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             夏のある日の彼女の事情



 彼のいない部屋でテレビを見るのは、彼と語らうのと同じくらい楽しい時間だ。
 彼のコレクションしているビデオの数々は、映画監督という彼の職業を反映してのもの
か、非常に「ツボ」を押さえたものが多い。
 古いものは往年の名優が白黒の映像の中で生き生きと動き回るもの。
 新しいものでは最新のCG技術を駆使した話題作まで。
 一見凡作と言われ、ほとんど話題に上ることさえない作品まで、彼の所有するビデオた
ちは面白い。
 何が面白いと言って、各ビデオに貼ってあるラベルが面白い。無造作にマジックで書か
れた作品タイトルと、一瞬意味がとれない八や五十などといった数字。その数字が、その
作品における「参考になる箇所」であると気づいた時から、わたしは彼の部屋でビデオを
見るのが楽しみになった。
 新進気鋭の女優としてようやくセリフのある役をもらえるようになった身としては、あ
りがたい教科書ばかりなのである。
 それで、その彼のコレクションの中で珍しくタイトルの書かれていないビデオを発見し
たのが、つい先ほど。
 気になってデッキにセットしたのが今現在。
 ビデオは最初まで巻き戻されておらず、中途半端な箇所で止められていたので、とりあ
えず巻き戻し。巻き戻された数値を見れば十八分で、ラベルに書かれた数字と一致する。
(それも珍しいですね)
 今まで見てきたビデオは、どれもテープの始めまで巻き戻されていた。彼は、このビデ
オをそれほど頻繁に「参考」しているのだろうか。
「ふふ、なんだか秘密握ったり〜ですね」
 ほくそ笑んで、私はリモコンの再生ボタンを押した。ゴム製のボタンの感触を指に受け、
大量に用意したどのお菓子を食べながら見ようかな、と考えていた時。
「?」
 何やら今まで見たこともない『ネコミミマニアック・リプレイ』などというタイトルが
表示された。
 始まった。
 『本番』は、十八分目からだった。

                ※

『聞いて下さい酷いのですよ真希子さんっ。なんでネコミミですか? 人じゃないのです
よ? 肉球つけていましたよ? あろうことか初めての設定で四つん這いでしたよ!?』
「いや、あたしに言われてもさあ……」
 旅先で鳴った携帯電話は全部無視するぞ、と心に決めていた――割に電源を切っていな
かった辺り小心者だったりするのだが――あたしであるが、一週間に渡るバカンス初日に
いきなり鳴りだした携帯のディスプレイに表示されたのが親友の名前では無視するわけに
もいかず、出た。
 ……出て後悔した。
 いきなりネコミミ?
 相変わらず動転するとわけわからない小娘である。
『それはいやらしい作品だって需要があるのは認めます。ですけど、それこそ所持するの
は需要のある方なのではないですか? すぐそばに足しげく通うわたしというものがあり
ながら、そのわたしに何もせずにあのようないやらしくも購買層を限定するビデオを後生
大事に抱えているのは侮辱以外の何ものでもありません。そうですよね、真希子さんっ』
「あー、うん、そうかも。海キレー。珊瑚キレー。来て良かったー」
 海がエメラルド色に輝いている。日本人として生まれて二十二年ほど経つけれど、これ
まで一回も沖縄に来たことがなかったのは汚点以外の何ものでもないわ、これは。
 そう言えば、彼女――三沢華名(みさわ・はな)も本州を出た経験はなかったはずであ
る。
 うん、認定。
「あんた、日本の汚点認定」
『う〜、真希子さん、聞いていませんでしたね〜』
 耳に当てた携帯から恨みがましい声も聞こえてくるが、彼女がいるのは遥か距離を隔て
た日本の首都東京。今頃カンカン照りの太陽に焼かれたアスファルトがいい具合にやわら
かくなっていたり、ビルの窓で反射した太陽光で鳥が飛んだまま焼き鳥になるような修羅
の世界だ。
 風が吹く。
 太陽の光は東京よりも強いくらいなのに、さわやかな風。
 目に見える海は映像や写真でしか見たことがないエメラルド色で、あたしは初めて海と
は美しいものなのだということを実感した。
 うん。
「すっげーいい感じ。沖縄マンセー」
『もういいですっ。真希子さんなんて大王イカに食べられちゃえばいいんですっ』
 ブツン。
 切れました。
 と、思ったら、あたしのすぐ隣で再び携帯電話のコール音。
 それに応えるのは、あたしの連れだ。
「はい、俺。姉貴どうしたの。は? ああ、伝えとく」
 あたしの方を見て苦笑気味に言う、あたしの年下の彼氏。姉に似てたいそうな美形なの
だけれど、姉のような白いイメージのない、どこか意地悪そうな中学生。
「『真希子さんのペチャパイ』――ぐおっ!?」
 反射的にヒールの先端を愛すべき彼氏――華名の実弟である真樹(まさき)の腹に叩き
込んでいた。自分でもびっくりするくらいの会心の前蹴りで、ぐぽって音がしそうなイメ
ージ。
「が……はっ……い、いまぐぽって……ぐぽっていった……?」
「いってない、いってない。こつん、程度」
 携帯耳に当てたままうずくまって呻く真樹に、あたしは頬を掻いて最大級の謝辞を述べ
た。
「最大級にごめん」
「あ、あとで覚えてろ……ぐう、で、姉貴、どうした」
 あ、自分の痛みよりも姉を優先してるよ、ブラコン弟。こういうところにはムッとくる
ところがないではないが、親の顔すら覚えていないっていう真樹を育てたのがあの華名だ
というので、そこは我慢するしかない。
 あたしは『故在れば許す女』なのだ。
 で。
「ビデオぉ? あのおっさん、んなもんで処理してたのかよ。むかついたなら別れちまえ。
ああ、別れろ。あんな野郎やめとけ。いい機会だと思って……って切りやがった」
「ベタ惚れだもん」
 面白くなさそうな弟君に、あたしは言ってやるのだった。

                ※

「なんですか、真樹くんったら。監督のことを悪く言うのは許しませんよっ」
 頬を膨らませて携帯電話に怒鳴って通話を切ると、わたしは再びテレビの前に正座して
再生ボタンを押す。
 途端、わたしと変わらない歳の女の子の恍惚とした笑顔が画面に大映しにされて、わた
しは思わず身を退かせた。
『は……んんっ』
 ベッドの上に四つん這いになり、高く上げた腰をなやましく左右に揺らす。すでに行な
われた行為によって汗ばんだ尻が桃色に色づき、すでに何度も男性のものを受け入れた秘
部はテラテラと粘着性の液体で照り輝いている。
『ご主人……さまぁ』
 ごくり、とわたしの喉が鳴った。そして、すぐにそのことにわたしは自分の頬が熱くな
るのを実感する。
「わ、わたしったら何を……く、クーラーが弱いですね」
 接し二十五度設定から、一気に二十一度へ。クーラーの風の音がぐっと大きくなり、ビ
デオからの嬌声をかき消──。
『ああああああ!』
 ──さない。
「うう……」
 何故か腰が落ち着かないというか、正座しても身じろぎしてしまうのは、きっとビデオ
のせいで……。
 とりあえず、わたしは『消音』のボタンを押して、ビデオの音を消した。でも、映像は
流すままにする。
「な、何か理由があるのかもしれません。凄い輝く演技があるとか……」
 しかし、何事もなく、一時間に及ぶプレイや終了してしまう。
「……もう一回」
 巻き戻し。
 再生。
 一時間後。
「…………」
 結局、何もわからなかった。いや、わかったのかもしれないけれど。
 彼がこのビデオを所持していたのは事実なのだから……。
「ぷくー、ですよっ」
 思い切り怒りを言葉で表現して、わたしは立ち上がる。二時間に渡って正座していたの
でよろめいて、その拍子にテーブルの角にスネをぶつけてしまい、二分ほど声もなくうず
くまる。
「…………ぁぁぁぁぁぁ」
 声が出たのは三分目ほどで、涙の浮かんだ目を手でぬぐって、今度こそ立ち上がる。
 今やるべきことは、一つだ。

                ※

 彼女との出会いは、二年前に遡る。
 当時の彼女はまだ高校生だったが、現代社会にいは珍しいほどの自然な清楚さでまず周
りとの間に大きな隔たりがあった。生まれながらに与えられた美しさに加え、彼女の歩ん
できた人生を語るかのようなその清楚な空気。
 ──白い。
 そう人に思わせる、一目で思わせる、純白の花。
 ただ立つだけでそれだけ人に注目させる存在に出会えたことは、映画監督冥利につきる
といえばつきる。
 問題だったのは、俺の主催する映画のオーディションにやってきた彼女が、どうしよう
もない大根役者だったことだ。
 彼女はアイドルの素質はあっても、役者の素質は無い。あまりにも自然体すぎて、白す
ぎて、様々な人物を演技しわけることができない性分だったのだ。
 つまり、まあ、ただ単に綺麗なだけの女の子だった。一生懸命演技しているのには好感
がもてたが、ただそれだけではヒロインに抜擢などできない。
 一通りの演技を終えた後「この子はもう落とそう」と決めていた俺は、最後の課題であ
る泣きの演技を要求した。
 そして、審査員席からずり落ちた。
 要求から、五秒も経っていなかっただろう。明らかに素人な少女が、本物の涙を流した
のだ。プロですら、涙を流すにはそれなりの心構えを必要とするというのに、突発的な要
求に、彼女は答えた。
 さらに言うなら、その涙の人の胸を打つことは凄まじかった。口を押さえ、ハラハラと
涙をこぼす彼女の周りで他のヒロイン候補たちが我を忘れて見入ってしまったほどに、そ
の涙は美しく、悲しかった。
 ──結局、俺は彼女を採用した。
 その映画は駄作と言われ、プロデューサーからは散々に叩かれることになったのだけれ
ど、それでも俺は本望だった。知り合い、そして知り合いではない多くの業界人から、映
画のワンシーン──ヒロインが涙を流すシーンに対して大絶賛を受けたからだ。
 鬼才だとか、偏屈者だとか、金持ちの道楽だとか色々言われてはいるが、俺は俺なりに
映画を愛しているつもりだし、他人にどうこう言われる筋合いは無い。
 だから、あの映画は良い映画だ。
 見るべき箇所が涙しかないあの映画は、未だに俺の最高傑作と自負している。

                ※

「あいつに会ってから、丸二年か」
 安っぽいタバコをくわえて帰路につきながら、俺は右手に持ったケーキの箱に視線を向
けた。今日は大学が休みなので、きっと俺の家でビデオでも見ていることだろう。二人の
記念日……と言うとクサイが、特別な日にケーキくらいしか思いつかなかった俺は、もし
かしたら自分で思っていたより不器用な男なのかもしれない。
「……あの日も暑かったからな……」
 思い出しもする。
 二年前の出逢いの思い出と、一年前の恥ずかしくなる思い出。
「今年の夏は、あいつとどういう思い出ができるか……」
 呟く俺は、やっぱりクササを隠せない不器用な男だ。
 まあ、幸せボケということにしておこう。この猛暑でケーキのドライアイスが駄目にな
ってしまう前にと足を速め、東京での自宅としているマンションに向かう。
 そして、扉を開けた俺はその場面に直面することになった。
 ──テーブルの上に置かれたタイトルの書かれていないビデオテープ。
 ──ネコミミ裸エプロンで神妙な顔で正座する恋人の姿。
「……悪い思い出かよ……」

                ※

 二週間ぶりの彼女の肢体は濡れ、とても情熱的だった。

                ※

「ケーキが駄目になった」
 そう呟く彼の言葉を枕元に聴きながら、わたしはまどろみの中で微笑んでいた。
(やっぱり、ネコミミだと違いますね〜)
 今年も思い出深い夏になる予感がした。


                                   終


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