覇皇伝ストライク・セブン
1話
「赤い剣士」
1
古代人と今の人間が呼ぶ人々の時代が終わってから数百年。
栄華を極めながら、それを理由に亡びた古代人の遺産を適度に受け継いだ人々は、国を
作り日々の生活を営んだ。
しかし、国というものがある限りその間での摩擦は起こり、それは小さなきっかけで世
界中を巻き込む大戦へと発展していった。
戦乱は長期に渡り、人々の疲弊が限界に達した時、彼らは現れた。
『ストライク・セブン』
女神の持つ七つの武器ストライク・セブンを授かった戦士たちの集団。戦場を駆け抜け
た彼らの活躍で、世界大戦は急速に終結へと向かった。
平和は再び訪れ、人々は二度と大戦が起きぬよう願い、日々の営みへと帰っていった。
そして、50年あまりの歳月が過ぎ去った。
女神の大陸アンザスには四つの王国が生まれ、そのうち二つが大きな勢力を持った。
西のイデリア王国と東のロモス王国だ。だが、世界は統一へとは向かわない。東西どち
らかの大国が相手に攻め入るには、必ず北のヒシュハ王国か南のウルグアン王国の領土内
を通らなければならないからだ。
大国に小国が従属するのは無意味である。同盟し、侵攻に協力したとして、片方の大国
が消滅した時、取るに足らない小国をどうして残った大国が放っておくだろうか。
武力による強引な侵攻も、不可能である。二つの小国が相手側につけば、その時点で勝
敗は決まってしまう。
四国は、微妙な均衡の上に戦争の無い五十年間を過ごし、地図上の位置関係からこの状
況を人々は「平和のダイヤ」と呼んで歓迎した。
国境線の小競り合い程度しか問題が無くなった国々は、喪失技巧と呼ばれるようになっ
た古代人の遺産の研究に力を入れるようになった。
時代は、まさに発展こそが流行となりつつあった。
そんな時代の東の大国ロモス王国である。ついでに言うのであればその西端、ヒシュハ
王国とウルグアン王国の国境にほど近いドノヴェ公領の、さらに言えば北方付近の荒野を
歩いている青年がいた。
鉄道もまだ引かれていないその荒野を歩いている青年は、背丈が百五十ミル(約百八十
センチ)ほどで、やや長めのざんばらな黒髪をしている。顔の線が太く、頼りがいを感じ
させる男臭い顔立は、美形というほどではないが人好きのする顔だ。
厚手の服を着て、両腕には肘までの革の腕当て。指の先が出たグローブ。使い古された
ブーツ。そして、柄に巻いた布もぼろぼろな長大な剣を背にしている。腰にも剣を帯びて
いるが、そちらはまだ新しく見える。右肩にはリュックを引っかけていた。
旅の剣士、だ。
街道も無いその荒野で、青年は前方にある山を眺めた。北の名峰カガルーンだ。ロモス
王国一の大河カガルアンはカガルーンから湧き出る水が束ねられたものである。
青年はそれを確認し、歩みを止めずにカガルーンへと向かっていった。他に人はいない。
それもそのはずで、カガルーン山の前にある荒野にはドラゴンが出るのである。
ドラゴン、それも最も凶暴とされる肉食獣のキラー・ドラゴンの徘徊する荒野を一人で
渡ろうとする者はいない。迂回するか、大きな商隊を作るかをする。
もちろん広い荒野のこと、ドラゴンに遭遇する確率は低い。
それでも、感嘆に値する度胸だと言えるだろう。
もしくは馬鹿というのだろうか。
※
名峰カガルーンに到達すると、青年はリュックの中から発煙筒を取り出し、マッチで火
をつけた。すぐに白い煙の線が空に昇っていく。
「ジザに会うのも久しぶりかな」
独り呟き、山の木々の一歩手前でそびえ立つカガルーンを見上げる。
大きな山だ。
「変わらないな。……前も同じ季節だったか?」
「大違いだよ!」
怒鳴り声は唐突だった。同時に、目の前の木から投げ槍が飛んでくる。目を見開いた青
年は、その投げ槍を左手で払った。払ったと思えば、槍は青年の手に掴まれていた。
「誰だ!」
「誰だ、だって? 酷いよ。わたしの声も忘れているんだから!」
鷲の声がした。巨大な鳥の羽ばたく音が上空から迫り、見上げた青年は突っ込んで来た
巨大な生き物から地面を転がって逃げた。
着地したのは、鷲の頭、鷲の翼、獅子の前足を持ちながら馬の身体を持った生物、グリ
フォンだ。カガルーン山の名物であり、肉食の恐ろしい猛獣である。
そのグリフォンが、後ろ足で立ち上がり、大きく鳴いた。立ち上がった青年は、グリフ
ォンの右の前足に赤い布が巻いてあるのを見て、あっ、と声を上げた。
「ギューイ!」
「それは正解」
がさり、と木が揺れ、人影が青年の前に立った。その姿に、青年は眩しそうに目を細め
た。
癖のある黒髪を短くまとめたその少女は、良く陽に焼けていて健康美という言葉が相応
しかった。山で暮らす民らしく厚手の服を着て、飾り気の無い丈夫そうなズボンを身につ
けている。手には、革のグローブをしていた。
無骨なゴーグルを剥ぎ取ると、意志の強そうな、良くも悪くも退くことのなさそうな黒
い瞳が露わになる。
「三年!」
と手にした槍を青年に突きつけ、少女は怒鳴る。
「三年も戻ってこないなんて……薄情者!」
「ごめん、こっちにも色々あったんだよ。大きくなったね、アリエス」
そう言って青年は微笑み、投げ槍を少女に返した。百五十ミルの青年との身長差はかな
りある。目分量で背丈は百二十六ミル(約百五十一・二センチ)くらいだ。
ぶすっとした顔で投げ槍を受け取ると、アリエスはだっと駆け出してギューイと呼ばれ
たグリフォンの手綱を取ると、一息に飛び乗った。
「乗って。用があるのはわたしにじゃなくて、お父さんたちになんでしょ?」
「突っかかるな……何か俺、悪いことしたかい?」
困ったように青年が言うと、少女は視線を逸らし、自分の座る鞍の後ろを叩いた。迷惑
そうに鳴くグリフォンに、青年は馬に乗る要領でひらりとまたがった。慣れた手つきで鞍
の固定具を自分の腰に装着する。
「……もうちょっとたくさん会いに来てくれたっていいじゃない」
「なに?」
「なんでもないっ。ギューイ」
アリエスが呼びかけると、ギューイは一際大きく鳴いて走り出した。短い助走から翼を
羽ばたかせて空へと舞い上がる。
本当に久しぶりにグリフォンに乗った青年は、顔を輝かせて耳元を過ぎていく風の騒音
を堪能した。上昇はあっと言う間だ。すぐに平行移動に移ると、視界は鳥の世界へと変わ
る。
背後に今まで歩いてきた荒野が広がり、カガルーン山の中腹辺りの高さのその正面には、
カガルーン山と隣の山との間の渓谷に張り出した茸の傘のような大地の上に広がる集落が
あった。
「すぐだからね、ウリック。みんな、ウリックが来るのを楽しみにしてたんだから!」
2
グリフォン使いの村、ムンサ。
渓谷に住む危険な肉食獣を使役し、生活に役立てている特殊な民がムンサの民だ。この
村に住む者は皆が生まれた時にグリフォンの赤子を与えられ、同じ乳を吸って育つのであ
る。
そうして共に育ったグリフォンは『つがい』と呼ばれ、その一家の一員として扱われる。
ムンサの民にとってグリフォンとは家畜ではなく、大切な家族なのだ。
アリエスの『つがい』であるギューイに乗ってムンサに辿り着いたウリックは、固定具
を外すとすぐに地面に降り立った。固定具すらつけていなかったアリエスもそれに続く。
「よく来たね、ウリック。今回は三年ぶりか」
「ジザ、久しぶりです。村の方は変わりないようで」
「変わっているよ。色々と」
ふと、ウリックを出迎えた中年男のジザの表情に陰りが差した。
「俺は年を食ったし、娘はでかくなった。なあ、アリエス」
「え? う、うん」
斜め後ろからウリックを眺めていたアリエスは、父親の言葉にはっとしたように振り返
り、こくこくと頷いた。
ジザは苦笑し、行きなさい、と言った。
「でも、せっかくウリックが来たのに──」
「昨日から狩りをさぼって何をしていた? ウリックはまだ着かないと言っていたのに、
ずっと山の入り口で待っていただろう。皆はお前の分まで働いたんだぞ」
「な、なんで知ってるの!?」
まずい、という感情を表に出して、アリエスは慌ててギューイにまたがった。飛び立た
せようとして、その前に言う。
「ウリック、わたしが戻るまで帰っちゃ駄目だからね!」
「やれやれ……」
ウリックの代わりにため息をつき、ジザは渓谷の間へと飛び去っていくグリフォンを見
送った。
「あれももう十四だというのに……グリフォンの扱いばかり上手くなって困る」
「グリフォンの扱いが村での価値でしょう?」
「あれは女だ。いつまでも狩りに出すつもりはない。……元はと言えば、お前が悪いんだ」
「はあ?」
ウリックが首を傾げると、ジザは舌打ちして立てた親指で建ち並ぶ家の一つを示した。
「とりあえず茶くらい出すぞ。お前の用件はその後に聞こうか」
※
(ウリックが帰ってきた!)
誰も見ていない渓谷の間の飛翔の合間、アリエスはギューイが飛ぶのに任せてその鷹の
毛並みの見事な首に抱きついていた。
飛ぶのに不便そうにしながら、しかし自らの『つがい』の感情に引きずられるようにギ
ューイも機嫌の良い鳴き声を上げる。
警戒などしない。空の生き物の中でグリフォンに匹敵する生物はいない。
グリフォンは自由に飛び、自由に喰らう。恐れるものの無い空で遠慮することなど愚か
しいことだ。
もう一度、ギューイは高らかに鳴いた。
狩りということから考えたら獲物に逃げられてしまうが、今はそんなことはどうでも良
かった。『つがい』の喜びはギューイの喜びだ。
「ギューイ、ギューイ、ウリックだよ。憶えてる? ギューイの足に赤い布をくれた人だ
よ」
もちろん、ギューイは憶えていた。グリフォンはもともと賢く、さらにムンサ村のグリ
フォンは人と共に学んだのだ。言葉は完璧に理解するし、種族の違う人間の感情というも
のも大体理解できる。
それらのことを総動員して、ギューイはウリックのことを『恩人』『つがいにとって特
別な人間』と記憶していた。
「わたしが大きくなるまでにウリックがおじさんになっちゃうかと思ってたけど、あんま
り老けて無かったよね。あの時が二十三歳だから、今年で二十六歳なのに、ああいうの童
顔って言うのかな?」
『つがい』はこれ以上なくご機嫌だ。人前ではしゃぐことがない『つがい』が自分と二
人だけの時だけは素直に心の言葉を話すのは、ギューイにとって密かな自慢である。
だから、ギューイは見逃していた。
自分の遙か下を通り過ぎた、凶暴な生物の存在を。
この時のギューイは『つがい』の感情のままに、懐かしい思い出の中へと導かれていた
のだ。
※
ウリックがやって来たのは、五年前の年始めのことだった。幼いアリエスはどうして大
人たちがよそ者である彼を丁重にもてなしているのかわからず、勝手にウリックのことを
どこかの国の王子様だと結論づけたのだ。
子供たちの情報は早い。すっかり王子様ということになってしまったウリックは、子供
たちにどこの国の王子なのか質問責めにされたりした。
誤解が解け、ウリックが王子ではなくただの剣士だということがわかっても、子供たち
の興味は尽きなかった。
少年たちは剣士というものに憧れたし、少女たちはウリックの話す外の世界の話に憧れ
たからだ。
ウリックは、どこかお人好し過ぎるところもあったが、優しい年長者だった。皆がウリ
ックを慕い、大人たちもアリエスたちにはわからない理由で彼を大切にした。
だがそれでもあくまでウリックはよそ者であり、いつか去っていく者だった。そのこと
は全員がわかっていたし、アリエスもわかっていた。
アリエスにとってウリックの存在が特別なものになったきっかけの事件は、ウリックが
村を去る数ヶ月前に起きた。
飢えたキラー・ドラゴンが、餌を求めてカガルーン山に入り込んだのだ。そのことを知
らずに、まだ大人になっていないギューイに乗り込んで飛翔していたアリエスは、予想も
しなかった位置からの襲撃に致命的な一撃を許したのだった。
キラー・ドラゴンは、谷から飛び降りてグリフォンを真上から襲ったのである。それは
空腹がさせた無謀だったのだろうが、キラー・ドラゴンは持ち前の耐久力としなやかな筋
肉で着地を成功させた。
直撃を避けたものの、鋭い牙を受けたギューイは力を失って落下し、アリエスも地面に
叩きつけられた。
初めてギューイに乗った時にも感じなかった死というものを迫るキラー・ドラゴンの冗
談のように大きい口に見て、アリエスは逃げることすら出来なかった。
グリフォンは、ムンサの民の最高の力だ。その力が負けることなど有り得ないと信じて
いた少女は、ギューイにしがみついて目を瞑った。
獣の悲鳴が耳に届いたのは、すぐ後だ。
アリエスはまず自分が無事であることに驚き、そして、巨大な爬虫類が牙を折られ地面
をのたうち回っている姿にもう一度驚いた。
「大丈夫か?」
と。
いつも腰に帯びていた剣を手に持ち、レッサー・ドラゴンを警戒する厳しい横顔のウリ
ックを見た時、彼はアリエスにとって英雄になったのだった。
牙を折られたレッサー・ドラゴンが逃げ、怪我をしたギューイの右前足に赤い布を巻い
たウリックは、アリエスを抱えてムンサ村に帰った。
それ以来、アリエスはことあるごとにウリックにまとわりついたのだ。
ウリックが去った、三年前まで。
※
懐から小さな鏡を取り出したアリエスは、そこに映った自分の姿に不安になった。
(わたしは変わった? 三年前から変われた?)
励ますようにギューイが鳴き、アリエスは頭をぶるんと振って拳を空に突き上げた。
「よーし、今日は大物を獲るんだから!」
賛成する鳴き声が発せられ、一対の人とグリフォンはそこから音も立てずに移動を開始
した。
狩猟が始まったのだ。
3
ジザの家に招かれたウリックは、出された茶を啜りながら席についたジザと村長のマズ
と話していた。
用件を伝えると、二人はすぐに頷いた。
「クレストを持ち帰ると……あれはもともとあんたのものだ。わしらにはどうする権利も
無いさ」
村長のマズは、世界的な平均寿命から見て長寿な八十過ぎの老人だ。すっかり筋肉が衰
えて皮と皺ばかりになっているが、まだまだ元気そうだ。
明るいマズの表情に比べて、ジザの表情は複雑だった。
「難しいな……あれのおかげで俺たちは冬をかなり楽に過ごせる。もっとも、頼り切りに
なってしまうのも問題だけどな」
「俺も無理にとは言いません。ただ、知り合いが研究用に欲しいというだけですから」
クレストとは、印貨のことだ。
古代人の遺した喪失技巧の一つで、紋様の描かれた宝石で作られた印貨には自然の力が
凝縮して詰め込まれ、不可思議の力を操ることが出来る。
「まあ、数え切れないくらいの金になるものをタダで借りてたんだからな、文句は言えな
いか」
そう言って、ジザはウリックを見た。
「あれは俺の『つがい』に守らせてある。明日には返すから、今日はうちに泊まっていけ。
どうも今のお前は返したらすぐにどっか行きそうな気がする」
「そんな薄情者に見えますか?」
「それは薄情者の顔だ」
ウリックは頭を掻き、そうかなあ、と呟いた。
それから、とジザは席を立って言った。
「俺よりお前の方が年上なんだから、そのしゃべり方はよせ。イライラする」
「……どこへ?」
「茶がもう無いだろう。一番下の者がやることになっている」
足早に厨房の方へと歩いていくジザを見送ると、ウリックは瞼を下ろして茶の最後の一
口を含んだ。
沈黙に、マズがやんわりとした声音で言う。
「許してやるんじゃな。あいつも昔はあんたに懐いていた口じゃから、複雑なんじゃよ。
なあ、アリエスのこともあるし」
「アリエスが?」
「大きくなったじゃろう」
「まあ、三年ですから」
特に反論も無く頷くウリックに、マズは目を三日月にした。
「あれは美人になるぞ。今はまだだが、そのうち皆が気づく。この村にいればただの娘と
して一生を終えるが、外の世界に出れば周りが放っておかんほどにな」
「そうなるといいですね」
嬉しそうに孫を語る老人に、ウリックは苦笑するしかなかった。
何より、とウリックは思う。
(もう、そういう話題で楽しめる歳じゃない)
だが、マズを見ていると歳を取ったから楽しんでいるようにも見える。
「時に、あんた正確には今年で幾つになったんじゃ?」
「ああ、俺ですか? 今年で七十九歳ですよ」
どこか吹っ切れたように、だが寂しそうに、複雑な笑顔でウリックは応えるのだった。
※
「アリエス!」
村に戻る途中で知り合いの少年に呼び止められたアリエスは、ギューイを制止させて振
り返った。
「ラギ、どうしたの?」
「ウリックが帰ってきたって、知ってるか? お前朝から狩り行ってたんだろ?」
「知ってるよ」
あっさりと応えるアリエスに、ラギという名前のがっしりとした体格の少年は、おや、
という顔をした。
「なんだよ、誰かに教えてもらったのか?」
「ウリックを村まで運んだの、わたしだもの」
「ああ、お前まさか狩りを抜けて……だあっ!?」
びゅんと顔の近くを槍に通り過ぎられ、ラギは引きつった顔でアリエスを見た。アリエ
スは槍を持っていない方の手の人差し指を伸ばし、唇に当てていた。
「黙っててよ。みんなに言ったら絶交だからね」
「絶交って……お前なあ」
呆れた顔になるラギに口をへの字にして、アリエスはチラリとギューイに縄でくくりつ
けた数羽の兎を見た。
「その分、一人でたくさん狩って来たんだからいいでしょ」
「俺は後処理の班だったけどな、俺たちは今日ウリックが来る日だったから鹿を狩ったん
だよ。お前、そんな兎くらいでどうするんだよ」
「う……っ」
「お前、そんなだから昔もウリックに構ってもらってたんだよな。ウリックも、アリエス
は危なっかしい、ってさ」
ニヤリとラギは笑い、肩をすくめた。馬鹿にされたアリエスは、槍を投げてやろうかと
思ったが、さすがにそれはまずいのでふてくされた。
「それは昔の話でしょ」
「いや、俺は今の話をしているんだが」
「ラギ嫌い。ギューイ、行こ」
「ははは。いじけんなって」
ギューイが村に降り立ち、続いてラギのグリフォンが降り立って翼を収める。村に戻っ
てみると、確かに鹿が横たわっており、アリエスはちょっと自信なさげにギューイから兎
を外した。
すると、ちょうどよくアリエスの家からウリックが出てくるところだった。さっとギュ
ーイの後ろの隠れたアリエスは、ウリックがキョロキョロと周りを見回しながら村を山側
へ出ていくのを見て、一つのことを思い出した。
「ラギ、これわたしの家に持っていって」
「ああ?」
ぽんと投げられた兎を受け取ったラギは、引き止める間もなくアリエスが駆け出したの
を見て、ギューイに向かって呟いた。
「お前の『つがい』はわかりやすいよなあ」
ギューイがラギの側頭部をくちばしで突いた。
背後で悲鳴が上がったのを無視して駆けたアリエスは、村からほど近い山の中の広場へ
と急いだ。
案の定、ウリックはそこにいた。
「アリエス、戻ってきたのか」
「戻ってきたのはウリックだよ」
へへん、と人差し指を立てて言うアリエスに、ウリックは微笑んだ。その場で腰の剣を
抜くウリックに、アリエスは切り株に腰を下ろした。
ウリックが剣を振り始める。
三年前、アリエスたちに剣を教えてくれた後に自分の訓練をしていたのをアリエスは知
っている。皆で見物し、見惚れたものだ。
ウリックが剣を振るう度に、空気が割ける。縦に割け、横に割け、斜めに割ける。それ
が連続し、さらにウリックは正面を向いたまま右を、左を裂く。
すると、アリエスはちょっと試したくなって足元に落ちていた拳よりやや小さいくらい
の石を広い、ウリックに投げた。
後ろからのそれを、ウリックは振り返り様に横一文字に斬り裂く。
文字通り、斬り裂いた。石が上下に割れて地面に落ちる。
「ふわあ……やっぱりウリックは凄いね」
「ありがとう」
「?」
まただ、とアリエスは思った。
ウリックは、強いと褒めると苦笑する。
「喜べばいいのに」
「え?」
「ウリック、強いって言っても嬉しそうにしてくれないんだもの」
「そ、そうかな……でも、きっと今だけだよ」
「ううん、三年前もそうだった」
「三年前って……憶えているのかい?」
「あ、失礼な」
むっとして、アリエスは一つずつ指を立てて言った。
「ウリックが兎肉好きなことも、ウズラの卵を好きなことも、お父さんが真っ赤になるま
で飲んでもウリックは全然平気な顔をしてたことも、ちょっとそれで人生大丈夫かなって
くらいお人好しなことも憶えてるんだから」
「お人好しって……そうかなあ?」
「そうだよ」
頷く。
「『わかってる』のにラギの初めての罠に引っかかって上げたり、やっぱり食べられない
と『わかってる』のにわざとわたしたちの毒葡萄食べたり」
「……なんだかいきなり君がにくらしくなってきたな……」
「あと、そんな風に言うだけで笑っているところとか」
クスクスと笑って目を細めるアリエスに、ウリックは剣の振りを再開しながら言った。
「そう言えば、三年間も経ったんだし、色々話してくれるかい? みんな、どんなふうに
過ごしてた?」
「もちろん。聞いてよ、ウリックが帰った後の夏のお祭りなんか──」
剣を振るウリックの横顔を見つめながら、アリエスは身振り手振りを交えて思い出を伝
えた。
思う。
話すことで、一緒にいなかった時間が埋まれば良いと。
大切な人。
そういう感情をどう表せばよいのか、まだアリエスにはわからなかった。
4
ウリックがムンサ村にやって来て、三日が経った。クレストの受け取りはすぐにでも出
来るのだが、ウリックが戻ってきたことを祝って村の皆で宴会を行ってくれるというので、
ウリックは滞在を続けていた。
だが、一番の理由は。
「居心地良いし」
ということになる。
「最近は喪失技巧の復興が流行りでね、どこの貴族も領内に研究所を作って競いあってい
るのさ。蒸気機関車は知っているかな?」
子供たちが首を横に振ると、ウリックはどう説明したら良いか少し考えた後、自分も頭
を捻りながら言った。
「電車っていう……雷を利用する馬のいない馬車が大昔あってね、それを雷じゃなく石炭
で動くように工夫した乗り物さ。石炭がある限りずっと走るし、一度にたくさんの物を運
ぶのに適している。ここ数年で広まった乗り物さ」
ウリックの語ることは外界とあまり接触の無いムンサ村の子供、または大人にとっても
興味深いものだった。
それだけでも歓迎するに充分なのだが、さらにウリックを歓迎する理由がムンサ村には
あった。
「それが、あの剣だってよ」
ラギが顎で示したウリックの背中の剣を、アリエスは見た。柄に巻いた布もすっかりボ
ロボロな剣だ。腰の剣よりもずっと長く、扱いが難しそうだとアリエスは思った。
「ずっと前にこの村がドラゴンの群に襲われた時、あの剣を持っていた人が村を救ってく
れたんだって。それ以来、あの剣を持っている人は無条件に歓迎するってことになってる
らしいぜ」
「それはいいけど、どこでそんなこと聞いてくるの?」
「寄り合い」
「ずるい、わたしは参加できないのに!」
「男の集まりだからな」
へっへーとラギは舌を出して優越感を示した。
子供たちがウリックの話に笑った。ウリックも、楽しそうに笑っている。
ラギと一緒に少し離れたところからそれを見ていたアリエスは、最初は微笑ましそうに
していたが、段々と頬を膨らまし、やがて明らかな不機嫌顔でそっぽを向いたりウリック
を見たりを繰り返した。
すると、ウリックが気づいて、
「おや?」
という顔になる。
アリエスは気づいてもらったので途端にえへへと笑った。
「……なんか、お前って構って欲しい時のグリフォンみたいな」
アリエスは無言でラギの足を踏んだ。
ラギの悲鳴に、ウリックは笑う。
「ラギ、そういう時は構って欲しい時の犬みたいって言うんだよ」
さらにアリエスの蹴りがウリックの側頭部を打った。
子供たちがきゃっきゃっと喜び、アリエスが真っ赤になりのっしのっしと歩き去ってい
く。
「ウリックの馬鹿っ」
アリエスが手を挙げると、ギューイが駆け寄って来る。駆けるギューイに器用に乗ると、
アリエスは一気に空高くへと舞い上がっていった。
「あらら……怒っちまったぜ? ウリック、俺知らないからな」
「今のはラギのせいだと思うんだけど……」
「あーあ、アリエスが泣いてたらジザがめちゃくちゃ怒るよなあ」
「いけないんだー!」
ついに子供たちにまで指差されて言われ、ウリックは立ち上がった。ギューイが飛んで
いった方向を目の上に手で覆いを作って確認すると、早足に歩き出す。
その横顔が真剣なものになっているのを見たラギは、心底呆れたように呟くのだった。
「泣いてるかもってだけで真剣になるってのが……やっぱりウリックだよなあ」
※
「馬鹿、ウリックの馬鹿っ」
ぶつぶつ呟きながら、アリエスはギューイに気ままに空を飛翔させていた。男顔負けの
グリフォン使いのアリエスは、少々危なっかしい飛翔も簡単に成功させる。
ギューイが鳴いて問いかけると、アリエスは首を傾げて腕を組んだ。
「うん、ラギに言われても別にいいんだけど……ウリックに言われると、怒るっていうよ
りも馬鹿って思うの」
なんだそれは、とギューイがガクンと高度を落とすが、その影響は乗っているアリエス
には届かない。手綱をアリエスが手放している今は、ギューイの方でアリエスに合わせた
飛翔を行っているのだ。それが『つがい』の『つがい』たる所以である。
「あ……もっとウリックといたかったのに、出てきちゃった」
今さらながらに気がついて、アリエスは脱力してギューイの首に抱きついた。
『優しい年長者』
『幼い日の英雄』
『大切な人』
変化したウリックへの想い。
だが、そんなに大切な人ならばどうしてこんなふうに自分が取り乱して空を飛んでいな
ければならないのか。
うーん、と考え、アリエスは頭が痛くなってきた。
「ウリックがいれば楽しいはずのに……どうしてこんなに頭が痛いんだろ?」
もうすぐ、彼はまたいなくなるのだ。だから、別れ際には今度はもっと早く帰ってこい
と注意を入れて……。
「やだ」
同時にギューイも鳴いた。
「やだっ」
二人の声は重なり、響き渡る。
「やだ!」
『つがい』たちは互いの感情を重ね合わせ、叫んだ。
嫌という気持ちがギューイに流れ込んで、ギューイはせつない声で鳴いた。
(行っちゃ嫌なの……離れたくないの)
頭が痛い、とアリエスは思った。とても頭が痛い。
そして、胸が痛かった。
(苦しいよ……)
もしアリエスに適切な助言を与える年長の女性がいたならば、彼女の欲しがっている答
えを与えてくれただろう。
だが、アリエスの母親は彼女が幼い時に亡くなり、村の女たちはアリエスの様子を微笑
ましく思い、遠回しな言葉を与えるだけだ。
何事も白黒つける性質のアリエスには、現在の自分はとても不本意なものであった。
と、ギューイは獣らしい鋭い感覚で自分の遙か下を何かが高速で移動しているのを感じ
た。
速い。空を飛ぶギューイと遜色無い移動だ。
ギューイはそのことを『つがい』に伝えようとしたが、アリエスはギューイの首に顔を
埋めて悩んでいる。
やや『つがい』よりも性格が大人なギューイは、今はアリエスをそっとしておいてやる
ことにした。
しばらく飛翔すると、下方の何かは速さを失い、後方に立ち止まった。
気にすることはない、空を飛ぶ自分には関係の無いものだ、と結論づけてギューイは心
ここにあらずの『つがい』のために、より丁寧な飛翔に集中した。
『つがい』に気晴らしさせてやるには、どこへ行けば良いだろうか。
そうして思いついた場所に、ギューイは向かうのだった。
※
「なんだ?」
山に入るとすぐにウリックは異常を感じた。目で見たわけではない。耳で聞いたわけで
もない。肌で感じた。
「まるで戦場だな……」
呟き、ウリックは足場の悪い獣道を走りだした。転べば軽傷ではすまない道だが、ウリ
ックは恐れることなく駆ける。ギューイの飛んでいった方向から見当をつけての移動なの
で、途中で目標が方向を変えていたら無駄に終わる捜索である。
「でも、心配だしなあ」
ぼやいて、ウリックは行く手を遮る張り出した枝や草を剣で切り払う。
「俺ってお人好しかな……」
何度も言われていることであるが、性分だけはどうしようもない。
それに、アリエスだ。
(想われるのは嬉しいけど……)
アリエスよりも経験が豊富なだけど、ウリックは本人よりもアリエスの状況を理解して
いた。
何度もあったことだ。
何度もアリエスと同じ視線を送ってくる者はいた。
(だけど、駄目なんだ)
決定的なものがウリックを押しとどめる。
(それに、俺はもう誰も愛せないよ。いや、アリエスが子供だからじゃなく)
何となく気を紛らわせるために自分で自分を茶化してみる。
そうこうしているうちに、ウリックは自分が囲まれていることに気がついた。舌打ちし
ても状況は変わらない。
「失礼。そこの人、グリフォン使いの住むムンサという村はどちらでしょう?」
「……さあ」
場所は比較的平地に近い場所だ。だが、周りは木々で視界が悪い。
ウリックに向けられた声は若い男のものだった。応えたウリックの言葉に、相手は森の
奥でしばらく沈黙した。
「……僕は大切なお遣いの最中なんですよ。出来るだけ早く仕事はすませたいんです。わ
かるでしょう? 相手がグリフォン使いということで、手駒を揃えるのに随分と時間を食
ってしまったし。正直、そろそろまずいんですよ」
相手がしゃべるのに任せていたウリックは、右斜め前に足を置き、胸の前に柄がくる高
さでやや右に剣を傾けて構えた。
「欲しいのは、クレストか」
「……誰です?」
不意に、声が低くなった。訝しるような声音に、ウリックは言った。
「お前こそ誰だ」
「せっかくだから応えましょう。僕はアミト・クラウス。知らないでしょうが、『ストラ
イク・セブン』……いえ、昔のものとは違いますが、『ストライク・セブン』で仕事につ
いている者です」
「ウリック・イモータル」
「ありがとう。知らない名前だ」
直後、森が鳴いた。
※
咆哮を聞いたアリエスはびくりと肩を震わせた。ブーツを脱いだ足を入れていた泉に波
紋が広がる。
「何、今の?」
自問しながら、アリエスは素早くブーツを身につけ始めた。
「ギューイ」
すでに『つがい』の考えを読んでいたギューイが頭を垂れると、アリエスはその背にま
たがろうとした。
だが、それよりも早くそれは来た。
派手な破壊音が木々を駆け抜け、邪魔するものを薙ぎ倒しながら咆哮が泉の脇の木を貫
いた。
まず突っ込んできたのは全体のバランスから見て大きな爬虫類の頭部だった。続いて太
い首、こっけいなほどに退化した前足、そしてしなやかな筋肉を備えた巨体を支える後ろ
足、最後に長い尻尾。
(キラー・ドラゴン!)
ドラゴンの中でも最も凶暴と言われる肉食種。グリフォンが空の動物の覇者ならば、地
上の動物の覇者。
しかしそんなことよりもアリエスを叫ばせたものがあった。
「ウリック!」
「ちっ。アリエス、逃げろっ」
キラー・ドラゴンの顔には、ウリックが張りついていたのだ。その右足はキラー・ドラ
ゴンの牙に捉えられている。鮮血が、ドラゴンの口を染めていた。
直後、アリエスは行動した。投げ槍をドラゴンの腹に向かって投げる。充分な勢いの乗
った槍はドラゴンの腹に突き刺さり、ドラゴンは口を開けてウリックを放した。
そこに、ギューイがドラゴンに飛びかかり、その獅子の爪をもってドラゴンの喉を深く
えぐり取った。
ドラゴンが悲鳴を上げ、地面に降り立ったウリックが剣を腰だめに構えてドラゴンに体
当たりした。剣は柄まで突き刺さり、ウリックはそれを一気に横に振り抜いた。
「はあああ!」
凄まじい断末魔の咆哮が上がり、ドラゴンの身体から力が抜ける。慌てて退いたウリッ
クの前に、巨大な爬虫類は身を横たえた。
ふう、とアリエスは息を吐いて、しかしすぐにウリックに駆け寄った。
「ウリック、足が──」
「まだだ!」
ウリックがアリエスを突き飛ばした。同時に森からもう一体のキラー・ドラゴンが猛烈
な速さで現れ、嘘のような正確さでウリックの身体をその牙に捉えた。
「いやああああああ!」
アリエスが悲鳴を上げ、ウリックの身体がドラゴンが顔を持ち上げる動きそのままに持
ち上げられる。
ごり、と咀嚼が始まる。
それでもギューイは獣の判断のままにドラゴンに挑んだ。鉤爪がドラゴンの身体に傷を
つけ、ドラゴンがギューイを見た。だが、ドラゴンはウリックの身体をくわえているため
に反撃することが出来ない。
ならば、とドラゴンは身体を大きく振って尻尾を薙ぎ払った。それだけで人間程度殺せ
そうな威力を秘めた尻尾は、ギューイが飛び上がったために木を薙ぎ倒すに留まった。
飛び上がったギューイはドラゴンの喉を裂く。悲鳴を上げ、ドラゴンがウリックを放し
た。
ウリックの負傷を別にすれば先程と変わらない展開に、アリエスは自分が何をすべきか
わかった。
槍を手にする。
それでも、足が動かなかった。
ギューイが鳴いた。ドラゴンが激痛に目を怒りに染めながらアリエスを見た。
ウリックが立ち上がったのはその時だ。
「おおおおおおお!」
雄叫びを上げ、ウリックが剣を振り上げる。再びウリックをくわえようと、ドラゴンが
顔を低くしてそのウリックに突っ込んだ。
ウリックが剣を振り下ろす。ドラゴンがウリックに突っ込み、一人と一匹は盛大な水し
ぶきを上げて泉へと落ちた。
静寂が訪れる。
呆然としていたアリエスは、水音に視線を動かした。
「ウリッ……ク?」
「久しぶりに……痛い」
そう言って、ウリックは再び泉へと倒れた。
ドラゴンの頭は、ウリックの剣によって真っ二つに断ち切られていた。
5
「大丈夫、こいつは死なない」
「どうして! 血がこんなに……死んじゃうよ。死んじゃう!」
「落ち着け、アリエス。ウリックは特別なんだ」
「そうよ、特別なんだから! 死んじゃ嫌なの! お願い、わたしすぐに帰ってくるから
お医者を呼びに行かせて!」
「アリエス!」
怒鳴ったジザに、びくりとアリエスは身体を震わせた。その涙で濡れた顔を両手で挟み
込み、ジザは顔を近づけて言った。
「いいか、ウリックは死なない」
「でも……」
「こいつの名前はイモータル……『死なない者』なんだ。何があろうとこいつだけは死な
ない。そういうふうに出来ているんだ」
「何を……こんな時に……っ」
「見ろ」
寝台に寝かされたウリックの腹の傷を、ジザは示した。アリエスはズタズタに引き裂か
れた腹を思い出し、顔を背けようとして、しかし視界に入ったそれに絶句した。
傷は、塞がりかけていた。
「こいつは、人間じゃないんだ」
言い含めるようなジザの言葉に、アリエスは床に膝を着いていた。
※
「どこまで言った」
村長のマズの言葉に、椅子に座りながらジザは応えた。声が重い。
「全部……ウリックが俺が生まれる前から生きていること。この村を救った英雄はウリッ
ク自身ということ。……あいつが、歳をとらないで生きること」
「いつかはわかることとはいえ……間が空きすぎたんじゃな、アリエスが生まれてからウ
リックは一度もこの村を訪れなかった。お前などは、生まれた頃からちょくちょくウリッ
クが来ていたんで、すぐにあいつが歳を取らないことに気づいたが」
「これなら、三年じゃなくて十年とか経ってから戻ってくれば良かった……どう見ても変
わらなけりゃおかしいくらいに」
「あの子は?」
「ウリックの側だ。……よほどきつかったのか、ずっと座りこんじまってるよ」
深く、深くジザはため息をついて両手の中に顔を埋めた。
「馬鹿野郎……たった一人の娘だぞ」
呪うようにジザが言い、ふむ、とマズは部屋の方を見た。
そこでは、アリエスが床に座り込んで膝を抱えていた。
「アリエス、もういいじゃろう。後はわしが看よう」
「……うん」
とりあえず、アリエスが小さく頷いたので、マズはホッとした。だが、すぐに眉根を寄
せる。
「泣いていたのか」
「だって……わたし馬鹿だ……」
アリエスは、手の甲で目元を拭って、立ち上がった。
「きっと色々驚かなくちゃいけないのに……わかんない。ウリックが大丈夫で嬉しい……」
目を丸くするマズを置いて、アリエスは小走りに部屋を出ていった。
しばらくして、マズはウリックに語りかけた。
「もう、いいじゃろう?」
「……けっこう前から」
「聞いたか?」
「…………」
ウリックは、寝転がったまま手を顔に当てた。
「なんで……」
「さあ、な。わしにもわからんよ」
ただ、とマズは孫娘について言った。
「あれは、わしらが思っているよりもずっと馬鹿じゃということじゃよ」
ウリックは瞼を下ろした。
「ドラゴンの集団が村に攻めてきます。避難を頼めますか?」
「わかった」
マズが頷いた時、外から獣の咆哮が届いた。二人は顔を見合わせ、ウリックはベッドか
ら跳ね起きた。その拍子に傷が痛み腹を押さえるウリックを見ながら、マズは呟いた。
「避難は、間にあわんな」
※
キラー・ドラゴンが十匹余りも村に現れていた。
襲いかかるドラゴンをグリフォンが迎え撃ち、村の男たちが槍を投げる。数で勝るグリ
フォンは波状攻撃を仕掛け、的確にドラゴンを仕留めていった。
だが、突然さらに十匹余りのドラゴンが村の外からもの凄い勢いで走り込んでくる。そ
の速さと質量による突進を止める術は無く、一瞬にして数匹のグリフォンが巨大な口に捉
えられ、強靱な顎の力によって噛み千切られた。
グリフォンの悲鳴が響き渡り『つがい』を殺された村人は自失した。グリフォンという
力を失った村人など、ドラゴンの敵ではない。
ドラゴンは、ジザの家を目指した。そこに求める物があると命令が下されたのだ。
命令を出しているのは、丸眼鏡をかけ、猫背気味で銀髪の小柄な青年だった。アミト・
クラウスと名乗った青年である。アミトは村から離れた森の中で、一匹のドラゴンにまた
がって指を複雑な印に組み合わせていた。
ドラゴンを通したアミトの視界に、目指す家が見えた。
その家の前に、一人の少女が立っている。ウリックという男を殺した際に途中で現れた
少女だ。やはりグリフォンを連れている。
「殺せ」
短くわかりやすい命令がドラゴンに送られた。
少女の驚きに見開かれた目が視界いっぱいに広がり。
そして映像は途切れた。
「!」
アミトは慌てて別のドラゴンの視界に割り込んだ。
すると、そこには一人の剣士が立っていた。
「どうして生きている!?」
初めて、アミトは驚きの声を上げた。
※
顔面を叩き割られたドラゴンが倒れ、ずんと大きな音を立てるのも聞かず、アリエスは
自分の前に躍り出たウリックに顔を輝かせた。
「ウリック、もういいの?」
「ああ。ギューイに乗って上に逃げてろ。他のみんなにも同じ指示を」
「ウリックは?」
「戦う」
寂しそうに、ウリックは言った。どうして寂しそうな顔をするのか、アリエスにはわか
らない。ただ、思ったままを口にした。
「……ウリックは、死なないんだよね?」
「ああ」
「わかった。気をつけてね」
ギューイに乗ると、アリエスはすぐに上昇した。剣を構え、ウリックは独りドラゴンの
中に駆け込んでいく。しかし、遅い。普段のウリックよりも傷のためか動きが悪く、すぐ
にウリックは強烈な尻尾の一撃を喰らって吹き飛ばされた。
吹き飛ばされた先に、ドラゴンがいる。起き上がり様にそのドラゴンに斬りつけて逃げ
たウリックを、横からドラゴンがくわえとった。
鮮血が溢れる。
「ウリック!」
アリエスが叫んだ。
「……泣いてるかな……」
こみ上げてきた血の塊を吐き出しながら、ウリックは手を背にした剣の柄へと持ってい
った。
そして、一気にその剣を抜き取った。
紫色の宝石で出来た剣身が太陽の光を反射する。異変は、すぐに起きた。
ドラゴンの頭が弾けた。肉塊が飛び散り、その雨の中、剣を持った人影が佇む。
赤黒い肌、長く天を突く頭から生えた二本の角、口からはみ出た牙、鋭い爪、黒目と白
目の境目の無い黄金色の目。
赤い魔物の剣士。
があ、と魔物の剣士が吠えた。足が地を蹴ると身体が立ち上がったドラゴンの頭までも
浮き上がり、剣が一閃されてドラゴンの頭部が真っ二つに割ける。
魔物の剣士が駆ける。
紫の剣が翻る度に巨大な爬虫類の身体が割け、悲鳴が上がる。ついには逃げだそうと背
中を見せるドラゴンに、魔物は疾走で追いついて命を奪った。
「そんな馬鹿な……」
アミトは呆然とその光景を見ていた。視界を借りるドラゴンたちが次々と数を減らし、
ついに最後のドラゴンの目の前にまで迫った。
紫色の長剣の名前を、アミトは呟いた。
「ストライク・セブン……!」
村にいた最後のドラゴンを斬り倒すと、赤い魔物の剣士は紫色の剣を背の鞘に収めた。
「ウリック……」
アリエスは自分のよく知る、微笑みの優しい青年の姿を見つめた。
ウリックは、静かに微笑み──。
村の崖側に身を踊らせた。
※
ウリックが飛び降りたと同時に、アリエスはギューイの手綱をぎゅっと握り締めた。
『つがい』が何を望んでいるか正確に理解したギューイは、翼を羽ばたいた。
「アリエスっ」
横から飛んできた物を受け止めたアリエスは、それが甲の部分に六角形の印貨をはめ込
んだ手甲だということに、グリフォンに乗る父を見た。
「ウリックの忘れ物だ……帰ってこなくていいぞ」
「ありがと!」
ためらいもなく、アリエスはそう言って渓谷の中へ消えた。
ジザの後ろに乗ったマズが、やれやれと呟く。
「若さ……かのう」
結
(逃げた)
落下しながら、ウリックは背にした剣の柄に手を当てていた。一気に引き抜くと、ウリ
ックの身体に異変が起こる。肌が赤黒く硬質化し、頭を突き破られるような激痛を伴って
二本の角が伸びる。
あっと言う間に、ウリックは赤い魔物に姿を変えていた。飛躍的に鋭くなった感覚、み
なぎってくる力、込み上がってくる咆哮。
叫びたい!
その衝動を抑え、ウリックは下方に意識を集中した。経験したことが無い速さで地面が
近づき、そうと思った時にはウリックは着地していた。速度が生み出す膨大な破壊力が足
の裏から全身を巡ったが、魔物と化した身体はそれを許容できる衝撃として堪えきった。
「ふう……」
息をつき、ウリックは自分の手にある剣を見つめた。実用に耐え無さそうな紫色の宝石
で作られた剣身が妖しい光を放ってる。
黄金色の目を細め、ウリックは牙の生えた口でその名を呟いた。
「ストライク・セブン……」
それは女神の七つの武器の名前。
そして、世界大戦を駆け抜けた戦士たちの集団の名前。
静かに剣を鞘に収めると、ウリックの身体は人間の姿に戻った。便利な身体だ、とウリ
ックは自嘲気味に苦笑した。ドラゴンに受けた傷までが完治している。全ては、魔物と化
したことにより身体の回復力が爆発的に高まったためである。普段からかなりの回復力が
あるが、やはり魔物になるのが一番効率が良い。身体そのものが作り替えられるからだろ
う。
やがて、ウリックは歩き出した。服はボロボロになっていたが、山を降りる手間は省け
たので日が暮れるまでにはカガルーン山の領域から出られるはずだった。
だが、ウリックの歩みは遅い。離れがたいのだ。
「情けない……」
用件があって寄ったとはいえ、やはり自分にとって居心地の良い場所を去るのは辛かっ
た。何よりも挨拶も無しに突然去ってしまったのはまずいかな、とウリックは眉根を寄せ
た。
(……次は、二十年くらいしたら来よう。その頃にはほとぼりも冷めて、新しい子供たち
が生まれていて、アリエスも母親になっていて、ジザがお祖父さんになっていて……)
平和な村を想像し、ウリックは目を伏せて笑った。
(俺には欲しくても手に出来ないもの……)
だからこそ幸せになって欲しい、とウリックは独り頷くのだった。
とりあえず、不思議と落ち込む自分を奮い立たせるために叫ぶ。
「幸せ万歳!」
「何が幸せだよ、この薄情者!」
「あ……」
降ってきた声にウリックは空を見上げた。見覚えのありすぎる巨大な生物がゆっくりと
舞い降りてきていた。
ギューイに、アリエスだ。
その姿を目にした瞬間、ウリックは少女の浅はかな考えを簡単に看破した。
「ウリ──」
「駄目だ。……帰るんだ」
即座に言ったウリックに、アリエスは用意していた言葉の全てを封じられてしまった。
言葉を紡げずに口をぎゅっと結んだアリエスに、ウリックは首を横に振った。
「帰るんだ」
余計な言葉はない。短い結論だけをアリエスに告げ、ウリックは後ろに一歩下がった。
すると、アリエスが一歩前に出た。
二歩前に出た。
三歩前に出た。
そして、キッとウリックを見上げて怒鳴りつけるのだった。
「だったらそんな寂しそうな顔してるんじゃない!」
ぱん、と手がウリックの顔に叩きつけられた。思わず目を白黒させて顔を押さえるウリ
ックに、アリエスは仁王立ちして言った。
「いつかのわたしじゃないけど、それじゃ本当に構って欲しい時のグリフォンだよっ。一
緒についてきて欲しいなら欲しいってちゃんと言ってよ!」
「ちが……俺は──」
寂しいこととアリエスを拒むことは関係ないと言おうとしたウリックは、しかし、があ
っと牙を剥きそうなアリエスの目に溢れそうな涙が溜まっているのを見て、黙った。
「歳をとらない? 死なない身体? 他はよくわからないけど、それでいいじゃない」
アリエスは、そうして言うのだ。
「死なない身体だからウリックが助かってわたしは泣けるもの。ウリックが歳をとらない
ってことはわたしが大人になるまで待っていてくれるってことでしょ?」
「待つ……って」
「ウリックの眼中に入ってないくらいわかるから! だから、きっといい女になるから。
ウリックに損なんかさせないからっ」
アリエスは、ウリックの袖を掴んだ。
「一緒に行かせて……っ!」
瞳がウリックを射抜いた。
退かない。
ただぶつかってくる、癇癪のような勢いの瞳。
古い面影と重なった。
「──ッサ……」
「え?」
小さな呟きに顔を上げたアリエスの、幼子のように涙でくしゃくしゃになった顔にウリ
ックは静かに頭を横に振った。
「何でもない」
袖を掴んだ手は離れない。
そして、ウリックにはその手を振り払うことは出来なかった。
涙に勝てないお人好しのウリック。
困った笑顔で答えた青年に、アリエスは全身で抱きついた。『つがい』から流れ込んで
くる想いにギューイは鳴いた。
『優しい人なの』
『英雄なの』
『誰よりも大切で一緒にいたい人なの』
グリフォンの鳴き声を理解するのは『つがい』のみ。自分の中で形にならない心の叫び
を聞いて、アリエスは満面の笑みを浮かべた。
(待っててね、きっとすぐに大人に)
『きっと』
きっと。
終