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          プライベートガーディアン





「ルン、みてみて、てがまっくろなの!」
 なんで君は泥だらけの手をそんなに自慢そうに見せるんだろう。
「ルン、みてみて、おようふくもまっくろなの!」
 だから、どうして泥だらけになったエプロンドレスをそう誇らしげに見せるんだい?
「ルン、みてみて、あしもまっくろなの!」
 ……その足で僕の部屋まで来たわけだね。
「ルン、ほめてほめて!」
 まったく。
 誰がどう育てたんだろうね(もちろんこれは皮肉。僕はその人を知っているからだ)。
 とりあえず、適当に頭を撫でてやる。すると、三歳年下の従妹は、それこそ天使のよう
な笑顔で僕に抱きついてくるのだ。
 だけど、僕はその笑顔が悪魔の微笑みだということを知っている。
「ルン、だいすき!」
 必要以上にぺたぺた触るのは、自分の手の泥を僕になすりつけるためだ。
 タイミング良く現れた母(本当にタイミングが良い。あらかじめ呼ばれていた?)が苦笑
して言う。
「もう、二人とも、お風呂に入ってらっしゃい」
「はーい!」
 はい、と小さく、しかししっかりと聞こえる大きさで僕は応え、ピュアの頭を軽く叩い
た。
 ピュアは、満面の笑みで僕を見上げる。
「ひよこもっていっていい?」
 はいはい。駄目、と言えばまた泣くんだろう?
 君にはかなわないよ。
 その日の夜、家の中を泥だらけの足で歩き回ったと言うことで僕は廊下を雑巾掛けさせ
られた。
 ピュアはすっかり眠ってしまった時間帯のことだったけどね。


 そんな関係のまま、僕たちは大きくなったのだ。
 問題は──深刻だと思う。
 深刻だと思い知らされた。










       1.ルン・セパーロイオン


 ワープ技術の発明により、住み慣れた地球を離れた人類が望んだのは、誰にも汚されて
いない地球型の惑星であった。夜空に輝く星の数だけの恒星が存在する宇宙でも、人類が
自然発生するほどの条件の整った星となると、そうそう見つかるものではない。
 恒星ブレスに向かった開拓団も、それほど期待していたわけではないのだ。しかし、国
家でもない一企業であるフィップアート社が派遣した開拓団は、その星系の観測データに
目を丸くした。
 ブレスの重力圏を回る六の惑星のうち、三つまでが地球型、もしくは準地球型という観
測結果が出たのだ。他の三つの星も、ブレスから最外周の第六惑星リベラを除いて、部分
的に人類が生存可能な地域が存在した。
 いまだに植民星の少なかった当時、フィップアート社は移民者を募った。より早い申し
込みをした者に、より良い環境の星への移民を割り当てた。社員は、特に選考に優遇され
た。
 それから二百年あまり、第六惑星リベラにすらドーム型都市が建造された時代。各星に
はそれぞれ別の支配者が存在し、ある星では議会政が、ある星では王政が行われていた。
それでも変わらないのは、全ての頂点にフィップアート家が君臨していることだ。ブレス
星系の企業で、フィップアートの傘下にない企業はない。政治は星ごとに違っていても、
経済を操っているのは、フィップアート家なのだ。
 星系最古にして最高。
 そのことを知らないのは、小学生にもならない子供くらいだろう。
 だが、完璧に暗唱できる星系の歴史の影の主役たるフィップアート家を心から呪った青
年が一人いた。
 ルン・セパーロイオン。カシルミア学園の三年生である。
 超難関と呼ばれるサウスルーリッズ大学への入学試験にも合格し、後は卒業を待つばか
りのルンは、突然校長室に呼び出されて言われたのだ。
「君のサウスルーリッズ大学への進学は取り消しになった」
 と。
 さすがに言葉を失ったルンに、校長の横に立った担任の女教師が数枚の書類をルンに渡
す。
「これは?」
「あなたに対する処分よ」
 処分、だ。ルンは眉根を寄せた。自慢ではないが、大学進学を取り消しになるような不
始末をやらかした憶えはない。卒業式でも、首席卒業が決まったルンが答辞を読むことに
なっている。
(誰かと勘違いしてないか?)
 そう思い、書類に目を落とす。一分ほどして顔を上げたルンは、書類をまとめて校長の
机に叩きつけた。
「納得できません! 留年とは、どういうことでしょうか。失礼ですが、先生方は誰かと
僕の落ち度を取り違えていませんか?」
「いや……君に落ち度は無い。それは確かなのだ。まあ、座りたまえ」
 汗を拭き拭き、校長は言いにくそうに腰を浮かしたルンに言った。顔には、はっきりと
罪悪感と書かれている。
 軽い咳をしてから、校長は言う。
「君に落ち度は無い。有るはずが無い。君は我が校で、三年間トップであり続けた。そん
な記録を持つのは今まで四人しかいない。しかも、品行方正、スポーツも並以上、家柄も
申し分なく、ついにはブレス星系最高の難関と呼ばれるサウスルーリッズ大学の受験をも
クリアした、素晴らしい人材だ」
 そこで、チラリとルンを見る。ルンはおだてても無駄だ、と強い視線でそれを見返した。
首をすくめ、校長はため息をついた。
「私としても本当に残念なのだが……君は、本当に心当たりがないのかね?」
「心当たり、ですか?」
 ルンは一瞬考える振りをし、すぐに首を横に振った。考えるまでもない。
「そうか……例のものを」
「はい」
「?」
「これを見れば、わかるだろう」
 ルンは息を飲んだ。差し出された封筒には、見間違えるわけがない家紋がプリントされ
ていた。
「まさか……」
「先方のたっての願いでね。四月から新入生としてこの学園に通うことになるお嬢様の身
辺警護を、君に一任したいそうだ」
「あ、あの……」
「私もつらいのだよ」
 わざとらしく目元を押さえる校長に、ルンは顔を引きつらせて訊いた。
「じゃあ、僕はもう一度三年を……?」
「もちろん、お嬢様と同じ一年にから始めてもらうつもりだよ」
 それって留年とは違うのでは。
 怒鳴り散らしたい気持ちを、ルンは無理矢理押さえつけた。
「ぶち殺す……!」
 少々洩れてしまっていたが。

                 ※

 ルン・セパーロイオン。十八歳。自他共に認める秀才である。ブレス星系でも知られる
限り一、二を争う名門のカシルミア学園入学試験に首席合格。その後三年間、一度もトッ
プを譲り渡すことなく卒業資格を得る。進学先のサウスルーリッズ大学でも、トップクラ
スの成績を残すだろうと、周りからの期待は大きかった。
 褐色の肌で、黒い瞳、黒い髪。身長は一八六センチと長身で、それに見合った厚みのあ
る身体。美丈夫と称せる引き締まった精悍な顔つきは、男らしく頼りがいを感じさせる。
 文句のつけどころの無い青年だった。
 しかし、ルンという青年をもっとも『意味のある』事項で説明するとなれば、皆が口を
揃えて言うだろう。
「フィップアート当主の甥」
 それは星系内どこでも通じるステータスだった。
 しかし、ルンは学園内の自分の地位は、誰の力でもなく自分だけの能力で築いたものだ
と自覚している。
 だから、その自分の三年間をまったく無視するような仕打ちに黙っているはずもなかっ
た。


「これはどういう仕打ちですか」
 ルンの言葉に、天下に知らぬ者のいない男、フィップアート家当主エルマ・フィップア
ートは肩をすくめた。ルンの父親と同い年なので、四十歳になったばかりのはずだ。だが、
その顔に皺らしい皺はなく、五歳以上は若く見える。
 場所は、第二惑星ベイルにあるフィップアート家本邸だ。ドーム球場が三十は入るほど
の敷地に、球場四つ分くらいの大きさの邸宅が存在している。
 ルンは親族用の応接間に通されて屋敷の主人と向かい合っていた。
「ピュアさまがカシルミア学園に入学するのはわかります。彼女も十五歳ですから、少し
は人との接し方を学んだ方がいいのでしょう」
「そうだろう、そうだろう。我が家には十五歳になったら外の世界を見に行かされる伝統
がある。お前がカシルミアに入ったのも、それが理由だったな」
「で、どうして僕が卒業を取り消しになる必要があるんですか」
「聞いてないのか? それはだな──」
「ピュアさまの身辺警護」
「知ってるじゃないか。なら、問題無しだな」
「エルマさま!」
 だん、とルンはテーブルに手を突いた。
「僕ははぐらかされるために片道四時間もかけて戻ってきたんじゃないんです。怒りませ
んからおっしゃって下さい。これは、誰の発案ですか?」
「ルン、聞きなさい」
 エルマは、すっと目を細めた。ルンは久しぶりに会った伯父に敬意を示して、問いかけ
を中止して姿勢を正した。エルマは、真剣に話す時、目を細める癖がある。
「私たちが君に求めるのは、ピュアが学園生活を安全に送れるようにあの娘の周りの危険
因子をすみやかに排除することだ。なに、難しいことではない。君にとっては三年間通っ
た学園だろう。これは、フィップアート家当主からの正式な依頼だと思って欲しい」
「正式な依頼、ですか」
 ルンの顔は無表情に近い。伯父の言葉を口の中で繰り返し、やおらじろりと睨み付けて
言った。
「いいでしょう。そういうことなら、仕方ありません。ですが、これだけは言っておきま
す」
「何かね?」
「この腐れ伯父!」
 エルマが心底後味の悪そうな顔をしたのは、当然のことだろう。
 応接間の扉を乱暴に閉めて廊下に出たルンは、不意に気がついて掃除をしていたロボッ
トに声をかけた。
「何ノ御用デスカ」
「お前の名前は?」
「”ポチ”デス」
 ロボットは、問われたのと同じ大きさの声で応えるようになっている。頷いたルンは、
試しに言ってみた。
「将来の夢は?」
「”コノ家カラゴミヲナクスコト”デス」
「良くできました」
「”カシコイデスカラ”」
 ルンは苦笑して歩き出した。何も変わっていない。
 ルンがこの場所に足を運ばなくなった三年前から。
 時折すれ違うメイドたちも、ルンが小さな頃からずっといる古参たちだ。ルンが軽く会
釈すると、メイドたちは深々と頭を下げる。
 何も変わらない。
(なら……)
 思い、ルンは自分の思考に呆れた。さすがにそれはないだろう。だが、確認してみたい
気はした。
 館の中にある、子供用の遊戯室。天井からピアノ線で吊された魚や鳥の人形が揺れ、ブ
ランコや滑り台が設置されている懐かしい部屋。壁や床はぶつかっても怪我をすることの
ない衝撃を吸収する素材を使用されていたと記憶している。
「……呆れた」
 知らず、声にしていた。
 声に驚いたように顔を上げたのは、ブランコを静かに揺らしていた少女だ。
 ピュア・フィップアートである。










       2.ピュア・フィップアート


 ピュアは驚いたようだった。しかし、ルンは驚いたらいいのか呆れたらいいのか判断に
困った。三年間という月日は、良くも悪くも人間を変えるものである。ことに成長期であ
れば、外見も性格も。
 確かに、ピュアは成長したのだろう。三年前に比べれば。
 身長は目分量で一四〇センチと少し。ボリュームのあるふわふわの金髪には少々朱が混
じり、こぼれ落ちそうなほど大きなアクアマリンの瞳が印象的だ。鼻と口は小ぶりで、触
り心地の良さそうな頬。まるでお人形のよう、というのを地でいっている外見だった。
 着ているのは、花の刺繍を施された白いブラウスに、フリルがたっぷりとあしらわれた
同色のスカート。
 お前はいったい何歳だ、とルンは心の中でため息をついた。
 先に口を開いたのは、ルンだった。
「おくつろぎのところ、失礼します。お久しぶりです、ピュアさま。ルン・セパーロイオ
ンです、御記憶にとどめていらっしゃいますでしょうか?」
 つまり、その弱いおつむで憶えているか、と言っているわけだが。
 そんな皮肉混じりの言葉など、通じなかったようだ。呆けていたピュアが、パッと顔を
輝かせた。
「ルン!」
 とてとてと走り寄ってくるその姿にルンは目眩を感じた。その速度はルンの大股歩きと
さして変わらない。そして、ぱふっ、と少女の小柄な身体はルンの腹辺りにぶつかった。
「おかえりなさい!」
 ぎゅ〜っと腕を回してくるピュアとの身長差は四〇センチ以上。色々と言いたいことは
あったが、とりあえず懐かしさが先に立ち、ルンも微笑んで手を朱金の髪に乗せた。
「三年ぶりね、全然わたしの所に来ないんだから」
「長い休暇を学園から頂いた時も、部活動が忙しかったですから」
 すると、ピュアが拗ねたように唇を尖らせて上目遣いにルンを見た。
「ルン、意地悪」
「は?」
「どうしてそんなしゃべり方するの?」
 嫌がらせに決まってる。ルンは真っ正面を見ながら──つまり、ピュアなど見ないで淡
々と言った。
「ピュアさまは宇宙に名だたるフィップアート家の当主令嬢でいらっしゃいます。従兄と
いう立場のおかげでこのようにおそばに寄る資格を頂いておりますが、それもこの身には
過分なれば、せめて礼節と忠義心によってその過ぎたるところを穴埋めさせて頂こうとい
う愚考にてございます」
 どんどんエスカレートする謙譲姿勢。ピュアはむっとした顔になった。
「ルン、やめて。そういうの嫌いなの」
「好き嫌いの問題ではありません。これは身分という絶対のものに対する示しであり、下
々の者にそれをさせる立場にある特権階級が実践してこその絶対です。血縁の中にも上下
はあり、それはフィップアートの枠組みの中では尊重されるべきものなのです」
「もしかして、ルン怒ってるの?」
 恐る恐る訊いてくるピュアに、ルンはこめかみに血管を浮かべた。それでも顔はポーカ
ーフェイスだ。
「どうして僕が怒っていると?」
「だって、ルンってば小さい頃からまったく変わってないんですもの。怒るとすぐにおす
ましさんになるんだわ。いつまでも子供じゃないんだから、もう」
 ふう、とピュアは頬に手を当てて困ったわ、と呟いた。自分の頭の上に置かれた手に力
がこもったことには気がつかない。
「もしかして、お父様に怒られたりしたの?」
「ぴゅ〜あ〜……」
「……ルン、痛いの」
「ピュア、春からカシルミアに入学するそうだね」
「ええ。でも、心細くて……ルンが一緒ならきっとやっていけるってお父様たちに言った
の。そうしたらルン、今日ここに来てくれて──ルン、痛いの、とっても痛いの」
「そうか、お前か……」
 ルンの声は低く、さすがにピュアもようやく気がついた。
「何かあったの?」
「今さらお前が言うな!」
 家を捨てて逃げようかとルンは本気で思った。

                 ※

 しかし、そうハイリスクな行動に出るルンではない。良くも悪くも、ルンは常識人であ
り、無駄なことはしない主義だった。
 ちなみに、無駄なことリストの一番上には『ピュアとの会話』があるのだが、これは本
人がいくら避けても強要されてきた。
「人間は生まれてくる時も場所も選べないんだ」
 妙に悟り切った言葉も、自然と口から洩れる。実家の自分のベッドに仰向けに転がった
ルンは、憤りの冷めない瞳のまま天井を睨み付けた。
「しかし、人間は生まれた時と場所の中で、能力に応じて自分の望んだ人生に近づくこと
が出来る。出来るはずなんだ」
 貧困をはねのけることも、身分を捨てて一人旅に出ることも。
 それが人間の可能性というものだ。
 そう信じてきた。
 そして、ルンはそれを成し遂げたはずだった。フィップアート家当主を伯父に持つ身と
して、カシルミア学園卒業後はすぐに家に呼び戻され、何かしらの肩書きを持たされるは
ずだった。しかしルンは大学進学を望み、親族の返答はサウスルーリッズ大学なら、とい
うものだった。
 ルンは勝利したのだ。そのまま大学に居座って、博士号でも取得してやろうという心づ
もりだった。
「それを、あのガキ!」
 ピュアのひとことだ。実際に聞いたわけではないが、従妹の口調は完全に把握している。
『でもね、お父様。ルンが一緒ならきっとやっていけると思うの』
 語尾にはハートでも付けていたのだろう。娘に甘い当主はそれで一発だ。
 確かに、ピュアを護衛するならルン以上の適任はいないだろう。
 身分的にも、能力的にも。
 その判断は、決して間違ってはいない。
 結局、ルンは自分の有能さで最後の階段を踏み外したのだ。

                 ※

「ちと可哀相だったな……」
 ルンが部屋を出ていった後、エルマはそう小さく呟いた。それに、隣の部屋への扉が開
いて言う者がいた。
「『ちと』ですか」
「怒るな、ドイル。皺が増えるぞ」
「気遣うんだったら、ルンへの処遇をどうにかして欲しいものですね」
 ドイル・セパーロイオン。ルンの父親だ。エルマとはカシルミア学園以来の親友でもあ
る。その後ろからは、ドイルの妻のリース、そしてエルマの妻のシルビアまでもが顔を覗
かせた。
「ルンくんってば、怒ってたわね。せめて、受験前に知らせてあげれば良かったわね」
「いや、受験はさせて、裏工作で落とした方がまだ諦めがついて話を進めやすかったかも
しれんな」
「お兄さま! 人の息子への悪巧みを親の前でしないで下さい!」
 リースはそう言うと、美貌を怒りに赤く染めてソファーに座るエルマに詰め寄った。
「あの子には早く家に戻って来て欲しかったのに……」
「ルンくんが大学行くって言い出した時も、大変だったものね」
「あの子が一生のお願いと言ったから私は許したんです。カシルミアは全寮制でずっと会
えないし……大学が終わったら後はずっと家にいるって約束してくれたから私は涙を飲ん
だのに……」
「確かにもう一度三年間やってから、ルンくんのことだからまた大学受験するわよね」
「決意した年数にさらに三年も加算されるなんてっ」
 ああ、とリースは手で顔を覆ってしまう。調子よく補足していたシルビアがその背中に
そっと手を当てる。ドイルがエルマをジト目で睨んだ。
 エルマはわざとらしく咳払いをして、そっぽを向いて言う。
「ええとだな、私も心苦しいのだよ」
「お兄さま、当然です」
「ルンは私にとっても可愛い甥だ」
「私にとっては息子です」
「しかし、一人娘のピュアは心配でなあ」
「私はルンの方が可愛いんです!」
「そうよね、自分の子供だものね。横暴よね」
「……シルビア、お前はどっちの味方だ」
「公平に判断します。あなたは夫、リースは友達ですから」
 完璧に会話から外れたドイルは、心の中で必死にリースを応援していた。いかにフィッ
プアート当主とは言え、実の妹に恨まれたくはないだろう。
 と、矛先がそのドイルに向いた。
「あなた、お兄さまに何か言ってやって」
「私か? 私は……ルンの心配はしていない。当主の言葉は絶対だ」
 三人の視線がドイルに集まった。ドイルは出来る限りポーカーフェイスを保とうとして
いたが、親としての感情は隠しきれるものではない。
「当主補佐として、私は反対意見を述べるつもりはない」
 顔には怒鳴って部屋を出ていったルンを追いかけたいと書いてある。ルンの選んだ道を
行かせてやりたいとも書いてある。
 職務のために心を殺す態度の方が、エルマには痛かった。
「むう、ドイルはこう言っている。リース、お前も聞き分けを良くしろ。ずっと会えない
わけではない。長い休みには戻ってくるだろう」
「あの子は部活動とかで夏休みも戻ってこなかったんですよ、三年間!」
 エルマは頭を掻いた。
 その時、口を開いたのはシルビアだ。
「──なら、リース。ルンくん以外に、誰がピュアのボディガードが出来るの?」
「警備隊長のギルがいるでしょう」
「そうね。でも、ギルと二人で三年間、無骨な大男と三年間、会話もなく三年間。つまら
ないでしょう?」
「え、ええ……」
 結局はルンと同じくらいピュアを大切に思っているリースだ。すぐに頷いた。
「ピュア自身にも問題があるのよ。あの子が一番なついているのが誰かなんて、わかるで
しょう?」
「それは……」
 適材適所という言葉がある。
 そして、フィップアートの次期当主は、宇宙最高のVIPなのだ。その安全は、何を犠
牲にしても確保されなければならない。
 ルンには犠牲になって欲しくない。しかし、ピュアも可愛い。
 択一なのだ。
「リース、分かれ。私たちの息子は、名誉ある役目に選ばれたのだよ」
 言いつつ、瞳はリースにエールを送っている。交渉の相手になる各国家の大臣などでは
気がつかないだろうが、ここにいるのはもっとも近しい家族たちである。ばればれだ。
「それでも、他にルンでなくても良い方法があるはずです」
「リース、ちょっと」
 と、シルビアはリースの腕を取って、部屋の隅に移動した。そこで、耳打ちする。
 数秒後。
「わかりました。お兄さま、いえ、当主さま。跡継ぎたるピュアさまのためならば、この
リース・セパーロイオン、涙を飲んで身を引きましょう」
 いまだに容色衰えない美貌の夫人が、涙をちょっとわざとらしくハンカチで拭う。
 ドイルはポーカーフェイスのまま肩を落とし、エルマは満足そうに頷き、次に怪訝そう
な顔をした。
「シルビア、何を言ったのかね?」
 二人の妻たちは顔を見合わせて笑った。
「女の秘密です」
 謎の取引が成立した瞬間だった。
 こうして、ルンは両親からも売り渡されたのだった。

                 ※

 ピュアの寝室は極彩色で彩られている。部屋の壁自体がピンクというその部屋の中央に
は、五、六人が横になって眠れるほど大きな天蓋付きのベッドがある。
 二十二歳になったばかりのメイドのチチルは、いつもながら寝付きの良いお嬢様に微笑
みを浮かべ、静かに明かりを消した。
 今日は、珍しくピュアはぬいぐるみを抱かないでベッドに入った。毎晩の寵愛を受けて
いた古ぼけた熊のぬいぐるみは、今夜ばかりは他のぬいぐるみと同じ籠で天井を見ていた。
 ぬいぐるみはいらないのだ。
 もっと、抱きしめるのに適切なものがピュアにはある。
「ルン……」
 よだれさえ垂らしてヘラヘラと笑う寝顔は、可愛らしくはあってもあまり気品があると
は言えなかった。










       3.ルンとピュア、出発するのこと


 ルンの朝は早い。朝の六時には完全に目を醒まし、敷地内の庭をランニングするのだ。
庭とは言っても、フィップアート家に連なるセパーロイオン家の庭のこと、半端な広さで
はない。たっぷり七時までかけてランニングを終え、シャワーを浴びてから朝食を食べる。
 そのルンよりも早起きなのが、メイドたちである。
 フィップアート家のメイドの中で一番若いチチル・ロックブラウンは、四時には目を醒
まし、主たちの急な呼び出しに備えているのだ。
 チチルの仕事は、ピュアの世話だった。その日も、八時ぴったりにチチルはピュアの部
屋の扉をノックした。
「お嬢様、お目覚めですか?」
 返答はない。いつものことだが、今日ばかりは昼頃まで待ってやることも出来ず、チチ
ルは音も立てずに扉を開いて寝室へと入っていく。
 天蓋付きのベッドの上では、掛布にくるまったピュアの寝顔がある。
「お嬢様、起きて下さい。今日は学園に向かう日ですよ」
「ん……」
 掛布にくるまったまま寝返り。チチルが揺さぶろうと、全く目覚める気配はない。
「失礼」
 その時、部屋の入り口からルンが顔を覗かせた。ここ数日で親しくなったチチルはホッ
とした表情になる。
「ルンさま、おはようございます」
「おはよう。ピュアは?」
 チチルは首を横に振った。すると、ルンは思い切り嫌そうな顔をして部屋の中に踏み込
んだ。
「今日が何の日だか、ピュアは知っているはずだね?」
「はい。旦那さまが昨日確かに」
「そう」
 長身のルンが近寄ると、チチルはそっと場を外した。
「ピュア」
 呼びかけに、返答はない。
 ルンは容赦なく掛布をはぎ取った。
「きゃっ」
 さすがにびっくりしたのか、ピュアが目を開く。すかさずルンはピュアの背中とベッド
の間に手を入れて半身を起こさせた。
「朝だよ」
「……ルン?」
 あふ、と大きなあくびをしながら訊かれ、ルンは頷いた。手を叩くと、服一式を持った
チチルが駆け寄ってくる。入れ替わりでルンはベッドに背を向ける。
「チチル、慌ててどうしたの?」
「今日は何の日だ」
 背を向けたままルンは言った。ピュアは見慣れぬ服に袖を通しながら首を傾げ、思い出
した。
「カシルミア学園に行く日なの」
「終わりました」
 チチルの声に、ルンは振り返った。
 ピュアが着ているのは、常のものとは違っていた。白いブラウスに、濃紺のブレザー、
同色のスカート。ブレザーの左胸には、カシルミア学園の校章が縫いつけられている。ブ
レザーは少々大きめで、袖が余っている。ブラウスの襟元のリボンが可愛らしい。
「これなんなの?」
「制服だよ」
「あ、ルンとお揃い!」
「違う!」
 同じ様な濃紺のスーツの上下、もちろんスカートではなくズボンだ。長身で、肩幅が広
いルンにはよく似合っていた。ネクタイにも不慣れなところはない。
「良く似合ってるわよ」
「……ありがとう。普通は、僕が君に言う言葉だな、新入生」
「大丈夫よ、ルンも新入生だから」
「言うな!」
「ルン、怖いの……」
「時間は?」
「はい、八時十六分です」
「まったく……出発は十時だぞ」
「二時間近くもあるから大丈夫よ」
「その前にすることがあるんだ」
「ふえ?」
 促されて、ピュアは部屋を出たルンに続いた。その隣にチチルが並び、蒸しタオルでピ
ュアの顔を拭く。そんなことお構いなしに、ピュアは小走りにルンの左腕に自分の腕を絡
めた。
 身長差四十センチ以上の二人だ。大人と子供の身長差がある。その二人が同じ学園の制
服に身を包んでいるのがおかしくて、チチルはルンに悪いと思ったが少しだけ笑った。
 ルンの言っていたすることとは、ピュアの出発前の送別パーティーへの出席だ。宇宙港
までは空の便を使って二十分もかからない位置に屋敷があるので、時間ぎりぎりまでパー
ティには参加することになる。
 八時にはすでにパーティは始まっているのだ。
「内々の催しですから、いらした方は百人に達していません。親睦会のようなものですか
ら肩の力を抜いていて下さい」
「チチルさんは出席しないのかい?」
「お嬢様のお部屋のお掃除がありますから」
 そう言うと、チチルは会釈して二人から離れた。後ろに遠ざかるメイドに手を振って、
ピュアはルンを見上げた。
「ルンと踊るの?」
「今日はそういうのじゃない。挨拶くらいでいいんじゃないかな。朝御飯は、宇宙船の中
で食べることになるから、お腹鳴らないようにしろよ」
 ピュアは残念そうな顔をした。踊れないからか朝御飯が食べられないからか、どちらか
はわからなかったが。
 パーティーが行われているのは、屋敷の中のホールだ。主賓用の入場扉の前には、すで
にエルマを始めとする二人の両親たちが揃っていた。
「遅刻だぞ、ピュア」
「だって、ルンが起こしに来るのが遅いんですもの」
「僕はお前の目覚まし時計じゃない!」
「ルン、気持ちは分かるが、せめて『君』にしておきなさい」
「ここ二週間、ずっとピュアちゃんを起こしにこっちに来て……お母さんと朝御飯食べて
くれなくて寂しいわ」
「三年間離れていたのに、昔通りの仲良しさんね、二人とも」
 連鎖的にその場の全員がしゃべることになった。かなり低次元な会話なのだが、その発
言者全員が一級以上の見目麗しい外見をしているのがまた不思議だ。
 エルマとドイルはスーツ、シルビアとリースは派手すぎないドレスだ。一番地味なのは
制服姿のルンとピュアだが、地味とはいえ、その制服はまるで二人のためにデザインされ
たかのように似合っていた。腕を組んで並んでいる姿は、そのまま星系学園制服特集のカ
ラーページに見開きで掲載されてもおかしくはなかった。
「ふむ、よく似合っているな」
 娘の晴れ姿に、エルマは感無量の面もちだ。ドイルはポーカーフェイスを保ちながら、
心の中で嘆いている。何が悲しくて、息子の入学姿を二回も見なくてはならないのか。
 と、入場を知らせる鐘が鳴った。わざわざ軋む音が出るように細工された扉が重厚さを
見せつけて開かれ、ホールが屋敷の主人たちの前に現れた。
 巨大なホールに集まったのは、チチルの言う通り百人に満たない。壁という壁に灰色の
スーツを着込んだサングラスの男達が張り付き、客の数では食べきれないだろう量の料理
が飾り付けられたテーブルに並べられている。
 盛大な拍手がルンたちを包み込んだ。
 前をエルマとシルビアが歩き、次にルンと、その腕を放さないピュア。最後尾をドイル
とリースが務め、扉は閉まった。
 エルマが壇上のマイクに進んでいくと、目を開けていられないほどのカメラのフラッシ
ュが放たれる。
 ルンは小さな声でシルビアに訊いた。
「どうして取材まで来てるんですか?」
「うちの旦那さまが娘を自慢したがったの」
「わたし、お父様の自慢なの?」
「馬鹿、口を動かさないでしゃべれっ」
「……ルンが、器用なの」
 なかなかどうして、ピュアはパーティーなどの社交関係には強い。神経が図太いのか鈍
いのか、並の人間なら参ってしまうような質問責めにあっても、常通りの自分で振る舞う
のだ。
 要はマイペースなのだろうが。
「本日は我が娘ピュアのためにお集まりいただき、光栄の至りです。余計な挨拶は抜きに
して、本日の主役を紹介いたしましょう」
 拍手。わきまえているルンはピュアを連れてエルマの横にまで進んだ。
「まあ、可愛らしい」
「なんと凛々しい……」
「噂ではサウスルーリッズ大学を蹴ってまでお嬢様のボディーガードに志願したそうで」
「セパーロイオン氏の一人息子で──」
 本人たちは小声で話しているつもりでも、ルンの耳には届いた。なるほど、そういうこ
とになったか、と横目でエルマを睨む。それを黙殺し、エルマは二人を紹介した。
「我が娘ピュア・フィップアート。そして、我が甥ルン・セパーロイオン。フィップアー
トの未来を担う二人です」
 盛大な拍手と止めどないフラッシュが寄り添う二人に送られた。二人はにっこりと微笑
んでそれを受ける。
「誰が担うか。絶対に大学に居座ってやる」
「まぶしいの……」
 器用に口を動かさずに呟いていたが。
 挨拶が終わった後、主役の二人は次々と寄ってくる客たちの相手に時間を潰された。
 ここでも、二人の性格の違いは出てくる。
「早い時間からご足労感謝します。──は? いいえ、不安などありませんよ。通い慣れ
た学園に、もう三年間通うことになっただけです」
「おはようございます。──大丈夫です。はい。はい。そうですね」
 ルンは淀みなく、ピュアはほとんど単語だけで応える。ボロを出さないためのピュアの
単語会話だが、それが不自然に思われないくらい矢継ぎ早に質問がされる。
「ピュア、少し休憩しようか」
「ええ」
 周りを囲む皆にも聞こえるようにルンは言った。ピュアを休ませたいと、ルンは目配せ
で知らせる。人垣が割れ、ルンはピュアを手近な椅子に座らせた。手を叩くと、壁際にい
た警備員たちが二人に近づこうとする取材陣を追い払う。
「ルン、疲れたの?」
「少し」
 実際に参っているのはルンの方だ。ピュアにはまだまだ余裕がある。時計を見ると、九
時を過ぎていた。
「そろそろだな。ピュア、出るよ」
「ええ」
「……僕にまで単語になるな」
「だって、誰かに聞かれるかもしれないんだもん」
 ジュースに伸びようとしたピュアの手を、さりげなく掴んで、ルンはエスコートする。
まるでダンスが始まるような空気が流れ、一瞬辺りがシンとなる。扉から二人が出ていく
と、見送りの拍手がホール内に鳴り響いた。

                 ※

「では、入学式までには私たちもそちらに向かう。ギル、二人を頼んだぞ」
「は。お任せ下さい」
 二メートルを越える大男が敬礼する。警備員に統一された灰色のスーツにサングラス。
厚みはルンが華奢に見えるほどだ。それでいて愚鈍そうな印象はなく、きびきびとした動
作が俊敏な小動物を思わせる。
 ルンは別れに泣くリースをなんとかなだめながらピュアを見る。ピュアは両親に軽く挨
拶しただけで、一足先に宇宙船に駆け込んでいく。舌打ちすると、ルンはリースを引き離
して自分も後を追った。
「ルン、娘を頼んだぞ」
「依頼された仕事の分はきっちりとこなしますよ。何せ、噂ではサウスルーリッズ大学を
蹴ってまでお嬢様のボディーガードに志願した従兄ですから」
「はははは……」
 乾いた笑いを浮かべ、エルマは視線を逸らした。微笑んで前に出たのは、シルビアだ。
「これを持っていって」
 渡されたのは、金の懐中時計だった。
「ピュアに渡せばいいんですね?」
「違うわ。それはあなたにあげるのよ。三年間をあの子のために使ってもらうお礼にね」
「こんなものはいりま──」
 ギン、とシルビアの目が吊り上がった。ポーカーフェイスのまま、ルンは言葉を改める。
「──す。ありがたくちょうだいします」
「気をつけてね」
「……不吉なこと言わないで下さい。学園まではほんの四時間の飛行なんですから」
 かくして、ルンも宇宙船に乗り込んだ。フィップアート家専用の船の内装は、ほとんど
豪華ホテルと変わらない。テーブルを挟んだ椅子の一つに、ピュアはすでに座っていた。
「いいのか、伯父さんたちとあんまり話さなくて」
「別にずっと離れているわけじゃないもの。あっちでも会えるんでしょう?」
「そうだな」
 意外だったが、ルンは頷いた。ピュアのような娘は、両親と離れるのにもっと不安にな
ると思っていた。
「不安はないのか?」
「ないの。ルンと一緒だから」
 その微笑みに騙されてはいけないと、ルンはわかっていた。
 わかっていても、少しだけルンは嬉しかった。
「ねえ、ルン」
「ん?」
「お腹すいたの」
 そう言えば、朝食もまだなのである。ルンはテーブルについているボタンを押して言っ
た。
「軽い食事がしたい。サンドイッチか何かを。それから、コーヒーを二人分用意してくれ
ないかな」
「かしこまりました」
 返答はすぐだ。宇宙船付きのコックが作ったサンドイッチが運ばれてくるまで、とルン
は壁一面のモニターに映し出された外の風景を見た。
 集まった人々。その中には、メイドのチチルの姿もある。
 その時だった。ピュアが外部スピーカーのスイッチを押した。
「チチル、お父様方、行ってきます!」
「馬鹿!」
 慌ててスイッチを戻すが、自分の声まで正確に伝達されたルンは頭を抱えた。
 外では、チチルが苦笑して手を振っていた。










       4.ピュア、初めてのステーションではしゃぐのこと


 第二惑星ベイルから高速宇宙船で約四時間の位置にカシルミア学園はある。ベイルの重
力圏を越えた場所にあるステーション──ほぼ正四面体の人工星──の一区画に学園の土
地を有しているのだ。
 ブレス星系初のステーション学園であり、長い歴史を持つその学園は、星系内でも一、
二を争う名門校だ。各方面でその能力を認められた者、多額の寄付金を学園に寄せている
家の出身者などが集ってくる場所である。その規模は一都市に匹敵し、ステーション内に
は学園街と呼ばれる、学生に不自由させないための『街』まで完備されていた。
「見て見て、凄いの。ねえ、ルン!」
「はいはい」
 ステーションがモニターに映し出されると、ピュアはすぐに指さして子供のようにはし
ゃぎだした。ルンは読んでいる本から顔を上げずにおざなりな返事を返す。ピュアの頬が
不満げに膨らむが、無視だ。
「ねえ、ルン。凄いの!」
「うん、そうだね」
「見てないっ」
「はいはい……はい、見た」
「ね? 凄いの!」
「うん、凄いね。この展開は予想できなかった」
「本じゃないの!」
「そうだね」
「う〜……!」
「あ、こら」
 横から伸びた手に本を取り上げられ、ルンは眉根を寄せた。ピュアは拗ねた顔のまま、
しおりも挟まずに本を閉じる。
 太陽のような微笑みがルンに向けられた。
「凄いの!」
「わかったわかった……見慣れてるんだけどね、僕は」
「あとどのくらい?」
 ルンはモニターの倍率を見てから応える。
「三十分くらいだな」
「大きいのね」
「二千キロ四方はあったはずだよ。人類が宇宙空間に浮かべた建造物としては最大の物だ」
「二千キロ……うちの庭より大きいかしら?」
「微妙だね。実家だけならステーションの方が大きいんだけど、別荘の方の庭はやたらと
広いからね……」
 庭園のためだけに造られた別荘を思い出して、ルンは顎に手を当てた。フィップアート
の別荘の方が、わずかに広いか。
 宇宙船は、とっくに減速を始めている。後は牽引ビームに誘導されてステーションの学
園前宇宙港に着港するのみだ。
「ここからわたしたちの新しい生活が始まるのね」
 数年前、自分も同じ感想を抱いたルンは、苦虫を噛み殺したような顔になった。

                 ※

 宇宙港を出ると、青空が広がっていた。ピュアはちょっと驚いたのか、ルンと絡めた腕
をに力がこもる。ルンは小さく言ってやる。
「映像だよ」
 花畑の映像が映し出される部屋などは、広く一般の家庭にもある。珍しいものではない
のだが、フィップアートの庭には本物の花畑があり、そのような映像装置は一切用意され
ていない。
「凄いのね」
 呟く自分の家が規格外だということに、ピュアは気がついていないのだろう。その呟き
を聞いて、ルンは表情を引き締めた。
 自分の役目の重要性を再確認した。
 ピュアを監督するのは、フィップアートの未来のために、絶対に必要なことだ。下手に
権力があるだけに、ピュアが暴走したら大問題になる。
 そのような監督義務はエルマにとってのシルビアのように、ピュアの伴侶にでも任せれ
ばいいのだろうが、現在はそのような相手がいないのでルンがその役目を果たさなければ
ならない。
 特権階級として生まれてきたつけを、ここで一気に払わされている気分だ。
 そのようにルンが決意を新たにしているのも知らず、ピュアは周りの物全てについて質
問する。
「あれ何? あれは? あ、あの浮いているのは? きゃあ、可愛いの!」
「……落ち着け、ルン。今はどうしようもない馬鹿だが、そのうちただの馬鹿になってく
れるかもしれないじゃないか。今だけの辛抱だ、はは……」
「……ルン、悩み事があるなら、わたしに隠さないで言ってね。悩まないのが若さの秘訣
だってお父様も言っていたの」
「ご忠告感謝いたします、お嬢様」
「ルン、怒っちゃ嫌なの……」
 二人の後ろにはギルが無言のままついてくる。だが、それは目に見える位置でだ。目に
見えない所では、二ダースを越える人数が警備にあたっているはずだった。
 ギルたちは、主人が望まない限り決して口出しすることはない。ルンたちにとっては生
まれた時からで慣れているので、彼らをいないものとして生活するのに苦労はない。
 制服のポケットから電子手帳を取り出してルンは確認した。
「今日はこのままホテルに直行。学園の位置は僕が知っているから下見の必要もない。ど
こか行きたい所はあるかい?」
 ピュアは首を横に振る。
「何があるか知らないの」
「だったら、観光だね」
 宇宙港の前は人払いがされ、一台のエレカーが用意されていた。ギルが後部座席のドア
を開き、自分は運転席に乗り込んだ。
「どこに向かいますか?」
「学校まで有名所を順番に。──その前に、昼食が食べたいな」
「お腹空いたの」
「は。……ルンさまのお好みは?」
「僕に訊くのかい?」
「わたしは辛くないものがいい」
「……ですので」
「僕の行きつけの店がある。そこにしよう」
 ルンの告げた店へとカーナビの案内で行く。メニューにある値段は、とても学生に払え
る額ではないのだが、カシルミア学園の生徒なら頷ける。それでも、行きつけにする生徒
は少ないだろうが。
 忘れられがちだが、ルンはフィップアートの血に連なる者なのだ。ルンは家を出ても生
きて行くだけの能力を備えていると自負しているが、衣食住の基準がすでに一般人とはか
け離れている。食事をするルンたちの横に控えながら、ギルはそう判断した。
 ルンの食事は早い。のろのろと食べるピュアをチラリと見、ルンは顔をしかめた。
「肘を突いて食べない。それから、その手の上に顎を乗せて食べない。ついでに、食べな
がらじっとこっちを見ない」
「にゅん、にゅめにゃい」
「追加。食べながらしゃべらない」
「ルン、冷たい……。ルンの顔を見てると、唾が出てきて食事がはかどるの」
「僕は梅干しかい!」
「だって、久しぶりなんだもの、ルンの顔を見るのも」
「家に戻ってから毎日見ているだろう」
「三年分も見てないもの!」
 力説するピュアに、ルンは肩をすくめた。コーヒーを含み、今度はギルに視線を送る。
「食べる?」
「勤務中なので」
「そう」
 応えはわかっていたが、とりあえず訊いてみただけだ。ルンとしては、昔からの顔なじ
みのギルとも一緒に食事をしたいのだが、こう人がいる所では無理だろう。
 と、ピュアがサイコロステーキを一切れフォークに刺してギルに伸ばした。
「召し上がれ♪」
「…………」
「…………」
 ちょっと小首を傾げた笑顔。ギルは無言でその場に立ちつくした。サングラスに隠れ、
その瞳はわからない。ルンはテーブルに突っ伏して肩を震わせていた。予想がついたのだ。
「では、失礼して」
「あ〜ん」
「あ、あ〜ん……」
 ご主人さまには逆らえないのである。さらに相手が、ニコニコと笑っているピュアでは、
逆らいようもない。ルンの視界の端に、壁際で笑いをこらえているギルの部下が見えた。
おそらく、後でギルに酷い目にあわされるだろう。
 かくして、滞りなく昼食は終了した。
 その後二人はエレカーに乗ったまま観光を続け、最後にカシルミア学園の校門前に寄っ
た。
 エレカーのドアが開き、ルンは苦笑を浮かべて見慣れた正門を見た。磨き上げられ、汚
れ一つない大理石の校章に触れる。自然と、ため息が出た。
「ピュア、ここが君が三年間通うことになるカシルミアだ。感想は?」
「素敵ね。ここで三年間ルンと一緒にお勉強するのね」
「……それさえなければ、僕も君に入学祝いだの何だの嫌になるくらい贈ってあげたのに
ね」
「あら、そう言えばわたし、明日入学なのにルンの入学祝いを何も用意してないの」
「いらねえよ……」
「ルン、腕が高いの」
 ぶら下がった状態でピュアが言う。
 部活でも見ていこうかな、とルンは思った。ルンは在学していた三年間、第二級飛行船
部に所属していた。三年時には部長として先頭に立ち、五月と十一月の校内グランプリで
は連続優勝している。残念ながら、受験のために優勝者資格であるブレス杯への一般参加
枠は後輩に譲ったが。
 入学式の前日なら、部室のシミュレーション・マシンを使用している確率が高い。
「ルン、入るなら入りましょ」
「あ、ああ」
 突然斜め下から言ってくるピュアに頷いて、ルンは校門をくぐった。ピュアは、時々ル
ンの考えていることをズバリ言い当てる。そんなに自分は単純なのだろうか、とルンは昔
悩んだことがある。
『ピュアちゃんだからわかるのよ』
 そのリースの言葉を信じるしかあるまい。母の言葉に、ルンは感心したのだ。さすがに
ぼけているようでもフィップアートの跡取りなのだと。
 真面目な顔で歩き出したルンの横顔を覗き見て、ピュアはクスリと笑った。
 校門からすぐの植え込みに差し掛かった時だ。
「そこのお嬢さん。もしかしてとは思いますが、フィップアートのご令嬢で?」
「人違いです」
 さらりとルンは言った。しかし、ピュアはちょこんとお辞儀して言う。
「はい。ピュア・フィップアートです」
「やっぱり。お会いできて光栄です。ヒアからやって来ました、ティッカー・アルフレッ
ド・ブロードクラフトと申します」
 そう言って頭を下げたのは、綺麗にセットされた銀髪の少年だった。ルンと同じく、カ
シルミア学園の制服に身を包んでいる。身長は一六五センチよりやや高いか。吊り上がり
気味の目も魅力的な美少年だ。
 ルンは素早く思考を巡らせた。
 ヒア──ブレス星系第五惑星だ。ブレスからは距離があるため、惑星上の水分が全て氷
と化していたのだが、開拓のために地下マグマに反応兵器を使用。活性化したマグマによ
る地熱効果により大気をも温暖化させ、現在は二つの王国と五つの共和国によって治めら
れている。
 ああ、とルンはティッカーと名乗った少年を見た。
「ブロードクラフト。確か、ヒアの王家の一つだったな」
「そうだ。ところで、お前は何だ? ピュアさんに馴れ馴れしい」
 まったくだ、と思ったのでルンはスルリとピュアの腕を引き離した。ピュアが横目で見
てくるが、黙殺する。
 ルンは、短く言った。
「監督係兼ボディーガード」
「大切な幼なじみでわたしを守ってくれる人なの」
「なるほど、使用人兼ボディーガードですか」
 こいつ耳が腐ってるんじゃないか、とルンは思った。見ると、ネクタイの色は青。つま
り、一年生だ。
「新入生か。なら、ピュアと同じだな。見学でもしてきたのかい?」
「ピュアさん、これからお茶でもご一緒しませんか? 私も先日やって来たばかりなので
すが、なかなかの店を見つけました」
「これからルンとホテルですから、結構です」
「ホテルですか。私のホテルは──」
 胸に手を当ててポーズを作り、有名ホテルの名前から部屋の番号まで告げる。ついには
今朝の食事の話題が始まり、ルンは呆気に取られてティッカーを眺めた。
 人の話など、全く聞いていない。ルンなど眼中にも入れていないようだ。ピュアはいち
いち頷いているが、どこまで聞いているのか怪しいものだ。
「夕食はホテルのレストランでということで。そうですね、それまでは私の車でドライブ
でも」
「御飯はルンと食べるからいいです。ドライブはもうしてきました」
「車ですか? 三月に発表されたばかりのエレカーです。免許? はは、七歳の時にとっ
てしまいましたよ──ピュアさん!」
 びく、とルンと一緒にその場を去りかけていたピュアは足を止めた。実はすでに結構距
離がある。目を閉じて話していたので、ティッカーはようやくそのことに気がついたのだ。
 仕方なく、ピュアが振り返る。ルンも面倒臭そうにそれにつき合った。
「そう、お前だお前。そこの使用人。私とピュアさんが語り合う席を用意しに行かないか。
いつまでピュアさんを立たせておく気だ」
「車の中なら座れるな」
「そうなの」
 珍しくうんざりしたのか、ピュアはルンの腕にぎゅっと掴まって身体を寄せた。ルンの
目がスッと細まった。
 ルンはピュアを甘やかしているつもりはない。しかし、ピュアはやはり身内だ。見知ら
ぬ他人に身内が不快な思いをしているのを見過ごせるほどルンは大人ではない。
「ギル」
 頷くと、二メートルを越す大男は片手を振って静かに言った。
「片づけろ。丁重にな」
 すると、学園の中から外から五人ほどの男たちが現れ、ティッカーとルンたちの間を遮
った。
「こら、私を誰だと思っている!」
 スーツ姿の男たちは、手も出さずに壁になっている。それでもその迫力だけでティッカ
ーは進めずにいた。
「ピュア、行こうか」
「いいの?」
「さあ。まあ、どうせ明日また会うだろう。新入生みたいだしな」
「違うの。部活は?」
「……まあ、明日でもいいし」
「こらー! そこの使用人、こいつらを退けないか!」
 眼中にも入っていなかったのは、ティッカーの方だったのかもしれない。ピュアの言葉
に、ルンは苦笑を禁じ得なかった。


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