東方殴り巫女伝説 〜Bare Knuckle Players〜

1回戦 Aブロック第3試合 大妖精 VS チルノ


              ※ ※ ※


「――さて、それではリングの修理の方も終わったようなので、そろそろ第三試合を始め
たいと思います。修理を担当してくださった永遠亭の兎の皆さん、ありがとうございまし
た。会場の皆様、拍手をお願いいたします」
 第二戦のダメージはどこにいったのか、溌剌とした声を寒空に響かせるのは、もはやお
馴染みになった司会兼実況の射命丸文だ。
 パチパチというまばらな拍手の中、兎たちはホクホク顔でおひねりの硬貨を回収して、
戦いの舞台から下りていく。入れ代わりにリングに上がるのは、これからその舞台で雌雄
を決する二人。
 赤コーナーの大妖精。
 青コーナーのチルノ。
 その顔ぶれを見て、文は隣に座る慧音にマイクを向けた。
「いやぁ、どうですかこの対決?」
「正直、誰も注目してはいないだろう」
「うわっ、本当に正直ですね」
 直球ど真ん中を言った慧音に、文はカラカラと快活に笑った。放送席のその言葉に、会
場の妖怪たちもドッと笑い出す。
 実際、賭けの元締めであるてゐに尋ねてみても、
「妖精たちの試合? ダメダメ、賭ける人が少なすぎるし、予想も半々で成立しないわ。
永遠亭の手取りもあるからね、今回はどっちが勝っても一.八倍!」
 と、オッズも二倍に届かない有様だ。
 その事実を踏まえ、文はニコニコと言葉を選ぶ。
「……と、いうことで、実力伯仲の二人の試合ということがわかったと思います。まあ、
一応二人の戦力分析でもしてみましょうか。店主の見解はどうです?」
「そうだな……僕は彼女たち本人よりも、その後ろにいる人物の方に頭痛がするね」
「意見が合うな」
「いやいや、それが唯一の楽しみなんですよ」
 話を振られた霖之助は、本当に額を押さえてうなだれた。慧音も皺の寄った眉間を揉み
解し、文だけが目を輝かせて各コーナーポストの『外』にいる人物に注目する。
「赤コーナーの大妖精選手には、すでに二回戦進出を決めている霊夢選手。青コーナーの
チルノ選手には、これから一回戦を控えている魔理沙選手がセコンドとしてついています。
この二人が妖精たちにどのような戦術を指示するのか、興味津々ですね」
「二人とも、自分の選手が勝つと宣言している。ムキになって無茶なことをさせなければ
いいんだけどね……」
 霖之助が心配している間に、巫女と魔法使いに見送られた二人の妖精がリング中央に進
み出た。
「二人とも、準備は良いですか?」
「はい」
「あたいはいつでもいいよ!」
 映姫の確認に、片方はおずおずと、もう片方は物怖じしない勢いでうなずいた。同じタ
イミングで、
「ええ」
「いつでもいいぜ」
 霊夢と魔理沙が必勝の笑みをお互いに向けた。バリッと空中で弾けた火花は、妖精たち
の間にあるものよりも激しかったりもするのだが――。
 ともあれ、試合開始を告げるのはリリーホワイトの役目だ。
「始まりですよ〜」
 誰も注目しないお遊戯が、今開始された。

              ※ ※ ※

 十歳にも届かないような幼い少女が二人、ロープで囲われたキャンバスに立っている様
は、酷く違和感があり、滑稽さすらある。
 幻想郷における最低ラインとまで言われる妖精。その二人が一回戦で相対することにな
り、あまつさえ次に控えた試合が『風見幽香 VS 八雲紫』というビッグマッチでは、
その試合の意味は『観客の休憩時間』以上のものには成り得ない。
 誰もがそう思っていたし、事実その通りである。
 だが。
 試合開始と同時に見せたチルノの動きは、その弛緩した会場の空気を一瞬にして緊張の
渦に叩き込むに充分なものだった。
 それはまさに不意打ちだっただろう。試合開始の合図に、大妖精がまず後ろに下がって
様子見をしようとしたその瞬間。
 その一瞬の隙に、チルノは相手の懐に潜り込んでいた。
 強く、激しく足を踏み出し、体重の限りをもって修理されたばかりのキャンバスを素足
の裏で叩いた。
 予想以上の速度に、大妖精が目を見張る。
 中腰での踏み出し、キャンバスからの反動を受け止める膝の存在に、文が真新しい痛み
の記憶との符号を確認して驚愕する。
 先ほど見た試合の残像――妖怪ですら戦慄せざる得ない、最大級の破壊の一撃。談笑交
じりに横目で試合を見ていた妖怪たちが凍りつく。
 果たして、その技の名は。
「てつ・ざん・こー!」
 紅美鈴の必殺技。背中を利用した体当たり。
「チ――!?」
 チルノちゃん、という大妖精の悲鳴すら飲み込んで。


 ――ぷに。
 チルノのお尻が、大妖精に炸裂した。


              ※ ※ ※

(馬鹿だ)
(バカでしょ)
(馬鹿ですね)
(何かしらあの馬鹿)
(地上産バカですね)
(うわ、馬鹿がいるっ)
(馬鹿だな〜)
(もう馬鹿にしか見えない)
(あはは、馬鹿だ馬鹿!)
(バカなのか〜)
(は、恥ずかしい……)
 順番に、霊夢、咲夜、妖夢、アリス、鈴仙、リリカ、妹紅、慧音、萃香、ルーミア、そ
して美鈴。
 凍りついてしまった会場の中、技のオリジナルである美鈴は顔を真っ赤にして縮こまっ
た。
 そして。
「あれ?」
 自分の『てつざんこう』で大妖精がピクリとも動かなかったことに、チルノは疑問の色
を顔に浮かべた。
 そこに、霊夢の声が飛ぶ。
「今よ!」
「や……やーっ!」
 大妖精が自らも飛ぶ勢いでチルノの背中をドンと両手で突き飛ばした。それは見事に決
まってしまい、小さなチルノの身体がつまずいたようにつんのめって、顔面からキャンバ
スへと落ちる。
「へぶっ!?」
 何かヤバイものでも握り潰した時のような声をチルノがあげた。思わず加害者がビクッ
としてしまうようなヤバさに、映姫はすぐに笏を掲げて叫んだ。
「ダウン! ワーン、ツー、スリー――」
「チ、チルノちゃん」
 あまりの手ごたえに、大妖精が真っ青になってチルノに歩み寄ろうとしたが、
「ふひはっ! こ、これで最強ねっ!」
 氷精はしたたかに打った鼻を押さえて、意外に元気に跳ね起きた。相当痛かったのか、
目に涙を溜めていたが表情は明るい。
 映姫がカウントを止めて試合の再開を指示する前で、チルノは大妖精に指をビシッと突
きつけて宣言した。
「試合は最初にピンチになった方が勝つのよ! だから、この試合はあたいの勝ちね!」
 その言葉は、マイクなど必要としない大音声で会場に響き渡る。
 ああ、と全員は納得した。
 再度、納得した。
(やっぱり馬鹿だ)
(やっぱりバカでしょ)
(やっぱり馬鹿ですね)
(やっぱり何かしらあの馬鹿)
(やっぱり地上産バカですね)
(うわ、やっぱり馬鹿がいるっ)
(やっぱり馬鹿だな〜)
(やっぱり馬鹿にしか見えない)
(あはは、やっぱり馬鹿だ馬鹿!)
(やっぱりバカなのか〜)
(やっぱり、恥ずかしい……)
 やっぱり、ピンチからの大逆転を成し遂げた美鈴は羞恥に縮こまった。
 その中で一人だけ笑いをこらえてプルプル震えているのが、青コーナーにいる魔理沙だ。
その姿を見た霖之助は、一つの決意を固めた。
「後で叱ろう」
 最初から魔理沙がチルノに吹き込んだと確信しているあたりに、霖之助の魔理沙に対す
る認識がうかがえる。
 ともあれ、ぐっと拳を握り締めたのは霊夢だ。
「これでおひねりは私のものね。――とどめよ、いきなさいっ」
 そう大妖精の背中を後押ししたのだが、肝心の選手はその言葉で動かなかった。霊夢が
訝しがると、大妖精はオロオロとした様子で、
「チ、チルノちゃん泣いてるし」
 先ほどのようなドサクサ紛れならばともかく、面と向かって仲の良い友達に酷いことは
できない。
 大妖精はそう言っていた。
 もともと、いたずらは好きだが荒事が好きなわけではない。彼女が力を使うのは人間や
妖怪が相手であり、同じ妖精に向かって力を――それも腕力を振るうことなど、一度もし
たことはないのだ。
 しかも、相手はチルノ。
 チルノは力の強い妖精だ。それこそ、本当は妖精ではないのではと疑えるほどに、強い。
最下級の妖怪くらいであれば倒すことができるほど、その冷気の力は強い。
 だが、その力ゆえに彼女は孤立することが多かった。
 陽気を好み陰気を嫌う妖精たちにとって、春の花を蝕む冷気を放つチルノは、同じ妖精
であっても共にいるには不都合な力の持ち主だった。
 結果、チルノは一人で遊ぶ。彼女がいかに妖精らしい性格の持ち主であろうと、一人で
つまらなそうにしていようと、それを可哀想と思うような気配りができる妖精など、ほと
んどいなかったのだ。
 ――大妖精を除いて。
 大妖精もまた、妖精にしては力のある方だ。さすがにチルノほどではないが、それでも
妖怪たちの弾幕ごっこにチルノの前座として参加できる程度には、強い。大妖精がチルノ
を気にかけることができたのも、ひとえにその力の強さゆえの『余裕』のおかげだ。
 大妖精は、自分の力が強いことをなんとなくだが理解していた。そして、それがチルノ
に及ばないことも、また理解していた。
 自分が『どの程度強いか』を早々に知ることができた彼女は、『自己の理解』という、
およそ妖精らしくはない出来事を経て、少し『大人』になった。それは同じ湖にチルノが
棲んでいたおかげであり、彼女にとってチルノは『自分が変わるきっかけ』『自分より強
い妖精』という、特別な位置に存在していた。
 特別。
 特別なのだ。
 チルノは湖の外で遊ぶことも多いが、湖で遊ぶ時には必ず大妖精を誘って遊ぶ。大妖精
が遊んでいるならば、多少寒くても他の妖精もついてくる。そうすれば、チルノも楽しく
遊べて、皆が笑顔で日が暮れる。
 笑顔が一番。
 特別なチルノに寂しい思いはさせたりしない。
 それが、友達ということなのだ。
(うん!)
 大妖精はうなずいた。
 やはり、チルノを叩くことなど彼女にはできはしない。
 それはチルノも同じはず。
 二人は、友達なのだから。
 だから。
「チル――」
 ぱぁん、と鳴った。
 ギブアップするね、と言おうとした頬が弾け、大妖精は目をパチパチさせた。
「え?」
「左の頬を叩いたら」
 と、チルノが今度は左手を振りかぶった。
 え? え? という大妖精の困惑にかまわず、
「右の頬を叩け!」
「っ!?」
 平手打ちが右の頬を叩き、途端に広がった痺れるような痛みに大妖精は信じられないと
いう顔でチルノを見た。
 あれ?
 私たち、友達だよね?
「右の頬を叩いたら」
「え?」
「左の頬を叩け!」
「きゃっ!?」
 悲鳴が上がってもチルノは止まらなかった。左、右、と繰り返し棒立ちの大妖精の頬を
張り続ける。あっと言う間に赤く腫れ上がった頬の痛みと頭の混乱で、下がろうとした大
妖精が足をもつれさせて転ぶと、チルノはその上に馬乗りになってさらに往復ビンタを繰
り出し続けた。
「叩け! 叩け!」
「チル――ノ――ちゃ――」
 しゃべろうとする度に頬が真横に叩かれ、大妖精はもはや何がなんだかわからなくなっ
てきた。
 本当にもうわけがわからない。
 なんで自分はチルノに叩かれているのか。そもそも、なんで自分はこんな大会に参加し
ているのか。
 何もかもがわからなくて。


 涙が出た。


「チル……ノ……ちゃぁん……ひっく……」
 そうして、大妖精は大観衆の前で恥も外聞もなく涙を流した。叩かれる顔を手でかばい、
もう叩かないでとフルフル震えて丸くなった。
 そこに飛ぶのは、人間の声だ。
「何やってるの、逃げるのよ!」
「チャンスだ、一気に行け!」
 巫女と魔法使い。
 だけれど、大妖精は動けなかった。
 だけれど、チルノは動かなかった。
 怯えて泣く大妖精を前に、チルノはそれ以上平手打ちを加えることはできなくなってい
た。
 寒さに震える野兎よりも弱々しい大妖精の姿。そんな姿、チルノは見たことがなかった。
(あれ?)
 なんでこうなったんだっけ、と少女は考える。
 妖怪たちが、弾幕ではなく格闘で遊ぼう、と提案したからチルノはそれに参加した。遊
ぶのは大好きだし、大きな催しであれば他の妖精たちだって参加する。
 皆で楽しめるはずだった。
 とても楽しいはずだった。
 それなのに。
(あれ?)
 どうして大妖精が泣いているのか、チルノにはわからなかった。
 ただ、大妖精が顔を庇う腕の間からチルノを見て、酷く傷ついた目をしたことに。


 涙が出た。


「う……うー……っ」
 歯を食いしばり、チルノはどうして溢れるかわからない涙を抑え込もうとした。しかし、
とめどなく沸いてくるそれはついに零れ落ち、頬を伝って顎にたどりついて、そこから雫
となって落ちた。
 氷の雫。
 氷の涙。
 ポツ、とその氷の欠片が自分の胸に落ちた感触に、大妖精は顔を上げた。
 泣き顔が向かい合う。
 そして、二人は、もう一度声高に泣いた。

              ※ ※ ※

「え〜……二人とも泣き出してしまったんですけど、これはどうなるのでしょう?」
 放送席から一部始終を眺めていた文は、さすがにどうコメントして良いかわからない様
子で隣にいる霖之助たちを見た。
 その霖之助たちはすでに席を立っており、
「ははは、ちょっと説教に行ってくる」
 笑顔で同じことを言った。霖之助は青コーナーに、慧音は赤コーナーへと向かう。慧音
が指をパキパキ鳴らしているのを見て、文は博麗の巫女にご愁傷様を呟く。もちろん、魔
理沙もただでは済まないだろう。
 と。
「そこまで。勝者チルノ!」
「あら」
 泣き喚く妖精たちに見下ろし、審判である映姫がそう判決を下した。その理由を文が尋
ねようとするより先に、彼女は良く通る声で解説する。
「チルノが最初の平手打ちを当てるより前に、この子はギブアップを口にしようとしてい
ました。これ以上試合は続行できませんので、そのギブアップを有効とします」
「はぁ〜、すでに勝負はついていたわけですね」
 ギブアップも最後まで口にしなければ有効ではないが、今回は状況が状況だけにそれを
勝敗の判断基準としたようだ。文も納得し、会場に再度チルノの勝利を伝えるアナウンス
を行う。
 そうしてから、彼女はリングの上を見つめて呟いた。
「若いって、いいですね〜」
 お互いがお互いを抱きしめる二人の妖精の姿は、『ほんの少し』年上の彼女の瞳に、雲
の上で出会う太陽よりも眩しいものに感じられたのだ。



                        『Aブロック第3試合』――決着!