扇の壁に突き当たり、仕えるべき主の顔は妖夢の視界には入ってはこなかった。 代わりに、言葉はある。 それは。 「妖夢。あなたは、誰と戦うつもりだったのかしら?」 「ゆ……っ」 むしろ、いつもと変わらず、あまりに普通な声音での、叱責だった。 そこから感じるものに、妖夢は知らず一歩退いていた。 「妖夢には、あれが黒白な色をしているように見えたのね」 「ゆゆ……っ」 さらに、一歩。 妖夢には想像できていた。幽々子は、きっと扇の向こうにいつもと変わらない顔をして いる。彼女はそうそう激する性格ではないので、おそらくそれほど怒ってもいないのだ。 ただ、だからこそ彼女は顔を隠している。 激さない彼女が『怒ったふり』を演じる必要があると、そう思うほどに。 (私は……!) ついに、妖夢は三歩退いた。 確信があった。 『幽々子に呆れられた』と。 その背が映姫の身体に触れて振り返ると、閻魔は追い討ちのように言う。 「以前も言いましたね。あなたはあなたのお嬢様の言う相手とだけ戦っていれば良い。い つからあなたは相手を選べる身となったのですか? この結果、己の慢心が招いた悪徳と 理解せよ!」 「あ……私、は……」 慢心していた。 魔理沙に対して用心を重ね、ルーミアを練習台にする心積もりとは、いったいルーミア をどの程度の相手として見ていたのか。 楽勝な相手だと、練習にはちょうど良いと、そうは思ってはいなかったか。 慢心しては、いなかったか。 (これは……当然の結果だ……) ぎゅっと、妖夢は自らの唇を噛み締めた。 なんて愚か。 (なんて未熟……っ!) 震える拳を見下ろし、次の瞬間妖夢はそれを自分の顔面へと打ちつけた。手加減無しの それは目から火花が出るほどに痛かったが、そんなものは心に感じている痛みに比べれば 微々たるものだ。 (勉強に、なった) 否、忘れていたものを思い出したというのが正しい。 やはり師は正しいのだ。 そのことだけを収穫とし、妖夢は映姫に深く頭を下げ、退場するつもりで背を向けた。 そうすると、正面には相も変わらず扇の壁がある。 自分の失態が招いた失望を妖夢は受け入れて、リングを下りようとロープに手をかけた。 そのタイミングで、ルーミアは動いたのだ。 「えりゃ!」 「つぅっ! ル、ルーミア!?」 映姫が止める暇も無かった。一気に距離を詰めたルーミアが、再びその拳で妖夢に襲い かかったのだ。 ※ ※ ※ 「何を……ルーミア! 試合はもう終わって――」 「そーなのかー?」 妖夢の言葉よりも早く小さな拳が伸びてくる。大雑把だが躊躇いのない攻撃は、驚きに 硬直した妖夢の顔面をたやすく捉えてコーナーへと追い詰める。 「さっきと同じって――この!」 背中が冷たいポストに触れた瞬間、妖夢は先ほどの醜態を思い出してまなじりを吊り上 げた。ルーミアの拳に合わせるように、大振りに右拳を突き出して応戦する。 「……なんとまぁ」 その戦いを味噌汁を啜りながら評価するのは、一人のスキマ妖怪だ。 彼女は寒空の下で口にする熱々の味噌汁に満足げな顔をしながら、 「なんて見事な宵闇っぷり」 「この、この!」 だが、リングの上にいる妖夢にその呟きが聞こえるはずもない。迫るルーミアの手加減 無い攻撃に対し、妖夢も同様の全力攻撃を返すのに必死だ。 最大の力で拳を握りこみ、打つ。 威力が出るように、大振りで体重を乗せて叩き込む。 ルーミアの一撃が妖夢の頬を打ってのけ反らせ、返しの妖夢の一発がルーミアの顎を跳 ね上げて後退させる。 妖夢はそれでルーミアが止まると思った。一度押し戻してしまえばその攻勢は終わると 思った。 しかし、ルーミアはむしろ嬉々とした目の光を妖夢に向けた。キャンバスを蹴り、それ までの最速で妖夢に肉薄する。 そこに攻撃意志はあるが、ルーミアの両腕は左右に垂れたまま。 「?」 殴って突き放すか否か、妖夢が迷ったその一瞬の躊躇。 その躊躇に、ルーミアの牙は妖夢の首筋に食い込んでいた。 「な……あ!?」 「噛みつきぃー! ルーミア選手、まさかまさか噛みついたー!」 「そん、な……っ」 妖夢が押し返せていた時間など、ほんのわずかな時間だった。ルーミアの鋭い牙が肌を 破り、深く首にめり込んだのをきっかけに、妖夢は再びコーナーポストを背負うまでに追 い詰められる。 (この前へ前へと出る圧力……逃げられないっ。この子、何考えて……!?) がむしゃらに、ただ前へ、妖夢を破壊するためだけに攻めてくるルーミアの姿。それは もはや試合の域を脱し、軽い殺意させも感じさせる。 (もうあなたの勝ちなのに) 映姫の判定により、勝敗はすでに決している。二回戦に進むのがルーミアで、一回戦で 敗退したのが妖夢。そのように決まってしまったはずだ。 (なのに、なんで) 理解できない。 何を考えているのか、まったく理解できない。 そうした妖夢の混乱を前に、ルーミアはゆっくりと妖夢の首から牙を引き抜いた。 「ル――」 「がぶっ」 「くあっ!?」 そして、再度噛み付いた。今度は反対側の首。 わけがわからない。 まるで闇の中に迷いこんだかのように、状況が見えてこない。 それは闇の中に潜む悪意が突然襲い掛かるにも似て、対処しようが無かった状況。 暗がりに待ち構えていた辻斬りに背後から斬りつけられたような不意打ち。 だから。 「怖い?」 唇を妖夢の血で真っ赤に染めたルーミアが尋ねてきたその言葉は、妖夢にとって青天の 霹靂以外の何ものでもなかった。 「あら、ネタバレ」 意外そうに言うのは、やはりスキマ妖怪。 それは『恐怖の答え』だ。 妖夢は目を見開き、目の前にあるルーミアのあっけらかんとした顔を見た。幼い顔立ち の妖怪は、妖夢の様子をうかがうと、 「もうちょっと?」 首を傾げて拳を振り上げた。 ――そうか。 その動きに、妖夢は反応した。素早く両手を左右の腰に開手で添え、そこから。 ゴッ、という音がキャンバスの上に生まれた。 「いっ……!?」 と涙目になったのはルーミアで、彼女は繰り出したはずの右拳に走った激痛に、その手 を胸に抱え込む。 しかし、ルーミアに痛がっている暇はなかった。 「え? きゃっ!」 二発、三発目の拳が、まとめてルーミアの顔面へと飛び込んでいたのだ。それは斜め下、 妖夢の腰の高さから霞むような速さで繰り出される連打だ。 ゴゴゴッ、と打撃音が三発重なって響く。その集中打は全てがルーミアの顎を捉えてお り、ルーミアの意識はその一瞬で断ち切られて真後ろに倒れた。 「あれ〜?」 大の字にルーミアはキャンバスにダウンする。目は完全に回りきり、ピクリとも動かな いその姿に、映姫が笏を掲げて叫んだ。 「そこまで! 勝者、魂魄妖夢!」 「ええー!?」 悲鳴を上げたのは、実況を担当しなければならない文である。彼女は終了した試合での さらなる決着の宣言に、もはやどういうコメントを出したら良いのか判断しかねていたが、 「……もういいです、ケチケチしませんよ!? 妖夢選手、まさかの大逆転勝利! 奇跡 の『試合続行』で、決定していた敗北の中から勝利の糸を掴みとったー!」 再び会場は沸きに沸いた。それはブーイングでもあるし、予想外の展開に対する愉快の 声でもある。 その降り注ぐ大音声の中で一人肩で息をするのが、すでにボロボロの妖夢だ。 「勝った……けど……っ」 妖夢は首からの出血に顔をしかめながら、倒れたルーミアのそばへと寄る。そうして、 静かにその場に正座した。 一つ、ため息。 「妖怪として宵闇の恐怖を与えようとしたあなたの姿勢、感服する。その意図も読めず、 ただの半人半霊としてでしか戦えなかった自分に、恥じ入る思いだ」 殴られたから、殴り返す。それでは、武術も何も身につけていないただの少女だ。ルー ミアの振り撒いた恐怖の闇は、確かに妖夢の半分である『人間』の部分を絡めとり、引き ずり込んでいたのである。 それは、まさに妖夢が未熟であるということ。 剣士としての自分、半分幽霊である自分を保てなかったということ。 「幽々子様にも『寒椿に熱物、野薊に冷物』と中庸を諭されておきながら……情け無い」 勝利を掴み取ったとはいえ、妖夢の心は口惜しさで一杯だった。 だからこそ、と彼女は言うのだ。 「今度こそ、冥界西行寺家がお庭番、魂魄妖夢としてお相手する!」 そうして飛び退って中腰に構える妖夢に、 「ん〜……いいよ?」 くらくらする頭を手で押さえながら、ルーミアも立ち上がった。 ※ ※ ※ 「これは……期せずして、Cブロック第二試合は三本勝負! 一本目ルーミア、二本目妖 夢の一対一! この三本目の勝者が二回戦へとコマを進めることになりそうです!」 そして、それを認めるかのように、空からは前の試合で毒にやられて顔色の悪いリリー ホワイトが舞い降りてくる。 ルーミアの奇襲から始まった一連の戦いの、最後の一本の開始を、春を告げる妖精は、 「始まりですよ〜」 告げた。 妖夢とルーミアの二人が構えらしい構えを取ったのがこの三本目になってからが初めて というのは、乱打戦を望んだルーミアの作戦がどれだけ見事に成功していたかという良い 証拠だ。 妖夢は両足を左前にして前後に開き、上半身をやや前方に傾けて両手を腰に添えた、そ の構えは、両の腰に備えた刀を逆抜きしようとしている様にも見える。 もちろん、左右の腰に同時に刀を装備するなど剣術の定石ではありえないので、刀に例 えるのは正確ではないかもしれない。妖夢が先ほどその構えからルーミアの拳を『狙撃』 してみせたのを目撃した鈴仙などは、それをこう呼称する。 「クイックドロー・スタイル」 「二刀流、と言ってあげた方があの子らしいわね」 永琳が補足し、妖夢の構えの本質を見据える。それは左右過不足無く同等に扱える者だ けに許される、『両利き』の構えだ。 対して、ルーミアは身体を低くする。膝を曲げ、全身をたわませ、バネが力を蓄えるよ うに左足を前、右足を後ろにしてキャンバスを踏む。広く腕を左右に広げ、その先端では 人間をたやすく引き裂く握力を秘めた指が掴みかかる寸前の形で蠢いている。 その様は獰猛な猛禽。 否。 「虎ね」 パチン、と幽々子が扇を閉じた。そこから現れるのは、妖夢の予想通りに常通りの幽々 子の顔だ。 「宵闇色の屏風の中に隠れていた、人並みの頭を持つ人食い虎。妖夢――」 と。 失態を取り繕うための新たな指示を、幽々子は妖夢に与えた。 「調理してみせなさい」 「幽々子様がお望みであれば!」 景気の良い妖夢の声が、戦いの口火を切った。妖夢の意識が幽々子へと逸れた一瞬を突 くようにして前へ出たルーミアに、しかし妖夢は虚を取られたりはしていなかった。 「行くよー!」 「ええ!」 掴みかかろうと伸びてくるルーミアの左手。それを、妖夢は右の腰から最短距離を通る スナップを利かせた拳で叩き落す。パァン、と開いた掌を弾かれ、ならばとルーミアは逆 の手を動かすが、その前に妖夢の左拳が斜め下から襲い掛かった。 先ほどそれを顎先に喰らって昏倒したルーミアは、ほとんど反射で顎を引いて鼻面でそ の鉄拳を受ける。目から涙が出るほどに痛かったが、それでもルーミアは怯まずに右手を 繰り出した。 が。 パァン、という音が結果だ。それを成し遂げたのはルーミアの顔を打ったはずの妖夢の 左拳であり、その不思議さにルーミアは「あれ?」と疑問を顔に浮かべ、 「いだだだだだ!」 直後に左右一発ずつの拳を、左右の目の真下に受けて堪らずに後退した。それを追って、 妖夢も前に出る。ルーミアが下がった分だけ妖夢がすり足で前に進み出て、両腕を閃光の 速さで振るう。 ゴッ、とルーミアが顔を打たれて一歩下がれば一歩分、その場で抵抗しようと苦し紛れ の手を繰り出しても、今度はその手を正確に弾き飛ばす。かといってルーミアが何もしな ければ、 「いだっ、いだっ……!」 体重を乗せた時の貫くような破壊力は無いが、無視できない『硬さ』の拳が顎や鼻の下 といった急所を狙って迫ってくる。それを外しても目の下などのやわらかい場所、目尻な どの切れやすい場所、いくらでも打つ場所はあるとでも言う様に炸裂する。 ルーミアの状況は妖夢の放つ弾幕の渦中にあるのに等しいが、その様を観客席から見て いた者たちは、その戦いの『距離』に舌を巻かされた。 妖夢はルーミアが下がればそれだけ距離を詰める。そして、その距離とは正しく『妖夢 の手が届く範囲』という、己の打撃の間合いを見切った位置取りを崩さないものだ。その 距離の中で、妖夢は相手の『もっとも前に出ている部分』のみを狙撃する。 最初の攻防を例に取れば、ルーミアが左手を繰り出せばその左手を。ルーミアが右手を 繰り出そうとしても、前傾した顔の方が前にあればその顔を。ようやく右手が出てくれば その右手を。 自分に寄って来るルーミアの身体全体を――顔でさえも――当価値に『迫ってくる攻撃』 と見なして、最も自分に近い『攻撃』を全力で迎撃する。一発で済むならば一発で、二発 必要ならば二発で、それらが弾けるか下がるまで妖夢は『間合い』に入った脅威を排除し 続ける。 そうやって幾ら連打しても、妖夢の肩はまったく動かない。距離を詰める以外には自ら 歩を進めることはなく、迎撃は体重を乗せない手数勝負。それでも打ち負けないのは、単 純に妖夢の握力が尋常ではないものだからだ。 何千、何万と楼観剣と白楼剣を振るってきた妖夢の握力は、繰り出した拳が相手のそれ とぶつかっても決して『崩れ』ない。より硬く、よりしっかりと拳を握っていれば、激突 でより大きな痛手を受けるのは相手の方だ。 さらに、妖夢は後ろ足としている右足でキャンバスをしっかりと踏みしめ、着弾の際の 衝撃を受け止めている。体重の一部を乗せてくる打撃を、体重の全てを使って受け止めて いるのだ。 そして、基本姿勢を崩すことなく、打ち終わった後は必ず基本位置である腰に拳を戻す。 延々と、延々と妖夢はそれを繰り返す。 その攻防が示す事実は、一つだ。 「攻撃的防御、だな。しかし、動いている相手の拳を狙い撃ちとは、どういう『目』をし ているのか……」 「おおっと、ルーミア選手、ついにもらった、顎にもらってしまったー!」 慧音が呟き、その隣で文がマイクに向かって声を張り上げる。その言葉通り、ついに妖 夢の散弾のような連撃を処理しきれなくなったルーミアが顎に一撃を喰らって大きく後ろ に下がっていた。 一回目の戦いも、二回目の戦いも、戦いの場所は妖夢が追い詰められた赤コーナーでの ことだった。だが、三回目の今回はついにルーミアが青コーナーのポストを背にする羽目 に陥った。 ――追い詰めた。 その状況に入って初めて、妖夢は自らの構えを変化させた。右手を開手で頭上に振り上 げ、左手もそれに追随させる。両手を肩幅で、左手はやや肘を曲げて掌が右手の手首の高 さになるように。そうして、左足を前に出して踏み込んだ。 それは大上段。剣術の動きをもって、妖夢は両腕による手刀ならぬ『腕刀』を自分の上 半身の傾斜を利用してルーミアに打ち込む。 当然ルーミアは両腕で頭部を庇って受けようとしたが、 「あ……れ!?」 小柄なはずの妖夢の振り下ろしは、巨人に踏みつけられたような衝撃として、ルーミア を真上から真下へと真っ直ぐに押し潰した。 「ぶえっ!」 びだん、と顔面をキャンバスに叩きつけられ、ルーミアが蛙が潰されたような呻きを上 げる。 それが、今度こそ最後の一撃となった。 「そこまで! 勝者、魂魄妖夢!」 三本目の勝者こそが、二回戦への切符を手に入れたのである。 ※ ※ ※ 「けっちゃーーーく! 長かった第二試合三本勝負、妖夢選手の勝利で、ついにその幕を 下ろしましたー!」 マイクに叩きつける文の興奮は、そのまま会場の興奮と言ってよかった。誰もが妖夢の 楽勝と思われていた試合が、ルーミアの奇襲によって大番狂わせさせ、さらに妖夢の逆転、 そこから再試合の果てに決着と、観客の予想を常に裏切る展開が連続し、ついに終結した のだ。 だが、試合前の予想から一番外れた感想を持っているのは、誰であろう戦った張本人で ある妖夢である。彼女は首からの出血に足元をふらつかせ、敵方である青コーナーに前の めりに掴まって荒い息をつく。 その足元に倒れたルーミアの方がよほど軽傷という、笑い話になりそうな状況だ。 あれは治療がいるなと眺めつつ、慧音は日本の武芸に詳しい文に尋ねた。 「最後のだが、あれは妖夢は何をした? 彼女の体重では手刀であれほど威力が出るはず がないが……」 むしろ、彼女ならば『速度』で振り抜くような打ち方の方が威力が出るのではないか。 そういう慧音の疑問に、文はしたり顔で次のように言う。 「あれは刀があったからこそ生まれた、この国独自の身体運用法です。まあ、簡単に言え ば『振る』のではなく『傾ける』ことで動きの支点を極力減らし、体重を分散させないで 打撃部に集中させる技術を使った攻撃ですね」 「傾ける?」 慧音には感覚的に理解できない。具体的な理解は身体を動かしながら体感するしかない と考える文は、込み入った説明は省くことにして、まずは自分の肘を曲げてみせる。 「この九十度に曲げた肘から、自分の手刀をどう相手にぶつけるか、という考えです」 「こうだな」 返答として、慧音は肘を真っ直ぐに伸ばして腕を振ってみせる。シュっと音が鳴りそう な、ごくごく普通の手刀だ。 しかし、文のそれは違う。 「あの子がやったのは、こうなんです」 「ああ……」 慧音が目で見て納得できたのは、文が肘を曲げたまま上半身を前に傾けながら、つまり 肘から指先までの角度を崩さないで『傾ける』動きを見せたからだ。 「例えるなら、あなたの打ち方で瓦を割るとして、そこそこの枚数が割れますね。でも、 こちらの打ち方の方がもっとたくさん割れるはずです」 「それはわかる。捻りの生む力を犠牲にして、より大きな力で……なるほど、刀だったな」 「そうです。刀は、この方法でしか人体を斬ることはできないんです。肘から先の動きで も、喉とかなら致命傷を与えられるかもしれせんが、袈裟懸けに相手の胴体を斬るにはこ れしかない」 それは西洋剣と日本刀の決定的な違いだ。包丁もそうだが、鋭さに任せてぶち当てても、 それではちゃんと斬ることはできない。肘を曲げた状態で得物を持って相手に押し当て、 そこから引くことが必要という『刃』の扱い方が、日本にこうした身体の使い方を生み出 したのである。 「捻転を基本とする中国武術とはちょうど正反対になりますが、我が国の当身技というの は全てこれを基本にしているのです。支点を少なくすることは動く箇所が少ないというこ となので、動きの起こりを見破られないという意味でも優れているのですよ」 ふふ〜ん、と文はまるで鬼の首を取ったように自慢げだ。 ともあれ、と。 「普段は二刀流で相手を迎撃し、隙を見れば上段からの振り下ろし――これは単純ですが 有効な戦法です。二回戦でも活躍を期待しましょう」 そのように文は実況を締めくくった。 そして試合の一部始終を眺めていた幽々子のもとでは、今度は大根おろしを添えた出し 巻き卵を乗せた皿を持った紫が、宙に浮かんだスキマから身体の上半身だけを覗かせて言 う。 「奥の手は使わなかったみたいね」 「あら紫。そうなの、妖夢ったらまあ美味しそうまだ何もわかって一つ頂戴いないみたい だわ」 「そうね〜。幽々子のワビサビも勘違いしたまま」 ダメダメねぇ、と紫はあらかじめ二膳用意していた箸のうち一組を幽々子に差し出す。 そうやって二人で藍特製の出し巻き卵を堪能し、 「寒い時に熱いもの、暑い時に冷たいもの、それを自分の心の中庸と捉えるような無粋な 考え、妖夢らしいわぁ。バランスでしかものを比較できないようじゃ、まだまだ」 「もうお腹一杯かしら?」 「まだまだ」 幽々子が優雅に首を横に振り、紫はおほほと笑ってスキマの中からさらに皿を持ち出し てくる。何やら会場外周の調理場から「盗んでるのは誰だ!」という藍の怒鳴り声が届い たが、聞こえないふりだ。 「この料理の味さえ覚えれば、自ずと理解できるのに」 「つまり、相手が望む最高のものを出しなさい。それが幽々子が大好きな国の礼儀よね?」 「さすが紫は賢いわぁ。あと、ふろふき大根には良いおダシを使っていたから――」 「ダシ惜しみするな」 「そうそう」 その会話を妖夢が聞いていたならば、どれほど情けない顔をしていたかは定かではない。 幽々子と紫はお互いに額をつき合わせてクスクスと少女らしく笑い合い、唄うように繰り 返すのだ。 「まだまだ♪」 「まだまだ♪」 「足りぬ足りぬぞ♪」 「満ち足りぬ〜♪」 それはいつまでも半人前の庭師と、自分たちのお腹へと送る即興歌なのであった。 『Cブロック第2試合』――決着!