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              「ウロボロス」

                序編


「全てが虚構であったというのなら、この場に立つ我は何か! 我が心は何か!」
 言葉が叩きつけられていた。
 それは手にした槍よりも強く、速く、そして苛烈だ。
 蒼天映す蒼き鎧に身を包んだ女の言葉を受けた炎躍る紅き鎧に身を包んだその男は、星
の消えた夜空の色を宿した瞳で前に立つ美しい月光色の髪を持つ女を見据え、手に持った
斧状槍の石突きを煉瓦敷きの床に突き立てた。
「お前に語る言葉はもうなく、そして全てはもう終わる──」
 男が背にしたのは背丈の何倍もの大きさのある門。喰らい合う二匹の竜を頂点とする装
飾の施された門は今は閉ざされ、しかし今にも開く気配をもって息づき、揺れ動いていた。
否、その震動はその門によって閉ざされた向こう側からの何者かの要求なのだ。
 自然ではない事柄を表す言葉を、意図的と言う。
 閉ざされた門を今意図的に、己の意志を持って開こうとしている者がいるのだ。
 その気配を感じ、女は自分の身長を遙かに超える長さの白銀の槍を脇に挟んだ。蒼い視
線は憎悪に燃え、涼しげな顔で佇む男を射殺さんとさらに加熱する。
 加熱──比喩ではない。
 空気が、燃えた。油に火をつけたかの如く男の周辺で炎が爆ぜた。散った炎の粉は女に
まで降りかかったが、気にはしない。
「その視線炎の如く……か。我ながら、恐ろしい者を生み出したものだ」
「本当に……我を棄てるのか。これが最後の言葉だ!」
 希望。
 憎悪の中にそれは存在出来る。憎悪の先にも闇ではなく光が存在出来る。だが、おそら
くその希望が実ることは少ない。だからこそ憎悪は闇への門であるのだ。
 その例に則るように、男は応えた。
「お前など、ここまでの捨て石にすぎん。──よくやってくれた」
「──────!」
 時に言葉はどのような武器よりも優れた殺傷具と化す。
 希望は死んだ。
 後は絶望が身を動かす。
「ぁぁぁぁぁああああああ!」
「っ」
 蒼い颶風が銀色の刃を閃かせた。
 突進。
 男が、笑った。
「なっ!?」
「っぐう」
 銀色の槍は男の胸を貫いた。その勢いは止まらず、男と女は抱き合うような形で背後に
あった門にその背中を打ち付けた。
 貫通した槍が門に達し、その刃の半ばまでが閉じられた門の中に吸い込まれた。
「封印は解かれた!」
「しま──」
 膨大な量の鮮血を吐き出しながら叫んだ声に、女の悲鳴が重なった。
「開け、ウロボロスの門よ!」

                 ※

 その日、世界は終末を迎えた。
 彼女は命を喪い、彼も命を喪った。
 長い長い生まれた時からの物語は、その時に終結したのだ。

                 ※

「愚かな女。愚かな男」
「だが愛はあった」
「憎しみもあったでしょう」
「全ては繋がりを求めた故の結末」
「ただ一つの門を開くのに二人の命……かけがえのない人の命二つは、あまりに大きな代
償。我々はそれに応えねばならん」
「命だけではない。女は心をも喪った」
「新たなる命を」
「新たなる心を」
「女が望み、男が望み、そして得ようとした過程で砕け散った望みを」
「与えましょう」
「それが苦しみの道のりであっても」
「手に入らぬ幻であったとしても」
「久遠の時間の彼方に、希望を見続けるのならば──」

                 ※

 闇が津波のように地上を移動していた。高く高く壁のようにそそり立った闇の津波は木
々を押し流し、川の水を腐らせて街に迫る。生を喰らい死を振り撒くそれを人はそのまま
闇と呼ぶ。
 闇が地上に現れるようになって、すでに五年の月日が流れていた。物心つかなかった子
供たちが自分の生まれた世界に絶望するようになるに充分な時間が経過し、その闇はすで
に世界に定着した現象と化している。だが、それが人の住む街を襲う確率は低い。
 その低い確率に出会ってしまう街も、確かに存在するのだ。
 すでに人はなく、舗装された街道から続く匠たちが多く住んでいた街は避難の際に放置
された家財道具が生活感を残すだけの場所と化していた。寂とした空気が漂う街に、不意
に怨という声が響き渡る。
 闇。
 生けとし生きるもの全てを怨む声に、子犬はひゃんと啼いて身を丸くした。犬は知らな
いだろう。生まれ落ちた世界が絶望に埋め尽くされていることを。そして、闇が通り過ぎ
た後、肉は喰らわれ、骨だけがその場に残されることを。
 闇の接近は、そのまま声の接近だ。轟音に等しい怨の声が大気を揺るがし、大気を歪め
る。
《怨》
《憎》
《苦》
《死》
《死!》
《死ッ!》
「ならば、それを祓おう」
 それは空からの言葉だった。何が起きたのか、人ならぬ子犬には理解できなかったが、
おそらく人でさえその時起きたことを理解することは出来なかっただろう。
 空から蒼い光が降り注いだ。雷とは明らかに違う直線の光の柱は、地面にぶつかると弾
け、空と地上の狭間に一人の女を形作った。
 裸身。が、広がった光の翼がその身を包んだ直後、女は光を束ねた蒼い鎧を身に纏い手
には銀色の長大な槍を携えていた。
 月光を織り込んだ髪が揺れ、苛烈な言葉を女は放った。
「散れ!」
 瞬間、光が炸裂し闇が押し戻された。蒼い光を放っているのは女で、彼女を中心とした
光の球が急速に膨れ上がった。光は闇を喰らったりしない。ただ、退ける。退けられた闇
は散り散りになり、濃い闇を形成できなくなり、地上の自然の闇にとらわれ消えていく。
するとその闇の中に巨大な鰐の頭を持つ狼の姿が垣間見えた。それこそが、闇の中心なの
であろう。
 女はためらわず、手にした槍を脇に挟み込み宙を蹴った。蒼い颶風が文字通り空を切っ
て奔る。
「闇に還れ!」
 化け物が再び闇を身に纏おうとするが、遅い。その鰐の頭に銀色の刃が突き立てられた。
「はあ!」
 振り抜き、一閃。それは千の閃光に変わる。
 無数の光の軌跡が化け物の身体を引き裂き、闇に還す。血、肉、骨、全てが闇だ。
「……浄罪を」
 ほんの短い戦いを終えた後、光る女はそう呟いた。
 誰の罪か、それはわからない。闇か、自分か、それとも他の誰かか。子犬には、わから
なかった。ただ、子犬も子犬ながらに思ったであろう。戦う女が自分を救った存在である
のだと。闇すら凌駕する存在であるのだと。
 と、女の視線が不意に下方に向かった。子犬と上下の違いはあれ見つめ合う。
 やがて、女は地上に舞い降りると槍を手にしていない手で子犬を抱き上げた。子犬も、
抵抗しようとはしなかった。
「置き去りにされたか……我と共にくるか?」
 ひゃん、と子犬は鳴いた。そうか、と女は初めて微笑み、歩き出した。
 空へではない。
 地上を、歩き出した。


 かくて女と子犬の旅は始まらん。
 ただ一人、憎く愛する人を探す旅に──


                                終


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