リトル・デスサイズ 〜死神見習いネルリの物語〜 「デスサイズフォーリンダウン 〜死神見習い落ちた〜」 ──これは死神と天使のお話です── 序 「う〜ん……」 カツカツカツカツ、と石畳の廊下を固い靴底が叩く音が響いていた。 「う〜ん……」 と、焦るような、困ったような微妙な唸り声を上げながら廊下を往復しているのは、歳 の頃三十前後の、長い黒髪の美丈夫である。少しだけ珍しい点を言うのならば、しかめっ つらをしたその顔の後方、耳のやや上辺りからねじくれた太く立派な角が天を貫かんばか りに屹立していることだろうか。 「まだ生まれんのか?」 角の男は、腕を組んで部屋の前を往復しながら、直立して控える黒装束の部下に問いか ける。黒装束──頭まですっぽりローブを被っている──の部下は、しっかりとダイエッ トに成功した無駄な肉の欠片もない干からびた腕に巻き付いた腕時計を見て、カタカタと 顎の骨を鳴らす。 「まだ孵化が始まってから二日も経ってないっすよ」 とでも言ったのだろうか。常人の耳にはカタカタとしか聞こえないその乾いた音に、角 の男はコリコリと自分の牙をすり合わせる。 カタカタカタカタ。 「死神長、ここ二日寝てないじゃないっすか。生まれたらすぐに俺が呼びにいきますから、 寝たらどうっすか?」 「馬鹿者! 何百年ぶりの子供だと思っている。魔界と天界、両方の卵が孵化しなくなっ てすでに久しい。このめでたき時に、いびきをかいて寝ていられるか!」 「でも、目が真っ赤っすよ」 フードから覗く髑髏の顔を曇らせて部下が心配する通り、死神長の目は、元からの深紅 の瞳だけではなく白目の部分までも徹夜続きで充血していた。それだけに疲れも溜まって いるはずだが、死神長は休もうとしない。 「ええい、せめてどこまで孵化が進んだか知らせがあってもよいものを。くろの奴は一人 で孵化を楽しんでいるのではないだろうな?」 「そりゃないっすよ。それに、くろ様だって卵に力を送り続けて、きっと今頃大変ですよ」 「わかっているっ。それがまた口惜しい! 何千年と生きているが、数日待つだけがこれ ほど苦痛だとはな……。せめてオレにも何か出来れば気も紛れるのだが」 「まあ、こんな時に男が出来るのって待つだけっすよ」 「貴様……達観してるな」 「だてに骨になってないっすよ」 グッと、さわやかな笑みと共に長い骨の親指を立てて見せる髑髏部下。そうだな、と死 神長は不満を飲み込むように苦笑を浮かべた。 と。 扉の向こうから、おぎゃーという幼く甲高い声が聞こえ、二人は顔を見合わせた。凄ま じい反射で死神長が動き、扉の取っ手を回す。 「生まれたか!」 「少し早かったですが」 疲労を感じさせる静かな声が応えたが、死神長はそれを聞いていなかった。扉を開けた 途端にまず耳に飛び込んできた、部屋を埋め尽くすかのような泣き声に意識の全てを奪わ れていたのだ。 「おお……」 黒髪の小さな鼻眼鏡をした少女の胸に抱かれたそれを見た瞬間、死神長は歓喜の声を上 げていた。 ふつふつと、こみ上げてくるようなその感情は、ここ百年ほど魔界には存在しなかった ものだ。 「生まれた……か」 確認するように、呟く。 「ええ」 ふんわりと、やはり普段は見せないような微笑みを浮かべて少女が頷くと、その頭の犬 耳がピクリと動く。それは、上機嫌の印だ。 「みんなを呼んでくるっす!」 髑髏部下が走り出し、死神長が伸ばした手に少女がそれを渡した時、魔界の長い長い冬 の時代が終わりを告げた。 「あ……は、ははははははははは!」 天高く抱え上げられたそれ──生まれたばかりの赤子は、自分がどれほどの喜びを振り まいたのかを知るよしもなく、ただ甲高く産声を上げるのみであった。 ※ そして同時刻、天界でも波紋のように歓声が広がっていた。 同じ日、同じ時間に生まれた二人の赤子の物語は、そこから始まったのである。 1.死神のお仕事、天使のお仕事「ロンドンブリッジフォーリンダウン」 1 死神というお仕事がある。 具体的な仕事内容を説明すると多種多様に渡るので省くが、簡単に言うと生き物の魂と いうものを魔界に持って帰るのが最終目的である。ここで生き物の魂と限定したのは、生 き物ではない物に魂が宿ることもあるからだ。そうした魂は、死神の管轄外になる。 ともあれ、生き物の魂を魔界に持って帰るのが彼らの仕事であり、義務である。 また、天使というお仕事がある。 具体的な仕事内容を説明すると多種多様に渡るので省くが、簡単に言うと生き物の魂と いうものを天界に持って帰るのが最終目的である。ここで生き物の魂と限定したのは、生 き物ではない物に魂が宿ることもあるからだ。そうした魂は、天使の管轄外になる。 ともあれ、生き物の魂を天界に持って帰るのが彼らの仕事であり、義務である。 ──さて、ここで死神と天使のお仕事に違いがないじゃないか、という意見が当然出る であろう。だが、この二つには微妙な違いがあった。 それは、天使は『正規の命を終えた生き物の魂を持って帰る』が、死神は『正規の命が 終わる前に命を奪い、その魂を持って帰る』ということである。 当然死神と天使の間には反目が生じ、お互いの仕事達成のために争いが起こることも多 多ある。死期が近い生き物を死神が見つけ、寿命よりも早く魂を奪おうとし、それを天使 が邪魔する──そのような構図が生まれたのは、ずっとずっと昔のことだ。ことにここ数 百年は魔界と天界に新しい子供が生まれないことで双方がギスギスし、必要以上に激しい 戦いが行われた──第一次云々だとか、第二次云々だとかいう人間の戦争などは、実はそ のとばっちりだったりもした──ものである。 そのような理由で、死神と天使は一つの魂を巡って争うものという認識があったが、彼 らの争いはここ十数年でめっきりと少なくなっていた。争っている、という説明の後でい きなりだが、一応理由はある。 死神と天使に、数百年ぶりに子供が生まれたのである。 2 「そろそろいいんじゃないか? 充分に生きただろう、寿命だ」 と、言っているのは、髑髏である。カタカタと馬鹿にしたように顎を鳴らしながら、不 気味な髑髏はベッドに横になった、幾つものコードに身体を穴だらけにされた老人を宙か ら見下ろしていた。 異様だ。その広い個室の病室の中、所狭しと建ち並ぶ生命維持装置の数々を足場にする までもなく、その髑髏は宙に浮いていた。否、足場と表現するべきか、髑髏が座っている 拠り所ならばあったが。 鎌、だ。 全身を黒い闇色のローブで覆った髑髏は、長大な鎌の柄に腰掛けて病人を見下ろしてい るのである。ローブの下から覗く手は同色の長手袋に覆われ、イバラをかたどった刺々し い銀の指輪が、真っ直ぐに相手を指し示していた。 「寿命……か。そうだろうな」 力無く呟いたのは、老人だ。薄く目を開き、眠りに落ちる寸前の様子で、老人はゆっく りと自分の腕を顔の前まで持ち上げた。そうすると、腕に突き刺さった様々なコードのた るみが無くなり、針が微かにずれる感覚とじくじくとした痛みに老人は顔をしかめた。腕 はすでに充分に細く、老人特有の染みが浮き上がっている。 「まるで枯れ枝……か。無様だな。政界の裏の顔とまで言われながら、最後はこんなもの か……」 「お前の人生を振り返ってみるといい。栄華を極め、成すべき全てのことを成した人生だ ったはずだ。他人を踏みにじり、多くの人生を狂わせ、そうして生きながらえてきたお前 だ。これ以上、何を望む」 言葉は、淡々としたものだったが、己というものを充分に熟知した老人には、今さら言 葉は必要なかった。 「ふん……わしは無宗教だがな、まさかそのわしが最後に死神を見るとは、思わなんだぞ」 皮肉げに笑う口元に力はなくとも、世の汚いものをたくさん見てきた、どこか悟った雰 囲気が老人にはあった。 「ひと思いにやるがいいわ」 「いい覚悟だ」 びゅん、と腰掛けていた鎌の柄を掴んで死神はそれを振り上げた。老人が瞼を下ろし、 その首に死神の鎌が振り下ろされる。 と、その時だった。 「はぇぇぇぇ、どいてください〜」 「は? ──ぎゃっ!?」 天井を見上げた髑髏の顔面に、逆さにきりもみ回転した金髪の少女の脳天が炸裂した。 げいん、とかなり凄まじい音が響く。 「は、はぇぇ〜、痛いです〜」 ぽてっと床に落ちた金髪の少女の背中には、小さな白い羽根がパタパタと動いている。 さすがにたんこぶでも出来たのか、涙目で頭をさする手は白い服のサイズが大きいのか、 手の半ばまでが袖に隠れてしまっていた。 「……天使?」 思わず老人が呟き、ぴくっと羽根を動かした少女は顔を上げるとにっこりと満面の笑み を浮かべた。 「はぁい、天使見習いのコルネです〜」 それは、世の中の幸福全てを独り占めしたかのような、輝かんばかりの笑みであった。 長く、首の後ろで一度バレッタで束ねている髪は、色の薄い、白髪が光を発して黄金に 輝いているような金髪で、丸くてこぼれ落ちそうに大きな瞳は晴れた空色。とろんとした その瞳を収めた顔は、鼻が小さく頬がぷにぷにとやわらかそうで、少々幼めに肉付きの良 い小学校高学年ほどの少女に見えた。着ている服は、白が目立つフリルばりばりの少女趣 味なものである。 そして──。 「ったいなあ! 退いてよ、コルネ!」 「あらあら〜、ネルリったらわたくしの下で、お行儀が悪いですわ〜」 「ったく」 下敷きにされていた死神が自分の顔を下から払った。すると、髑髏が上に移動した。仮 面だ。夜店のお面を頭の上に被ったような姿で立つのは、やはり少女だ。 肩過ぎまでのサラサラの銀髪。吊り上がり気味の、しかし大きいために鋭いという印象 はない目。その中収まる深い紅の瞳。顔の造作はほっそりとしているが、まだまだ幼いと いう感が多分に残る、コルネと同い年ほどの少女だ。透明な、美少女である。 が、 「人の上に落ちてくるの、やめろって言ってるでしょ!?」 がなり立てるといきなりその透明感は紅の印象に変わる。バサッと開いた黒いローブは マント状になり、その下からは黒を主体としたチョッキ状の上着、キュロット、そして二 の腕まで覆う長い黒の手袋が現れた。足には、ロングソックスだ。 さらに。 「そうですぞ、コルネ嬢。毎回毎回……このわしの灰色の脳細胞にも限りがあるのですか らな」 「まあまあ〜、ブラフォードさんにもまだ脳があったのですか〜?」 死神の少女──ネルリが頭の上に跳ね上げた髑髏の仮面が顎をカタカタと鳴らして抗議 すると、天使見習いのコルネは頬に手を当てて心底驚いた顔をした。 途端に騒がしくなった病室に老人が目を白黒させていると、その視線に気がついたネル リが鎌を構え直した。 「そうだった……覚悟!」 「ダメですぅぅ〜!」 「くっ」 鎌を振り上げたネルリをコルネが意外な素早さで突き飛ばす。ネルリの手を離れた鎌が 老人の顔の横数センチに突き刺さるが、コルネはそれを視界に入れずに胸の前で合掌して 言う。 「まだ寿命が尽きる前の生き物から魂を奪ってはいけません〜。死期が近くても、この方 はまだ今日明日には死なないのですから〜」 「でも、もうすぐ死ぬには違いないんだから、別に構わないでしょ。苦しみを長引かせる のが天使のやり方なの?」 「違います〜。生き物はぁ、死ぬ直前まで、より幸せになれる可能性があるのですわ〜」 「ふん、出てきてもらって悪いが、わしにはもう悔いも何も無いわ。近々死ぬとわかれば、 さらにな。そっちの死神に魂くらい、くれてやるわ」 「あら〜?」 コルネが、首を傾げてネルリを見る。うっ、ネルリは視線を泳がす。 「ネルリはまだ死神見習いですわ〜。嘘はいけませんよ〜」 「いいでしょ、どっちでも!」 「とにかく〜、命を粗末にしてはいけませんわ〜。そうですわよね〜、ネルリ〜」 「あたしに同意を求めないで!」 「天使の嬢ちゃんや、わしはな──」 「誰かのために最後の時間を過ごすのはきっと無駄ではありませんわ〜」 ふわり、とコルネが合掌していた手を開いた。その手の間に光る、何か。 「あ、ダメ……っ」 ネルリが止める間も無く、コルネの光は老人の胸にそっと落ち、まるで砂に水が染み込 むかのように消えていった。 そして、老人は、確かに微笑んだのだ。 「そうかも……しれんな」 どのようなことに老人が納得したのか、ネルリにはわからなかったが、決着がついてし まったことはわかった。舌打ちして鎌を拾い、それに腰掛ける。 「あらあら〜、待って下さいネルリ〜」 パタパタと背中の翼をはためかせ天井まで舞い上がり、コルネはすでにベッドの上で静 かな寝息をたてる老人に向かい、合掌した。 二人の小さな姿が天井を透けて部屋から消えたのは、その直後のことであった。 3 「ったく、また人の邪魔するんだから」 「邪魔なんてしていませんわ〜。わたくしはわたくしのお勤めを果たしているだけですも の〜」 「それが邪魔なの!」 「はぇぇぇぇ〜、痛いですわ〜」 ぶーっと頬を膨らませたネルリにぷよぷよほっぺをつねられ、コルネが涙目になる。 「しかし、お嬢様。コルネ嬢がおっしゃるのも一理ありますぞ。コルネ嬢が先程した程度 のことなど、邪魔の内に入りますまい」 「はい〜。あの方のお孫さんたちの想いをお届けしただけです〜。今まではお勤めでほと んど一緒に遊べませんでしたから、お亡くなりになるまでの数日間、一緒に過ごせると良 いですわ〜」 「あ……そうなんだ」 孫と、と聞いてネルリの表情にちょっと弱みが入る。そこに押し込むように、コルネが ネルリにぐっと顔を近づける。 「それとも、ネルリはあの方のお孫さんたちが悲しんでも良いのですか〜?」 「う……」 息がかかるほどの至近距離で言われ、ネルリは鎌の高度を上げた。上昇して逃げるネル リを、コルネは翼をはためかせて追う。 「そんなこと無いですわよね〜。ネルリは良い子ですもの〜」 「う、うるさいなあ。あたしは死神だもん。良い子なんかじゃないもん!」 「何をおっしゃられるか! お嬢様はわしが胸を張って世間様に誇れる──な、何をなさ れますかー!」 「あらあら〜、大丈夫ですか〜?」 ぽいっと捨てられた髑髏の仮面を、コルネが受け止める。やれやれ、と髑髏──ブラフ ォードはため息混じりに呟く。 「申し訳ありませんな、コルネ嬢。お嬢様もう十二だというのに未だにご自分の羽根も無 く、魔力も使えず……コルネ嬢に手加減してもらわねば、魂の一つも持って帰れぬ有様。 さぞやコルネ嬢も心配して──」 「いぃえぇ〜、心配などしていませんわ〜」 「は?」 「わたくしは〜、今のままのネルリが大好きですわ〜」 ポッと頬を朱に染めてうっとりと言うコルネに、ブラフォードは髑髏の表面に大粒の汗 を浮かせるしか反応のしようがなかった。 ブラフォードが次の言葉を選んでいると、 「きゃああああああ!」 パタパタと夜空を飛んでいたコルネの前を、きりもみ回転しながらネルリが落下してい った。 「…………」 ブラフォードは一瞬間を置き、 「お、お嬢様あああああああ!」 「はぇぇ〜、今日は気流が乱れているから、気をつけませんといけまんわよ〜」 すでに落下経験のあるコルネは、ほえほえと言うのであった。 「ひあああああああああああ!?」 両手両足で鎌に抱きつきながら逆さにきりもみ回転落下するネルリは、アスファルトの 地面が近づくと強ばった足の力を抜き、バッとその足を宙に投げ出した。すると、きりも み回転の速度が目に見えてゆるまり、目をグルグル巻き状態にさせながらもネルリは鎌の 操作を取り戻す。 「うきゅー……」 どうにか電柱程度の高度で事なきを得たネルリは、両手だけで鎌にぶら下がりながら、 くるくるくると目を回し──結局鎌を手放して落ちた。 「きゅー……」 「ローンドンブリッジフォーリンダウン♪ ──痛っ!?」 げいん、とまではいかなかったが、ごちん、とかなり重い音がした。 「あたた〜……な、何だあ?」 「きゅー……痛いよう、何?」 ネルリと、ネルリに落下されたその人物は、同時に顔を上げた。反応はそれぞれである。 「あ、人間だ」 とネルリ。 「女の子?」 と青年。とにかく、復活はでかい分だけ青年の方が早かった。 「何だあ、夜に電柱の上に登って遊んでたのか? 危ないからやめとけよ」 「別にそんなこと──え?」 よっこらしょ、と青年が立ち上がり、ついでにかがみ込んで、座り込んだネルリの両脇 の下に手を入れる。目を白黒させるネルリをよそに、青年はネルリを持ち上げて、しっか りと立たせる。 「ほら、大丈夫か? 痛くないか?」 「は、はう?」 にっこりと笑われ、頭をぐりぐりと撫でられるに至り、ネルリはようやく現状を理解し た。理解すると同時に、かあっと顔が熱くなる。 「こ、子供扱いしないで!」 がーっと小さな牙を見せて叫ぶが、面白そうに青年は笑うばかりだ。 「それにしても……なんだソレ、吸血鬼の格好か?」 「何言ってるのよ、死神よ、死神。あたし、死神なんだからっ」 「はいはい、なら骸骨のお面でも用意しておけよ。でも、日本ならともかく、外国だとハ ロウィンの時に仮装した奴が強盗に間違われて射殺されたとかもあるから、外でやる時は 気をつけろよ?」 「あー、信じてないー! じい、何とか言ってよっ。──あれ?」 頭の上に手をやるが、手応えがないことにネルリは不思議そうな顔をした。が、そう言 えば先程髑髏の仮面は投げ捨てたような気がしないでもない。 「と、とにかく、仮装なんかと一緒にしないでよ。あたしは本物の死神なんだから!」 「ふーん、名前は?」 「ネルリ」 「ぶっ」 「あー、笑ったー!」 「だ、だってなあ……ね、ネルリ。ねるねるねるねか」 「な、何よそれ」 「いや、お前くらいの歳だとわからないかもしれないけどな、昔そういうCMが──」 襟を掴ん引き寄せてくるネルリを手で押しとどめ、青年が解説しようとした時、ようや く追いついたコルネがバサリと翼を一際大きく鳴らしてアスファルトの上に舞い降りた。 「あらあら〜、大変、この方ネルリが見えるのですか〜?」 「お、お、お嬢様に触れるな下郎があ!」 「な、何だ何だ!?」 宙を飛ぶ髑髏の仮面に追い掛け回され青年が逃げると、ガチガチと顎を鳴らすブラフォ ードをネルリが掴んだ。そして、がちゃんと頭から被る。 「ほら、これで文句無いでしょ? 死神!」 「見習いですわ〜」 「ああ、見習い。なるほど、文句無し」 「そっちで納得しないでよ!」 「初めまして〜、わたくし天使見習いのコルネと申します〜」 「天使かあ……本当だ、羽根がある」 青年がコルネの翼に感心するのを見て、ネルリは少しムッとした。天使はすぐに天使だ とわかるというのに、死神はすぐにわからないとは、どういうことか。 「見習いですけど〜」 「なるほど、君も見習いか。二人とも修行中?」 「はぁい〜。二人で皆さんが幸せになれるようにがんばっています〜」 「ちょ、ちょっとコルネ……もう、あたしはね、死神見習いで人間の命なんか──」 反論を言おうとしたネルリの頬が、あまりに無造作に横に引っ張られた。 「ひあ!?」 「がんばれよ、二人組のちっちゃな死神と天使さん!」 ぽにょん、と音を立てそうな弾力で戻ってきた頬を自分の手で撫でながら、ネルリは呆 けた顔で、ポケットに手を入れて去っていく青年の背を見送った。 「……え?」 何だか、よくわからなかったが、今のは少し……今の最後の笑顔は少し──。 「あらあら〜、ネルリったらほっぺたが真っ赤ですわ〜」 「ばい菌がついたのですじゃー! お嬢様、早く帰って顔をお洗い下さいませ!」 「な、何よ、何でも無いわよー!」 「はぇぇぇぇ〜」 顔を赤くしながらコルネの頬をびろーんと伸ばすネルリであった。 2.死神見習いは死期の近い若者の夢を見るか「由々しき事態だ」 1 魔界は結構良い所である。どこに行っても小春日和な天界と違い、灼熱地区から極寒地 区まで一通り揃っているし、何より温泉が豊富にあるのが良いと死神たちは言う。年がら 年中夕焼けであり、青い空というものが無いことに目を瞑れば、過ごしやすい場所と言え るだろう。 ネルリの家はそんな魔界の中心も中心、死神長の城である。城と言っても砦を兼ねる無 骨なものではなく、館と形容した方がよさそうなセンスの良い、落ち着いた佇まいの建物 だ。ネルリの部屋はその中の一室だったりする。 さて、ネルリが魔界の中でどう扱われているかを示す、良い例がその城の中にはたくさ んある。中でも顕著な例としてはネルリの部屋の扉にかけられた『ネルリの部屋』のプレ ートにネルリ人形がくっついていて、それが魔界の支配者たる死神長の手製であるという ことが挙げられる。他にも色々ある。死神長の部屋を見れば、大きな部屋の一面に『ネル リ成長の記録』『死神長とペアルック(6歳)』『ネルリの寝顔☆(4歳)』等々──。 とにかく、死神長のネルリ溺愛ぶりは魔界の皆を呆れさせるほどであったが、呆れる魔 界の面々も多かれ少なかれネルリには甘いのであるから、ネルリは魔界全体の宝と言って 良い存在であろう。 が、ネルリを甘やかして育ててきた面々だからこそ頭を抱えている問題も、ある。 「う〜む……またネルリは魂を持って帰れなかったか」 「は……このアダモド・ブラフォードがついておりながら、面目ない」 「ブラフォード、今の段階でのネルリの記録は?」 玉座に座った死神長に問われると、向かい合った椅子の上に乗せられた──座っている と言うのだろうか──髑髏の仮面は、しばしの間を置いて答えた。 「魂の回収記録は十七。ただし、その中に人間の魂はございません。虫や動物の魂ならば 天使たちもお嬢様に譲ってくれるのですが、さすがに人間の魂となると……。魂の取り合 いに今のお嬢様が勝てる道理はございません」 「問題はそれだな」 ふう、と死神長は背もたれの高い長椅子の上でずりずりと姿勢を崩す。 「ネルリも、もう十二だ。普通ならもう羽根も生え、魔力も使えるようになる頃だろうに。 コルネの方は、もう法力も使っているのだろう? 毎回コルネに負けていては、天使長を 調子づかせるだけだ」 「また何か言われましたか?」 「……『うちの子は優秀で、お宅の子の収穫を無くしてしまって申し訳ありませんわ』と な」 「あの方も……変わりましたな。昔は死神長とは事務的な話ですら進んでしなかったと言 うのに」 「悪い傾向とは言わんがな。まあいい、ネルリはどこだ? 魂を取ってきたらプレゼント しようと思っていた服があったのだが、次回へのがんばりに期待するとして、とりあえず プレゼントしよう」 結局プレゼントしたいだけなのですな、と苦笑しつつ、ブラフォードは言う。 「お嬢様なら、先程外にお出かけになられました。クリスティ−ヌ様が先日の復習をさせ るとおっしゃっていましたので、お戻りは遅くなるのではと」 「そうか。しかし、くろも少々厳し過ぎはしないか? 毎日勉強では、ネルリも息が詰ま るのでは──」 とことん甘い死神長である。 場所は移って魔界の外れ、天界との境界線に当たる花畑にネルリともう一人は立ってい た。ショートカットの黒髪に、深い蒼の瞳。小さな鼻眼鏡をかけたその十七、八歳ほどの 少女は、頭に犬耳を生やしている。 クリスティーヌ・ロレント。 通称、 「くろ先生」 である。 ネルリに呼ばれたくろは、沈着冷静なポーカーフェイスのままそちらに向き直る。する と、ネルリが花の王冠をその黒髪の上にフワリと乗せる。少し不器用な王冠だった。 「ありがとう、ネルリ」 「えへへ」 ほっそりとしたくろの指で頭を撫でられると、ネルリは普段はあまり見せない甘える表 情でくろに抱きつく。 「おや、今日はずいぶんと甘えん坊ですね」 「だって、くろ先生がここに連れてきてくれるの久しぶりなんだもん」 ごろごろにゃー、とでも聞こえてきそうな甘えっぷりだが、死神長のネルリ可愛がりぶ りと同様に、ネルリのくろ先生懐きぶりも有名な話である。 くろは、不思議な死神であった。普通天使や死神たちは魂を奪う仕事のために、どれほ ど普段優しげな者でも常に死の気配がその身にはつきまとう。だが、この静かな死神は一 度も死に触れたことがないかのように、その身に死の気配がない。死神の鎌も持っている が、それを振っている姿をネルリは見たことがなかった。 いつも死神長の横に控えている、ネルリの先生。それが、ネルリの知るくろだ。また、 ネルリが卵から孵った時に最初に見た相手もくろだったそうなので、ネルリが懐くのは当 然と言えよう。最近ちょっと反抗期な言動も取るようになってきたネルリだが、やっぱり くろには甘えてしまう。 「まだここで喜んでもらえるのですね。魔界は狭いので、ネルリがいつまでここに収まっ ていられるか、私は心配でしたが」 「狭いかな?」 「自分で飛べるようになれば、狭く感じますよ」 「う……」 まだ自分に羽根がないことを気にするネルリは、ちょっとだけ口元を引きつらせた。 ネルリは、未熟である。 同い年のコルネがすでに自分の羽根を持っているというのにネルリはまだ死神長にもら った飛行鎌を使っているし、コルネが法力を使えるのにネルリは魔力が使えない。 コルネは性格がほえほえだが、仕事に対する能力ではネルリよりもずっと上なのである。 「あたし……無能かな?」 ポツリ、とネルリは呟いた。くろにポンと肩を叩かれ、花畑の中に膝を折って座る。 「最近、何か特にそう感じるの。コルネが法力を使えるようになったからかもしれないけ ど、どうしてって思う。コルネは使えるのに、どうしてあたしは使えないんだろうって」 うーん、とネルリはくろを見る。 「努力が足りないのかな?」 「そんなことはありませんよ。魔力の使用に努力は関係ありません。それが使えるように 生まれついているのですから。もっとも、それがどこまで伸びるかは努力次第ですが」 「じゃあ……やっぱり才能が無いんだ。だからコルネより遅いんだ」 「今日は随分と自分をいじめるのですね」 「だって……」 と、ネルリはぷうと頬を膨らませた。 「コルネは一目で天使ってわかってもらえたのに、あたしは吸血鬼と間違われたんだもの」 「それで拗ねていたんですか」 「はぇぇぇ〜、ごめんなさいです〜」 「って、何でコルネが出てくるのよ!」 泣きそうな顔で花畑の中から浮上した──とでも形容するか──コルネに、ネルリが怒 鳴りつけた。怒鳴りつけられたコルネは、使い捨てカメラを構えてオロオロとネルリとく ろを交互に見る。 「はぇぇぇ〜、わたくしがここでお昼寝していたらネルリが来たんですもの〜、偶然です わ〜」 「そのカメラ何よ」 「わたくし〜、いつもネルリを撮れるように用意していますの〜。死神長様が喜んで下さ りますの〜」 「あの人にも困りましたね」 無表情な顔に、一瞬だけため息の表情を浮かべて、くろ。 しかし、ネルリの方は、 「さっきの話、忘れてね!」 と、真っ赤になってぴゅーっと逃げていってしまった。 「はぇぇぇ〜、どうしたんでしょう〜。わたくし、何か悪いことをしたんでしょうか〜」 「あの子も、負けず嫌いですから。それより、今日は一人でここに? 誰も一緒ではない のですか?」 「はぁい〜。わたくし〜、もう大人ですから一人でも大丈夫ですよ〜」 「そうですか。では、気をつけてお帰りなさい」 「はぁい〜。──あら〜? あらあら〜、そう言えばネルリに言い忘れていたことがあり ましたわ〜」 またしてもオロオロと意味もなく左右を見回すコルネに、くろは尋ねる。 「代わりに私が聞きますよ。何ですか?」 「はぁい〜。あの方の魂を取りに行くのでしたら〜、わたくしも誘ってくださいね〜、と」 「あの方、ですか?」 「ネルリが〜、髪の毛を撫でてもらった方です〜」 「わかりました、伝えておきましょう」 「お願いします〜」 そうして、ぽふんとコルネは再び花畑に横になった。本当に昼寝に来ていたらしい。く ろは、寝転がったコルネのそばにバスケットに入った焼き菓子を置き、軽く地面を蹴った。 服を傷つけずに広がったくろの翼は、まさに黒い、漆黒を思わせる鳥の翼であった。 ※ 「聞かれた……」 赤くなった顔を片手で押さえ、鎌に腰掛けて人間界の夜空を飛びながら、ネルリはばつ の悪い気分になっていた。子供じみた嫉妬の台詞──それを、くろに聞かれるのは良い。 だが、同い年の、ただ一人の同い年の相手であるコルネに、聞かれてしまった。 「あー、あたし馬鹿だ」 コルネの性格は、誰よりも知っているネルリである。コルネがああいったことを気にし たりはしないことは、わかっている。 ただ、恥ずかしさがあった。 姉妹のような相手に嫉妬した──その事実に対する、恥ずかしさだ。 「最近、コルネに差をつけられてばかりだものね。昔はあたしの方が色々出来たような気 がするんだけどなあ」 例えば徒競走とか。 例えば水泳だとか。 「あの子トロイから」 思い出すと、くすくすと気持ちの良い笑みが浮かんでくる。死神と天使であるが、ネル リとコルネは本当に姉妹のように育ったのである。 先程ネルリもいた魔界と天界の境界線の花畑が、二人の勉強の場所だった。そして、先 生はくろであったり、死神や天使の他の誰かだったりした。久しぶりに生まれた二人の子 供を、二つの世界は本当に大切に育てたのだ。 何をするのも一緒だった二人が、死神と天使として別々の仕事を学び始めた時から、少 しずつ変化はあったのだろう。 その変化の結果、現在ネルリは目に付くようになったコルネとの能力の差に少しだけ嫉 妬心を覚えるようになっていた。 なかなか使えるようにならない魔力。 未だに生えてこない翼。 十二歳である。成長期である。ちょっとくらい焦りが出てきたって、誰も文句は言えな い。 が。 「あれ? 魂の匂い?」 死神特有の感覚で魂に敏感に反応したネルリは、蝙蝠の翼をはためかせて上昇してくる 死神の姿にパッと表情を明るくした。 「こんばんわ!」 「お、ネルリか。どうした、仕事か?」 「ううん、散歩だけど、セスはお仕事?」 「ああ、大物政治家の魂一つ。見るか」 「うん」 人好きの良さそうなお兄さんである。懐をごそごそやって取り出したのは、白く光る拳 ほどのふよふよした球体で、いわゆる魂と呼ばれるものだ。 だが、いつもなら感心するネルリの顔が、今回は凍りついた。 「あ、あれ……それ、ちょっといい?」 「あん? どうした」 セスから魂を受け取ったネルリは、それをまじまじと観察した。つい最近嗅いだことが ある匂いだった。 「これ、もしかしてこの近くの病院のお祖父さん?」 「ああ、先に天使が来て細工してたみたいだったが、まるっきりガキの仕事だったな。一 時しのぎで後でまた来るつもりだったのかもしれないが、あんなもん死神なら誰でも魔力 で絶望に塗り替えられるぜ」 「う、うん……そうだよね。セス、死神長の右腕だもんね」 「ばーか。言ったろ。死神なら誰でも楽勝だって。ま、お前にはまだ無理だろうがな」 ニッと笑い、セスが手招きすると魂はその手に返った。 「じゃ、お前もじいやが心配する前に帰れよ。じゃあな」 「う、うん」 ばさり、とはためきの音を残して舞い上がっていくセスを見送り、ネルリはしばし呆然 としていた。 そして──。 ゆっくりと、ネルリを乗せた鎌は病院へと降りていった。 2 ネルリが死神見習いとして地上に降りたのは、十一歳の誕生日のことであった。ネルリ の死神教育の一切を担当したのは、くろである。 「良いですか、ネルリ。死神には守らなければならない理(ことわり)が幾つかあります。 死を迎えた生き物以外には力を振るってはならないことや、手に入れた魂を魔界に収めず に私物としてはならないこと──それらは皆大切なことですが、一番大切なことを、あな たに教えます」 死神の鎌の扱いや、死期を迎えた人間への接し方以上に、ネルリは繰り返し言われたも のだ。 「死神や天使の最大の禁忌とは、神より授かった己の役目をないがしろにすることです。 己が魂というこの世でもっとも大切なものを扱う役目を与えられた存在であることを忘れ、 仕事を放棄すること。また、魂を扱う己を、生きる者たちよりも上位と見ること。それら は神という存在から役目を授けられたという事実を忘れることであり、神はそのことをお 許しにはなりません」 「魂を扱うのに、偉くないの?」 「偉くなどありません。私たちが魂を扱えるのは、自分が何をしたわけでもなく、ただ神 にそうして頂いただけなのですから」 「神様がそうしてくれたの?」 「ええ。死神と天使は、神の遣いのコウノトリが運んできた卵から生まれます。私たちは 自分たちで子を産み、増えることも出来ない存在なのですよ。私たちの存在自体が、神の 手の上にあります。そのことを忘れてはいけません」 「ふうん」 子供というものは、納得しているように見えて納得していないもので、当時ネルリは次 のような質問をした。 「じゃあ、誰かそれを試した人がいたの?」 こざかしい質問だ。 だが、好奇心旺盛な質問だ。 ネルリのそうした姿勢を快く思っているくろは、やはりその時もすぐに答えてくれた。 「いました。もう千年以上前のことになりますが、天使でしたよ。死神に惹かれ、自分も 死神となり魔界で共に暮らしたいと望んだ天使でした」 「そんな人がいたの!? だって、それって死神が天使になりたいって思うのと一緒でし ょ?」 「ええ。だから、大変でしたよ。お互いに競い合う存在である死神と天使ですから。もち ろん周りは認めませんでしたし。それに、神が怒りました」 「本当に怒るんだ……」 「天使が授けられた役目よりも私事を優先した意思を持ったことに、神は天罰を下しまし た。ネルリは、カルマを覚えていますか?」 「うん。神様の遣いで、悪いことをしたら来るんでしょ?」 幼い頃、夜更かしするとカルマが来ますよ、と耳元で言われて育ったネルリは、ちょっ と顔をしかめて言った。こくり、と犬耳の少女が頷く。 「そのカルマが来ました」 「それで、天使はどうなったの?」 「カルマに殺されましたよ。悪いことをしたのですから」 「うわ……本当?」 「本当です。だから、ネルリも理を破ることの無いように。夜更かしもですよ」 そのような教育を受け、自分が大事な仕事に行くのだという気負いを胸にネルリは地上 へと出発した。お目付として、また、外見の幼さをカバーするために髑髏の仮面であるブ ラフォードを被ったネルリは、すぐに濃厚な魂の香りに交通事故の現場に舞い降りた。 ブラフォードに言わせれば「わしよりも早く魂の存在に気付くとは、さすがはお嬢様」 ということになる。 死神の鎌で命を狩るまでもなく、即死した人間の魂は血まみれで横たわる身体から浮き 出ており、ネルリは「ラッキー」とその魂を手に取ろうとした。 その時だった。 「あらあら〜、ネルリを追い掛けてきたらさまよえる魂さんが〜。大丈夫ですよ〜。わた くしがしっかりと天へとお導きします〜」 ひょい、と浮かんでいた魂を横から取っていったのが、コルネだった。 「あ、こら、それはあたしが──」 「突然の交通事故でお亡くなりになるなんて……可哀想です〜。うるるるるる。ネルリ、 こういう方には〜、早く天界か魔界でお休みになってもらわないといけないと思うんです の〜」 「え? うん……そうかな」 「ですから〜、わたくしたちが争っている時間はありませんわ〜。ではごきげんよう〜」 「あ、うん。……い、急いであげてよ、コルネとろいんだから」 「大丈夫ですよ〜」 「まったく……」 「……お嬢様、魂をコルネ嬢に持っていかれてはいかんのですぞ」 「え?」 「コルネ嬢は、天使なのですから……」 「ああ! しまったー!」 それがケチのつきはじめだったのかもしれない。それからネルリは、死期の現場にたど り着く度に、コルネに「最後だけでも幸せでないといけませんわ〜」などと言った論法で 邪魔をされることになる。 「うう〜、魂を取る気はあるのに、コルネにお願いされると弱いのよね〜……」 「ただ単にお嬢様が情にもろいだけですぞ。その意味では、死期を迎えた者に最後まで希 望と幸せを与えるコルネ嬢の考えはお嬢様の天敵ですな」 「べ、別に人間の幸せに遠慮なんかしてないわよ。コルネよ。コルネのせいなんだから!」 「恥ずかしがることはないのですがなあ……」 ネルリの意地っ張りには、ブラフォードも苦笑するしかない。 だが、魂を取れないことを別にすれば、ネルリの能力は瞠目に値した。ネルリ本人は気 がついていないが、魂の匂いをかぎ取ることにかけては、魔界と天界を合わせても、ネル リに並ぶ者はなかなかいない。いつも、ネルリが一番最初に死期の現場に辿りついている のである。 一番最初に死期の現場にたどり着きながら、魔力も使えずにまごまごしている間に後か らやって来たコルネや他の天使、または死神にさっさと魂を持って行かれてしまう。 死神たちが「ネルリの手柄にしろ」と魂を差し出してくれても「自分で取るもん」と頬 を膨らませて意地を張る。 それが、ネルリという死神見習いである。 ※ 「ただいま〜」 「お嬢様、こんな時間までどちらにいらしていたのですか! じいは、じいは心配しまし たぞ!」 「あーはいはい。御飯まだ?」 「お嬢様!」 「じい、うるさい」 がー、と耳元で叫ぶ髑髏の仮面に顔をしかめ、ネルリはマントを脱いでふかふかのベッ ドの上に寝転がった。バネが思い切り効いた上質のベッドは、眠りを誘うほどに気持ちよ い。 「まったく……クリスティ−ヌ様に先にお帰りなられたと聞いた時には、このじい、心の 臓が止まる思いで──聞いておられますか!?」 「うるさいわねえ……聞いてるわよ」 ブラフォードがマントをくわえてクローゼットにしまい終えて振り返ると、ネルリはす でに半分眠りの世界に足を踏み入れていた。 「お嬢様、小一時間ほどでお食事の時間になりますが?」 「ん〜、ちゃんと起こしてね」 「かしこまりました。……まったく、子供扱いするなとおっしゃりながら、こういうとこ ろは昔から変わっておりませんぞ」 ため息をつきながら、ブラフォードは落ちていたタオルケットをネルリにかける。 と。 「ねえ、じい」 「ん? なんですかな?」 すっかり眠りに入ったかと思っていたネルリに声をかけられ、ブラフォードは振り返っ た。だが、ネルリはベッドの上で丸くなり、ブラフォードから表情を見ることは出来なか った。 「……あたし、落ちこぼれ?」 「は?」 少し、間の抜けた声を、ブラフォードは上げた。そして、次に大声で叫んだ。 「だ、誰がお嬢様にそのようなことを申されました!? そやつの名前をこのじいにお教 え下されっ。じいが、じいがそやつをこらしめてくれましょうぞ! ははあ、さては心無 い天使どもが。待っていて下され!」 「あたしだよ」 「は?」 再度、ブラフォードは間の抜けた声を上げた。ネルリは、言う。 「あたしが、あたしにそう言ったの。それに、じいだって言ったじゃない。コルネがして るのは邪魔なんて言えるようなものじゃないって。それって、あたしが死神としての最低 限のことも出来ていないってことでしょ?」 どこかいらついたように、しかし声は冷静にネルリは言った。冷めた目で自分を見る少 女が、そこにはいた。 「セスがね」 「は」 「セスが、あのお祖父さんの魂取ってきたの」 「はあ、それは……」 「孫、泣くかな」 「は?」 「コルネが、あのお祖父さんが孫と最後の時間を過ごせるようにしたのに、その時間を奪 っちゃったんだよね」 「それが何か? セスならば苦しみも与えず、後処理も面倒にならないように全て済ませ たはずですが」 「だから……っ」 がばっと、ネルリが身を起こした。 そして。 「あたしは……──」 と、叫ぼうとした言葉が、喉の奥に消えていく。そう、それは、ネルリの我が儘だ。自 分が先に魂を奪おうとしておいて、なのに。 「お嬢様?」 「……何でもない」 言葉を飲み込んだネルリは、再びベッドに横になった。ブラフォードも、敢えてネルリ から言葉を引き出そうとはせず、最後にひとこと言うに終わらせた。 「同情は、悪いことではありまぬぞ。それは、お嬢様が優しい、良い子であるということ なのですじゃ」 「…………」 パタン、と扉が閉まって、ネルリは瞼を下ろした。起きたら死神長とくろに思い切り甘 えようと思いながら。 ※ 「それは由々しき事態だ」 ブラフォードから報告を受けた死神長は、開口一番そう言った。 「可愛いネルリがコルネとの差に悩んでいるとは、やりきれん……この時期の死神や天使 は個人差が出るからな」 「早い子もいれば、遅い子もいますからねえ」 と、死神長の向かいの席で足を組んで座っていたセスがクスクスと言う。その笑いに、 死神長が目を細める。 「セス、そもそも貴様がその魂を持って来なければだな……」 「天使にくれてやるよりはマシでしょう。それに、俺が魂を取ろうが取るまいが、ネルリ の悩みに関係はありませんよ。思春期ってそういうもんでしょ」 カカカカカと快活に笑うセスである。陽気なお兄さんであるが、これでも死神長の右腕 と言われる魔界の実力者だ。 「思春期か……」 「思春期ですよ」 「思春期ですね」 三人目の声が割ってはいると、それは盆に茶を乗せたくろである。相変わらずポーカー フェイスの少女は、死神長の横に静かに控える。 「死神としての自分に、自信がないのでしょう。放っておいても、コルネと一緒ならばネ ルリは乗り越えますよ」 「そうそう、ネルリ……ネルリエーナ・バフ・ヒッチ・エフロージュ。あんたが名前をつ けた子は、もうお年頃ってやつですよ。過保護もほどほどにね」 「だ、だがな、心配なものは心配だ!」 「そうですじゃ! お年頃だからこそ、今悪い虫がつかないようにですな……っ」 死神長、及び髑髏の仮面に怒鳴られ、セスはやれやれと肩をすくめた。そしてカップを 取って茶を含み、 「ぶっ」 吹いた。 「あ、あんたも……このクソ甘い紅茶をどうにかしろよなあ。って、死神長、あんたは大 丈夫なのか!?」 「慣れた」 「ある意味あんたは死神長ってこと以上に凄ぇよ……」 こめかみを震わせながらセスがカップを置く。千年以上飲み続ければ、砂糖十杯の紅茶 も飲めるようになるものらしい。 「まあ、紅茶はいいとして、だ。ネルリが成長を気にしてるなら、一発しこんでやればい いんじゃないですかね。死神も天使も、抱かれりゃ必然的に成長するし」 「可愛いネルリを傷物にするなど、許せるかあ!」 「何を申されますかセス殿! あのお嬢様の膨らみかけた花の蕾のようなお身体を汚すよ うなことはこのわしが許しませんぞ!」 「あんたら本当にネルリが生まれてから変わりましたよ……」 げっそりとして言うセスである。 「俺は、ネルリのコンプレックス解消になるならいいと思いますけどね。……一番懐かれ てるくろ先生はどう思いますかね?」 過保護はやだやだ、と手を振りながらセスはくろに話を振った。くろはしばし考え、 「ネルリが自分で望むのならば……ちょうど良い相手もいます」 「ちょうど」 「良い」 「相手?」 さすがにそのような答えが返ってくるとは思わなかった一同は、一斉にくろに視線を集 めた。 だが、くろはポーカーフェイスでそしらぬ顔を守る。 「何か?」 「今、気になる言葉を吐かなかったか?」 「わ、わしも聞いたのですが……」 「お、おい、ネルリに男がいるってのか?」 引きつりながら死神長とブラフォード、そして結局動揺しているセスの三人の男を静か な目で見回し、くろは最後に時計を見上げて言うのだった。 「そろそろ、食事の時間ですね」 「くろー!」 死神長の叫びを、犬耳をピクリと動かして無視。 誰が一番偉いのか、よくわからない方々である。 そして、その頃のネルリであるが、 「う〜ん……」 何故か、頬を押さえてうなされていたりした。 3.少女も飛べば電柱に当たる「にがぁい……」 1 「もう、コルネ放してったらー!」 「ダメです〜、わたくしを置いて行こうなんていけないんです〜! 一緒に行こうって言 ったのにぃ〜、どうして黙って行くんですの〜!」 「教えたら邪魔するじゃない!」 「幸せにするだけです〜!」 さて、ごちゃごちゃと絡み合いながら空を飛んでいるのは、鎌に腰掛けたネルリと、そ の腰に抱きついて離れないコルネだ。いつもながらのやりとりに、ネルリの頭の上で髑髏 の仮面がやれやれとため息をつくが、やがてそれが叫び声に変わった。 「はうあー! お嬢様、前を!」 「え?」 電柱。 「ぎゃっ」 「あ〜れ〜」 見事に電柱に正面衝突したネルリたちは、当然のごとく落下した。何だかいつも通りの パターンと言えばパターンである。 「いたたたた……」 アスファルトの路面に落っこちたネルリが身を起こす。傷らしい傷が無いのは、丈夫と 言うよりも、死神だからだろう。その死神としての嗅覚に、ネルリは美味しそうな匂いを 捉えて顔を上げた。 と、目の前に、足だ。 「何やってるんだ、お前ら?」 「あ、あれ?」 ネルリが目を丸くする。覗き込んで来たのは、数日前にネルリたちが出会った青年であ った。そう言えば、時間は夜であるし、場所も以前の場所からそれほど離れていないので、 会う可能性はまったくないわけでもない。 だが──。 「べ、別にあんたに会いに来たわけじゃないからね!」 「はあ? まあ、何でもいいけど、立てるか?」 「立て──ひゃあ!?」 「前も思ったけど、お前軽いのな〜」 「な、な、な……」 前と同じように、両脇に手を入れて持ち上げられて、ネルリはかあっと耳まで赤くなっ た。 (な、何よ何よ何よ。このくらい死神長様とかセスにだってしてもらってるもん。な、な のにどうしてこんなに恥ずかしいの!?) 自分を知らない人に、こうも簡単に子供扱いされる自分。それが、魔界で甘やかされて 育った自分へのコンプレックスにじくじくと痛く、恥ずかしいのであると気づけるほどに ネルリは大人ではなかった。 結果、 「ふえ……」 「げっ!?」 「ふえ……あう……あーん!」 「な、何だよ。どうした!?」 「き、き、貴様、下郎がお嬢様に何をしたー!」 「お、俺じゃない俺じゃない、ぎゃーっっっ!」 火がついたように泣き始めたネルリに青年が混乱するが早いか、その頭に立派に残って いる歯で噛みついたブラフォードが怒鳴るのが早かったか、ともあれその場は大惨事とい うことになった。 「はぇぇぇ〜」 コルネは、目を回して気絶していたが。 2 「はあ……はあ……これでよし」 がちゃりと玄関の錠を下ろし、荒い息で抱えてきた少女をアパートの床に下ろして青年 は頷いた。もう端から見れば誘拐犯の台詞である。 そうして、泣いていたネルリであるが、泣き叫ぶことはなかったがまだ顔をぐしゃぐし ゃにして涙を流していた。そんなネルリを、青年の脇に抱えられたまま、コルネが不思議 そうに眺めている。 「ネルリ〜、何かあったんですの〜?」 「えぐ……たし……ダメダメで……えぐう……っ」 「あー、わかったわかった。コーヒーでいいな? 砂糖入れるか?」 とりあえず頷くネルリだ。青年は、ネルリをコルネに任せ、冷蔵庫からミルクコーヒー のパックを取り出してコップに注いだ。もとからかなり甘いものであるはずだが、駄目押 しに角砂糖を一つ落とす。 「ほら、とりあえず飲め。そっちの天使さんはどうする?」 「わたくしも〜、お砂糖一つお願いします〜」 「にがぁい……」 ボソリと、ネルリが呟いた。青年とコルネが見ると、ネルリは両手で包み込むようにコ ップを持ち、一口飲んだところのようだった。 「マジか? 砂糖入れただろ?」 「苦いもん……」 「下郎、お嬢様のお飲物には砂糖を十個はいれんか。まったく、気の利かん」 「砂糖の飽和水溶液を作る気かっ」 ずっ、とネルリの顔の前に青年の手が伸びて、ネルリの大きな瞳の前で指が動いて角砂 糖が一つ二つ三つと落ちる。その度に小さな波紋が茶色い液体の表面に広がり、コップの 縁に当たって消えていく。 「…………」 こくこくと甘いコーヒーを含むネルリの頭を、青年は上からがしっと鷲掴みにして荒々 しく撫でくる。 「ほら、まだ苦いか?」 「ううん……苦くない」 「甘ぁくて美味しいです〜」 こっちはほわほわと砂糖一つのコーヒーを飲むコルネ。 さて、状況を整理すると、場所は青年のさして広くないアパートで、ぐしぐしと涙を拭 いながらコップを傾ける死神見習いが一人と、にこにことコップを傾ける天使見習いが一 人、心配げに空中をふらふらする髑髏の仮面に、最後に困った顔をした青年一人だ。 ネルリがコーヒーをちびちびと飲みながら上目遣いに見ると、青年はちゃぶ台に頬杖を ついてネルリたちを見ていた。ネルリは、何か言うべきかな、と思い、とりあえず口を開 く。 「あ、ありがとぉ」 「ああ。で、何だ? 俺何かしたか?」 「……よくわかんない」 「あのなあ」 頬杖のまま青年が呆れた顔をするのに、ネルリは首をすくめた。だが、本当によくわか らないのである。ネルリは昔から転んでも泣かない子供であったし、悲しい出来事など、 魔界にはほとんどなかった。 「うーむ、お嬢様はまだまだご自分の感情に不器用でいらっしゃるのですな。無理もあり ませぬ。例えるならばお嬢様は魔界の花。大切に育てられた花でございます。何せその手 には死神の鎌よりも重い物など持ったことはなく──」 「やたら物騒なお嬢様だな、おい」 やたらと得意気に言うブラフォードに、青年はげっそりとする。しかし、少し興味を引 かれる部分はあったらしく、身を乗り出して言う。 「でも、お嬢様も死神やったりするんだな?」 「死神や天使は〜、大切なお仕事ですわ〜。魂が道を見失って迷う前に天へお連れするの ですわ〜」 「迷ったらどうなるんだ?」 「不幸になるのですわ〜」 「なるほど」 青年が妙に納得顔になった。その青年のもとにテコテコと歩み寄って、コルネは三つ指 ついてお辞儀する。 「ですから〜、なんなりとお申し付け下さい〜」 「は?」 「あなたの寿命は〜、もうすぐ終わりなんですよ〜」 ガァン! と頬杖からずり落ちて青年は顔面をちゃぶ台にぶつけた。 「何だそりゃあ!」 「はぇぇぇ〜、怒鳴らないでください〜」 襟を掴まれてガクガクと揺さぶられ、コルネは涙目でオロオロとした。 「あ、そっか」 ポン、とネルリが手を叩き合わせる。 「な、何が?」 「あたしたちが見えるってことは、あんたもうすぐ死ぬんだ。だからさっき美味しそうな 匂いがしたんだ」 「お、俺、何か病気か!? 別に体調は……」 「寿命と体調は関係ありませんわ〜。寿命は運命で決まっていますの〜」 「タチの悪い発作かもしれないし、車に轢かれるかもしれないし、とにかく、あんたは近 日中に死ぬの」 「ご愁傷様ですな」 うんうん、と死神見習いたち一同は頷きあった。対照的に、青年はサーっと青くなる。 「マジ?」 「マジ」 「天使は嘘を申しませんわ〜」 「嘘をつきたくても出来んほどに決定的ですな」 容赦ない。まあ、普段からそういう仕事をしている連中からしたら、人間の寿命なんか その程度なのかもしれない。 ともあれ。 「じゃあ……今日は帰る」 ぐしっと最後の涙を手の甲で拭い、ネルリは立ち上がった。床の上に飲み終えたコップ を置き、カシャリと手慣れた手つきで髑髏の仮面を頭に乗せる。 「あ、ああ……もう大丈夫なのか?」 「うん……わからないけど、たぶん大丈夫」 かなりショックを受けた様子でふらつきながらも青年が問うと、ネルリはにっこりと微 笑んだ。ちょっと無理入った笑みに、青年は苦笑し、上を見る。 沈黙の数秒。 「?」 意図のわからないその数秒に、ネルリが不思議そうな顔をしたと思った瞬間、青年はが ばっとネルリに覆い被さるように顔を寄せた。 「!?」 「ま、強がりが出るくらいなら大丈夫だろ」 「な、な、な……」 びろーん、と両頬を摘んで引っ張られ、ネルリはわけがわからなかった。今の数秒は? もしかしてただ単に驚かすため? 意味のない、だがびっくりしたそれに──。 「がんばれよ。早いとこ見習いが取れるようにな!」 歯を見せて笑った青年の、その近づいた顔に、ネルリは一瞬だけみとれてしまったのだ。 が。 「子供扱いしないで!」 「お嬢様に触れるな下郎!」 ネルリ及びネルリの頭の上からの叫びに、青年はニヤニヤ笑ったまま離れた。ネルリは 赤くなった頬を押さえ、目をキッと吊り上げて言う。 「あ、明日、あんたの魂を奪ってやるんだから。憶えてなさいっ」 「そういや俺死ぬのか……」 「心配ないですわ〜。わたくしがしっかりと天へとお連れします〜」 思い出してずーんと肩を落としす青年の背中を、コルネは優しくさする。あんまり慰め になっていないのは、まあ、仕方ない。 ネルリは、鎌に腰を下ろしながら尋ねる。 「あんた、名前は?」 「鳴海祥平」 「うん……じゃあね、祥平」 ぶっきらぼうに、そっぽを向きながら言ったネルリがどんな顔をしていたのかは、とり あえず秘密ということにしておく。