TROY 〜ガンボール・カーニバル〜 Episode.1 序章「10 years ago for Nya Raptor」                 1  標準時間で午後一時四十五分、ニア・ラプターは狩人として宇宙艇<レイフィールド> で獲物を追い詰めていた。  人一人が入るのがやっとの手狭なコクピットには、ニアの小柄な身体を押し込んだ搭乗 席以外の部分にこれでもかというくらいに多くの情報を表示したモニタが並んでいる。特 に大きな開閉ハッチを兼ねる上部から前面にかけての部分には、<レイフィールド>が現 在飛行中の宇宙空間、そして背面を捉えた敵機の姿が映し出されていた。 「こちら試験機α2<レイフィールド>。同時巡航中の試験機α1<エンブレン>を捕捉 しました」 『ウニか』 「……です」  通信機からの返信に、ニアは苦笑を浮かべてモニタに映し出された獲物の姿を確認した。  ハイパーウェーブ・レーダーが捉えてモニタに描き出したそれは、宇宙空間での移動力 を得るためのスラスターを無数に張り付かせた、まさに海洋生物のウニのような球系の宇 宙艇であった。実際関係者たちはそう呼んでいるし、ニア自身も試験飛行中でなければ「 ウニいました」程度で済ませていたことだろう。そのくらい間抜けな外観の宇宙艇だ。  だが、それが美味しいだけの海洋生物ではなく、凶悪なまでの攻撃力を持つ軍用試験機 であることを知るニアは、汗ばむ手のひらで操縦桿をやわらかく握り直した。指に当たる 無数のスイッチの一つ一つが、自機に与えられた機能の一つ一つであり、<レイフィール ド>の力だ。 『じゃあ、アプローチを頼むよ、ニア。勝てたら、今日のおやつは三割増しだ』 「そうやってわたしはどんどん太っていくんです――ね!」  軽口の最後の一音で、<レイフィールド>のスラスターが光を噴いた。細長いペンシル 型の機体の左右に設置された球形の光子(フォトン)エンジンユニットが猛烈な勢いで光 粒子を撒き散らし、紅の機影は先ほどに倍する速度で前方を行くウニに迫る。 「行きます! 安全装置、レベル5まで全て解除!」  叫びは、状況報告と宣戦布告と自分への勢いづけの三つを兼ねた。ニアが操縦桿のトリ ガーを引くと、艇首に装備された主武装の荷電粒子砲(プラズマ・キャノン)が黒いばか りの宇宙に一瞬の白い閃光を撒き散らす。  しかし、数キロメートルをあっと言う間に駆け抜けたプラズマ弾が命中する寸前、巨大 なウニ――<エンブレン>はそれまでの前進の動きをいきなり真横に変えた。慣性を無視 したような動きで、必殺の一撃を回避する。  そして。 『了解。こちら試験機α1<エンブレン>。規則に基づき、戦闘演習に応じます。お手柔 らかにお願いします』 「手加減はしないわ」  モニタの端に現れた金髪の青年の顔に、ニアは好戦的な笑顔を向けた。肉食獣(ラプタ ー)と仲間たちから呼ばれる、宇宙で戦うために生まれてきた少女の笑みだ。  その笑みに、青年も負けてはいない。額や首筋など、いたるところからコードを伸ばし て直接<エンブレン>と接続した彼は穏やかに返礼する。 『では、こちらもそのように』  直後、<エンブレン>の棘が微動して<レイフィールド>に狙いを定めた。 『斉射!』  攻撃のタイミングを教えてくれるという手土産に、ニアは笑って反応して<レイフィー ルド>に回避行動を取らせる。一瞬前まで機体があった場所を灼熱のプラズマが通り過ぎ、 大きくターンして<エンブレン>の背面に回り込もうとしたニアは、しかしすぐさま撃ち 出されたニ発目のプラズマに、機体を錐揉みさせる。  そのままでは右のスラスターユニットを直撃していたそれを、機体の回転移動という微 調整でかわした<レイフィールド>は、至近弾の通過による熱エネルギーで装甲板を泡立 たせながら敵機の懐へと飛び込む。  が。 「フォトンバリア!」  三発目のプラズマに、光子エンジンをフル稼働させてカーテン状の光子障壁を作り出す。 プラズマと光粒子が互いにエネルギーを削りあって消滅し、<レイフィールド>はその消 滅の白光の中に飛び込んだ。 「マニピュレータ三番と四番! 一番と二番は自律防御!」  ニアの指が激しく動き、スイッチを組み合わせたコマンドを入力する。足元のペダルを 踏み込んで加速し、指の動きを止めないまま操縦桿を大きく円を描く様に動かす。  <レイフィールド>が艇首と艇腹から計四本のマニピュレータ・アームを繰り出し、調 子を試すようにその腕をグルリと回転させた。  白光を紅い機体が抜けると、すぐそこに四発目のプラズマが迫っていたが、艇首のアー ム――識別番号一番と二番がその手の先にフォトンバリアを発生させて、それをあらぬ方 向へと弾き飛ばす。カーテン状とは違い盾のようにピンポイントの、受け流すためのバリ アだ。  そこから、五発目、六発目を続けて避ける。破壊力はあるが砲門の熱処理のために連射 が利かない大口径の荷電粒子砲だが、<エンブレン>だけはその制限に当てはまらない。  宇宙に浮かぶウニは、無数のスラスターと、無数の砲台の集合体。それが、全方位攻撃 機<エンブレン>の正体だ。前も後ろも無く、三百六十度に動きを変え、そして三百六十 度が射撃可能範囲。単体にして複数と戦うことを前提とした、動く全方位砲台だ。  対して、<レイフィールド>のコンセプトは接敵必殺。二連光子エンジン(ツイン・フ ォトンエンジン)の生み出す大出力の加速と、有り余るエネルギーを使ったバリア突撃。 「せぁぁ!」  交錯の一瞬、モニタいっぱいに映し出された<エンブレン>に、<レイフィールド>の 腹部アームが光子の剣を手にして斬りかかる。それを紫のウニはやはり慣性を無視した動 きで紙一重で避ける。  鈍重そうな見た目に反して驚異的な近接戦回避力を誇る<エンブレン>に、<レイフィ ールド>は置き土産とばかりに背面装備された機銃を乱射する。どうせ一対一で、この後 の戦闘は無いとわかっているニアは、遠慮無しに全弾を撃ち尽くすつもりで実弾をばら撒 いた。秒間三百発など、<レイフィールド>程度の小型艇ならばトリガーを引き続ければ 五秒と待たずに空になる。  雨あられと降り注ぐ弾幕に、<エンブレン>はフォトンバリアを展開して難を凌いだ。 <レイフィールド>の狙いが、バリア展開時はエネルギーを光子エンジンに依存する陽電 子砲が使えないことを利用した安全な距離稼ぎであることはわかっている。ヒットアンド アウェイの自在さが<レイフィールド>の真骨頂だ。 『逃がしませんよ』  それを見越し、<エンブレン>が魚雷四発を発射する。一撃で宇宙艇を四散させる魚雷 は<エンブレン>でも四発しか積んでいない虎の子だ。追尾性や、味方を信号で見分ける 使い勝手から、この時代の宇宙戦の中核を担うもっとも信頼できる兵器である。 「魚雷!? アンドロイドは割り切り良すぎよっ」  魚雷は一発が<レイフィールド>の艇尾を追い、残り三発が大きく回りこむようにして 飛んでいる。当面の魚雷を振り切ろうと回避すれば、残りのどれかが<レイフィールド> に襲い掛かる仕組みだ。 『ニア、無理はせずにいつでも演習停止信号を出すんだ。魚雷なら、それで止まるはずだ』 「大丈夫ですよ、ハウラーさん。まだまだ、この程度なら……っ」  通信に答え、ニアが唇を舐める。度胸の有る無しならば、自分は有ると信じている。  だから。 「この程度なら、<ハウラーさんのレイフィールド>は負けない!」  気合一閃。  <レイフィールド>が減速しながらターンを打った。わざと全ての魚雷が自分を捕捉す るように計算して飛行。魚雷の間を縫うようにして、時間差が時間差にならないように誘 導する。自然と追いつく魚雷たちを見つめ、 「加速!」  全てが自分に向かって収束してくることを確認して、ニアは一気に<レイフィールド> のターンを加速させた。四つの魚雷が交差し、誤爆を避ける機能が働いて一瞬その軌道が 大きく歪む。そこに、弧を描いて一周した紅い機体が飛び込む。  海の渦巻きのような鋭いターンで魚雷を目の前にした<レイフィールド>がフォトンバ リアに包みこまれ、光子の障壁が同時に四つの魚雷を引っ掛けた。そして<レイフィール ド>が通り過ぎると、その背後で起きた盛大な爆発が宇宙を一瞬だけ白夜に染めた。 「安全装置、レベル7まで全て解除! 全力で行くわ!」  弾けるように<レイフィールド>の腹が開いた。そこから現れる無数のマニピュレータ ・アーム。二十対を数えるそれは、全てが別々に動く<レイフィールド>の剣であり、盾 だ。  <レイフィールド>は自分の道を切り開くために荷電粒子砲を撃ち放ち、それをかわし た<エンブレン>の嵐のような荷電粒子砲の射撃を、次々とピンポイントバリアで弾いて 進む。その様は、小さな円形盾で矢を弾きながら突進する軽戦士さながらだ。 「三、二十五、十六、三十、十二、十一、三十二、八、一!」  目まぐるしくアームを動かしながら、空飛ぶ百足のような<レイフィールド>が<エン ブレン>に張り付こうとする。しかし、それでも三百六十度の射撃範囲を誇る<エンブレ ン>に隙は無い。常に自転し、常に使用可能な砲塔を<レイフィールド>に突きつける。 至近距離ともなれば、弾いたプラズマが艇尾をかすめ、装甲を溶かす。何本ものアームが 爆砕し、それと同じ数の荷電粒子砲の砲門が光子ブレードで破壊される。それは二つの巨 大な生物の、互いを削り合うような決闘だ。  その均衡が破れたのは、<エンブレン>の一方面の砲門が全て破壊された時だった。弾 幕を失った面を<エンブレン>が隠そうと自転するのに追いすがり、<レイフィールド> は艇首のアームでウニの棘のようなスラスターを掴む。 「い……けぇ!」  <エンブレン>がスラスターを噴かしてアームを焼くが、遅い。その隙を逃さずに鼻面 を突きつけた<レイフィールド>の至近距離での荷電粒子砲の一撃が、フォトンバリアで 相殺されながらも<エンブレン>の球体の半ばまでをごっそりと吹き飛ばした。  二機が衝撃で分かれると、もはや自力飛行もままならない<エンブレン>が小さな爆発 を瞬かせながら宇宙を漂い、短い賞賛を送る。 『お見事です』  同時に演習停止信号がコールされ、大きく息をついたニアもまた、操縦桿から手を離し て、ぐったりとシートにその身体を預ける。 「ありがと。でも、こっちも自力で戻るのは駄目みたい。──ハウラーさん、お願いでき ますか?」 『ああ、すぐに回収艇を出すよ。ご苦労様。おやつは期待しておいてくれ』 「やっぱり、こうやってわたしはどんどん太っていくんです……ね」  軽口の最後の一音で、ニアはコクピットに並んだボタンの中でもひときわ目立つ赤いも のを押した。  勝っておきながら救難信号というのも格好悪いな、と思いながら。                 2  数回にわたる宇宙大戦の結果、人類は自らの発祥の地である天の川銀河を大きく二分し た形で勢力を分けていた。  対立する二つの勢力の名前は、一つは銀河人類連盟。  もう一つは、銀河国際連合。  それぞれ数多の星系国家の同盟によって成り立つ銀河規模の組織たちは、二十年前の大 戦を最後に、現在二十年に及ぶ小康状態を保っている。  ニア・ラプターはそのうちの片方である銀河人類連盟が、国家ごとの軍隊とは別物とし て組織している『連盟軍』に所属する宇宙艇テストパイロットだった。  西銀河人民連邦国家、ゴート帝国、ナイル民主主義共和国の列強三国を中心とした銀河 人類連盟は、小競り合い程度の衝突しかない現在の戦況に安心したりはせず、常に最新の 技術を用いた兵器の開発に余念が無い。  戦場で主役を張る宇宙戦艦や、ニアが乗るような小型戦闘宇宙艇、機雷、戦闘用アンド ロイド、果ては宇宙要塞まで、戦争のための道具たちは途切れることなく銀河のどこかで 開発が続けられている。  テロル星系に存在するミスリルもまた、そうした兵器開発のために存在する数ある人工 天体基地の一つであった。現在有人惑星が存在せず、百年後を目途にしたテラフォーミン グが行われている最中のテロル星系宙域は、連盟軍の格好の演習の場所として利用されて いる。  そのミスリル――宇宙に浮かんだ、二キロメートルを越す巨大なウェハースのような長 方形のステーションの端が、<レイフィールド>及び<エンブレン>の試験のために関係 企業に与えられた城であった。  そして、三度目の勝利の凱旋を果たした<レイフィールド>を迎えるのは、その開発元 である民間企業ミラノテックの面々だ。 「ご苦労さん。お腹空いただろう?」 「ハウラーさんは、どうしてもわたしを腹ペコ女にしたいんですね」  回収艇に牽引されて、十メートルをわずかに下回る二機の宇宙艇が減圧された宇宙艇用 ドック運び込まれた直後のこと。無形気密服を着た作業員たちがすぐさま傷ついた<レイ フィールド>の修理に取り掛かるのを横目に、ニアは自分に声をかけてきた三十がらみの 男に歩み寄る。  無重力の中、マグネットつきの靴でそろそろと歩いて来るミラノテック社長にして主任 技師のハウラーに対し、ニアはごく普通のブーツですたすたと軽快に歩く。その標準重力 下と変わらない動きに伴って揺れるのは、彼女の頭の上にある『耳』と、そして腰の後ろ にある『尻尾』だ。 「おっとっと」 「あ……もう。大丈夫ですか? 人間は大変ですね」  歩こうとした際に後ろ足のマグネットが床から離れなかったハウラーが大きくつんのめ ると、ニアが呆れたように笑ってその大きな身体を受け止める。質量差で後ろに流れよう とするのを、二回爪先を床に引っ掛けて相殺。ちょっとたたらを踏んだ、程度だ。これが 人間であれば、二人して壁面まで飛んでいくことろだが、ネコミミであるニアにはそのよ うな心配は必要ない。 「ネコミミでも、君は特別だと思うけどね」  人間代表で同情されてしまったハウラーは、苦笑して短く刈り上げた金髪を掻いた。  Neo Colones Ministrant Miscellaneousnes s(新しい植民地における労働を務める異種形質保有者)――通称NeCoMiMiたち は、遺伝子的に宇宙環境に対する優れた適応力を持っているが、その中でもパイロットと して厳しい訓練を受けたニアの身体制御能力は、格別と言ってよい。ミスリルの中には基 地外作業を担当するネコミミの技師たちも多いが、ニアのように無重力の中を平気で歩い たり、あまつさえ走り回れるほどの錬度を持つ者など他にいないのだ。  ハウラーがそう言うと、ニアは腕を組んで尻尾をピンと伸ばす。本物の猫もそうである が、ネコミミも遺伝的に機嫌がよいと尻尾を立てる。 「当然です。わたしは優秀ですから!」  そう自慢するのは、弱冠十四歳の天才パイロットだ。血統の良さをうかがわせる銀糸の ようなシルバーブロンドの中で、同じ色合いの猫耳がピコピコと動く。まだまだ大人とは 言えないが、健やかに成長した長い手足や形の良い目鼻は、将来の美貌を予想する材料と しては充分すぎる。  そんな少女の子供らしい胸の張り方に小さく笑い、ハウラーは自らの大きな手でニアの 髪をくしゃりと掻きまわした。自分の髪でも他人の髪でも掻きまわすのは、ハウラーの癖 のようなものだ。 「本当に君は優秀だよ。例の件、本気だからこのテスト期間が終わるまでに考えておいて くれるかな」  えへへ、と照れてその『撫でくり』を受けていたニアは、ハウラーの言葉に先送りにし ていた問題を思い出して、その頬を朱に染めた。 「……前向きに検討させていただきます」 「楽しみにしてるよ。じゃ、また後で」 「あ、あの!」 「ん?」  最後にポン、とやわらかなニアの髪を叩いて<レイフィールド>に向かおうとしたハウ ラーを、思わずニアは呼び止めていた。何かな、と優しい顔で振り返るハウラーに、ニア は緊張しながらも言った。 「き、今日の夕食の時にちゃんと返答します。預かっていた書類も、お返しします。その ……よ、よろしくお願いします!」 「ああ、よろしく」  一生懸命、どもりながらも言った言葉に、ハウラーは親指を立てて満面の笑顔を浮かべ た。野太い大人が浮かべる、極上の笑みだ。  言ったニアの方は照れが一気に押し寄せて、うわあ、と頭の上の両耳を押さえてドック から駆け出ていく。おそらく、変圧室も素通りして標準重力区画に入るのだろうが、ネコ ミミなので心配は無い。  それを見送ったハウラーがまだ含み笑いをしていると、副社長でもあり<レイフィール ド>の二連式光子エンジンの設計者でもあるゴードンが、エンジンルームから顔を出して 黒い肌に浮かんだ汗を拭いながら尋ねる。 「どうした。<レイフィールド>の採用でも決まったか?」 「いや、家族が増えた」  その説明不足の返答に、 「そりゃめでてぇな」  ゴードンは、以心伝心で真っ白な歯をのぞかせるのであった。                 ※  これほど美味しいおやつなど、初めてではないだろうか。  パイロットに義務付けられた飛行記録の提出を終えたニアは、シャワーを浴びた後に真 っ先に食堂に駆け込んで「おやつの時間です!」と叫んだ。  テストパイロット特権の無料食事券を兼ねる認識タグを振り回すネコミミ少女に、緑色 の髪をしたアンドロイドの給仕がうやうやしく一礼し、 「いらっしゃいませ、ウィナー。本日は、ミスター・ハウラーより、特別のプレゼントが 用意されていますよ」  冗談めかしてウィンクした。ここ数百年で、アンドロイドは限りなく人間の人格に近い ものをその電脳の内に得ている。自ら詩の創作を行い、出版までしているアンドロイドが いる時代なのだから、これくらいのチャーミングさはお手の物だ。  そうして出されたのは、ニアの頭ほどもある山のようなパフェであった。真っ白な雪を 思わせるアイスクリームと生クリームを主役にして、コーンフレークやマシュマロ、フル ーツの層が幾重にも重なり、香ばしいフレーバーや苦味のあるチョコレートが全体を引き 締める、完璧(パフェ)という名に相応しい豪勢な一品だ。  中でも、ニアを喜ばせたのは本物のフルーツの存在だ。銀河最大の宇宙ステーションで あるバビロンのような数百万人規模が暮らす場所ならともかく、軍事演習のために作られ たような小規模ステーションであるミスリルには、まとまった数のフルーツを育成するプ ラントは存在しない。そのため、食堂で出されるフルーツや野菜は基本的に瓶詰めであっ たり、冷凍パックのものが普通なのだが、パフェに使われているフルーツは間違いなく本 物の味と食感を備えていた。鋭敏なネコミミの舌がそう判断するのだから間違いない。 「おいっっっしぃ〜」  天にも昇る気持ちで、ニアはとろけて落ちそうな頬を片手で支える。もう片方の手はス プーンを駆使して巨大な山を制覇せんと、冷たいアイスをすくい上げては口に運んでいる。 すでに、頬どころか耳までとろけて美味を周囲にアピールしていた。  テストで良い結果を出した際のご褒美が『特別なおやつ』というのはハウラーの提案だ ったが、現在では案外的外れではなかったとスタッフ一同が頷いている。連盟軍に所属す るテストパイロットである以前に、ニアはまだ金銭的なご褒美よりも刹那的な美味を優先 するような子供だったということだ。  よって、ニアはミラノテックの社員たちと大変円滑に<レイフィールド>のテストパイ ロットという大役をこなしている。  ミラノテック側は連盟軍から依頼された軍用戦闘宇宙艇の開発に際して、テストパイロ ットとして紹介された相手がまだ幼さを残すネコミミの少女であったことに不安を覚えた ものだったが、ニアの天賦の才能を見せつけられた後はその素直な性格や扱いやすさもあ って、彼女を我が子のように、または妹のように可愛がっている。  ニアの方でも、堅苦しくない民間企業のスタッフとの生活は楽しい出来事で一杯だった。 十二歳の時に連盟軍の募集で無重力地帯作業員として就職したが、作業艇の扱いで才能を 見出されてパイロットに抜擢された。その後、親しい友人もできずに淡々と仕事をこなし ていたのだ。最年少の、しかもネコミミのパイロットなど、軍隊内ではどこに行っても珍 しがられる存在で、しかも人間のパイロット候補生から恨まれる割の悪い職業なのである。 (民間の人との仕事って初めてだったけど、これなら何度やってもいいな〜)  ニコニコと抑えられない笑顔でパフェを平らげるニアの他に、食堂に客の姿は無い。ニ アたちが職場兼住居とするこの区画の者は、今ちょうど破損した二機の試作機の修理に駆 りだされているところだ。暇なのは、入れ替わりで仕事を終えた形のニアと、それからも う一人のテストパイロットのみである。 「お疲れさまです、ニア。素晴らしい操縦でした」 「エンブレンも、お疲れ」  そのもう一人のテストパイロットである金髪の青年がやって来ると、ニアは気さくに手 を挙げてテーブルに招いた。二人はミラノテック社とモス社という、お互いの製品を競い 合うライバルチームに所属しているが、ニアと彼の間に大人が期待するようなライバル心 は存在しない。  何故なら、 「おすすめの調整オイルをいただけますか。それから、彼女にはお腹を冷やさないように 何か温かい飲み物を。ココアで良かったですね?」 「ええ。奢り?」 「無料サービスでよろしければ」  彼――試作機<エンブレン>と同じ名前を持つアンドロイドの青年は、極めて友好的で、 敵愾心を抱くにはあまりにも『いい人』過ぎるからだ。  もともとアンドロイドは原因と結果の整理に関して人間より優れており、逆恨みなどの 感情とは縁遠い。彼らは感情によって状況を理解するのではなく、状況の理解によって感 情を生み出しているからだ。その辺りエンブレンは実に最新型のアンドロイドに相応しい 豊かな精神性と、冷静な分析力を兼ね備えている。  しかも。 「ところで、今日の演習ですが、少し無茶をしすぎです。一回の演習結果で採用が決まる わけではなく、もっと長期の視点でこのプロジェクトは行われていることを理解してくだ さい。電脳さえ回収してもらえれば再生可能な私と違い、あなたは生身のネコミミなので すから」 「うん……わかった」  責める形にならないように、やんわりとたしなめるエンブレンに、ニアは素直に頷いた。  軍事用アンドロイドであるエンブレンには、銀河人類連盟に属する国家の人間を保護す る義務があらかじめプログラムとして組み込まれている。もちろん戦闘時には演習戦闘を 可能にするために解除されるが、それ以外のプライベート時の彼は、『<エンブレン>と いう戦力』と戦うことになるニアをとても気にかけ、シミュレーターでの訓練にも多くの アドバイスを与えてくれる。  つまり、本当に『いい人』なのである。  そのため、複雑な気持ちもある。  <レイフィールド>が正式採用されれば当然のようにニアは嬉しいが、それは同時に< エンブレン>の開発が中止になるということだ。戦闘特化した軍用機を一般の市場で販売 するわけにもいかず、そもそも連盟軍からの莫大な資金援助によって開発された<エンブ レン>には、軍部の技術協力による宇宙艇制御アンドロイドが付随している。最新型のア ンドロイドの製造ノウハウあってこその<エンブレン>は、モス社にとっても単独では開 発を続けられないブラックボックスの塊だ。 「あと二週間……か。エンブレンは、もし正式採用されなかったら、どうなるの?」 「私ですか? そうですね、私の機能は本体である宇宙艇の制御に特化してありますから、 実はアンドロイドとしては無能の範疇に入ります。ヒューマンライクに、学習とボディ換 装で全てに対応できる、つまり対処療法的な万能型であることが現代のアンドロイドの基 本ですからね。なので、無人人格制御宇宙艇計画自体が凍結となると、私も行く場所に困 るというのが本音です」  ニアには、そのような心配はまったく無い。軍人であるニアは、テスト期間が終われば その肩書きがテストパイロットから、ただのパイロットに戻るだけだ。  任務としてテストパイロットをしているだけの者と、このテストに人生がかかっている 者の違いを、ニアは感じずにはいられない。 「エンブレンも大変ね……」 「あなたが暗い顔をすることはありませんよ。それに、一時的に凍結しても、無人人格制 御宇宙艇計画はもう一度企画されると思います。人格の無いAIが制御する無人宇宙艇の 戦線投入が銀河法で禁じられている以上、失われる人命を少なくするためにも私のような アンドロイドを使うのが妥当です。ですから、今回の私のデータは新しいテストの際に有 意義に利用されるでしょうし、私自身が再び宇宙艇に乗る可能性も高いです」 「それってつまり?」  小首を傾げるニアに、エンブレンは少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。細かな感情表 現は、最新型ならではだ。 「つまり、あなたが戦場で長生きしていれば、<エンブレン>があなたと肩を並べること もあるかもしれない、ということです。――もっとも、それは<レイフィールド>が採用 された場合の話ですが。<エンブレン>が採用されれば、銀河惑星連合との大規模な戦い の前には、無人人格制御宇宙艇があなたたちパイロットに取って代わって、後方に控える その命を守りきってみせると約束します」 「なんだか、それだと<エンブレン>が採用された方がわたしにはいいみたい」  思わず声を上げて笑ってしまう。己が扱う最強の兵器を手に入れるか、己の代わりに戦 う最強の兵士を手に入れるか。それだけのことなのだ。  そうして二人で雑談していると、不意にエンブレンが自らの左手首へと視線を落とす。 彼がテーブルの上に腕を置くと、小さなレンズから立体投射された浅黒い肌の老人がニア の視界に入る。 (誰? モスの人じゃない。軍の偉い人みたい)  見覚えは無い。浅黒い肌のせいで、真っ白な頭髪と髭がより際立ったような小男だ。エ ンブレンに直接通信できる人間など、そう多くはいないだろう。 『試作機E−01制御用アンドロイド、エンブレンだな』 「は。閣下は、ベルポルト中将とお見受けしますが」 『さすがに話が早いな。そちらは、ラプター二等宙挺士か』 「は、はい」  畏まって、ニアは小さな映像に敬礼した。とりあえず、階級が上の者に出会ったら敬礼 をしておけ、がニアの学んだ処世術だ。 (ええと……確か、今回のテストの責任者が大佐だったから、その上の上の上の人だ)  准将、少将、中将、と頭の中で指折り数える。正直、雲の上過ぎて実感のわかない階級 だ。宇宙艇の現場指揮官の最高階級は大佐なので、ニアにとってはどうでも良い人物と言 えるかもしれない。  そのようなことを考えていると、ベルポルトの視線がジロリとニアを貫く。小柄ながら に鋭いそれにニアが寒気を覚えて毛を逆立てると、 『なるほど。若いとは聞いていたが、私の孫と変わらんな。席を外したまえ。私はエンブ レンに話がある』 「え? え〜と……はい」  何だろう、と疑問に思いながらも、ニアは言われるままに席を立った。食堂なのだから、 エンブレンの方がしかるべき場所に移動するのが筋のはずだったが、ベルポルトの視線を 浴びて逆らう気分にはなれなかった。 (何の話するんだろう……正式採用が決まったのかな)  食堂を出て、まず最初に思いついたその可能性にニアは唸った。エンブレンはモス社と いうよりも軍に所属するアンドロイドだ。事前にその連絡が届いてもおかしくはない。  しかしそうなると、ミラノテック社のスタッフたちの落胆の顔が脳裏に浮かんでしまう。 新進気鋭の下請け企業が得た大きなチャンスに、ハウラーたちは全力を尽くして<レイフ ィールド>を開発したのだ。 「<ハウラーさんのレイフィールド>……負けないよね」  倍も年上の男が浮かべるやんちゃ坊主のような笑顔を思い出し、ニアはギュッと胸の前 で両手を握り合わせた。 「負けない、負けない、負けない。んむむむむ!」  祈りが力になることを信じて、少女は繰り返した。エンブレンには悪いが、やはり半年 もの長期間苦楽を共にしたチームの仲間たちの努力が報われれば良いと思ってしまう。  そうして満足するまで祈り終えると、今度は自分たちネコミミの溜まり場へと向かった。  ミスリルは、ウェハースのような長方形をしているが、その形はサイコロを思わせる正 方形のブロックを組み合わせて作られたものだ。各ブロック区画はそれぞれが違う役割を 与えられており、ステーション側の要請に従って用意され、連結される。そのような既製 品のブロックを組み合わせて、長期の生活に耐え得る一つのステーションを作り上げるの だ。  ニアが向かったのは、長期滞在を目的として作られた宇宙ステーションには必ずといっ てよいほど用意されているリラクゼーション施設。その中でもほとんどネコミミ専用とな っている無重力ガーデンである。  テスト機用の宇宙艇ドックから動く歩道を乗り継いで四区画離れた場所に辿り着くと、 そこは青空の映像が広がる五十メートル四方ほどの広い部屋だった。人工芝の敷き詰めら れた大地に踏み込むと、殺菌作用のある温かい陽光が程良い強さで降り注いでくる。 「ん〜!」  その快さに、ニアは即座に地面を蹴っていた。すると、少女の身体はふわりと空中に浮 かび上がり、一回転。尻尾で大きく弧を描いて、空に浮いている丸い花畑に飛び込んだ。 「んは〜」  惑星を模したような、球型の花畑。ニアが両腕を思い切り開いて抱き締めてもまだ余裕 がある、空呼ぶ花のボールだ。  見れば、部屋にはそのようなボールが幾つも空中に浮かんでいた。そればかりではなく、 中央にライトを抱き込んだ球形の池さえこの部屋にはたゆたっている。  本能を刺激する、土の匂い、草の匂い、花の匂い、そして何よりも無重力。ニアが見回 しても、この部屋にいるのはネコミミばかりであった。昼食の時間がずれ込んだ者たちが、 遅い昼休みの残り時間を昼寝に費やしているのだろう。ネコミミは遺伝子的に無重力に安 心感を覚えるので、ここほど休憩に相応しい場所も無い。  だが、のんびりと尻尾を休めるネコミミたちとニアの間には、決定的な違いがあった。 それは装飾的な違いであり、お互いの身分を分ける決定的なもの――首輪の有無だ。そこ にいるネコミミたちは、全員がその首に隷属を示す首輪を取り付けられていた。  銀河法で人身売買が禁止されているこの時代でも、元来宇宙空間での作業のためだけに 遺伝子操作で生み出されたネコミミの売買は許可されている。人格と人権を有する生物で あるため、所有には税金や保険問題が厳しく、もっぱら企業などの団体での所有がほとん どであるが、その総数は全銀河で相当数に及んでいる。  各国家間で差異はあれど、身分的にネコミミたちは人間よりも下、さらにその下が売買 されている奴隷ネコミミであるのが基本だ。銀河標準と言ってよい。  同じように遺伝子操作で生まれたIsolated Nuclear reactor Ministrant Miscellaneousness(外部から隔離された原子 炉における労働を務める異種形質保有者)――通称INuMiMiの権利も同様であるこ とから、天の川銀河ではやはり人間の尊厳こそが重視され、他の『人類』の権利は未発達 であるのが現状だ。  この部屋で太平に寝転がっているネコミミたちも、連盟軍に買われて雑役についている 奴隷ネコミミなのだろう。連盟軍が主であれば倒産等の心配は無いので、自ら志願して自 由を売った者もいるかもしれない。ネコミミには自己売買の権利があるので、自ら主を定 めることもできるのだ。稀ではあるが、落ちぶれた主をネコミミが自分の『買い戻し』を して見捨てるということもある。  しかし、どちらにしろそれは自ら法で裁かれることのない位置にいるということだ。奴 隷ネコミミの罪は主の罪であり、奴隷ネコミミへの罰則は定められていない。奴隷は主の 財産であるという理屈からだ。主を渡り歩く『経済力のある』奴隷ネコミミは、その法を 上手く利用していることが多い。 (わたしは、可哀想なのも、ずる賢いのも嫌だ)  生まれつき奴隷であった可哀想なネコミミになるのも、賢しくも主を渡り歩くネコミミ になるのも、ニアは御免だった。宇宙艇のパイロットという、軍事階級さえ持っている優 秀なネコミミであると自覚するからこそ、そう思うのかもしれない。 (わたしたちは人間と対等よ)  少なくとも、自分は対等のつもりでいる。 (そう思っておかないと、遠慮しちゃうし……)  やはり無理だと、言ってしまいそうで。  だから、ニアは目を閉じた。周りのネコミミたちの首輪を視界から閉め出して、今夜訪 れるだろう幸せを瞼の裏に描き出す。 (うん、遠慮なんかしなくていいの。望まれたんだから……わたしもそうしたいって思っ たんだから、それでいいの)  家族になろうと言ってくれたのは、ハウラーの方からだったのだから。                 3  ニアが『ニア・ラプター』になったのは、つい最近のことだ。  そのことを言うと、中央に大型立体テレビの置いてある食堂に集まっていたミラノテッ ク社のスタッフたちは意外そうな顔をした。それは社長のハウラーも同様であり、彼は熱 狂的なファンであると公言している銀河最大の宇宙艇レースTROYの中継映像から、ニ アの方へと視線を向けた。 「それは、名前を変えたってことかい?」 「あ、違います。わたし、ファミリーネームが無かったんで、パイロットになった時にニ ックネームをそのままファミリーネームに使ったんです」 「それがラプター? 物騒だね。何をしたのかな?」 「う……貨物用宇宙艇で、ちょっかいをかけてきた<ヴィンセント>を三機沈めてしまっ て」  それを聞いて、ビールを飲んでいたスタッフたちがブッと泡を飛ばす。そうして起こっ た笑いの波に、ニアは閉口して温かいココアを一口すする。 「子供がパイロットをしているのが珍しがって、進路妨害してきたんです。ちゃんと正当 防衛ももらいました」 「君から喧嘩を売るとは思ってないよ。しかし、そいつらも災難だな。自分たちの軍のテ ストパイロット級にちょっかいを出すなんて」 「しかも、猫かと思えば猛獣だ。お蔵入り寸前とはいえ、正真正銘の軍用機相手に、大し たもんだ」  ハウラーが心底おかしそうに言うと、やはりニヤニヤと相好を崩したゴードンが黒い肌 を引き立てる白い歯を見せて笑った。 「しかし、お嬢ちゃん。そういうことは、施設育ちか? ネコミミには多いってな。若い 身空で仕事してんのも、それなら納得だ」 「ご想像にお任せします」  と、ニアはゴードンに秘密のある少女を演出しようとしたのだが、 「ああ、そういえば履歴書もらったよ。出身はバビロンのネコミミ保護施設だってね」  思い出した、という感じでハウラーが言ったので、台無しになった。むしろ、気取って 言った分だけ恥ずかしい。  赤面するニアに、スタッフたちはクスクスと悪意の無い笑いを向ける。その笑いが、さ らに少女を閉口させて、ココアをすすらせる。  と。 『ここで出た、前に出た! チーム≪カウンシル≫! 最強の新人が勝負をかける! J Jの<シャイニング>が古参の雄を、伝説を越えるのか!? ──抜いた、完全に抜いた ぁー! <シャイニング>、<レッドガンナー>を抜きました! 新人が伝説を置き去り です! その差はどんどん広がっていくー!』 「っしゃー!」  ハウラーがテーブルを叩いて立ち上がった。いや、彼だけではなく、その中継が届いた 瞬間その場にいた全員の目がテレビに釘付けになる。  青空のような鮮烈な色をした宇宙艇が、巨大な砲塔を有する赤い宇宙艇をかわして、レ ースの先頭に躍り出た。即座に赤い宇宙艇が十数に及ぶホーミングミサイルを射出したが、 青い宇宙艇はまるで後ろに目があるかのように、その全てを速度を落とさずに回避する。 「凄い……っ」  思わずニアが唸るほどの軌道。西銀河中から厳しい予選を潜り抜けて来た最高峰のパイ ロットの操縦技術は、例え軍のテストパイロットであろうと舌を巻かずにはいられないも のだ。  <シャイニング>と呼ばれた宇宙艇が先頭集団を完全に置き去りにすると、スタッフた ちがお互いに手を叩き合い、ジョッキをぶつけ合って乾杯する。その盛り上がりようにニ アが目を白黒させていると、ハウラーがジョッキを一気に空にしてから教えてくれる。 「あれね、<シャイニング>の設計は僕たちミラノテックがしたんだよ。単独で作れるも のじゃなかったんで、カウンシルに買い上げてもらったんだけどね」 「へぇ。それじゃあ、<レイフィールド>の兄弟機なんですね」 「そ、兄弟。それに、乗っているのは僕の奥さんの弟」 「そ、そうなんですか!?」  驚いて、ニアはテレビの端に標示されているパイロットの顔写真を見る。刃のような、 他人を遠ざけるような威圧感のあるまなざしの青年だ。  次に、ニアはハウラーの大きくて丸い人の好さそうな顔を見上げ、 「……似てませんね」 「そりゃ、血は繋がってないから」  唖然としたように口を開けて言う少女に、ハウラーはプッと噴き出した。そうすると、 厚みのある身体が地震のように揺れる。その空のジョッキに、ゴードンが呼びつけたボッ クス型のドリンクサービスロボットがビールを注ぎ込んだ。  ゴードンは自らもロボットにジョッキをセットして、数あるドリンクのボタンの中から ビールを選ぶと、 「血なら、坊主が継いでるだろ。お前より嫁さんの血だな、あれは。顔は奥さんで、眉の 辺りはJJに良く似てる」 「でも、髪の色は僕の遺伝だ」  まるで子供のようにニンマリと笑って、ハウラーは自分の厚い胸をドンと叩く。そして、 ズボンのポケットからカード型の写映機を取り出すと、何度も繰り返した手馴れた様子で ニアの前に手のひらサイズの立体映像を生み出してみせる。 「可愛いだろう? 名前はトリックっていうんだ」  それはハウラー自身とその息子らしい金髪の少年が並んで立っている立体写真だった。 二人とも正装していて、少年は長袖半ズボンの子供用スーツに窮屈そうな顔をしている。 確かに言われる通り、鼻筋の通った顔立ちや意志の強そうな眉はハウラーには無いもので、 母方の血を強く感じさせた。 (あ。でも、似てるかも)  どこというわけではない。金髪だからというわけではない。ただ、子供――トリックが 持っている真っ直ぐな目は、ハウラーの目の輝きと同じもののような気がした。 「坊主は、もうエレメンタリースクールだったか?」 「次の春からね。<レイフィールド>の仕事が終わってバビロンに帰ったら、どこの学校 にするか決めるよ。奥さんの遺言で、ジュニアハイスクールの終わりまではエスカレータ ー式じゃないと駄目なんだ」 「奥さん、お亡くなりになったんですか?」  反射的に尋ねてしまったニアは、すぐに自己嫌悪した。アンドロイドではないが、好奇 心で聞いて良いことと悪いことの判断程度はできる。  だが、ハウラーは特に気にした様子もなく頷いた。 「うん。四年も前だから気にしなくていいよ。もともと身体の弱い人だったし、僕にはト リックを遺してくれたしね。もちろん、ジェリドくんもだ」  ジェリド、と言われてニアにはすぐに誰のことかわからなかった。しかしすぐに、 『速い! <シャイニング>ぶっちぎり! 若きJJ、ジェリド・ジャックス、TROY 第四レースを、今、一着で……ゴーーーーーーール!』  乾杯の音頭が食堂に咲いた。自分たちが手がけた宇宙艇が勝利したことに歓喜し、スタ ッフたちがお互いにビールを頭にぶちまける。途端に辺りが酒気にまみれ、ニアは慣れな いアルコールの匂いに辟易しながら想像する。 (これなら、<レイフィールド>が採用されたら、その日は一日宴会かも……)  喜びを共有できないなりに、場の興奮に当てられて頬を上気させたニアは、愉快な気持 ちでココアを一口くぴりと飲んだ。少し空気に酔っているのかもしれない。後続の宇宙艇 たちが二着を争って半ばクラッシュしながらゴールに辿り着くのを眺め、ニアは自分がT ROYで<レイフィールド>を飛ばしたらどうなるかと考えてみる。 「わたしが<レイフィールド>で出たら、<シャイニング>に勝てるかもしれませんね。 性能なら後発のこっちの方が――」  と、少女が言いかけたところ、 「微妙だね」 「無理だな」 「ニアちゃんでもねぇ〜」  ハウラー、ゴードン、スタッフの青年の順番に言われ、ニアは愕然とした。自分だけで はなく、平均的なテストパイロットの技量と<レイフィールド>の性能を鑑みての発言だ っただけに、その即座の反応に納得ができない。  ニアの不満がわかったのか、ハウラーが金髪をぐしぐしと掻きまわして言う。 「TROYに出場している宇宙艇は、どれもレース専用に開発がされているから、軍用の <レイフィールド>とはその性能のジャンルが違いすぎるんだ」 「仮に<レイフィールド>をレース用にチューンしても、お嬢ちゃんがレースで強いかは 未知数だ。パイロットとしては一流でも、レーサーとして宇宙艇を飛ばした経験はゼロだ ろ?」 「それは……でも、同じ宇宙艇だったら――」  反駁しようとしたニアを、ハウラーの次の言葉が止める。 「実際、過去何度も各国の軍関係者が出場しているけど、彼らの総合優勝は一回も無い。 TROYで勝つには、操縦テクニック、戦闘テクニック、何よりレーサーであることが求 められるってところかな」 「レーサー、ですか?」  それは宇宙艇の操縦テクニックとはまた違うのだろうか、とニアは首を傾げる。漠然と、 レースにはレースでの効率の良い飛ばし方がある、ということはわかるのだが、そのデー タを集めて挑んでも勝てないとハウラーたちは言っているように思える。 「技術よりも、職業意識ですか?」 「近い。レーサーとしてレースに徹することができる者だけが勝てる。技術や戦術よりも、 最後に魂がものを言うのがTROYなんだよ」 「それって精神論じゃないですか。実際に……そうですね、わたしなんかよりずっと凄い パイロットが軍用機に乗ったらどうなんです?」 「それでもレーサーが勝つね」  自信満々にハウラーは言う。そこで、ようやくニアにもその根拠がわかった。  彼が、そう信じているのだ。 「……相当好きなんですね、TROY」 「息子をTROY本戦に出場させるのが僕の夢さ!」  躊躇いも無く、ハウラーは親指を立てる。これ以上わかりやすいものはないファン心理 である。  呆れるニアに、ゴードンが愉快そうに補足した。 「だがまあ、軍関係者が一度も勝ったことがないのは本当だぜ。何かあるんだろうよ、T ROYってレースには。何せ、銀河中から集められた最高のパイロットが乗る宇宙艇が十 三台も並んで飛ぶんだ。そんな状況、TROYにしかねぇんだから、そのレース中に何が 起こってんのかは、そこにいるパイロットにしかわからねぇよ」 「そう言われるとそうですね」  <レイフィールド>や<エンブレン>が一列に並んで飛んでいる様を想像して、ニアは ぶるっと身震いした。必殺の破壊力を持っている者たちが混戦しながらゴールを目指せば、 誰が勝ち残るのか予想もつかない。  TROYには毎年平均一人の『事故死』があると言われているが、それも当然だと思う。 高性能の脱出装置があるとはいえ、装置が働かないほどに粉々にされたり、荷電粒子砲で 蒸発させられることだってあるだろう。  確かに娯楽としては最高の大レースかもしれないが、優秀な人材を毎年のように戦場に 送り出すようなものだ。ワンシーズンにつき一人のエースパイロットの命というのでは、 割に合わないのではないだろうか。 「息子さん、危険じゃないですか?」  難しい顔をしているニアの額に、ハウラーは節くれだった指を突きつける。ぐりっと押 されてのけ反る少女に、彼は大人風を吹かした。 「君みたいな小さな子にはまだわからないかもしれないけどね。TROYは大人なら誰で も理解できるロマンなのさ!」 「ま、過激すぎてテレビ放送を控えるようにって意見はあるがな」 「それはそれ、これはこれ」  ゴードンの意地の悪い言葉にも、ハウラーは機嫌を損ねることなくニアの額をぐりぐり と押し続ける。 「やーめーてー!」 「あはは。可愛い可愛い」  JJの勝利がよほど嬉しいのか、ハウラーはいつにも増して陽気だ。アルコールも合わ さって、無敵のテンションである。 「しかしよ、TROY狙うならよっぽどいいところで修行績ませなきゃ無理だろ。お前の 息子じゃパイロットの才能もねぇだろうし……って、そういやJJの甥だったな。ならア リかもな。母方の血に期待しようぜ」 「その点は心配いらないよ。ジェリドくんお墨付きの天才だから、うちの息子は」 「ほう?」 「トリックが初めて三輪車に乗った時、その走りを見て彼を越える才能だって言ってくれ た」 「世辞だ馬鹿」  アルコール消費度数というものがあれば見てみたい、とニアはもの凄い早さで消費され ていく酒類を見て思った。ドリンクサービスロボットは二台がかりでスタッフたちの間を 回っていたが、それでも追いつかない様子で、ついには給仕のアンドロイドまで盆にカク テルを乗せている。  さらには。 「エンブレン……っていいの?」 「彼女からの救難信号を受けまして。それに、企業間の交流は特に禁止されてはいません よ」  臨時にエプロンによく似た食堂用のアタッチメントスーツを着たエンブレンが、何でも ないことのように言う。緑色の髪の給仕アンドロイドは、「あとでコレクションのオイル をあげるから」とエンブレンを呼び出したらしい。それで応じてしまうのは、嗜好品につ られたというより、エンブレンの人柄だろう。 「……お人好しね」 「あなたも、面白い状況ですが。セクハラで訴えるのでしたら、僭越ながら私の方で手続 きを行いますよ?」  エンブレンは、シルバーブロンドの頭ををこれでもかというくらいに撫でられているニ アを見て言ったのだが、酔って赤い顔をしたハウラーは頬を膨らませて反論する。 「セクハラとは心外な。エンブレン、これは僕らなりのコミュニケーションの姿だよ」 「大多数の加害者は、そのように言うそうですね」 「当たり。さすが最新型!」  大爆笑。何故かエンブレンまで一緒になって微笑んでおり、『被害者』のニアは一人黙 黙とココアをすするしかない。  ココアはすっかり冷めていたが、甘いそれはほんの少し口にするだけで胸を温かくして くれた。周りから受け取った温かさの種が滋養を得て芽吹くような快さが、その食堂には あった。 (ぬくぬくしちゃうな……こういうの初めて)  人類が宇宙空間に作り出した最大のステーションシティであり、そして銀河最大のスラ ム街をも抱えるバビロンのネコミミ施設では、この世がネコミミにとっていかに過ごし難 い世界であるかを教えてくれた。  人間優位の銀河法。ネコミミが売買される財産でしかないこと。そして遺伝子的に女し か生まれてこないネコミミの悲劇。 『ネコミミは繁殖に人間を必要とするが、人間は一生の伴侶としてネコミミを選ぶことは ない』  そういう現実だ。例外はあるが、大多数の人間がネコミミやイヌミミを伴侶として選ぶ ようになり、同じ人間との間に子供を作らないような事態になれば、人間という種は銀河 から消えてなくなる。生まれてくる子供の全てがネコミミとイヌミミになるからだ。そし て、彼女たちは全てが女であるが故に、やはり消え去ることになる。女だけの世界では、 子孫を残すことができないからだ。  だから、人間はネコミミやイヌミミに同等の権利を与えない。彼女たちは宇宙時代にお いて優秀であるが、『常識』として彼女たちを愛したり伴侶にすることは避けるべきこと とされているのだ。それが人類全体のためであると、ニアは施設で教諭から教えられた。 『でも、だからこそネコミミは存在が許されているとも言えます。人間がいなくてはネコ ミミの存続もない。それを知っているからこそ、人間は私たちネコミミを滅ぼすことなく、 有益な存在として迎え入れてくれているのですよ』  そして教諭は言った。優秀であれ、と。  ネコミミの価値は、優秀であることだ。宇宙開発の担い手として、無重力作業員として、 宇宙艇のパイロットとして、愛玩動物として。 『優秀であることが、ネコミミと人間を繋いでくれます。ですから、皆さん、面倒臭がら ずに、しっかりお勉強しましょうね』  蓋を開けてみれば、そこはネコミミの人材派遣会社が経営する施設だったのでそのよう な教育が行われたのだろうが、成長して自分でニュースを見るようなった今でも、そこで 学んだことは間違っていないと思っている。  才能もあり、勤勉であったニアは、そうして連盟軍に見初められて宇宙艇のパイロット に抜擢された。弱冠十四歳にしてテストパイロットにまでなり、ネコミミとしては大成功 を納めた部類に入るだろう。何せ、軍の中では実力こそがものを言う。宇宙艇の操縦が誰 よりも上手ければ、ニアにはそれに見合った階級と、階級が保証する敬意が与えられる。  でも、と思う。 (でも、こんなに楽しかったのはなかったな)  学ぶのに必死だった施設時代と、優秀さを示し続けた二年間のパイロット生活。その中 で、自分はどれほど喜びを得てきただろうか。  認められてはいても、そのことに大きな喜びを得ることはあっただろうか。 (ん〜、ぬくぬくになっちゃう)  ハウラーの腕の中、髪をくしゃくしゃにされながらココアをすすり、少女は猫耳をペタ ンと寝かせて呟いた。 「先生なら──」 「ん? ニア?」 「パイロットの先生なら、できるかもしれません。ハウラーさんの息子さんの」  温かい空間の主に、ニアは提案していた。恐る恐る上目遣いだったのは、差し出がまし いと自覚していたからだ。ハウラーたちにとっては、ニアは商売相手である連盟軍の軍人 でしかなく、<レイフィールド>に関するテストが終われば、仕事上の関係も無くなる通 りすがりのネコミミである。  だけれど、ニアは思わずすがってしまった。温かくて、付き合いやすい人たちと仕事以 上の関係を――そう、『友達』になりたくて、提案してしまった。 「う〜ん、先生か」  それを受けたハウラーは、ニアの心を知ってか知らずか、エンブレンに新しいビールを 注文しつつ頷く。 「いいかもしれないね。君を雇うのも」 「本当ですか!?」 「でも、どうせならうちの娘にならない?」 「へ?」  喜びの不意を突かれた。  全てが終わった後にニアはそう述懐するのであるが、とにかく今は目を丸くしてその言 葉の意味を理解しようと努めた。  ウチノムスメニナラナイ。  うちの娘にならない。 「ええ!?」  理解して、ニアは飛び上がらんばかりに驚いた。そんな彼女を見て、周りは一斉に吹き 出す。 「はは! 社長、ずるいですよ、どうせならうちに嫁に来させてくださいよ」 「馬鹿、お前なんかにもったいねぇだろっ! ニアちゃん、俺はどう? 俺の方がこいつ より給料いいよ?」 「ちょ、ちょっと待……わ、わたし、選ぶなんて……え? え?」  一気に押し寄せてきたスタッフたちに、ニアは顔を真っ赤にして動転した。ココアを放 り出し、両手で耳を抱え込む。 (え? え? わたし、何言われてるの? 結婚申し込まれてる!? あれ? なんで? なんで!?)  冷静な判断の持ち主に助けを求めようとエンブレンを見ると、アンドロイドの青年はま ったくの無表情でその場に佇んでいた。その割に視線はニアやスタッフたちを忙しく追っ ており、彼の表情の意味をニアは悟る。 「エンブレン、表情消してる……笑いを堪えてるっ。み、皆さん、わたしをからかってま すね!?」  立ち上がって拳を振り上げるニアに、スタッフたちは腹を抱えて笑い転げた。その発作 のような笑い声の合間に聞こえるのは「可愛い、可愛い!」であり、何が可愛いものかと ニアは顔を真っ赤にする。  が。 「いやぁ、僕は本気だよ。うちには息子が一人いてハウラーの血は遺せるから、ネコミミ の子を養子にもらっても誰も文句言わないよ。ニアの才能は養子に迎えるのに充分なステ ータスだし、僕が仕事している間にトリックの世話をしてくれるなら、最高だね」  ハウラーはニコニコと笑顔のまま、立ち上がったニアの手を取った。大きく熱を持った 手が少女の小さな手を包み込み、ニアは恥ずかしさのあまりに生まれていた癇癪寸前の憤 りがそれにほぐされるのを感じた。  すとん、と腰が椅子の上に落ちる。 「ニア、良ければ考えてみてくれ。君に親兄弟がいないっていうなら、これは君だけが判 断する問題だ。軍のために作ったラプターを、ハウラーっていうファミリーネームに変え てみないかい? それで、僕が放っておきっぱなしのトリックに姉さんができて、君には 人間の養子としての財産権、それからミラノテックには最高のパイロット。一挙両得どこ ろか、一挙三得の提案のつもりだよ」  それは、あまりにも唐突な申し出ではあった。しかし、納得できる申し出でもあった。 ハウラーの言うことにはきちんと筋が通っている。善意だけでいきなり養子と言われれば ばニアもそれに何か含むところを感じてしまうところであるが、彼はニアのパイロットと しての技量が、ミラノテック社にとって有意義であると言ってくれている。つまりこれは 婉曲な人材スカウトであると捉えることができる。  ネコミミである自分が、能力を評価されてスカウトされる。  悪い話ではない。  悪くはないが、そこでどうして養子なのかは――。 「あの……」 「ん?」  普通に社員では駄目なのでしょうか、とニアは尋ねようとした。そして、気は進まない ですけどミラノテックならわたしを奴隷として買い上げることだって出来ますよ、とも。  だが、用意していた言葉は飲み込まれた。見上げるために傾けた頭を、ぽんぽんと快さ そうに叩かれてしまったからだ。 (あ、これって……)  物事を悟る瞬間というのは、案外相手の他愛無い動作からだったりするのかもしれない。  ニアは、自分がハウラーという企業家にして技術者を兼ねる男にとってどのような存在 であるかを、これ以上無く正確に把握した。 「要するに子供なんですね……わたし」 「うん。まだ保護者がいた方が何かと便利な時期だし。そうそう、行きたいんだったら、 スクールにも通わせてあげられるはずだよ」  ウィンクをして、ハウラーは楽しげな未来図を語ってみせる。スカウトだとか、会社の ためだとかよりも、彼にとってはニアが自分の娘になることの方が遥かに重要なのだ。そ のことが、ニアにはわかってしまった。  だから、呆れたふりをして言うことにする。嬉しさに頬が弛んでしまうのは、みっとも ないと思ったから。 「それにしたっていきなりですから、少し考えさせてください。お酒の勢いで馬鹿見るの は嫌ですから」  そう言う自分の尻尾が、これ以上無くピンと伸びきっていることに、少女は気づかなか った。それがさらに周りの笑いを誘うのであるが、予想外の提案のことで頭がいっぱいで あったニアは、そのことに注意を向けることもなかったのである。                 ※  そして翌日。  ニア・ラプターは養子縁組に関する手続きをまとめたデータが自室のコンピュータ端末 に届いているのを見て、その展開の早さに再び動転することになった。書類データはすで にハウラー側の部分が入力済みになっており、後はニアが必要事項を入力するだけで提出 が可能な状態になっていた。  翌日にもという早さは、その提案が酒の席での冗談ではないというハウラーの意思表示 に他ならず、ニアは喜びに頭に血を上らせながらも考えた。  これは、どういう幸運だろう。  ネコミミであるが故に優秀であるべきと己に課し、その結果として連盟軍でパイロット に抜擢されたことがこの巡り会わせを生んだのであれば、ニアは生まれて初めて自分がネ コミミであることに感謝できると思った。  養子になる。それは色々な意味を持つ。  人間の養子として『家』に属する権利――相続権、それに関わる人間と同等の財産権、 参政権などが得られること。  親のいなかった自分に父というものができる――しかも、自分が好意を抱くハウラーで あること。  自分が楽しめる空気を持っている人々――ミラノテック社のスタッフたちと今後も一緒 に仕事ができること。  それに。 「トリック・ハウラー……」  書類と一緒に送られてきた、立体映像のデータ。まだ五歳だという金髪の少年の像を眺 め、ニアは感慨深いものを感じずにはいられなかった。  年下。  しかも、戸籍的に自分の弟であり、慈しみ、守ることを求められる存在。自分が宇宙艇 の操縦を教えると約束した少年。 「うわぁ……」  自分の弟、弟、弟、と三回繰り返して眩暈まで起こし、ニアは嬉しさと恥ずかしさに猫 の耳をパタパタと動かした。  この感覚は何だろう、と。  自分が今まで与えられた金銭と地位によって得た小さな満足とは違いすぎる、優秀であ ることを示すことしかすることがなかった自分が感じているこの感覚は何だろう。  これまでは自分だけがいた。  しかし、養子縁組の届出をすれば、その瞬間から自分が得る自分以外のもの。父と、そ れから弟。小さな、弟。  周りの大人に可愛がられてばかりの自分が得る、遠慮なく可愛がってよい初めての相手。 (お姉ちゃんって呼ばれる……のかな。呼ばれるんだよね。そんなふうに呼ばれて、どう したのトリック、とか返事を返して、宇宙艇の操縦を教えてあげて……っ)  どうしよう、とニアは頭を抱えた。動いてしまう耳を押さえた。  幸せしか、想像できない。  嬉しいことしか、思いつかない。  浮かれる心を、止めることができない。 (わたしはネコミミだけど……いいんだよね。ハウラーさんの方から言ってくれたんだも んね)  最後の躊躇を振り切り、ニアは書類データに自分の分の入力を済ませた。すぐにハウラ ーに送り返してもよかったが、一つ思いついてそれは保留にする。ミスリル内部ならどう せ窓口は一緒なのだから、連盟軍の退官の手続きも一緒に済ませてしことにしたのだ。端 末を操ってそちらの書類の申請を行い、ニアは全ての書類が揃ったらハウラーと一緒に提 出しに行こうと決めた。  別に養子縁組届けも退官届けも窓口を通した瞬間にそれが成立するわけではないので、 提出を揃える必要は無いのだが、そこは気分の問題だ。  精神の高揚は飛行の積極性にも繋がるのか、それからのテストの日々を、ニアは絶好調 で過ごした。通算三度目の演習戦闘勝利を<エンブレン>から得るほどに。  ニアは思う。  怖いくらいに幸せだ、と。  心配なのは<レイフィールド>が採用された場合のエンブレンのその後くらいで、彼女 自身の問題など、この世のどこにも存在しないかのようだった。  後は、できるだけ照れないすまし顔でハウラーに書類を渡すだけ。それだけで、ニアは 彼の娘になり、まだ見ぬトリックの姉になれるのだ。  ニアは、そんな未来をもはや疑うこともなく信じていた。                 4 「……ん〜?」  幸せを反芻する甘いまどろみの中にいたニアを現実に引き戻したのは、無重力ガーデン 全体に響き渡った地鳴りだった。 「なに? 事故、かな?」  呟く間にも、再び地鳴りが部屋を震わせる。宙空にありながらそれを感じられるのは、 空間感覚に長けたネコミミならではだ。震えは最初強く、それから鳴動するように、さら にもう一度強くと爆発を予感させる間隔で続く。  宇宙空間に存在するミスリルでは、連絡橋で繋がれただけの他区画の音は空気を伝わっ てこない。必然的に音は鉄橋を通し、床下を通るように彼女たちに伝えられるのであるが、 人体で感じられるほどの大音響となると、その状況は限られてくる。  ニアは、すっかり昼寝に入っていた重い身体を丸い花畑から起こし、周りを見回した。 案の定、他のネコミミたちも起き出して顔を見合わせているが、誰一人としてその場から 動くようなことはなかった。  どのような事故であれ、宇宙ステーションであるミスリルである限り、宇宙空間での作 業が必要なのは疑いがない。そして、その場合に一番に声がかかるのはネコミミたちなの である。ネコミミがいそうな場所には、すぐに連絡の放送が入るはずであった。 (休み時間がパァね……)  ニアの本職はパイロットであるが、だからといって事故の際に余らせる手はミスリルに はない。人口が飽和している惑星や超巨大宇宙ステーションとは違い、ミスリルのような 小規模の軍事施設では全員が人手不足の部署を補い合っているのだ。それは下士官待遇の 二等宙挺士であっても例外ではない。いざとなれば、年上のネコミミたちに指示を出す事 態もあり得るはずだった。 (いいわ、なんでも来なさい。わたしは今、絶好調なんだから!)  目を醒ますために、両手で顔を強めに叩く。パシンとよい音がして、ニアはスクランブ ル訓練で身についた有事反射で、一気に身体を活動状態に持っていく。  そして、放送は来た。 『連絡。D8ブロックの中破を確認。磁場発生から荷電粒子砲での砲撃と思われます。ま だ状況の詳細は不明ですが、ミスリル総合本部はこれをテロリストからの攻撃と仮定して 初期対処することに決定。現場の指揮は各ブロックの士官、下士官に一任されます。速や かにD8ブロックの奪還に向かって行動、もしくはブロックの防衛に当たってください』 「は?」  聞き覚えのありすぎるブロック名に、ニアは自分の耳を疑った。  D8ブロック──ミスリル全体の一番端にあり、現在は連盟軍の次期主力宇宙艇を決定 するテストのために企業に解放されている区画。  つまり。  ニア・ラフターの職場であり、彼女の仲間たちがいる場所であった。                 ※  ニア──否、ネコミミたちの行動は早かった。その場にいたのが、人間を含まないネコ ミミのみというのが幸いしたのだろう。下士官級であるニアを中心として、彼女たちは一 番乗りでD8ブロックにたどり着いた。  D8ブロックは隣接するD7ブロックとの間の連絡橋が半ば砕けて真空の宇宙が覗いて いたが、ネコミミたちはそれを恐れない。服の上に貼り付けた無形気密服のスイッチを押 し、ナノマシンと空気の層に守られた彼女たちは、ニアを先頭にして躊躇い無くD7ブロ ックから橋へのシャッターを開く。 「行くわっ。みんなは後からついてきて!」  途端にD7ブロックの空気が無限に近い広さの宇宙の真空を埋めようと、暴風のような 威力でニアの背中を叩いた。ドン、と突き飛ばされた勢いで照明の落ちた暗闇の連絡通路 に向かって吹き飛ばされたニアは、手にした二メートルに及ぶ荷電粒子ライフルの切っ先 を自分がぶつかりそうになった壁に押し当てた。 「ふっ!」  銃口が壁を弾く。その反発を利用して、ニアは無重力の中で突風に煽られながら、比喩 でなく弾丸の速度でD8ブロックへと通路を飛んだ。二度、三度と壁を弾き、跳ね回るス ーパーボールのように身を丸めたニアは、安全装置が働いて閉ざされたD8ブロック側の シャッターが迫るのを見てライフルの出力を最大値に設定する。 「邪魔!」  ライフルからプラズマの射線が伸び、一撃のもとにシャッターを突き破る。ニアは赤熱 化する鋼のシャッターの成れの果てを一気にくぐり抜けると、すでに人工重力が失われて いる1Gフロアを素通りし、変圧フロアの扉をも一射で吹き飛ばして、D8ブロックの宇 宙艇用ドックに飛び込んだ。 「ハウラーさん、皆さ──なんで!?」  呼びかけようとした瞬間、ニアは目を見開いて悲鳴じみた声を上げた。そこでは、絶望 的なほどに大きな砲口が自分を待ち構えていたのだ。 「く……っ」  考えるよりも反射で横に身を投げ出したニアが寸前までいた空間を白熱のプラズマが焼 き払った。その爆発で大きく吹き飛ばされたニアは、どうにか天井に張り付いて自分を狙 った攻撃者の姿を視界に入れる。 「<エンブレン>!? なんで!?」  先ほどと同じ悲鳴を上げるニアに、ドック内部に浮かんだ修理途中の半壊状態の宇宙艇 は、そのウニの棘のような砲塔で二アに狙いを定める。 (死ぬ!?)  積極的に攻撃に回った際の<エンブレン>の攻撃の精度を知るニアが全身の毛を逆立て た瞬間だ。 『ニア、逃げろ!』 「ハウラーさん!」  紅の機体が横から体当たりで<エンブレン>を突き飛ばした。弾かれた<エンブレン> はそれでも荷電粒子砲を撃ち放ったが、その時にはニアはその場を離れて床に降り立って いた。時間差で天井が消し飛び、大きく開いた宇宙への口がドックの空気を外に連れ出そ うとするのを、少女は階段の手すりに必死に掴まることで耐える。 『大丈夫かい、ニア!? 見ての通り、<エンブレン>は正気じゃない。逃げるんだ!』 「ちょ……どういうことですか!」  非常用遮蔽ジェルが天井の穴を塞いで風が収まると、ニアは<レイフィールド>のコク ピットから通信してくるハウラーの焦った声に向かって質問する。  だが、彼がそれに答えるよりも早く、態勢を立て直した<エンブレン>がスラスターか ら光を噴いた。急加速した<エンブレン>が<レイフィールド>にぶつかろうとした瞬間、 ニアはライフルのトリガーを引く。それを<エンブレン>は急激な上昇で回避した。 「中にいるのは……エンブレンっ」  <エンブレン>の動きは、専用のアンドロイド以外では不可能なものだ。他のアンドロ イドならばフォトンバリアを張って対処するところを回避してみせたことで、ニアは断定 した。 「どういうことなの!? 答えて!」 「お嬢ちゃん、無理するなっ」  ゴードンの声に、ニアは振り返った。見れば、ドックの機材の裏に隠れるようにして、 ミラノテック社とモス社の面々が揃っていた。 「皆さん、避難……って、あ」  愕然とする。  ニアを狙った荷電粒子砲の一撃によって、D8ブロックから外に繋がる通路は破壊され ている。それでいて酸素供給の装置はまだ働いているため、通路は内部と宇宙空間を切り 分けるためにジェルで隙間を埋めてしまっている。また、それ以前に技師たちは宇宙空間 を専門としていないため、D7ブロックまで移動するのにもネコミミたちの手助けを必要 とするだろう。  後続のネコミミたちがジェルを処理してやってくるまで、数分から十分はかかる。そう 判断したニアは、ゴードンの心配を裏切る決断を下す。 「ゴードンさん、その場を動かないでください。<エンブレン>を止めます!」 「どうやってっ」 「こうやって!」  言うなり、ニアは手近にあった工具箱を拾い上げ、思い切り投げつけた。無重力の中を 飛んでいくそれを、<エンブレン>はおおげさに身を動かして回避する。それを見届け、 ニアは次々と周囲にあった大型機材の固定を解除して宙に浮かし始める。体当たりやテコ の原理を駆使する少女に、ハウラーが訝しげな声をかけた。 『ニア?』 「ハウラーさん、これから<レイフィールド>に乗ります。浮かしたもの、使ってくださ い!」 『わかった』  意図はすぐに通じた。<レイフィールド>のマニピュレータ・アームが宙に浮いた機材 を掴み、猛烈な勢いで投げる。<エンブレン>はそれを回避するが、機材は荷電粒子砲の 連射よりもはるかに短い間隔で飛んでくる。しかも、人の手ならばともかく、<レイフィ ールド>の力で投げられたそれは直撃すれば宇宙艇ですら大穴を空けられる威力だ。 「皆さん、飛ばされないようにしてください!」 「む……ちゃ、な!」  目標を外れた機材が幾つもドックの外壁を貫通し、その度に凄まじい突風がドックに荒 れ狂う。それは<エンブレン>に対しても例外ではなく、無重力中に浮いていた球形は風 に抗うようにスラスターから光を瞬かせる。そこに、さらに機材が飛んでくる。<エンブ レン>は自由を奪う風の中であってもそれを回避したが、回避先に迫ったニアの荷電粒子 ライフルでの射撃にはフォトンバリアを発生させる。その射撃は、飛び交う機材と暴風の 中を苦も無く移動してたどり着いた<レイフィールド>の上からだ。 「ハウラーさん、開けて下さい!」 「やっぱり凄いな、君は。……ニア専用のシートは、僕には狭すぎたよ」 「だからわたしを腹ペコ女扱いしないでくださいって言ってるんです。すぐ乗れなくなる んですから。──任せてください。止めますっ」  紅い機体のコクピットハッチが開き、中からハウラーが身を乗り出すと、ニアは彼とパ チンと手を叩き合わせ、すでに身体の一部のようになったシートに身を沈めた。ベルトで 固定する手間も惜しみ、すでにバリアを解いた<エンブレン>をモニタ越しに見据える。 「応答して、エンブレン。どういうこと!?」 『し……けん、き、α、つう、<れいふぃーるど>……にあ・らぷ、た……』 「エンブレンっ。調子悪いの!? どうしたの!」  ノイズの混じった合成音声が聞こえ、ニアは再度問いただした。食堂でエンブレンと話 したのはつい二時間ほど前のことだ。その時の彼の状態と、今の状況はあまりに不可解す ぎる。  そもそも。 「どうしてあなたが<エンブレン>に乗っているの!? 今日のフライトは終わったはず じゃ──」 『機体とのリンク調整が必要だって自主的に乗り込んだらそれだ。ニア・ラプター、どう にか止められるかねっ?』 「やります! でも、なら本当にどうしてっ」  五十歳がらみのモス社の技術者からの通信を受け、ニアは素早く計器のチェックを行っ た。修理途中だった<レイフィールド>は、飛行性能も含め半分も回復してはいない。ど うにか重力制御と通常飛行は可能だったが、マニピュレータ・アームはそのほとんどが失 われたままだ。そして、最大の武器である荷電粒子砲はドックの中で無闇に撃ち放つわけ にはいかない。ニアのライフル程度ならばともかく<レイフィールド>の一撃では、至近 弾だけで電磁場影響で人々を殺してしまいかねない。 (電磁場だけなら無形気密服で防げるけど、それでも一回か二回……プラズマの熱と衝撃 波の範囲に入ったら一発で蒸発)  舌打ちして、ニアは両手で操縦桿を回す。生きているアーム全てが展開し、不気味に沈 黙する<エンブレン>に艇首を向ける。 「それだけ危険な武器を、もう何度も撃ったわねっ」 『せんと……じゅんび、カクニン。えんしゅう……かい、し、シマス』  閃光が煌めいた。それと同時に爆音だ。真正面から宣戦布告のように放たれた荷電粒子 砲のプラズマ弾を、<レイフィールド>がアームの先端に発生させたピンポイント・フォ トンバリアで真上に跳ね上げ、直撃を受けた天井が爆砕したのだ。  爆砕の瓦礫を隠れ蓑にして、<レイフィールド>のアームがフォトンブレードを突き出 す。だが、閉鎖空間であるが故に最大速度の出せない<レイフィールド>の接近を<エン ブレン>は許さなかった。自機特性である三百六十度移動を生かし、魔法のように<レイ フィールド>の攻撃を避ける。 『くそ……っ。ありゃ、宇宙艇の動きじゃねぇぞっ』 『ニア、使うんだ!』  ゴードンの苛立った声と、それに被さるようなハウラーの声。ニアは肉眼でも見える距 離に、人間一人よりも大きいリボルバー拳銃が浮かび上がるのを見て、それをアームで掴 んだ。弾丸の有無も確認せず、即座にトリガーを連続して引く。無音の宇宙空間前提の爆 音が鳴り響き、まとめて六発の弾丸が飛んだ。<エンブレン>はそれから身をかわしなが ら砲撃したが、<レイフィールド>は機動力を封じられている分をアームバリアで補う。 『試作装備を全部出す。それでどうにか食い止めてくれ。その間に、マニュアルでドック を開く。これ以上中で戦われたら、正直人死が出る』 「ハウラーさん、ネコミミが来るのを待ってください!」 『そんな時間は無いよ。全員、聞こえたなっ。モス社のみんなも、手伝ってくれ!』 「あ、皆さん……っ」  動かないようにと念を押していたにも関わらず、両社の技術者たちが一斉に動き出す。 無重力に不慣れな者たちのこと、機材に張り付きながらのゆっくりとした動きだったが、 確実にそれぞれ必要な場所へと向かっていく。 『まずドック内の空気を抜く。それからハッチだ。ゴードン、モス社の機材でエンブレン の電脳にハッキングをかけられるか試してくれ。エンブレンの様子はただごとじゃない』 『ああ、任せておけ。お嬢ちゃんも、頼んだぜ』  ハウラーたちは、電磁波によって遠隔操作不可能になっている空気循環器を目指す。無 数にあるそれらの機械を一つ一つ操作し、逆に空気を排出させるのだ。そうしないと、ハ ッチを開いた瞬間にドック内の全てのものが空気と一緒に宇宙に放り出されることになる。  そしてもう一方では、モス社の面々に案内されてゴードンが<エンブレン>が駐艇して あった場所で端末を操作し始める。エンブレン及び、<エンブレン>の機体への強制介入 を始めたのだ。 「……もうっ。エンブレン、行くわよっ!」  幸い、すでに<エンブレン>はニアの搭乗する<レイフィールド>にしか興味は無いよ うであった。ドックの中で動き始めた人々に構うことなく、球形の宇宙艇はプラズマの一 撃を<レイフィールド>に放つ。 「撃たないで、エンブレン! あなたには、銀河人類連盟の人間を守る義務があるんでし ょ!?」 『…………っ』  周りに被害を出さないように盾で弾かず、フォトンバリアで攻撃を受け止めて接近する と、<エンブレン>が言葉に怯んだように動きを止めていた。その好機を逃さず、<レイ フィールド>は全てのアームを使って相手の棘を掴み、虫のようにしがみつく。 「いい加減、目を醒ましなさい!」 『ぐ……ああ!』  アームが砲塔を握り潰し、<エンブレン>のいたるところで爆発が起こる。だが、それ に苦悶の叫びを上げながら<エンブレン>がスラスターを噴かしてその機体を回転させ、 <レイフィールド>を巻き込みながらドックの壁に激突する。 「きゃああああっ」 『にあ・らぷ、た……これ、は……えんしゅ、う……にげ、なさ……逃げなさいっ!』  <エンブレン>と壁に挟まれた紅の機体が悲鳴を上げる。バリアも無しに叩きつけられ た装甲がひしゃげ、左の光子エンジン・ユニットが破裂する。さらに、人間の裏拳さなが らに回転した<エンブレン>の砲塔が横殴りに<レイフィールド>のコクピットのある艇 首を。 「嘘っ!?」  打ち砕いた。 「つ……っ。くそっ」  間一髪、アームで砲塔を逸らしたことで、砕けたのはコクピットのハッチだけで済む。 しかし、それは相手を映すモニタを根こそぎ持っていかれたことを意味し、ニアは破片の 直撃を受けてざっくりと割れたこめかみの痛みを感じる暇も無く舌打ちした。 『逃げ……な、さい……どうか……──ぐ!?』 『エンブレンの電脳に繋いだ、今がチャンス……なんだ、これはっ!?』 「やあああああ!」 『ああああああ!』  ニアが、エンブレンが叫んだ。<レイフィールド>が漂っていた斧を掴んで<エンブレ ン>に斬りつける。<エンブレン>の装甲がナイフを入れられたバターのように裂け、衝 撃で大きく揺れる。しかし、球体の宇宙艇は機体の半ばまで光子の刃を食い込ませながら も、至近距離から荷電粒子砲を乱射する。 「ひっ」  恐怖に顔を引きつらせながら、ニアは機体全てをフォトンバリアで覆ってその猛攻を凌 いだ。コクピットをアームで庇うようにしても、プラズマと光子がぶつかり合って生まれ た熱風はその間を縫うようにして剥き出しの髪と耳をなびかせる。 『エンブレンの基本のデータには何も手がつけられちゃいねぇ……ただ、データから行動 を起こす際に命令が横入りして、暴動を起こすように──暴動じゃねぇ、くそったれ、こ いつが演習だと!?』 『わ……タシ、の、アタマに……っ』 『空気を抜くぞ!』 「やめてっ。エンブレン、もうやめて!」  幾つもの言葉が交錯した。理不尽に震える怒りの言葉と、脳をかき回される苦痛の言葉 と、膠着した状況を動かす力強い言葉と、プラズマの雨に晒される恐怖の言葉。全てが同 時で、その内容を同時に理解した者はその場にはいなかった。後にも先にもいなかった。  技術者たちが空気循環器を排出に切り替えると、穴が開く度に補給されていた空気の供 給が途絶え、ドック内が真空状態に近づいていく。それに合わせて吹き荒れていた風が目 に速度で収まっていき、プラズマとバリアがぶつかり合う轟音が不意に消えた。  恐怖とは、視覚と聴覚への刺激で増幅されるものだ。そのうちの聴覚が遮断されたこと で、ニアは半泣きになっていた顔をどうにか上げることに成功した。  無重力と、真空状態。その二つが揃えば、ネコミミの能力は最大限に発揮される。 「こ、のおおー!」  もはや遠慮なく、<レイフィールド>は<エンブレン>のプラズマ弾を縦横無尽に跳ね 返し始めた。一発、二発とピンポイント・バリアが白光をドックの壁に、天井に、床に叩 き落す。ドック内の空気が無い今、どこに穴が開こうと風は荒れ狂わない。マニピュレー タのほとんどと、スラスター一つが破壊されていたが、満身創痍なのは<エンブレン>も 同じだ。砲塔の半分以上と、斧をくわえ込んだ側のスラスターは沈黙している。それは三 百六十度の攻撃と移動が最大の特性である<エンブレン>にとって、致命的な状態である。 (動けない方向が一つでもあれば、回避先の予測はできる!)  <エンブレン>が動くと、<レイフィールド>はそれを読んでアームのブレードで斬り つける。断ち切られた砲塔が宙を舞い、<レイフィールド>は先ほどのお返しとばかりに <エンブレン>の機体を掴んで、片方だけ残ったスラスターから光子を振り撒いて大きく 自らの機体を振り、遠心力で壁面に<エンブレン>を叩きつけた。衝撃でアームが砕ける がかまいはしない。ウニの棘は壁を突き破ることなく機体との間に挟まれてひしゃげ、< エンブレン>の戦力は確実に削がれていく。 『さすが、に、ムリが……こ、の、キドウじょ、うたい、で、は……素晴らしい……です、 ニア』 「エンブレ――」 『げき、は……っ』  一瞬の正気に、ニアが顔の右半面を赤い血に染めながら目を見開く。それが隙だ。高速 回転した<エンブレン>の砲塔が真上からコクピットめがけて降ってくる。 「っ!」  悲鳴すら出ない反射だった。ニアが恐怖に硬直して操縦桿を握りこみ、それが偶発的に 荷電粒子砲を発射させた。閃光が視界を真っ白に染め、直撃を受けた<エンブレン>がス プーンですくいとられたアイスクリームのようにごっそりと機体を削られて弾かれる。 『ハッチ開け!』  ハウラーの指示でドックのハッチがゆっくりと上下にその口を開けていく。<エンブレ ン>は開きかけたその出口に激突して止まり、 「これで終わりよ!」  突進した<レイフィールド>の体当たりを受けて、自分の直径よりも狭い場所を通り、 機体を砕け散らせながら強引に宇宙へと叩き出された。<エンブレン>に圧倒的に有利な 閉鎖空間から、<レイフィールド>の得意とする広域戦闘空間へ。  だが、それでなくともすでに<エンブレン>は戦うことが不可能な損害を受けていた。 ハッチを突破した際に、<エンブレン>は球体とも言えないような鉄塊に変えられている。  終わった。  それを確認して、ニアは大きく息をついた。  そこに、<レイフィールド>に掴まれた<エンブレン>から通信が入る。 『せんと……ふの、う……はか、い、を……ニア、どうか私をこのまま……』  苦しげなノイズ混じりの声。混乱の中で聞き逃していたが、ゴードンがやはり誰かがエ ンブレンの電脳に細工していたと言っていたような気がして、ニアは穏やかに微笑んだ。 「……何言ってるのよ。回収して、バグなのかウィルスなのか検証するのが軍の規則でし ょ。――でも、良かった。お互い、無事ね」 『に、あ……っ』 「ごめんなさいなら、後で聞くから」  感情によらないウィルスによる犯罪の場合、アンドロイドが罪に問われることはない。 彼らはあくまで機械であり、罪に問われるべきはそのウィルスを送り込んだ者であるべき だからだ。 (だいたい予想つくなぁ……)  <エンブレン>か<レイフィールド>か、どちらかはわからないが、正式採用を望む軍 の一派がエンブレンに細工したのだとニアは思った。それとも、極限状態での性能を見る ためのデモンストレーションか。 (タチ悪っ)  ニアは、憤りにやや乱暴な操縦で<エンブレン>をドックの中に押し込んだ。比較的被 害の少ない場所を選び、漂う機材や武装に注意しながら機体を床に下ろす。  そこまでおこなってから操縦桿から手を放し、ニアは思わずぐったりと前のめりに突っ 伏した。 「つかれたぁ〜……」  一日に二度の戦闘、しかも二度目は紙一重で生き残った実戦だ。単純に運が良いなどと いう言葉では言い表せないほど幸運な二連勝である。エンブレンがウィルスに侵されてお らず、普段通りの性能を発揮していたならば、閉鎖空間でニアに勝ち目はなかっただろう。 (妙に反応タイミングが遅かったし)  それがゴードンの言っていた命令の割り込みによるものだとは、ニアには思いもつかな い。ウィルスに抵抗するエンブレンの努力だと思っておくことにする。 「戦ってる最中も、逃げなさいだとか、自分を破壊しろだとか……いい加減、いい人過ぎ よ。病気の友達を放って逃げられないでしょ」  ようやく軽口の一つも出る。突っ伏したままクスリと笑うニアに、エンブレンは言う。 『破壊を……私を、どうか、は、かい、を……っ』 「まだ言ってる」  クスクス笑いが、ケラケラ笑いに変わる。本物の実戦の後ならばそのような笑いが起こ ることもないのだが、相手が半年に渡って共にテストパイロットをしてきたエンブレンで あることが、ニアの気をゆるめていた。本人の意思ではなく、アンドロイドの宿命的なウ ィルスであれば尚更だ。 『ご苦労様、ニア。エンブレンも、大丈夫かい?』 「はい。両名とも無事……とは言えませんけど、生きてます」  ハッチが開いたままのため、肉声ではなく無形気密服どうしの近距離通信でハウラーが 言い、ニアはやはり突っ伏したまま腕を挙げてそれに応えた。  横着しているのではない。身を起こそうにも、起こせないのだ。  いつまで経っても顔を見せないニアに訝しんだハウラーが無重力を利用して<レイフィ ールド>の機体をよじ登ると、少女は力の抜けた表情で計器類に倒れこんでいた。 『ニア! ――誰か、医療キットを、早く!』 「そんなに大げさな傷じゃないです……血は、足りないですけど……」  心配はかけられない。ニアはヘラヘラ笑いながら、力の入らない両腕を叱咤して計器を 押し、身を起こした。反動でシートから浮き上がる小さな身体を、ハウラーが抱きとめる。 「女の子が顔に傷までつけて……。ありがとう、助かったよ」 「まだ軍人ですから、わたし。今月で辞めますけど」  触れ合うと、二人の無形気密服の気圏が重なり合って声が空気を震わせる肉声となる。 その耳を打つ優しい『ありがとう』に、やっぱり声は肉声に限るな、とニアはとりとめの ない感想を得た。 (……やっぱり、声が聞こえるところにいたいな。ハイパーウェーブ通信とかじゃなくて、 同じ職場で、同じ家で)  真空に安らぎを得るネコミミであったが、時には他人と同じ空気を震わせてみたい時も ある。同じ空気で呼吸してみたいと思う時もある。 (宇宙だと、結局はいつも一人だったしね……)  ネコミミについて回る宇宙空間での作業や宇宙艇の操縦は、通信でしかお互いの言葉を 伝えられない無音の世界だ。目に見える距離にいても、お互いの空間は断絶している。不 注意がすぐに死に直結する仕事だけに、交わす通信も必要最小限の味気ないものばかりだ った。  だから。 「ハウラーさんの娘になったら……こういう危険も減りそうですね」 「当たり前だよ! するって言っても僕が止める。いいかい、君は軍人じゃなくなるんだ。 もう無茶は許さない。約束してくれるね?」  同じ空気の中で告げ、そして返された言葉に、ニアは最高の笑顔を浮かべて応えること ができた。 「はい」  と。  そうしてハウラーの腕の中でしばらく待つと、ゴードンが<レイフィールド>のコクピ ットに常備してあるべき医療キットの箱を持ってやって来る。中には中毒性の無い痛み止 めや、人工皮膚を兼ねる血止めシール、それから自決用の青酸カリと拳銃が入っているが、 ゴードンは当然のようにシールを一枚用意すると、手拭いで血を拭き取った後に平手打ち の勢いでニアのこめかみに貼り付けた。 「ぴ!?」  痛みのあまり妙な声も出る。涙を滲ませて恨みがましい目を向けてくるニアに、ゴード ンは白い歯を見せて笑って、その銀髪の頭をわしわしと撫でた。 「ま、残るような傷じゃなくて良かったな。助かったぜ、お嬢ちゃん。おう、お前も上手 いことやったな、馬鹿大将。たいした娘だ」 「欲しい?」 「くれねぇだろ」 「まあね」  一応褒められていることはわかり、ニアはハウラーにも負けないゴードンの大きく固い 手に快く身を任せた。そう、ハウラーだけではない。ゴードンも、ミラノテック社の皆も、 ニアにとっては同じ空気を共有したい人々だ。  それから――。 「すみません、そろそろエンブレンを」 『ああ、準備できてるぜ』  ニアの言いたいことがわかるのか、ゴードンが彼女から手を離して頷く。そうすると、 気圏が分かれて声が通信のものになり、ニアは少し残念に思う。何故か、心細くなる。 (なんだろ?)  それは初めての感覚だった。別に遠く離れたわけではないのに、取り残されたような気 になってしまう。温もりが、遠ざかったような気がしてしまう。 (…………?)  それが『甘えたい』気持ちであることに気づけるほど、ニアはまだ甘えることに慣れて はいなかった。そもそも、二アにとって年上の男たちは皆上司だ。仕事上の相手であり、 ハウラーやゴードンのように扱ってくれる相手はいなかった。 『エンブレンの電脳をチェックしてみたが、ありゃ仕込んだのは専門の人間だな。まあ、 軍の最新の電脳にハッキングかけたわけだから当然だが、エンブレン自身じゃウィルスが ウィルスと判断されないような位置に設置してあった。思考も正常、義務の書き換えも無 し、ただ行動だけが予定しているものとは違うアクションを取らされる……そんな悪質な やつだ』  舌打ちして、吐き捨てる。 『エンブレンが取らされていたのは、演習行動だ。自分の中にある演習用のアクションを 使われてるわけだから、エンブレン自身は思考とアクションの不一致をバグかなんかだと 思ってるだろうよ』  ゴードンの憤り。ニアはそこからエンブレンの心境を想像し、胸が痛くなった。  他人に操られるウィルスではなく、自らの内部にあるバグで皆を攻撃したと彼は思って いるのだ。バグは初期的なものではない限り、普段の活動での蓄積したデータの最適化で 失敗した際に発生する。エンブレンは、自らのミスを責めているに違いない。 (だからって、破壊してはないわ)  <エンブレン>という戦力を奪い、ゴードンによってウィルスの存在も確認できた今、 エンブレンが気に病むことは何も無い。ニアにとって、数少ない互角の腕前を持つパイロ ット仲間――しかもネコミミであることで自分を見下さないアンドロイドの友人だ。その ことを伝えて、安心させてやりたかった。 「それじゃ、わたしはエンブレンを連れて総司令部の方に顔を出してきます。今回の事故 の報告をしないといけませんから」 「なら、僕が連れて行くよ。いいね?」 「え? あ……はい」  軍人としては失格であるが、ニアは一般人であるハウラーに支えられ、<レイフィール ド>から床に降り立った。実際に血が足りなくて歩くのが辛かったこともあったが、それ よりもゴードンの手が離れた時のような寂しさを味わいたくなかったからだ。 (駄目だなぁ……)  まるで幼い子供のようだ、とニアは情けなく思う。でも仕方ないじゃない、こういうの 初めてなんだから、と反駁する声もあるのだが、自立心溢れる十四歳の少女の心を納得さ せるには、まだ弱い。 「それにしても、よく動いたもんだ。がんばった」 「<ハウラーさんのレイフィールド>ですから」  ハウラーが一度紅の機体を振り返り、そのボロボロの姿を見てため息を漏らすと、ニア は自分の恥ずかしさは横に置いて、そう言うことにした。マニピュレータ・アームのよう な繊細な部分が多くありながら、<レイフィールド>は驚くほど頑丈だ。単純な防御力だ けでなく、多少破損しても飛行を続けることができるその底力こそが今回ニアを救ってく れたようなものだ。  だが。 「でも、ニアがいてこその<レイフィールド>だよ。今さらだけど、こいつが採用される 確率は低いなあ」 「どうしてですか?」 「だって、使える人間がいない。自分で乗ってみてわかったけど、マニピュレータ・アー ムは何本も同時操作できないよ。<エンブレン>がパイロットも一緒に製造できるのを考 えると、分が悪いな」  優れたパイロットが操れば<エンブレン>にさえ勝利可能でも、世の中にはそう多くの エースパイロットがいるわけではない。特に、接近戦でアームを操るには、ネコミミ特有 の空間把握能力が必要になってくる。 「誓ってもいいけど、二十対のアーム全てを使えるパイロットは、ニア・ハウラーしかい ないね」 「……そういう言い方は卑怯です」  会話の流れでさりげなく言われたファミリーネームに、ニアは憮然と顔を赤らめた。熱 を持ってしまう頬に、人の頭には流血してもまだ集める血があるのだなと場違いな感心を してしまう。  すると。 『おーい。聞こえてるぜ、お二人さん』 「なっ!?」  先を歩いていたゴードンが笑い混じりに言い、同時に複数の忍び笑いが聞こえてきて、 ニアは今度は羞恥に顔全体を赤くする。 「盗み聞きしないでくださいっ!」 『仕方ねぇだろ、聞こえてくるんだからよ』  無形気密服の通信は、一定範囲の気密服に同時通信される。それにより複数人での会話 を成立させるのであり、ニアも当然そのようなことはわかっているのだが。 「う〜」  多感な年頃は、両手で耳を押さえてうずくまってしまうのである。  恥ずかしい。  心地好い。  二つが胸に湧いてくるのだから、厄介極まりない。どちらか片方ならば、それに相応し い態度が取れるというのに。 (とにかく、仕事しよう……)  その使命感で、どうにか自分を立て直す。常に優秀であれ、というネコミミの不文律は 彼女の中で変わらない。 (わたしは、まだ軍人なんだから)  軍の施設で起きた事故だ。関係企業とはいえ、一般人にばかり働かせるわけにはいかな い。  しかし、と首を傾げてしまうのは、後続のネコミミたちがいつまで経ってもやって来な いことだ。無形気密服の通信能力では目に見える範囲程度しか声が届かず、状況を把握す ることができない。 (こっちの問題は解決したから、まあいいけど)  ニアは気楽にそう考えることにした。それが間違いだったと知るのは、すぐ後のことだ。  やはり、彼女は浮かれていたのである。以前の彼女であれば、<エンブレン>のコクピ ット開放をモス社のスタッフに任せたりはしなかっただろう。すぐにネコミミたちを呼び 寄せ、両社の人々――軍人以外を別区画に移動させてから、エンブレンを救出することに しただろう。  だというのに、彼女は一般人にそれをさせた。  ニアにとってすでに彼らスタッフは仕事仲間になっており、一般人という感覚が薄れて いたこと。ハウラーを退避させ、彼の温もりが離れることを嫌がったこと。流血によって 判断に弱冠の乱れがあったこと。  何より、エンブレンを信じきっていたこと。  全てが合わさって、一般人にそれをさせてしまった。  <エンブレン>のコクピットが強制開放された瞬間、中のパイロットを拾い上げようと 覗き込んだモス社の技術者の身体が大きく真上に跳ね上がった。 「え?」  真空内に、音は無い。しかし、訓練を受けたニアの軍人としての部分はそれを理解した。 「伏せ――!」  言葉は間に合わなかった。コードを引きちぎって現れたエンブレンは、火薬式の実弾拳 銃で周囲のスタッフたちを次々と撃ち抜いた。全て正確に足。アンドロイドならではの精 密射撃で、瞬く間に十数人が宙を舞う。 「エンブレン!」 『だから私を破壊しろと……い、った、ん……ですっ!』  苦しみに耐える顔でエンブレンが銃口をニアに向ける。荷電粒子砲よりはよほど小さい、 しかし確実な殺傷能力のある武器に、ニアはハウラーを突き飛ばして跳ぼうとした。だが、 足が動かない。突き飛ばす力も無い。 「あ……」  エンブレンがトリガーを引くのが見えた。他の皆とは違い、銃口が狙うのはニアの額。 エンブレンならば百に一つも外す距離ではない。  それからのことを、ニアは一生忘れないと思った。  自分が突き飛ばすことができなかったハウラーが、逆にニアを突き飛ばし、回転する視 界の中その胸に三発の穴が穿たれたこと。彼の身体が無重力の中弾かれる様を見る自分の 背中に、ぶつかるものがあったこと。それが<レイフィールド>に乗り込む際に捨てたラ イフルであったこと。反射でそれを手に取っていたこと。  そして。 『ト、リッ、ク……っ』  大切な人の最後の言葉を耳にした時、ニアは激情のままライフルをエンブレンに向けて いた。 「う、あああああああああああ!」  もう心はぐちゃぐちゃだった。  そのぐちゃぐちゃのまま自分がプラズマでエンブレンを焼き尽くしたことを、ニアは一 生忘れることはないと、そう思った。                 結  ニア・ラプターは、ニア・ハウラーにはならなかった。  ゴードンが代理になって申請した養子縁組への回答は次のようなものだった。 『死者との間に養子縁組をすることは不可能である。それが故人の遺言であっても、受理 されることはない』  妥当な判断であると、ニアは納得した。  納得して、一晩だけ泣いた。                 ※  当て馬。  それが<レイフィールド>の立場を表す正しい言葉であった。  現時点最高峰の性能を持つ宇宙艇を最高峰の腕前を持つパイロットに操縦させた場合、 <エンブレン>はそれにどの程度対抗できるのか。問題にされていたのは、それだけだっ た。<エンブレン>が勝つかどうかは、関係無かったのだ。発展途上の無人人格制御宇宙 艇の性能が見れれば、それで良かった。  そして見事に<エンブレン>は期待に応え、<レイフィールド>と互角の戦いを演じて 見せた。それは、いくらでも量産できるエースパイロット操縦級の宇宙艇戦力としての魅 力を充分に軍の上層部に見せ付けたことだろう。  ニアにとって意外だったのは、食堂でエンブレンに連絡を取っていたベルポルト中将が、 無人人格制御宇宙艇の反対派だったことだ。彼こそエンブレンにウィルスを仕込んだ張本 人であると考えていたニアは、事件の最中に自分が考えていた『閉鎖空間での極限性能を 見るための演習』という推理が的を外していたことを知った。  おそらく、彼はエンブレンがアンドロイドであることによるウィルス反逆の可能性を示 唆したかったのだろう。さほど間を置かずに中将がそのことに関する提言をしたことで、 ニアはその考えを確信に変えた。  戦争に必要なのは命令に従って集団行動する能力がある兵士たちであり、アンドロイド はその点で優秀ではあるが、常にハッキングやウィルスの危険はあり、それ単独で構成さ れた部隊戦力が敵に寝返った場合、勝ち戦が一気に負け戦に変わることもある。電脳を守 る絶対の手段が無い以上、無人人格制御宇宙艇の主力投入はまだ時期尚早である。  中将はそう語り、その言葉と今回のエンブレンの事件から、まずは電脳の強化を進める 方向で話がまとまった。その結果、<エンブレン>の機体はその開発が凍結され、モス社 は無人人格制御宇宙艇に関する多くのノウハウを得ながらも、軍用機の開発からは一時撤 退することになった。ただ、次の<エンブレン>の開発が始まる際には、再びモス社に声 がかかることは間違いないであろう。  一方、ミラノテック社は<レイフィールド>の性能が評価され、思いがけずその機体を ベースにした量産機が注文されることになった。<レイフィールド>並ではパイロットの 選抜に困るが、アームの数を減らし、より操作性を上げたものであれば充分優秀な遊撃機 として通用すると判断されたのだ。  それにより、ミラノテック社は連盟軍という銀河最大規模の大口取引先を得て、それに よる莫大な売り上げをも約束されたのだが、そうした結果は新社長となったゴードンに言 わせるなら、 「くそったれだ」  ということになる。  事件の最後、ライフルを抱えてハウラーの横で泣きじゃくっていたニアは、隣に歩み寄 ったゴードンがハウラーに言った言葉を耳にしている。 「トリックと会社は任せとけ」  と。  その瞳に浮かんだ憤怒を、ニアは忘れることができない。彼がどういう顔で連盟軍から の<レイフィールド>量産機の注文を受けたのか、怖くて想像することもできない。  そして、そうした数々の顛末を導き出した事件そのものは、他言無用の犯人無き事件と して扱われることになっていた。  エンブレンへのウィルス混入の事実、ネコミミたちの遅延、それらを幾ら訴えても総司 令部の対応は次の通りだ。 『証拠が無い』  それに尽きる。  エンブレンの電脳はプラズマ弾によって完全に破壊されていたし、ネコミミたちはニア が場を離れた後に追いついた別の班の下士官の指示で現場待機していただけだ。その下士 官が中将の子飼いであろうと、それだけで告発するこはできない。しょせんは下士官級で しかないニアには、それ以上どうすることもできなかった。  追記するならば、ハウラーの死に関しては連盟軍から充分すぎるほどの金額が慰霊金と して支払われた。連盟軍に所属するアンドロイドが引き起こした事故であるからというの が建前だが、その意図は明白だ。  だから、ニアは予定通り連盟軍に退官の意思を伝えた。例えハウラーの養子になれなく とも、もはや一分一秒も連盟軍に所属していたくはなかったのだ。  その後、軍を辞したニアを、ミラノテック社は快く社員として迎え入れた。ネコミミと しての彼女を奴隷として購入することもできたし、その方がニアの方も権利関係が楽だっ たのだが、ゴードンの意向とニア自身の固い意志のため、彼女は『ネコミミの社員』とし てミラノテック社に在籍することになった。  入社の際、ゴードンは言った。 「好きなようにやりな」  それにニアは頷き、 「はい」  小さな立体映像装置を握り締めた。  そういうやり取りが、一度だけ行われた。                 ※  ――そして、その日のバビロンの夕焼けは美しかった。  バビロンでも高級住宅地区に該当するその場所は、ニアが生まれ育った貧民街とは比べ ようもないほどに街並が美しく、そして豊富な緑を抱えていた。晴天や夕焼けを制御する 擬似天候システムも正常に作動しており、ここで暮らす子供たちは惑星の上で育つのと変 わらない風景を心の中に刻み込んで大人になれるのであろう。 (同じバビロンでも、大違いね)  自分が子供の頃は、昼間がいきなり夜になったり、絶対に当たるはずのステーション天 気予報が外れて大雨が降ったり、大変なものだった。廃棄のために退去勧告が出ている場 所に無理矢理居座っていた施設だったので当然かもしれないが、波乱に満ちた幼少期だっ たのは確かだ。 (ここなら、素直ないい子が育ちそう……)  少しの安心と、少しの羨望。  皮肉ってしまうのは、高級住宅地というものに馴染みがないせいだ。 (ネコミミの子供も、イヌミミの子供もいないしね)  そうして夕日に影を伸ばしながら手を振って『バイバイ』する子供たちの横を通り過ぎ、 ニアは住宅の中に開いた小さな公園に足を踏み入れた。鉄棒やジャングルジム、滑り台と いった定番の遊戯が揃っている、児童公園だ。  そこで目的の相手を探すのに、さほど時間はかからなかった。公園には一人しか子供が おらず、そしてその子供は大人が見れば目を丸くするほどの勢いでブランコを立ち漕ぎし ていたからだ。前後に揺れるその弧は大きく、弧の最大地点は大人の頭よりも高い。 「わ!?」  ニアも例外ではなく慌ててブランコの前に駆け寄って叫ぶ。 「だ、駄目よ、そんなにしたら危な……っ」  ニアが耳と尻尾の毛まで逆立てて身振り手振りアピールすると、その幼い男の子は訝し げに彼女の方を向き、 「なに、ねーちゃん?」 「と、止まって、止まって! 何してるの!」 「パイロット訓練」  さらっと言う男の子は、さらに反動をつけて高く高く舞い上がる。 「お話があるの! ちょっと止まってくれる? ゆっくり、ゆっくりでいいから!」 「話?」 「きゃああああああ!?」  首を傾げた瞬間、男の子の身体がポーンと飛んだ。  無重力でもないバビロン共通の1Gの重力の中を、勢いよく飛んだ。  小さな身体が地面に影を引きながら朱色の空の下を翔け、放物線を描いて大地に落下す る。  ニアは惨劇を予想して目をぎゅっと瞑ったが、 「よっと!」 「え?」  男の子は、危なげなく両足を揃えて着地した。その拍子に足に痺れが走ったのか、あち ちちと地団太を踏みながらニアに振り返る。 「ねーちゃん、話ってなに?」 「え!? う、うん」  呆気に取られ、ニアは目をパチパチとさせた。その少年――硬そうな金色の髪と、父親 に似ていない自己主張の激しい強い眉、それから子供本来の負けん気に溢れた青い瞳。半 袖半ズボンでよく陽に焼けた姿には、やんちゃという言葉が良く似合う健全な生命の存在 感があった。  立体映像で見たままの、だけれどより鮮烈な生気を感じさせる本物。 「ぷ……っ」  不意に、腹から込み上げてくるものがあった。 「あ、ははっ……あはははは! なんだか、予想以上に予想通りっ」  驚きは、すでに笑いへと変わっていた。驚かせるつもりでいきなりやって来た自分が、 逆に驚きの一発で出迎えられてしまった。  凄い、とニアは思った。  うん、この子は凄いのだ、と。 「え〜と、ごめんなさい、いきなり。お姉ちゃん、あなたのお父さんの会社で働いている 人なの」  勝手に笑い出した年上の少女に男の子が不審げな顔をするのに、ニアは慌ててそう言い 繕った。すると、男の子の表情が陰る。まだハウラーの遺体はバビロン滞在の連盟軍のも とに送られたばかりであり、遺族も対面を済ませてはいない。しかし、それでも誰か大人 から父親が帰らぬ人となったことを聞かされたのだろう。  しかし、少年は暗い顔はしたが、ニアの予想とは違って目に涙を溜めたりはしなかった。 ただ唇を噛み、地面に視線を落とす。 (泣かないの?)  ニアは泣いたというのに、この男の子は泣かないのだろうか。男の子とはそういうもの なのだろうか。幼すぎて、死を理解していないのだろうか。二度と会えないとは、知らな いのだろうか。 「うっ」  そう思ったら、もの凄い顔で睨まれてニアは怯んだ。思わず半歩退いてしまうほどに、 真っ直ぐな『挑戦』。 「とーちゃん、もう戻ってこないって聞いた。かーちゃんと一緒か?」  鋭い視線だった。  そしてニアは察する。  まだ幼かったが、男の子は死という概念を理解している。それを踏まえた上で、男の子 は年上に挑戦してきているのだ。  生半可な答えでは許さないぞ、と。 (これって……怖い)  正直に、ニアはそう思った。真っ直ぐすぎて、怖い。真っ直ぐで、誤魔化しを許さなく て、そういうものに慣れてしまっている者には、この男の子の視線は強すぎる。  悲しい現実を叩きつけて来い、と言われているようなものだ。  それでも誤魔化すことは、もちろんできるはずだ。大人であれば、いくらでも演技で男 の子を煙に巻くことはできただろう。  しかし、ニアは大人ではなかった。煙に巻く気もなかった。  だからこそ、きっぱりと頷いた。 「そうよ。ハウラーさんはもう戻ってこないわ。連盟軍に殺されたの。悪者にやられたの よ。わたしはその場にいたわ」  騙さない。  連盟軍が誤魔化した事実を、隠さない。 「ハウラーさんはわたしをかばって死んだわ。だからわたしはあなたに会いにきたの」  唇を噛み締めて立つ男の子。  言われた言葉を吟味し、殺された、と言う単語に小さな拳を握った男の子。 「トリック。わたしはね、あなたのお父さんと約束したの。あなたのパイロットの先生に なるって」  パイロット、という響きに男の子――トリック・ハウラーがニアを見上げた。人間とは 違う、頭の上に耳のある影を大地に刻む少女を、トリックは射抜くような目で見据える。 「パイロット、なれるのか?」 「なれるわ。あなたはパイロットになって、何をしたい?」 「TROY優勝!」  躊躇いの欠片も無かった。父親の死を告げたばかりだというのに、トリックは元気良く、 腹の底からその夢を叫んだ。 「とーちゃんの宇宙艇で、銀河最速になる!」  大声で、空に届くほどに、この世の全てに挑むように。  その言葉に、ニアはうわあと呟いた。最高の言葉だ、と思った。  ハウラーがあれだけトリックを自慢していたのが良くわかる。この子は、最高だ。  そうして同時に思ってしまうのは、何故だろう、ということだった。 (なんでわたし、この子のお姉さんになれなかったのかな……)  たった一日でも早く養子縁組届けを出していれば、違った未来があったのだろうか。  そんな考えを、ニアはすぐに振り払った。  未来は、自分で作る。  そのために、ニアは手にしていたそれを小さな男の子の前に差し出した。トリックは、 一瞬それが何だかわからなかったのか、受け取ってからまじまじと眺め、呟く。 「首輪?」 「トリックはお小遣い持ってる?」 「ん」  疑問に質問を返され、トリックは戸惑いながらも半ズボンのポケットから一枚の硬貨を 取り出した。広げた手のひらに乗せられた大きな硬貨に、ニアは満足の頷きを一つして、 それをひょいと掴み上げた。 「あ、ドロボー!」 「違うわ、これは授業料」 「授業料って、パイロットのか?」 「うん」  そうして、ニアはその場に屈みこんだ。トリックの手が自分の首に届くように。彼が首 輪をつけてくれやすいように。 「この首輪には、ゴードンさんに頼んでトリックの情報が登録済みなの。これをわたしの 首につけてくれれば、契約は完了よ。つきっきりのマンツーマン。あなたが一人前になる までずっと一緒にいるための……約束になるの」  トリックの手に自分の手を添え、首輪を首に誘導する。最後にトリックの瞳を覗き込ん で頷いて見せると、男の子は意を決したように少女に首輪を取り付けた。少し大きめの首 輪はスイッチを押すとちょうど良いサイズまで収縮し、ニアは生まれて初めての異物感に そっと指をそれに這わせた。  自分を売ったネコミミは数いれど、硬貨一枚で全てを捧げるネコミミなど、他にはどこ にもいないだろう。 (でも、それがわたしの決めたトリックとの関わり方。お姉さんになれないわたしが、い つでもどこでもこの子と一緒にいるための手段!)  目的はただ一つ。  彼女の好きな人であり、彼の父親でもある人が夢見た栄光の姿。 「これで……うん、これで、わたしはあなたのものよ。あなたの先生! あなたのお姉さ ん! なんでもいいわ。とにかく、あなたの味方っ!」  何があろうとわたしだけは、とニアはトリックの顔を両手で挟み込む。間近で顔を突き 合わせ、もはや涙さえも越えてネコミミの少女はトリックに自分自身の心を叩きつけた。 「トリック! わたしがあなたを銀河最速の男にしてあげるわ!」  胸が熱い。  それはハウラーの夢。だけれど、今トリックという幼い子供が自分の夢としてそれを語 った時、ニアの中でそれはさらに昇華されてもっともっと大きな夢へと駆け上った。  ハウラーのためでもある。でも、もっと、もっと大切な意味で。 「あなたの夢を叶えるのよ、トリック!」 「おう!」  笑顔でトリックが拳を空に突き上げた。その笑顔に、ニアも笑顔を返す。久しぶりの心 の底からの笑顔で少女はトリックを抱え上げ、夕日の下でダンスのようにその小さな身体 を振り回した。 「こーの可愛い子めー!」 「あはははははははは!」  夕日が沈む。  月が昇り、夜の時間がやってくる。舞踏の時間がやってくる。  踊ってやろう、とニアは心に決めた。晴れやかな朝が、勝利の未来がやってくるまで、 自分はこの子と一緒に踊り続けてやろう、と。 (最高よ!)  宇宙艇の操縦を教えてやろう。天才と言われた自分を越えてもらおう。  TROYに出場させてやろう。最高の形で優勝させてやろう。 (この子を、可愛がって、可愛がって、可愛がりまくってあげるんだから!)  堂々と弟と叫べない、弟にできなかったトリックを、ハウラーになれなかったラプター は万感の思いを込めて抱きしめるのであった。                                    了