電脳庭園BABYLON         「導入(ゲームを始める前に)」         さあ始めよう         君というデータを私に見せてくれ                  1 「──はい、判子ぉっと。これで君のIM登録は終了したけどぉ、どうするぅ? 早速経 験してみるぅ?」 「あ、お願いします」  教師が問いかけ、生徒が頷く。職員室で見られるごくごく当たり前の光景であるが、そ の内容は別に学校の勉強というものについてではない。  東京池袋の第一校である県立五台高校。俗にIM・SYSTEMと呼ばれるものが設置 してある、この区唯一つの学校である。  転校初日から早速噂のシステムに参加するための登録をすました大垣喜春(おおがき・ よしはる)は、担任となった女教師と並んで職員室から出ながらとりあえず尋ねた。 「ところで、IM・SYSTEMってなんでしょう?」 「あらぁ……そういえばぁ、君は京都から来たのよねぇ。まだIM・SYSTEMは東京 にしかないからぁ、わからないかもしれないわねぇ」 「つまり、こっちだと常識?」 「ええ、そうねぇ」 「うわあ……つまり無知な転校生に対する地元のイジメのタネになるわけね」 「大丈夫よぉ。今日一日でしっかりレクチャーしてあげるからぁ」 「自信ありげですね」 「そりゃそうよぉ。これでもぉ百人以上の子にシステムの解説をしてきたんだからぁ。も しわからなくてもぉ知ったかぶりをすればイジメになんかならないしぃ」 「いきなり自信なさげですな」 「気のせいよぉ」 「じゃあ、気のせいということで」  うむ、と頷いて、喜春は自分のかたわらを歩く女教師をチラリと見た。  吉原蒔絵(よしわら・まきえ)。ウェーブのかかった長い髪に、気だるげな瞳の美女だ。 どうにも眠たそうな顔をしていて声もゆっくりおっとりとしていて、妙に語尾が間延びす する。  時折瞼が閉じ、しかし弾かれたように再び開く様子が、眠る直前の幼児のように見えた。 「でもぉ、君も一学期の途中から転校なんてぇ、珍しいわねえぇ」 「まあ、色々ありまして……って、書類にありませんでした? 素行調査とか」 「見たわよぉ。でも珍しいものぉ」 「……先生はそういうの気にしない方ですか」 「気にしてるからぁ、私のクラスにしてもらったのよぉ」 「って、計画的ですか」 「あらぁ、ばれちゃったぁ?」  クスクスとおかしそうに笑う蒔絵に、喜春はどうしたものかと考え、良い位置にあるな あ、と右の手刀を振り下ろした。 「きゃう!?」 「あ、すみません……なんかちょうど良い位置に先生の頭が」 「うう……校内暴力なのねぇ」  今度はスーツのポケットからハンカチを取りだしてしくしくと泣き出した蒔絵に、喜春 は呆れた。 「ええと、とりあえずIM・SYSTEMとかいうやつの説明くれません? 先生に私の クラスだからって連行されてから何も説明されていないんですけど」 「そうなのよぉ。君ってものを知らないわぁ」 「あんたが俺をイジメてどうすんだ、こら」 「わかったわよぉ、説明すればいいのねぇ」  二度目の手刀に、蒔絵はふてくされたように自分の頭を撫でて説明を開始した。 「IM・SYSTEM──image mold systemは東京23区それぞれの区の第一校に設置さ れたネット世界へのダイブシステムなのぉ。ダイブはわかるわねぇ?」 「はい、ようするに頭にコードを繋いでゴー、と」 「私たちが子供の頃はそうだったのよねぇ。京都だと今でもそうなのかしらぁ? とにか く、ダイブって頭にコネクタつけないといけないぃ、専門職だったのよぉ」 「過去形、と?」 「そうよぉ。詳しい説明はダイブの時にするけどぉ、とっても簡単にダイブ出来るように なっているんだからぁ。それこそ高校に設置されているくらいにぃ」 「そうなんですかぁ」 「マネしちゃ駄目よぉ」 「了解です」  本当に教師と生徒なのかね、と喜春は首を傾げつつも、眠たげな彼女についていくのだ った。                  2  喜春が案内されたのは『IM・SYSTEM室』という札がかかった扉の前だった。思 わず喜春は問いかけた。 「先生がこの札書きましたね?」 「わかるぅ?」 「ええ、頭使ってませんから」  何やら酷いことを言ったが、蒔絵は気にした様子もなく扉をスライドさせた。  そこは、予想したよりもずっと広い部屋だった。部屋に入り、窓側までは通常の教室と 変わらない広さなのだが、教室の黒板を正面とした場合の端までの広さが通常の教室の三 倍以上もある。  その広い部屋の中に、過度と言えるほどにコードなどが繋がれた長椅子のような機械が 八つ設置されていた。 「あれがぁ、IM・SYSTEMよぉ」 「つまり、まずはマッサージを受けろ、と?」 「似たようなものねぇ」 「ツッコミ無しのマジ受け!?」 「ううん、ボケ返しぃ」 「やられた……先生の言葉を信じた俺の青い心はどうなる……」 「上履きは脱いでねぇ」  廊下よりも一段高くなった室内の床には青いカーペットが敷いてあり、言われてみると 確かに入り口に下駄箱が用意されていた。二人は、下駄箱のスリッパを上履きの代わりに 履き、室内に入る。  長椅子のような機械──IM・SYSTEMの幾つかには、すでに何人かの学生が座っ ていた。 「?」 「あれはぁ、ヘッドマウントディスプレイよぉ。ダイブしたら関係ないけどぉ、ダイブ前 とダイブ後に使うのぉ」 「ほう、こうして見ると顔にディスプレイつけた人間が並んでいて恐いな、と」 「それは言わない約束よぉ」 「約束化しているほどメジャーな意見か……つまらん意見を言ってしまった」 「……書類通りねえぇ」 「ええ、俺、反抗的ですから」 「ううん。可愛いわあぁ」 「…………」  さすがに返す言葉が無く、一瞬喜春は沈黙した。だが、ここで負けたらいけないと心が 呟いたので、言う。 「つまり、俺はまるで光る殺人ネズミのように可愛いんですね?」 「比べものにならないわぁ」 「どっちが上だ、どっちが!?」  思わず気になってしまう喜春である。  と、 「うるさいわねえ。何を騒いでるのよ」  声。  反射的に果物なら梨だな、と他の人間にはわからない評価を下し、喜春は声の方に振り 返った。  そこに、喜春と同じ五台高校の、女子のセーラー服を着込んだ少女が立っていた。IM ・SYSTEMの前に立った少女は、冬服の上着を脱いだ姿で腰に手を当てて喜春に目を 向けていた。  目が良いアーモンド形をしている。律儀にYシャツの胸にまで学年色が縫いつけられ、 その色から喜春は少女が自分と同じ二年なのだとわかった。  髪は、染めたにしても見事なショートの金髪だ。 「ふん?」  喜春は苦笑した。少女のツンとしたどこか猫びた顔立ちは、現在やや厳しいものになっ ている。 「もしかして、ここってばうるさくしちゃいけないトコロ?」 「そうよ。下手に騒いで、他の人のダイブを邪魔したらいけないでしょ?」  そう言って、少女は口の前で人差し指を立てて静かに話せと合図した。了解の合図を指 で円を作ることで表現した喜春は、つまり、と蒔絵の頭に手刀を落とした。 「きゃうっ」 「つまり先生が悪い、と」 「わたしぃ?」 「注意して下さいってば」 「大きな声は駄目よぉ」 「遅いっていうかナメ過ぎです」 「……吉原先生、その人が?」 「ええ、そうよぉ」 「こらこら、俺を置いていかないように。置いていったらチョップだ。ちなみに、今日か らの必殺技な」 「チョップは痛いのよぉ」 「ちょっと待って下さい!」  と、少女が小さな声で叫び、蒔絵を制した。そして、喜春を見て言う。 「あたしは、IM・SYSTEMの関係で吉原先生にお世話になってる日高円(ひだか・ つぶら)。たぶん、今日からあなたと一緒にIMをしていくと思うの。……あなたも、I Mをやるんでしょ?」 「ああ……そういうことになっているのかな? でも、俺ってばIMだとか言われてもよ くわからないんだけが。京都人だし」 「京都のせいかしら? 雑誌でもやってると思うんだけど……」 「そうなのぉ? 私雑誌とかに疎いからぁ……でも、そういえばゲーム雑誌のインタビュ ーを受けたような気もするわぁ」 「吉原先生、まだ何も説明していないんですか?」 「ちょっとはぁ、したわよぉ」 「どのくらいされた?」 「なんか簡単なダイブ装置」 「まあ、基本は抑えているわね」  話していると、段々と円の顔から険しさは薄れ、どこか猫じみた愛嬌のある顔の口元に 笑みが宿る。 「IM・SYSTEMは、東京23区に一つずつ……全部で23個あるダイブシステムの 総称よ。何で高校に設置してあるかまではあたしにもわからないけど、どういう装置かは 説明できるわ」 「あ、それは私が説明するわぁ。お仕事だからぁ」  このままでは自分がいる意味がなくなると思ったのか、円の台詞の最後に蒔絵がするり と入り込む。  そうしながら蒔絵が示したのは、誰も座っていない長椅子──IM・SYSTEMだ。 「このシステムはぁ、キーボードや音声入力、タブレットとかに代わるぅ、新しいインタ ーフェイスとして開発されたのよぉ」 「ふむ、インターフェイスと」 「そうよぉ。文字を書く、絵を書く、プログラミングする……それらのことをこれからは 直接パソコンの中に入ってやってしまおうかしらぁ、というものなのよぉ」 「普通のダイブと変わらんなあ……」 「構想は一緒よねぇ。でも、従来のやり方だと、やっぱり大掛かりは手術が必要だしぃ、 さっきも言ったけど、専門家だけのインターフェイスになっちゃうのよねぇ。そこでぇ、 IM・SYSTEMのダイブ装置……このダイブマシンでは、人体と機械の接続にリンカ ージェルを使用しているのぉ」 「りんかーじぇる?」  本気で解らない単語が出てきて、喜春は眉根を寄せた。すると、蒔絵は喜春を手招きし て長椅子の前に誘った。 「触った方が早いわよぉ。ほら、これぇ」 「スライム?」 「そういうオモチャがあったわねぇ」 「濃いネタについてきますねえ」  言いつつ喜春が見たのは、長椅子の手すりに当たる部分だ。ちょうど手が乗る辺りの場 所に、固定された液体のようなものが存在した。試しに触ってみるが、手は濡れない。 「入れてみてぇ」 「うわ、えっちですなあ……って、いたあ!?」 「黙ってやるっ」  顔を真っ赤にした円が口を真一文字にして言い、喜春は純情ねえ、とおばさん臭いこと を呟いてその液体のようなものに手を差し入れた。 「?」  やはり濡れた感触はない。やや抵抗はあるが、空気に手を差し入れたのと同じ感覚だ。  だが、変化は起きた。  起動音。CDが回るような、早い回転の生み出す音。  一瞬、視界が暗くなった。 「っ」 「大丈夫ぅ?」  気がつくと、蒔絵に支えられていた。言葉に喜春が頷くと、蒔絵が微笑みを浮かべて言 った。 「わかったぁ?」 「ええ、結構でか……いたあ!?」 「スケベ」 「いて……お前、初対面の人間に遠慮無さ過ぎだぞ。なあ、先生?」 「同じくらいだと思うわぁ」 「俺が、こいつと?」 「あなただって、こいつとかあたしのこと言ってるじゃない。それに同学年で遠慮も何も 無いでしょ」 「なんか納得いかんなあ……」  ぶつぶつ言いながら、喜春はリンカージェルから手を抜き取った。すると、長椅子から の音は消える。 「ようするに、アレでナニなわけでしょう?」 「そうねぇ」 「ちょっと、何だか今の会話変よ……先生も順応しないでください」  もしかして優等生かな、と喜春は円を眺め、仕方なくしっかりとした言葉で言うことに した。 「あのスライムみたいので、どうやってるのかダイブコネクタと同じ効果を生みだしてい るんでしょう?」 「そうねぇ。リンカージェルはぁ、人間の組織と同じ成分を持っているからぁ……簡単に 言うとぉ、リンカージェルは人間の身体の一部になるのよぉ。でぇ、機械と同じ成分も持 っているからぁ、機械の一部でもあるのぉ。機械と人間の間を取り持つ偉いさんねぇ」 「偉いさんって、そういう言い方しますか、普通……。まあ、要するに深く考えても専門 家じゃないからリンカージェルが何かはわからんなあ、と?」 「そうとも言うわねぇ。でもぉ、リンカージェルでも人間の肌は越えられないのよぉ」 「そりゃそうですね。人間と同じ成分でも肌は越えられないでしょう。液体とか弾くため にあるんですから」 「だからぁ、君たちはぁ、入学の時に飲んでもらったジュースの中に入っていたナノマシ ンで、両手の甲の部分でリンカージェルを受け入れるように細胞を作り替えているのぉ」 「こら、知らないうちに人を改造するな」 「害は無いわよぉ。ナノマシンくらい、京都でも使っているでしょぉ?」 「京都だとナノマシンじゃなく、人造霊で患部を補完しますんで……」 「そうねぇ、京都は心霊手術が発達しているのよねぇ。あらぁ、じゃあナノマシン初体験 かしらぁ?」 「初体験……いたあ!? って、何故殴る!?」 「絶対に何か言おうとしたでしょう」 「ツッコミ早いって」 「喧嘩しちゃ駄目よぉ」  睨み合いかけた二人の間に入り、蒔絵が人差し指を立て、相変わらずの眠たそうな顔で 提案した。 「じゃあ、そろそろ大垣くんにもダイブしてもらおうかしらぁ」                  3  長椅子──IM・SYSTEMのダイブマシーンに腰掛けた喜春は、長椅子がやや後ろ に傾斜していることにマッサージマシーンを連想した。 「しかし座り心地はあまりよくない、と」  節をつけて呟き、説明された通りにダイブマシーン上部から釣り竿で吊られるようにし てあるヘッドマウントディスプレイを装着する。  すると、まずはディスプレイの外の風景がそのまま見えた。  次は、手をリンカージェルに差し入れる。  起動音。イメージ的にCDが高速で回る。 「浮きそうだな」  意味もない呟きに、自分の唇を歪め、舐める。  しばらくすると、ディスプレイ内に外の映像に重なるようにして様々なウィンドウが開 いた。一番手前のウィンドウの「初起動」の文字に、肯定の思考を返した。すると、その ウィンドウが消える。 「おう!? 先生、考えただけで動くんですが!?」 「だってぇ、そういうのだものぉ」 「詳しい解説ゼロって? 円、そっちは?」 「いきなり名前で呼ばないでよ。こっちは完了よ。そっち待ち」 「あら、つまり俺って遅い?」 「初起動だものぉ。色々と設定することがあるのよぉ」  慰めるように蒔絵が言い、並んでダイブマシンに座る生徒二人の間に立って解説する。 「IM・SYSTEMの一番の特徴はさっきも言った通りリンカージェルによるリンクだ けれどぉ、今度はダイブについて説明するわねぇ」 「よろしくです」 「ダイブするとぉ、人はデータ化されてパソコンの中に入っちゃうわけねぇ。でも、それ だけだとやれることはさっきも言った文章とか絵とかプログラムが出来るという個人レベ ルのお話なのねぇ」 「まあ、そりゃそうですね」 「でもぉ、パソコンをネットに繋ぐことによってぇ、もっと色々なことを出来るようにな ったのよぉ」 「まあ、それもそりゃそうレベルですね」 「……先生をいじめてるのぉ?」 「気のせいです、気のせい。気のせいって、一歩間違えれば機能性になりません?」 「何言ってるのよ馬鹿」 「ナイスツッコミだ……」 「続けていいかしらぁ?」  どうぞ、と喜春が言うと、蒔絵が続ける。 「それでねえ、最近はネット回線を使って、ダイブバトルを出来るようになったのよぉ」 「ダイブバトル?」 「ダイブするとぉ、人はデータを能力値として持つことになるのぉ。絵を描く人は絵の能 力を使用してCGを描いたりするのねぇ」 「ふむ、なんとなくわかります。つまり、パソコン関係の処理技能……例えばプログラム を作れる人はダイブしたコンピュータ世界でもパパパッとプログラムを作れるわけですね」 「それがダイブの特性、インターフェイスとしての特徴よねぇ。でぇ、それがちょっとゲ ーム風になっているのぉ」 「ゲーム風?」 「視覚的にわかりやすい感じがいいってことでぇ、例えばプログラムを壊す……削除なら 剣で斬るとかぁ、たくさんのデータをいっぺんに消すなら魔法とかぁ、そういう感覚で見 えるようになるのぉ」 「……なるほど、凄くわかりやすいです。世代だなあ」 「人というデータをそのまま持ち込むわけだけどぉ、そのデータによって種族とか職業と かが変化するのよぉ」 「なんかバーコード読みとってバトルとかありましたけど、それに近いですか」 「そうねぇ」  蒔絵が頷き、喜春の前に進み出た。すると、喜春のディスプレイ内に蒔絵が映る。 「ダイブはぁ、システムを作るのは大変だけどぉ、使用する人はあまり知らなくても使用 できるわぁ。あっちに行っちゃえばぁ、後は身体を普通に動かす感覚だからぁ、これ以上 の説明は必要ないわぁ」 「あー、先生、先生。ダイブバトルの解説抜けてるって」 「あらぁ? ダイブバトルはぁ、ネットの中にいるぅ、いわゆるバグやウィルスをモンス ターにして、それにさらにプログラムを被せてクエスト形式にしたゲームよぉ」 「つまり、誰が目的最初に達成するか競争する、と」 「そうねぇ。子供が遊びながらバグを掃除してくれるからぁ、ネットのサーバーの方でも 喜んでくれているのよぉ」 「うわ、子供はモンスター倒して喜び、大人は現実的結果をタダで手に入れる、と。悪質 だなあ」 「そうねぇ。でも、みんなが得をしていればそれでいいんじゃないかしらぁ?」 「同感」  蒔絵とのやりとりを楽しみながら、喜春はダイブに必要な処理を進めていた。どれも日 本語の質問形式で、非常にわかりやすい。 『ダイブしますか? Y/N』 「じゃあ、いっちょやってみるかね」                  4  ダイブ。  人間の情報をデータ化、肉体的感覚の一部を残して丸ごと『感覚』を電脳世界に持ち込 む技術。  それは肉体的には眠るということに等しい。  瞼を下ろさない眠りに落ちた喜春は、とりあえず落ちていた。 「いやあ、落ちてるな」  暗い。というか、何も無い。  それでも落下感覚はある。  肉体の感覚を確認。  ある。 『肉体情報モールド変化完了』  声はあらゆる方向から響いていた。 「つまり、これは眠りに『落ちる』イメージ? ……どっちかっていうと『潜る』か」  ところで、モールド変化?  無言の思考に、応えが返る。 『mold──姿、形、性質などと訳される。個人のデータはその性質で人間以外に形質変化 されることもあります』 「なるほど。で、これはコンピュータ内の辞書、と」 『五台高校IM・SYSTEMオペレーター、アルジャーノン。性別男。口調事務的でお 送りしています』 「軽めで行こうか」 『オーライ、ではネットに回線繋ぎます。マスター、準備はよろしいですか?』 「マスターって呼ぶなら、女の子の声無い?」 『五台高校IM・SYSTEMオペレーター、アルジャーノン。性別女。口調軽めで行き ますね』  低い男声から高めの女声に変わる。それに満足して、喜春は落下の底を見据えた。  落下の終着点。それが出口というのならば、ネット世界はそこだろう。 『URL確認。フィールドに出現します』                  ※  快い重さ。  地面に降り立つと同時に喜春が感じたのは、それだった。 「ふむ、鎧、と」  喜春が着込んでいるのは、かなり簡略化された日本の侍が着るような鎧だった。日本鎧 とでも言えばよいのか。腰に手を当てた喜春は、そこに刀の鞘を見つけて苦笑した。 「引きずってるなあ、京都……」  ┌────────────────┐    HN :ヨシハル    種族 :人間/ノーマルタイプ    職業 :侍/ブレードマスター  └────────────────┘  アルジャーノンの言葉が出現に付随し、それが喜春だ。  辺りは戦場である。遮蔽物の何も無い広い空間。だが、初めは遮蔽物があった証拠であ る瓦礫が多数焼けて転がっている。  静かだ。  そこに、音楽が流れている。 「?」  耳を澄ますが、よくわからない。  しばらくして気がつくと、発生源は喜春自身だった。 「なんだ、これ?」  クラシックギターによる低めの音程。地を這うように変化無く進み、数秒に一回だけ音 が跳ね上がり、再びもとの変化の無い地を這う曲に戻る。 「それが、あなたのデータ」  梨の声がした。  否、果物で言うと梨のような声がした。それで誰かわかって振り返り、喜春はちょっと 目を見開いた。 「コスプレ?」 「人のこと言えるの!?」  怒鳴ったのは、円である。だが、少々ダイブする前の円とは容姿に変更があった。  長い耳、エルフだ。 「マニア受けだなあ」 「何の話よ」  ぶすっと頬を膨らませて腰に手を当てた円の横に、ウィンドウが開いた。  ┌────────────────┐    HN  :ツブラ    種族  :エルフ/ハイクラス    職業  :狩人/ハンター    種族特性:魔法/地水風  └────────────────┘  それが彼女であり、そして同時に響いてくるものがあった。  やはり音楽だ。  やわらかい木琴の音。転がるように軽快なそれは、円から発せられていた。  改めて円を観察すると、緑色の長ズボンに、紺色の半袖の上着、そして腰過ぎ辺りまで のマントという姿だ。猫のような容貌に長い耳は意外と似合い、そのまま漫画やゲームの エルフが抜け出してきたように見えた。  そして、手にはやはり職業柄か、弓と矢を持っている。 「矢は一本か?」 「幾らでも出てくるのよ」 「そういうものか」 「そういうものよ。まあ、すぐに慣れると思うけど」  そう言って、円は喜春を見た。 「……ちょうど、かな? これならバスターを任せられそうね」 「ばすたー?」 「うん。他のところじゃどうかわからないけど、五台高校だと前衛のバスターと、後方支 援のクリエイターに役目を分けた二人で一チームとしてダイブゲームに参加しているの。 人数の関係で、あたしのパートナーは毎回先輩に交替でやってもらってたんだけど、これ で人数ぴったりね」 「俺に選択の余地なしかね」 「ううん。人数ぴったりなんだから、これからは先輩たちの中から相性のいい人を捜せば いいのよ。今までみたいに一人余るってことはこれで無くなったんだから」  人差し指を立てて円が言い、そうして彼女はその指を戦場の一方向に向けた。 「ここはスタート地点。みんなもう先に行ってるから、追いつかないと。走るわよ」 「了解」  駆ける。  思考ではなく肉体を動かす感覚そのままに喜春は一歩を踏み出した。  軽い。  そして速い。  同時に駆け出した円も、軽やかな動きでその喜春に付き従った。  ダダダ、とタタタ、の二つの駆け音。 「この──」 「何?」 「この音楽、何だ?」 「音楽。ええと、例えば文字で人が表現しきれる?」 「……なんか法華経か?」 「そうなの?」 「いや、京都だと中学の時にちょっと習うからな。法華経の教えで、人を文や言葉で表現 することは出来ない。人を知るには、直接会って一緒に生活するしかないとか」  うん、と円が頷いた。髪が疾走に揺れ、笑顔が喜春に向けられる。 「それと一緒。データとして……記号の羅列で人のデータは表現しきれないの。そこで、 ダイブで考えられたのが人を音楽として表現すること。文字とかよりも、そっちの方がず っと再現しやすいらしいわ」 『第一エリア戦場通過』 『第二エリア森林通過』 『第三エリア古城の門通過』  第四エリア古城中庭で二人の疾走は止まった。  音。  今度は、激しい音だ。 「そっちいったぞ!」 「冷気系は試したのか、いいからやれ!」 「うわあ、レッサードラゴンってやつか?」  呑気に呟いたのは喜春だけで、残りの十数名は必死になって戦っていた。古城の中庭で は、人でも二メートルあれば通るのが難しい程度の入り口からどうやって入ったのだろう と悩みたくなるような巨大な爬虫類が咆哮を上げていた。  轟、と響いた咆哮に、円が耳を押さえた。 「痛っ。エルフは音波系に弱いから……とにかく、まずやることはわかる?」 「もちろん」  喜春は刀の鞘に手を添え、抜刀。プログラムで出来ているはずの刀が、恐いくらいの輝 きを見せた。 「こういうのがやりたかったんだよ!」 「乱入!?」 「味方です!」  声が交錯した。  戦いの渦の中に飛び込んだ喜春は、迫ったレッサードラゴンの鱗に上を向いた。  目が合う。 〈人でなし!〉  頭に響いた言葉を、消去。  ただ一つの事実を持って、喜春は駆けながら刀に意識を集中した。  ドラゴンが、口を大きく開いた。 「ブレス!?」 「前だけ見て!」  ドラゴンがのけ反り、炎は空へと一直線に吹き放たれた。大きく頭を振ったドラゴンの 片目には、円が放った矢が深々と突き刺さっていた。 「よぉし!」  最後の一歩を一番強く喜春は踏んだ。  瞬間、ドラゴンが後ろを向いた。 「!」  捻った身体は刺のついた尻尾を武器としてその軌道上を薙ぎ払う。  その破壊力は質量。  読んでいた。 「おお!」  斜め下からの切り上げが、迫った巨大な尻尾を両断した。 「……ここなら、誰も死なない!」  血は出ない。切り落ちた尻尾が地面に落ちると同時に分解され消え、ドラゴンが振り返 る。つまり、最初の動きから一回転だ。  炎のブレス。 「うあちゃあああああああああ!」 「どきなさいっ」  ハスキーな女声が喜春を反射的に動かした。  大きくステップした喜春を待っていたかのように、黒一色のローブを着込んだ少女の周 りでプログラムが収束した。  プログラムは光。それがまとまり、点となる。 「バニッシュ!」  収束された光の点に等しい太さの光がドラゴンの身体を斜めに走った。  ぐる?  ドラゴンが首を傾げた。その傾きが、広がる。 「うげっ」  喜春が呆気に取られる中、ドラゴンの身体は両断され、斜めにずれ落ちていった。 『マルト、バニッシュ/クリティカルヒット』  アルジャーノンの解説と同時に、ドラゴンが消滅する。 『ドラゴンキャッスル、クエストウィナー/マルト・シンジペア』 『クエストを終了します』 「なんだ今の、反則っぽいぞこら」  ブラックアウト。                  5 「──というのが、今日の結果でした」 「あらぁ、私も参加したかったわぁ」 「つーか、俺は走って切って燃えて逃げただけか」 「現実を言うとそうなるわね」  笑いを含んだ顔で円が言う。もちろん、その耳は短い人間のものだ。  三人は、他の面々が帰った『IM・SYSTEM室』で話していた。ダイブマシンに腰 掛けた円に、教師用の丸椅子に座った蒔絵、そしてカーペットの上に直に座っている喜春 という構図である。 「でぇ、どう大垣くん?」 「いや、よく見えます……っぐあう!?」  蒔絵のスカートの中を覗き込んでいた喜春の側頭部に蹴りが入った。冗談抜きで痛かっ た喜春は額をカーペットに押しつけてうずくまった。 「ま、マジで蹴りやがった……シャレにならねえ……」 「何が見えるのよ、何が!」 「さ、叫ぶな、皆に迷惑だ」 「もう誰もいないってば」  ふん、と腕を組む円である。 「とにかく、質問は一つよ。これからもIMを続ける? それとも、やめる?」 「何だ、そんな質問か……」  喜春は肩をすくめて座り直した。  答えは簡単。 「犯る」 「漢字が違う!」 「蹴るな、こら!」 「あらぁ、楽しそうねぇ。そうそう最後にぃ、まだ教えることがあったのよぉ」 「いや、先生になら全部教えてもらってもOKです」 「嬉しいわぁ」 「うげ、流された……」 「IM・SYSTEMで参加するネット世界の名前をぉ、まだ説明してなかったのよねぇ」  そう言って、蒔絵は立ち上がった。長いウェーブのかかった髪が揺れ、細まった目に喜 春は目を奪われた。  純粋に、覚えた感覚を言葉にしようか悩み、それじゃあネタにならんなあ、と喜春は言 葉を飲み込んだ。 (綺麗……だよなあ)  微睡むような微笑み。 「これからあなたが色々なことを経験していく世界を私たちはぁ」  見惚れる。  円がちょっとムッとした顔をしたが、とりあえず無視。 「電脳庭園BABYLONって呼んでいるのよぉ」 「いや、俺としてはめくるめく世界が……ぁ!? なんで蹴るっ。なにゆえ蹴られるか俺 は!?」 「うるさい、静かにしなさい、みんなの迷惑でしょうが!」 「イジメか、これが転校生に対するイジメなのか!?」 「というわけでぇ、続くのねぇ」                                   終(続く?)