『ブルマの歴史』  ブルマの歴史は意外に古い。  そもそもブルマの発祥は紀元前に遡る。古王朝期エジプトで発明されたブルマは、時を 経ず王侯貴族の履き物として愛用されるようになり、その姿は当時のファラオを描いた壁 画などに見ることが出来る。モーセらにより出エジプトを抜かせばエジプトから外へと流 出したことがないブルマを外国人で初めて使用したのは、かのアレクサンダー王である。 かの王は、マケドニアから始まる多地方巨大国家を運営するに当たり、エジプトの文化を 多いに取り入れた。その中でもっとも有名なものを二つ挙げるとするならば、ムセイオン とブルマということになる。  かくして巨大国家の王に使用されたブルマは、その後多くの王たちによって使用される ようになった。そこにいかにアレクサンダー王が偉大であったかをうかがえる。だが、王 の衣装という立場を得てしまったことが、以後ブルマの発展を妨げることになった。  アレクサンダー王の死後分裂した巨大国家から東西へ広まったブルマは、西はフランス の王族衣装の立場を得るも、東では一時期使用されただけで中国の文化に定着することは なかった。気候などの関係を指摘する説もあるが、中国特有の外から取り入れないという 姿勢が顕著に表れた歴史的事項だと筆者は思う。こうして、日本へのブルマ渡来は後の歴 史に見送られることとなったのだ。  「西の文化」に定着したブルマの立場が危うくなったのは、俗にルネッサンス(文芸復 興)と呼ばれる時代である。キリスト教の名の下に押さえ込まれていた芸術の花が多くの 才能、パトロンたちの手によって咲き誇り、古代ギリシアの肉体美溢れる絵画、像が盛況 を極めた。そして時代は近世へと移行していく。銃の時代の到来、大航海時代、戦争の大 規模化。後の繁栄と衰退を生み出すものがこの時代に生まれた。この間にブルマはついに 日本へと渡ってくる。ブルマの運び手は、宣教師フランシスコ・ザビエルである。  ザビエルは時の権力者織田信長にブルマと地球儀を献上し、それを見た信長が地球は丸 いということを悟ったというエピソードは、あまりに有名だ。新しい物好きの信長はすぐ にブルマを大量生産し、それが豊臣秀吉、徳川家康の築いた文化にも影響を与えたのは間 違いない。  だが、それから三百年を経てもブルマは富裕者の衣装であった。戦後も「3CB」と言 って「カラーテレビ」「カー(車)」「クーラー(冷蔵庫)」「ブルマ」を所有すること が富裕の象徴とされた。古代から近代まで、ブルマは富裕者のものなのである。その約束 事が破られたのは、バブルという時代の到来によってだった。バブル期の「バブル不動産」 「バブル海外旅行」「バブルブルマ」の三大バブル。特に「バブル海外旅行」と「バブル ブルマ」は密接な繋がりを持つ。シャネルのブルマを日本人が旅行先で大量購入したこと によって市場は大きく変わり、ブルマは大量生産の道を歩むことになる。シャネルは「相 応しくない方がブルマを履くのはシャネルの価値を落とす」とも最近コメントしているが、 激しい市場競争の時代にその言葉は力を持たなかった。そうして、現在の庶民のブルマ文 化が始まったのである。  こうして振り返ると、我々は身近にあるブルマ一つに長い歴史の旅をすることが出来る。 ブルマは過去に始まり現在を通り過ぎ、そして未来へと向かう。多くの変遷を乗り越え、 ブルマはまさに人類の必需品となり得たのである。                            考察・むらさきゆうじ(滅)