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ファーブル英雄伝 〜シファ・メノルの冒険記〜

            第一章『始まりの宴』

               第二話


                1


 アルバートが目を醒ましたのは、身を包む耐え難い湿気のせいだった。
「く……あ、あちぃっ」
 掛けられていた薄い布を剥ぎ取って上半身を起こすと、アルバートは額の汗を拭って、
手団扇をはためかせる。むっとする空気が温水のようにまとわりつき、蒸発しない汗が肌
を伝う不快さに、悪態をつく。
「なんだこの暑さ……つぅっ!?」
 途端に腹を抱えて呻く。重く鈍い痛みが腹全体を覆い、まるでそこだけ自分の身体では
ないような違和感があった。その痛みがトロールの巨大な拳によるものであることを思い
出し、アルバートは呻きを噛み殺して室内を見た。
 そこは意外なほどに広い部屋だった。
 アルバートには馴染みの無い、木材を壁と床に使った造り。その木材も屋根には使われ
ておらず、編んだ藁を代わりに使用している藁葺きの家だ。
 寝台は決して背の低くはないアルバートが小人に思えるほどに大きく、視線を横にやる
とやはり広さのあるテーブルがある。その上に荒い土焼きの水差しを見つけ、アルバート
は寝台を降りた。
「生きてんのかよ、俺……」
 信じられないという顔で呟く。無意識に腹をさすり、そこに残る痛みに、自分が最後に
見た光景を思い出す。
(火喰い鳥の止まってた木に剣を投げて……もう一発殴られたんだよな?)
 迫っていた拳に、怪鳥と少女の叫び声。そこから先の記憶は無い。
 水差しに手をかけると、ザラリとした感触が返り、人間にはやや大きいそれにアルバー
トは鼻を近づけた。
「……大丈夫か?」
 腐ったような匂いや薬物の匂いが無いか確かめ、念のため指を水に濡らして少量舐めて
みる。そのわずかな水分に喉がゴクリと鳴り、アルバートは両手で抱えるようにして水差
しを傾けた。
「んぐ、んぐ、ぷはぁ〜。生き返ったぁ〜っ」
 浴びるように水を飲み、思い切り息を吐く。そうしてからもう一度、今度は落ち着いて
水を胃の中に流し込み、汗で失った水分を取り戻す。
「かぁ〜、美味ぇ〜」
 思わず声も出る。よほど乾いていたのか、一抱えもある水差しの中身は一気に半分以下
にまで量を減らし、テーブルに戻される。
 ふう、と満足の息と共に濡れた口もとを拭い、アルバートは改めて室内を見回した。
 気を失う前の最後の状況と、部屋の中の大きすぎる調度品が示す事実は一つだ。
(トロールに捕まったか……)
 だが腑に落ちないことがあった。
 死なずにすんだことは幸いだが、アルバートの目算では刺激された火喰い鳥が荒れ狂う
はずだったのだ。そしてそれらしい羽音を、彼は耳にしている。そのような危険な状況下
で捨て置かれれば、トロールにとどめを刺されずとも火喰い鳥についばまれ、自然と彼は
死体になっているはずであった。
 もし生き残っているのであれば、それは異常に気がついたラグーンの騎士たちが駆けつ
けてくれた場合であって、決してトロールに命を助けてもらっているようなことはないは
ずだ。
(トロールに、助けられた?)
 そう考えるのが妥当だ。
 おそらく、火喰い鳥が荒れ狂う中をトロールたちはアルバートを抱えて山を降りてくれ
たのだろう。そしてどこかわからないが、この部屋のある場所に彼は連れてこられたので
ある。
「どういうことだ?」
 疑問が口を突いて出ると、彼は寝台の横にある窓を見た。陽射しが入らないように、大
きな緑の葉で閉じられた窓だが、その端から昼間の光が漏れている。室内が異常に蒸し暑
いのも、唯一の窓が閉じられて風が通らなくなっているからだろう。
「……さて」
 自分の姿を確認すると、鎧下として着ていた長袖の服に、ズボンという格好だ。さすが
に鎧との間に着込む綿のチョッキは脱がされていたが、ほぼ気を失う前と同じ服装である。
靴は寝台の下に綺麗に並べて置かれ、鎧も部屋の端に安置されている。
(どういうことだ?)
 今度は頭の中で疑問を走らせる。
 剣こそ無かったが、騎士としての装備をそのまま囚人の部屋に置いておくとは考えにく
い。
(トロールってのは、よほどの馬鹿の集まりか? まあ、頭足りねえ図体ばかりの奴らっ
て話だしな)
 極めて凶暴で、何かを破壊することに愉悦を感じる野蛮な種族。人間種の英雄ガノッサ
に打ち払われた、腕力だけの愚かな種族だ。
 そう考えることによって自分を納得させ、アルバートは寝台の上に戻った。湿った服が
肌に張り付くのが気持ち悪かったが、無視して窓の横に身を寄せる。
「うげっ」
 葉をずらして窓の外を覗き見たアルバートは、予想通りの村の姿に顔をしかめた。
 そこにはアルバートがいるような木造の家が立ち並ぶ、トロール集落の姿があったから
だ。
 一つ一つの家屋の大きさは驚くほど大きく、床が地面から離れているのが特徴だろうか。
頑丈そうな何本もの柱に支えられ、家屋は人の身長よりも高い位置に床がある形になって
いる。いわゆる高床式住居という形式であるが、アルバートにその知識は無い。
 家屋同士の距離は広く、そこを麦藁帽子をかぶったトロールが一人歩いている。肩に担
いでいるのは農耕用のクワであり、それがトロールであることを抜かせば、人間種の農村
でも頻繁に見られる光景である。
(やっぱり、あのまま連れてこられたのか……)
 もしかしたら、と思っていた希望を崩され、アルバートは背中から寝台に倒れこんだ。
どさっと重い音がして、腹の鈍い痛みが気分さえも暗く重いものにしていく。
「……くそっ。どうしろってんだよ!」
 吐き捨てる。
 どういう理由かはわからないが、自分が囚われの身になっているのは理解できた。死な
なかったことは幸運かもしれないが、これから待っていることを想像すると、アルバート
は恐怖を感ぜずにはいられなかった。
(俺をどうするつもりだ? 拷問とかかな、畜生……)
 脱力感を覚えつつ、アルバートは片手で顔を押さえた。相変わらず部屋には湿気が満ち
ていたが、もはやそんなものは気にならなかった。むしろ冷たい怖気が全身を小虫のよう
這い回る。
(起きたことに気づかれないうちに逃げる? 無理だろ、外はトロールの村みたいだし、
ここがどこかもわかってねぇ。確か、トロールの領域はガラン山よりも南東の密林の中っ
て聞いたから……)
 ざっと人間の領域までの距離を計算し、アルバートは唇を噛んだ。
(やっぱり無理じゃねえか、くそっ)
 諦めが心に染み入った。そうなると、今度は生き残ったことが口惜しくなってくる。
 敵に捕まり、拷問を受けた後に死ぬか、奴隷として使われるか。それくらいの未来しか
描くことはできない。
「兄貴……」
 不意にこの世でもっとも信頼する者を口にする。すると、今度は心細さが迫ってきた。
 義兄であるユーリがそばにいない。その事実はアルバートにとって、驚くほど頼りない
ことに思えた。自分一人だけで敵地にいるということ。もう義兄に会えないかもしれない
ということ。考えれば考えるほど、自分は義兄を頼りにしていたのだと実感される。
(兄貴が一緒にいれば……あの時もどうにかなっただろうな)
 トロールに斬りかかり、あっさりと剣を弾かれた自分を省みる。
 ラグーンでも十指に入る剣の腕前を持つユーリであれば、少女を助け、さらに自分も逃
げ延びる最善の結果を導けたかもしれない。何よりユーリには、過去にトロールを倒した
実績がある。
(化け物を倒して村人を守った兄貴と、女の子一人守れない俺……か。やっぱり兄貴はす
げぇよ。あんなトロールより強ぇんだもんな……)
 英雄、という言葉が脳裏に浮かぶ。
 聖堂騎士ユーリ・ファルシア。数多の戦で手柄を立て、どんなに困難な状況からでも生
還し、その穏やかな人柄で下級騎士から国民にまで広く人気のある、将来の将軍候補。
 そしてアルバートにとっては、幼い日から見守り続けてくれた頼れる義兄。
(兄貴なら、あの後全員をまとめて山を降りてくれたよな。もしかしたら、女の子も助け
てくれたかもしれねぇ)
 ユーリなら上手くやる、とアルバートは信じている。
 皮肉げに唇を歪める。
(ま、俺にしちゃ良くやった方か?)
 火喰い鳥を怒らせた機転などはなかなかではないかと、自分で評価する。
 評価してから、アルバートは今度は顔全体を歪めた。泣きそうな顔に、だ。
(くそ……兄貴と一緒にいりゃよかった。なんで俺がこんな目にあってるんだよ……)
 そこにあるのは、まだ十七歳の少年の顔だ。
 ようやく騎士になることを許され、初めての任務は義兄と一緒に赴いて集団行動に慣れ
る程度の予定だった。それがいつの間にか、かつて人間が追い払った異種族の村にただ一
人捕らえられる結果になっている。
(くそ……くそ……っ)
 目頭が熱くなり、アルバートは顔を押さえる手に力を込めた。これからどうなるのかと
いう不安と、トロール相手にほぼ何もできなかった自分の弱さ、そして義兄にどれほど自
分が頼っているかの理解。全てが混在して、涙という形となって溢れそうだった。
(泣いてんじゃねぇよ、馬鹿っ。俺はもうガキじゃねぇんだ。騎士だ。兄貴と同じ騎士な
んだろうがっ。腹ぁくくれっ!)
 パァン、と音がした。
 両手で自分の顔をはたいたアルバートは、寝台の上に上半身を起こすと、自分の靴に足
を通した。ブーツの金具を全て止めると、次に鎧に目を向けるが、それは装備しないこと
にする。
「……よしっ」
 グッと顔を引き締め、アルバートは水差しを掴んだ。その中身を頭からひっかぶる。
 頭を振って水気を払い、少年は自分の頬を二度三度と掌で叩いた。うつむき加減だった
顔は、すでに真っ直ぐに前を向いている。
(とにかくここを出る。村さえ出られりゃ、なんとかなるかもしれねぇ)
 向かうのは窓だ。扉も窓と同じで大きな葉によって閉ざされていたが、その向こうには
見張りがいるかもしれないという考えが、脱出口として窓を選ばせる。高床式住居ではあ
るが、鎧さえ着なければ無事に着地できると判断した。
 とにかく、できることはやってみよう、という気分になっていた。
 緑葉のカーテン越しに、監察できる範囲に誰もいない機会を待つ。
 その時だった。
「気がついたようだね」
 ずいぶんと太いが、かろうじて年配の女だとわかる声が扉から発せされた。
 アルバートが振り返ると、獣の皮を服にした巨体が部屋に入ってきたところだ。それに
もう一人が後ろにいたようだが、その姿を確認する前にアルバートは窓枠に足をかけて飛
び出した。
「ち……じゃあな!」
「どこへ行く」
「な!?」
 躊躇わず飛び出したアルバートは、次の瞬間腕を掴まれ、部屋の中へと放り投げられた。
少年の身体が床に叩きつけられ、その衝撃に息が詰まる。
「ぐうっ」
 目の前が真っ黒になったところに、頭を鷲掴みにされアルバートの身体が真上に持ち上
げられる。苦労して瞼を上げると、目の前に見たこともない爬虫類の顔があった。
 鰐や竜のような頭を持った、トロール並の長身を持つ種族。
「り、竜人!?」
「挨拶も無しにどこへ行くつもりだった、小僧。ん?」
「う……」
 ぐいっと真正面から竜の顔が近づき、アルバートは思わず身を退こうとした。しかし頭
を掴まれている身ではそれはかなわない。
 そこに頭の上から声が降ってきた。
「起きてすぐに逃げ出すなんて、なかなか行動力あるじゃないのさ。ねえ、セツ殿。こう
いう元気な子は、アンタ好みじゃないのかい?」
「さて」
 自分の頭を掴んだトロールの言葉に、セツと呼ばれた竜人がわずかに微笑んだようにア
ルバートには見えた。爬虫類の顔をしているために顔の動きではわかりにくいが、その青
い目に浮かんだ色と、しゃがれた男の声には明らかに何かを面白がっている節がある。
 だがあっと言う間に脱走劇を終了させられてしまったアルバートは、唇を噛むしかない。
相手がトロールだけならば走って逃げ切ることもできたかもしれないが、竜人はその巨体
に似合わぬ俊敏さだ。もう一度逃げようとしても、結果は同じだろう。
「くそ……っ。どういうつもりだ。なんで俺を生かしたまま連れ帰った、トカゲ野郎っ」
 下腹からせり上がってくる恐怖を殺し、できるだけ強気の調子でアルバートは言った。
竜人を睨みつけると、その突き出た顎から白い髭が伸びているのが見えた。緑色の鱗の色
合いもくすんでおり、ところどころ剥げている。紫色の服はゆったりとした、身体の前で
襟を交差させる形式のものだ。竜人独特の着物という服なのだが、アルバートの知識には
無い。
 竜人の老人は、そのようなアルバートの様子に自分の顎髭を撫でつけて言う。
「ふむ。威勢がいいのは結構だが、目上の者に対する口の利き方を知らんようだな」
「え? ──はぐっ」
 目にも止まらぬ早業で、竜人の長い指がアルバートのみぞおちにめり込んだ。急所を突
かれたアルバートは息もできないほどの痛みに呻いたが、目の前の老人はカカカと笑う。
「ヤワだな。小僧、もっと鱗を鍛えんといかんぞ?」
「んな……もん、ねぇよ。クソ爺っ」
「ふむ」
「づぁ!?」
 でこピンでもするように放たれた指に顎を撥ね上げられて、アルバートが舌を噛む。
 涙目になり、それでもアルバートは続けた。
「こ、このトカゲ爺〜っ」
「カカカ。なかなかどうして、結構結構」
「ぐあ〜っ!?」
 両頬をつままれて左右に引っ張られ、アルバートは身をよじって逃げようとしたが、や
はり頭を掴まれていてできない。代わりに、トロールが苦笑したように言った。
「セツ殿、可愛がるのは後にして欲しいもんだね。まずは坊や」
 頭が放される。
 だが解放感を覚える前に、今度はトロールの女に腰を掴まれ、アルバートは目を白黒さ
せた。
「ち、ちょっと待て。なんだ!?」
「シファが待ってるよ。説明してやるから、大人しくしてな」
 荷物のように小脇に抱かれ、アルバートは部屋の外に連れ出されたのである。

                ※

 高床式住居の丸太を組み合わせた階段を降りると、そこはトロールの村だった。
 蒸し暑い室内を出ると、快いそよ風がアルバートの火照った肌を撫で、一瞬アルバート
は状況を忘れて頬を弛めた。
 が、すぐに自分を抱えるトロールに怒鳴る。
「てめぇ、下ろしやが……れ」
 声が小さくなったのは、顔をひねったところに驚くほど大きな乳房があったからだ。虎
の皮越しにも丸々としたそれの質感がわかり、アルバートの頬が赤くなる。
「少し我慢しな。って、どうしたのさ」
「な、なんでもねぇよっ」
 まさか異種族の乳房に照れたとは言えない。女に弱いのもここに極まれリだ。
 できるだけ女の象徴には目を向けないようにして、長い茶髪以外はあまり男のトロール
と変わらない顔を睨む。しかし鼻が潰れ長い牙が目立ついかつい顔立ちの割には、そのト
ロールには穏やかな表情があった。それにアルバートは怯んだ。
「こ、ここはトロールの村なのか?」
「ああ。でも、正確にはトロールと竜人の村さ。セツ殿をはじめ、二十人ほどの竜人がこ
こには住んでる。何せ、前の戦であたしたちも竜人もめっきり減ったからね。一緒にまと
まってどうにか暮らしを保ってるのさ」
「はぁ」
 意外にあっさり教えてくれたトロールに、アルバートは呆けたような返事をする。する
とトロールはクスリと笑った。
「どうしたのさ。話が通じるのが意外かい?」
「ま、まあ」
 心を見透かされたようでバツ悪くアルバートが頷くと、そうだろうね、とトロールは言
う。
「人間領じゃ、あたしらは頭の悪い獣のような扱いらしいじゃないか。まあ、戦争してた
んだし、それも仕方ないよ」
「は、はぁ」
「安心をし。あたしらは捕虜に拷問をするような趣味は無いし、何より坊やは大切な客だ。
身の安全はこのあたし、トロールの女王マチウが保障してやるよ」
「じょ……!?」
 目を丸くして、アルバートは自分を抱えるトロールを凝視した。ニッと牙を強調して笑
うマチウのまとう空気はまるで下町の女将のような気安さで、まるで女王という感じはし
ない。
 それと、とマチウはアルバートを挟んで隣を歩く竜人を指差した。
「こちらは南天の竜人種の長、セツ殿。あたしのことはおばちゃんでもいいけどね、この
お方にはナメた口聞くんじゃないよ」
「カカカ。我々竜人種は年功を重んじる。わしは構わんが、小僧ごときがわしを爺呼ばわ
りすれば、若い者が黙ってはおらんだろう。それに注意しておけばいい」
「はぁ」
 先ほどから驚いたり呆けたりしかできないアルバートだったが、彼は自由になる首を巡
らせて村を見た。すると二人の言葉通りに、トロールの他にも着物に身を包んだ緑鱗の竜
人が何人かこちらをうかがっているのが見えた。
(トロールと、竜人の村……か)
 トロールだけならともかく、竜人までいるということに、アルバートは脱出の見込みが
限りなく無くなるのを悟った。
 竜人は唯一大陸ファーブルでも個体最強の種族だと言われている。一見細身に見えるが
充分な筋肉のついた身体と、それを覆う強靭な鱗。豪力だけでもトロールに匹敵するとい
うのに、俊敏さは森の枝の上を飛び回るエルフにも引けをとらない。さらに全員が強力な
魔法を操り、一人の竜人は百の人間の騎士を一蹴するという話だ。
 その力の片鱗を部屋の中で見せつけられたアルバートは、口をへの字にして年老いた竜
人から目を離し、自分が連れられていく方向を見た。
 村はアルバートが見る限り、家屋が思い思いの場所に建てられた統制の取れていない作
りをしている。一戸一戸の間の距離が広く、まばらに家がある、という感覚だ。森の中を
切り開いた場所らしく、遠くに背の高い木々の群れを見つけたアルバートは、そこがやは
り密林の中であることを確認した。
「……あそこに行くのか?」
 目指しているのが周りの建物とは別格に背の高い柵に囲まれた家屋であると目星をつけ
て尋ねると、マチウは隠しもせずに頷いた。
「そうさ。シファが待ってるよ」
「シファ?」
 知らない人物の名前にアルバートが首を傾げると、唐突に獣の唸り声が聞こえた。少年
が息を呑むと、今まさにマチウが足を踏み入れようとしている柵の内側に、トロール並に
巨大な生き物を見つけることができた。
 それは長い角を額から生やした、真っ白な毛並みの虎だ。
 虎は警戒の唸り声を上げたまま、マチウの脇のアルバートを見ている。金色の瞳が獰猛
な光を宿し、身動きの取れないアルバートは硬直するしかない。
 あわや喰われるのではないか、と思ったところで、マチウが笑いを含んだ声で言う。
「ビュー、お下がり。この坊やはあたしの客さ」
 穏やかな口調であったが、ビューと呼ばれた白虎はその場で膝を折り、再び太平に寝そ
べる。その従順な態度にアルバートの口は開いて塞がらなかった。
「あたしのペットのビューさ」
「すげぇもん飼ってんだな。って、あれ? 確か一角の獣は……」
「あたしは未婚だよ」
「そ、そっか」
 穢れ無き乙女にしか懐かないという一角の獣をこうまでたやすく従えるということに、
アルバートはその事実を認めるしかない。
(驚いてばっかだ……)
 隣ではセツが声を殺して笑っていた。
 白虎をなだめたマチウは、一段抜かしの大雑把さで階段を上り、扉代わりの緑葉に手を
かけた。この階段だけはまるで人間用のように段差が緩やかであることにアルバートが気
づいた時には、彼女はそこを開け放つ。
「シファ、入るよ」
「あ、お母さん。これどうかな? お客さんの前で変じゃない──あれ?」
「へ?」
 アルバートの時が止まった。
 ついでに、部屋の中にいた少女の時も止まった。
 その癖のある蜂蜜色の髪の少女は、羽織っただけで前を閉じていない着物姿でアルバー
トの方を向き、あろうことかその両腕を広げていた。
 つまり何故か下着の一つもつけていないその裸体のほぼ全てが、視界に飛び込んできた
わけで──。
「う、うあああああ!?」
「き、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 悲鳴が交錯した。





                2


「あはは、悪い悪い。もう許しておくれよ、シファ」
 おかしげに笑うマチウの隣に座り、シファと紹介された少女は顔を真っ赤にしてうつむ
いていた。テーブルを挟んでその向かい側に座らされたアルバートも、似たようなものだ。
(も、モロに見ちまった……)
 全身をガチガチに硬くさせ、アルバートはチラリと蜂蜜色の髪の少女を見る。それはガ
ラン山でアルバートが助け出そうとした少女に他ならない。
 十四、五歳ほどに見える外見で、その容姿は今までアルバートが見てきたどんな異性よ
りも印象に残る。確かに将来絶対に美人になるであろう愛らしい顔立ちだし、黒を黒を塗
りつぶしたような真黒色の着物が、足の辺りに切れ込みが入って歩きやすくなっていたり、
肩口辺りでは締まった布が袖口に向かうほどに広がりを見せる独特なものであることも印
象を強める要因の一つなのだろう。
 だがもっと心に直接届く、躍動する生命の強さのようなもので己の存在を主張している
ような、特別な何かを感じられてたまらなかった。
(な、なんだ?)
 朱色に染まった少女の頬や、細い首などが妙に意識され、アルバートは額に汗を浮かべ
た。続いてその瞳が不思議な紫色であること、小さな鼻梁の思わず摘みたくなる可愛らし
さ、紅も引いてないようなのに桃色の唇、と勝手に目が追ってしまう。
(か、可愛い……)
 その瞬間、シファが紫色の瞳をアルバートに向けた。
 視線が絡み、二人は同時にハッと目を逸らした。
「うぐ……」
「う、う〜」
 互いに真っ赤になってしまう少年少女を見て、セツなどは口を押さえて笑いを堪えるの
に必死だ。マチウも笑いながら、話を進めていいかい、と言う。
「若い青春の謳歌は後にしてもらうとして、だ」
「お、お母さんっ」
「誰のせいだと思ってんだ、こらぁ!?」
「落ち着きなって、二人とも。話を整理したいだけだよ」
 ガタンと椅子を蹴って立ち上がる若者たちを制し、マチウは余裕のある態度でアルバー
トに視線を向けた。
 その奥にある真剣な色に、アルバートもしぶしぶと座りなおす。この家屋に限っては、
椅子などの家具もシファに合わせた人間用のものが用意されているため、使用に不自由は
ない。
「坊や、あんたは人間の国ラグーンの騎士だね? 悪いけど、鎧の紋章を検めさせてもら
ったよ」
「……ああ」
「凄い、騎士様なの!?」
「うおっ」
 突然シファが立ち上がり、目をキラキラさせて身を乗り出したことにアルバートは身を
後ろにそらした。そのシファを、マチウは後ろ手に顔を押さえて座らせる。
「わぷぷっ」
「報告だと、騎士がまとめて十人近くもいたそうじゃないか。もしかして、近々トロール
領に攻め込む算段でもあるのかい?」
 それまでの親しみやすさとは一転しての詰問調の言葉に、アルバートは悩んだ。しかし
隠すことでもないと思い、正直に答える。
「……いや、そんなことはない。ラグーンじゃ、トロールはもう対抗勢力扱いしてない。
ガラン山にいたのは、精霊石を集めるためだ」
「ふむ、<火竜閃筒>かな」
「ああ」
 セツの言葉にも頷く。人間種が国境線の防衛に<火竜閃筒>を使っていることは、どこ
の種族も知っていることだからだ。
「王の封印していたものを人間が使うのは気に喰わないが、戦乱の常だ。それに関しては
言わないでおこう。それで現在は戦況はどうなっているのかな」
「戦況?」
「こんな辺境の地じゃ、なかなか情報も入ってこなくてね。何せ、あたしらはこの図体だ
ろう? 斥候を放とうにも、どうにもね」
「なるほど……」
 それには納得できたアルバートは、現在のファーブルの情勢について語った。
 まず現在一番多くの領土を持っているのはゴッブリィンだ。
 種族間戦争が始まってすぐに彼らの王によって配られた薬によって、この森のグルメ種
族は悪食な餓鬼の集団となって、猛烈な勢いでその領土を拡大した。現在でこそ多少落ち
着いているが、ファーブル最高の繁殖力を持つゴッブリィンの、他の種族の数倍に及ぶ兵
力での電撃侵攻は脅威以外の何ものでもない。
 食欲を異常強化された彼らは、自らの死をも恐れず、素手でもその牙で喰らいついてく
る。優れた個体をそろえている種族を、この人間の胸元くらいまでしかない小柄な種族が
圧倒しているのが、現実だ。
 そのゴッブリィンの支配するファーブル西方の一帯に面しているのが、中央平原にある
半人半馬のケンタウロスの国家だ。国家とは言っても野生馬のように常に移動する習慣の
ある彼らは、ゴッブリィンの物量作戦を本拠の無いことを利としてかわし続け、その馬の
速度の突破力によって各個撃破している。
 現在は共通の脅威を抱えている者として、同じく草原の種族である象のような大きな耳
を持つラホビット種と協力し、その大地の恵みや天候の変化を察知する知恵を借りている
らしい。
 特に生産力などの国力に優れているわけではないが、こと局地戦に関してはこの草原の
ケンタウロス・ラホビット連合を崩すことは他のどの国家にもできないだろうというのが、
大方の見解となっている。
 北方の険しい山岳地帯では、高地では翼を持つ天使種が北天の竜王の庇護の下に戦争か
ら身を隠し、低地では団子鼻のドワーフをはじめとした強靭な肉体を持つ小人系の種族が
同盟を組んで、他勢力からの侵入を排除している。
 もともと小人たちは種族は違えどお互いの生活が密接に関わっており、分業して支えあ
ってきたので、この種族間戦争の中でも同盟することができた。しかも閉鎖的な北方は魔
法時代の遺産とも言うべき自然ならざる魔法生物たちを多数飼いならしており、その防衛
力は高い。
 さらに東を見れば、巨大な世界樹を中心とする森林地帯をエルフたちが治めている。エ
ルフたちは数こそ少ないが、森の動物たちを兵士としてそろえていて、戦に投入できる戦
力は意外なほどに多い。さらに深い森の中に閉じこもっているため、再三にわたる人間種
の侵攻も大軍を派遣できずに失敗に終わっている。
 彼らエルフは、同じ森を愛する犬耳のクローゼット種しか共存できる種族として認めて
おらず、じわりじわりとその領土である森を広げている。森の木々を一時的に兵士と化す
新しい魔法も作られたらしく、そろそろ外部に侵攻するのではないかという噂が立ってい
た。
 最後に、大陸南部に位置するのが人間の国家だ。背後の強敵として存在していたトロー
ルと竜人を辺境に追い払った彼らは、国境線に竜王から得た<火竜閃筒>などの魔法の道
具を配置して、その防衛を行なっている。十三年来領土の拡大は行なえていないが、まず
エルフの森を攻め落とすべく兵力を蓄えている真っ最中である。
「ふうん、大して十三年前と変わっていないもんだね」
 そう感想を漏らしたのは、マチウだ。
 事実戦況は十三年前にトロール領が人間領に組み込まれて以来大きな変化は無い。アル
バートが戦況というものを意識する年齢になってからは、まったくと言って良いほど変化
していないはずだ。
「北は守りに入ってるし、西と中央はお互いの牽制で精一杯。東と南は他への侵攻を狙っ
て機会を待ってるってところだな。ま、俺には上の方の事情はわからぇねから、もっと別
の思惑とかもあるのかもしれねぇけど」
「いや、充分だったよ。ちょうど大きな戦いの真っ最中じゃないってわかっただけでもね。
ありがとう」
「あ、ああ」
 凶暴で愚鈍であるというトロールに礼を言われ、アルバートは戸惑った。彼らに出会っ
た時から感じる違和感は、自分の知識と彼らがあまりにも違いすぎるからだ。
(……案外、普通だな)
 人間と変わらない、と感じた。
 しかしすぐにアルバートは首を横に振った。
(いや、まだわからねぇ。情報を引き出すために、まず優しくしたのかもしれねぇしな)
 いきなり頭を振ったアルバートに、向かいのシファがきょとんとしていた。
 その少女についての疑問を思い出す。
「そういや、この子はなんなんだ? どうしてこんなとこに人間の子がいるんだよ。どこ
かから捕まえてきたのか?」
「ああ、シファかい? 坊や、シファを助けようとしたんだって? 勇敢にも、三人のト
ロール相手に一人で突っ込んでさ」
「う……あ、ああ」
 からかうような口調で言われ、アルバートはどもった。
 勇敢、という評価を素直に受け入れることはできなかった。何故なら、アルバートはあ
の時逃げようとしたからだ。もし儀式が佳境に入らなければ、義兄を頼ってあの場を後に
していただろう。飛び出したのは反射に過ぎない。
 だがそのような裏を疑いもしないのか、シファは胸に手を当てて輝くような瞳をアルバ
ートに向ける。
「そうなの、お母さん。ガリィさんの横を駆け抜けざまに、こうやって剣でがきぃんって。
それでね、わたしのこと抱きかかえてくれて『走るぞ』って。わたし、びっくりしちゃっ
た。さすが騎士様よね。トロールにさらわれたっていうのは勘違いだけど、凄い格好いい
ものっ!」
 身振り手振りまで交えてはしゃいだ声で言う少女に、アルバートは何故か身の置きよう
のない居心地の悪さを感じた。それはおそらく、マチウとセツの面白げな視線のせいなの
だろう。
 と、アルバートは気づいた。
「お母さん?」
「こっち見ないでおくれよ。さっきも言ったけど、あたしは未婚だよ。子供の頃から世話
してるからね、シファが勝手に言ってるだけさ」
「子供の頃から、なのか?」
「うん」
 コクンと、蜂蜜色の髪を揺らして素直にシファが頷いた。
 わけがわからなくなったアルバートに、セツが口を開く。
「シファは、巫女──我々竜人の祭事にとって重要な役目を持った娘だ。この役目は種族
を問わん。我が王が身罷られる前に最後に選んだのがシファでな、以来十三年間シファは
この村で過ごしているというわけだ」
「王……南天の竜王!?」
 その名を、アルバートは叫んでいた。
 南天の竜王。四大竜王の一柱にして、この世界の魔力の源とも言われる存在だ。個体と
しての能力はファーブルで最強であり、その怒りをかえばどのような国であろうとも一晩
で滅びると言われている。
 そして、その竜王を倒したからこそ、人間種の英雄ガノッサは全種族から畏れられてい
るのだ。
「ど、どうしたの?」
「い、いや、わりぃ。すげぇ有名人っていうか、すげぇ有名竜の名前が出たもんで、びっ
くりした。……しかし、俺は本気で勘違いしてたってわけかよ」
 もはや覚えていないが、アルバートは南天の竜王が始めた侵略戦争により騎士であった
実父を失っている。王都タファルに残されていたアルバートはそのことで孤児になり、同
僚であったという大騎士ローガンの養子となるのだが、それらの複雑な感情はこの際無視
することにする。
 問題は自分が勘違いで囚われの身になったということだった。
「へっ。俺は勘違いして勝手に暴走したあげく、あんたらに捕まったってわけか」
「よくわかってるじゃないか」
「お母さんっ!」
「おっと、弁護者はいるみたいだよ、坊や」
 肩をすくめ、マチウは席を立った。
「勘違いとはいえ、あんたはうちの可愛いシファを助けようとしたんだ。そのことを考慮
して、ついでにシファの希望もあることだし、坊やには二つの選択肢をやるよ」
「……言ってみろよ」
 ようやく来たか、と腹に力を込めてアルバートはトロールの女王を見た。内心は不安で
たまらなかったが、それを表に出すことはしなかった。
 果たして、マチウは言う。
「村共有の財産としての奴隷になるか、シファ専属のペットになるかだよ」
「なんだそりゃぁ!」

                ※

 トロールたちには、ある一定の年齢になるとペットを飼うという風習がある。それは人
間種が愛玩用に動物を飼うのとは違い、主に護衛用としての意味が強い。
 例えば女王であるマチウなどは一角白虎のビューをペットとしているが、その白虎は並
のトロールなどよりもずっと強く、まさに女王の最後の守りとして存在している。密林の
中での護衛としても最適で、命を賭して彼女を守るビューのようなペットがいるからこそ、
トロールたちはこの辺境の地でも生きていけるのだという。
 それだけにペットとの関係は重要視され、同じ家で寝食を共にするのは当たり前として、
他人のペットを軽んじることもトロール法では禁じられている。ペットは飼い主にとって
信頼できる友であり、貴重な財産であるからだ。
「だから、坊やがシファのペットになれば、もう誰も文句は言えないよ。人間だろうとな
んだろうと、安全は確保できたも同然さ」
「う〜ん……」
 説明され理解はしたが、複雑な面持ちでアルバートは村の中を歩いていた。二倍近いマ
チウの歩幅についていくためにかなりの早足での移動だったが、腕を組んで悩んだ。
「悩むことなんかないだろ? 奴隷になれば、毎朝早くから遅くまで働きづめさ。だけど
シファのペットなら、あの子の話し相手でもしてくれればいいんだよ。あの子にも、歳の
近い友達の一人や二人は必要だろうしね」
「あの子は、ずっと?」
「ああ。この村にいる人間はあの子一人さ。大部分のトロールはあの子を可愛がってるけ
ど、巫女さんってのは竜人の都合だからね、一部じゃさすがに不満も出てるよ。あたしら
も十三年前の戦じゃ、かなりの被害を受けたからね。だからあの子には、いざって時にそ
ばにいてくれる同種族が必要なのさ。そう思わないかい?」
「…………」
 言われるまでもなく、アルバートの感性としてはトロールの中に少女一人を置いておく
ことはできなかった。人間は人間の中で過ごすべきだ、と思う。
(……それにトロールに使われるよりは、あの子に使われた方がマシだしな)
 そういう単純な理由もあり、アルバートはすでにシファのペットとなる意志をマチウと
セツに告げていた。するとマチウはアルバートをシファの家から連れ出し、違う場所に行
くと言い出したのだ。
「なに、ペットになるための簡単な試験みたいなもんさ」
「試験?」
 何やら嫌な予感にアルバートが高い位置にあるマチウの顔を見上げると、彼女は密林に
近い村の外縁部に突き立った巨大な杭を指差していた。誘導されて、その指先の示す方向
に視線を向けたアルバートは、ポカンと口を開けた。
「へ? なんだありゃ……カマキリ?」
「風裂き蟷螂。シファのペット用に調教中だった奴さ」
「へぇ……って、でかいな、無茶苦茶」
 アルバートが驚くのも無理はなく、その蟷螂の背丈はトロールを優に越えてた。だとい
うのにその姿形は見慣れた緑色の蟷螂のものであり、無数の複眼がいっせいに自分を映し
たことにアルバートは背筋をゾッとさせた。ただの虫を大きくさせただけの姿は、自分が
まるで小人になったかのような錯覚を感じさせる。
 だが調教中であるという話は事実らしく、その密林の狩人は鋼の鎖で杭に繋がれていた。
 アルバートが初めて見る巨虫に怯んでいると、マチウは何気ない足取りで杭に歩み寄り、
懐から小さな鍵を取り出した。
「お?」
 とアルバートが思った時には、あっけなく蟷螂は自由を得ていた。
 おや、とアルバートは首を傾げる。
「そいつ、大人しいのか?」
「いや、この上なく凶暴だよ。まだ調教は途中だからね。だけどまあ、トロールを襲わな
い程度には仕上がってるのさ」
「なるほど」
 アルバートは頷いた。
 頷いてから、自分を見つめる複眼の怪しい煌きに気がついた。
「……お?」
 じり、と半歩下がっていた。
 その距離を埋めるように、蟷螂がその後ろ足を踏み出す。
「お?」
 さらに半歩下がった。
 再び、蟷螂がその距離を埋めた。
「おおお!?」
 一歩二歩と下がった。距離を埋められた。それは間合いをはかる騎士の歩法にも似た、
野生の狩人の必殺の距離だ。
「ペットになれるのは一人きり。仮にもシファは巫女さんなんだ。より強い方を選ぶのは
当然さ」
「ざ……」
 少年は叫んでいた。
「ざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 その瞬間、蟷螂がその巨大な鎌を振るった。





                3


「ぐあああああああああ!?」
 という叫び声が聞こえて、シファは小首を傾げて席を立った。その声が、先ほどまで一
緒にいた人間の騎士のものによく似ていたからだ。
「セツ様、失礼します」
 同じテーブルに着いていたセツにひとことそう言ってから、少女は家の扉となっている
葉から外に顔を突き出した。
 するとその下を猛烈な勢いで一人の少年が駆け抜けていく。それは見事な速度で、例え
ば鈍足のトロールであれば絶対に追いつくことはできないだろう。
「あれ? 今のって……あれれ? カマさん?」
 今度は少女の前を巨大な蟷螂が後ろ足を大股に動かして通り過ぎていく。そちらの速度
も少年に劣らず、かなりのものだ。
 シファが首を伸ばして、走り抜けた二つの存在を追うと、
「あっぶねぇな、この野郎っ!」
 後ろからの蟷螂の一撃を、アルバートがまるで後ろに目があるかのように前転して避け
たところだった。さらに蟷螂はその手の鎌を振るうが、アルバートは上手くその可動範囲
から逃れる。
「え? え?」
 それらの様子を高いところから眺め、シファは背後の忍び笑いに気がついた。
 振り返ると、セツがその竜顔を人間にもわかるくらいの笑みに弛めていた。
 それでシファには全て理解できた。
「セツ様! お母さんっ!」

                ※

(冗談じゃねぇ。こんな奴どうしろってんだっ!?)
 鋭い鎌の一撃を無様に転げながら避け、アルバートはなんとか蟷螂の横に回り込もうと
した。基本的に蟷螂の腕は前方向にしか動かないので、真横は安全圏になる。
(そのまま組みつけりゃ……って無理だろ、そりゃっ)
 アルバートが横に回りこむと、蟷螂もすぐに頭を向き直らせる。大きく回り込む少年に
対し、蟷螂は横を向くだけでこと足りるのだ。
 そして蟷螂には必殺の武器があるというのに、アルバートは丸腰。剣の一つも持ってい
ない。
「ちっ」
 騎士を象徴するものであり、彼にとっては実父の形見であるナイトソードは、ガラン山
でシファを助けるために投げ捨ててしまっている。そのことに舌打ちし、アルバートは今
更ながら少女を助けようとしたことを後悔した。
(勘違いした俺が悪いんだけどよ……なんで俺がこんな目に合わなけりゃならねぇんだよ)
 蟷螂が迫ってくるのを見て、手近な家屋の階段を上る。そのまま扉を割って室内に入る
と、テーブルに座っていたトロールが驚いた顔で振り返る。
「悪ぃ!」
 ひとこと言って、その家の中を一気に駆け抜ける。同時に背後から何か巨大なものが家
屋に激突する音が響いたが、振り返らずに入り口とは反対側の壁にあった窓から飛び降り
る。
 自分の身長よりも高い場所から落下したアルバートは、着地と同時に身体を地面に転が
してその衝撃を逃がし、即座に立ち上がった。
 チラリと視線をやると、土台の柱を蟷螂に切り落とされた家屋が斜めに倒壊していくの
が見えた。
「……マジか」
「いたた。何ごとべさ」
 トロールが地面に落下していたが、蟷螂はそちらには目もくれず、その複眼の集まった
顔をアルバートに向けた。中途半端な調教というのは嘘ではないようだった。
「タチ悪ぃっ」
 毒づく。
(助けようとした子が竜人の巫女だったせいかよ、これは。本当にロクでもねぇ奴助けよ
うとしちまったぜ)
 追い詰められた心が、不満を脳裏に描いた少女に叩きつける。
 自分は騎士として正しい行いをしたはずだ。客観的にも、トロールに襲われそうな少女
を助けるのは誇れることだと思う。
 だがどれほど誇れることをしても、それが勘違いだった場合、それは笑い話にしかなら
ないのだろうか。
 マチウがこのような化け物蟷螂をけしかけたのも、最初からアルバートをペットにする
つもりがないからのように思える。
(ていのいい処刑じゃねぇか!)
 再び再開された蟷螂の攻撃を、避けることだけに専念してどうにか凌ぎ、アルバートは
考える。
「兄貴……っ」
 こんな時、義兄のユーリならば、どのように切り抜けるだろうか、と。
 その時だった。
「騎士様!」
 アルバートは目を丸くした。
 その場に、彼が悪態をついた少女、シファが駆け込んできたのだ。

                ※

「え〜と、ないないない〜っ」
 アルバートが蟷螂に追い詰められるのを見て、シファは自分の部屋の端に積んであった
ガラクタの山を漁り始めていた。
 そこにあるのは、複雑過ぎて理解できない魔法書だとか、何に使うのか良くわからない
球を二つ組み合わせた形の鉄塊だとか、竜人たちがシファに対する贈り物として持ってき
てくれたものばかりだ。
 その中にアルバートに使えそうな武器があったことを思い出し、シファは急いでそこを
引っ掻き回していたのだが、普段から整理していなかったことが災いしたのか、なかなか
見つからなかった。
 そうこうしているうちに、家屋が倒れるような轟音が響き、シファはついに口に出す。
「剣、剣があったはずなのに〜っ!」
「これか?」
「へ?」
 声に振り返ると、セツが黒い鞘に収まった剣を持っていた。目をパチパチさせ、シファ
はそれを受け取ると、
「セツ様、ありがとうございます!」
 飛ぶような勢いで家を出て行った。
 苦笑してそれを見送ったセツは呟く。
「扱えるはずもないんだがな」
 だがそこにはある種の期待が含まれてもいた。自分にはできない何かを若者に期待する
時の、老人の期待が。

                ※

「剣です!」
「ありがてぇっ」
 差し出された黒塗りの鞘に、アルバートは無条件で礼を言っていた。そして全力で走っ
た少女の上気した息に、自分の思考を恥じる。
(そうだよな、こいつは何も悪くねぇんだよな……くそ、情けねぇっ。何いじけてたんだ
俺は!)
 突進してくる蟷螂を前に、アルバートはシファを庇うようにして前に出た。剣の柄に手
を当てると、そこが小さな鱗に覆われていることに気づく。気持ち悪さを感じながらもそ
こを握ると、吸い付くような握り心地に驚いた。
「こいつは……っ」
 名剣というものがある。
 聞くところによれば、名剣は手にした瞬間にそれが尋常ではない力を、切れ味を持って
いると使い手に確信させるというが、それはまさにそうであった。
 アルバートの背後に控えるシファも、両手をぎゅっと拳にして言う。
「南天の竜王様が自らの鱗から作り出した魔法剣、<竜王の牙>ですっ。またの名を絶対
魔剣! この世に斬れないものなんか無いってセツ様が言ってました!」
「うおっしゃぁ!」
 迫る蟷螂。
 アルバートの二倍以上もある巨体が大地を軋ませながら、その鎌を振り上げたが、少年
に恐怖はなかった。まるで勇気そのものが柄を通して剣から流れ込んでくるような感覚が
あった。
(絶対に負けねぇ……っ)
 確信を持って、アルバートは剣を鞘から抜き放った。
 つもりだった。
「お?」
 剣は鞘と一体であるかのようにビクともしなかった。慌てたアルバートが何度も引くが、
<竜王の牙>は抜けない。
「やっちゃってくださいっ」
「いや、ちょっと待て。おい、こいつ抜けねぇぞっ」
「え? そんなはず……あ、抜けない。どうして!?」
 驚いたシファも柄に手を添えて引っ張るが、やはり剣は鞘から抜けなかった。そうこう
しているうちに、蟷螂の影が二人に重なり、少年と少女は引きつった顔で巨虫を見上げた。
「逃げ──」
 言おうとしたアルバートは、恐怖に固まった少女の顔に、横に跳ぼうとしていた自分の
動きを止めた。
 蟷螂の刃が振り下ろされ、アルバートは反射的にそれに向かって鞘に入ったままの剣を
叩きつけていた。
 鈍い音がして、蟷螂の鎌が跳ね返される。同時にアルバートも想像以上の鎌の威力に上
半身を大きくそらされるはめになっていた。
「下がれ!」
「う、うん」
 アルバートの叫びに、シファは正気を取り戻して後ろに下がろうとした。しかし震える
足がもつれ、少女はそこにペタンと尻餅をつく。
 そこに蟷螂が襲いかかる。
「あ……」
「く、くそだらぁぁぁぁぁ!」
 何も考えなかった。
 へたり込んだシファに、蟷螂が迫る。それを見た瞬間、アルバートの中で理性が弾け飛
び、躊躇いも何もなく彼は自分よりも遥かに大きな蟷螂に掴みかかかっていた。
 さすがに驚いたのか、蟷螂は身を大きく振ってアルバートを振り落とそうとしたが、少
年は足を蟷螂の身体に絡めて離さない。
「く、くたばっちまえ、このカマキリ野郎っ!」
 そうして、アルバートは蟷螂の上に馬乗りになって<竜王の牙>を振りかぶる。
 シファが目を見張った。
「くらえぇ!」
 アルバートは鞘に入ったままの剣で蟷螂の頭を殴りつけた。不十分な体勢からの一撃と
は思えない打撃音が響き、蟷螂が一瞬動きを止める。
 ゴクリ、とシファが喉を鳴らし。
 蟷螂の巨体が、ドウッと横に倒れた。

                ※

「キャー! すごーい、騎士様格好いいっ!」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
 ぱぁっと顔を輝かせて胸に飛び込んできた少女を受け止め、アルバートは信じられない
気持ちで倒れた蟷螂を見た。硬い鞘で頭を殴られた蟷螂は、目を回して複眼の光を失って
いる。
(か、勝った……)
 安堵した瞬間、走り回っていた疲労と決死の戦いの緊張感が一気に襲いかかり、膝が折
れる。思わずその場に座り込んでしまったアルバートに、抱きついていたシファは巻き込
まれる形で地面に転がった。
「きゃっ」
「わ、悪ぃ。大丈夫か?」
「う、うん。騎士様こそ、大丈夫ですか?」
「まあな……疲れたけどよ」
 ふう、とアルバートは大きくため息をついた。とめどなく汗が流れ、肩が上下する。心
臓は早鐘のように鼓動を刻み、剣の柄を握る掌の血管の脈動すら感じられるほどであった。
 黒い鞘の剣に目を向けたアルバートは、クスリと笑ってそれを少女に手渡した。
「ありがとな。助かった」
「ご、ごめんなさい。こんな不良品っ」
 カァッとシファは頬を赤くし、<竜王の牙>を後ろに放り投げた。
 すると、
「王の魔剣を不良品とは、巫女の言葉とは思えんな」
 剣を空中で掴まえたセツが、苦笑気味に視線をアルバートに向ける。多分に呆れたとい
う顔だ。
「まさか<竜王の牙>で風裂き蟷螂を殴り倒すとはな。小僧、見事にわしの期待を裏切っ
てくれたな」
「……なんの期待だよ、クソ爺」
「さてな」
 恨みがましげにアルバートが睨んでも、老竜人は飄々とした風体でそれを流す。アルバ
ートが舌打ちすると、今度はマチウが感心した顔で拍手しながら歩いてくる。
「たいしたものだね。シファを囮にしたのは感心できないけど、こいつを仕留めるなんて
この村の者でもなかなかできないことだよ」
「囮にしてねぇっ」
「そうなのかい? こいつはシファを襲わないことを第一に調教してあるからね、坊やが
それを利用したのかと思ったんだけどね」
「……へ?」
 その言葉に、アルバートは呆けた顔になった。シファも、あれ、と小首を傾げる。
(そういや、この子に突っ込んだ時、蟷螂は鎌を振り上げなかったな)
 もしかして、と気づく。
 シファもポンと手を叩いた。
「甘えてきた……のかな?」
 ペットが飼い主に頭を擦り付けようとした、のだ。
 シファの言葉に、アルバートは脱力するしかなかった。
「ま、また勘違いかよ……」
「そうみたい」
 しかし、シファはにっこりと笑った。その笑みを間近で見たアルバートは、思わずドキ
リとした。花の咲くような、まさに華やかな笑みだった。
「だけど、また助けようとしてくれましたよね。わたし嬉しいです。ありがとう」
「お、おう」
 頬を染めてシファが言ったことに、アルバートも吊られるように赤くなって頷いた。二
人して真っ赤になって見つめ合う人間の少年少女に、トロールと竜人の年長者は顔を見合
わせてクスリと笑った。
「よし。では、トロール女王マチウの名において、人間の騎士を竜人が巫女シファ・メノ
ルのペットと認める!」
 その宣言は、村の隅々まで響き渡るのであった。
 そしてそれぞれの家屋の窓からうかがっていた者や、遠巻きにアルバートたちを見守っ
ていたトロールたちが同時にその分厚い胸を掌で叩いた。
 百に及ぶ肉を叩く音にアルバートが目を丸くすると、その耳元でシファが囁く。
「あれはトロールの了解の敬礼ですよ、騎士様」
「騎士様って……って、そうか」
 そこまで来て、ようやくアルバートは自分が名前の一つも名乗っていないことに気がつ
いた。
「あのよ、俺の名前、アルバートっていうんだ」
「アルバートさん?」
「ああ。アルバート・ファルシア」
「わたしの名前はシファです。シファ・メノル」
 名前を告げ、二人はどちらからともなくお互いの手を取っていた。
 初めは遠慮がちに、それからしっかりと握手し、アルバートとシファは頷きあう。
「よろしくお願いします、アルバートさん」
「よろしくな、シファ」
 それが、二人の始まりだった。





                結


 その夜、盛大な太鼓の音が密林の村に轟き渡っていた。
 唯一大陸ファーブルの南の辺境、あらゆる勢力から無視される深い密林の中のその村は、
他のどのような場所よりも明るく、騒々しい音に満ちていた。
「はっはぁ。風裂き蟷螂を討ち取ったシファ様のペットに乾杯!」
「おお!」
 種族的に酒に目のない竜人の若者たちが、杯を月にかざして酒臭い息を吐く。
 緑色の鱗をほんのりと朱色に染めた竜人たちが茣蓙の上にあぐらをかいて肩を組んでい
るそばでは、太鼓を叩いていたトロールたちに周り中から樽の中の酒が浴びせかけられて
いる。
 野太い声での笑い声がいたる所から聞こえ、その話題のほとんどは自分に関係ないこと
を聞き取って、アルバートはボソリと呟く。
「俺の歓迎会だなんだ言っておいて、結局理由つけて飲みてぇだけなんじゃねぇのか?」
「そんなもんだべ。まま、オメも飲め」
「あ、ども」
 村の中央に設けられた宴席の中、隣に座ったトロールに一抱えもある杯を渡されたアル
バートは、むうと眉根を寄せてからそれに口をつけた。途端に、周りが手拍子を取り始め
る。
「ほーれ一気、一気、一気」
「ぐぐぐ……ぷはぁ〜! どうだこんちくしょうっ」
「おお、やるべな。オイラも負けてらんねぇ」
 腹をパンパンにさせながらも飲み干すと、トロールたちが拍手と喝采を人間の騎士に送
った。それを受けながら、アルバートは何故自分がこのような状況にいるのか、もはやわ
からなくなりつつあった。
(トロールは凶暴な奴らのはずで……だけど、なんだ、なんで俺はそいつらと酒盛りして
んだ? なんでこいつら、こんなに話しやすいんだ?)
 ぼんやりと見回すと、数十のトロールと竜人が、一緒になって大地に腰を下ろしている。
 ある者は歌を歌い、ある者は太鼓を叩き、思い思いに楽しんでいるのがアルバートにも
よくわかった。
(なんなんだ、これ?)
 アルバートがシファのペットになると決まった後、彼を取り囲んだトロールや竜人たち
は実に友好的だった。敵地だとある程度の覚悟を決めていたアルバートには意外なことに、
彼らは仲間と認めた者には分け隔てなく、極めて陽気な者たちだ。
 そしてアルバート自身も、そんな彼らの態度に好感を抱いている自分に気がついていた。
「ほれ、もう一杯いけ」
「ども」
 と、アルバートが再び杯を受けた時だ。
「アールー!」
 春の息吹のような声が、鮮烈に酒によどんだ空気をかき分けて届いた。全員がそちらを
見ると、動きやすいように各所に切れ込みの入った黒い着物に身を包んだシファが、シャ
ランと鈴の音を鳴らして手を振っていた。
 直後、左右から背中を叩かれて飲みかけの酒を吹いたアルバートは、ごほごほと咳き込
みながら自らも手を振り返す。
「それでええべ。この幸せもん」
「ど、どういうことだっ」
「わからねぇなら、まだ子供ってことべさ」
「?」
 満面の笑顔で足取り軽くやってくるシファに、トロールたちはひそひそとアルバートの
耳元で囁く。少年は怪訝そうな顔をするが、ともあれ自分の飼い主である少女に視線を向
けた。
「ひっく……アル、飲んでる?」
「まあボチボチと」
 大きな杯を見せてアルバートが言うと、自身も相当飲んでいるのか、シファが真っ赤な
顔で頷く。
 アルバートがペットになってから半日も経たないうちに、シファは彼の名前を短縮して
呼ぶようになっていた。短めな名前が多いトロールや竜人の中で育ったためか、アルバー
トという名前は彼女にとって非常に呼びにくいものであったからだ。
 図らずも義兄であるユーリと同じ呼び方をしてくるようになったシファに、アルバート
は特に不快を感じなかった。名目上とはいえシファはアルバートの飼い主であるし、アル
バートもシファが親しみを込めて呼んでくれる方が良かったからだ。
「ひっく……聞いてよ、アル。お母さんったらね、お前にはまだ酒は早いとか言って、竜
人は生まれた年から酒を飲むんりゃってのに、ねー?」
「お、おう」
 ケラケラ笑いながら目の前に正座する少女に、アルバートはどぎまぎした。酔いのせい
で火照ったシファの身体は艶やかに色づき、さらに着物が乱れて胸元が半ば露出していた
からだ。
 異種族ということもあり、トロールたちはまったく気にしていないのだが、アルバート
はそこばかりが気になって仕方がない。まだ若い少年の悲しい宿命だ。
「ねぇ、アル、どこ見てるの? 話聞いてる〜?」
「あ、ああ。聞いてる聞いてる。俺は何も見てないぜ」
 慌てて顔を上げて、ぎょっとした。
 そこに、目と鼻の先に、少女の顔があった。
「う……」
 潤んだ瞳は、他には見たことがない紫色。ほつれた髪は、極上の味を予想させる蜂蜜の
色。半開きになった濡れた唇の艶かしさに、アルバートはゴクリと生唾を飲み込んだ。
「アル……」
「な、なんだ?」
「わたし……」
「おうっ」
「きぼちばるい……」
「は?」
「えう〜」
「う、わぁっ!」
 真っ赤から一転。真っ青になったシファの口から溢れた酒臭い嘔吐物が、どぼどぼと音
を立ててアルバートの胸に注がれた。立ち上る臭気に顔を背け、アルバートは自分の肩を
掴んでくる少女に恐る恐る尋ねた。
「し、シファ?」
「だ、だいじょ……えう〜」
「うわぁあああっ!」
 ずざざっと左右のトロールたちが離れる中、飼い主の汚物にまみれたアルバートは泣き
たい気分で夜空の月を見上げた。
(兄貴……俺、どうなっちまうんだ?)
 宴はまだまだ始まったばかりである。


                                   終


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