2  広い高津家で一人になったケイタは、今日発売の雑誌を買うついでに近くの商店街まで 出ることにした。高津家から徒歩で二十分ほどのところに商店街はある。自転車を使いた いところだったが、従姉妹とは言え無断で借りるのは遠慮されて歩きだ。  九月ということですでに陽射しは秋へと弱まりつつあり、散歩には丁度良い陽気だった。 空には多少の雲が浮かび、その白が空の青をさらに際立たせている。 「そういや、碧って名前はあおとも読むんだったっけ」  連想して、ケイタはニヤリと笑った。確かに、青空の下に駆け回るのが似合う体育会系 の少女ではある。  高津四姉妹のうち、下の三人は全員地元の高校に通っていた。碧と風弥は一緒の公立校 で、末っ子の夕花だけが私立校だ。碧と風弥は特に勉強に秀でたところはないが、夕花は ──碧から聞いた話だが──秀才と言って良い成績を有しているらしい。 「優等生って感じではあるけどな。うーん、美冬さんが頭いいから、やっぱりその妹って ことなのかな」  公立校に通っている風弥も成績は学校上位であるし、碧も部活で忙しい身ながら大学は かなり良いレベルを狙える学力があるという。  高津の血とは、もしかしたら優秀なのかもしれない。 「……もしかして、俺って例外?」  舌を出して言い、ケイタは商店街に到着して目を細めた。朝に撒かれた水が陽光を反射 して目を打ったのだ。街の雰囲気はまさに朝。早い時間なので、開店していない店が目立 つくらいだ。  とりあえずコンビニに寄って雑誌を購入したケイタは、他に幾つかの飲み物を入れたビ ニール袋を提げてしばらく商店街をぶらついたが、平日の朝では地元の人間ですらおらず、 ケイタはさっさと高津家に帰ろうと思った。  そんな時、ふと声をかけてきた者がいた。 「高津」 「はい?」  まさか地元から遠いこの土地で声を苗字を呼ばれるとは思わなかったケイタは、しかし 反射的に返事を返して振り返った。声をかけられたことも意外だったのだが、さらにそこ にあった顔にケイタは驚いた。 「瑠璃子!? 何でまたこんなところに」 「温泉旅行って言ったら信じる?」  そう言ってニカッと白い歯を見せて笑ったのは、ケイタがよく知っている女性であった。 「もうすぐ大学も始まるけど、その前に会うって偶然ね」 「なるほど……ここって一応温泉名所だったんだ」  感心するケイタである。  簡単に言うと、沢上瑠璃子(さわがみ・るりこ)はケイタの大学の同じ学科に所属する、 いわゆる同級生というものである。もっとも、ケイタよりもずっと成績は良く、今から研 究室入りを期待されていたりもする。  碧のような綺麗系だが運動系、というのとはまた違い、瑠璃子はボーイッシュらしいボ ーイッシュ……とでも言うのか、そういう容姿をしていた。生まれながらの茶色のショー トヘアに、やや色素の薄い瞳。黄色いヘアバンドをしていて、さらにその上から気合いの 入ったヘッドホンなど──アームレスなどの雑魚ではない。街中でごっついアーム有りだ ──をしている。  顔の造作も凛々しいと可愛いの間くらいで、目鼻立ちは周りが羨むほどにはっきりとし ている。年齢に似合わない子供のような表情や、今もしているニカッとした笑いが、一度 見たら忘れられない印象となる、そんな女性であった。大学でもいつも人に囲まれている 人気者である。 「……って、あれ? 帽子は?」  ふと疑問に思ってケイタは尋ねた。いつもの碧ならば、まるで北極点を目指す一行が被 るような耳まで覆う帽子を被っているというのに、今日はヘッドホンだったのだ。  それに、瑠璃子は呆れたように答える。 「暑いからに決まってるでしょうが」 「そりゃそうだ」  納得のケイタである。 「しかしそれでヘッドホン?」 「耳の上に何か無いと何か落ち着かないのよね。ほら、垂れた犬の耳みたいなの? ああ いうのが欲しいの」 「うーん、世の中色々だな。それで、温泉ってことは、もしかして角屋?」 「そう。高津も旅行?」 「いや俺は親戚の家に泊まってるんだ。角屋あるだろ? あそこ、従姉妹が会長なんだ」 「へえ、だったら割引券でももらっておけばよかった」  言いながらも残念という表情ではなく、頭の後ろで腕を組んで瑠璃子は笑う。  夏が似合う笑みだ。 「でも、そうか。高津も高津家だもんね。さっきついたばかりで暇だから、ちょっと取材 に付き合いなさいよ」 「いきなり命令形か貴様……取材?」 「そ。一応卒論のテーマにしようとして、今から取材してるのよ。この地域に残っている 鬼の伝承とか」 「またマニアックだな」 「だから面白い、でしょ? 鬼退治とかってよくお話であるけど、それで『何が鬼だった のか』ってあまり正確に知られているものってないじゃない。アタシ、それを調べてみた いのよ」 「ほー」  研究どころか卒論などまだまだ先だと思っていたケイタは、今さらながら瑠璃子に感心 した。いつも走り回り、いつも子供っぽいように見えている瑠璃子が、意外なほどに深い 洞察力と知恵を持っていることは知っていたが、先の先のことまで考えて行動するタイプ だとは思っていなかった。  感心だ。  が。 「伝奇の謎解きよ。新たなる発見よ。まだ誰も知らないものを知っていく……こんな面白 いことそうそう無いわよ!」  訂正。  やはり子供っぽい好奇心の塊で動いているだけのようだ。  手をワキワキさせている瑠璃子に、ケイタは苦笑してジュースの缶を差し出した。 「とりあえず、飲むか?」  商店街と高津家の中間ほどにある神社で瑠璃子の取材というものに付き合ったケイタは、 時計を見てそろそろ昼が近づいたことに瑠璃子を食事に誘った。高津家に帰ってもまだ誰 も戻ってきていないだろうし、やはり気心の知れた友人がいると楽しいものである。 「さっきの鬼の手のミイラだけどさ──」  瑠璃子は、明るい。普通の女性ならば男から誘われてファーストフードに連れていかれ れば不満そうな顔もしそうなものだが、瑠璃子にはそのようなものが一切無い。そういう のが気持ちいいとケイタは思った。  そうして、ちょっとだけ首を傾げた。  どうして瑠璃子のような魅力的な──女としてではなく、人間としてだが──女性がい るというのに、自分は彼女のことを好きになっていないのだろう。 (いや、好きは好きか。そういうのじゃなく、恋愛対象だな)  大学で、一番身近にいて、今もこうして生活の場から遠く離れた場所で偶然出会って当 たり前のように過ごせる。  良いことだと思う。おそらく、恋人として付き合って行くにしても瑠璃子は最高の女な のではないだろうか。  だが、違う。  もし瑠璃子と四人の従姉妹たちが同時に危険にさらされたら、ケイタは悩んだ末従姉妹 たちを優先してしまうだろう。  それは家族だからか? (いや──) 「高津っ!」 「はいっ」 「何ボケッとしてるのよ。コーラ飲みすぎてるわよ」 「飲み過ぎてる?」  ズズズズズズー、っとすでに中身の無いコーラを啜っていたケイタは、まるでおかわり を催促する子供のようなことをしていた自分にストローから口を放した。  すると、ニヤリと瑠璃子が笑って言う。 「何か考えてたでしょ。感銘を受けるものでもあった? さっきの話」 「ん、あ、まあ……高津家のご先祖さまが鬼を退治した一族とかな」 「そうそう。今朝アンタに会った時にそういえばアンタも高津だなって思ったんだけど、 まさか本当にそうだったとはね。貴重な研究材料が目の前にあったなんて惜しいことをし ていたわ」 「研究材料って……」 「でも、当たり障り無いことばかりだった……わよね」 「そうだったな」  二人が向かった神社は、かつて高津一族が退治した鬼の手のミイラを所有している場所 であった。最初から瑠璃子が連絡をしておいたらしく、すんなりと宮司に会えた二人は、 地元の民間伝承を長々と聞かされただけで、あまり成果を得たとはいえなかった。  地元の民間伝承とは、次のようなものだ。  ──かつて雨月山に鬼が出た。鬼たちは村を襲い、人々を殺した。    困った村人たちは領主に頼み、侍たちを送ってもらった。    だが、鬼たちは強く侍たちは敗北した。    敗北したが、一人だけ生き残っていた者がいた。    その男は領主の代わりに指揮をとると、見事に鬼を退治した。    領主は男に褒美としてこの土地を与えた          ──  そのような伝承だ。 「さらにお話が付属して、鬼の娘の協力があったから勝てたとか、その鬼の娘を嫁にした とか。……それが本当なら、高津にも鬼の血が流れているってことね」 「鬼の血ねえ。がおーってか?」  ケイタが冗談めかして襲いかかるように両腕を広げると、瑠璃子はげらげら笑って膝を 叩いた。 「似合わない〜! 眼鏡で鬼っ。あはははは」 「悪かったな、眼鏡でっ。それで、お前はこれからどうするんだ?」 「ん〜、そうね。一度角屋に行くわ。高津の話が本当だったら、角屋の会長に直接伝説に ついてインタビュー出来るかもしれないし」 「本当だっつーに」 「うん、わかってるわ。高津、意味のない嘘は言うけど、意味のある事実捏造はしないタ イプだもの」  瑠璃子は、テーブルの上に立てて組み合わせた両手の上に、顎を乗せてニカッと笑う。  ちょっと見惚れるくらいに魅力的な微笑みだ。さっきの恋人疑問もあり、ケイタちょっ とドキドキものである。人間、意識するとしないとでは、視界に入るものの威力も随分と 変わるらしい。 (……だから、憧れの人の微笑みは強烈なのかな……)  美冬の微笑みを思い浮かべ、ケイタはぼりぼりと頭を掻いた。                  ※  瑠璃子と別れたケイタは、高津家に戻ることにした。家族を守ると決めた身なのだし、 高校生組が戻ってきた時に迎えてやるのは基本に思えたのだ。  誰かに迎えられる喜びを、ケイタは従姉妹たちに教えられた。いや、母親が死んで以来 忘れていたものを、思い出させられたと言うべきだろうか。  夕方に、今度皆で花火をしようと夕花が言い、もう暗いからと、ケイタがコンビニまで 花火を買いに行った。  その時の、行ってらっしゃい。  その時の、お帰りなさい。  ささいなことなのだと思う。  ささいなことに決まっている。  だけど、ケイタにはそれが懐かしく、その日ケイタは布団の中で泣いた。  数年分の寂しさが融けていくような、気持ちの良い涙だった。 「俺、あの姉妹に見せられないような場面、結構あったな……情けない」  だが、これからの俺は家族を守るガーディアン・ケイタだ。  ……と、ケイタが考えつつ高津家の前にまで辿り着いた時である。 「えー、何をしているんですか」 「あ!」  思わず丁寧語で言ってしまったケイタに、びっくりした顔で振り返ったのは、妙齢の女 だった。なかなかの眼鏡美人である。ただ、高津家の塀の上によじ登ろうとしているのは 問題だが。 「いいところに……ちょっと肩を貸してくれない? 思ったより塀が高いのよ」 「おい待て。あんたなあ……人んちに何不法侵入しようとしているんだよ。警察呼ぶぞ」 「う……」  言われてしぶしぶと塀から手を離した眼鏡美人は、ケイタの前に立つと、不満そうな顔 をして髪を掻き上げた。 「もう、暑い中がんばってたのに、邪魔しないでよね」 「妙なことがんばらないでください。一応、俺も寝泊まりしている家なんですから」 「え? あなた、ここの家の人? 男はいないはずだったけど……スクープね」 「うわ、撮るか普通!?」  いきなりカメラのシャッター音を数発くらい、ケイタは焦った。確かに地元最大の会社 の会長の家に男の影、ではゴシップネタになりそうだ。なので、慌てて言う。 「スクープにはなりませんって、俺従姉妹なんですから!」 「へ? 従姉妹? そんなの聞いて……ああ! 前会長の息子!」 「そ、そうですそうです。高津ケイタですよ」 「ああん、残念……どうしてオトコじゃないのよ」 「か、勝手なこと言ってる……」  何だこの人は、とケイタはうんざりしたが、どうやら相手がマスコミであると見当をつ け、自分の使命を思い出した。実行。 「帰って下さい。今は家に誰もいませんし、漁っても何も出てきませんよ」 「え? 嘘。だって今日は高津会長は会社休みのはずじゃ……」 「でも、朝出勤しましたよ。臨時だったんじゃないですか?」 「そ、そんなあ……」  いきなりへたり込む眼鏡美人である。短くまとめられた黒髪に、理知的な顔の造形。そ れでいて眼鏡の奥の瞳は知識を求め続ける子供の心を失っていない。少々行動は突飛だが、 それほど悪い人間には見えず、ケイタは言った。 「インタビューとかなら、後で電話でもしてみたらどうですか? 美冬さんが忙しい場合 は強引に行っても無駄でしょうし、忙しくないなら、美冬さんはオーケーすると思います よ」  何より、マスコミに『美冬は無罪だ』やら『悲劇のヒロイン』などというイメージを作 ってもらえば、警察も捜査をしにくくなるのではないか、とケイタは思った。実際のとこ ろ、その程度で警察が諦めるわけはないのだが、ケイタの希望的観測である。  ケイタの言葉に、眼鏡美人はため息をついた。 「それが駄目なのよ。会社の方でも、会長を守ろうの会みたいなのがあるみたいで、電話 は全てシャットアウト。アポがとれるはずもないわ」 「へえ……」  驚きながら、ケイタは少し嬉しくなった。ケイタの手の届かない会社でも、そうした味 方がいるのだ、美冬にも。 (でも、俺の知らない奴らが守っているかと思うと、少しムカつく)  心が狭い。  ともあれ、ケイタは顎に手を当てて言う。 「……なら、俺が美冬さんに言っておきますよ。電話番号、もらえます?」 「え? いいの?」  パッと顔を輝かせ、すぐさまに名刺が差し出された。受け取った名刺には『フレキ・オ ゥディン』と書かれてあり、ケイタは眼鏡美人を見た。 「外国の人?」 「いやね、ペンネームよ。でも、フレキって呼んでくれてもいいわ」 「はあ……フレキさんですね。わかりました。じゃあ、オーケーなら美冬さんから電話が いくと思います。駄目だったら俺が電話しますから」 「お願いね。じゃあ」  と、フレキは笑顔で去っていく。その際に見えた横顔は、どこか虚勢の抜けたような、 やわらかなもので、ケイタは首を傾げた。 (もしかして、無理をして『明るくよくしゃべる自分』を作っていた? 見た目も……確 かにさっきまでよりボーっとした静かなものだったな)  女性相手なら、一瞬でも観察能力を発揮するケイタだ。 「ま、フレキさんがどんな人物でも、美冬さんに害が無ければどうでもいいか」  観察能力はあるが、深くは考えないところは長所か短所か、微妙だ。  さて、そうしてようやく高津家の玄関まで辿り着いたケイタは、美冬にもらった鍵で中 に入り、しっかりと施錠をしてから自分の部屋に向かった。  目的は何か。  答え、昼寝。                  間2  俺は巨大な建物を見上げていた。角屋というその建物は、地元最大の旅館だと俺は── 正確には、もう一人の俺は聞いた。確かに巨大だ。羊は群れるだけだが、時としてその群 は驚くほどの力を見せる。確かに俺では、このような建物を造ることは不可能だろう。羊 には羊なりの価値はあるのかもしれない。……もっともそれは羊たちの価値であり、俺は 巨大な建物を見ても何の感慨もない。  命のないモノに、何か価値があるか? 否、無い。あるはずが無い。命無いモノを褒め 称え、美しいと言う羊たちは、命の価値を知らないのだ。  命は美しい。尊く、気高いものだ。俺に言わせれば、人間どもが、時として同族の命を 削ってまで作る巨大建造物とやらは愚かの極みだ。こんなものよりも、道端を歩く一匹の 羊の方が遙かに美しく尊いだろうに──所詮はクズ同士の競り合いだがな。  人間生活を送るもう一人の『俺』が眠っている間しか自由に行動出来ない俺が、その貴 重な時間を割いてこのような場所にまでやって来たのにはワケがある。  雌だ。  昼間、俺が会った雌。話によれば、角屋に部屋をとっているらしい。『俺』はたいそう その雌を気に入っていた。  ──まどろっこしい。犯したいなら犯したいと言え。何故に言わぬ。本心すら口にせず、 本心すら行動にせず、ただ己の妄想のままに自分で自分の性を処理する……くだらん。  羊の社会に適応するための擬態とはいえ『俺』がそのようなふぬけに成り下がっている 間、俺がいかに狂おしい気持ちで眺めているか……わかるか? どれほど屈辱を感じてい るか、わかるか?  友達関係だから。  仲間内の関係を壊したくないから。  言い出すのが恐いから。  くだらんくだらんくだらんくだらんくだらんくだらんくだらんくだらんっ!  俺は『俺』のしたいことをしてやろう。自分を騙すな。誤魔化すな。『俺』のしたいこ とは俺のしたいこと。俺は『俺』であり、『俺』は俺だ。  行動は迅速に行う。人間としての姿を保ったままでは能力を完全に解放することは出来 ないが、その制限の中で、跳躍。窓枠から窓枠を、人間の眼には映らない速度で移動し、 七階の雌の部屋に向かう。  邪魔な窓を叩き割る。分厚い、頑丈なものなのだろうが、俺には薄紙ほどの意味もない。  ベッドの上で本を広げていた雌──瑠璃子が振り返り、驚きに目を見開く。その口が開 かれる前に、俺の手がそれを塞ぐ。  恐怖に彩られた顔に、言ってやろう、真理を。 「前々から、こうしたいと思っていたよ」  空いている方の手を瑠璃子の胸元に持っていく。瑠璃子が足を跳ね上げたが、見え見え の動きだ。膝を上げ、それを受け止めると、俺は瑠璃子の口を押さえる手に力を込めた。 壊す寸前まで圧力を高めてやると、瑠璃子が暴れ出す。く……ふふ、いい震動だ。片手だ けで、瑠璃子を吊り上げているため、その痛み、苦しみが、そして恐怖が全てこの腕を通 じて俺に届いてくる。  恐いか?  突然の出来事が、恐いか?  痛みが、恐いか?  くつろいでいた自分の空間、自分の時間に、いきなりの来訪者があることが、恐いか?  震えろふるえろフルエロ──所詮お前はその程度の生き物だ。羊は座して過ごし惰眠を 貪り危険を忘れて集い群れそして突然の狩猟者に狩られるのだ。  お前は羊だ。俺は狩猟者だ。お前は雌だ。俺は雄だ。単純な構図の上に俺たちは存在し、 ただ、それだけが事実だ。雄は雌を犯す。雌は雄に犯される。それだけの事実だ。  さらに力を込めると、瑠璃子の顎が軋んだ。壊れるぞ壊れるぞ壊れるぞ壊れるぞ壊れる ぞ壊れるぞ壊れるぞ壊れるぞ壊れるぞ壊れるぞ壊れるぞ壊れるぞ壊れるぞ壊れるぞ壊れる ぞ壊れるぞ壊れるぞ壊れるぞ、死ぬぞ!  恐怖に歪み、涙が流れ、伝ったそれが俺の手に触れる。気丈な雌、強い雌、『俺』が魅 力的だと感じたその心など、簡単に折れる。壊れる。それだけだ。それだけのものだった のだ。恐怖は強い。心を折る、牙だ。狩猟者は、羊にはない牙がある。逃げられない羊は ──泣くだけだ。  死を覚悟しただろう瑠璃子の身体から、力が抜ける。抵抗は無意味……それがわかった のだろう。生物の最後のあがきすら許さぬ、絶対の力の前に。  が、俺は手を離した。トス、と瑠璃子の身体がベッドの上に落ちる。 「……?」  瑠璃子の顔に、疑問が浮かぶ。痛みと恐怖からの脱出。それは、呆けるという状況を作 る。 「あ……」  恐怖に収縮していた気管が広がり、瑠璃子が声を発しようとした。  そこに、俺は平手打ちを与えた。悲鳴を上げることも無く、瑠璃子が横倒しに倒れる。 心に空白が埋まれ、何もない状況から戻ってくるところへの打撃は、残されていた心の支 柱を打ち砕く。最高の拷問とは、何だと思う? それは、定期的に打ち、痛みが引く瞬間 を見計らって、再び打ち、それを繰り返すことだ。肉体的な苦痛、繰り返される心の苦痛。 そう、それが、一番痛い。苦しい。そうだろう?  手を伸ばし、襟を掴んで引き寄せれば、瑠璃子の唇の端から赤い美しい血の筋が流れて いた。口を寄せて舐めれば、甘い。赤い道を追うように、顎、唇と舐める。より求め、唇 を重ねて舌を差し入れると、瑠璃子は顔を引こうとしたが、弱い。まだショックから立ち 直っていないのだ。  甘い。美味い。何度も舌を這わせて瑠璃子の口の中の裂傷を味わい、俺は不意に思い出 して唇を離した。顔を離せば、瑠璃子の両耳を覆う、無骨なヘッドホンがある。  瑠璃子は確か言ったはずだ。 『耳の上に何か無いと何か落ち着かないのよね。ほら、垂れた犬の耳みたいなの? ああ いうのが欲しいの』  俺はヘッドホンに手を掛け、外そうとした。すると、それが引き金だったのか、瑠璃子 が掴んだ俺の手の中で暴れ出す。だが、強引にヘッドホンを外して無造作に壁に叩きつけ ると、それはいとも簡単に砕けた。 「い……やあ!」  声を上げて瑠璃子が両手で耳を押さえる、何かトラウマでもあるのか? それとも、身 につけていたもの、という壁が砕かれた拒否反応か? 滑稽だ。生き物は何にも頼らず、 己のみで生きていく能力がある。あったはずだ。なのに、お前らはそれを忘れた。忘れた ことは罪だ。クズが。クズどもが。だが、クズにもクズなりの存在価値はある。  瑠璃子を引き寄せ、耳を塞ぎ、目を閉じた、現状を拒否するその姿を眺め、俺は頭を引 くと額を瑠璃子の額に打ち込んだ。  良い音がした。  一度。  二度。  三度。  四度。  五度──。  打ち込む度に瑠璃子の手から力は抜け、額と共に叩きつけられる暴力という現実に心か らも力が抜けていくのがわかる。  その感覚の名を知っているか、羊の娘よ。  それは絶望。生き物が最後に感じる、生命を輝かせる、最後の彩りとなるものだ。命は 感情によって輝く。くだらぬ感情ばかりで染められた羊の群も、それまで知らぬ絶望一つ で、美しくなる。  ほら、ここにも一匹。絶望した雌が一匹。  最後の額打ちの後、俺は瑠璃子の服に手をかけた。わざわざ脱がすような手間はかけな い。自分の発達した爪で引き裂き、剥がす。生物としての防衛本能なのか、瑠璃子が俺の 腕を掴むが、それがどうした。身体をよじって逃げようとするが、それがどうした。  肌が露出し、胸を覆う最後の一枚を剥ぎ取ると、意外なほどに豊かな胸が露わになった。 ベッドに押しつけたまま強引に手のひらを押しつけると、予想以上の弾力が返る。ほら、 何故大声を上げない。悲鳴は上げても、外に届く、助けを求める声を上げないのは、何故 だ。恐怖に大きな声が出ないのは、心が負けている証拠だ。お前は、折れた。負けた。後 は──食われるのみだ。  喉を掴んでベッドに押しつけ、空いた手のひらで胸を揉んでやると、面白いようにそれ は形を変えた。縦に揺らす。横に揺らす。円を描くように揺らす。手のひらで乳首を擦る ようにしながらそうしてやると、段々とそれは固さを持ち、手のひらにその感触を与える ようになった。お笑いだ。 「ずいぶんと早いじゃないか。いつもこの胸を使って遊んでいるのか」 「ち……が──やあっ」  顔を近づけて立ち上がった乳首を舌先でつついてやると、声が上がる。普段の瑠璃子で は出さない、弱い生き物の声だ。 「これで違うのか? ならお前は最初からこういうふうに出来ているんだ。自分でそうな ったわけでもなく、誰かにそうさせられたわけでもなく、生まれつき胸を少々弄くれば乳 首を立てて喜ぶ淫乱な雌なんだ。そうだろう? 生まれついてなんだろう? 自分でした ことなど、一度も無いんだろう?」 「ううう……」  泣け。否定しろ。否定して自分をさげすめ。泣け。否定するな。否定せず、自分をさげ すめ。どちらの答えもお前を壊すものでしかない。壊れやすい雌。壊れやすい瑠璃子。こ れからじっくりと壊してやるとも。 「これでどうだ? 気持ちいいか? 初めてで、いい反応だな。これで回数を重ねれば、 どうなるんだ? 誰にでもねだるようになるんじゃないか? そうだろう? そうだ」 「違う……アタシそんなんじゃな……いぃっ」  少し強めに乳首を噛んでやると、瑠璃子がのけ反る。痛みか? 快楽か? 手も止めず に乳房を揉んでいる。快い、手にかかる小さな重量感が好ましい。良い乳房だ。 「俺がいつも何を考えていたか、わかるか? お前を見る度に、服を引き裂いてこの胸を 揉みし抱いてやりたいと思っていたよ。ほら、ほら、ほら」 「なんで……よ。ねえ、なんで……」 「お前は雌だ。俺は雄だ。それだけだよ。簡単なんだ。お前だってそうだったんじゃない のか? 今だって、ほら、もう汗ばんできた。嬉しいだろう? 望んでいただろう?」  手のひらを強く押しつけて、そうしてこねくりまわす。指に間に乳首を挟んで、湿り気 を帯びてきた肌に舌を這わす。舐める。舐める。舐める。汗の味は、雌の快楽の味だ。出 させた快楽は、受けなければならない。受けるとも。 「く……ふふ」  顔を上げ、馬乗りになって瑠璃子の両の乳房を掴んでやると、涙を流して呆けた顔が下 にあった。指で乳首をつまんでやると、その顔が瞬間だけ動き、吐息が漏れる。笑い、乱 れた瑠璃子の髪を手で撫でつけてやる。少し優しくしてやると、瑠璃子の表情が動きかけ、 口が言葉を紡ごうとする。それに合わせ、俺は瑠璃子から身体を浮かし、瑠璃子の下半身 の下着を千切り取った。 「い、いやああああ!」 「あははははははははははははははははは!」  手で瑠璃子の口を押さえ、俺は自分のズボンを引き下ろした。すでに屹立していた俺の モノを瑠璃子の下の口の入り口に押しつける。切れるような恐怖の瞳を瑠璃子が浮かべる。 そう、それだ。それをもっとしてくれ。押しつけた部分は、すでに塗れ、俺のモノの先端 を濡らした。固く閉じてはいたが、受け入れるには充分な入り口だ。てらてらと甘光りす るそこに、俺はモノを押しつけて、それを軽く擦り動かした。瑠璃子が目を瞑り、身体を 震わせる。快楽か? 無理矢理雄に性器をすり合わされ、気持ちいいか? ああ、いい雌 だ。雌らしい雌だ。だからくれてやる。狩猟者が与える、数少ないものの一つだ。擦り動 かしていたモノを、その入り口に添え、先端をほんのわずかだけ挿入し、円を描くように 動かす。俺はもっとも敏感な先端からの感覚に眉根を寄せ、そして瑠璃子は目を見開いて 逃げようとした。だが、押さえつけた俺の腕は逃がさない。やがて、俺はゆっくりと腰を 押し進め、瑠璃子の中に侵入していった。ずぶり、と俺の人間を越える聴覚に濡れそぼっ たものを押し割る音が届き、続いてわずかな抵抗があった。処女だ。感慨も無く、勢いを 止めずにそれを押し切る。薄いその皮膜を貫いた瞬間、瑠璃子が喉を逸らして涙を溢れさ せたが、それがどうした。処女とは奪われるものだ。いずれ奪われるために、かくも脆く 出来ている。弱く、まさに提供せんばかりのものだ。最初から奪われるためにあるものが 奪われて、何を悲しむ。何を守ろうとする。喜ぶといい。お前は今、くだらんものを一つ 捨てたのだから。 「んんー!」  瑠璃子が身をよじる。俺は構わずにモノを進めた。狭い塗れた肉壁を俺のモノの先端が 押し割って行く感覚は、破壊衝動を満たすと共に、快楽を俺に与えた。押し広げられた柔 肉は俺のモノの形をなぞっているはずで、それはまさに今、俺のためだけにある。もとの 形に戻ろうとするそれが俺のモノを強い力で押しつぶそうとし、だが力不足で押し返され る。まとわりつき、絡みつくそれの熱く塗れた感触は、雄の敏感な場所を余すところなく 刺激する。  視点を、上げる。顔を上げると、俺に貫かれ泣いている瑠璃子の姿が目に入った。 「随分といい格好じゃないか。ほら、俺たち繋がっているんだぞ、瑠璃子。お前が自分じ ゃいけないところまで、俺が入っていってやってるんだ。わかるか? 俺は、お前の身体 について、もうお前よりも知ってしまったんだ。この身体の持ち主は、もう俺なんだ」  手を口から離してやっても、反論は来なかった。  ──折れた。  く……ふふふ。 「雌らしく、啼け」 「ひ……あっ! や、い……いたっ」  挿入後止めていた腰を強引に引き、再び差し入れる。先程よりも早くモノが肉を割って 進みそして再び戻る。柔らかいが圧力があり、そして熱くぬめった場所を俺のモノが往復 し、蹂躙する。引いて、入れて、引いて、入れる、引いて、入れる、引いて、入れる──。 「は──うん……ああ……ん、ああ……!」 「苦痛なのか、気持ちいいのか、どっちだ」 「いた……い……いたい……の……い──ああ!」 「違うな。痛みは快楽だ。気持ちいいんだ。痛みを苦痛と思うな。それは快楽だ。快楽だ」 「かい……らく? ふん……あふ……違う、い……たいの……たいの……」 「違う。それが快楽だ。気持ちいいということだ」 「気持ち……いい? これ……き……もち……いい? んんっ」  ガクガクと揺れる瑠璃子には抵抗はない。真っ赤に染まった顔の、目の上に両の腕を組 み、もはやどのような表情をしているのかは俺にはわからない。だが、荒い息による胸の 乳房の上下、玉のような汗、そして半開きにされた唇が妙に生々しく酸素を求めている。 「こ……れ、が気持ち……い? 気持ち……いい? 気持ち──」  壊れた人形のように呟き続ける瑠璃子の身体は柔らかい。腰を動かしながら抱き寄せて 乳房に顔をうずめると、その谷間は火傷しそうに熱かった。甘い体臭が鼻をくすぐり、今 度は一番深くまでモノを差し入れたまま、腰を円を描くように動かした。艶めかしく瑠璃 子の腰もそれに合わせて動き、くちゅくちゅと二人の繋がった部分が水っぽい音を立てた。 「は……ふ……はあ……ん……あ……ん……あ──うう……ん?」  疑問符を放った瑠璃子の両手首を掴み、その顔を隠す腕をどかす。上気し、焦点すら定 かでない瞳。そうだ、これが雌の顔だ。雌そのものの顔だ。そうだ、何を愁うことがある。 命は美しい。命を育むための行為は美しい。この行為は美しい。尊く、祝福すべき出来事 だ。数少ない狩猟者の血を、くれてやる。種を受けろ、産め、増やせ、喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ 快楽に踊れ。 「ん、うれ……しい、う……れし……うれしい、うれし……うれ、し、い……うれし──」  そうか、嬉しいか。 「うれしいの──あは……ふん……ああ……んっ」  笑顔が魅力的? 子供っぽい好奇心? それの何が、一つでもこの雌にあるか? 『俺』 が思っていたような、性別を越えた魅力などが、存在するか? 答えは否だ。否しかない。 雌は雌でしかなく、雄の精を飲み込み子を産むだけの存在に過ぎない。そういう意味では 犬の雌と人間の雌に貴賎は無い。これは犬だ。子を産むだけの雌犬だ。  一度モノを完全に引き抜き、だらんと転がる瑠璃子の身体をうつぶせにする。無理矢理 膝を立たせ腰を上げさせると、だらしなく開いた血を滴らせる性器と、まだしっかりと閉 じたもう一つの穴が同時に目に入る。そちらはいずれにするとして、今は犬に犬らしい格 好をさせてやる。じっとりと汗ばんだ尻を手で割り、再び、今度は背後から俺のモノを突 き入れてやる。わけのわからぬ悲鳴を瑠璃子が上げ、俺はしっかりと雌の腰を掴んで好き なだけ腰を動かした。入れて、引く、入れて、引く、入れて、引く──単純だ。雄と雌は、 なんと単純なのだ。 「お前は雌だ。雌犬だ。そうだろう? 犬らしく啼け。ワン、と啼け」 「ふあ──きゃ……ん、わ、ん、きゃはぁ……ん──」 「啼け啼け啼け啼け啼け啼け啼け啼け啼け啼け啼け啼け啼け啼け啼け啼け啼け啼け啼け」 「わ……んわぁ……んわふ……ん……あ……ん……わん……わ……ん、わぁ……ん──」 「くふ……は……あははははははははははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは ははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」                  3  爆笑の余韻に、ケイタは顔を笑みの形に強ばらせたままに跳ね起きた。  呼吸が止まっており、その事実に気が付くと同時に、肺が機能を再開した。 「か……はっ!」  カラカラに乾き、張りついていた喉の気道を通って酸素が肺に送り込まれ、急激なそれ に思わず嘔吐するような勢いでケイタは咳き込んだ。 「ご……ごほごほっ。な、なんだ今の夢……る、瑠璃子?」  肩で息をしながら、慌てて周りを見回すと、そこは純和風な高津家の部屋だ。現在ケイ タが居候している部屋である。とりあえずそのことに不思議な安心感を抱いたケイタは、 力を抜いて畳の上にごろんと横になった。  畳の良い香りが、火照った身体と、うるさいくらいの心臓の鼓動を収めてくれる。 「ゆ……め? 今の……瑠璃子だったよなあ……ハードだ……」  そして、そのことに気が付いたケイタは、自己嫌悪に死にたくなった。 「元気すぎだって……」  その夢に、ケイタの相棒はきっちりと固く立ち上がっていたりしたのだ。いや、男だし。 これは女にはわからん。  自己嫌悪は、やはり、男としてはありふれたものだ。 (さっきしゃべったばかりの……仲のいい友達まで夢の中で犯せるのかよ……)  何か、大きな喪失感。初めてではない。夢の中に限らず、ケイタが妄想の中で瑠璃子を 抱いた経験は、何度かある。 (それで……)  翌日には、きっと何とも無い顔で、笑顔で話せるのだ。喪失感も、自己嫌悪も、今だけ のもの。  ──だが、今回は特に強烈だった。男と女というよりも、雄と雌。本能に訴えかけるよ うな、禍々しい空気が直接肌に感じられるソレだった。顔の上に手をかざせば、瑠璃子の 肌の感触が甦り、鼻腔にはまだ瑠璃子の甘い香りが残っているような気がした。いや、そ れは身体中から香り立つようだった。 「──見せられないな」  可愛らしい従姉妹たちには、だ。そう、四人の従姉妹たちがいるからこそ、今ケイタの 自己嫌悪は最高潮に達していた。  いつか、自分は妄想の中で彼女たちを犯すことがあるのだろうか。そして、その時、男 だからという理由で、そのことを流してしまえるのか。 (家族に──なりたいんだ)  ぱぁん! と良い音がした。  ケイタが、自分の両頬を平手で打った音だ。それが起動の合図となり、ケイタは深呼吸 を一つして手をついて立ち上がった。 「結構寝たみたいだな……」  障子戸を透かして入ってくる陽光は、かなり弱くなっていた。腕時計を見ると、すでに 四時をまわっている。 「う……まさか」  ケイタは部屋を出て、朝皆で過ごした居間へと向かった。すると、そこには台所に立つ 夕花の後ろ姿があったりした。足音に気が付いた夕花は、振り返って太陽のような微笑み を一発。 「あ、ケイタお兄ちゃん、ただいま!」 「おかえり……って、俺、出迎えなくてごめんね」 「あはは。ケイタお兄ちゃん、ぐっすり寝てたよ。夏だからいいけど、冬になったら風邪 ひいちゃうよ」 「ううむ、気をつけるよ」  冬ね、とケイタは頬を弛めた。夏を過ぎて秋が来て、秋が過ぎれば冬が来て、それが過 ぎれば春が来る。そうして再び夏が来て……。 「そうだね、冬には、気をつけるよ」  その時に、ここにいたい。 (家族として……ね) 「そろそろ起きると思って、お茶煎れたの。はい、どうぞ」 「ありがとう、俺って幸せ者だ〜」  コトリとテーブルに置かれた湯飲みに、少し感動してしまうケイタである。長岡では、 自分で茶を煎れるしかなく、自分の目覚めと共に出てくる茶など、何年ぶりだろうか。  視線を上げると、向かいに座った夕花が、小首を傾げて微笑みを浮かべていた。少し甘 えてもいいかな? と訴えかける瞳は幼子のようで、ケイタは思わずぷっと吹き出してし まった。 「あはは。ねえ、夕花ちゃん、今日学校はどうだった?」 「あ、ケイタお兄ちゃん、聞いて。ええとね──」  身振り手振りを交えながら語り出す夕花を眺め、ケイタは静かに目を細め、微笑んだ。 (俺は……そうだよな)  先程の己への問いかけに、決着。  何があろうと、自分は、この子たちを傷つけたりはしない。 (俺に無かったものを、幾らでも与えてくれる、この子たちを……)  悪夢は、夕花の微笑みの光に融けていくようだった。                  ※  電話の音にケイタが顔を上げたのは、夕花を手伝って食器をテーブルに並べている時だ った。少し夕花と顔を見合わせて、やはり家の人間である夕花が受話器を取る。 「はい、高津です──あ、美冬お姉ちゃん?」  しばらく美冬と会話し、受話器を下ろした夕花は、ケイタにちょっと残念そうに言う。 「美冬お姉ちゃん、今日は遅くなるって。何だか角屋で事件があったみたい」 「事件?」  瞬間、ケイタはドキリとした。すでに薄れかけていた、悪夢がわずかにドス黒い闇を覗 かせたが、それは夕花を前にしていることで形にはならず、消える。結局、ケイタは自分 が何故ドキリとしたのか、その理由に気づきもしないで、首を傾げた。 「何があったんだろう? また警察に絡まれているんじゃなければいいけど……」 「大丈夫だよ。警察の人も、仕事場までは来ないって約束してくれたんだって」 「あ、そうなんだ」  それでも家には来るけどな、とケイタは内心でお座敷猫と鷲沢に舌を出した。そうして から視線を夕花に戻すと、少女は少し元気がない。 「どうしたの?」 「うん……お姉ちゃん、最近お仕事から帰ってくるのが早かったの。ケイタお兄ちゃんが いる夕食を凄い楽しみにしてたのに、かわいそう」 「あ、そうだったんだ?」  やけに帰宅が早い人だな、と思っていたケイタは、それを理由に会長職が楽なものだと 判断していた自分を恥ずかしく思った。おそらく、美冬はケイタと同じように、皆を早く 家族としたいがために、多忙な身を敢えて一家団欒に使ってくれていたのだろう。 (俺だけが……本当に何もしてなかったのかな)  美冬や夕花は、一生懸命ケイタをもてなそうとしてくれている。  碧も、まるで昔からの親友のように接してくれているのは、顔を合わせていなかった長 い空白の時間を埋めようとしているからだろう。  そして、風弥は──。 「あ、そう言えば風弥ちゃんは?」 「え? ケイタお兄ちゃん起きた時に会わなかった?」 「は?」 「だって、風弥お姉ちゃん、学校から帰ってきてから『ケイタさんは?』って私に聞いた んだよ。それで『お昼寝しているよ』って言ったらお兄ちゃんの部屋に行って……それか らすぐケイタお兄ちゃん起きてきたから、お姉ちゃんに起こされたんだと思ってた」 「…………」  ケイタは無言で居間の出口を見た。風弥は、自分の寝顔を見に来てくれたのだろうか? それとも、見ずに部屋にこもってしまったのだろうか。  それが、自分でも意外なほどに気になった。  そうして、それは思わず口に出た。四人姉妹の中でも、一番相談しやすい夕花だったか ら口が軽くなっていたのだろう。 「なあ……俺、風弥ちゃんに何かしたかな?」 「え? ケイタお兄ちゃん、風弥お姉ちゃんに何かしたの?」 「いや、そうじゃなくて……何かしたかな、って質問。今朝も風弥ちゃんに訊いたんだけ ど、どうも風弥ちゃんとうち解け切れていないというか……」 「大丈夫だよ」  打てば響く反応とはこういうものだっただろう。  あっさりと応えた夕花は、自信満々に胸を叩く。 「風弥お姉ちゃんの表情を読むのは得意だから信じてね。風弥お姉ちゃん、ケイタお兄ち ゃんのこと、大好きだよ」 「そうかな?」 「うん。もちろん、私も大好きだけど」 「ありがとう、夕花ちゃん」 「えへへ」  ちょっと照れたように頬を掻き、夕花は視線を泳がせて席を立った。「お夕飯の準備の 続きするね」と言ったが、自分で言った言葉に照れたのは明白で、そんな様子がまた可愛 いとケイタは微笑ましく思った。 「あー、妹っていいなあ」  と、 「ただいま」  と碧の声がした。  お、とケイタはそれに反応して席を立つ。目的は無論夕花や風弥相手には出来なかった 『お帰りなさい』である。  やがて、軽い足音と共に碧が居間に姿を見せて、それに対してケイタは言うのだった。 「お風呂にする? 食事? それともアレ?」 「あ、アレ?」  いきなりのそれに面食らった顔をした碧は、しかし言葉の意味を考えてみて少し赤くな った。 「あのなあ、冗談でも女にそういうことを──」 「何だ、瓦割は嫌いか──ぐぼうっ」  碧の横蹴りがケイタの顎を斜め下から撃ち抜き、火花が散った。  スローモーションで倒れるケイタを放って碧は鞄を床に置き、奥から大粒の汗を垂らし てやってきた夕花に一言。 「ゴミ、片づけておいて」 「それお兄ちゃんだよ……」                  ※  美冬の帰りが遅いということで、夕飯はケイタと女の子三人で食べることになった。夕 花が作った料理は素朴な味が嬉しく、ケイタはおかわりを二回もすることになった。 「あー、喰った喰った。これほどに満足したのは朝食ぶりだな」 「碧お姉ちゃん直伝だから」 「ん〜、夕花ならすぐにあたしより料理上手くなるよ」 「まったくだ」 「そんなことないよ。碧お姉ちゃんの御飯、すっごく美味しいんだから」  にっこりと言う夕花に、隣の席に座っている碧がその癖っ毛の頭をぐりぐりとやる。笑 ってそれから逃げようとする夕花、ニッと健康な白い歯を見せてそれを追撃する碧。静か にそれを横目で見つつ、両手で掴んだ椀を口元に寄せて味噌汁を啜る風弥──平和な構図 である。 (うん、いいもんだなあ……)  幸せを実感できるというのは、それまで幸せではなかったことの証明だという。一概に そうとは言えないだろうが『それまで無かったから実感できる』というのは本当だとケイ タは思った。  父に捨てられ。  病弱な母と二人で暮らし。  そして、一人となったケイタ。 「ん、おかずもう無いか?」 「あんたが来てから食材の買い出しが大変だよ。もうちょっと遠慮して食べなさいよ」 「あ……わたしのあげます」 「お、サンキュ、風弥ちゃん」 「風弥は食べなさ過ぎ。そんなんだと大きくなれないんだからね」 「そうそう、今年、ついに風弥お姉ちゃんの身長を越したんだよ!」 「……まだ伸びる」  ちょっと拗ねたように風弥が言う。髪で半分隠れた顔に年相応の表情が宿るのを見て、 ケイタはホッとした。どうやら、朝の出来事は少々風弥の態度を軟化させたらしい。  何故風弥がケイタに固い態度を見せるのかはまだ謎だが、あまり大した理由ではないだ ろうとケイタは思う。  全ては、時間が解決してくれるだろう。  この、ゆるやかに流れていく平和な時間が。                ※  高津家の電話のベルがけたたましく鳴り出し、美冬が姿を消したという知らせが届いた のは、その数分後のことであった。