東方プロジェクト・ネタバトルSS 東方殴り巫女伝説 〜Bare Knuckle Players〜 1回戦 Cブロック第1試合 霧雨魔理沙 VS メディスン・メランコリー               ※ ※ ※  パキン、という音は、大晦日の降って沸いた喧騒を離れた博麗神社の母屋――その使い 込まれたお勝手で、人知れず冬の空気を震わせていた。  霊夢が毎日の食事や供え物の御饌用に調理を行う場所は、刳り貫いた石に熱した石炭を 放り込んで使う鍋台や、まな板の乗った調理台に挟まれ、人一人がようやく通れる程度の 足場しかない。その調理スペースから少し離れれば、小さな神社には不似合いなほどに大 きなかまどが、年季の入った姿を見せている。  そのような場所に、霧雨魔理沙は独り佇んでいた。  格闘ごっこ大会がようやく一回戦の試合数の半分を終え、次のブロックの開始に沸き立 っている頃合である。他の誰でもなく、その試合で戦うべき魔理沙が境内を離れてこの場 所にいるのには、それなりの理由があった。 「さて」  と呟きながら、魔理沙は自らが手にした丸底フラスコを見る。いかにも怪しい実験に使 われそうな容器は、これまたいかにも怪しい紫色の液体をその内側に湛えている。  先ほど割れた音を立てたのは、このフラスコの上部だ。  普通、フラスコに限らず容器というものは、入り口と出口があって成立する。だが、そ のフラスコは本来ならば出入り口となるべき管の先が穴となっていない、閉じた構造とな っていた。  つまり、一度中に液体を入れ、然る後に熱を加えてガラスを溶接して密封したのである。  そのような手間のかかる封が行われる理由は主に二つ。  一つは、薬が激しく揮発性の場合。  もう一つは、それが稀に見る劇薬である場合だ。 「……さてさて」  指先で摘まんだフラスコを左右に振りながら、魔理沙はリズムを刻む。  それは逡巡のリズム。  飲むべきか。  飲まざるべきか。 「さ〜てさて?」  しかし、迷いを呟いているはずの薄い唇は実際のところ笑みの形をとっていた。そもそ も躊躇う時間ならば、フラスコの口を開ける前に幾らでもあったのだ。  だというのに、ここに来て迷うふり。躊躇うふり。そうやって、自分を盛り上げるふり。  誰に対して「ふり」をしているのか、と魔理沙に尋ねるのは愚かしいことだ。  何故なら――。 「魔理沙さんは、そうやって生きてきたんだぜ……っと」  それが、霧雨魔理沙なのだから。               ※ ※ ※ 「さあ、歳末格闘ごっこ大会もついに一回戦の折り返し。ここまで、実に八試合、十六名 の人妖による格闘戦が展開されてきました。そして、次なるはCブロック! さっそくの 異色対決となるのは、この組み合わせ!」  パチン、と文が指を鳴らすと、ルーミアが広げた薄闇に隠されたリングの上、二すじの スポットライトがそこに立つ一体の毒人形の姿を照らし出す。 「スポットライト提供、八雲藍及び藤原妹紅! 『狐狸妖怪レーザー』と『正直者の死』、 この二つの光を浴びるのは、そうですこのお方! 私調べ幻想郷年少妖怪ランキング第一 位! お母さん私この前生まれたよ!? こんにちわ毒人形! メディスン・メランコリ ーとは彼女のことだー!」 「こんにちわ!」  ぺこりと頭を下げるのは、考えうる限り最高の『美材』を集めて作られた金髪の美少女 人形だ。  妖精のように小柄で、ちまちました手足の肌は、近くで見ればようやく作り物とわかる 陶器と布材の間をとったような質感のもの。小さな顔にはまった硝子製の瞳は、意思の光 の宿ったイミテーション。フリルやリボンで装飾過剰な服は、およそ一般生活に向いてい るとは思えない、まさに女の子の夢の詰まったお姫様。  それは、人間の手が作り出した、人間では体現適わぬ理想を詰め込んだヒトノカタ。生 身ではあり得ない『作品』であることが付加価値を生む、美の芸術品。  屈託の無い笑顔――とそれ以上の毒気――を振り撒く、メディスン・メランコリーの宴 会デビューこそがこの時であった。  で。 (やったわ、スーさん! ついに大舞台でお披露目デビューですよ!)  ぱぁーっとスポットライト以上に後光が差す思いで、メディスンは青コーナーからトテ トテとリング中央に進み出てぺこぺこと頭を下げる。  その様子に、文が会場に説明を加えた。 「え〜、メディスン選手は人間に捨てられた怨念で妖怪化した経緯もあり、世界の人形の 地位向上を目指す『人形解放』運動を行っております。現在は他種族でありながらそれに 協賛する妖怪仲間を募集しており、この試合はそのための絶好のアピールの場所とのこと。 ちなみに、彼女が勝利した場合、八雲女史提供のこのマイクを五分間だけ貸し出しする約 束も成立しております」  それに対し、 「あはは! 人形解放だって。バっカみたい」 「敵かしら!」 「うぎゃうっ!?」  揶揄ったリグルが毒弾の直撃を受けてぶっ飛んだ。まさに速攻、揶揄った瞬間の出来事 だ。 「早っ。気ぃみじかっ!」  とは会場の妖怪たち全員が抱いた感想である。メディスンは慌てて可愛らしく「うふっ」 と取り繕ったが、もはやそれが『ポーズ』であることは誰の目にも明らかであった。一堂、 ドン引きである。  ちなみに鈴仙が、 「ほ、ほらほら師匠。凶暴です、好戦的ですっ。嘘じゃなかったでしょう!?」 「あらあらうふふ。元気で可愛いわね」 「って聞いてくださいよ!」  悲痛な声で訴えたが、永琳はそれを無視して愛想を振り撒くメディスンの姿のみを見る。  凄いわね、というのは彼女にしては珍しい感嘆の呟きだ。 「師匠?」 「『人形』が自発的に、自分を好ましく思う者を増やそうとしているのよ? あなたはそ れを見て何も感じないのかしら?」 「え!? い、いえ……凄い、んでしょうか?」  突然の質問に鈴仙が首を傾げると、メディスンを見る永琳の横顔に漂う空気が冷ややか なものに変わった。それが自分に向けられる『評価』だと悟り、鈴仙は顔を青くして考え を巡らせる。 「え、ええと、『受身』ではないから、ですか?」 「……まあいいわ。後学のために見ておきなさい。たかが兎のあなたよりは、余程貴重な 存在よ」 「は、はい」  きつ〜、と鈴仙は自分の失態に心の中で涙した。普段物腰穏やかな永琳であるが、弟子 に失望した際には氷点下の横顔を見せる一面もある。  他方、アリス・マーガトロイドも興味深い視線をメディスンに注ぐ一人だった。 (まあ、でも呪いじゃね)  二回戦の出番まで眠ると公言し、それを観客席の座布団の上で実行していた図太い神経 の持ち主であったが、文の放送の『毒人形』のひとことに反応してその瞼を開けていた。 (身体の動きは毒の化学反応、つまり『肉体に作用する毒』で行うとして、その毒への命 令系統は? あれかしら、呪いの生んだ意思を『精神に作用する毒』が媒介になって肉体 用の毒にポストしている……ってところかしら)  でもまあ、呪いじゃね。  あくび混じりに繰り返し、アリスはぶんぶん手を振ってくるメディスンに、おざなりに 手を振り返した。  そうして、もう一度あくび。  それを見て、メディスンはうむむと口をへの字にして唸る。 「どういうことかしら。みんなの反応が冷たいわ」 「それはあなたの打算が見えるから」 「!」  不意に背にかけられた言葉に、メディスンは存在しない心臓を鷲掴みにされた感触を覚 えて振り返った。そこには、審判長を務める映姫がお澄まし顔で立っている。 「あなたは少し心が狭すぎる。意に沿わないことを口走る者全てに暴力を振るう限り、あ なたに心からの言葉をかける者は現れないと知りなさい」  いるとすれば、あなたの耳に心地好い言葉を囁いて利用しようとする者のみ。  静かで、しかし心に直接響いてくる映姫の言葉に、メディスンはハッとする。  そうした心の狭さは、かつて幻想郷に四季の花が入り乱れた春の事件の際にすでに告げ られたものだ。  だからこそ、メディスンは他人を見れば全て敵と捉えることも、性急に人形解放を追い 求めることもやめて、まずは多くの者との交流と自分の成長を目指すことにしたのである。 「わ、私は……っ」  それを思い出させられ、メディスンは反論しようとした言葉が詰まる。新しい目的に対 し、かつての性急さと同じ視野の狭さを発揮してしまったのだ。 (また間違った……のかしら)  花の事件の際、それでとても痛い目にあっている。  弾幕に負け、馬鹿にされ、玩具であることをことさらに強調され、そして最後に何故そ うなってしまったのかを諭された。  悔しかった。  自分の小ささを、浅はかさを思い知った。 (でも、私はだから、きっと、ほんのちょっとだけでも成長したんだわ)  『現状を知る』ということは、メディスンにとってとても貴重な経験になった。  その経験の先にいるのが今の自分なのであれば――。 「……そう、ね。私が間違ってる」  ぽつり、とメディスンは呟きよりも小さくそう口にする。それを聞いた地獄耳の閻魔は、 『よく出来ました』の笑みを浮かべてうなずいた。 「よろしい。その初心を忘れることなければ、あなたはいずれ正しき心を育て上げ、そし ていつか人間を越えることでしょう」  特別優しいわけでも、感情がこもっているわけでもない。それでも不思議と映姫の言葉 はメディスンの小さな胸に染み入ってくる。  うん、と幼い毒人形は決意した。 「私は絶対この試合勝つわ。それで、みんなに私のことをもっと知ってもらうのよ。さっ きの妖怪にも謝って、お友達になってもらうのよ。私は、もっともっとみんなから色々学 んで賢く、強くなるんだから!」 「――お見事! 聞かせていただきました、その決意!」  素晴らしい、と盛り上がるリングに瞳を輝かせて文がマイクに声を叩きつける。  生まれたばかりの妖怪の純粋な想いは、それだけで幼子を見るかのように微笑ましい。 少女のそうとは気づかぬ大声での宣言は、一部の年下を見守る余裕のある妖怪たちには実 に好意的に受け止められていた。  しかし、だ。 「しかし! お聞きください、この賭け率! メディスン・メランコリー、八.三倍! 対する相手は二.一倍! 実に四倍の差が出るこの現実! そうです、相手はこの人、私 調べ妖怪がやり合いたくない人間ランキング第二位――」  再び、リングがルーミアの闇に包まれ、スポットがキャンバスに向かう。今度は赤コー ナー。  つまり、 「人間の魔法使い、霧雨魔理沙ー!」  誰もいない場所だった。  と。 「あれ?」  そこで初めて、文は赤コーナーに人の姿が無いことを気がついた。否、一応いるにはい るのだが、それはコーナーの外側、セコンドスペースに霊夢の姿があるだけなのだ。 「あ〜、紅白のセコンドの方。黒白の選手はどこに行きました」 「さぁ? その辺りでお茶でも飲んでるんじゃないかしら?」  文の質問に、霊夢は肩をすくめて観客席の方を示す。それに促されて文も周囲を見るが、 特徴的な黒と白の衣装はどこにも見つけ出すことができなかった。そもそも、試合前に悠 長に茶を啜るなど巫女や吸血鬼くらいのものだ。  その状況にメディスンが言う。 「恐れをなして逃げたのかしら」  その言に対し、妖怪たちは「まさか」と失笑したが、同時に「それもあり得るかも」と 少しだけ思った。  メディスン・メランコリーは、毒で動く、言うなれば毒の塊だ。その毒は短時間で生物 の身体を麻痺させ、飛ぶ鳥でさえも落とす。  魔法の森の瘴気に慣れているとはいえ、魔理沙も一応は人間である。普段の弾幕ごっこ ならばともかく、触れるだけで身体を冒す毒人形と真正面から肉弾戦する気概は無いだろ う。 「――ともあれ、もうしばらく魔理沙選手を待ってみましょう。閻魔様、それでよろしい ですか?」 「構いませんよ」  私はルールを裁くだけですし、と映姫は大会の進行には口出ししない方針だ。  そして、そうやってしばしの待ち時間が発生すると、退屈するのはリングの上のメディ スンである。魔理沙がいないということで、会場では様々な憶測が生まれては消え、囁か れては否定されていたが、セコンドのいないメディスンには話し相手すらいないのだ。  自然、赤コーナーの霊夢に相手してもらおうと足が赴く。 「魔法使いは〜?」 「はい、そこまで」  霊夢がコーナーポストの裏からお祓い棒の大幣を伸ばして、メディスンの額に当てる。 それをつっかえ棒にして、その距離で二人は話す。 「あなたはあの黒白と仲が良いんでしょ? 呼んできてよ」  と、メディスンは二人の友情に訴えかけるように言うのだが、 「私が魔理沙を呼んだことなんて一度も無いわよ。別にいて欲しくもないし」  と、霊夢はそっけない。 「ん〜、けど、たぶん本当にその辺りにいるわよ。観客席とか、神社の中とか。勘だけど」 「逃げたかも」 「あいつに限ってそれはないでしょ。逃げる時は、相手に顔を見せて、減らず口叩いてか ら逃げるタイプよ」 「それって最悪かしら……」  庇いようもなく霊夢が言う内容に、メディスンはげんなりした顔でリング中央へと戻っ た。  そこでクルリとターン。  もう一度ターン。  再三ターン。  止まった。 「きぃー! 遅いわよ、待ちくたびれたわー!」 「早っ。気ぃみじかっ!」  両手を振り上げて癇癪を起こすメディスンの姿に、妖怪たちは「黒白早く出て来い」と 切実に願った。故意か無意識か、メディスンの身体からは赤紫色の毒霧が滲み出し始めて いる。もともと影響を受けない映姫は平気な顔だが、霊夢などは袖で鼻と口を覆って顔を しかめた。 「ちょっとどうにかしなさいよ、審判!」 「そうですね。では――」  霊夢の訴えに、映姫が仕方なしとばかりに笏を掲げる。すると、曇天から天使のような 笑顔のリリーホワイトが舞い降りてきて、 「始まり――#$&¥*+#$&%〜=!?」  毒にやられてキャンバスに落下した。  肉が跳ねる良い音が、試合開始の合図となった。               ※ ※ ※ 「お〜っと、Cブロック第一試合は早くも前代未聞! 対戦相手がいないままの試合開始 となりました! これは……ルールに無いのですが、どう扱ったら良いのでしょうか。過 去の例に詳しい慧音さん、どうですか」  想定外の事態に、文も少し混乱気味だ。選手が試合を開始してからのルールは存在すれ ど、そもそも試合が始まらなかったり、対戦相手がいない場合のルールなど設定されては いない。  最後の頼みの綱と話を振られた慧音は少し考え込んで、 「格闘ごっこ大会なんて過去には無いわけだが……そうだな、これを機会に、リング外に 落ちた時のルールを追加してはどうだろう。すでに何度か相手の攻撃でリング外に落ちる ケースはあるわけだし、ダウンと等価値としては」 「つまり、今回は魔理沙さんがリング外に落ちた扱いで試合を進めるわけですね」  なるほど、と文が次に慧音の隣に座る霖之助に視線を向ける。無言の要請に、彼はふむ と顎を撫でてから、 「ダウンと等しい扱いは厳しいな。永遠亭の主に投げられた化け猫の時の例もあるし、ダ メージに関係無い場合もある。ここは、ダメージダウンの十カウントの倍で、二十カウン トでどうだろう」 「それいただきです。――皆さん、ルールの変更をお伝えします〜」  首脳会議終了、とばかりに文は放送席のテーブルの上に膝立ちになり、今作られたばか りのルールを会場の観客及び選手たちに告げた。それは審判長の映姫に伝えたことにもな り、彼女は静かにカウントを始める。 「ワン、ツー、スリー」  映姫のカウントは、きっちりと正確に一秒一回だ。そこに贔屓は存在せず、それは無機 質なほどに正しく選手たちを裁き切る。 (あの馬鹿。何考えてるのかしら?)  後十五秒余りで敗北となる魔理沙の状況に、霊夢は改めて会場を見渡した。観客たちも、 どこかに魔理沙がいるのではないかと首を巡らせている。 「エイト、ナイン、テン」  ダウンならば、そこまでで終わり。  残り十秒というところになって、さらにメディスンの苛立ちは募った。 「もうもう! せっかく格好良く私が勝つところをみんなに見てもらうはずだったのに!」  トストスと軽い体重音でキャンバスを地団駄する。  確かに残念ね〜、というのは、永琳の横に座る輝夜の呟きだ。その不穏な響きに、鈴仙 は輝夜に向かって口を開きかけ、しかし思いとどまって永琳に小声で尋ねる。 「何かあの毒人形にしたんですか?」 「ああ、あなたは知らなかったのね。教えたわよ。私と姫の二人で、月の技を一通り」 「……は?」  呆ける鈴仙に、永琳はクスクスと楽しそうに笑う。  それはね、と秘密を打ち明ける年若い少女のように、 「免許皆伝ってことよ。白紙っていうのはいいわね。教えがいのある子よ、あれは」  姫も『先生ごっこ』で楽しめたようだし、と永琳は手ごろな『玩具』への高い評価を口 にした。  それを聞いた鈴仙は「兎で良かった……」と、ようやく少しだけメディスンたち人形の 悲哀を理解した気がした。何が可哀想というわけではないのだが、何か『嫌』だ。  しかし、そのメディスンは覚えたての技を使いたくてたまらないのか、「ちょあ〜」と ばかりに拳を突き出している。小さな身体では威力を期待できない正統派の突きだったが、 その拳に宿る毒を考慮すれば卑怯なくらいの必殺技でもある。  その姿を眺めつつ、永琳は続けた。 「あの子にはね、『先』しかないの。罪は過去についてくるものだから、生まれたばかり の命というのは本当に完全な無罪。そもそも自発的な罪などあるはずがない人形だしね。 あれは――」  いらついているメディスンの姿。  まだまだ生きることにたどたどしい子供の姿。 「『先』を、『希望のある未来』だけを見据えて進む無垢。これからその無限の未来に向 かって、どんどん罪に穢れていく予定の、本来なら穢れるはずのないお人形」  本当に、なんて希少価値。  『罪人』ならぬ『罪人形』など、他の誰が所有する?  だから、輝夜は永琳の言葉の後を継ぐのだ。 「蒐集家――珍品コレクターとして、これは見過ごせない一品でしょう?」  見た目も可愛いし、お友達ごっこも楽しめるし。  そんな主二人の屈託の無い笑顔に、鈴仙は呆れる以上に戦慄するしかない。そして、戦 慄する以上に頼もしく思うのだ。 (これが……天上人から見える世界なのね)  無邪気な傲慢。  確信の我が儘。  『仕える』ことが当然と思えてしまうその格の違い。 (負けは無いわよ、毒人形)  このお二方の期待を裏切ることなんて、許されないんだから。  そうして、カウントは終わりに近づく。 「シックスティーン、セブンティーン」  その響きは、規則的だからこそ、よりメディスンの神経を逆撫でする。一秒の待ち時間 をまったく同じように二十回繰り返されることは、同じ苦痛を二十回繰り返されるのと同 じことだ。 「エイティーン」  残り二秒。  会場が一斉に映姫に注目した。  試合をするはずだったメディスンはすでに『当事者』ではなく、全ては決着の権利を持 つ閻魔へと向かう。 (なんで!? 本当だったら私が……っ)  目立つはずだったのに。  いっぱいがんばるはずだったのに! 「もう、いい加減出てきなさいよ〜!」  苛立ちの最高潮がそういう叫びとなって天に向かって拳が振り上げられ、 「よ、いい塩梅じゃないか」  ――霧雨魔理沙は現れた。               ※ ※ ※  まるで盛大な遅刻の事実など無かったかのように、魔理沙は腰掛けた箒の高度をキャン バスの上に落とした。  ひょいっと飛び降りれば、今度は毒霧漂う周囲の空気を薙ぎ払うように得物を一振り。  そして、 「おいおい、なんだこれ……ずいぶんガス臭いな」  小ぶりで低い鼻をこれ見よがしに摘んでみせる。 「あ〜、臭い臭い。匂いのもとはお前だな」 「な……っ」  そのひとことにカッと頬を染め、メディスンはまなじりを吊り上げた。そこでようやく 魔理沙以外の時間が動き始める。 「魔理沙選手……です、魔理沙選手、ようやくの登場! 審判長のカウントが十九で止ま り、ようやくの本当の試合開始!」  文の声に、魔理沙は放送席を一瞥し、次に自分を取り巻く会場を見回した。「お〜、集 まってる集まってる」という呟きは、対峙したメディスンのみが耳にする。  魔理沙はメディスンが小憎らしく思うほどに常通りであった。濃い蜂蜜色の髪も、少女 らしい整えられた睫毛も、幼さを十二分に残しながらも美少女と言って差し支えの無い顔 立ちも、そこに浮かぶメディスンを小馬鹿にした表情も――。 「むっかぁー! 何かしら何かしら!? 遅刻したくせに、何を偉そうにしているのかし ら!?」 「お〜っと、待てよ、それ以上近づくな。まずはこのガスをどうにかしてもらわんとな」  すでに怒りの沸点に達したメディスンが踏み込もうとすると、魔理沙は至極当然の権利 とばかりに言い、先ほど霊夢がそうしたように箒の柄でメディスンの額を押し止めた。  その物言いが、さらにメディスンの頬を膨らませる。 「ガスじゃないわ! ガスは気体! 霧は液体!」 「どっちでも危険なことには変わらんよ。それにな」  魔理沙は顔をしかめた。  あー、やだやだ、と。 「こんなに臭いと、戦う気にもならない」 「また臭いって言った〜!」 「臭いね。皆そう思ってるよ。周りを見てみな」 「え?」  と、促されたメディスンが見れば、霊夢は袖で顔の下半分を覆い、リングサイドの観戦 者たちも同様だ。平気な顔をしているのは、完全な亡霊と蓬莱人くらいのものである。  メディスンがそれを確認したのを見届けて、魔理沙は毒人形額から箒を放す。 「『空気読め』、だぜ」 「…………っ」  その瞬間のメディスン・メランコリーの表情。それをどう表現すれば良いのか悩む、と それを目撃してしまった者達は後に語る。  唇を噛む憤りと。  瞳に涙をためる悔しさと。  知らぬうちに毒霧を振り撒いた情けなさと。  その他様々なものが入り混じった一瞬の感情。  ――だが、メディスンはそれをどうにか爆発させずに飲み込んだ。ゴクン、と実際に喉 を鳴らし、気持ちの全てを飲み込んだ。  感情は精神の毒であり、毒はメディスンの力だ。肩を細かく震わせながらも、メディス ンは大きく深呼吸をして周囲の毒霧を口の中へと回収する。  一息。 「さあ、これで……」 「いやぁ、まだプンプン臭うぜ。なあ、霊夢」 「臭いわねぇ、魔理沙」  参った、と大仰に肩をすくめる魔理沙に、霊夢は呆れた声を返した。その『臭い』のひ とことに、メディスンがぴくんと反応する。 「この、まだっ」 「臭いものには蓋をしろ、だ。よぉし、やるか!」  もう待てないと、上半身が前のめりになったメディスンが牙を剥くのに、魔理沙は気軽 にそう言って大きく伸びをした。  リラックス。それを強調する。 「さ、来い」  半身になって、伸ばした指先でカモン。  その誘いに、メディスンは見事に乗った。  怒りに目を真っ赤にして前に踏み出そうとし、 「あ、ちょっと待った」 「なに!? 何かしら!?」  再び魔理沙の言葉に足を止められた。メディスンが怪訝な顔をするのに、魔理沙はふむ としばし考え込むそぶりを見せ、それからよしよしとうなずく。 「お前も怒ってるみたいだし、私が遅れた理由を教えてやろうと思ってな。一応ちゃんと した理由はある。お前も納得する立派な理由だ」 「……理由?」 「ああ。聞けばお前も思うぞ。仕方が無いって。そりゃそうだって。そればっかりはなっ て、絶対に思う」  それがそこまでのメディスンを馬鹿にした言い方なら、メディスンは大人しくその言葉 を聞いたりはしなかっただろう。だが、魔理沙は一転して真面目ぶった表情でそれを口に していた。  だから、メディスンは止まった。  それはメディスンのみならず会場にいる全員が知りたかったことだ。自然、皆は歓声を 潜めて魔理沙の言葉に耳を傾ける。特にメディスンは、自分が熱くなり過ぎていることを 自覚していた。魔理沙が真実を話すのであれば、メディスンこそがその熱さを抑えるため に説明を必要としていた。憤りに熱くなった頭を冷やし、冷静に戦える状態に戻れるだけ の理由があるなら、聞いてみたい。 (それを聞いてからでも遅くはない……かしら?)  少なくとも、一呼吸分の時間はメディスンをかなり冷静にさせた。自分の手足の短さ、 経験の浅さを思い出す。 (私は、弱いのよ)  スーさんがいれば負ける気がしない。でも、今頼れるのは自分の身体だけ。  確実に勝つために、メディスンは冷静でいなければならないのだ。ここまで見てきた格 闘ごっこ大会の試合は、それを知るための良い勉強になった。 (落ち着くの、落ち着くの)  煮えたぎる思いがある。飲み込んだ精神の毒が、無垢な人形の心を冒そうとする。それ を取り戻した冷静さの部分で必死になだめ、感情の手綱を握ろうとする。 「……いいわ、話して」  そして、搾り出すようにメディスンは言った。それに満足そうにうなずき、魔理沙は肩 に箒を担ぎ直してから、神妙な顔で言う。  それは意外なひとこと。 「私はな、私を強くしてくれる人に会ってきたんだよ」 「強くしてくれる、人?」  予想もしなかった言葉に、メディスンはカクンと真横に小首を傾げた。うむ、と魔理沙 は瞼を下ろす。 「正直、私は格闘ってのには縁遠くてな。てっとり早く強くなる方法を聞いてきた。その 人は私の原点で、私をここまで強くしてくれた、いわゆる私の師匠ってやつだからな」  実はな、と魔理沙は続ける。 「時間までに強くなれなかったら、私はここには来ないつもりだった。だってさ、ほら、 私は人間だろ? さすがに素手で妖怪とやるあうのはナンセンスだ。私は頭脳派なんでな」  嘘付け、と呟いたのは、霊夢とアリスの二人。  ともあれ、魔理沙は結果としてここにいる。 「それって、強くなったってことかしら?」 「そうだ、私は強くなった。もうお前にも負けない。一撃……というか、ひとことで勝つ な。私のひとことでお前は負けを認める」 「何を……」  ふざけたことを、とメディスンは唇を尖らせた。言葉で降参するほど、メディスンの意 志は弱くはないのだ。そのことは、メディスン自身が良くわかっている。  だが、魔理沙の目は冗談を言っている目ではなかった。その光に、メディスンは危険を 覚える。 (勝てるって、そう思ってる目?)  魔理沙は、メディスンに負けるとは思っていない。確実な勝機があってそう言っている のを感じた。  ゴクリ、とメディスンは息を呑む。今度は精神の毒ではなく、緊張故の行動だ。  尋ねる。 「……その言葉って?」 「聞いた時には、お前の負けだぜ?」 「負けないもの」  勇気を振り絞り、メディスンはそう言った。言葉程度には負けないという自信を守るた めには、あえてその言葉を聞くことが必要だと思ったからだ。 「なるほどな」  果たして、魔理沙はそれに笑う。その笑顔――初めて見せた、馬鹿にしたわけではない 好意の笑顔に、メディスンは目を丸くした。 「いい心構えだ。よし、じゃあまず私の師匠を紹介してやる。まあ、結構知っている奴は 多いんだけどさ」  魔理沙が、すっと指先を伸ばした。指が向いた方向を、メディスンは見る。  示されたのは、博麗神社。  その屋根の上。  霊夢は一応そちらに視線を向けた。 「まあ、あいつなんでしょうけど」  アリスはげんなりとそちらを見た。 「あんまり会いたくないんだけど……」  興味津々なのはレミリアたちで、魔理沙の師匠という噂ばかり聞いているその女性を見 るために首の角度を傾けた。 「どこどこ?」  妖怪かちが凝視する博麗神社の屋根の上。  まず一見して、そこには誰もいなかった。ならばと思い、舐めるように屋根全体とその 周辺にまで目を遣るが、やはりそこには誰もいない。  何も無い。  毒人形は小首を傾げる。 「え?」  メディスンの疑問の声が上がると同時、 「霧雨ホームラン!」  衝撃が毒人形の後頭部を貫いた。               ※ ※ ※ 「は?」  凄まじい打撃音がしたと思った直後、何かが倒れる音を聞いて文はリングを振り返った。 すると、そこには倒れ伏したメディスンの小さな身体と、赤コーナーのポストに背を預け て悠々とくつろぐ魔理沙の姿が目に入る。 「は? え、あ、ダ、ダウーン!? メディスン選手、ダウンです。魔理沙選手、いつの 間にか赤コーナーで勝ち名乗りを上げている〜!」  驚愕の声を上げる文に応えるように、魔理沙が「やー!」と片手を突き上げて自分の勝 利をアピールする。それでようやく事情が飲み込めた会場は、おおお、と感嘆とどよめき の混じった響きに揺れた。 「え? 勝ったの、魔理沙?」 「いったい……って、箒?」 「箒って、いや、誰か見た?」  一同の視線が倒れるメディスン、続いて映姫に向けられるが、審判長は一瞬目を伏せ、 それから笏を掲げて宣言した。 「ダウン! ワン、ツー、スりー」 「認めたー! 審判長四季映姫・ヤマザナドゥ! 閻魔様が、この限りなく黒に近いダウ ンを有効と認めました!」 「ちょ……っ」  慌てたのは鈴仙だ。彼女はピクリとも動かないメディスンを信じられないという顔で見 て、自らの師匠を振り返った。だが、永琳はむしろ面白いものを見たという様子で、輝夜 とともに含み笑いで余裕の拍手を送っていた。 「し、師匠、いいんですか!?」 「いいも何も、ねぇ。ああ、そう、鈴仙は『見た』のね? 魔理沙が箒で叩いた瞬間を」 「え? い、いいえ……」  意味ありげに永琳に尋ねられ、鈴仙はしかしそれに首を横に振るしかなかった。  状況証拠はある。だけれど、鈴仙は『事件』が起こった瞬間には博麗神社の屋根の上を 見ていたのだ。 「なら、疑わしきは罰せずよ。それに、もっと問題なのは、『リングの中に武器を持ち込 んだ』ことなんだけど……誰も気にしてなかったわね」 「うあ……」  言われて初めて鈴仙はそれに気がついた。  まさか、と血の気を失った顔で、してやったりが全身から溢れている魔理沙を見遣る。 「箒を持ち込むためだけに?」 「遅刻したんでしょうね。まあ、『だけ』じゃなくて、他の理由もあるんでしょうけど。 無理したみたいだし」  言いながら、永琳は席を立ってリングへと歩み寄った。そうして、映姫が「テン!」と メディスンに対する最後の言葉を告げると同時に、地面をひと蹴りしてメディスンを回収 に上がる。 「勝者、霧雨魔理沙!」  珍しくどこか悔しそうに、映姫は魔理沙の勝利を宣言した。贔屓は何一つ無い映姫だが、 自らのミス――目撃者のいない犯行を許してしまったことは屈辱らしい。  もちろん、映姫ならば魔理沙を見るだけで、その犯行の全てを知ることができる。しか し、反則宣言はそれが行われている現場でされなければならず、すでに終了した状況に対 して「さっきのは反則」と言うことは、ともすれば試合終了後に結果を覆すことができる という悪例になってしまう可能性もある。 「……ここは、これもテクニックということで納得しておきます」  空の上から自然に『箒を持って』リングに登場するために遅刻。  会話でメディスンの興味を引き、あらぬ方向に視線を誘導するその作戦。  結果を見れば、『試合中に余所見をした』メディスンが悪い。箒が使われたか使われな かったかは、閻魔以外にとって謎のままだ。  その勝者兼容疑者の魔理沙であるが、アリスのお株を奪うひとことを言ってみせていた。 「ふふん、格闘はブレインだぜ」 「最後はしっかり力技じゃない。それにしても、くっさい芝居よね〜。騙す気満々だった じゃない」  バレバレよ、と言う霊夢に、魔理沙はペロッと舌を出す。実を言えば、途中で霊夢に臭 いと言われた時には、そのことでメディスンにバレてしまうのではないかと心配したのだ。 「空気読むことを希望」 「だから読んだのよ。バレバレなのを」 「……とか、言ってみるテスト」  そうやって霊夢とじゃれる魔理沙の姿に、屈みこんでメディスンをツンツンつついてい た永琳はほくそ笑む。 「がんばるわね。本当なら、そのまま座り込んで休みたいでしょうに」  倒れているメディスンは、完全に気を失っている。ダメージダウンでカウント内に立ち 上がれなかったというものではなく、一発で気を失っているのでその時点でノックアウト 負けだ。 「妖怪を一発で気絶させるなんて、人間の力でできるはずがないっていうのに……あの巫 女は勘は鋭いくせに、そういうところだけ妙に鈍いのね」  だから妖怪たちにからかわれるのかしら、と苦笑する。  魔理沙が遅れた理由。それは、箒を持ち込むためと、もう一つ。 (『苦しかった』んでしょうね、普通に)  とても普通に。  人並みに。  劇薬を飲めば、人はのたうち回るものだから。  そう。 「一口舐めれば百人力。二口啜れば妖怪力。そして三口含めば……」  人には戻れぬ。  唄うように口ずさみ、永琳はよいしょとメディスンの身体を抱えあげた。四肢の力を失 った毒人形は、本当にただの人形のように沈黙している。  メディスンは、魔理沙に対して圧倒的に有利だったはずだった。触れればそれだけで毒 を与える身体は、攻撃にも防御にもなりえる。素手の魔理沙では、近づくことすら困難だ ったはずだ。  それを覆し、一発の打撃での決着に導いたのは、単純な一つの要素のみ。 (経験値の差、ね)  ドーピングした破壊力を余すところ無く発揮するためのすべを、魔理沙は持っていた。 対するメディスンは、それに対応するすべを持っておらず、素直過ぎた。それだけのこと だ。 (本当、あんなバレバレの演技で、ねえ?)  吹き出してしまいそうになるのは、霊夢と談笑する魔理沙がコーナーポストを離れない ことだ。少しでも目端の利く者ならすぐにわかる。 (寄りかかってないと、倒れそうなんでしょう)  実際、箒でのフルスイング一回、それが限界だったはずだ。それをあくまで隠して、平 然とした顔でメディスンと会話してみせた。演技が下手だったのも、その自分の状態を隠 すために全力だったからだろう。大した面の皮だと永琳も感心する。試合後にコーナーに 詰まっていなければ、満点だ。 「でも、これでネタバレ」  わざと言葉に出して、魔理沙に聞こえるように永琳は言った。  もう不意打ちは通用しない。二回戦までに身体も『馴染んで』動かせるようになるだろ うが、その時には対戦相手も理解していることだろう。  今の魔理沙が、パワーだけならば妖怪並みから、それ以上のものを持っていることを。 (やれやれ……薬は私の専門分野なんだけど、仙丹ならぬ妖丹とはね)  使うなら二回までにしておきなさい、と永琳は暗に視線にその意を込める。だが、言葉 に目を向けてきた魔理沙は、それを受けても不遜な笑みを返すのみだ。  そこにあるのは、暴れ馬に乗るのを楽しむ若者の瞳。  処置無し、というふうに永琳はメディスンを抱え治してリングから降りる。 「師匠、代わります」 「いいわ。あなたじゃ倒れるだけ。起きたら思いっきり泣いて毒撒き散らすわよ、この子」  こんな時だけ弟子根性を発揮してメディスンを受け取ろうとする鈴仙を断り、永琳はさ てと最後に一度だけ魔理沙を振り返った。 「あなたは誰と遊ぶために、そういうやんちゃをするのかしら?」  わかる気はするけどね、と。  そういう永琳の呟きが聞こえたわけではないだろうが、魔理沙はようやく背中をコーナ ーポストから外し、くるりと霊夢に向き直った。  そうしてするのはいつもの啖呵。 「私が霊夢に勝って優勝したら、正月三が日分の食事当番全部お前な」 「いいわよ。その他、掃除洗濯全部魔理沙がやってくれるならね」  ブーイングと賭札がリングに落ちてくる中、幼い毒人形のささやかな未来への願いを打 ち砕き、二匹の仔猫はそうやって楽しそうに少し先にあるお互いの未来の試合――決勝戦 にのみ許される直接対決の約束を交わすのである。                         『Cブロック第1試合』――決着!