SKY OVER        西暦2003年クリスマス記念ショートストーリー               「Bright Sky」  ――クリスマスイブに関する考察をしてみたい。 「こんな感じかな……」  ネクタイをタイピンでワイシャツに止めて、僕は鏡の中に見える『僕』の容姿を確認し た。客観的にもらった評価によると、一般男性よりも線の細い女性的な容貌。周りから可 愛いと言われる一方で、『妹』の摩耶には格好良いと言われる、判断に困る姿だ。  ――それが、今の『僕』。珪素生物である僕が『有間裕一』としての擬態をおこなって いる際の見た目である。  見た目は大事なものだと、僕は情報及び実体験として納得することができる。学園でも 美形と評される人物は周りからそのことを理由に特別扱いされる傾向にあるし、インター ネットで調べてみても人付き合い、男女関係等においても重要であると記載されていた。  そのため、僕は入念に鏡の中の自分におかしな点が無いか注意する。  ――擬態に崩れはない。問題なし。  ――ボタンの掛け違いなし。問題なし。  ――襟が立っていたりはしない。問題なし。  ――ネクタイが曲がっていたりはしない。問題なし。  ――ワイシャツは直前にアイロンがけしたので皺もなし。問題なし。  『問題なし』だ。  しかし、それは珪素生物である僕から見た問題なしであり、最終的な判断はやはり炭素 生物に任せるのが一番だろう。 「お母さん、私の靴下どこ!? 縫ったやつーっ」  ドタバタと、ずいぶんと騒がしく廊下を行ったり来たりする『妹』の摩耶の大声に、僕 はひょいと扉から顔だけを出して廊下を覗く。  すると、若草色のコートに袖を通しながら摩耶が僕の前を通り過ぎ、リビングへと駆け 込んでいくところだった。彼女の叫びの内容から、探しているのが『摩耶の縫った靴下』 だとわかった僕は、その行方を教えることにする。 「摩耶、靴下なら僕の部屋にあるよ」 「あ、あれ?」  ないないない〜、とリビングで足踏みする音がピタリと止まり、廊下の向こうから摩耶 が顔を見せる。 「昨日、僕の部屋でクリスマス用の大きな靴下を作っていたよね? たぶんそれだと思う んだけど」 「そ、それそれ!」  焦っていた摩耶の表情がパッと輝き、僕の部屋へとやってくる。『妹』のために扉を全 開にして、僕は机の上に置いてあったサイズの合う人間が想像できない靴下を手に取った。 「これでしょ?」 「うん。ありがとうお兄ちゃん!」  向けられた笑顔に、僕はうなずいた。その拍子に確認してみると、『表情構成群』は微 笑みを選択している。  ――予想していた。  何故か、最近は確認の必要なく、自分が浮かべる表情がわかるようになってきた。状況 に適切な『表情』を浮かべる『表情構成群』であるが、最近はもっぱら『僕の感情』に合 わせて処理が行われるようになった気がする。  それは、僕の『感情』が炭素生物との生活の中で適切と言える反応を示しているという ことだろうか。興味深い。  僕は微笑みついでに、『可愛い妹』に親愛の情を示して頭を撫でようと思ったけれど、 先ほど摩耶が必死にドライヤーで髪を整えていたのを思い出し、手を止めた。 「……ふむ」 「?」  手を摩耶の顔の前でさまよわせると、彼女が不思議そうな顔をして僕を見てくる。その まま手を引くのもおかしな話なので、僕は代わりに少女の頬を撫でてやることにした。 「わ!?」 「あ、嫌だった? それなら謝罪するよ」 「う、ううん。大丈夫だけど……」  驚いた顔の摩耶が言うのに、僕はクスリと笑う。驚いてから大丈夫、というのは、本当 は不快なことを僕はしているのだろうと予想できるのだ。なのに摩耶が大丈夫と言ってく れるのは、彼女が僕を不快にさせないため――つまり、『妹』からの好意の表現であると 判断できた。  やわらかく、わずかな力で形を変える摩耶の頬に指を這わせながら、僕は言う。 「摩耶は可愛いね」  懐いてくれる子供や動物を撫でながら言うには最適の言葉だ。炭素頭脳も適切であると 認めているので、摩耶の機嫌を損なう心配なく言うことができる。  案の定、摩耶は「ふやぁ」と表情を弛め、自分の小さな手を、僕の手に合わせてきた。  手の甲に触れた指は、少し冷たい。 「手が冷えてるね。ちゃんと手袋は用意した方がいい」  そう僕が言うと、摩耶が「えへへ」と上目遣いに僕を見上げてくる。 「?」 「す、少し寒いかも。――えいっ」 「ま、摩耶?」  突然両手で抱きつかれ、僕は目をぱちぱちとさせた。  摩耶はぎゅっと僕の身体に顔を押しつけ、目を閉じる。立ったまま抱擁される形になっ た僕は、しばし考えてから、自分の方からも摩耶の背中に手を置いた。  いつもと少し抱き心地が違うのは、冬用のコートを着込んでいるからだろう。 「寒いから、お兄ちゃんが温めて」  ほんのりと耳を赤くして言う摩耶は、物事を僕に頼りすぎている気がする……というの は、『母さん』に言われて気がついたことだ。日を追う事に摩耶はあらゆることを僕にや らせようとする。宿題を見てやる程度ならば良かったのだが、今では風呂で身体を洗うこ と、お菓子を食べることすら僕に手伝わせたがる。極めつけは、歩くのが嫌だから「おん ぶして」と言われたことだろう。  ――徹底的に甘えられているのだと判断する。 「甘えん坊だね、摩耶は」 「えへへ……」  『妹』の髪に顔を近づけると、自分が使っているものと同じシャンプーの香りがした。  何度か『母さん』に摩耶を甘やかしすぎては駄目だと言われたのだけれど、それでも摩 耶のしたいようにさせてしまうのは、僕が『甘い』からなのだろうか。……摩耶が不機嫌 になると大変脅威だということも、理由の一つなのだけど。  とにかく、摩耶の欲求を満たすことを僕は優先する。摩耶も急いでいるようだし、僕も これから出かける用事がある。 「じゃあ、僕が摩耶を温めてあげるよ」 「うん……って、あっ」  摩耶の声が上擦った。僕の手がスカートを割り、素肌の太股に触れたからだろう。  僕であれば血流調整で人体末端部まで温めるところだが、コートを着込んだまま運動さ せるわけにもいかない。てっとり早く人体を温めるには、やはり摩擦が一番だ。特に、広 い面積で摩擦できる場所。さらにさすっても服に皺が残らない箇所となると、スカートの 中の足ということになる。 「少しじっとしてて」 「お、お兄ちゃん?」 「すぐ終わるよ」 「で、でもそんな……あんっ」  手を大きく上下させると、摩耶が身を硬直させた。膝頭のやや上から、股の付け根まで を血流調整で加熱した掌でアイロンかけのように丁寧に撫でさする。  かがんだ僕の肩に摩耶の手が乗せられ、僕は彼女が動けないように余った左腕で小さな 身体を抱え込んだ。  はぅ、と摩耶が口を押さえたのが気配でわかった。 「どうしたの? 温かくて気持ちよくない?」 「あたたか……いけど」  すりすり、と内股から膝、膝から外股、後ろに回して尻の下着のライン際、そちら側か ら内股を通して上下に――。  力をこめすぎないように肌を適度に刺激して、炭素体が持つ発熱機能をゆっくりと引き 出すように心がける。  耳を真っ赤にした摩耶はしばらく黙っていたが、 「少し……は、はずかしい……」  普段とはまるで違うか細い声で訴えてきた。  それを僕はたしなめることにする。 「摩耶が、して欲しいんでしょ?」 「っ!」  耳元で囁くと、僕の肩を掴む手に力が入った。一気に耳どころではなく首筋まで紅潮さ せ、摩耶が泣きそうな『おろおろとした表情』になる。 「わ、わた……」 「嫌だった? して欲しかったんじゃないの?」 「私は、お兄ちゃんに……っ」 「うん」  さする摩耶の太股の滑りが悪くなる。乾いていた肌が汗の湿気を帯びてきたようだ。抱 きしめた摩耶の胸の鼓動は速度を増しており、どうやら『熱さ』を与えることには成功し たと判断する。 「お兄ちゃんに……」  掌と太股が張りつく。滑らかだった肌が僕の手を引き留めて、与えるのみだった熱が返 ってくる。ほんの少しの湿り気によって、こうまで肌の質感が変わるのかと僕は感心した。 「お兄ちゃんに、もっと……っ」  途切れそうな荒い息が、心臓の鼓動に押し出されるようにして摩耶の唇から漏れる。  その瞬間、僕が強引に上下させようとして力を込めた手が、勢い余って摩耶の下着を付 け根から叩いた。 「し――あぁっ!」  甲高い声を上げて、摩耶の身体が震えた。びくっと反った身体に驚いて、僕は慌てて摩 耶を抱く力を緩めた。  すると、摩耶はすぐにコロンと床に大の字に転がってしまい、激しく胸を上下させる。  ――加熱しすぎたのだろうか……。 「摩耶、大丈夫? 摩耶?」 「だ、大丈夫……」  かすれた声で摩耶が返事をしたので、とりあえず僕はホッとした。見れば摩耶の肌は色 づき、冷たかった指先まで熱を帯びているようで、当初の目的も達したと見て良いだろう。  ……ただ。 「摩耶、よだれ出てるよ」  意図せずに摩耶を疲労させたのは、好ましい結果ではなかった。反省の必要がある。次 回は、適度な加熱を心がけようと思う。  僕が情報と実体験の統合処理をしていると、はぁはぁと肩を激しく動かしながら半身を 起こした摩耶が、ギクリとした表情になった。  興味を持った僕が、 「どうしたの?」  と尋ねると、 「な、なんでもない」  と慌てた応えが返ってきた。 「じ、じゃあ、私行くから」 「?」  スカートを両手で摘んだ不自然な歩き方で部屋を出た摩耶に、僕は首を傾げた。興味深 いので廊下に顔を出して行き先を見守ると、玄関に向かわずにトイレへと入っていくのが 確認できた。  出かける前に排泄行為を行うのは別に不自然ではないのだけれど、その前の動作が僕の 今までの情報に無い。 「……興味深い」  僕は摩耶という『妹』について、かなり理解を深めてきたと自負していたのだが、ここ で不可解な行動が目についた。これは情報収集の必要があると、あらゆる処理群が推奨し てくる。  特に『非随意欲求処理群』は何事にも優先して摩耶の情報を求めている。  まさに『僕自身』内部での全会一致の結論だ。  なので、僕は自分もコートを羽織り、トイレの前の廊下で摩耶を待つことにした。  果たして、摩耶は二分も待たずにトイレの扉を開いて出てきた。その手には、彼女の下 着が握られている。 「え?」  待ちかまえていた僕に目を丸くした摩耶を前に、僕は疑問を口にする。 「パンツ、どうかしたの?」  真っ赤になった摩耶に下着で顔を打たれたのは、あまりに失礼で理不尽だと思うのは僕 だけだろうか……。                  ※ 「行ってきま〜す」 「行ってきます」  摩耶が僕をひとしきり叩いた――何故か叩かれた――後、僕らは二人揃って玄関を出た。  気になっていた服の着こなしも「うん、格好いいよ」という摩耶の評価を得ることがで きたので、問題なし。  これからエレベータで一階に下りれば、そこからは摩耶は友達とのクリスマスパーティ。 僕は、国木田くんたちに誘われたまひるさんの家でのパーティに参加することになる。  不意に、風が吹いた。マンションの通路に吹き込んでくる風は、三階という高さの分だ け冷たい気がする。血流調整のできる僕は気にしないが、案の定摩耶は寒そうに身を震わ せた。 「摩耶」 「あ」  少しでも温かければ、と僕は摩耶の手を取る。お互いに手袋越しなので肌が触れ合うわ けではないが、不思議と僕はそれで摩耶が温かくなってくれると確信していた。 「えへへ」 「寒い?」 「温かいっ」  にっこりと斜め下から微笑まれることに、僕はずいぶんと慣れたと思う。  そして。 「そう。良かった」  微笑み返すのにも、ずいぶんと慣れたと思う。  そうして二人でエレベータに乗って降りれば、摩耶がクルリと腕を広げて回りながら外 に躍り出る。  気温は、十二月にしてはずいぶんと寒いらしい。本来首都圏で朝方に霜が残る零下にな るのは一月から二月にかけてであり、ここ数年の冬の冷え込みはニュースで異常気象と言 われていた。  ――寒いのは苦手だけど、あの向こうよりはずっといい。  白い息を吐いて、僕は空を見上げた。  青い空が赤くなって、そして訪れた闇の色。極寒の宇宙に近い色。  僕は、この闇の向こうからやって来た珪素生物だ。  この青い星の誰とも縁のない僕が隠れて生きるために、僕は『有間裕一』の姿を手に入 れた。この身体を形作る炭素体は『有間裕一』から手に入れたものだし、その結果付随し た身分、名前、家族も全て借り物にしか過ぎない。  ――だけど。 「摩耶、転ぶよ」 「あはは。雪、降らないかな?」 「降らないと思うよ。こんなに星が出てるんだから」  これからのパーティにはしゃぐ『妹』に微笑みかけ、僕は空を指さした。それにつられ て夜空を見上げる小さな摩耶を僕は見つめる。 「わ、本当に凄い。降ってくるみたい!」 「寒い分だけ空気は澄むからね。星を見るにはいい夜かな」 「ふぅん……お兄ちゃん、星座わかる?」 「知識だけならあるよ。だけど、もっと凄いことを教えてあげようか」 「え?」  意外な顔で僕を見る摩耶だったけど、僕も自分の発言に驚いていた。  ――僕は、何を言おうとしている?  思う暇もあったが、口はゆっくりと、噛みしめるようにその言葉を発していた。 「この空の向こう側には、僕のとても大切な人がいるんだ」  ――『母胎』。  そう僕は内心で呟く。  僕の生みの親。あらゆるものを与えてくれる存在。  ――僕の存在意義。  疑う余地のない認識だ。  だけれど、摩耶は理解できない表情で僕を見ている。確かに、いきなり過ぎる言葉だっ た。  しかし、間を置いてから摩耶が口を開いた。 「それって、私より大切?」 「……え?」  僕は、呆けた声を上げた。  見れば、摩耶の表情は不安そうなものに変わっていた。いつもならば、その言葉はきつ い視線と共に口にされていたのだけど……。 「どうしたの、摩耶?」 「だ、だって……お兄ちゃん、本気だったでしょ? いるんでしょ、大切な人」 「…………」  本気だった。確かに。  でも、僕が本気だから、摩耶は信じるのだろうか。  見上げる。  夜空。  星の空。  その果てに、僕の大切な人がいることを。  ──僕は、珪素生物であることを知られるわけにはいかない。 「大切な人は、いるよ。さすがに空の向こうじゃなくて、この街にだけど」 「そ、それで、私より大切なんだ?」 「う〜ん……それはわからない」 「わからないの?」 「うん」  僕は摩耶の背中を押して、歩き出した。  うん、わからない。  信じられないことだけど、僕にはもうわからない。  見上げてくる二つの瞳に、僕は次のように言うしかなかった。 「僕は、その人以上に大切なものなんかあるはずがないってわかってる。だけど、摩耶の ことをその人と同じくらい大切に思ってる」  借り物の『有間裕一』。  借り物の『妹』。  摩耶は、僕が『有間裕一』を擬態する上で必要な『家庭』の一部分でしかなかったはず だ。なのに、今僕は摩耶に対して擬態の必要性以上の価値を見出している。  この子と一緒にいたい。  この子に不快な思いをさせたくない。  それは、僕が摩耶に対して特別な好意を抱いているということだろう。  ──ソーニャさんやまひるさん。国木田くんや朱音さん。僕が出会った彼らも同様だ。 「僕はね、摩耶。君たちのことを、とても特別に思っているんだ」  見上げた空は、星々の光。  あの向こうにいる母胎の輝きが、まるで夜空に空いた針穴から漏れ見れているかのよう。  それはきっととても温かい光なのだろうけど──。 「む〜。君『たち』ぃ?」  白い息を吐きながら唇を尖らせる不満げな摩耶の顔が、その輝く空の向こう側と同じく らい眩しく見えるのも、事実なのだった。  ──クリスマスイブに関する考察をしてみたい。  クリスマス自体の意義は、僕には意味を持たない。でも僕はクリスマスに感謝したい。  クリスマスのおかげで、僕は今日みんなとパーティができる。みんなとの思い出を増や すことができる。  きっと、摩耶もこれから楽しむのだろう。  それが嬉しい。  クリスマスは、僕を嬉しくしてくれる。  だから僕は笑みを浮かべた。不満げな摩耶に、にっこりと僕にできる一番の笑みを見せ て僕は告げる。 「そう、君たち。君たちと過ごす時間をくれるクリスマスに、感謝したいよ」  そんな僕の楽しい気持ちが、白い息となって空に上っていく。  来年こうしてクリスマスを迎える保証はないから、僕は今日を大切に楽しみたいと思う。 「君たちとの、摩耶との思い出を、絶対に忘れないように『僕自身』に刻もうと思うんだ」 「?」  首を傾げる摩耶と一緒に歩き、僕はクスクスと笑った。                  ※ 「本当に、『楽しい』と思ってるよ」                                   終