SKY OVER        西暦2003年クリスマス記念ショートストーリー               「Blind Sky」  雪の降らないクリスマスイブなんて珍しいものじゃない。自室にこもってインターネッ トに没頭するクリスマスイブだって、珍しくない。 「さてと……」  学園から戻ってきて、自分の健康には無頓着な僕がそれだけは欠かさずに行なっている うがいをして部屋に向かうと、正反対の流れでやかましい声が迫ってきた。 「あぁん、お母さんっ。ないよない! 私の靴下ぁっ。縫ったやつーっ」 「どうせ忘れるんだから、全部まとめて台所にあります。ほら、お昼寝なんかするから遅 れるのよ」 「お母さんが起こしてくれなかったんじゃないのぉっ」 「自分で起きるって言ったじゃない」  やかましいなぁ、と思いつつ、僕は足早な妹と母親に軽く手を挙げて挨拶した。すると、 妹の摩耶がまるでむずがゆいのを我慢するかのような顔でその場で足踏みしながら応える。 「あ、兄貴お帰り。──だからお母さんがぁっ」 「はいはい。どうしてお兄ちゃんみたいに静かにできないの。──裕ちゃん、おやつ冷蔵 庫に入ってるから」 「うん」  それだけの言葉を交わし、後は二人は僕に一瞥も向けずに通り過ぎていく。どうやら、 摩耶がクリスマス会の待ち合わせに遅れたみたいだ。しかも、どうやら聞く限りは自業自 得。  黙っていても良かったが、僕は妹を『つつく』ことができる機会を見逃すことはできな かった。  無表情に、リビングに入る摩耶の背中に言ってやる。 「だからいつも言ってるだろ。夜は早く寝ろって」 「うううううう」  今回ばかりは、口数の多い妹からも文句が返ってこない。それだけ余裕が無いというこ とだろう。どうせ遅刻したのだから、もういくら遅刻しても大差ない。僕なら、仕方ない と諦めてゆっくりと準備を進めるところだ。  だけれど、摩耶はそうやって割り切れない。まあ、小学生にとっては楽しい会に参加す る時間が少しでも減ってしまうのはとても悔しいことなんだろう。  可愛そうなのは、そんな摩耶の失敗に冤罪をなすりつけられている母さんだ。……もっ とも、そうやって子供の文句を受けるのが親というものかもしれない。  ──僕は、親に責任をなすりつけた経験は一度もないが。 「行ってきます!」  入ったと思ったらすぐにリビングから飛び出した摩耶が、玄関へ駆け込んでいく。その ドタバタとした音を耳に入れつつ、僕は自分の部屋の扉を開いた。 「ただいま」  僕は、自分の部屋に入った時には帰宅の挨拶を口にすることにしている。玄関に入った 際にもするけど、それは形だけのものだ。  僕の戻ってくる、僕だけの空間はここだけだからだ。  今日で冬休みに入る学園の軽い鞄をベッドの上に放り出すと、僕はパソコンを待機状態 から立ち上がらせた。表示されたデスクトップ端に開いている小さなウィンドウの数字を 見て、今朝からパソコンに集めさせているニュースの数を確認する。 「六千五百件……」  意外と少ない。  指定した単語は『クリスマスイブ』『チャット』だ。常に変化して書き込みが消滅して いくチャットで表示された文字列も読み取り保存する形の常時巡回検索でもこの程度だ。 クリスマスイブから翌朝にかけてまでの耐久チャットをする書き込みを巡回先のサイトで 発見した僕は、他に同じような場所があれば複数に同時参加しようと思っていたのだけど、 これでは……。  ──ここから絞り込んで、好みのところがあるかな?  立ったままマウスを操作して、カーソルを文字の入力欄に合わせてクリック。それから キーボードに指を走らせて、新しい単語を登録していく。 『翌朝』  ……二百数十まで絞り込まれたが、この指定はあまりよくなかったようだ。『翌朝まで チャットをする』といった内容のニュースは少ない。  ならば、と僕は単語を切り替える。 『雑談』  四百程度。  だけど、この指定はよかった。「クリスマスイブの夜、一緒にチャットで雑談」などの 文が多く目立つ。  あとは、この中から自分の目で一つずつ確認していけばよいだろう。                  ※ 「ただいま〜」  摩耶が帰宅を告げた時、僕は椅子に座って紅茶を飲んでいるところだった。片手は止ま らずにマウスを操作し、インターネットサーフィングを続け、目は必要な情報を読み取っ ていく。  日替わりが常の母さんの紅茶は、今日はずいぶんと渋みのあるものだった。渋いくせに 甘い、という不思議なもので、僕はあまり好きではない。  他のにしてよ、と後で言っておこう。 「楽しかった〜!」  と、薄い壁を通して摩耶の大声か聞こえてくる。楽しかったんだろう。良かった。  僕の方も、夜中に参加するチャットを五つまで絞りこめた。気づけば、もう午後の八時 だ。昼食は外のファーストフードで軽くとっただけだったし、さすがに腹が減った。  決断すれば、僕の行動は早い方だと思う。  摩耶が勝手に入ってこないように掛けている扉の鍵を解除し、リビングで摩耶にじゃれ つかれている母さんに尋ねる。 「母さん、ご飯ある?」 「ええ。ケーキもあるから」 「うん」  短いやりとり。母さんの微笑みに曖昧にうなずくにとどめ、僕は頬を紅潮させて母さん の腰に抱きついている摩耶を見る。 「摩耶、ご飯は?」 「食べてきた。兄貴はこれからなんだ?」 「うん」  それだけの会話で兄の義務は果たしたと思う。十歳も年の離れた兄妹では同じ話題で会 話を弾ませることもできないし、正直僕にとって摩耶はうるさすぎる。元気なのはよいこ とだと思うけれど、摩耶の感情表現はいちいち大げさに過ぎると思う。  うざい奴だとは思うけど、積極的に嫌えるほど生意気でもない。こちらの言うことは一 応聞くし、かまって欲しいという仕草は可愛いのかもしれない。  ──それでも、うざいが。  要は、僕はにぎやかな人間が苦手なんだ。いちいち思ったことを言わないでも、同じ人 間なんだからある程度は察することができる。授業だって、不快な教師はたいてい周りの 皆が不快に思ってるものだ。  だから、不快だということを確認しようと話しかけてくるようなのはやめて欲しい。悪 口を言うのはどちらかと言えば悪いことだ。思うだけにしておきたい。  ……こんな考えだから、友達ができないんだろうか。でも、話す気力がわかないのは本 当だ。話して愛想笑いするのは、面倒くさい。笑顔の奥で、心が冷める。 「いただきます」  やはり儀礼的に告げ、僕はクリスマスイブの食事にとりかかった。そこで気づくが、父 さんがまだ仕事から帰ってきていない。  うん、義務を果たすべきだろう。 「父さんはまだ?」 「少し遅れるみたい。せっかくのクリスマスなのにね」 「ねー」  母さんと摩耶が一緒に首を横に傾ける。「あ、そう」と僕はせっかくのクリスマスとや らに用意されたシチューを口に運ぶ。  美味しい。 「美味しいね、シチュー」 「裕ちゃんシチュー好きよね」 「あ、いいな。お母さん、私も食べる」 「太るぞ」  間髪を入れず、僕は言ってやった。摩耶の頬が膨らんで僕を見たが、そ知らぬ顔で無視 してやる。うん、妹をいじめるのは、楽しかったりする。 「むぅ〜」 「少しだけなら大丈夫よ。裕ちゃんもおかわりする?」 「いらない。これだけでお腹いっぱいだよ」  僕は小食だ。食後には定番のケーキも待っているのだし、あまりお腹に負担はかけない ようにしたい。 「いただきまーす」 「太れ」 「む……むぅ〜!」  むくれた摩耶に、僕は少しだけ唇を歪ませて笑ってみせた。  ──そんな笑い方以外、僕にはできないのだから。                  ※ 「コンビニ行ってくる」 「はい」 「兄貴、飲むヨーグルト買ってきて」 「うん」  夜の十時を回った頃、僕は朝までのチャットの間に食べる夜食を買いに家を出た。集合 団地マンションの三階にある我が家から、エレベータで地上階まで降りる。  地上と言っても、僕が生まれる前は海面だった場所だ。新都区の全ては、人工的な埋立 地の中に作られている。東京都新規埋立地と呼ばれるここに引っ越してきたのが、摩耶が 生まれた頃。僕は、小学校低学年の頃から同じ場所で、同じコンビニを利用している計算 になる。 「はぁ〜」  と息を吐けば、さすがに白い。白さが目立つようになったのはつい十日からそこらだけ ど、ここ数日の冷え込みは一月から二月の真冬並だ。ジャンパーの上からでもシンと染み る冷たさに、僕は両手で二の腕をさすった。毛糸の手袋の中で指がかじかんで感覚がにぶ っている。  ──あ。  集合団地の間に立つ木に、冬の静かな情緒をけばけばしく変化させるクリスマス飾りが 見えた。偽物の綿雪に、偽物の星。そういうのを見て冷めるのは、僕の性分だろう。  ああ、そこまでして『気分だけ』味わいたいわけだ。  雪が降らないから、偽物の雪を、だ。  そもそもクリスマスに雪が降るのはどこの決まりごとだ? 南半球だと今は夏だ。常夏 の国でも、クリスマス飾りは雪なのだろうか?  ……後で調べてみよう。  そうした『常識っぽいの』がどれだけ誰かに踊らされた結果なのか知る瞬間が、楽しい のは僕だけじゃないはずだ。皆が知らない世界の裏を知れた気がする。インターネットは 便利な道具だ。簡単に調べることができる。  ──それから。  僕は、白い息を吐いて空を見上げた。  夜だから、夜空。雲しかない昼間の空とは違って、夜空には星が輝いている。僕が生ま れる前は都会では星が遠かったという話だけれど、それはいつのことだろう。調べてみた らかなり前のことだった。ともあれ、今は規制に告ぐ規制で東京の空をおおっていたとい うスモッグも消えさり、田舎と遜色のない無数の光輝く夜空を見ることができている。  ──そう、星は、そこにある。  なのにクリスマス飾りに星をつけるのは、ナンセンスだ。偽物なんか、いらないじゃな いか。  目を細めて、僕は光点を線で結んでいった。御者座のカペラや牡牛座のアルデバランと いった一等星の強い光。一番見つけやすいオリオン座の三つ並びの星の真ん中が実は星で はなくて散光星雲であることを知っている同世代の人間が、どれだけいるだろうか。  ……多分、想像以上に多いのだろうけど。 「はぁ〜」  今度は、空に向かって息を吹きかける。  一年のうち冬にしかみられない『見える息』が星空に向かって一直線に進み、力尽きて 消える。それが、僕の限界のようにも思えた。  空には手は届かない。  星の光は、真っ黒な夜空に空いた小さな針穴じゃないかと子供の頃は思っていた。昼間 の青空が、その向こうに広がっているんだと、そう信じていた。  だけど、勉強して僕は知った。そこには、宇宙がある。  インターネットで知った。そこには、宇宙しかない。  異星人なんてそうそういないだろうし、いても僕にはあまり関係ないと思う。外人みた いたものだ。興味は無い。  興味を、無くされた。  世の中は、調べれば調べるほど、興味を無くしていく作りになっている。調べれば、そ れがいかにつまらないことかわかる。いかに、役に立たない知識かわかる。子供の夢を、 壊しすぎる。 「もしも」  と、僕は声に出してみた。近くに誰もいないと確認したからだ。 「もしもこの夜空が真っ黒なカーテンなら、僕はこの世の何も調べようとはしなかった」  言いつつ、再び足を動かす。  調べれば、たいていのことはわかる。他人に聞くよりも、自分で調べた方が身につくし、 安易に他人に尋ねるのは僕の性分じゃない。そのせいか、僕は自分の知っていることも他 人に教えない。自分で調べればいいじゃないか。僕に聞くな。  コンビニと家の間にある公園にも、誰もいない。もう少し街の方にいけば、この時間な らば遊んでいる若者が多くいることだろう。そういう意味では、ここは穴場かもしれない。 「……誰もいない、な」  誰もいないとわかっているから、ひとりごとも言える。コンビニは少し後回しにして、 僕はたまに夜中に足を運ぶ公園で、ブランコへと向かった。 「っと」  チェーンを掴んでブランコに飛び乗る。座るのではなく立った形で、僕は身体を前後に 振り出した。  キィコ、と独特の音が、静かな夜に響く。  キィコ、キィコと染み渡る。  冷たい風によって耳が痛いほどだったけれど、僕はブランコを漕ぐのが楽しかった。た ぶんこの時間、このクリスマスイブにこんなことをしているのが自分くらいじゃないかと 思えるのが、楽しかった。  皆、『楽しめるから』というだけでクリスマスを祝っている。もちろん信仰から祝う人 もいるだろうが、日本人でそれは稀だろう。  上を見る。  星が高速で前後する。  皆は、あの星の光を隙間からのものと勘違いしていた子供の僕と同じだ。何も知らない。 何も知らないふりを、暗黙のうちにしている。  盲目じゃない。  わざとの目隠し。  窓にブラインドを下ろしたように、外界の情報をカットする。  ──僕は違う。  僕はブラインドを下ろして部屋に閉じこもっても、外界のことを知っている。調べてい る。  世界のことを、知ろうとしている。  知るたびにこの世界に興味を失っていくのを、実感している。 「僕は、他の奴らとは違う」  言って、ブランコを蹴って跳ぶ。「よっと」と両足で着地すると、冷えた足の裏に痛み があったけれど、気分のよさの方が上回った。  そのまま、僕は足取り軽くコンビニへと向かう。  まずは、夜食。それから、摩耶に頼まれた飲むヨーグルト。たまには、奢ってやっても いい。兄として、それくらいはしてやってもいいだろう。 「クリスマスだし」  純粋にクリスマスをお祭りとして楽しんでいた妹の顔に、皮肉げに呟く。  一年に一度は、優しくしてやろう。今年から初めて、来年もだ。  そう、来年も今年と同じだろう。摩耶はまだ子供で、クリスマスではしゃぐだろうし、 僕はこうやって世の中を皮肉って調子に乗ってる小物なんだ。  うん、それをわかってる。わかってるから、頭の中でくらい世の中を馬鹿にしておこう。  来年も、今年と同じくだらない祭りがある。  今年と変わらず。                  ※  ──何も変わらず。                                   終