7 「助けて──」  沈んでいく。  水の中に沈んでいく。  幼い子供が沈んでいく。  助けたくて、しかし幼い子供の力ではどうしようもなく、彼女たちはただ泣きわめいて いた。 「お姉ちゃんが、お姉ちゃんがぁ……」  だが、少年だけは泣いていなかった。  少年の目は、少女が消えた池面を見つめていた。否、その目は現実を映していたのだろ うか。焦点は合わず、少年の歯はガチガチと震えが生み出す音を発していた。  怯え。  恐怖。 「ダメ……だ」  やがて、少年はポツリと呟いた。  あまりに小さくて、少女たちには聞き取れなかったが、少年は確かに言ったのだ。 「もう、誰も俺の目の前で──!」                  ※  ケイタが高津家に戻ったのは、まだ夏を残す陽がすっかりと赤くなった頃だった。ぼん やりと冴えない思考を抱え、ケイタが玄関の戸を開くと、そこにはちょうど靴を脱いでい る碧の背中があった。 「あ、お帰り。……って、あたしも今帰ってきたとこだけどね」 「ああ……ただいま」  ニカッと白い歯を見せて笑う碧に対して、ケイタは生返事を返す。そのまま碧の横を通 り過ぎようとするのを、碧が手を引いて止めた。 「……ん?」 「何かあった?」  ケイタはドキリとした。振り返って目にした碧の顔は、一瞬前のものとは、ずいぶん違 っていた。そう、従兄を迎えた少女の顔と、いたずらを咎める母親の顔の違い。だが、ケ イタがドキリとしたのは、そのギャップではない。 (母さん?)  家族に向ける、表情だ。  そのことを意識した途端、ケイタは身体の力が抜けるのを感じ、その場にへたりこんだ。 驚いたのは碧である。 「ちょ……ケイタ!?」 「悪い。……ちょっと、な。そうだよな、お前にも秘密にすることは、無いんだよな」 「ケイタ?」  玄関に腰を下ろし、手で顔を押さえるようにして言うケイタに、碧は表情を改める。 「何か……あった?」 「ああ……」  箱庭のような家庭。  それを崩すとしたら自分なのかもしれないと、ケイタはこの時思っていた。                  ※  夢や、病院でのことを全て告白すると、碧は何か思案するような顔になって、 「……大丈夫、ケイタのせいじゃないよ。悪夢だって、すぐに見ないようになる。あたし が保証するよ!」  と最後には笑ってケイタの背中を叩いた。  その笑顔に勇気づけられたというよりも、自分の内にためこんでいたものを全て吐き出 したということが、ケイタの心を随分と軽くしてくれた。やはり風弥や夕花は相談するに は年下過ぎ、碧のような、ある意味頼りがいさえ感じさせる相手がいてくれたことは、ケ イタにとってありがたかった。  それから、ケイタは風弥や夕花を相手にもごく自然に、数日前の柔らかさを持って接す ることが出来た。 「ただいま」 「あ、お帰りなさい、美冬さん」  ちょうど風呂に入ろうとしたところに美冬が帰宅し、ケイタは笑顔でそれを迎えた。そ の笑顔を見た美冬はちょっと首を傾げ、 「何か、良いことでもありました?」  と、ホッとしたような微笑みと共に言った。  その夜、ケイタは久しぶに安らかな眠りを得た。  ──それが、最後の安らかな眠りであった。                  ※  深夜。  固い表情をした碧が、公園の中に佇んでいた。前日の戦いの傷跡を残す公園には、立入 禁止の看板が立ててあったが、碧はそれを意に介しない。  動きやすいタンクトップに、ズボン。  碧は、静かに相手を待っていた。  そして。 「ほう……高津美冬では、ないのだな」  声は頭上から降ってきた。ハッと見上げた碧の視界に、腕を異形に変化させた青年の姿 が映り、その眼鏡の奥の瞳が凶悪な光を発しているのに気付いた時には、その鉤爪は必殺 の威力を持って碧に叩き込まれていた。  鮮血が散った。                  8 「ぐ!?」  彼の爪は碧の肩に叩き込まれ、鮮血が散った。しかし、驚愕の声を上げたのは彼の方で あった。 「……なんだ、この程度ってわけ!?」 「貴様……」  苦痛を堪えるようにして、肩から散った血に頬を染めながら凄絶に碧は笑った。その手 が青年の腕を掴み、力を込める。 「な……っ」  ぐぐぐ、と腕を押し上げられ、彼はさらに驚愕する。その、スーツを着た青年の腹に、 碧は空いている拳での一撃を叩き込んだ。呻き、彼は下がろうとする。だが、碧は青年の 腕を掴んで放さず、眉尻を吊り上げて叫んだ。 「警戒もなしにあたしに近づいたのが運の尽きだよ。あたしは、美冬姉よりも──」  もう一度、充分に拳を引き、 「──強いんだから!」 「ぐうっ!」  拳が青年の腹に、まさに突き刺さる。骨が砕ける音と、水分の詰まった何かが弾けるよ うな音がして、拳が手首の辺りまで青年の身体の中に消えていた。  そして、碧は叫んだ。 「このまま……死ねえ!」  一気に拳を抜き、血にまみれたそれにも構わずに、充分に体重の乗った回し蹴りを放つ。 無防備にそれを受け、青年が玩具のように吹き飛び、地面の上を転がった。回転は止まら ず、勢いを少しも殺さずにその身体が巨木に叩きつけられ、激しい衝撃音と共にその木が 倒壊した。傾くなどという生やさしいものではない。まさに、木が折れた。 「はあ……はあ……」  土煙の舞う公園で、碧は鮮血の吹き出る肩を手で押さえて、倒れた木の辺りを険しい目 で睨み付けていた。 「やった……か……?」  極度の緊張があったのだろう。碧の呼吸は荒く、どっと吹き出た汗が頬を伝っていた。 だが、碧が見守る中、木を手だけで押し退けて、青年はボロボロになったスーツを纏い、 立ち上がる。 「……やってくれる。貴様、狩猟者の力を使いこなしているようだな」 「はん。つい最近目覚めていい気になっているような奴とは、年期が違うんだよっ」  言いながら、碧は青年の腹を見てチッと舌打ちした。 「回復力だけは、いっちょまえじゃないか」 「くくく……顔色が悪いぞ。そうだ、お前は狩猟者だ。ならば、本能でわかるはずだ。雌 は、雄に勝てはしない。雌は雄に貫かれ、子を産むだけの存在。貴様も誇り高き狩猟者の 雌ならば、この俺を、選べ」 「……誰が、変質者の言うことなんか」 「抵抗すればいい。泣き叫べ。お前には、あの女を引きずり出す餌になってもらう」 「出来ないよ、あんたにはっ」  ひゅっと鋭く息を吐いて、碧は目を大きく見開いた。両腕を広げ、無防備な姿となる。 「?」  訝しげな顔をする青年の前で、碧の瞳に変化があった。虹彩が猫科の動物のようにキュ ッと細まったかと思えば、今度は暗闇に対応するかのように、それが大きく広がる。その 色は既に金に染まり、それは先日の美冬と同じ色だ。  次に変化が表れたのは少女の末端部。ピンと張っていた指を、内側から食い破るかのよ うに、細く蠢くものが皮膚を割いて現れた。皮膚という皮膚を割いてそれは瞬時に碧の手 を別のものへと構成していった。無骨な、獣毛に覆われた巨大な手だ。それは五本の指を 備えてはいるが人間のものでは有り得なく、発達しすぎた爪は肉食獣以上の危険度を示し ていた。同時に、足も丈夫なスニーカーを千切り、異形へと姿を変える。  身に纏う雰囲気さえ人を越え、月明かりの中、碧は獣のような唸り声と共にその牙を自 分の敵へと向けた。 「あんたは、このあたしが殺す!」 「獣化……そうか、貴様は」  ニィ、と青年も、自らの牙を月光にさらした。 「千年ぶりの家族の再会といこうかぁ!」  二人分の影が交錯した。影は行き違っても止まらず、逆の円を描くように周り、再びぶ つかる。碧の獣の腕による一撃を異形の腕で掴み取った青年は、自分の頬に爪痕を付けた その腕を横目で見て、言う。 「この腕、いったい誰にもらったと思っている。貴様は狩猟者としての生き様を忘れ、愚 かな羊の中に埋没する気か」 「あんたが何を言っているのか、あたしにはわからない。だけど、これだけはわかるよ」  正面から睨み合い、碧は吐き捨てた。 「あたしが押しつぶした本能や、あんたが持っているその記憶は、今この時代には欠片も 必要無いものなんだよ!」 「ぐ……おおおおおおおお!」  両手で掴み合い、力比べをしながら青年は吠えた。力任せに押し切ろうとするが、碧が びくとも動かないのだ。 「あたしは、美冬姉は、何度も何度もあんたみたいな人と戦った……あんたみたいに弱い 人間じゃない、狩猟者と戦おうとする親父や、叔父さんと。そのあたしが──」  ギリ、と碧は歯を食いしばった。 「さっさと意識を明け渡した馬鹿に負けるかー!」 「ば、馬鹿な……っ」  バキン、という音がして青年の硬質化した異形の腕に亀裂が走った。 「こ、こんなはずは……俺は、地上最強の生物のはずだ! 貴様程度……貴様程度に!?」 「あんたは、あたしの大切なものを苦しめてる……許さないんだよ!」  バキ、メキ、と青年の手が碧の手に握り潰されていく。明らかな焦りが眼鏡の奥の瞳に 浮かび、それが恐怖に変わる。 「俺は狩猟者だ。狩る者だ。その俺を、貴様は狩るというのか!? 羊に埋もれ、力さえ 自由に振るわず、狩猟者の本能さえ忘れたような貴様に!?」 「……半端に力を手に入れて調子に乗っていたあんたが、馬鹿だったんだよ──っ」 「ぐ、ぎゃああああああ!」  グシャリ、とついに手を握り潰され、彼は激痛に叫んだ。  人を紙のように引き裂き、殺してきた彼が、初めて上げた恐怖の悲鳴だった。 「ケイタの悪夢の元……消えなっ!」  碧の手が青年の頭を鷲掴みにし、地面に叩きつけた。  おぞましい音がして、青年の頭が液体を飛び散らして潰れた。  直後。  青年の腕が、手を握り潰されたそれが、碧の腹に押し当てられた。 「っ!」  背筋を走った悪寒に、碧が地面を蹴って退く。  が。  一瞬遅く、何かが碧の腹部を貫いていった。                  ※ 「か……は……」  何が起こったのか、碧にはわからなかった。ただ、自分の腹部がごっそりと何かに抉り 取られたことだけは、わかった。ガクガクと、震える足がついに身体を支えきれなくなり、 碧はその場に膝をついた。気持ち悪く、嘔吐したかったが、吐き出すものが入っている腹 は、もはや無い。そこには、信じられないくらい大きな空洞があるだけだった。  碧が苦しんでいる間に、青年には一つの変化があった。  潰れていた頭。その破片。脳の一欠片までが、まるで個別の生き物のように蠢き、地面 を這いずって一つへ還ろうとしていた。ウネウネと伸び縮みして移動する脳たちは、アメ ーバを連想させる。  頭よりも先に再生された腕は、自分の身体を起き上がらせ、何かを探るように地面を撫 でる。  目玉。  眼球を拾い上げ、それを自分の顔に押し当てると、手は満足したのかダランと投げ出さ れた。  再生まで、数分もかからなかった。 「……く、くくくくくはははははははは」  驚愕すべき再生を終えた彼は、こみ上げてくる笑いの衝動を押さえきれず、笑った。  高らかに笑った。 「は、ははははははは。俺は、俺が思っていたよりも遥かに強い。そうだろう、俺が雌よ り弱いということはない。そう、俺は、もとから強かった」  狂気を感じさせる笑いを走らせながら、彼は眼鏡の無くなった目で、自分の右腕を見た。 そこは、手のひらが半ばから上下に分かれた、巨大な口状の異形と化していた。真っ赤な 舌がびちゃびちゃと蠢き、ごっそりとくわえ込んだ碧の腹の肉、内臓を、その歯は美味そ うに咀嚼していた。 「そう、俺には、こういう力もあったな」  一つ一つ、何かを思い出すかのように青年は呟いた。それを聞いて、碧は血の気の引い た顔で、言う。 「そうか……あんた、まだ完全に力に目覚めたわけじゃ……記憶も……」  その顔に、憎悪が浮かぶ。 「じゃあ……あんた、狩猟者に支配されたわけじゃ……っ。全部、自分で……!?」 「くくく……何を勘違いしている。俺は『俺』と共存しているのさ。俺の望みは『俺』の 望み。同時に『俺』の望みは俺の望み。お互いを受け入れた俺たちは、一つだ。俺は力を 提供し、『俺』は俺に羊の群に潜む場所を与える。狩猟者の本来あるべき姿を、俺たちは 手に入れた!」 「狩猟者……と、人間の共存? ふざけんなよ……っ」 「理解出来ないのなら、貴様もただの羊だ。愚かな、這いずることしか出来ない屑が。貴 様が俺を殺そうとした力は、何だ? 狩猟者の力ではないのか? その、腹に穴が空いた 姿でも貴様を生きながらえさせているのは、狩猟者の力ではないのか?」  青年の足が持ち上がり、次の瞬間それは膝をついていた碧の胸を蹴っていた。 「ぎゃっ」  悲鳴を上げて、碧が転がる。それを憐れむように見下ろし、彼は言う。 「大切なものを苦しめているから許さない、と言ったな。それこそ狩猟者だ。狩猟者の雌 は、『家』に危機が迫った時、その狩猟者としての力を発揮する。強大な力だ。貴様が殺 した父親、叔父、全て、貴様は自分たちの『家』のために殺したのだ。羊たちの中で、力 を隠して潜むことを忘れた、愚かな狩猟者を狩ったのは、全ては貴様が狩猟者の本能に従 ったからだ。貴様は狩猟者……今も、貴様の『家』の危機となる俺を消そうとやって来た のだろう? なあ、狩猟者の雌よ!」  歩み寄り、今度は碧に顔面に蹴りを入れる。腕で受けることも出来ずまともに喰らった 碧の顔が、大きく後ろに弾ける。 「が……っ」 「羊のまねごとをよしてしまえ。『家』? そのようなものに『俺』の興味はない。貴様 らがくだらんこだわりを捨て、俺と共に来るのならば、こちらも手出しはしない。俺を、 選べ」  差し伸べられた手を、碧はぼんやりと眺め、そして、唇の端に小さな笑みを浮かべた。 「……立つか、まだ」 「当たり前だろ……あたしは、あんたの手の世話なんかには、ならない」  膝に手を当て、全力で立ち上がった碧は、痙攣する身体を叱咤して、無理に笑った。 「あんた、さっきも言ったよな。あんたを選べ……って。なら、言わせてもらうよ。狩猟 者の雌は、弱い雄を選ばない」  自らを狩猟者と呼び、しかし、碧は笑いを消さなかった。 「あたしは……知ってる。あんたなんかより、ずっと、ずっと、ずっと強い雄を! 溺れ たあたしを、自分も泳げないくせに助けてくれた、馬鹿を知ってる。だから」  碧の目が、吊り上がる。 「あたしは、あんたを選ばない──っ!」  全身を使い、碧が渾身の拳を放つ。  彼は、それを左手で受け止める。  バキン、と彼の腕が砕ける音が響いた。 「……ならば、高津ケイタを殺し、貴様ら全ても皆殺しにするだけだ」  異形の右腕が碧の胸を貫いた。  碧の金色の瞳から、光が消えた。 「ケ……──」  言葉は、紡がれなかった。                  ※  少女は、ケイタのことが好きだった。幼い日に出会った、二歳年上の従兄。妹たちとは 出来ない遊びを一緒にして、色々な場所を一緒に駆け回って、彼がいなくなる夏休みの終 わりには、泣いて親を困らせた。  好きになった理由は、些細なことだ。  姉妹全員とケイタで、山の中の湖に釣りに行った時のことだった。桟橋で遊んでいた少 女は、間違って落下し、深い水の底へと沈んでいった。  自分は死ぬんだと思った。水は夏だというのに冷たく、少女の身体に絡みついてくるよ うで、溺れているというよりも少女はその水に怯えた。  昔、遥かな昔に、その水に触れた経験があったような気がした。  そして、ゆっくりと沈んでいく少女がもがき、苦しんでいた時、その身体を抱き締めて くれた人がいた。  それが、ケイタだった。  少年は、信じられない体力で少女を連れて水を飛び出した。その際に砕けた桟橋でケイ タの太股には消えない傷が刻まれることになったが、真っ赤なその血よりも、少女はケイ タの泣き顔の方に目を惹かれた。 「もう誰も……」  と。  自分以外の誰かを見て、遠い誰かを見て言うその言葉に、言いようの無い感情を覚え、 それが嫉妬だと理解した時。  少女は、ケイタに恋をしていた。                  9  朝になり、久しぶりに爽やかな朝を迎えたケイタは、あくびを一つして布団から起き上 がった。頭をぼりぼりと掻き、顔を洗おうと思い、その前に枕元のズボンに足を通す。 「……三日連続で殴られたくないしな」  碧のことを考え、もう一度あくび。昨日碧に相談したお陰ですっかり不安の取れたケイ タは、精神的にもこれからも彼女や美冬の世話になった方が良いのかもしれないと思った。  助け合うのが、家族であるのなら。 (俺って、今まで俺が守らなきゃって思っていたけど、こうやってお互いに相談に乗るの が家族なのかな……)  守るだけでも、守られるだけでもない、関係。  唇の端に自然な笑みを浮かべ、ケイタは洗面所に向かった。 「あ、風弥ちゃん、おはよう」 「…………」  ケイタの挨拶に、風弥は応えなかった。ただ、うつむいて、その場に立つ。 「風弥ちゃん?」 「……碧姉さんが死にました」 「は?」  ケイタは、間抜けな声を出した。  沈黙。 「何?」  言葉が、脳に浸透し、しかし理解できず、ケイタは風弥を見た。風弥は、ケイタを見ず にもう一度言う。 「碧姉さんが死にました」 「何を……え?」  いきなり、ぞわりとしたものがケイタの身体を走った。足元から背筋を通って頭の先ま で、虫が這いずるような、悪寒。 「箱庭を守ろうとして、碧姉さんが死にました……っ」  今度は、吐き捨てるように、風弥が言った。  うつむいた風弥が泣いていることにケイタが気づけたのは、その時になって、ようやく だった。 「碧が……って、え? 風弥ちゃん?」 「碧姉さん……一人で行きました。箱庭を守るために……。箱庭なんて、どうでもいいの に。嘘なんか、全部吐き出して、本当のことを言い合って、それでいいのに、どうして碧 姉さんは一人で行ったんですか!? お互いのこと、わかってるのに、なのに隠して…… 一緒にいけば、助かるのに、一人だけで行って……どうしてなんですか!?」  ケイタは呆然として、何も言えなかった。顔を上げた風弥は、それまでの寡黙を振り捨 てるかのように叫んだ。長めの前髪から覗く瞳を涙に濡らし、理不尽な何かに怒鳴り散ら すように、叫んだ。 「お父さんの時も、叔父さんの時も、誰も何も言わない。何を見ても、何も見ていなかっ たみたいに……お互いに相談もしない! 美冬姉さんも碧姉さんも、自分たちに力がある ことを知っていても、そのことに何も触れない。行動する時は、いつも一人。どうしてな んですか? どうして……」  そのまま泣き崩れてしまう風弥の姿に。  ケイタは、碧が死んだことを、理解した。 「ケイタさん……」 「美冬さん……」  後ろから声がかかり、ケイタは振り返った。すると、声の通り、そこには疲れた顔をし た美冬が、スーツ姿で立っていた。 「風弥、早く朝食を食べて──」 「美冬姉さんっ!」 「っ」  パン、と美冬の頬が鳴った。ケイタが、そして美冬の頬を叩いた風弥が、呆然とする。 「あ……わたし……」  自分の手を見つめ、再び泣き崩れる風弥をやはり呆然と見つめ、美冬は口を動かして何 かを言おうとし、諦め、別の言葉を紡いだ。 「ごめんなさ……さい」  それが何の謝罪なのか、ケイタにはわからなかった。                  ※  朝食は、静かに行われた。テレビもつけない高津家のこと、食器同士が触れ合う音だけ が静寂の中に流れ、今日ばかりは明るい談笑も無い。  一つ空いた席が、その静寂を生み出していた。  そして。 「ケイタさん。お話ししなくてはならないことがあります」 「……はい」  美冬が切り出した時、ケイタはすでに覚悟を決めていた。どのようなことを聞かされて も絶対に取り乱したりはしないという覚悟を。  美冬はまだどこか切り出しにくそうな表情で、言葉を選んでいた。出来るなら話したく はない、とその意思がケイタに伝わってくる。先程までのケイタならば、美冬の配慮に甘 えて、また、彼女に苦しい思いをしてもらいたくないがために先の言葉を聞かずにすませ たかもしれない。 (そういうのも家族だと思っていたのかもしれない……)  守って守って──傷つけ合わない道。  それは間違ってはいない。  ケイタはその、互いを守り合う高津家の優しさに安らぎを覚えたし、だからこそ従姉妹 たちを家族だと認めることが出来た。ここを、自分の家なのだと感じた。  だが、風弥は叫んだのだ。お互いのことを考えるあまり、真実すら口にせず、自分だけ が傷ついて家族を守ろうとする。そんなものは違う、と風弥が言った。  美冬と碧の、優しさ。  その優しさが違うと言う、風弥。  ケイタには、どちらが正しいのか、わからなかった。否、どちらも間違ってはいないの かもしれない。 (美冬さんも、風弥ちゃんも、家族が大切だからそうするんだから……)  自分だけが傷つくこと。  それは、家族が大切だから。  傷つく家族に耐えられず、共に辛い道を歩もうと言うこと。  それは、家族が大切だから。  そして今、美冬は碧という家族を失い、揺らいでいる。 「あ……」  美冬の唇が、震える。自分が守ってきたもの。秘密にしてきたもの。それらを語る勇気 が、まだ無いのかもしれない。  だから、ケイタは自分に出来ることをしたいと思った。小さなことだが、美冬にきっか けを与えたいがために、言う。 「美冬さん……俺、最近変な夢を見ていたんです。夢の中で俺は狩猟者と名乗り、とても 暴力的な思考を持っていた。夢の中で友人に暴力を振るったり……美冬さんと、戦ったり」 「…………」 「それって、ただの夢なのかな?」  静かに、美冬を促す。  ケイタは、妙に冷静な自分が意外であった。  碧が死んだ。  衝撃的な風弥のひとことは、すでにケイタの中で消化されていた。消化され、確かに理 解した事実は、ケイタの胸の中に不思議な空洞を空けた。  不思議な、空洞を。  悲しく、しかし冷静なケイタ。  今のケイタの口調は、優しくすらあった。 (違う、俺は……恐いんだ)  冷静な頭は自分の状態さえ分析する。 (取り乱して、この場が壊れてしまうのが、恐いんだ……)  碧の席が空席になっていることに、誰も何も言わなかった。事情を知らないように見え る夕花でさえ、何も言わずに朝食の碗を差し出してきた。それは、気味の悪い違和感。風 弥の言っていた箱庭の意味を、ケイタはやっと理解した。そして、美冬たちがその箱庭を 守る理由も、わかった。 (きっかけがあれば、この箱庭は一気に崩れ落ちる)  残るのは真実。  そして、悲しみだ。 「俺は……美冬さんたちとは兄弟でもなんでもないから」  ボソリ、とケイタは言った。 「だから、こんなことを言うのかもしれない。美冬さんが大切にしていたものを、俺が、 余所者の俺が壊してしまうのかもしれない。家族でも無い俺が──」 「ケイタさん……っ」  瞬間、美冬がテーブルを叩いた。ガン、と凄まじい、それこそテーブルが砕けかねない 衝撃に、米の入った茶碗が宙に浮く。あ、と言う間も無く床に落下した茶碗が、ガチャン と音を立てて割れ、だが誰も気にしなかった。  苦しそうに、ついに美冬が言葉を放った。 「ケイタさんは……私たちの家族です。家族ですから……ごめんなさい、全部、私がいけ ないんです……」  テーブルに押しつけた小さな拳が血の気を失って真っ白になっていた。じっとそんな自 分の拳を見つめ、美冬は言う。 「お話ししなくてはならないことがあります……それは、荒唐無稽に思えるかもしれない、 遠い遠い過去の物語から……」                  ※  かつて、雨月山には鬼と呼ばれる者たちが棲んでいた。それは、ただの昔話ではなく本 当のことだ。  鬼たちは自分たちを狩猟者と呼び、幾度となく村の人間を襲っては残虐の限りを尽くし た。野党との絶対的な違いは、狩猟者たちが殺人にしか興味を示さず、金品などは奪わな いこと。だが、そのことが村人たちをより怯えさせた。  殺人だけを望む鬼たち。それは金品を奪う野党よりも、より恐ろしい。何故なら、村人 たちには殺人を理解出来なかったからだ。金品を奪うのはわかる。だが、殺人はわからな い。異質な考えを持つ生き物を、村人たちは心底恐れていた。  村人たちは領主に頼み、討伐部隊を組織してもらったが、鬼たちは本物の化け物だ。刀 などでは到底適わない強大な力の前に、侍たちは全滅した。その部隊に、高津家の先祖は 所属していたのだ。  奇跡的に助かった高津家の先祖は、どういうことか鬼の力を得ていた。その力を旗印に もう一度討伐部隊が組織され、高津家の先祖は見事に鬼を退治した。そして、高津家は褒 美としてこの土地を任されることになった。  問題は、それからだった。  鬼を討伐して後、高津家には時折異常な能力を持つ子供が生まれるようになった。その 子供たちは己を狩猟者と言い、暴力的な行為を好み、時に殺人に走った。  そう、高津家から、鬼が生まれるようになったのだ。どういう仕組みかはわかっていな いが、高津家の先祖が鬼の力を得たことと関係しているらしい。鬼の力だけではなく、鬼 の血すら得てしまったのでは、と。  だが、完全に鬼となる者は少なかった。鬼──狩猟者の本能と戦い、苦しみ、最後には 自ら命を断つ。それは、武士の家系としての誇りが、邪悪な意識の侵食を拒んだ結果かも しれない。  ともあれ、高津家には鬼の子供が生まれる。  それだけは事実だ。                  ※ 「じゃあ……あれは、鬼?」  ケイタは口の中がカラカラになっていることに気付いていたが、麦茶を含む気にもなれ ず、そのまま美冬に視線を向けた。美冬は悲しそうな、それでいて自嘲するような瞳で頷 く。 「はい。鬼、です。世間の人は笑うかもしれませんね。地元の名家、英雄を先祖に持つ高 津家に、そんな血が流れているなんて、良いゴシップだって……誰も信じてくれないでし ょうけど」 「人を殺す鬼。狩猟者の本能……」  ケイタは、自分の胸に手を当てた。  夢。  それは、強烈などす黒い感情の嵐だった。否、あれは感情と言うのだろうか。本能。逆 らえない衝動という名の何か。そうするのが自然だと、思わず思ってしまうかのような。 「あれが……」 「この『鬼』は、男子により強く現れます。女子は、私もそうですが、比較的大人しいと 言うか……」  言葉を濁す。 「……人を殺したいなどとは、私は思ったことがありません」  それは、一般の食卓で出るにはあまりに殺伐とした言葉であった。姉妹の顔を見回した ケイタは、唇を舐め、尋ねる。 「じゃあ、訊いていいですか」  重要なことを訊く。 「俺は、鬼ですか」 「……はい」  美冬に頷かれても、ケイタは動揺しなかった。話を聞いて半ば感じていた事実だ。ただ、 驚いたのは夕花である。 「ケイタお兄ちゃんが、鬼……」  思考が現実に追いついていないような響きに、ケイタは夕花が何も知らなかったことを 知った。顔から血の気を引かせた夕花は、行儀良く膝の上に手を置いてうつむいている。 「ゆ……」 「夕花。あなたにはまだ早いと思っていて、何も言っていなかった。だけど、これは高津 家に代々伝えられてきた、本当のこと……姉さんを、信じて」 「……うん。美冬お姉ちゃんを信じる。けど……」  ケイタが口を開くと同時に美冬が夕花に諭すように言い、夕花は頷いた。しかし、その うつむいた瞳には、まだとまどいが宿っている。  そのとまどいを、ケイタは自分へのとまどいと感じた。 「……俺が鬼だと、やっぱり恐いよな」 「そ、そんなことないよ!」  夕花が顔を上げて、全力で否定した。その勢いに、そのすがりつくような瞳に、ケイタ は目を見開く。 「私にとって、ケイタお兄ちゃんはケイタお兄ちゃんだもの。優しい……お兄ちゃんだよ ね」  鬼である、よりも、ケイタである、ということ。 「私はケイタお兄ちゃんが好きだから……恐くなんかないよ」 「ありがとう……」  思わず、ケイタは感謝の言葉を口にしていた。ケイタは夕花を心配して気遣ったつもり だったが、それに対する夕花の言葉はケイタの心の中の不安を、一気に晴らしてくれた。  鬼だから、怖がられるのではないのか。今までの関係が壊れるのではないのか。その恐 怖は、夕花の言葉で、消えた。 (でも、それなら夕花ちゃんは何にとまどっていたんだ?)  自分の内に沸いた疑問を口にしてよいのか、ケイタは迷ったが、その迷いに決着がつく 前に、夕花自身がうつむいて言う。 「ただ……美冬お姉ちゃんの話を聞いて、お父さんたちも、鬼だったのかなって……」 「!」  ケイタは息を飲んだ。 「そ……」  それは、当然考えるべきことだったが、ケイタは思いつきもしなかった。まだ、心のど こかでそういった事実を無視しようとしていたのかもしれない。  バッとケイタが顔を見むけたのに、美冬は沈痛な顔で頷く。 「はい。ご想像の通り、父も、そして叔父様も高津家の鬼をその身に宿していました。か つては数十年に一度程度の割合で鬼が生まれていたそうなので、ここ最近は異常と言える くらい多くの鬼が生まれている計算になります」  やけに冷たく、美冬の声が響く。 「父も、叔父様も、高津家の誇りを持っていました。いえ、人間の誇りを……」  その言葉の意味が、ケイタに事実を教えた。 「ケイタさん……叔父様は、鬼などには負けず、私たちを守るために自ら命を断ちました。 本当の娘ではない私たちのために。そして、あなたのために……」  ケイタは、テーブルの上に肘をつき、手で顔を覆った。  沈黙があった。  誰も、何も言わなかった。 (……ああ、そうか。親父、あんたはそうやって生きたのか……)  それを認めることは、ケイタにとって苦痛だった。  ケイタが軽蔑する父親。仕事の虫の父親。母の最後を看取らなかった父親。  静かに、ケイタは震える声で尋ねた。 「母さんが死んだ時は……」 「叔父様は、鬼の本能が見せる悪夢に苦しめられ、日々衰弱していました。ともすれば殺 意を爆発させてしまう自分を抑えつけ、当時は仕事も殆ど手に着かない有様でした。…… 叔母様の訃報がなければ、叔父様はあのまま鬼に心を支配されていたかもしれません」 「母さんの、死が?」 「叔父様は、叔母様の死で、そしてケイタさんが独り残されてしまうということで、鬼を 押さえ込んで立ち直ることが出来ました。人間らしい悲しみ。子供への愛情……それが、 鬼を押さえ込んだのだと思います」  そうして駆けつけた父親に、ケイタは何と言ったのか。 「今さら何をしに気やがった!」  母の前に父の顔を突き出し、叫んだ。 「謝れよ。母さんに謝れよ!」  すまなかった、と。  父の小さな呟きが、ケイタの耳に戻ってきた。 「叔父様は、ケイタさんが近くにいれば、もっとがんばれるかもしれないと……そう言っ ていましたけど……」  ケイタを見る美冬の瞳は、悲しい。その悲しみが、自分を責めているとケイタは思った。 「俺は、一緒に暮らさないかと言った親父の言葉を、はねのけた……」 「それでも、叔父様はがんばりました。まだ未熟な私たちを置いては死ねないと……自ら の命を断つことすら出来ず、鬼の狂気と戦い続け、仕事も見事に……私がここまで来れる まで続けてくれて……」  美冬の目には、輝くものがあった。 「美冬さん……」  いつも微笑んでいた美冬が、泣いていた。美冬が泣いているのを見るのは、これで二回 目だ。  一回目は、ケイタの胸に夢で見た傷の痣があった時。 (ああ、そうか……)  ケイタはいきなり理解した。あの時の美冬の涙の理由を。 (あれで、美冬さんは俺が鬼を宿していると、確認してしまったんだ……)  そして、ケイタの父親の最後を、思い出したのだろう。  その美冬の前で、ケイタは父を嫌い、否定し続けていたのだ。 (俺は……)  ケイタが父を否定する度に、美冬たちは傷ついただろう。悲しんだだろう。ケイタは、 従姉妹たちを守りたいと思っていたというのに、一番身近でケイタが苦しめていたのだ。 「俺は……っ!」 「自分を、責めないでください」  唇を噛むケイタに、風弥が目を伏せて言った。 「ケイタさんは、何も悪くない……誰も悪くない……ただ、優しかっただけ」 「箱庭……」  風弥が言っていた単語を、ケイタは呟いた。  皆が、皆を守るための嘘を。  そして、父の嘘が、ケイタの前で消え去った。 「叔父様は、最後までケイタさんのことを思っておられましたよ……」  美冬の言葉に、ケイタは初めて父のために涙を流した。                  ※  早めの朝食が終わると、今日くらいは休めばと言う美冬に微笑みを見せて夕花が家を出 た。 「図書委員のお仕事があるから……」  その笑みは、いつもよりもずっと弱々しいものであったが、ケイタには前よりもずっと その笑みの意味を感じることが出来た。  微笑むことが出来る夕花は、強い。それは、自然の中で育った花の強さのような、生命 力を他に伝えることの出来る強さだ。 「行って来ます!」  玄関から出ていく夕花を、美冬は本当に愛しそうな瞳で見送った。  そして、美冬は隣にいるケイタに言う。 「あの子には、鬼の力の徴候はありません。出来るなら、あの子は巻き込まずに全て終わ らせたいと思います」 「俺もそう思います。って、俺も鬼の力とか全然無いんですけど」 「でも、夢は見たんですよね? それから、あの胸の痣……」  トン、と美冬のしなやかな指がケイタの胸を突いた。こんな時でありながら、その行為 にケイタはどきりとした。 「あれは、あの鬼とケイタさんの鬼が共鳴した結果だと思います。私たちには、お互いが どういう状態でいるのか何となくわかる……一種のテレパシーのようなものがありますか ら、おそらくそれが夢の形で増幅されたんじゃないでしょうか」  つつー、っとケイタの胸を美冬の指先がなぞる。本人は意識していないかもしれないが、 蠱惑的なその行為にケイタは身じろぎした。 「……じゃあ、俺が見た夢をもとに、あの鬼が誰だか割り出せるんですね」 「そうなります。……でも、必要ありません。ケイタさんは、夢で見たんですよね、私が 彼と戦っているのを」 「!」  ケイタはハッとして美冬を凝視した。 「それじゃ……っ」 「……謝らなくてはなりません。前から、彼のことは知っていたんです。父は、私にだけ は教えてくれていましたから」 「伯父さんが? あ……っ!」  ケイタは、自分の迂闊さにようやく気が付いた。 (鬼が生まれるのは高津家……なら、あいつも……っ!?)  ケイタの驚愕を前に、美冬は今日何度目になるかわからない悲しい表情を見せた。 「彼の名前は、鷲沢弦。父が母の前に付き合っていた女性が生んだ、正真正銘、私の兄で す」  若い、眼鏡をかけた刑事の姿が、ケイタの脳裏にフラッシュバックした。                  間4  ……長いこと、眠っていたようだ。昨夜、狩猟者の小娘の戦いは良い勉強になった。雄 である俺が雌の戦いに学ぶというのは口惜しいが、俺には力があってもまだ経験が無い。 その点、昨夜の小娘や、その姉である高津美冬は、多くの戦闘経験を持っている。俺がよ り強い力を得るために、この雌たちに学ぶことを今は受け入れなければならない。  同じだけの経験を持てば、狩猟者の雄は決して雌に敗れたりはしない。それは、自然の 摂理だ。狩猟者の雄こそが、この世に生を受けた者の中でもっとも強大な力を持つからだ。  朝、無気力な顔で仕事先に向かう屑ども。  昼、街の中を、馴れ合いという名の友人と共に歩く屑ども。  夜、明かりを灯し、俺という狩猟者に居場所を示す家へと戻る屑ども。  屑が。屑どもが。屑の羊どもがっ。死ぬことでしか俺の役に立たない連中の中に混じっ て暮らしているかと思うと、反吐が出る。何が殺人の禁忌だ。何が命を尊ぶだ。生物の理 を忘れた、飼い慣らされた羊どもが。  俺が思い出させてやる。  貴様らの、死によって。  俺の大切なものを狩り殺した、貴様らの死によって!                  ※  子供たちの笑い声が村中に響いていた。木の枝を持って先頭を走るのは、上物の服を着 た少年だった。その後に続くのは、みすぼらしいボロを纏った、同い年ほどの少年。それ に、同じようなボロの四人の少女であった。 「あはははははは!」  先頭の少年は、落ちぶれた貴族の少年であった。左遷──と言ってよいのだろう──さ れた父親についてこの村へとやって来た少年は、しかし自然の多い村を気に入り、毎日の ように村の子供たちと共に野山を駆け回っていた。  一緒に遊ぶ五人の少年少女は、小さな村の数少ない子供たちである。しかも、その子供 たちは全員血の繋がった兄妹であった。賢く、十歳を数えないうちから畑仕事を手伝う長 男。妹たちの面倒をよく見る、将来は美人になるであろう長女。そして、その妹たち。  村の自慢の仲良し兄妹と、新しい領主の一人息子。彼らは、大人たちが思わず微笑んで しまうほどに、まるで本当の兄弟のように仲が良かった。  だが、子供たちの長い長い数年は、大人にとっては短い数年であった。領主はみすぼら しい村に馴染まず、都の知人を頼って再起を果たし、再び宮廷で働くことになった。  少年は、村の子供たちに約束した。 「俺、絶対に戻ってくるから」  自分の袖を掴んで放さない、幼なじみの少女に、少年は言った。 「絶対に、貞子を嫁にもらいにくるから……」  ──だが、その約束が果たされることは、無かった。