東方プロジェクト・ネタバトルSS 東方殴り巫女伝説 〜Bare Knuckle Players〜 1回戦 Bブロック第3試合 橙 VS 蓬莱山輝夜               ※ ※ ※ 「蓬莱山輝夜!」  天狗の射命丸文の語りから、その試合は始まった。 「妖怪すら迷う竹林。そこに建つは永遠亭。そして、そこに住まうは自称人間――その名 は蓬莱山輝夜! 数多の兎にかしずかれ、お薬屋さんこと八意永琳が姫と慕う、紅魔館や 白玉楼の主にも劣らない実力の持ち主……いえ、それすら越える想像を絶する妖気の持ち 主と人は言う!」  そこで文は言葉を区切った。  彼女の言葉に聞き入る多くの観衆が心の準備を終えるのを――伝えたいことが理解され る下地が作られるのを待ってから、 「しかし!」  最大級の否定、疑問、その他諸々をまとめてひっくるめ、文は言った。  言ってしまった。 「みなさんは、彼女が実際に戦った姿を見たことがあるでしょうか!?」  観衆の誰一人答えることができない、禁句のようになっていた事実を、マイクという拡 声器を使って大観衆の前で言ってしまった。 「皆で集まる宴会の度に、私たちはこの蓬莱山輝夜のために貴重な上座を明け渡してきま した。上座でないと納得しないこのお嬢様に、お姫様に、何の疑問もなく彼女の方が格上 だからと座り心地の良い場所を提供し続けてきました。彼女の差し入れる銘酒は確かに貴 重だし美味しいのだし、上座もまあ当然かなとは思うのですが、それとこれとはまた違う! 我々は――!」  と天狗は問うのだ。  我々は何であると。 「我々は、妖怪です! 妖怪は人間を襲うもの! その我々が無条件に人間に従う言われ はないのです。そう、無条件! 『噂だけ』の蓬莱山輝夜! 『噂だけ』の永遠亭の主! 『噂だけ』の列強伝説!」  さあさあ、と文はリングの上、青コーナーの前に立つ一人の少女を指差した。夜の闇よ りも濃く、天の川のように長く足元に届く黒髪を備えた少女。  蓬莱山輝夜。  その彼女に向かい、 「ちょっとした酒の席での弾幕ごっこ。姫様の代わりに戦うのは二羽の兎と腹心の薬屋! 何故と問うても答えない。姫様を連れ出したければ私たちを倒せ!? 今こそ言います。 言ってしまいます!」  声高らかに、テンションに身を任せて文は叫ぶのだ。 「蓬莱山輝夜は保護されている!」  ざわめきが観客席に走る。  高い実力を持つ永琳と、鈴仙とてゐといった兎たち。彼女たちの目がある以上誰一人と して言えなかった本当のことを、天狗は躊躇う様子も無く言ってしまっていた。 「兎たちに! 薬屋に! 守られて『作られた』のが蓬莱山輝夜の強さの『噂』なのです。 彼女自身は何もしていない! 本当に強いのかも定かではない! 何故なら、誰とも戦わ ないから! 戦おうともしないから! そんな彼女がついに――」  今度は、赤コーナー。  大舞台にも臆することなく調子良さそうに準備運動しているのは、少々お子様だがかな りの運動能力を持つと評価されている化け猫――橙だ。 「ついにこのリングの上、その神秘のヴェールを脱ぎ捨てる! 対戦相手は化け猫が一匹。 すばしっこくしたたかな狩猟者相手に、『噂』の強さは発揮されるのか!? 注目の試合、 両選手リング中央へお進みください!」               ※ ※ ※ 「まったくあの天狗ときたら、わかっててわざと盛り上げてるわね……」  嘆息するのは、赤コーナーでセコンドについた八雲藍だ。  自らの式の応援に駆けつけた彼女は、中立であるはずの放送席が輝夜に対して必要以上 の煽り文句を使ったことで、この試合に対する文の認識を十二分に把握することができた。 (『蓬莱山輝夜のお披露目式』ね)  眉間に皺の一つも寄ろうというものだ。何せ、藍は主のお供で永遠亭に赴いた際に、当 の輝夜と弾幕で勝負した経験があるのだから。 (その気になった輝夜の妖気は、紫様を軽く凌駕するというのに。知らぬふりでうちの橙 を大会のダシにするつもりだな?)  妖気の強大な方が絶対に勝つというわけではないが、妖気が『だいたいの強さ』を計る ための目安になることは間違いない。その観点から行くと、輝夜の戦闘能力は最低でも列 強と呼ばれる妖怪並。下手をすればそれさえも遥かに越えるくらいのものであると憶測す ることができる。それくらい、誰でもわかることだ。  だが。 (忘れるなよ? これは『格闘ごっこ』さね)  向かい側のコーナーにいる輝夜。彼女の能力は、術として行使されて始めて脅威となる タイプのものだ。少なくとも肉弾戦に向いているとは思えない。 「橙。様子見なんかしなくていい。とにかく小さく細かい打撃を回転良く入れていく。わ かるか?」 「はい!」  元気良く返事するのは、真剣な顔の藍とは対照的に緊張感の無い猫耳少女だ。トーント ーンと軽快にキャンバスを蹴ってその場で連続宙返りしていた橙は、藍のアドバイスに耳 を傾けてふむふむとうなずく。 「こういうお互いの手の内のわからない戦いだと、まずたいていは相手がどういう使い手 か見極めようとするために序盤の数手を使う。自分の力に自信のある者ほど、その傾向は 強い。見極めてからでも充分に勝てると思っているからな」 「藍様とかそうですよね〜」  あっけらかんと言う橙に、自分を省みた藍は苦笑する。まさにその通りだ。それだけに もし自分が橙を相手にしたらどういう態度で挑むか、自分が輝夜の代わりにリングに立つ 場合を想像すれば、自ずと格上の心境というのは察することができる。 「お前がつけこむのは、その一点。輝夜が何かをしようとする前に、構えすら取る前に最 初の一発を当ててペースを握ること。いいわね?」 「小さく細かく、ですね」 「そう、小さく細かく速く」 「小さく細かく速く」 「もう一度っ。小さく細かく速く!」 「小さく細かく速くっ!」 「よし、いい子よ」 「えへへ〜」  ぐりぐりと頭を撫でられ、橙は日向でまどろむ仔猫のようにゴロゴロと喉を鳴らした。 上半身だけで伸びるように身を乗り出して、藍の腕に子供らしい肉のやわらかい頬を擦り つける。  藍は心配していたが、橙は自分の戦いにそれほどの不安は抱えてはいなかった。  何と言うかもう、 (いや〜、無理無理)  あっさりと、自分の負けを想定してしまっていたりするのである。  もちろん肉弾戦という条件がある以上弾幕などよりよほど勝ち目はあると思うが、そう した『勝算』などという計算の及ぶ範疇外の部分で、橙は『勝つ気』で戦いに赴くことが できないのだ。 (ま〜、あれはね〜)  野生の本能が、輝夜に逆らってはいけないと叫んでいる。  橙のように動物が歳を経て妖怪に転じたような存在――例えばこの会場には他にてゐが いるが、そのような彼女たちには『逆らってはいけない相手』が明確に理解できていた。  八雲紫。  八雲藍。  吸血鬼の姉妹。  亡霊嬢。  風見幽香。  伊吹萃香。  そして永遠亭の人間二人。  誰かをしもべにするには、逆らう気を抱かせないほどに圧倒的な力の差――橙と普通の 猫の間にあるよりも大きな差――が必要になるが、彼女たちはそれだけの力を持っている 妖怪の中でも桁外れな存在たちだ。いくら柔和な笑顔で接していようと、鋭敏な感覚は彼 女たちの本性を見抜いている。  戦うな、逃げろ、逃げろ、と。  同じくらい強くても、巫女や黒白に対して畏怖は覚えない。安全な強さと、危険な強さ。 そういったものを判別できるのも、野生の特権というものだ。  なので、 (がんばって『いい試合』にしよっと)  勝つ気はさらさら無く、橙は気軽にそう考える。それが上手い具合に緊張をほぐし、ベ ストコンディションで彼女をリングに立たせているのだから、皮肉なものだ。  理性的に考えれば勝機は有る。  本能的に考えれば勝機は無い  その狭間で、試合のために式を外した幼い心が選んだのが、本能からの『どうせ負ける ってば。気楽にいこう』だったのである。  そう――その瞬間まで。  自らの式のそのまた式の戦いを間近で観ようとやって来た八雲紫。  彼女のひとことさえなければ、何事も無く試合は終わっていたのだろう。 「やる気満々ね」  しなやかな準備運動を見せる橙の姿に、紫は能面のような動かない笑みで言ったのだ。 「ねえ、藍」  と亀裂のような唇が言葉を紡ぐ。 「あの輝夜に勝てたのなら」  未来への約束を。 「橙にも『八雲』の名を与えようと思うんだけど、どうかしら?」  口にした。  沈黙が一拍通り過ぎた。  そして。 「本当ですか!?」  一瞬呆けてから、橙がコーナーポストに飛び乗って紫に身を乗り出した。うふふ、とそ れを笑みで受け止めて紫は鷹揚にうなずいてみせる。 「ええ。輝夜に勝ったなら、それくらいのご褒美があって当然よ? ね、藍」 「ちょ……っ。紫様!」 「勝ちます!」  藍が紫に詰め寄るのと、橙が叫ぶのとは同時だった。 「絶対に勝ちます! 見ててくださいね、藍様、紫様!」 「橙っ」  あっと言う間に勝利への渇望に頬を朱色に染め、橙はコーナーポストを蹴ってリング中 央へと飛び降りた。平静に実力を出そうとしていた先ほどまでとは違い、血が逆流するほ ど興奮して尻尾をピンと立てている。 (気負いすぎだ!)  思わず藍が舌打ちする。  そうして、再び紫に向き直って不平を述べる。 「どうしてあんなことを……」 「あら、『調子は良くても勝つ気の無い』試合なんて藍は観たいのかしら?」  修験者の錫杖を模した傘の先端を、紫は藍の面前に突きつける。本来ならば魔を払う六 つの金輪がついている杖頭には有るべきそれが無く、八雲紫という存在の『魔』をより強 調してみせていた。  人の姿を模し、人の道具を模し、しかし決して人ではない大妖怪。  彼女の言いたいことを即座に理解できるのは、幻想郷全土を探しても、藍と幽々子くら いしかいないのだ。  ……つまり。 「面白くしたいわけですね」 「大正解。大変結構ですわ」  コロコロと軽快に笑うと、紫は杖の先で藍の胸を軽く突き、手首を返してその傘を消し 去った。それからまだ不満そうな藍に一歩近づいて、彼女の両頬に手を添える。 「なに? まだ言いたいことがあるのかしら?」 「……いいえ」  自分より背の高い紫に至近から見下ろされ、藍はそれ以上文句を口にする権利を奪われ たことを知った。それ以上言うな、と紫が言うのであれば、藍はそれに従うしかない。  ――八雲藍は、橙の主である前に、八雲紫の式なのだ。 「全ては紫様の望むがままに」 「いい子ね、藍」  ついに折れた藍に満足げにうなずき、紫はスキマから取り出したタオルを藍に手渡す。  まあ、と。 「最終的に試合を止める権利はあなたにあげるわ。自分の式の面倒は自分でみなさい。私 の真似をして作った戯れの式でもね」 「私にとって……」  タオルを受け取る呟きは、紫以外の他人には届かない。 「紫様の真似をすることは、決して戯れではありません」  弾幕も、式の作成も。  リングを見れば、橙が試合の開始を待ちきれないように飛び跳ねている。その姿を見て 感じるのは少しの不安。 (怪我をしないで戻ってきなさい)  そういう思い。  自分の主も、自分に対してそういう感情を抱いてくれているのだろうか。それとも、不 安無く見送ってくれるのだろうか。  橙を自分と同じくらいに育て上げた時、その答えが出るのではないか。  そう思う。  八雲藍にとって八雲紫の模倣は主を理解するために必要な行為。主にとっての自分を知 るための、大切な道程なのである。               ※ ※ ※  一方、青コーナーでは。 「たまにはこういうの悪くないわね」 「お似合いですよ」  長い黒髪をポニーテールに結い上げた輝夜の姿に、永琳がヨイショの拍手を送っていた。 それを受けて、リング下に控えた鈴仙とてゐ、それから永遠亭兎一同が一斉に両手を叩き 合せ、 「さすが姫様。なんでもお似合いです」 「姫様可愛い〜!」 「うさーっ」 「うささー!」  怒涛のようにワッショイした。  姫様ワッショイ!  蓬莱山ワッショイ!  輝夜ワッショイ!  永遠亭ワッショイ!  それはもう会場を揺らすほどの声援で、しかもそれを余所者を含めずに永遠亭の面々だ けで実行している辺りに、竹林の奥に密かに住まうこの集団の閉鎖性を感じてしまう。  しかし、そのような周りの盛り上がりに比べ、輝夜の機嫌は優れなかった。理由は当然 で、好き勝手言ってくれた天狗の放送である。 「下賎な天狗風情が。よくも言ってくれたものだわ」 「姫様、明日は焼き鳥にしましょう!」 「それね。イナバ、名案だわ。褒めてあげる」 「ふっふっふ〜。鴨とかいいですね〜」  輝夜の呟きに即座にてゐが提案し、翌日の夕飯が決定した。そうなると、今度は兎たち は額を突き合わせて鳥料理の議論に入ってしまうのである。  あれが美味しい。  これも美味しい。  お正月の夕飯なんだから、豪勢に行こう。  皆が皆楽しそうで、輝夜の心配など欠片もしない。ただ一人、鈴仙だけが疑わしげに永 琳に耳打ちするだけだ。 「師匠、師匠……お師匠様っ」 「……なに?」  何やら物思いに耽っていた永琳は、数回呼ばれてようやく弟子の言葉に振り返った。そ んな珍しい様子の永琳に小首を傾げながら、鈴仙は尋ねる。 「姫様、大丈夫なんですか? 私、姫様が身体を動かしているところ見たことがないんで すけど」 「ああ……そう言えば、ここ数十年はまったくだったかしら。去年の暮れまでは閉じこも っていたし」 「ですよね?」  そうして、二人はリングの上の輝夜を見た。  彼女はその場で準備運動として足の屈伸をしていたのだが、輝夜にしては珍しい足の見 える丈のスカート、その中からは何やらベキバキという不穏な音が響いていた。 「ほっと」  両肩を回せばゴキュルゴキュルと凝りがもの凄い音で解れ、腰に手を当てて上半身を後 ろに反らすと、  ゴキン。  ――致命的な音がした。 「ひ、姫様!?」 「え、えーりん、えーりん、痛いわえーりん!」 「はいはい、落ち着いてくださいよ」  状況を理解した鈴仙が悲鳴を上げ、反ったままぶわっと脂汗を浮かべた輝夜が助けを求 めると、永琳は素早く輝夜の腰骨を拳骨で叩く。  カコッと何かがはまる音がして、ホッとした顔で輝夜が準備運動を再開する。 「……本当に大丈夫なんですか?」 「まあ、姫ならどうにかするわよ。大会楽しみにしていたし」  心底不安げに――もう涙まで浮かべて――言う鈴仙に、永琳は肩をすくめてそう言った。  そうこうしているうちに文が再び選手に中央へ出るように促し、輝夜は永琳に目配せを してから進み出た。ペキペキと鳴る身体を解しながら歩くその姿は、とてもではないがこ れから格闘する人間には見えない。  が。  先ほどから物思いに耽ったり、鈴仙の心配にもおざなりに応えるだけだった永琳が、輝 夜の目配せにギブアップ用のタオルを天高く掲げ、 「あ」  驚く鈴仙の前で、火炎の術を用いて焼き払った。  そのパフォーマンスに笑うのは吸血鬼が一人、亡霊嬢が一人、そして向かい側のコーナ ーのスキマ妖怪が一人。  永琳を通じて会場全体に知らしめられた輝夜の明確な意思表示に、目の前にいた鈴仙は 絶句するしかなかった。穏やかに、いつもの調子でリングに上がった永遠亭の主の自信の ほどを、鈴仙は見せつけられたのだ。  振り返れば、てゐが笑いを堪えられないというふうに口を押さえて肩を震わせている。  永琳を見れば、彼女は嘲笑すら浮かべて会場の妖怪たちをねめつけていた。 「本当によくもまあ姫のことをあそこまで言ってくれたわ」  ゾッとするような声音。  うわ、と鈴仙は思わず一歩退いた。彼女が持つのは凶気の瞳。だが、永琳の理知的な瞳 に宿る静かな怒りは、鈴仙の狂気すら屈服させる力に満ちていた。  思い出す。  『月の頭脳』八意永琳。  地上を下賎、不浄と嘲笑う月の民の中でも、エリートの中のエリート。  地上で暮らすことを決めた輝夜に付き従った、永遠を生きる月の罪人。  地上の心ある生活を愛した輝夜がいるからこそ地上を選んだ月の民。 (姫様が地上を愛しているとしても、師匠本人は?)  地上を不浄と思いつつ、輝夜のためだけに地上にいるのだとしたら。  そんな彼女の前で、地上の妖怪たちが輝夜を冒涜すれば。 (うわぁ〜。今日が格闘ごっこで良かった〜……)  怖い想像をしてしまい、『目だけ笑っていない』永琳の優しいくらいの嘲笑に戦慄する。  そんな鈴仙の心情を知ってか知らずか、永琳は確信を込めて言うのだ。 「まあいいわ。妖怪たち――」  町の薬屋さんの笑顔に隠れた傲慢さで。 「我が姫の神技。その片鱗を目にし、恐れおののくといいわ」 「始まりですよ〜」  リリーホワイトが、試合の開始を告げた。               ※ ※ ※  飛び出した橙の速度は、レミリアにも劣るものではなかった。  獣が走るような低姿勢で風よりも速く輝夜に肉薄した橙は、セコンドの藍の教えを正確 に実行した。  小さく細かい攻撃の連続。そのための一発をまず入れる。  もう遠慮も畏れもなかった。野生の本能は目の前にぶら下げられた『八雲の名』という 餌によって駆逐され、勝利のための一撃が右の鍵爪となって輝夜の胸元を狙う。  そして。  橙の身体がリングのロープさえ越えてぶっ飛んだ。 「!?」  自分が宙にいると気がついた時、橙は真正面に観客席を迎えていた。『前が地面』で『 後ろが空』だ。酒のつまみを片手にリングを見ていた妖怪たちが驚いて真上――つまり自 分を見ており、橙はそこで我に返った。 「え? え?」  呆けていたのは一瞬で、慌てて身体を丸めて回転させる。体操選手よろしく神社の境内 に着地すると、振り返って改めて自分がリング二つ分も移動していることに絶句する。 「これは……橙選手、リングアウト! しかし、この大会にリングアウトに関するルール はありません。橙選手、戻ってこられますか?」 「と、当然でしょ!」  マイクを持った文が尋ねてきて、橙は自分の身体が何も痛んでいないことに首を傾げた。 (投げられた?)  あまりに一瞬過ぎて、橙には何が起きたのかわかってはいなかった。疑問を抱えながら、 彼女は再びリングの上に跳ね戻る。  すると、 「ごめんなさい。久しぶりだから力加減がね、ちょっと、こう……」  と輝夜が手首のスナップをしてみせながら話しかけてきた。その仕草に、橙はやはり自 分は投げられたのだろうと判断する。 (なら、もっと速く!)  投げという技術の最大の弱点は、掴んでから投げるまでにわずかな時間差があることだ。  突きや蹴り等の打撃技に比べて、『掴んで投げる』という行為は確かに高い確実性を持 った攻撃方法だ。技術や体格で勝っていれば、その差が明確に現れて相手を制することが できる。  しかしその裏では、相手を掴めない場合や、相手が同程度の『組み技』の技術を持って いる場合には、投げ技の技術自体が生かせなかったり、逆に投げられてしまうことがある。 特に後者の場合、掴むという行為は相手にも組み技を使うチャンスを与えることになって しまうのである。  輝夜が組み技主体だというのなら、それで対応できない速度で攻撃すれば良いし、 (組み技だったら私にもあるんだから!)  藍に叩き込まれた格闘技術の幾つかは、暴れる人間を確実に捕らえるためのものだ。紫 の冬眠前の『食い溜め』のために覚えた各種関節技である。  もしこれが、打撃しか使えない者だったならば、輝夜に掴まることを恐れて中途半端な 攻撃に終始していただろう。だが、ある程度の心得が有る橙は、思い切り――。 「てぇい!」  駆け込んだ。  思わずレミリアが「へぇ」と感心する割り切りだ。そこに藍の激が飛んだ。 「橙、下段!」 「はい!」  輝夜の目の前で、橙は力任せではないコンパクトで綺麗な右のローキックを放ってみせ た。下段攻撃は相手に掴まれにくいことにかけては随一だ。藍の教育の賜物の一閃が輝夜 の膝を横から捉えたと思った瞬間。 「残念残念」  橙のローキックは回転しきらなかった。太股が輝夜の足に接触し、そこで回転が止まっ てしまっていた。 「あ、あれ?」  橙が蹴りの間合いを間違えたのではなく、輝夜が無造作に散歩気分で間合いを詰めたの である。  一歩斜め。  それだけで、回し蹴りはただの『足を片方持ち上げた変な格好』にまで落ちぶれる。 「じゃあ、そろそろ」 「!」  来た、と橙は身を硬くした。ローキックを止められた姿勢、超至近距離で組まれること を覚悟する。先手必勝と輝夜の長い袖を掴もうと手を伸ばし、  スパァン! と凄まじい足払いに橙の身体が風車のように縦回転した。 「はれ?」 「猫ならこのくらい大丈夫でしょう?」 「っわ!」  知らないうちに頭がキャンバスに着きそうになっていた橙が、反射的に手を突いて無事 に着地する。  そうして屈んだ状態から立ち上がろうとしたところに、輝夜が手を伸ばして掌で軽く橙 の額を突いた。 「わきゃ!?」  簡単に橙は後ろに転がる。後ろ回りの要領で起き上がった橙が不意打ちのようにキャン バスを蹴って、輝夜の胸元に貫手を狙うと、 「はいっと」  その貫手を放った腕に、輝夜は自分の手刀を振り落ろした。正確には、掌を下にしたま ま、自らの肘と指先を水平にしたままのチョップ――子供がお腹が空いたとテーブルを叩 くような打ち下ろしだ。  その掌が橙の肘に落ちる。掌は関節をやわらかく包み込み、水平に打ち下ろした腕は同 時に橙の腕全体を絡め取る。  そのまま。  輝夜は相手に足払いを仕掛けると共に、橙の腕をスタート地点としてアルファベットの 『J』を描くように腕を一閃させた。 「う――」  橙が、最初にぶっ飛んだ時と同じように宙を飛んだ。 「そ!?」  それは『掴んでからの投げ』ではなかった。初めて受けた時には気づけもしないほどの、 『打撃による投げ』だ。今度は足払いと腕の振りの角度が修正されたためか、斜め上とい うよりも、斜め横と言ってよい方向に吹き飛んだ。  それでもどうにか、手で一回、足で一回キャンバスを叩いて勢いを殺し、橙は着地する。 「とっとっとっ!」  ゆっくりと宙を飛んだ一回目に比べ、充分な速度があった投げだ。化け猫である橙でも 着地の衝撃を消しきれず、ジンと痺れた腕と足をプラプラと振るう。 「痛ぁ〜。何よ、今の!?」  それに輝夜は応えず、ただ服の袖で口元を隠してクスクスと笑った。仔猫は元気で良い わね、と小さく呟く。 「たまにはイナバだけじゃなく、猫と遊ぶのも一興かしら」 「むきー! 人の話を聞く!」  と、橙が今度は真っ直ぐの動きを修正し、真横から薙ぐような右の手刀で輝夜の喉を狙 う。身長差があるので目一杯身を伸ばしたそれに、輝夜は黒髪を揺らして頭を僅かに後ろ に反らすことで対応した。  そうして、左足で橙の足首を刈る。腕を振り切った橙がその姿勢のままわずかに宙に浮 き、目の前に浮いたその右肩を、輝夜は自らの左手で斜め下に『はたき落とした』。 「!?」  生まれて初めて、橙は己の重心を見失うという経験をした。  攻撃のために地面を踏みしめていた足を払われ、宙に浮いた。そうなると意識は攻撃し た右手の移動方向に行き、腕の振るわれる方向を『横』として態勢を立て直そうとした。 考えない本能の部分でそれが可能なのが、化け猫の能力だった。  だが、輝夜に肩を払われた瞬間、その『横』方向が消失した。自分がどちらを向いてい るのかが『本能から消えた』。  ――野生の三半規管の限界を超える動き。  腕を振る『攻撃の姿勢』のまま、橙は錐揉み回転してキャンバスに叩きつけられた。 「ぎゃっ!?」  受身も何も無かった。そもそもどちらに受身を取れば良いのかもわからなかったのだ。 その異常事態に本能は大混乱を起こし、逃げるべきだと大警鐘を鳴らしていたが、それで も理性は別個に状況を判断した。 (で、でもそんなに痛くないっ)  その通りだった。少し肩が痛む程度で、橙はまだまだ充分に戦える。妖怪の中でも身体 がやわらかく、投げなどの威力を吸収できる猫体質ならではの頑丈さだ。  輝夜の攻撃は、自分には効かない。  しかし、どうやら自分の打撃は全部弾かれる。 (だったら……!)  再三橙はキャンバスから跳ね起きた。ピンピンとした動きに、おお〜、と観客が感心す る。 「これならどう!?」  橙は輝夜の袖と胸辺りの布を掴む。組み技で勝負というわけだ。絶対に放さないという ふうに力を込める。  と、橙を掴むわけでもなく両手をブラブラさせた輝夜が一歩後ろに退いた。それに合わ せて橙も一歩前に出る。  が。 「なん――」  輝夜が一瞬前屈みになると、橙の身体がつんのめった。足がキャンバスから浮き、 「で!?」  輝夜の両手に背中を押され、橙はうつ伏せの形で『潰され』ることとなった。退いた輝 夜を縦線とした直角三角形の『斜め線』状態のところに、上からの力を加えられたのだ。  凄い、と口にしたのは鈴仙だ。 「姫様ってこんなに……やっぱりお師匠様が?」 「最初はね」  ふふ、と永琳は小さく笑う。クスクス笑いながら仔猫の頭をぐりぐりと撫でている輝夜 を見る永琳。その瞳に浮かぶ感情を表す言葉を、鈴仙は知らない。  だから。 「姫はね、運動不足だったのよ」  その口から飛び出た言葉に、鈴仙は足を滑らせて転びそうになった。いわゆるズッコケ ルというやつだ。 「は、はあ?」 「あれはね、そう、少し前のことなんだけど……月での我が侭三昧、怠惰三昧の生活で、 姫の完全なるプロポーションが崩れそうになったことがあるの」 「ウェストですか」 「ウェストよ」  『少し前』というのがどれくらい前なのかは知らないが、相当昔のような気はする。と もあれ、永琳から感じる波長は大真面目も大真面目なものであり、鈴仙は自らも表情を引 き締めてそれを聞く。 「さすがの姫も、『姫、太りましたよ』のひとことには心動かされたらしく、かねてより 進言していた護身術の講義を受けてくださったの」 「ちなみに、どのくらい」 「三百十六グラム」 「水分誤差ですよそれ!」 「まあ、そういうわけで、私は姫に月の最先端の格闘技理論を説き、また実践を教えた。 姫によからぬことを考える輩も少なからずいた頃だったし、運動不足解消と合わせて一石 二鳥だったわ」  月の完璧主義者に鈴仙はツッコンだが、無視されてしまった。 「姫は優秀な生徒だった。もともと暇潰しの種に飢えているような方だったから、自分の 体格でも大の大人を制することができることを知ると、そこからは渇いた砂漠の大地のよ うにあらゆる技術を覚えてくれた。楽しかったわ」  目を輝かせて教授をせがむ当時の少女の姿が見えるかのように、永琳は自らの胸に手を 置いた。  しかし。 「でも、そんなある日、姫は言ったのよ」 「なんておっしゃったんですか?」 「『飽きた』」 「…………」  とても姫様らしいですね、とは鈴仙は言えなかった。言ったら自分の人生が終わるのだ ろうと理解していた。 「私は必死に説得したわ。美容のためと、どうにか護身術の講義を続けていただけること になった。でも、日に日に姫のやる気は無くなっていき――」  運命の日に。  それは起きた。 「私も投げ飛ばされたのよ。アレで」 「嘘!?」  まさか師匠が、という鈴仙の驚きさえも、永琳の笑みは受け止める。むしろ誇らしげに 彼女は続けた。 「美容のための運動ということで、私は姫に主に打撃系の格闘技を教え込んでいたわ。不 埒者が姫の肌に触れる前に、ピンポイントの打撃で圧倒する。そういう突き放す戦い方ね。 でも、生来の怠け者の姫は、それを『疲れるから嫌』と言ったのよ」  周囲からちやほやされ、我が侭三昧の月の姫。  汗をかくような運動など縁遠く、優雅な遊びに終始する毎日。 「『自分は動かず、相手に攻撃させて、その力を利用する』。……別段新しくない、古く からある思想よ。誰もが抱く理想と言っていいわ。でもそれだけに実践の難しい、神域の 技よ」  それを不意に。  ある日不意に。  いきなり輝夜が使ってみせた。 「後で聞いたんだけど、姫は護身術の講義で疲れるのが面倒になったから、それに代わる 『自分が疲れない技』を研究したらしいのよ。力学の本、人体に関する本、調べに調べて、 自分が使いやすいように最適化して――」  そうして、永琳で試したのだ。  その時の言葉を永琳は忘れない。 『ほら、これでもういいでしょ? 面白いお茶が手に入ったの。後で淹れてちょうだい』  疲れるのが嫌だから。  自分が楽をしたいから。  講義の時間を他の遊びに使いたいから。  とにかく。 「『楽をしたい』『疲れたくない』『だらけていたい』そういう思いが生み出した、究極 の御技。たかが化け猫ごときに見切れるはずがないわ!」 「……そんなので生まれた究極って嫌だなぁ……」  だが、それが想像を絶する高等技術なのは間違いなかった。  投げというのは対象のバランス――重心を崩し、そこに新たな力のベクトルを加えるこ とで完成する。  足払いならば、片足に体重を乗せている時にそれを刈られれば人は宙に浮く。  背負い投げならば、重心のある腰を相手の腰より上に持ち上げられれば、人は投げ側に 巻き込まれて一回転する。  輝夜は相手の打撃の際にその軸足を刈り、その後に繰り出された攻撃手――打ち抜くた めに固定された相手の腕を『払う』ことで、投げを成立させていた。  これが『固定』されていない鞭のしなるような打撃であっても、橙にしたように肘を手 で押さえて固定してしまえば同じことだ。浮いて自発的なバランス取りができなくなって いる相手の重心を、触れた腕を起点に『操って』しまえば良い。生き物というものは、固 定して『設置』した部分に体重を任せてしまう。まさに相手の全ては輝夜の手の内に乗せ られた状態になるのだ。  よくできた技だ、と鈴仙は感心する。 「ですけど、よく打撃に対して投げなんて仕掛けられますね。普通に考えて、打撃に打撃 でカウンター合わせるより難しいですよね?」 「そうね。ウドンゲ、教えたことがあるわね。徒手格闘で破壊力や速度よりも重視すべき ことは?」 「はい。タイミングです」  弱い力での打撃でも、タイミングさえ合えば頑丈な相手を一撃で気絶させることができ る。タイミングよく相手が呆けている時を狙えば、攻撃は必ず当たる。逆にどのように強 い力を持っていようと、タイミングが合わなければ避けられてしまうし、威力も半減する。 「なら、そのタイミングを選ぶのに必要な能力は何かしら」 「タイミングを、選ぶ?」  師からの問いかけに、鈴仙は目をぱちぱちさせた。答えは単純だが、それで良いのだろ うと不安になってしまうのは、師事する相手の信用問題だろうか。  とにかく、鈴仙は答えた。 「それは……集中して、相手の動きをよく見るしかないんじゃないでしょうか」 「はい、正解」 「うあ……」  ペタンと、いつの間にやら手にしていた芋判子で額に赤字で『正解』の印を押され、鈴 仙が呻く。逃げられなかった。 「全ては集中力よ。普段はゆるみきった姫だけど、遊戯の際には類稀な集中力を発揮する わ。本当に、娯楽に飢えているのよ。だから」  と、永琳は全ての打撃系の技の持ち主に死刑を宣告するつもりで語った。 「姫に捉えられない打撃は無い。姫の集中の前では、全ての打撃が止まって見えるんでし ょうね」  その弛緩と集中の振れ幅は、まるで永遠と須臾のように。  輝夜の生き様そのものを体現するかのように。 「姫はあの技に特に呼称は用意していないけれど、私ならばこう名づけるわ。妖怪たちの 稚拙な永夜の術を打ち破った姫の術。それになぞらえて――」  再び、橙が宙を舞った。  痛手もなく、ただただ輝夜に弄ばれて。  それを可能にする神技の名は。 「――『永夜返し』」               ※ ※ ※ 「これはちょっと……さすがに無理でしょうか」  文がマイクで言うまでも無く、会場にはリングの上のどちらが勝者であるか理解する空 気が流れていた。  化け猫を翻弄する輝夜は、別に腕力が強いわけでも、素早く動いているわけでもない。 ただ、どのような攻撃にも反応する集中力を持ち、的確に橙の重心を崩しているだけだ。  それだけなのだ。  だが、それが異様に強い。桁外れの技のキレは、数百年から数千年の時を越えて熟成さ れた、一種の凄みのようなもの――芸術的な美しさすら備えていた。  西行寺幽々子は、それを見て評した。 「素晴らしいわね、永遠の球」  レミリア・スカーレットは、それを見て評した。 「曲芸ね。面白い見世物だわ」  八雲紫は、それを見て評した。 「橙。その程度かしら?」 「っ!」  スキマ妖怪の言葉に、橙は激しい疲労に肩を震わせながら荒い息を飲み込んだ。ゴクリ、 と胃に落としたのは「無理かな」という考えで、ひたすら動き続けたせいで浮かんだ大量 の汗を弾いて橙は跳んだ。 「橙!」  叫んだのは藍だったが、彼女にも自分が止める気だったのか、激昂するつもりだったの かはわからなかった。  その主の声に背中を押され、橙は『ロープ』を蹴った。輝夜ではなく、ロープを狙って 跳んだ彼女は、今度はそれの反動を使って弾丸と化す。  これが弾幕ごっこであれば彼女は叫んでいただろう。  ――鬼神「飛翔毘沙門天」、と。  弾幕抜き、しかしそれは紛うことなく橙の全身全霊を懸けた神速の体当たりだった。す でに藍に言われていた『小さく細かい』打撃を狙うつもりはなく、一発の大技で橙は勝負 に出ていた。  そして皮肉にも、それが全ての者に橙の敗北を確信させる。 「じゃあ、これでおしまいね」  口ばかり名残惜しそうに言う輝夜。その輝夜に膝を抱えて丸くなった橙が激突する瞬間、 月の姫は身体を横回転させながら身を屈めた。背負い投げでもするかのようなその動き。 真上に上げた両手は――。  回転していた橙の頭を、正確に挟み取っていた。 「いけない!」  藍がタオルを振りかぶる。しかし遅い。 「――『永夜返し 三日月』」  永琳の唇が残酷な名を告げるのと、輝夜が壷を叩き割るかのように橙の頭をキャンバス に叩き込んだのは、同時だった。  ぐしゃり、という危険な音が響き渡り、額から落ちた化け猫少女の身体が一瞬ビクンと 痙攣する。  間に合わなかったタオルが宙を舞う中、観客は誰も声を上げない。  時が止まったかのようなキャンバスの上、輝夜は満足の笑みを浮かべて身を起こし――。  自分の右腕に真下から絡みついた橙の姿に、その流麗な眉を眉間に寄せた。  ベキィ! という音は、抱きつくようにして橙が仕掛けた腕ひしぎ十字固め――輝夜の 肘が立てた音だった。  あからさまな大技は、その『組み技』にもっていくための伏線。  そして。 「……『八雲』だなんて名前、そんなに欲しいものかしら? 『蓬莱山』の方が箔がつく わよ?」  輝夜はすでに気絶していた橙の額をツンと突ついて、その力無い戒めを解いた。  橙の腕には輝夜の腕を折るような力は込められておらず、ダランと落ちた手はキャンバ スで跳ねた。額を打った時点で、意識は飛んでいたはずなのだ。  それでも動いたのは、『どうしても欲しい餌』のためか。 「まあ、そういうのもなかなかどうして、可愛いものね」  可愛い可愛い。  気絶した橙の無防備な腹を数回撫でて、さてと輝夜は立ち上がる。  肘を回すと、ゴキゴキベキっと盛大な音が鳴る。肩を回せば、ゴキュルゴキュゴキュと 不穏な音が鳴る。  落ちていたタオルをひょいっと拾い、橙の顔の上に放ってやると、 「永琳、疲れたわ。マッサージお願い〜」  汗一つかいていない顔で、そう言ったのだ。  そこでようやく映姫は笏を掲げ、試合の終わりを宣言した。 「そこまで!」  タオル投入により、蓬莱山輝夜のTKO(テクニカルノックアウト)勝利であった。               ※ ※ ※ 「つ……強い強い! ご覧になったでしょうか、皆さん。蓬莱山輝夜、余裕の二回戦進出 です!」  文の声が会場に届くのと、会場の妖怪たちが賭札やおひねりを空に舞わせたのは、ほと んど同時のことだった。  妖怪たちの顔には興奮の色が強い。弱いとは思っていなかったが、彼女たちが想像して いた『強さ』とはまったく違うものを見せられたからだ。 「なにアレ、人間でしょ?」 「なんであんなにコロコロ回せるの? 手品?」  妖怪たちにとっての肉弾戦の強さ、それはレミリアのような『力』と『速さ』だ。だが、 今見せられたものはそういうものではなかった。純然たる『技』の結晶とでも言うべき、 『体術』の極意だ。 「これを何と評したら良いのでしょうっ。妖怪の力を逆手に取るその神技! 目にも止ま らぬ橙選手の攻撃を全て迎撃、ついには一撃KO! 結果はタオル投入による決着となっ ておりますが、タオルよりも早く最後の技が決まっていたのは皆さんも目にしたと思われ ます。そして、その後の橙選手の無意識の反撃……お見事でした。二人の健闘を讃え、も う一度盛大な拍手をお願いします!」  放送に促されて、太鼓でも連打するかのような拍手の渦がリングに向かって届けられた。 その中心にいるのは藍に抱え起こされている橙であり、遥か格上の相手に怯まず戦った姿 は大きく評価されていた。  もちろん、藍からの評価もだ。 「まったく……怖かったでしょうに」  ため息をついて、彼女は目を回している橙を抱きかかえる。  最初は紫に出された『餌』によって本能を抑えていた橙だったが、輝夜の技を目の当た りにして理性までもが敗北を認めた時、抑え込んでいた畏怖が、逃げたいと思う気持ちが 溢れてきていたに違いない。  それでも戦ったのは、それだけ幼い少女が『八雲』に憧れているからに他ならない。  その勇気は確かに藍も褒めてやりたい。 「でも、見せ技とはいえ最後に大技を使ったのは減点」 「あら厳しい」 「当然です。私は小技で戦えと言った。それを破るような者に『八雲』の名は早過ぎます」  のんびりと覗き込んでくる自らの主に、藍はぶすっとした顔でそう言った。そもそもあ なたのせいなんですからね、という視線に、紫はそ知らぬ顔で去っていく。 「まったく……」  上も下も、自分は問題児ばかり抱えているな。  藍は苦笑混じりにそう呟くのだった。  ――で。  ベキバキボキグシャゴキリゴキリゴリゴリゴリ!。  青コーナーの下では、試合中よりも遥かに壮絶な破壊音が鳴り響いていた。その発生源 は当然のことながら輝夜であり、寝そべった彼女に跨ってマッサージを施しているのは、 これまた当然のように永琳なのであった。 「い、いた、いたたたたたた! 痛い、痛いわ、えーりん!」 「我慢してください。次の試合までにはまともに動けるようになってもらいますからね」 「姫様! 私、姫様を尊敬しなおしました! いつものお姿からは想像もできないご活躍、 本当に感激です!」 「わは! 姫様見てください、凄い儲けです! 姫様のお小遣いが四倍ですよ!?」 「うさーっ」 「うささー!」  怒涛のようにワッショイ開始。  姫様ワッショイ!  蓬莱山ワッショイ!  輝夜ワッショイ!  永遠亭ワッショイ!  こちらもこちらで平和で賑やか、そんないつもと変わらない永遠亭の面々なのであった。                         『Bブロック第3試合』――決着!