東方殴り巫女伝説 〜Bare Knuckle Players〜 1回戦 Bブロック第4試合 レティ・ホワイトロック VS 十六夜咲夜 ※ ※ ※ 段々と雲の厚みが増し、昼の盛りだというのに暗さを増していく大晦日。 リングの上に立った二人の選手の姿に、放送席の文は白い息を吐きながらマイクに向か って声を張り上げていた。 「さあ、この格闘ごっこ大会もすでに八戦目! 一回戦の試合の半分が消化されようとし ております。Bブロックの最後を飾るのは、このお二人! 皆さんご存知、冬の風物詩、 雪のカリスマこと、レティ・ホワイトロック!」 紹介されるのは、この寒さの中にあって一際健康そうに肌をつやつやさせた冬の妖怪そ の人だ。セコンドについたチルノが作った氷の椅子にお行儀良く膝を揃えて腰掛ける様に、 文は「さすが、余裕ありますね〜」と短いコメントをつけてから、次に青コーナーにスラ リと立つ少女に視線を移す。 「対するは、紅魔館の実質の顔! 瀟洒の代名詞であり人呼んで悪魔の犬! 戦うメイド 長こと、十六夜咲夜〜!」 その名前を読み上げると同時に歓声と拍手が沸き起こるのは、宴会用の料理の運搬―― とつまみ食い――で忙しかった紅魔館の妖精メイドたちが、今回ばかりは全員観戦に回っ ているからだった。 その応援の声は、 「メイド長素敵ー!」 「抱いてー!」 「おいおい、人間大丈夫か〜?」 「怪我しても知らないわよー!」 と大きく二分したものだ。身内であるメイドたちからもそうなのだから、会場全体で見 れば咲夜よりはレティ側に立った応援が多い。悪魔の犬というのは、それだけで嫌われる ものなのである。 しかし、それでもその声の多さは、好悪に関係なく多くの妖怪たちが咲夜という存在に 興味を持っているという証でもあった。 『紅魔館の顔』というのは、それだけで幻想郷に対して影響力があるものなのだ。 なので、 「凄い声援ですね……野次も多いけど」 「本当。どっちが犬なんだか」 吠え過ぎ、というのはセコンドの美鈴のぼやきに応えた咲夜の正直な感想だった。彼女 は騒然とした会場の様子もどこ吹く風で、リングサイドで観戦する幼いお嬢様二人に向か って微笑みかける。 片足を引いて、スカートの裾を摘まんで優雅に一礼。 当主とその最愛の妹に試合の勝利を誓う、咲夜ならではの会心のパフォーマンスだ。 (は〜、落ち着いてるなあ) 元来肉弾戦を得意とする美鈴とは違い、投げナイフを主な武器としている咲夜には接近 戦の経験が少ない。遠距離の弾幕ごっこの回数であれば充分こなしているのだが、一対一 の格闘ごっことなればさすがのメイド長であろうとも苦戦は免れないと本人もわかってい るはずだ。 「本当に武器無しで大丈夫ですか?」 「大丈夫よ。ここまで色々な戦い方を見せてもらったし、まあ真似事くらいはできるわよ」 「真似事って……咲夜さぁ〜ん」 「心配しすぎよ」 情けない顔でぐでっとコーナーポストに寄りかかる美鈴に苦笑しながら、咲夜は右足首 を二三度振るう。次に左足首。両手首を手慣れた様子でパキポキ慣らし、瞼を下ろしてひ とこと。 「私が負けると思う?」 「っ!」 その何とも気軽な質問に、美鈴はコーナーポストを抱き締めながら目を見開いた。 ゆっくりと咲夜が瞳を見せると、そこには自分の敗北など想定に入れていない不遜な自 信が満ちている。 (うわ……) と美鈴が感心してしまうくらい、それは『妖怪らしい』ものだった。一時期は『メイド という種族の妖怪』とさえ囁かれた少女だ。正門を通らずに紅魔館に侵入し、彼女に『お 仕置き』された妖怪は数多い。 (たまにどこか抜けてるけど……さすがにこういう時は頼もしいなあ) 基本有能な瀟洒なメイド。現在は有能モードと見た、と美鈴は咲夜の凄みにごくりと喉 を鳴らしながらも安心した。 選手が不安を抱いていないのであれば、セコンドがすることは一つだ。 美鈴はリングの中に手を差し伸べ、 「ご武運を」 「それほど待たせないわ」 パシン、とスナップを効かせて咲夜はそれに手を合わせた。 そういうやり取りを見て、 「あれがスポ根。リングという限定空間独特の緊張状態が生み出す仲間同士の連帯感」 「パチェは物知りだなぁ」 主たちは楽しげに茶化したりするのである。 ※ ※ ※ 「え〜と……このトーナメント表だと、あたいとレティが戦うのは準決勝ね。それまでは 応援してあげるから、がんばってよね!」 「…………」 「…………」 赤コーナー。 レティはさっそく飛び出た氷精の『妄言』に大妖精と顔を見合わせ、二人で綺麗に唱和 した。 「それは無理」 「え? 自信無いの? 大丈夫だってばさ、レティもあたいほどじゃないけど強いんだか ら!」 パシパシと両手で肩を叩いてくるチルノの大真面目な顔に、レティはどうコメントして 良いか悩んだ。大妖精が「うちのチルノちゃんがすみません」とばかりに申し訳ない顔を しているのが微妙にいたたまれない。 「……まあ、それは良いとして。どうしたの、いきなりセコンドだなんて? どういう風 の吹き回し?」 「ん〜? 別にレティ嫌いじゃないし。あのメイドには何度も酷い目に合わされてるから、 ぎゃふんって言わせて欲しいのよ。きょどーせんせいね」 「先生? ……ああ、共同戦線ね。――いや、座り込まないで」 恥ずかしげに顔を隠して座り込んでいるのが大妖精の方というのも、不思議な話である。 チルノは妖精とは思えないほどに力が強いが、大妖精も妖精とは思えないくらいに羞恥 心を持っている。妖精といえば真っ裸で街中を歩いても「へいきへっちゃら(チルノ談)」 なものと認識していたレティとしては大発見も良いところだ。 (その羞恥心が、いたずら失敗とかじゃなくてチルノの行動という一点のみに向かってい るあたり、面白いけど) そうしたことを、レティは無意識にチルノの鼻をつまみながら考えていた。 「ふがー!」 「あら。変な顔」 「ぐの〜!」 負けじとチルノがレティの頬を掴んで引っ張ると、むにゅっとしたそこは意外なほどに 横に伸びた。それを見て大妖精は「チルノちゃん懐いてるなぁ」と少し羨ましく思ってし まう。 レティはほっそりと言うよりはやわらかな丸みのある顔のラインをしており、厚手の服 も相まってどこかぽっちゃりとした感じのする少女だ。普段ずっと浮かべている穏やかな 笑みや、その落ち着いた性格が、少女らしからぬ包容力となってチルノを惹きつけている らしい。 何せこの氷精、自分に構ってくれる者に飢えているのだから。 そうしたことを、大妖精は無意識にチルノの腋をくすぐりながら考えていた。 「ぶひゃっ!? なにひゅるのひゃーっ」 「え? あ、なんとなく」 「私もなんとなくねぇ」 「むぁー!」 ついにチルノが地団太を踏み出すと、レティが座っていた氷の椅子が砕け散る。その散 弾を至近で受けて、レティはお尻、大妖精は額、チルノはモロに喰らった顔面を押さえて 悲鳴を上げた。 「ぎゃっ!」 「きゃあっ」 「いたたっ」 順番にチルノ、大妖精、レティの声である。もう何がなんだかわからなくて、自分は何 しにリングに上がったんだったかな、とレティは尻を押さえながらクスクスと笑う。 テンションが高い。 曇りの空をレティが見れば、そこからゆっくりと白い淡雪が舞い始める。 「雪?」 と誰かが呟き、皆が白い息を吐く。その中で吐息に色が無いのは、レティとチルノの二 人だけだ。 そのせいか、二人は互いに顔を見合わせる。 レティは日焼け一つ無い肌をほのかな朱に染めて。 チルノは赤くなった鼻を押さえて。 「そろそろ試合を開始します。選手、中央へ!」 文の催促すら無視して、妖怪と妖精はこの訪れた冬の気候に他の誰ともできない共感を 為す。皆が寒さに身を縮め、自らの手で腕の肌をさすって暖を取る。その中で、二人だけ の共通見解。 先に口を開いたのは、やはり先制の性のあるチルノだ。しかし、言いたいことは一緒。 「まったく」 「みんな」 「だらしない!」 両腕を突き上げ、チルノが叫ぶ。 「黒幕しゅっぱーーーーーーつ!」 「!」 同時に会場で爆音が弾けた。誰が頼んだわけでもないが、プリズムリバー三姉妹が一斉 に吹雪の曲を奏で出す。 さらに鼻の頭に絆創膏を貼った夜雀が声高らかに、 「カチコチ冬の日、キンキン寒い日、人は遭難凍え死ぬ〜♪」 唄いだす。 それは誰もが知っていること。妖怪ならば身をもって理解していること。 大妖精が、穏やかな微笑みの中に異様なほどの――暴れるのを堪えようと必死になって いるほどの――レティの昂りを見て、拳に汗を握る。 そう。 冬に最強なのはやはり『冬の妖怪』たちなのだ。 妖怪たちの中には、特定の条件が揃うと恐ろしいほどの力を発揮する者たちがいる。炎 の中のフェニックス、暴風の中の天狗、そして冬の季節の雪女。 レティはそうしたカテゴリの中で、冬にこそ目覚めて最大の力を発揮する妖怪だ。 「雪だるま〜!」 「スケート〜!」 「お年玉〜!」 観客席の妖精たちが次々と飛び跳ねて遊びを謳う。まだまだ幻想郷の冬は長く深い。遊 び足りない。もっと冬だけの楽しみが欲しい。 暖気を好む妖精たちさえ乗せてしまうのは、メルランが中心となった躁の曲。冬は鬱の 静けさだけではない。吹雪が銀世界を生み、その晴れ間にこそ子供たちは駆け回るのだ。 「そ〜れ!」 騒霊の次女がターンを刻み、 「くるくるくる〜!」 釣られて幼い妖精たちがクルクル回る。 それは歳を経た妖怪たちも例外ではない。演奏が心を奪う。早く試合を始めろと心が加 速する。 その中心でレティは咲夜に言ったのだ。 「ほら、みんなまだまだ冬に遊びたいみたい」 それに、と。 見上げた空には、春の妖精。 リリーホワイト。 「冬の最中にメイドの相手だなんて……まったく本当に役不足」 小さな会釈は、対戦相手を無視して真逆の存在へ。 冬の妖怪と春の妖精は視線を絡め、笑顔同士でご挨拶。 「こんにちわ」 とは異口同音の言葉だ。 音楽と、歌と、そして歓声と。 自分を象徴するような雪の降るリングの上、レティは開始の声を聞いた。 「始まりですよ〜」 「春を告げるのは、メイドの仕事ではないのよ」 そう言ったレティの顎を、咲夜の掌底打ちが斜め下から跳ね上げた。 「は?」 と呆けたのは誰だったか。 後ろに傾いたレティの身体が、その角度を徐々に変化させる。傾いていく。堪えようと する。プルプルと震える。足が踏ん張ろうとする。 だが。 ドスッと音を立ててキャンバスに倒れたのが、その結果。 「メイドは、言われればなんでもこなすのがお仕事でして」 瀟洒なメイドは、そう言って優雅に一礼した。 ※ ※ ※ 「ダウーーーーーン! 冬の妖怪、レティ・ホワイトロック、試合開始一秒のまさかのダ ウン! カウントが始まります!」 「ワン――」 おいおい、と文が放送席の上に身を乗り出してマイクに向かって叫び、審判長の映姫が 笏を掲げてカウントを始める。 「レティー! なにやってんのさ!」 チルノがキャンバスをバンバン叩いていたが、咲夜は自分の一撃の手ごたえに、レティ が立ち上がれはしないと確信していた。 咲夜の攻撃がそれだけの破壊力を発揮したのには、三つの理由がある。 一つ目は、言うまでもなく不意打ちであったこと。試合開始の合図があったにも関わら ずリリーホワイトに意識を奪われていたレティは、ダメージを食らうという心構えすら間 に合わなかったはずだ。 二つ目は、打撃が斜め下からで顎へのものだったこと。一つ目の理由から首に力を入れ ることもできなかったレティは、顎という打撃されると振動が脳に直撃する位置に攻撃を 喰らい、無防備に脳を揺さぶられたはずだった。縦や横だと無意識でも肉体が揺れを押さ え込もうとするが、半端な『斜め』というのは肉体の反射が追いつかない角度だからだ。 三つ目は、自らの――妖怪に比べての――非力を補った打撃法。 人型の生き物は、筋力を発揮する際には例外なく『身体に近い』方が良いとされている。 例えば、腕を伸ばしたままでは持てないバーベルでも、手の位置が身体に近いと意外に簡 単に持ててしまうものだ。 それ故に、打撃も身体に近い方が力が乗せやすい。言い方を変えるならば、体重を乗せ やすい。肘打ちや膝蹴りなどは、素人でも比較的重い打撃が可能なのだ。もちろん、美鈴 などであれば遠距離の突きにも充分な体重を乗せることができるのだが、咲夜にそれほど の技術は無い。 そこで、咲夜は充分に肘を折り畳んだ掌底打ちを、身体ごと突き上げるような一撃とし てレティの顎に叩き込んだ。それこそ首ごと引っこ抜くような一発だ。 (立てない) と咲夜は青コーナーへと戻ろうとしたのだが、美鈴の真剣な瞳に促されて背後を振り返 った。 いつの間にか、映姫によるカウントは終了していた。八つめのカウントが入るところで、 レティが顎をさすりながら起き上がったからだ。 「いたたぁ……酷い人間ね。冬じゃなかったら終わってたわよぉ」 「続行!」 「……さすがに頑丈ね」 試合の継続を指示して映姫が下がる。予想外に立ち上がってきたレティの姿に咲夜は警 戒心を強めたが、レティは頭を振ってはっきりさせようとして、逆に足をもつれさせる。 「あ、あら?」 「咲夜さん、チャンス!」 美鈴の声に背中を押されるようにして、咲夜は真っ直ぐに突っ込んだ。矢継ぎ早に至近 距離での肘打ちと掌底打ちを叩き込む。 「いたっ、た……っ」 左の肘打ちは自分の右肩に拳を叩き込むつもりで横振りに。掌底打ちは擦り上げるよう に死角から。両腕で頭部を庇うレティに防御もお構いなしに打ち込み続ける。 「下!」 という美鈴の指示に正確に応え、両足に体重を乗せているレティの右足を、内側から土 踏まずを払うくらいの角度で右踵で踏みつけた。それは美鈴が試合で見せた斧刃脚にも似 ており、痛覚の詰まった足への打撃にレティがバランスを崩す。 踏ん張ろうとさらに足幅を広げるレティの頭が下がり、そこを咲夜は彼女の頭を両手で 抱え込んだ。 そして。 「ふっ!」 相手の頭を引き下げると同時に、自らの右膝を思い切り突き上げた。それはレティの腕 に阻まれつつも、充分な威力で額に命中し、力の抜けたレティの身体が前のめりにつんの める。 が。 「っとぉ」 それでもレティは身体を残して倒れることを拒否した。前傾姿勢で咲夜の腰に腕を回そ うとするが、咲夜が両脇を締めて肘を振り下ろすことでその腕を叩き落す。そうしてレテ ィの両腕を叩き落した位置を発射台にするようにして、咲夜は両の掌底を同時に無防備な 顎へと繰り出した。 右、左、と交差するように順番にレティの顎が『刈ら』れる。 手応えは充分。 それで二度目――レティの身体が、力無くキャンバスの上に倒れ伏した。 「ダウン! 十六夜咲夜、ニュートラルコーナーへ!」 「ああ〜……」 という失望の声は、周囲の観客たちからのものだ。「やっぱり駄目か」という声もあれ ば、「あれ人間?」と咲夜の縦横無尽の頭部攻撃に戦慄する声もある。 「レティ、まだ何もやってないじゃない!」 「レティ〜さ〜ん!」 早々の二回目のダウンにチルノと大妖精が発破をかけるが、レティはどうにか四つん這 いになってクラクラする視界を収めるのが精一杯だ。 「ふぅ……」 参ったわね、と。 笑ってしまうくらいに効いてしまった咲夜の攻撃に、レティは正直感心してしまった。 咲夜は妖怪から見れば確かに非力だというのに、それを補って余りある『急所攻撃』の正 確さを持っている。技術ではなく天性で放たれているその攻撃に、妖怪であるレティが二 度も膝を着く羽目になったのだ。 (……生まれながらの殺し屋っていうのがいるなら、こういうのかしら?) 人間ならもう脳がグズグズよ、とレティは大きく深呼吸した。 吸って、吐いて、もう一度大きく吸って。 「でも、それで倒せるのは人間だけよ」 ひょいっと簡単に立ち上がった。 それでよろけた。 「駄目じゃん!」 「いや、まあ、その……」 チルノのツッコミに、レティは苦笑いで咲夜に向き直る。咲夜は咲夜で、フラついてい るとはいえ立ち上がってくるレティに苦い思いでいた。 (あれで決定打にならない?) 表情には出さないが、咲夜の攻撃は確固たる経験に裏打ちされたものではない。どの攻 撃がどの程度のダメージになるのか、咲夜自身知らないで繰り出している、いわゆる『自 信の無い』攻撃だ。 (効いてないはずはないけど……?) 内側、内側、と意識して相手のリーチ内に入り込んで行う超至近距離での打撃は、思っ た以上に重い打撃としてレティをダウンに追い込んでいる。 だが、それで倒し切れていないのもまた事実だ。 (……攻撃のリズムを変えてみるべきかしら) ニュートラルコーナーを出てレティに歩み寄りながら、咲夜は小さな迷いを抱いた。レ ティもまだ頭部にダメージを残しており、お互いに警戒したままゆっくりと間合いを詰め る。 結果としてその時間が有利に働いたのはレティの方であった。彼女は呼吸を整えると、 再び両腕でしっかり頭部を庇う。先ほどよりも身を低く構え、咲夜の鳩尾から腰程度にま で目線を持っていく。 それを見て咲夜は「低いっ」と舌を巻き、レティは呟く。 「要は顎にもらわなければいいのね」 彼女なりの目算は立っていた。対して、その構えに攻めあぐねるのは咲夜だ。 もちろん咲夜はレティの顎を狙った攻撃をしたい。だが、レティはそれを断固許さない 姿勢をその鉄壁の守りで示している。 (なら!) 両足の幅を広くとっているレティに、咲夜は鋭いローキックを見舞った。長い足がしな る鞭のように繰り出されるが、それを見てレティは笑う。 「あ、ダメ……っ」 叫びかけたのは美鈴で、鈍い音が響いたのはレティの左足だ。 咲夜の蹴りの、見よう見マネとは思えない見事な命中音。 しかし、怪訝な顔をしたのは咲夜だった。その手応え――足応えに、大きな疑問符が頭 に浮かぶ。 「なに?」 「あなたは正直――」 それは重い足応えだった。子供が壁に向かって一人相撲をとる時のような、動かない大 木に蹴りを叩き込んだような、どっしりと地中に根を生やしたものを叩く時の重さ。絶対 に動かないものを押そうとた時の重さ。 硬くはなく、レティの身体は咲夜の蹴りを跳ね返すことなく受け止めていた。ただ動か ず、蹴りこんだ咲夜の足を軟らかく受け止め、衝撃の全てを包み込んだ。 見事な打撃が入った、という満足感がありつつ、それがまったく相手にダメージを与え ていないという確信のある、不思議な足応え。 それを表現するなら、こうだ。 「なんて太い……っ」 「冬のレティは一番肥えてるよ!」 「――妖怪を舐め過ぎよ!」 蹴りを受け止められた形で咲夜が呻くと、レティは低い姿勢のまま咲夜の残りの足一本 にタックルを仕掛けた。 細い腰に抱きつき、素早く股の間に腕を通して、 「ふん!」 「な!?」 細身の咲夜を、肘の内側に乗せるようにして垂直に持ち上げた。直立の形のまま咲夜の 身長が一気に一メートル近くも高くなり、 そしてレティは、 「えぇぇぇい!」 抱えた米俵を振り下ろすかのように咲夜の身体をキャンバスの上に叩きつけた。立って いた木の棒を横から踏みつけたような勢いで咲夜の背中が激突し、ズダァン、と凄まじい 音が天を貫いた。 咲夜の肺を貫いた。 「…………っ!」 「いっぱぁぁぁぁぁぁつ!」 「これは――決まったぁ! レティ選手、抱え投げ一発! 変則パワーボムが咲夜選手を 一撃ノックダウーン!」 チルノが拳を突き上げ、文がマイクに絶叫した。同時に映姫がダウン宣言とカウントを 始めるが、咲夜はそれに不公平を感じる。 (ダウン? 状況がグラウンドに移っただけで……) レティの追撃もなく、咲夜は身を起こして立ち上がろうとした。 まさに『とした』。 「!?」 咲夜の身体は、彼女の思う通りには動かなかった。 気がつけば呼吸は止まり、酸素を失った肺は突き上げるような苦しみで咲夜に吸気の必 要を訴えていた。 それだけではない。 身体の全て、指先までの神経が麻痺したように反応しない。 「なん……」 苦心して喉から声を絞り出し、咲夜は初めて額に汗の玉を浮かべた。頭ははっきりして おり、痛みと言えば背中の一部のみだ。だというのに、全身が言うことを聞かない。 息ができなくて苦しい。 「シックス!」 「ちょ……」 咲夜は慌てた。寝転がった自分の上半身を持ち上げようとするが、腹筋に力が入らない。 血液に酸素が回らない。 歯を食いしばってどうにか指先でキャンバスを押し、震える上半身が徐々に起き上がる。 「セブン!」 「待ち……なさい……ダメージは何も……っ」 「エイト!」 カウントは非情に進む。咲夜はようやく半身を取り戻すが、今度は下半身、膝がピクリ とも動かない。 やっと一呼吸。 血に酸素が巡ったが、全身に行き届くには遅い。 焦って両足を手で叩き、 「ナイン!」 「咲夜さん、パッドずれてます!」 「つけてないわよっ」 「テ――続行!」 ぎりぎりのところで跳ね起きた。 キャンバスに着けた足が滑り、咲夜は後ろにたたらを踏んで青コーナーに背中をつけた。 しっかりとした支えに寄りかかり、ふうと一つ息を吐く。 改めて酸素を補給しようと深呼吸をしようとし、 ――そこにレティが突進した。 「ぐっ!?」 迎撃の態勢が整う前に頭の前で腕を十字に構えたレティに体当たりされ、咲夜はコーナ ーポストと相手の身体に挟まれた衝撃に顔をしかめた。 苦痛を覚えながらも、レティの離れ際に一撃入れようと手を動かそうとしたが、酸素の 欠乏のせいか反応が鈍い。さらに、その腕をレティに掴まれて驚く。 レティはそのまま咲夜を引っ張って、対岸のロープに向かって思い切り放り投げた。 「え?」 気がついた時にはレティの手は咲夜から離れていたが、振られた慣性を殺せずに咲夜は ロープに突っ込んだ。硬いくらいのロープの反動がピンボールのように少女の身体を弾き、 待ち構えていたレティが真横に伸ばしたラリアットに――。 「せぇあ!」 「……っ!」 激突した。 それでも咲夜は両腕を揃えて、喉を刈られるのだけは防いだが、交差速度の加算された ラリアットは咲夜の足が一瞬浮くほどに効いた。腕越しの衝撃で唇が切れ、古木が台風に 薙ぎ倒されるようにして咲夜はその場に倒れた。 しかし、映姫はダウンを宣告しない。 (まだ!) 咲夜は倒れながらも、両足でレティの足を挟んでいた。両の足首を絡み合わせて固定し て、身体を横にゴロンと捻る。 「あ……!?」 それにはレティも堪らず、キャンバスに引きずり倒される。 技術差が端的に表れる寝技に付き合う気のない咲夜は早々に立ち上がり、後から起き上 がってくるレティの顔面めがけて蹴りを放った。不十分な姿勢でそれを受けたレティは、 顔をのけぞらして転倒する。 「つぅ〜っ」 「はぁ……っ」 鼻を蹴られたレティが涙を滲ませて顔を押さえるのと、咲夜が遅くなり過ぎた深呼吸を するのがほぼ同時だった。 ほとんど酸欠状態だった咲夜は顔を青紫色に染めており、ロープに寄りかかって大きく 肩で息をする。レティの方も攻めてはいるが楽なわけではなく、前半に叩かれ続けた顎を 撫でさすって立ち上がる。 「鼻は痛いし、顎はガクガクするし……堪らないわね」 うわ、鼻血も出たし、とレティは指についた赤いものに眉根を寄せた。格闘していると は言っても、女の子が人前で流すものではない。 「怪我が酷くなる前に決着をつけてしまいたいんだけど?」 「……同感よ」 これじゃあ弾幕での立場と逆ね、と苦笑しながら咲夜は同意のうなずきを返した。投げ で受けたダメージと酸欠による体力減で、自分が動ける時間はもうわずかしかない。そう 悟った上での短期決着希望だ。 (さてと……動くかしら?) 頬を伝う汗に、これは良いダイエットだと咲夜は現実逃避にも似た考えを脳裏によぎら せる。しばしの休憩と充分な深呼吸で、身体の感覚はほぼ完全に回復していた。疲労だけ はどうしようもないが、一度動き出せば咲夜にとって疲労など無いも同然だ。 先ほどと同じように打撃対策で頭を庇って姿勢を低く構えるレティに、ひとこと。 「行くわよ」 それを合図に、咲夜は再びレティに肉薄した。 例え組み付かれる危険があろうとも、レティ相手に遠い間合いからの蹴りではダメージ が与えられないことは実証済みだ。チルノ風に言えば『肥えた』状態のレティには頭部へ のピンポイント打撃以外は通らないと確信している。 「咲夜も春にはずいぶん太ましかったけど……」 リングサイドで、レミリアが呟いた。 「いたわね、さらに太ましいのが」 そして最初の一発をあえて顎に受けながらも咲夜に抱きついたレティ・ホワイトロック。 彼女の繰り出した背後への海老反り投げ――咲夜と向かい合いながらブリッジする大技。 綺麗な虹を描く一撃必殺の芸術品。 フロント・スープレックスが、咲夜の脳天をキャンバスにめり込ませた。 「き……決まったぁー! 大番狂わせ、これはレティ選手の――」 レティが咲夜の腰に回した腕を解き、咲夜の身体が力無く崩れ落ちる。 終わった、だと誰もが理解できたその瞬間、カ〜ン、と清々しい鐘の音が響き渡った。 「はぁ!?」 「一ラウンド終了だ」 驚いた文が振り返ると「何を驚く」といった顔で慧音がハンマーでゴングを鳴らしたと ころだった。映姫もうなずいて「選手コーナーへ」と休憩を促す。 「咲夜さん!」 間髪入れずにリングに突入したのは、美鈴だった。彼女は横たわった咲夜の身体を引き 起こすと、襟首を掴んで右手を振り上げ、 「あ」 とレミリアが目を丸くするよりも早く咲夜の頬を思い切り平手打ちしていた。パァ〜ン、 という音に咲夜がうっすらと睫毛を震わし、 「もう一発いきますか!?」 「!?」 大きく振りかざした美鈴のビンタを咄嗟に腕で受け止め、そのまま反射で右の肘を美鈴 の顔面へと叩き込んだ。 「ぎゃっ!?」 「あら? あ〜、ごめん」 「ったぁ〜、もう、ちょっと我慢してくださいね!」 まともに眉間に喰らった美鈴が涙を流して痛みを我慢し、ひょいっと咲夜をお姫様抱っ こに抱え上げる。さすがに咲夜は閉口したが、 (……なるほどね) 試しに身体を動かそうとして、足に力が入らないことに気がついて苦笑した。美鈴は、 咲夜本人よりも彼女のダメージを把握しているのだ。 「インターバル一分しかありませんから、テキパキいきますよ」 「……普段の仕事も、これくらいやる気があると嬉しいんだけど」 「あ、あはは」 取り出した椅子に咲夜を座らせ、左右の足にマッサージを始める美鈴の生き生きとした 姿に、咲夜は思わずメイド長の立場から言っていた。紅魔館の格闘担当ということで張り 切っている美鈴は、それに頭を掻きながらも、咲夜に尋ねた。 「足動かないですよね? 胸に詰め物してます?」 「……してないわよ」 「なら、撃ちますよ」 何を、と咲夜が尋ねるより先に、美鈴が軽い掌底打ちを咲夜の胸に当てていた。トス、 という軽いながらも肺に響いたそれに咲夜は一瞬呼吸を詰め、次に怪訝そうな顔をする。 「なに?」 「身体のショックだけ消したんです。手足の痺れはダメージじゃないんで、気で打ち消し ました」 その美鈴の『一打』の効果に、咲夜は素直に驚きの念を抱いた。キャンバスから足の裏 を浮かそうとすると、当然のようにそれはできた。ショック症状を起こしていた手足が、 咲夜の意思の元に戻ってきている。 「便利ね」 「ただし、ダメージは消えてませんよ?」 充分よ、とうなずき、咲夜は向かい側のコーナーに座るレティへと視線を向けた。彼女 は息も切らしていないが、ある程度頭部へのダメージは残しているはずだ。 (どのくらい回復させてくるかしら?) 一分だけの休憩時間。 座って、短い治療を受けて、深くため息をつけば、それでお仕舞いだ。 妖怪のレティならともかく、人間である咲夜には大幅な体力の回復は見込めない。 (分が悪いとは思っていたけど……) 妖怪と人間の間にあるパワー差。小手先の技術を使わず、真正面から掴んで投げるとい うレティの作戦は、褒めたくはないが正しいものだ。 霊夢がそうだったように小兵が相手ならばまだごり押しが通用するのだが、体格的に咲 夜と大差ないレティ相手ではそれも通じない。 どれだけ打撃を重ねても、一発の投げで逆転されてしまうのでは、理不尽も良いところ だ。しかも、咲夜が打撃を通すには相手に組み付かれる超接近戦しかないことも痛い。 ――八方塞だ。 だから。 咲夜は一つの決断を下した。 「美鈴、頼めるかしら」 「はい?」 そのやり取りを何とはなしに眺めていたレティは、自分の胸元をまさぐるチルノに気が ついて不思議そうな顔をする。 「どうしたの?」 「脱いで」 「?」 何やら目的不明なチルノに、しかしレティは付き合い良く襟を緩めてみせた。くいっと 引っ張って中を覗けるくらいにすると、 「そのままそのまま!」 「え? きゃ……な、なに!?」 チルノがバケツ一杯の砂利氷をそこに注ぎ込んだ。そうして大妖精と一緒にレティの身 体を揉みしだく。 もみもみ。 もみもみ。 始めは驚いていたレティだったが、運動で火照った身体に適温の氷は心地好いものだっ た。思わずうっとりとリラックスしていると、 「あたいいつもこれやってるけど、レティじゃおっぱいが大きいから一杯じゃ足りないわ ね」 幻想郷の女の子たちが地団太を踏んで悔しがりそうなことをサラリと言った。 そうこうしているうちに時間は経過し、あっという間の一分間の休憩が終わる。 「それでは、第二ラウンドを開始します。選手、中央へ!」 文に促され、レティは椅子から立ち上がりつつ服の腹の辺りから氷を抜き出し、コロコ ロとキャンバスに転がした。 「レティ、ふぁいと!」 というチルノの可愛らしい応援に片手を上げて応えて歩き出したレティは、前を見て小 首を傾げる。 「食べてる?」 青コーナーの咲夜。 その指を美鈴が口に咥えて、明らかに頬張っていた。 もぐもぐ、と。 その証拠に、椅子に座る咲夜の足元には指から滴った赤い血が点々と染みになっていた。 すでに九本で、今咥えているのが最後の一本だ。 「ええと……? 咲夜選手、中央へお願いします」 あまりに不可解な光景に、放送席の文までが遠慮がちに咲夜に声をかける。その呼びか けが聞こえた美鈴が指を咥えたまま上目遣いに咲夜を見ると、彼女はひとこと礼を言って から立ち上がった。 真っ赤に染まった十本の指に、観客たちはどよめく。インターバルの間に傷を増やすな ど、普通あり得ることではない。 「それいいの?」 「ええ。問題無いわ」 レティが疑問をぶつけても、咲夜は澄ました顔で応えるのみだ。彼女の呼吸は整っては おらず、額に浮かんだ汗が前のラウンドのダメージを充分に持ち越していると告白してい る。 (……あと一回投げればオチる) レティはそう判断した。 そして、その判断が誤りではないことは咲夜自身が良くわかっている。 彼女は試合再開を宣言しようと笏を掲げる映姫に先んじて、言った。 「ルールを破らせていただくわ」 「ほう?」 「武器を使わせてもらうってこと」 堂々と、咲夜は反則を申告した。そこに後ろ暗い雰囲気はなく、いつもの彼女らしい飄 飄とした掴みどころのない態度に、映姫は目を細めて咲夜の瞳を窺い見る。 そうして、 「第二ラウンド、始め!」 何事もなかったように試合を再開した。 相手を見ればその全てを見通せ、かつ公平である閻魔が問題無しと判断したことに、レ ティは咲夜の発言が単なるハッタリであることを悟った。時間稼ぎにもならないその発言 を無視し、前のラウンドと同じく頭部を庇って構えを低くとる。 咲夜にはすでに王手がかかっている。今さらレティが作戦変更する利点は無い。 が。 「そう。妖怪ならそうするわよね」 咲夜は恐れも何も無く、投げられた先ほどと同じように真っ直ぐにそこに踏み込んでい た。 腕は前。主であるレミリア・スカーレットがそうするように、胸の前で血まみれの指を 開いて――。 鋭く、内側から外側へと振り払った。 空を裂く。 否。 「な……っ!?」 鮮血が噴き出した。 レティが切り裂かれた自分の両手首に我が目を疑う。左右に意識が割かれ、ほんの刹那 の意識の空白地帯になった『真正面』に、咲夜の右の手刀が伸びる。 「!」 妖怪の危機回避能力も追いつかない。喉に鋭い指先が突き刺さり、肌を貫いて、肉と血 管の内側へと致命的な一撃が入り込んだ。 それでも、レティはわずかだが頭を後ろに引いていた。攻撃に反応したのではなく、両 手首を切られた瞬間に驚いて半歩退いたことが幸運に働いた。 そして。 「はぐ……がっ!?」 鋭い痛みが知覚されると同時に、半端な悲鳴が口から真っ赤な鮮血と共に溢れた。口の 中に手を差し込む時のような不快な嘔吐感がぬるりと喉元から這い出し、咳き込むように して霧状の血が噴き出す。 「こ……んな……」 レティは手刀を突き出した咲夜の姿に、その立ち位置に、苦しげに目元を歪める。 前のラウンドと同じではなかった。 ほんの腕の長さ分だけ、咲夜は前のラウンドより遠い位置に立っていた。一ラウンドの 咲夜が肘打ちを当てるために、まさに身体ごと密着するような近距離にいたのに対し、二 ラウンドの咲夜は腕の先端――つまり、指先が当たるかどうかという距離を選んで立って いる。 その意図は明白で、彼女が攻撃の組み立てを完全に切り替えたことを意味している。 (でも……) 長接近打撃から、中距離打撃に、ではない。 打撃から、斬撃へと。 美鈴の歯で鋭利なナイフのように先端を尖らせた爪での攻撃へと。 「そ……う、これが武……器……っ」 「……浅くしてあげたけど、よくしゃべれるわね」 むしろ、呆れたように咲夜が指を引き抜いた。 喉から異物が消えたレティは咄嗟に前に出て咲夜を掴まえようとし、 「うぐっ」 喉からの激流に盛大に吐血した。その血を浴びないように咲夜が下がり、彼女の余裕の 態度を見ながらレティは手首からの血で赤く染まった手で喉を押さえる。 (ぜ、全然浅くない……) それに、とレティは自分と咲夜の間合いを計る。 攻撃方法の変化は、二人の距離の変化と同義であり、先ほどまで手を伸ばせば掴まえら れた咲夜の身体が、もはやそこにはない。腕の長さ分だけの差ではあるが、その場で掴ま えられるのと、前に出て掴まえなくてはならないのでは、雲泥の差だ。 例えば、先ほどは打撃を受けながら掴まえられたが、今度はそのようなカウンター投げ は使用できない。 何より。 「行くわよ」 フロント・スープレックスを喰らった時と同じ言葉を発して咲夜が動く。 だらりと両脇に垂らした無構えから唐突に右の手刀が飛んできて、慌てて身をのけ反ら せる。そう思ったら今度は左が横振りに襲い掛かり、顎を守る要領で腕で受けたレティは 激痛に顔をしかめた。 何より、これが問題だった。 (受けが通用しない……っ) ざっくりと切れた腕が、燃えるように熱い。刃物の攻撃とは、根本的に打撃とはダメー ジの種類が違う。 打撃は、衝突の破壊力で相手を倒す。骨を砕くこともあるし、脳を揺らすこともあるが、 基本はそこに尽きる。 対して斬撃は、血を流させることで相手を倒す。内臓を直接一刺しすればそれで殺せる こともあるだろうが、基本は失血による行動停止に尽きる。何せ、人間だろうと妖怪だろ うと、大抵は身体のどこを切っても血は出るものであり、そして血がある以上はある程度 はそれに生命を依存しているのが生き物というものである。 もちろん妖怪であれば全身の血を流し尽くしてもすぐには死なない。食べるだけ食べ、 休むだけ休めば、次の日には元気になる規格外の生き物だ。 だが、それも止血し、充分に休める場合の話だ。逃げる場所の無い四角いリングの中で、 レティは一瞬立ちくらみを覚えて唇を噛み締めた。 「レティ、凍らせて凍らせて!」 チルノがセコンドから叫ぶが、それはルール違反だ。逆に言えば、冬場のレティにとっ て傷など瞬時にも消せるものだけに、その失血は歯がゆいものだった。 「もしも」 と言うのはレミリアだ。 「『試合』じゃなかったなら、あの雪だるまを殺すのは無理ね」 「そうでもない。でも、咲夜ならそうね」 隣に座っていたパチュリーも、本から顔を上げずにうなずいた。 「ルールの縛りで咲夜はナイフを手放した。それは不利に見えるけど、『鎧』を脱ぐこと になった雪だるまは、もっと不利。レミィもね」 「ま、ね」 試合の中で『再生』や『蝙蝠化』の力を封じるレミリアは、同じように『傷口を凍りつ かせる』手段を使えないレティの姿にニヤリと笑う。 「『妖怪なだけ』じゃあ『紅魔館のメイド』には勝てんよ、雪だるまくん」 その芝居がかった言葉に応えるように、咲夜の肘から先は自由自在にレティを切り裂い て舞う。『爪』という刃物としては心もとない得物でそれが可能なのは、咲夜の人間離れ した腕の振りの速さ故に他ならない。 レティが自ら一歩踏み込めば軽いダメージと引き換えに組み付けるようにも思えるが、 それは間違いだ。至近距離での手刀で首の頚動脈を切断されれば、それは即座に敗北に繋 がる。 妖怪としての耐久力がほとんど意味を持たない攻撃を前に、レティはじりじりと下がり、 不意にその膝がカクンと落ちる。 「あ……」 細かい傷から少しずつ流れた血による、結果的な大量失血。 目の前が霞んだ。 瞬間、レティは咲夜を見失った。 相手の居場所を教えたのはマイクを通した文の声だ。 「跳んだー!」 「上!? ――ぎゃっ!?」 今度も完全な予想外。咲夜の綺麗な跳び横蹴りが、レティの顎を打ち抜いてキャンバス に転がせた。 もしそこで、 「レティー!」 というチルノの声が無ければ、もはや来ないと思っていたピンポイント打撃で脳を揺ら されたレティは気を失っていただろう。 しかし、聞こえてしまったレティは立ち上がった。 立ち上がって、真横に待ち構えていた咲夜に顔を引きつらせた。 「子供は――」 咲夜の手が閃き、掌底打ちが横からレティの顎を刈る。 それでグルンと眼球が上を向いて白目になるレティの身体が後ろに倒れるのを、 「言うだけならタダと思ってるから困るわ――」 背後に回って腰に抱きつき、 「――ね!」 勢いに乗せ、海老反りにブリッジしてブン投げた。 ズダァーンとレティの後頭部がキャンバスにめり込み、そこに映姫が笏を天に向かって 突き上げる。 「そこまで! 瀟洒――勝者、十六夜咲夜!」 十六夜咲夜の瀟洒ドロップ。 別名バックドロップが勝負の幕を下ろしたのである。 ※ ※ ※ 「これは強烈〜! 咲夜選手、相手のお株を奪う投げ技で、見事二回戦進出ですっ!」 劇的な決着に、文は放送席から拍手を送れば良いのか賛辞を送れば良いのか迷いながら もそう言っていた。だが、それさえも聞こえないほどに会場を埋め尽くすのは、紅魔館妖 精メイド一同の拍手喝采の叫び声だ。 「メイド長ブラボー!」 「LOVE十六夜! LOVE咲夜!」 「私のパッド使って〜!」 「美鈴様、抱いてー!」 最後のはともかくとして、咲夜の予想外の苦戦からの逆転を讃える声は大きい。 普段危うげなく物事をこなす人物の苦しむ姿で妖怪としてのサドっ気を満足させられた 後、そこからの圧倒的な戦いぶりで、再度自分たちの上司の強さを目に焼き付けられた形 だ。 大満足。メイドたちの感想をひとことで言うならそういうことだった。 その黄色い声に、咲夜はやれやれと苦笑を浮かべるしかない。 「まあ、大晦日ってことかしら」 「大晦日ですしね〜。お疲れさまです」 「……まだ仕事が残ってるわ」 リング内に入ってきた美鈴と手をパチンと叩き合わせ、咲夜はリングサイドに座るレミ リアに視線を向けた。吸血鬼である主は、それに何も反応を示さなかったが、 「――――」 試合前の再現。 咲夜が血まみれの手でスカートを摘まむ最上級の一礼をしてみせると、レミリアは破顔 して軽い拍手を自らの従者へと向けたのだった。 「まずまず、ね」 「お厳しいですわ」 ようやく、咲夜は安堵のため息をついたのである。 他方。 「う〜、このまま寝ていたい気分よぉ〜……」 「それで、メイド長の下着の有無は? 形は? 色は? どうなんですか、チルノさん?」 「うっさいわねぇ。そんなのよく見えなかったわよ〜!」 さっそくチルノに止血――という名前の氷漬け――され、シクシクと不貞寝するレティ。 バックドロップを仕掛けた咲夜の『足側』である赤コーナーにいたチルノに取材する文。 レティが負けたことと、文がうるさいことに癇癪を起こしているチルノ。 (レティさんは負けたけど……) それを眺めながら大妖精は、 (二回戦でもっと痛い思いするより、ずっといいような気がするなぁ) 負けても賑やか楽しいメンツ。 だったら、痛いのは一回で充分ではないか。 そう思って、どこか安心して胸を撫で下ろしてしまったりするのであった。 で。 「よぉし、こうなったら、あたいが準決勝でメイドにふくしゅ〜してやるわ!」 「忘れてたー!」 チルノが二回戦進出していた事実に、大妖精の心労はまだまだ続くようであった。 そして、戦いはCブロックへと続くのである。 『Bブロック第4試合』――決着!