東方殴り巫女伝説 〜Bare Knuckle Players〜

1回戦 Aブロック第4試合 八雲紫 VS 風見幽香


              ※ ※ ※


「ついに!」

 と文はマイクを握り締めて声高に叫んだ。

「ついにやってまいりました、Aブロック第四試合! 今大会でもっとも注目されていた
方も多いのではないでしょうか、八雲紫 VS 風見幽香! 大会進行のスタートダッシ
ュとなるAブロック――その最終戦に相応しい、最高の組み合わせです!」

「さあ、ご覧になってください。博麗神社――そこから見下ろせる幻想郷の大地。そこに
集うは幾百、幾千、万に及ぼうという妖怪たち。そう、あなたたち! その中で、列強と
呼ばれる妖怪は数多い! 天狗、吸血鬼、悪魔、魔女、種族として強者であることを生ま
れながらに定められし者たち」

「しかし!」

「しかし、そこにあるのはマラソンの先頭集団! 誰もが強く、誰もが圧倒的! 列強同
士で戦えば、時間、相性、やる気一つで覆る曖昧なパワーバランス! その中で最強を語
ろうとも、それは机上の空論の最強伝説! あえて言います。全ては語る者の好み次第!
それが幻想郷の最強である。そう唱える者もいるかと思います」

「でも、あなたたちは知っているはず!」

「この幻想郷。朝も、昼も、夜も、時間に関係なく、場所に関係なく、そして種族ですら
なく、ただただ個体のみ、ただただ単体のみで最強と呼ばれた妖怪がいることを! いい
え、妖怪『たち』がいることを! 妖怪を凌駕し、列強を凌駕し、そして神さえも凌駕し
ようという、二匹の妖怪たちがいることを、あなたたちは知っているはずです!」

「全ての妖怪、全ての幻想郷の民の皆さん。ご覧下さい、これが最強! 最強妖怪たちの、
最強の喧嘩祭! それでは――」

「選手入場ーーーーーーーー!」

              ※ ※ ※

 地面から噴き出したのは、白色のスモークだった。赤コーナーへと至る花道、そこに満
ちた煙幕に周囲からあらゆる色のスポット光が集中する。
 同時に始まったのは、禍々しい破滅の楽曲。

 ――BGM:ネクロファンタジア

「来ました、まずは赤コーナー! 八目鰻屋台の煙が月の頭脳の放つスポットライトに照
らされ、その奥に潜む妖怪の姿をこの現し世に招きよせる! 煙の隙間から顔を覗かせる
のは生か邪か、それすら判別できない境界に生きる者!」
 文の語りに合わせて煙が晴れていく。
 そこに佇むのは。
「結界を作るも壊すも自由自在、私に行けない場所はない、幻想郷の生き字引――八雲紫
の登場だぁー!」
 叫びと天狗の団扇が爆発を呼んだ。
 パァン、と破裂音がして煙を四方八方へと拡散させ、その中から八雲紫とその式神たち
の姿が現れる。それを見た文が目を丸くした。彼女たちは紫を先頭に、その後ろに藍、そ
の後ろに橙と一直線に並び、それぞれが前の者の肩、ないしは尻尾を掴んでいるのだ。
「こ、これは『トレイン』……八雲トレインだー!」
 いっちに、いっちに、と掛け声を口にして紫――否、八雲一家はリングへと向かう。そ
の姿に、花道を覆う周囲の妖怪たちから嬌声とおひねりの小銭が放たれる。
「家族の絆は想いの絆! 最強を賭けたこの勝負、負けられぬ想いが形となった! 最強
一家の威信を一身に背負い、八雲紫の瞳がリングを射抜く! その力、ご覧下さい、今こ
そプラス化け狐、プラス化け猫、合計十一本の尻尾が比類無き大妖怪の誇りと共に歩み往
く!」
 文のテンションは止まらない。それに釣られるようにして、周りの妖怪たちのテンショ
ンも際限無く上昇していく。
「紫ー!」
「スキマ様ー!」
「ゆかりーーーーん!」
「ゆあきん可愛いよゆあきん」
「ゆkrnkw〜〜〜!」
「お聞き下さい、この歓声! 幻想郷を誰よりも愛し、長い年月をその成り立ちからあり
続ける孤高の妖怪八雲紫! 普段から胡散臭いとは言われてはいるが、それでも彼女に最
強でいてもらいたい声はこれほどに多い! 一部もはや言葉にすらなってない! それも
そのはず、麗しのその姿は少女と女のまさに境界。見た目はまだまだ少女だが、漂う色香
は大人の女! 閃光のように駆け抜けるその黄金の一瞬をその身に宿し、永遠のはざまび
とは幻想郷の少女たちのカリスマとして今日も君臨する! その美貌、その力、さあ今こ
そ我々の前に立つぞ! とくとご覧あれ!」
 声援に包まれながら、紫が赤コーナーに辿り着く。
 ――その瞬間に、新たなる音楽が会場を支配した。
「おおっと、これは……プリズムリバーの楽曲が空気を一変させる! この荘厳な調べ、
宗教音楽とも錯覚するこの音楽が呼び出すのは、神か? 悪魔か!? 当然妖怪だー!」

 ――BGM:今昔幻想郷

 青コーナーの花道、その一角が曇り空へさえも届く光の洪水と化した。太陽神が降臨し
たかのようなその光の濁流の中、最初に姿を現したのは。
 花。
「これは……っ」
 文が驚く間こそあれ、光から伸びた花の波は一瞬にして花道を『花の道』へと仕立て上
げた。境内の地面から伸びた草花は一年を早送りするように蕾をつけ、花弁を開き、種を
落として萎れ、そして。
 己の二世と共に、倍の量となって花咲いた。
「来たーーー! ワーハクタクの生み出す光の社、そこから伸びるは花道、我が道、勝利
への道! 彼女の行く場所、あらゆる場所が花畑、あらゆる場所が彼女のフィールド、例
外は無い!」
 光の中から、白い日傘が角のようにニョキッと生えた。そう思った直後、それはバサッ
と広がり、主と共に妖怪たちの前へと進み出る。
 それは幻想郷で唯一枯れない花を傘とする、唯一絶対の最強妖怪。
「四季のフラワーマスター――風見幽香の入場だぁー!」
 紫登場時から沸騰し続けたテンションが、ついに最大級になって爆発した。結果が出て
いない賭札が宙を舞い、幽香コールが巻き起こる。
「ゆ・う・か! ゆ・う・か!」
「風見の姐さーーーん!」
「幽香ー!」
「ゆうかりん可愛いよゆうかりん」
「ゆukrnkw〜〜〜!」
「人は呼ぶ、眠れる恐怖! 人は呼ぶ、オリエンタルデーモン! 西方にまでその名を轟
かせ、築き上げてきた伝説は幾千万! 人を、妖怪を、世界を、幻想郷を、全てを花で埋
め尽くす彼女こそは! そう! 天上の華!」
 幽香は先にリングに上がっている紫に向かって小さく手を振った。それに紫が応えると、
彼女は雨の日にお気に入りの傘を差す少女のように、機嫌よく傘をクルクル回す。
「花の笑顔は死の笑顔! 綺麗な花には棘がある! 花とは少女、少女は花、幻想郷の妖
怪たちよ、少女たちよ、彼女を見て考えるがいい! 彼女の戦いを目に焼き付けるがいい!
妖怪とは何なのか、少女とは何なのか、その答えが今ここにある! さあ、勝利の華もま
た自由自在か!? 可憐なる幻想の花、今こそリングに――」
 トン、と幽香が花道を蹴って跳ぶ。一気に会場の半ばを通り過ぎ、傘をパラシュートに
して、フワリとリングに舞い降りる。
 文はそれに合わせ、叫んだ。
「降臨ーーー!」



「……ねえ、私たちの時と待遇違わない?」
「いえいえ」
 放送席にまでやってきた霊夢に、文は笑顔で否定した。

              ※ ※ ※

 リングに並び立った二人の妖怪を、会場中の視線が見つめていた。
 レミリア・スカーレットは、咲夜に用意させたリングサイドの特等席で。
 西行寺幽々子は、妖夢に用意させた茶を一服しつつお行儀良く正座して。
 蓬莱山輝夜は、貴人よろしく用意させた肘掛に身を預けて優雅に。
 幻想郷の少女たちの中で特に名を馳せる彼女たちも、この試合の行く末には興味津々で
あった。
『八雲紫を見たことがあるならば』
『風見幽香を見たことがあるならば』
 注目せざるを得ない魅力が、そのリングの上にはあった。例え勝負が得意の能力を封じ
られての肉弾戦とはいえ、だ。
「ルールは開会式で告げた通り。後は己の技と知恵を駆使して、正々堂々と戦うように。
よろしいですね?」
「ええ、もちろん」
「従います。遊びのルールだものね」
 しかめっ面で注意する映姫に、紫と幽香は張り付いたような笑顔でうなずいた。いかに
も胡散臭いそれに、映姫が小さくため息をつく。
(まあ良いでしょう)
 妖怪は言ってわかる連中ではないのだ。罰して初めてわかる連中なのである。そのこと
を、映姫は閻魔として誰よりも良く理解している。だからこそ『説教』だけではなく『弾
幕裁判』があるのだ。
「それでは、お互いにコーナーへ。あなたたちは何をするかわかりませんから、離れた状
態で開始します」
「それはまた、あんまりなお言葉ですわね」
「私たち、閻魔にまで信用が無いのね」
 ふむ、と少女二人は顔を見合わせる。身長は紫の方が高いが、同じように傘を差し、同
じように首を傾げて同意を求めるその様は、鏡に映したかのように似通っている。
 そして、お互いに背を向けてコーナーに戻る際に、幽香は呟く。
「あ、そうそう」
 と。
「さっきから、あなたに似合う花を考えていたの。彼岸桜なんてどうかしら?」
「待賢門院」
「ご名答」
 それだけのやり取りで、二人はそれぞれに分かれた。
 幽香は誰も待つことのない青コーナーのポストに背を預け、歌い出しそうに楽しげに瞼
を下ろす。
「なんて罪深いのかしら」
 同じように、紫は式神である藍の待つ赤コーナーのポストに背を預け、抑えられない笑
みに瞼を下ろす。
「それが私の生きる道ですもの」
「紫様?」
 藍が怪訝そうな顔をするが、紫は彼女を省みない。
 ただ、ひとこと告げるのみだ。
「何があろうと、絶対に止めに入らないで」
「紫様……っ!」
 さて、と紫は空を見上げた。リリーホワイトが両腕を広げて宣言しようとしている。そ
れが終われば、もう止まれはしない。
「始まりですよ〜」
 紫と幽香。
 二人の最強妖怪が、リング中央へと歩みだした。

              ※ ※ ※

「ふふ〜ん♪」
 幽香は鼻歌混じりに歩を進める。紫を前にしての余裕は、圧倒的な自信の表れだ。
 コーナーからお互いの攻撃が当たる距離まで、ほんの数歩。その間に、世に名を馳せる
大妖怪――八雲紫に関する情報をおさらいする。
 あらゆる場所に開く、転移自在の『スキマ』。
 高度な式を使いこなす計算力。
 博麗大結界すら自由にする結界の術。
 それらの特殊能力を抜かした素の妖力の強さでも、他に類を見ることはない。何より、
そのわけのわからないと評判の性格は、次に何をしてくるかまったく予想させてくれない
剣呑さだ。
 怖い怖い。まったく恐ろしい存在だ。
「ねぇ、あなたはどうしてそんなに強くなったのかしら?」
 思わず、問いかけていた。戦おうという足は、いつの間にか止まっていた。戦いたいな
ら、いつでも始めることができる。ならば、疑問は先に解消しておくべきだろう。
「教えて。『まだ』話せるでしょう?」
「どうだったかしらね」
 紫も幽香の意を汲んだのか足を止めた。考えるように頬に手を当て、しばし熟考。そし
て、そうそうと明るい顔で言う。
「気がついたら強かったのよ。どうせあなたもそうなんじゃない? フラワーマスターさ
ん?」
「さすが、わかってくれるわね。うふふっ」
 抱き締めてあげたい気分で両腕を広げ、幽香はその場でつま先を伸ばして横一回転した。
フリルなスカートがヒラリと舞い、ポンポンとその足元に可憐な花が咲く。
「あらら。能力は使っちゃいけないのよね」
 めっ、と幽香は花を叱るように睨み付ける。すると、花はしょぼんとうなだれるように
萎れてしまい、すぐに枯れて風に吹かれて飛んでいった。
 呼吸するように、なのだ。
 呼吸するように力はその身体と共にある。
 始まりは、いつだっただろうか。
 昔語りのように、自然と幽香の唇は動いた。
「そうなのです。私は生まれつき、少し意地悪な妖怪だったのです」
 意地悪な妖怪がこの世に生まれることは、別に珍しいことではない。妖怪は力の塊だ。
他者より力の強い妖怪が、弱者に少しばかりのちょっかいをかけて虐めてみるのも、ごく
ごくありふれた出来事だろう。
 だが。
 その妖怪は、他よりも『少し』意地悪だった。
「意地悪な私は、他の妖怪よりも虐めたい相手が多くて……本当に多くて困りました。だ
ってそれはこの世の全て。ありとあらゆるものを虐めたくてたまらない」
 だけれど、それは一介の妖怪には不可能なこと。
 花を操る程度の妖怪には、不可能なこと。
 不可能だったはずのこと。
「全てを虐めてみたい私は、全てを虐められたらいいなと思いました。そうしてある日気
がついたら、強くなっていました。おしまい」
 にっこりと、少女は微笑んだ。マイクなど使わずに会場中に届いたその声は、ありとあ
らゆる妖怪の背筋を凍らせ、震わせた。
 虐められるかもしれないという恐怖からではない。それだけで強くなってしまうという、
幽香の『少し』の意地悪心。そのような心が、精神がこの世にあることに、戦慄してしま
うのだ。
 あいつ、どこかおかしいんじゃないか?
 簡単に言うと、そういう得体の知れないものに対する恐怖が妖怪たちに広まった。
 もっとも、パチパチパチ、と『おはなし』の終わった幽香に向かって喜んで拍手してい
る妖精たちもいたりするのだが。
 そして、リング上の紫もまた拍手をしているうちの一人であった。彼女はまるで愛おし
い恋人を見るような目で、目の前の対戦相手を見つめている。
「なるほど、全てを虐めてみたいと」
「そう」
「例えば私を?」
「特にあなたを」
「ま。照れてしまいますわ」
「私も照れてしまうわ。こんなにしゃべってしまうのは、そうね、あなたが最強だから」
「ええ、お恥ずかしながら」
「私も最強でしょう?」
「それはどうかしら」
 ああ、来るわ、来るわ、と紫は自分の胸が高鳴るのを感じていた。きっと彼女は自分の
予想通りのことを言ってくれる。他の者には捻くれているように見えるかもしれないが、
自分には彼女ほど素直に見える妖怪もいない。愛しいほどだ。
 幻想郷を愛する紫の前で、『幻想郷を体現する』少女は言うのだ。
「最強は虐められないのよ」
 そうね、と紫は言いたかった。だけれど、感極まって声が出なかった。笑顔しか作れな
い。見つめてあげることしかできない。
「だけど、私に虐められないものなんかないのよ」
 ああ、抱き締めたい。嫌がられるだろうなぁ〜、と紫は自分で自分の心に自制を入れる。
「最強が虐められるってどういうこと? それって私も虐められる可能性があるってこと
でしょう?」
 ほらほら可愛い。
 虐めたいあなた。
 虐められたくないあなた。
 強くなってしまった理由はどちら?
「だから、最強は一人。あなたが最強じゃなくなって、私に虐められて、それでおしまい。
そうしましょう?」
 同意を求められてしまいました。
 うなずいてしまいました。
「主語を入れ替えて、そうしましょう」
 二人は、ある意味似た者同士だった。
 日々をのんびりと過ごし、自分が好きな時に好きな場所に行く。誰に縛られることもな
く、その強大な力を背景に好き勝手生きてきた。
 幽香は誰かを虐めることが生き甲斐だという。大した理由が無くとも人間、妖怪、区別
無く虐めてきたその生き様は、閻魔に注意されたことすらある。
 紫は誰かをからかうことが生き甲斐だという。大した理由が無くとも人間、妖怪、区別
無くからかい、それが高じて博麗の巫女にどやされることも度々だ。
 そんなことばかりしているから、周りから『いじめっ子』だの『胡散臭い』だのと散々
言われるのであるが、それは自業自得である。
 問題なのは、我を通すことにかけてはプロフェッショナルな二人のどちらが、今回の我
を通し切るのか。
 虐めるか。
 からかうか。
 リリーホワイトの開始の合図など、二人には関係なかった。今交差した視線が、戦いの
鐘を鳴らしたのだ。
 高まるのは殺気。
 消えるのは笑顔。
 叫んだのは同時。
 さあ始めましょう、と。
「どちらが幻想郷最強か、白黒つけてやる!」
「出口の無い結界の隙間に落ち、無間の闇に迷いなさい!」
 二人の大妖怪が、打撃の間合いに入る最後の一歩を踏み出した。
 そして。
 その一歩で八雲紫がすっ転んだ。
 伸ばした手が幽香のスカートにひっかかり、ガバッと膝まで引きずり下ろす。白日のも
とに晒された純白のショーツの姿に思わずシンとしてしまった会場に、藍の嘆きの声が響
き渡った。
「だから運動不足はいけませんって言ったのに〜」
 会場は吹いた。
 しかし紫は言い放つ。
「私の結界へようこそ」
「な!?」
 問答無用で幽香の足をすくう。意表をつかれた幽香があっさりと尻餅をつくと、紫は手
慣れた動きでその上に馬乗りになり、最高の笑顔で告げたのだった。
「初めてだったらごめんなさいね☆」
「きゃあああああああああああああ!」
 意外な馬鹿力が、白いブラウスを引きちぎった。ぷるんと飛び出た噂の89のDに、少
女たちは思った。
(ぶっ殺してぇ……)
 混乱した幽香は、とにかく紫を跳ね除けようとその喉に手を伸ばす。だが、喉を鷲掴み
にすることに失敗して、その手は胸元の布を掴んで引きちぎる。こちらも妖怪らしい握力
だ。ぽよよんと現れた幻想に、少女たちは思った。
(むしろ死にてぇ……)
 多くの少女が心に傷を負った。幻想郷最強の対決とは、二人の対決に留まらない。それ
は多くの者にとって意味のある戦いなのだ。たぶん。
 ともあれ。
「これも勝負よ! 幽香、虐めてあげるわ。さあ、さあ!」
「く、くーるーなー!」
 ぐいぐいと顔を寄せてくる紫に、幽香は必死に抵抗する。抵抗するのだが、紫の頭を押
さえるのに両手を使ってしまい、自分の脇腹を撫でさする紫の手を妨げることができない。
ついに幽香はくすぐったさに耐え切れないで、
「く、くすぐった、あはははは、もがー!?」
 薄桃の桜の花びら、チェリーリップ、被弾。隊長殿、次のご命令を。よし、そのまま内
部に侵入せよ。了解しました。そんな感じに紫は攻めいった。
 が。
「つっ!?」
 舌にはしった激痛に、紫は顔をしかめて顔を引いた。
 噛まれた、と悟るのは容易い。見下ろした先で、幽香が涙目を吊り上げて睨みつけてき
ていた。冷や汗を浮かばせ、感じたことのない身の危険に産毛まで逆立てている様は、ま
るで野生の小動物。
 それでも彼女は虚勢を張って、
「次は舌を噛み切、もがー!?」
 紫にセカンドまで持っていかれた。ファーストとセカンドは半々の確率で同時に持って
いかれるものなので、あまり気にしてはいけない。
 紫の片手が幽香の胸、もう片方の手がショーツに伸び、
「小町、ルーミアを!」
「了解〜!」
 映姫の言葉に察した小町が、ぽへーっとリングを見ていたルーミアを掴んで投げた。ぽ
ーんと飛んだ宵闇少女を空中でキャッチした映姫は、
「闇、発生!」
 無理矢理妖怪の力を引き出して発動させた。
 ルーミアを中心に広がった闇はリングを飲み込み、その直後。
「あぁぁぁぁぁぁぁ!」
 幽香のもの凄い叫びが聞こえてきた。
 レミリアがフランの耳を塞いだ。
 藍が橙の耳を塞いだ。
 てゐが観客から追加料金を取り始めた。
 魔理沙がもじもじした。
「ああ、惜しい!」
 カメラを片手にそう叫んだのは、放送席にいたはずの文だ。彼女はその翼で宙に浮き、
ベストショットを写す直前だったのである。
 と。
「え? 何? 人参!? なんで人参!?」
「ニンジン?」
 幽香の驚愕の声に、霊夢が首を傾げた。
 さらに。
「ぬるぬ……って、やわらかっ。触手!? なんで触手!?」
「しょくしゅ?」
 幽香の愕然とした声に、妖夢が首を傾げた。
 さらに。
「い……た、いたたたたたたたたた!」
「大丈夫、さきっちょだけ、さきっちょだけだから!」
「うううううあああああああ!」
 バキン、という音が不穏にも響いた。
 一瞬の沈黙があり、
「おおおおおおおおおおおおおおお折れたー! 私のが折れたー!」
「ゆ、紫様ー!?」
「ど、どいて、どいて、どいて、どきなさいよぉ!」
 幽香の泣き声の度にバキ、ビキ、という音が連続する。藍が真っ青になるが、もちろん
暗闇の中で何が行われているのかはわからない。ただ、映姫だけがその全てを見通す目で、
「あ、凄い。あんな……へぇ」
 感心していた。
 見てえ、と思ったのは誰だったか。もしかしたら、全員だったかもしれない。
 しかし二つの悲鳴は段々と収まっていき、ついには幽香の荒い息のみが聞こえるだけと
なった。
 終わったか、と思ったが。
「甘いわよ、幽香!」
「きゃあああああああああああああ!」
「え? 足? 足でってそれらめぇえええええええええええええーーーーー!」
 最大の絶叫が、まさに、絶した。
 今度こそ完全なる沈黙が訪れ、映姫は手にしたルーミアをポイッと捨てる。明かりの戻
ったリングの上、立っているのは。
 ――いそいそとスカートをはく、なんだかよくわからない液に濡れた半べその風見幽香。
 その足元に倒れた、全身の骨という骨を砕かれつつも、どこか満足した笑顔を浮かべて
いる八雲紫。
 それを見た映姫は笏を掲げて宣言した。
「そこまで! 勝者、風見幽香!」
 なんだかもう、やけくそ気味に会場が沸いた。

              ※ ※ ※

「逃げたな、スキマめ」
 試合の結果にそう吐き捨てたのは、真剣な顔で試合を見守っていたレミリアだった。苛
立たしげな彼女のために咲夜が新しい酒の杯を渡すと、レミリアは不機嫌を隠さずにそれ
に口をつける。
 対照的に笑っているのは、紫の親友の幽々子だ。
「ふふっ。紫らしいわねえ」
「そ、そうですけど、真剣勝負をあんな……」
 複雑な顔をする妖夢に、幽々子は扇で口元を隠して笑みを深くした。にんまり、と。
「あら、紫が真剣なところなんて、見たことがないわ。むしろ」
 と、彼女は言うのだ。
「相手が真剣なら真剣なほど茶化すのが、紫でしょう?」
 それが真実なのだろうと、妖夢はため息をついたのだった。
 そして、リング上。
 荒い息をついてロープにもたれかかっていた幽香は、セコンドにいた藍が紫に駆け寄る
のを視界に入れながら、しかしそれを情報として理解してはいなかった。頭の中は一つの
ことでいっぱいだ。
(負けた)
 負けた。
(負けた。負けた。完全に負けた……っ)
 完膚なきまで、『飲み込まれた』。
 二人の戦いは、強さもさることながら、己の『我』を通せるかどうかという戦いだった
はずだ。その戦いにおいて、八雲紫は風見幽香に対して『からかう』をやり通してみせた。
ふざけたお遊びに試合を落とし込み、終始己のペースで進めてみせた。
「ゆ・う・か! ゆ・う・か!」
 歓声が聞こえた。
 自分の勝利を称える声。
 馬鹿な。
「ゆ・う・か! ゆ・う・か!」
 何を見ていたというのか。
(私は、負けたのに……っ)
 ギリッと奥歯を噛み締め、幽香は殺意さえ込めて倒れた紫を見た。
 瞬間。
 視線に気がついた紫が、唇を歪めた。
 その笑み。
 嘲笑の笑み。
 誰も気がつかない。
 だけれど、八雲紫は知っている。
 幽香はこれだけの衆人環視の中で――。
(負けた!)
 ぐっと呻いて幽香は紫に気圧されるように下がった。
 と。
「え?」
 足がもつれて、幽香はその場に尻餅をついた。いともたやすく、紫の前に足がすくんだ
かのように。
 それを、多くの者が見ていた。その視線が幽香の勝利を苦くさせる。カッと頭に血が上
る。
 羞恥が心に広がった。
(いったい……)
 私は、何をしているの。
 こんな場所で。
 あからさまなピエロを演じさせられて。
(八雲……紫……)
 自分の中の何かが軋んだ音が、嬌声よりも大きな騒音として響いていた。
「あ〜あ。相当気持ち悪かったのね〜って言うか、触手って何?」
「さすがって言うか、やっぱりって言うか……紫に当たらなくて良かったぜ」
「だま……れっ」
 巫女と魔法使いの言葉に、幽香はキャンバスに座り込んだまま吐き捨てる。
 人間になど、わかってたまるか。
(この私が弄ばれて……っ)
 へし折れそうなプライド。その直し方があるのなら、教えて欲しい。
 この試合の勝利は、何百という実戦の敗北を上回る、最大の屈辱だ。
 風見幽香という妖怪が積み上げてきた、矜持。それが一瞬で崩壊するほどの。
(……どうすればいい?)
 だから、幽香は即座にプライドの回復を考えた。
 唇を噛み締めて、自らに恥をかかせた妖怪を睨みつけた。
 ――だが。
 答えを出す前に、後ろから背中をさすられた。
「?」
 それは藍だった。彼女は苦しげな幽香に心配を表に出した顔で、申し訳なさそうに言う。
「大丈夫か、風見。紫様がすまんな」
「っ!」


 風見幽香のプライドを完全に打ち砕いたのは、そのひとことだった。


 紫様がすまんな。
 それは、まるっきり格下へと告げる言葉。
 幽香の視界が真っ暗になる。自分は負けたのだと、それが第三者にまで理解されたのだ
と思い知らされた。
 それで最強妖怪としての自分の全ては終わってしまったのだと思った。
 しかし、軋んでいたプライドが完全に砕かれ、雑音の無くなってクリアになった思考に
飛び込んできたのは、続けざまの藍の台詞だった。
「まあ、紫様もあんな目にあったのだし、許してやってくれ」
 苦笑。
 本来なら主に大怪我をさせた相手など身を捨ててでも葬り去るべきなのだが、今回は場
合が場合だけに藍も寛容であった。むしろ「忘れてくれ、頼む」という意志がひしひしと
伝わってくる。
 重要なのは、しかし藍の伝えたかった意志ではなかった。
 幽香は改めて倒れた紫を見た。彼女はどこをどうやったのか、身体中の関節という関節
をへし折られている。
 誰がそれを成し遂げたのか。
 考えて、幽香は目の前に差し出された藍の手を見た。
「?」
「立てる?」
「……親切ね」
 一つ考えて、幽香はその手を取った。
 ピキ、と小さな音がした。藍にとっては、脳髄まで響く大音響だっただろう。
「な……!?」
 絶句が藍に生まれる。それを見て、幽香は確信した。
 砕けたプライドの直し方?
(そんなもの決まっているじゃない)
 虐めよう、と幽香は思った。
 ありとあらゆるものを、虐めよう。
 さし当たって、第二回戦の相手。確か、氷精の少女。
(あれを、殺そう)
 とても気軽に、まるで当然のことのように幽香はそう決定した。
 それは、いつもの幽香の思考ではない。楽しみのために、相手を思い切りからかうため
に虐めるのではない。
 埋め合わせだ。
 真っ暗になった視界、その闇を払うためには、『新たに得たもの』を有意義なものにす
れば良い。この敗北が有意義であったと、自分に納得させれば良い。
 簡単なことだった。
 藍に底の底にまで落とされた心が自動的に選んだ『保身』の道は、実に簡単なことだっ
た。
(それでその次は、霊夢)
 なんだ、と幽香は暗く笑う。顔を引きつらせた藍の隣を通り過ぎ、口の周りについた紫
の唾液をを袖でぬぐう。
(お楽しみは、これからだったんじゃない)
 この瞬間、暗く暗く冥府の果てよりもな暗く深い闇が、幽香の瞳に宿った。それは年末
の騒がしい格闘ごっこ大会に生まれた、幾つかの波紋の一つ。
 まだほとんどの者が気がつかない歪みをその身に宿し、幽香は紫を見下ろした。
 スキマ妖怪の笑みに、彼女も同じ笑みを返した。仮面のように。
「『新しい玩具』をありがとう。お礼は大会の後で」
「どういたしまして」
 それが二人の最後の会話だ。幽香は手首のスナップを確認しながら、ふむと会場の妖怪
たちを見渡した。
(二回戦まで、少し練習しておかないと)
 犠牲者を、選び始めた。
 残された紫は、視界に入らない藍に尋ねた。
「折られた?」
「いえ……大丈夫です」
 笑う藍の額には、脂汗。幽香に触れた瞬間、手首の返しで肘の関節を『外された』のだ。
「どうやら、手加減されたみたいで」
 それでも痛みで悲鳴を上げなかったのは藍だからこそだ。橙をリングの上げないで良か
った、と彼女は安堵の息をつく。
 それから。
「……敵をさらに強くして、どうするんですか。アレ、もう手に負えませんよ。絶対に後
で仕返しに来ますよ」
「まあ、いざという時は、その時で」
「まったく……」
 安堵の次は暗澹。せわしなく息をつきながら、藍は花道へと降りていく幽香の背中に、
自分の正直な感想を叩きつけた。
「化け物め」
 全てを知りながら楽しそうにしているのは、紫ただ一人なのだ。



                        『Aブロック第4試合』――決着!