東方殴り巫女伝説 〜Bare Knuckle Players〜 1回戦 Bブロック第1試合 レミリア・スカーレット VS 上白沢慧音 ※ ※ ※ 「ようやく私の出番ね」 リングの上、赤コーナーのポストの前で、レミリアは待ちわびた表情でそう呟いた。浮 かんだ笑みは幼い顔に不釣合いな好戦的なものであったが、彼女の正体を知る妖怪たちは そのことを不思議なこととは思わない。 何せ彼女は五百年を生きる吸血鬼なのだ。 「さあ、Aブロックの激戦を終えた格闘ごっこ大会! 次なるBブロックから二回戦へと 勝ち上がるのは誰か!? 第一試合、登場するのは今大会の優勝候補と誰もが認める吸血 鬼、レミリア・スカーレット選手!」 「レミリア一枚!」 「私もレミリア二枚!」 文のマイク放送に被さるように、賭札を購入する妖怪たちの声が激しさを増す。それは 賭金を回収して回る兎たちが右往左往するほどの勢いで、その結果を受け取った文は「ほ ほ〜」と続報を打つ。 「ただ今入りました情報によりますと、現在の倍率はレミリア選手が一.一倍、慧音選手 が十三.五倍の大差となっています。これはやはり、レミリア選手の実力を幻想郷最強ク ラスと認める妖怪が多いということでしょうか?」 「まあ、他にも要因はあるみたいだけどね」 話を振られた霖之助は、こればっかりはと肩をすくめて文に答えた。 「単純に、対戦相手の人気がないんだよ。当然と言えば当然だが」 「あ〜、まあそうですね。人里を守護する慧音選手にやり込められた方も多いようです。 嫌われ者と言えば、悪魔属吸血種のレミリア選手も妖怪からは嫌われているのですが、こ こは実害の方が優先したようです」 「わずかの好悪の感情は金銭で左右されるからね。賭け事は恐ろしいよ」 我が侭で自分勝手の権化、集団に合わせるよりも集団を自分に合わせることを考える悪 魔のレミリア。 ワーハクタクという妖怪でありながら、満月時以外の半分であるはずの人間の性に偏り、 人里を守って戦う慧音。 先住する妖怪たちにとっては二人とも脅威であり、二人とも疎ましい存在だ。しかし、 その互角の感情も賭け事になると、五十対五十から百対零へと変化する。 「二人のうち『どちらが自分を儲けさせてくれるか』を考えた時、吸血鬼のお嬢様の方に 軍配が上がったんだ。そうなると、後は普段お嬢様に対して抱いている不満まで雪崩式に 相手へと流れ込む。お嬢様を応援する口実作りのためにね」 「……確かに、これまでの試合よりもヤジが多いですね」 文が耳を澄まして複雑な顔をする。会場からの声には、裏切り者だとか、半端者だとか、 好ましくない単語が混じっているのだ。 だが、文は別に慧音の心のことを心配しているわけではない。 「この異様な状況で実力が出せるんでしょうか?」 「それは大丈夫だろう。彼女はそういう感情と向き合う覚悟で人里に関わっているんだ。 今さらどこで何を言われようと動揺するような子じゃないよ」 「それなら安心です」 面白い試合になってくれさえすれば満足な文は、霖之助の言葉のおかげで最後の懸念も 消え去り、ようやく安心してリングの方を見た。 そのようなやり取りをまったく気にしないで腕を組んでポストに寄りかかっていたレミ リアは、背後に近寄ってきた気配に唇を開く。 「咲夜」 「昼食をお持ちしました」 コーナー裏のセコンドスペース。そこで昼食セットの乗ったトレイ片手にうやうやしく 一礼する咲夜に、レミリアは「こんな無作法初めてよ」と何故か嬉しそうな顔をする。 「それはまあ、リングの上でパンと紅茶をお召し上がりになった経験があると言われても 困りますが」 「存分に羨ましがりなさい」 一口用のポンデケージュをさらに半分に割って口に運び、レミリアはそのもちもちとし た食感を楽しむ。断面が真っ赤な色をしているのは、まあ、そういうことなのである。 「ええと、レミリア選手、よろしいですか〜?」 「…………」 もぐもぐ。 「始めますよ〜?」 もぐもぐ。 ごくん。 「ふう、お腹一杯」 「レミリア選手〜……って、パン一個ですか」 「小食なのよ」 最後に血のように真っ赤な紅茶――やはりまあ、そういうことなのだが――をクピリと 一口含み、レミリアは咲夜にナプキンで口の周りを拭ってもらう。 その間すっかり待たされてしまった司会の文は、慧音もすっかり焦れているだろうと思 って青コーナーを見遣ったが、予想に反して彼女は落ち着いた顔でセコンドの妹紅と言葉 を交わしていた。 「それで、勝ち目はあるわけ?」 「まあな。今のこの一回戦のうちだけなら、充分に勝機はある」 「ほぉ〜」 意外にも肯定的な言葉が返り、妹紅はコーナーポストの上に座った姿で感心した。向か い側のコーナーを見れば、余裕の顔をしたレミリアがリング中央へと進み出てくるところ だ。 「選手、中央へ!」 文の掛け声に、慧音もまた妹紅にうなずいてから歩を踏み出した。妹紅は規定通りにリ ングの外に下り、 「何を考えてるかわからないけど、適当にがんばりなさい。あなたは私と違って不死身じ ゃないんだからさ」 「肝に銘じておく」 「肝にね」 お互いに軽い言葉を投げ合って、決別する。選手が中央に向かってしまえば、セコンド にできることは見守ることだけだ。慧音の身内ではない妹紅には、ギブアップのタオルを 投げる権利も無い。 「でも、実際どうやってあの悪魔とやるつもりなのかしら?」 それだけが、妹紅の疑問であった。 その疑問を残したまま。 「始まりですよ〜」 リリーホワイトが試合の開始を告げた。 ※ ※ ※ 二人の戦いは、舌戦から始まった。 「こうして向かい合うのはいつぞやの夜以来かしら、ワーハクタク」 「昼間から吸血鬼が徘徊するとは、神社の威光も地に落ちたものだ」 思わず霊夢が「あんだと?」と腰を浮かしかけ、「まあまあ」と顔の前を幽々子の扇に 遮られた。 レミリアは腕を組んでふん反り返り、その長い牙を隠しもしないで、 「神社なんか怖くはないわ。神がいない蛻けの殻じゃねぇ」 またしても霊夢が「喧嘩売ってる!?」と腰を浮かしかけ、今度は妖夢に「落ち着いて」 と腕を引かれて止められた。 「ずいぶんな不遜だな。まるでお前の歴史の中には怖いものなど無いという顔だ」 「いいえ、怖いわよ。私を恐れる人間とか、他には神社の巫女とかが怖いわ。とても怖い。 真っ赤な紅茶も怖いし、ケーキがつくともう逃げ出しそう」 心底楽しそうにクスクスと笑う。それを見た霊夢は三度目の正直と「殴ってくる!」と 腰を浮かして、幽々子と妖夢に以下略だ。 そうして会話をしながら、慧音は間合いを探っていた。腕を組んだレミリアの間合いは、 かなり短く見える。二人の間には頭一つ分以上の身長差があるので、そのリーチの差を利 用すれば、慧音が一方的に攻撃を仕掛けることができるはずだった。 (――もちろん、そんな単純な話じゃないんだが) 楽観的な考えを、慧音は最初から否定していた。そして、それはすぐに証明される。 言葉遊びをしながら唇の端を吊り上げたレミリアが、 「じゃあ、そろそろ行きましょうか。デーモンロード――」 フワリとキャンバスを蹴って後ろに下がり。 ――慧音の全身の毛が逆立った。 「アローーーーーーーーーーーー!」 「つぁっ!?」 赤コーナーポストを蹴ったレミリアの身体が、光の矢となって慧音のガードをぶち破っ て炸裂した。十字に交差させた腕を跳ね除けられ、胸に頭突きを喰らった慧音が息を詰ま らせて後ろに下がる。 「満月なら別でしょうけど、人間のスペックでこの私に挑もうなどと」 その慧音の顔の目の前。炸裂の威力で空中に浮いたままのレミリアの足が大きく後ろに 振り絞られ、 「不遜なのはどちらか、思い知るといいわ!」 「!」 小柄な身体からは想像もできない威力のサッカーボールキックに、慧音はどうにか受け 止めた腕が軋む音を聞いた。またしても身体が浮きかけ、歯を食いしばって慧音は靴の裏 でブレーキをかける。 (反撃……っ) 慧音がレミリアの着地地点を見る。 が。 レミリアは、慧音の予想を越える速度でその懐に入り込んでいた。身長差があり過ぎて、 ほぼ密着状態のレミリアの姿は慧音の視界に入らない。 そして。 「デーモンロード――」 聞こえた声に慧音は二度目の戦慄を覚えた。 レミリアの膝がたわみ、吸血鬼の桁違いの筋力が無尽蔵の破壊力を生む発射台として準 備される。 それを喰らってしまえば、二度と立つことはできない。 「クレイドルーーーーーーーーー!」 小型の竜巻のようにレミリアが『発射』される。螺子巻き式の飛礫は弾丸と同じだ。 しかし、一瞬早く慧音は真横にステップしていた。逃げ遅れた左肩をレミリアという弾 丸がかすり、脳髄に響き渡った痛みに慧音はそこにヒビが入ったことを知る。 必殺の一撃をかわされたレミリアは、唇を笑みの形に歪めて空中一回転。前方宙返りの 要領でキャンバスに足をつける。殺せない勢いが靴との摩擦となり、少女が滑る。滑った 距離が黒く染まるのは、純粋な焦げ跡だ。一発で磨り減ってしまった靴底に、レミリアは 肩をすくめて振り返った。 そうして、 「ふぅん。良くお勉強してきたみたいね」 試合中だというのに左手の指を口元に寄せる。右手は左手の肘に添えられ、お嬢様は早 くも額に汗するワーハクタクに向かって艶然たる王者の笑みで言うのだ。 「感心だけど、残念ながらお前の運命は変わらない」 予言してあげる、とレミリアは血色の瞳で慧音の瞳を射抜いた。 「お前の敗北は、無様な命乞い。これ以上なく惨めに遊びの舞台を降りるのよ」 だが、その魔力さえこもっていそうな視線に、慧音は怯まなかった。彼女はしばしキャ ンバスに視線を落として『確認』すると、 「……予言までしてもらって悪いが」 大きく深呼吸する。例え人間状態でも、彼女の回復力は妖怪並だ。短い会話の間に肩の 痛みはずいぶんやわらいだ。 鳩尾の前で両手を開手で構え、ほんの少しだけ重心を低くする。蹴りも大きなパンチも 狙わない、組み打ちと至近距離での当身だけを考えた外の世界の合気道にも似た構えだ。 セコンドで見ていた妹紅は、それが慧音が里で教える護身術であることを知っている。 よし、と慧音は己も視線に力を込めて言い放った。 「その運命、無かったことにしてやるっ」 「面白い」 レミリアが笑みを浮かべたまま前へ踏み出した。それを見て、慧音は相手が挑発に乗っ たことを悟った。プライドの高いレミリアが、こと肉弾戦においては遥かに格下の相手に 大口を叩かれたのだ。 即座に。 速やかに。 圧倒的な力の差を見せつける必要を彼女は感じたはずだった。興味を感じない相手には 意外なほどの寛容さを見せる彼女ではあるが、自分のプライドに触れる相手には容赦しな い。 それが悪魔のプライド。悪魔のルール。 (しかし、わかってはいたが……) 挑発に相手を乗せても、慧音に余裕はない。ことが上手く運んでいるという確信はあれ ど、『それ』が成功するという保証はない。 最初の攻防だけでわかったのだ。 (まともに格闘したら、即負ける。楽観はしていなかったが……それでも甘かった) 慧音の見積もりでは、リーチの差を生かしてもう少し『格闘』でどうにかできるはずだ ったのだ。広い間合いさえ堅持すれば、吸血鬼の動きでもどうにか目で追えるつもりだっ た。 (目の前に立つと、さすがに知識で知っているだけとは大違いだな) 苦笑する。レミリアが過去に見せたことがある格闘の動き――それを慧音は全て頭に叩 き込んできたのだ。そのおかげでアローとクレイドルを凌ぐことができたが、やはり身体 能力の桁が違う。そうそう何度も同じことができるとは思えなかった。 だから。 (来い) 緊張に神経をすり減らしながら、慧音はその瞬間を待った。レミリアの攻撃の瞬間、動 きの初動を見落とさないように集中する。 直後に、喉に指を食い込ませようするレミリアの手が、慧音に向かって無造作に伸びて いた。フェイントも何も無い本当に真っ直ぐなそれを、慧音は手のひらで横に叩いてそら した。 「!?」 そらそうとして、レミリアの腕はビクともしなかった。構わずに喉を掻き切る凶器が迫 り、慧音は半歩後ろに下がってそれをやり過ごす。レミリアの腕は短いので、攻撃の始動 距離からわずかでも動けばそれは攻撃の範囲外だ。 ――それが腕だったならば。 そこからレミリアが凄まじい勢いで『おじぎ』した。飛び出してくるのは、背中にある 蝙蝠のような翼だ。斧の振り下ろしさながらな二枚の翼の一撃が、驚くような高さから慧 音の両肩を真上から叩き、キャンバスに膝をつかせる。 「く……っ!」 決定的な形に、慧音が息を呑む。身を起こしたレミリアが、腕を大きく振りかぶるのを 見て、考える間もなくキャンバスに身を投げ出して逃げる。寸前のところを爪が横薙ぎし、 慧音は転がる勢いを利用してキャンバスを手で突いて、その反動で一気に身体を起き上が らせる。 「よく逃げる。最近は鼠も魔砲を撃つというのに、お前は何もしないのか?」 レミリアには慧音の動きが止まって見えた。彼女が体勢を立て直す前に攻め続けようと キャンバスを蹴って突っ込み――気がついた。 「しま……っ」 レミリアは、慌ててキャンバスに足をついてブレーキをかけた。 止まらない。あまりに速すぎる動きは、短い距離の移動での急停止には向かない。 そして、待ち構えていた慧音の肘が交差法でレミリアの額に打ち込まれた。 ※ ※ ※ 「これは何が起きた〜!? 慧音選手のカウンターがクリーンヒットー!」 文の実況が慧音の耳に届く。 だが、彼女は自分の肘打ちの一撃の与えたダメージ量を即座に悟って舌打ちした。 「形勢不利だった慧音選手、これで形勢逆転か!?」 放送に煽られて会場が悲鳴を上げた。ほとんどの妖怪がレミリアに賭けているのだ。そ の中で状況がまったく変わっていないことを理解しているのは、皮肉にも慧音ただ一人で あった。 何故なら。 「どういう首だ……っ」 「病弱っ子らしく、細いでしょう?」 額に慧音の肘を受けた状態のまま、レミリアが平然と嘯く。肘で打ち抜くなどとんでも なかった。慧音の肘は、樹齢数千年の大樹に一撃を与えたかのように、レミリアの額に触 れたところで動きを止めていた。 押し切ろうとした打撃の力を、首の筋力だけで『受け止めた』のだ。 しかし、慧音は怯むことなくすぐに次の行動に移った。レミリアの額から鼻にかけて擦 るように肘を滑らせ、さすがに嫌な顔をしたレミリアの一瞬の隙に右肘を戻すと、入れ替 わりの左の掌を打ち出した。 ぱぁん、と腕も伸びきらない近距離で掌がレミリアの鼻面を叩き、その一発に悪魔が一 歩退いたことに会場がどよめいた。 慧音の掌打は、普通の掌底打ちのように手首付近の硬い場所を当てるものではなく、ス ナップを効かせた掌そのもので叩く、真っ直ぐな平手打ちといった変則のものだ。それは 表面を破壊する打撃ではなく、衝撃だけを皮膚の下に響かせる、『痛み』だけを通す技術 だ。 「これはえげつない! パンチの痛みとビンタの痛みは別のもの! 大の大人でもビンタ は痛い! ダメージは低いですが、これは単純に痛い、嫌がらせのような一発です!」 倒すことを狙ったのではなく、痛みを与えることだけを狙った攻撃。それがレミリアに どのような感想を抱かせるか、わからない慧音ではなかった。 そして、レミリアも慧音の意図がわからないほど鈍くはない。 ――喧嘩を売られた。 ダメ押しのように、慧音が付け加えた。 「宣戦布告だ」 死ぬ気か、と会場の誰もが思った。鼻を押さえたレミリアが紅の瞳をギラリと輝かせた ことが、それを確信に変える。 レミリアが動く。吸血鬼の全力をもって――。 右に飛ぶ。 「はい?」 文が間抜けな声を上げた。会場の皆も拍子抜けた。それはあまりに意外なフェイントだ った。ただ一人、予想していた慧音だけが反応する。着地地点でさらにキャンバスを蹴っ て三角飛びのように襲い掛かるレミリアの軌道を読んで、身を一歩横に動かす。 当たる、と文は思った。弾丸のようなレミリアの動きの直撃は避けていたが、レミリア が腕を広げて慧音の首に引っ掛けると思ったのだ。 「あら」 拍子抜けしたのは、レミリアがそれを実行せず、代わりに、 「はっ!」 慧音がまたしても体重の乗った肘打ちをレミリアの無防備な脇腹に突き刺したことだ。 高速移動中に横向きの力を加えられたレミリアがバランスを崩し、頭からキャンバスに落 下する。 「ち……っ」 からくも片手を突いて激突は防いだレミリアは、着地するなり舌打ちして、再び慧音の 右手側に向かって大回りで走り出した。 そうやってレミリアが慧音の横にたどり着くと、慧音は一歩後ろに下がって距離を取る。 レミリアの速度から見れば間合いとも言えないような一足飛びの距離であったが、それだ けでレミリアは再度移動を始める。 右に回り、慧音が動けば、今度は左に回る。ようやく真正面を取って突っ込めば慧音が 退き、レミリアは慌てて足を止める。その急停止の合間合間に、慧音の的確な掌打の音が レミリアの頬で弾ける。 「これは……リング上で何が起こっているのか。慧音選手、何か能力を――」 レミリアの奇妙な行動に、文はリングの上に立つ映姫へと視線を向けた。映姫はそれに 対してかぶりを振ってみせ、そこに不正が無いことを保証した。 「――使っていません。審判長である四季映姫はこの状況を認めています! これは慧音 選手が我々にはわからないプレッシャーをかけているのでしょうか!?」 その間にも、慧音はレミリアを翻弄し続けた。それを眺めていた妹紅は、ようやく試合 開始前に慧音が言っていた言葉を理解する。 「なるほど。確かに、『今のこの一回戦のうちだけ』なら勝機はあったわけね」 リング上、レミリアと自分の位置取りを常に一点を挟むようにしてコントロールしてい る慧音。妹紅の他にも、選手と同じ位置から試合を見つめている映姫ならば気がついてい るはずであった。 レミリアが踏み込めない領域。 レミリアにとってのみ、壁となる領域。 つまり、 「晴れ間だ」 見上げた曇り空から、お昼時の太陽がわずかだけ顔をのぞかせて、リングに向かって光 の柱を作り上げていた。慧音はその『柱』を中心にレミリアの猛攻を捌いているのだ。 怪訝に思って上空に舞い上がった文もなるほどとうなずく。 「これは太陽です。なるほど、慧音選手一筋の太陽の光を盾にしてレミリア選手と渡り合 っていた! レミリア選手は皆さんご存知吸血鬼! 太陽の光を浴びればその部位は気化 し、試合中は特殊能力封印で復活させることができません! しかも、一度始まってしま えば、試合はもう二人の決着以外では止められないっ。レミリア選手、このハンデをどう するのか!?」 まさに、それは慧音にとっては偶然が生んだ勝機だった。もしBブロック第一試合が昼 時に行われる試合でなければ――太陽が頭上に来る時間帯でなければ、リングに『柱』が 作られることはなかっただろう。さらに、膨大な過去の天候記録、風向きや似たような雲 の状態の例から、つかの間だけでも陽が射すことを予測できたこと、それがこの試合運び へと繋がったのだ。 レミリアが光を迂回してくれば、慧音は光の中を通って反対側に逃げれば良い。また、 真正面を取ったとしても、慧音が光を背にしている以上レミリアは思い切って突進するこ とはできない。 その好戦的な性格とプライドから『待つ』ことはないレミリアの半端な攻勢を、慧音は 的確にカウンターを取って迎撃している。『柱』はレミリアにとってだけの遮蔽物なので、 立ち回りの自由度の差は歴然だ。慧音の行動範囲は全方位であるが、レミリアのそれは左 右のみ。左右の二択で回り込むしかない不自由さなのである。 だが、 「いつまで続ける気?」 レミリアはイラついた顔で呟く。慧音の意図を測りかねていた。 彼女が挑発してきたのはわかる。レミリアに自分から攻めさせ、それを『柱』を使った カウンター作戦で打ち落とす。 合理的な作戦であることもわかる。しかし、問題なのは慧音がそれ以上の攻撃を加えて こないことだった。全て単発で、自分が傷つかない、リスクを追わない打撃に終始してい る。それではレミリアにダメージを与えることはできない。 「ちっ」 かわした拍子に慧音が残した爪先に足を引っ掛けられ、つんのめって『柱』に突っ込み そうになったレミリアは翼を広げて空中で静止し、 (自爆待ちか?) そう判断した。 直後のことだ。 そこで初めて慧音が自ら前に出た。レミリアはそこに罠があることを悟っていた。 「何をしてくる!?」 悟っていたが、ようやく動いた戦いの流れに、むしろ嬉々として迎え撃つ。 『退かなかった』。 慧音が必勝の笑みを浮かべたのはそこだ。 再三の挑発、ダメージにならない攻撃、焦らされ続けた吸血鬼の思考。 完全な伏線だった。 ――雲から大きくのぞいた太陽の光が、レミリアを直撃した。 「――――!」 「よしっ」 レミリアが怯んだのは、本当に一瞬のことだった。その一瞬で、慧音は左手でレミリア の左腕を取り、右手でレミリアの左肩を取る。そうして、右腕の手首から肘までの部分を レミリアの細い首に引っ掛け、 「せあぁ!」 レミリアの足を大内狩りの要領で自分の足で股の間から絡め、身体ごとぶつかる勢いも 利用して、キャンバスの上に押し倒した。 そして、そのほんの一呼吸にも満たない時間で、太陽が雲の向こうへ隠れる。 慧音は仰向けになったレミリアの上に馬乗りになり、告げた。 「全て私の計画通りだ」 「倒れ……あれ? 倒れました! レミリア・スカーレット、まさかのテイクダウーン!」 「勝った」 妹紅が「やられた」というふうに苦笑した。 慧音が張り続けていた伏線、それは『光の柱が慧音の罠』とレミリアに思い込ませるこ とだったのだ。慧音は『柱』を障害物にして立ち回ることで、『柱』こそがレミリアへの 『勝機』だと思い込ませた。――妹紅にさえも、思い込ませた。 しかし、慧音が勝機としていたのは、あの太陽が大きく現れる一瞬。 『柱』のそばに居続けたのは、レミリアをその場所に引きつけておく、そのためだった。 焦れたレミリアが動かないで慧音の突進を迎え撃つことも、織り込み済みだったのだろう。 「なかなか――」 やるわね、と言おうとしたレミリアの顔に、慧音の掌底打ちが落ちた。先ほどまでの掌 での打撃ではなく、真上から体重を乗せた硬い手首での一撃だ。 それを受けたレミリアがまなじりを吊り上げて下から殴ろうとするが、慧音に『肘の内 側』を弾かれて腕が強制的に曲げられる。 「いくら悪魔でも、倒れたままではロクな打撃が使えないだろう!」 「――やるわね」 レミリアの口から、言いかけた言葉がずいぶん遅れて呟かれた。それを聞きながら、慧 音は左右の掌底打ちを連続で突き落とした。 ドスッ、ドスッ、と重い音が響き、抵抗しようとしていたレミリアの手がキャンバスに 落ちる。力無いそれに、慧音はさらに打撃を繰り返す。 ドスッ、ドスッ、ドスッ、ドスッ、ドスッ、ドスッ。 規則正しく、機械的に、打音は会場へと届けられた。慧音が加撃を続けているために映 姫もダウンは宣言せず、彼女の一方的な攻撃が続行する。 ドスッ、ドスッ、ドスッ、ドスッ、ドスッ、ドスッ。 すでに会場は盛り上がりも何も消えうせていた。ただ戦慄するのは、人間の里を守るワ ーハクタクの容赦の無さ。妖怪たちの畏怖する吸血鬼を完封してみせるその知計。 レミリアは、もう動かない。 幾度も打撃を打ち下ろし、必要以上の手ごたえに手首に痛みすら感じながら、慧音は映 姫へと視線を向けた。額に玉の汗を浮かべた彼女に、映姫はよろしいとうなずく。 そうして。 「ギブアップ」 慧音はそう告げた。 「そこまで! 勝者、レミリア・スカーレット!」 慧音の身体の下、『無傷』の吸血鬼が嘲笑を浮かべていた。 ※ ※ ※ 「ど――」 と、文が言葉に詰まる。しかし、そこは実況の務めと、 「どういうことでしょうか!? 圧倒的有利だった慧音選手、ここに来てまさかのギブア ップ! まさか不正でしょうか、不正は許されませんよ!?」 その疑問は会場の皆も同じであった。特に、万が一もあるかもと持ち金を慧音に賭けて いた妖怪たちからは不満の声が大きい。 だがそうした声も、レミリアがピンピンと元気な様子で立ち上がると、次第に小さくな っていった。観客も妖怪なのだから、その様子に理解することがあったのだ。 それら全ての答えを、慧音はタオルを渡してくれる妹紅に語った。 「することがなくなった」 「ま、惜しかったわよ」 立ち技の時もそうだったのだが、慧音の打撃ではレミリアに大きなダメージを与えるこ とはできなかった。試合中にレミリアが怯んだとすれば、それは太陽の光の直撃くらいの ものだ。慧音自身が与えたのは、多少の『痛み』程度のものである。 何より、レミリアの怪力ならば馬乗りをひっくり返すこともできたはずだ。 「ずいぶん寛大だ、あの悪魔は」 ただの子供の意地かもしれないがな、と少し悔しそうに呟いた。 一方、レミリアは汗一つかかずにセコンドの咲夜に迎えられていた。ふふん、と得意げ に口にするのは、 「ギブアップさせたわよ。あいつが『計画通り』なら、こちらは『運命通り』よ」 レミリアがその気になれば、いつでも馬乗りを返して慧音を『倒す』ことができた。そ れをしなかったのは、公言通り彼女に『ギブアップ』させるためだった。 「ああいう手合いは、力の差を見せつけるだけじゃダメよ。力の差を思い知らせなくちゃ、 悔しがるだけで格の違いを理解しようとしない」 自分がどんな策を練ろうと、それを成功させてすら、勝てない。 それを知った時の慧音の諦観のため息を、レミリアははっきりと聞いた。それを聞きた いがための『無抵抗』であり、まさしく会心の勝利だ。 「レミリア選手、優勝候補の名に恥じない圧倒的な勝利! なんと、攻めていた方がギブ アップという劇的な結末! まったく底が見えません!」 会場に響き渡る文の言葉が、レミリアの翼をパタパタと機嫌良くはためかせる。 ここは決め台詞を言うところだ、とお嬢様はキリリと表情を引き締めた。 「準備運動にしては、有意義な遊びだったわ。昼飯――」 言いかけて、レミリアは試合前に昼食を済ませたことに気がついた。 そこに、 「お嬢様」 「――の食後の紅茶前よ」 咲夜から真っ赤な紅茶を受け取り、レミリアは満足げにうなずくのであった。 そのレミリアの喜びと、勝者に対する声援を耳にしながら、慧音はリングを降りる。抱 く感想は純粋に「強い」というものだ。 (誰ならあの悪魔を止められる?) そのような者が、いるのだろうか? このままレミリアがその力で全ての妖怪を捻り潰 して、幻想郷での権勢を絶対のものにしてしまうのではないか。そんな懸念が心をよぎっ た。 まず最初に戦った自分は、障害物にもなることなく通り抜けられてしまった。格闘にこ だわりはなかったが、それでもやはり少し口惜しいものは残る。 (まあ、会場の妖怪たちは満足だろう) 自分とレミリアの賭率の差を知っている慧音は、そう思って顔を上げた。 と。 パチ、と音がした。 「?」 怪訝そうに慧音が見ると、青コーナーの目の前にいた妖怪の少女が手を叩き合わせてい た。 パチパチ、と。 「あ」 そこから、拍手の波は大きく広がっていった。パチパチパチという音が花道を包み込み、 勝者よりは少ないがおひねりの硬貨が飛んでくる。さらに、硬貨以上に言葉が飛んでくる。 「楽しかったよ〜」 「悪魔相手に良くやったわ。ドキドキした!」 「今日は格闘だったけど、今度あなたの弾幕ごっこがあったら観に行くわ!」 「次はあんたに賭けるわ、相手が悪魔じゃなかったら!」 それは『言葉のおひねり』。妖怪らしい率直な感動の声。思わず足を止めてしまった慧 音の背中を妹紅はポンと叩いて、 「手を振ってやったら?」 「あ、ああ」 促され、慧音は会場を埋め尽くす妖怪たちに向かって手を振った。 戸惑う慧音に、妹紅は耳打ちする。 「いいじゃない。あなたもさ、この際大会を楽しんだらどう?」 もう試合は終わった身だが、慧音には放送席での解説の仕事も残っている。勝者にも敗 者にも喜びと笑顔を向ける妖怪たちの姿に、慧音は唐突に『レミリアの力の誇示』を懸念 していた自分がとてもバカらしくなった。 「そうだったな」 これは年末。今年最後の『みんなでの遊び』だったのだ。 そう思うと、不思議と心の端にあった不安が消えていく。代わりに大きくなるのはわず かだった悔しさで、彼女は自分の戦いを振り返って呟いた。 「……ギブアップはなかったな」 自分の試合を見て楽しんでいた者たちがいた。ならば、その応援に応えて戦い抜くべき ではなかったのか。真面目なだけに、慧音はそう考えてしまう。 「そうね。そういうわけで、私は完全ノックアウトされるまでやるわよ」 あっけらかんと言う妹紅。いつもならばそれに「とんでもない」と小言を言う慧音であ ったが、今日ばかりは少し違う。 「そうだな。私の分までがんばってくれ」 今更だが楽しもう、と慧音は決意する。 さしあたっては、戦ったばかりのレミリアの戦力分析。そのあたりは、文が喜びそうだ。 そうして楽しまないと、『宴』の場にいる資格など無い。 (失礼……だしな) 慧音は人里を守ってはいるが、その正体はワーハクタク――妖怪だ。人間は好きだが、 妖怪と隔絶したつもりも、慧音には無い。 『妖怪の中で人間を守っている存在』が慧音なのだから。 だから。 (たまには妖怪らしく、楽しむか!) もう太陽の出ていない曇り空を見上げ、慧音は晴れ晴れとした表情でそう思うのであっ た。 『Bブロック第1試合』――決着!