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バーバリアン・デイズ

第三話
「スパイラルガール」


                序


 夜空にどれだけの星が瞬いていようと、それら全てを集めても昼間の太陽の輝きのひと
欠片にも及びはしない。それどころか、星々は太陽の光を反射しているだけの月の明るさ
にも押され、より儚い明るさしかないものなど、それだけで人の目では捉えられなくなる。
 人の輝きというものもそれと同じであると、生きてきた二十三年の間、獅子殿一樹(し
しどの・いつき)は常々感じてきた。
 人にはそれぞれ放つ輝きがある。町を歩くだけで誰もが振り返る眩しさを持つ者もいれ
ば、舞台の上ででも誰にも気に留められない地味な者もいる。掠り傷で大騒ぎされる者が
いれば、ゴミ溜めでのたれ死んでも誰も気にしない者もいる。例外も多いが、とりあえず
一樹は、人の輝きとはそのようなところで表現できると考えていた。
 タチの悪いことは、太陽のそれと同じように、人の輝きは他人のそれを掻き消してしま
うことだ。星々が必死に己を輝かせようと、太陽の光はそれをあざ笑うかのように、否、
気づきもしないで身を現すだけで彼らを消し去ってしまう。そうして見えるのは暗闇の薙
ぎ払われた青空であり、そのすがすがしさに人は本来そこにあるべき星の姿など想像もし
たりしないのだ。
 そして、各分野に必ずいる太陽のうち、自分を掻き消す太陽がごく至近にいたことは、
一樹にとって不運以外の何物でもなかった。





                1


「……ここまで来ると、本当に化け物だな」
 脱色した白い前髪の間から覗く冷徹な視線をノートパソコンのディスプレイに落とし、
低く無感動に獅子殿一樹は呟いた。彼が見下ろしているのは自分が運営するホームページ
の管理画面であり、そこに表示されている無数の人名の列の上下を入れ替える作業に、慌
しく指を動かしていた。
 渋谷はハチ公像に背中を預けてのそれは、立ちながらとは思えないくらい手馴れていて、
最新最軽量のノートパソコンの小さなキーを正確に打つ。
 何かのランキングらしいそれは、単純な入れ替え制度らしい。下位の者が上位の者を負
かせばその順位を引き継ぐ。だが、下位の者が上位に挑んで敗北した場合、失うものがな
いということはない。その場合、ランキングからの消滅が待っているのだ。
 つまり、上位に優しく、下位に厳しい仕組みである。しかし、その分ランキングによる
挑戦の限界枠が存在せず、例えば最下位の者であろうと、一位に挑戦することができる。
 ここで表現されているのは、自由な闘争。
 そして、挑戦とは大きなチャンスとリスクを同時に孕んでいるという事実である。
(オール・オア・ナッシンだ。挑戦者はそれくらい追い詰める必要がある。そして、負け
ても順位が落ちる程度の心構えに上位者を置くことによって、油断を生み、順位の変動を
激しくする。守りに入れば喰われる。常に上への挑戦を繰り返し、牙を研ぐ者だけが勝ち
続けられる)
 そう考えてこの形式に辿り着いたのは、一樹だ。
「っしゃあ! 入ったぁ!」
「よいしょぉーっ!」
 歓声が湧き、一樹は自分が主催するイベント――ランキングを賭けた肉弾格闘試合へと
視線を向けた。
 渋谷の象徴とも言えるランドマークQFRONTのビルの壁面全てを使った巨大な大型
ビジョン、そしてSHIBUYA一〇九の丸い塔が見下ろす、駅ビルと巨塔たちに挟まれ
た始点であり行き止まりでもあるような煉瓦敷きの公園。夜の十時を回った渋谷駅ハチ公
口前。
 そこで彼の目の前を舞台として繰り広げられるのは、小柄な少女と巨人のような大男の
ストリートファイト、ルール無用の喧嘩マッチだ。
 目にした場面は、よく日焼けした青年がその丸太のような腕で、少女の両足を脇に抱え
込み、自分を支点に横回転を繰り返すプロレスのジャイアントスイングを開始したところ
だった。
 途端、一樹の口元には嘲笑の笑みが浮かぶ。
「馬鹿が」
 二メートル近い青年にぶん回される少女は、対照的に百五十センチもないような小柄だ。
歳の頃は十六歳も行っていないだろう。黒いタンクトップに薄手の白いシャツを合わせ、
紺色のスパッツの先の細い足首を青年にがっちりと抱えられている。髪は長く、束ねてポ
ニーテールにしているが、始まった回転の遠心力にそれがびゅんびゅんと鞭のように空を
切る。
「いーち、にーい!」
 二十や三十ではきかない見物客、それも肉体派の若者の多い中で回転の回数を数える大
合唱が始まり、その八回目で青年が少女を放り投げた。充分な勢いを乗せられたそれは、
回転で三半規管を狂わされた少女に受身を取らさせずに、致命打になり得るアスファルト
の地面へと激突させるはずだった。
 が、びゅんと飛ばされた少女の手が地面に触れると、その予想を裏切る。跳ねて転がる
はずだった少女の身体が、その瞬間に縦に倒立した。それだけではなく、足を百八十度近
くまで開いてヘリコプターのように振り回してぎゅるんと、逆さのフィギュアスケート選
手のように回転した。
 そして、もう一度少女が地面に手を着くと、ポンと本来吹き飛ばされるはずだった方向
に足をついて着地する。スニーカーの裏がしっかりと大地を踏み、上げた顔に目を回した
様子もないことを見て、周りからは失望のため息が漏れる。
「『スパイラル』相手に回転が何の役に立つ。研究不足だ」
 一樹が言うと同時、少女が『かっ飛ん』だ。
 助走とも言えない一歩の踏み出しで地面を蹴る。オリンピックの幅跳びのように鋭い前
方への跳躍が、五メートル余りの距離を一気にゼロにして青年の『横』を通り過ぎる。
 ただそれだけに見えたが、青年が呻き声を上げた。
「ぐぁ!?」
 少女の手が、青年の右手首を掴んでいた。蔦に掴まるターザンのように、あるいは子供
のブランコ遊びのように少女は揃えたつま先を上方向へと向けた。少女一人分の体重と、
それを倍化させる凄まじい速度に対応しきれず、青年の腕がありえない方向にまで回り、
ついにはその肩が砕ける音がした。
 ほぼ真上まで上がった青年の腕を放し、それでも勢いを失わずに少女は青年の真上数メ
ートルにまで達する。
「せい――やあぁぁぁぁ!」
 そこで初めて気合を入れた少女のコマのような回し蹴りが、青年の頭を後頭部から打ち
抜き、その巨体を弾き飛ばした。顔面からアスファルトに突っ込んだ青年はそのまま一回
転し、背中から叩きつけられる。
 少女は蹴りの余韻である横回転のままつま先を地面に着け、数回転の後にスニーカーの
先から煙を出して止まった。
 沈黙。
 そして、少女が綺麗に腰を折ってペコリと頭を下げると、嵐のような拍手と喝采が、他
のどのような騒音よりも激しく、熱く夜の空を焦がした。まるでコンサートの終焉のよう
うにアンコールの声まで飛び出し、その度に少女がペコペコと頭を下げる。
 頭の後ろに手を回してリボンを抜き取ると、解けた長い黒髪がスポットライトの光の中
で踊る。ぶん、と一回頭を振り、少女はもう一度歓声に応えて一礼した。
 一樹はそれを見届け、面白くなさそうに二十五位の『南原海里』をランキングから消去
した。自然、それ以下のランキングが一つずつ繰り上がる。戦績の勝ち星が一つ増えたの
は、そのランキングで五番目に高い位置にある名前。
 ──八巻明良(やまき・あきら)。
 そこまでの操作で、一樹はひとまずノートパソコンを閉じた。
 地面から、格闘技の試合でおなじみのゴングを拾い上げてカーンと鳴らすと、その場に
いた全員の熱狂がその音に吸い込まれるように沈静化した。彼はハチ公像から背を離して
進み出ると、少女に小さく頷いてみせた。すると、少女がそそくさと人垣の中に紛れる。
 そこからは彼が主役だった。
「お集まりの皆さん。ただ今の決着を持ちまして、本日のEDGE興行は全て終了となり
ます。本日行われた三試合のトップランカー戦は、例によってEDGE公式サイトにて動
画で配信いたします。今回初めてこちらの興行をご覧になった方は、チラシのURLのホ
ームページをご覧になり、是非本興行の趣旨をお確かめ下さい。皆さんのご理解と有志の
方のご参加を心待ちにしております」
 だが、それを最後まで聞いている者は稀だった。ほとんどの者は見世物が終わると同時
にさっさとその場を散り始め、少々の拍手が散発的に注がれるだけだ。彼らの正直な姿に、
一樹は思わず苦笑する。いつものことだ。
 しかし、それでも興行を取り仕切る彼に敬意を表する何人かは歩み寄り、声をかけてく
る。主に格闘系雑誌の記者たちだ。
「獅子殿さん、今日も素晴らしい試合の連続だったね。見事なマッチメイクだったよ」
「はあ、どうも」
「お父さんの獅子殿会長から興行を任されて半年、選手としての君を見れなくなったのは
寂しいけれど、プロデューサー姿も様になっているじゃないか。会長の教育のたまものか
い? お父さんは天才だが、君も負けていないね」
「買い被りですよ」
 ただ、そうした者に対する一樹の返事はおざなりだ。一樹自身の手腕を褒める言葉には、
実は大して興味が無い。三十代と見える格闘通を自認する男にあれこれと言われて、適当
に相づちを打っていると、一樹は筋骨隆々とした男たちの中から逃げるようにして走って
くる少女に気がついた。
「どうした、明良」
「た、助けてください、一樹くん」
 情けない声を上げて百九十センチ近い一樹の背にスルリと隠れこんだのは、先ほど戦っ
ていた少女だ。やや端下がりの大きな瞳に小ぶりな低い鼻。その鼻からずり落ちそうな丸
い眼鏡をかけたその顔立ちは頬の細い端正なもので、QFRONTの大型ビジョンのCM
に映る少女アイドルにも負けていなかったが、今はそこに怯えの色を濃く宿している。
 何事かと一樹が見れば、デジタルカメラやビデオを構えた青年たちが少女――明良を追
いかけている。思わず頭痛がした額を押さえ、一樹は投げやりに言う。
「取材だと思って、撮ってもらえばどうだ」
「い、嫌ですよ、また掲示板にアップされて『萌え』とか書かれるのっ」
 ひしっと後ろから抱きつかれ、一樹は邪魔そうに明良の頭を掴む。引き剥がそうとする
が、意外なほどに少女の力は強い。
 そうこうしているうちに、カメラを構えた青年たちが言う。
「獅子殿プロデューサー、『スパイラル』の写真一枚いいっすか?」
「掲載する時にはプロデューサーの顔切りますから」
「……どうぞ」
 諦めたように一樹が頷くと、パシャパシャと数回フラッシュが焚かれる。いやいやする
ように明良は一樹のシャツに顔を埋めていたが、わずかな隙間を縫って目標を撮影するこ
とにかけては、青年たちの技量はかなりのものである。
「ありがとうございました〜」
 上機嫌に去っていく彼らを眺め、一樹はこれもファンサービスだと肩をすくめる。彼は
自分の運営するストリートファイトの人気上昇のためなら、大抵のことには目を瞑るつも
りだ。逆に、彼の後ろにいる少女にはその辺りの配慮がまったくない。
「人気はあるうちが花だ。せいぜいちやほやされていればいいだろう」
 と言っても、
「あの人たち、小さい子なら誰でもいいんですよ。そういう『ジャンル』で好きって言っ
てもらっても嬉しくないです」
 と眼鏡の奥の目元を歪めてにべもない。
 だからその『ジャンル』を上手く活用すればいいだろうに、と一樹などは思うのだが、
潔癖症の気のある少女にはそれが受け入れがたいらしい。
 すると、先程から熱心に一樹に話しかけていた自称格闘技通の記者が戸惑った様子で尋
ねる。
「前から気になっていたんだが、君らはいったいどういう関係なんだい?」
 それに、一樹と明良は顔を見合わせ、
「一樹くんとは、幼馴染です」
「赤の他人です」
 まるで違う答えを返した。

                ※


「赤の他人ってなんですか、赤の他人って」
 ヘッドライトをつけた車が行き交う渋谷駅東口バスターミナル前の交差点。地を這う国
道二四六号線と、頭上を通る首都高の境である歩道橋を渡りながら、明良はその小さな唇
を尖らせていた。
 隣を行く一樹のつむじを見下ろしているのは、明良が歩道橋の壁の上を歩いているから
だ。他人ならいざ知らず、大の大人をも一蹴する体術の持ち主である明良には、一樹も危
険を注意するつもりはない。
 二人はストリート式異種格闘技戦(ミクスドマッチ)の代名詞であるEDGEの行なわ
れるハチ公口とは対角線上にある、東口を経由して帰途についていた。昼間陽光で温めら
れたアスファルトは夜になっても都会の空気を熱し、春の夜でも気温は夏と変わらない。
さらに歩道橋の上にまで路上のゴミ溜めのような臭気が及んでおり、この道を通る度に明
良は顔をしかめて不機嫌になる。そのとばっちりだろうか、と一樹は少女の言葉に曖昧に
頷いた。
「記者の前ではあくまでプロデューサーと選手の関係だと同意していたはずだな」
「それはそうですけど、『赤の』までつけたら、仲が悪いって誤解されるじゃないですか」
 明良は頬を膨らませ、腰の後ろで両手を組んで不満顔だ。真下をトラックが通り過ぎる
が、少女の歩みに躊躇いは無い。
 渋谷警察署前に下りる階段に達すると、明良は一樹の無表情に近い横顔を見て嘆息し、
クルリと背中を見せる。そうして背面を向いたまま足場を蹴ると、バック転の要領で階段
の細い手すりの上を下っていく。一回、二回と回転し、三回転めで強く蹴って、体操の選
手のように横捻りの回転を加えて、明良はアスファルトの上に着地した。つま先から地面
に着き、螺旋を描くように横回転を加えながら接地すると、縦方向の力が相殺されてほと
んど音も無い着地となる。
 その間ずっと後ろで組んでいた両手を広げ、明良は大きな荷物を抱えてゆっくり階段を
下りる一樹に言う。
「私たち、仲良しの幼馴染ですよね?」
「お前はそう思ってるんだろうな」
「……っ! 一樹くんはひねくれ者ですっ」
 何を言っているんだこのガキは、とでも言いたげな視線を受け、明良はアスファルトを
ダンダンと足の裏で叩いた。警察署のマスコットキャラクターの巨大な看板が彼女を見下
ろしていたが、同情の言葉をくれるわけでもない。
 そんな八歳下の幼馴染の子供じみた癇癪に付き合うことはせず、階段を下りた一樹は渋
谷警察署の前を通り過ぎて、向かって左側の六本木通りに沿って歩き出す。商店の並ぶ右
側の明治通りに比べて活気に乏しく、車の走る道路の横に歩道があるだけという程度の道
であったが、渋谷区渋谷三丁目――つまり六本木通りと明治通りの作る三角地帯に帰るべ
き家のある一樹にとって、活気の多寡は関係ない。むしろ、人気に乏しい道の方が気楽で
良いと考える性分である。
「待ってくださいっ。話は終わってませんよ!」
 無視されたことに気がついた少女がすぐに駆け寄って来るのを一応待っておいてやり、
一樹は背負っていた機材一式を抱え直す。脇に抱えたノートパソコンはともかく、照明器
具や撮影器具、その他もろもろの機材を背負った彼はまるで高山に挑む登山者のように重
装備だ。ほとんどの機材は集まっていたスタッフが車で持って帰るが、一部の私物とも言
えるものに関しては、家が近いこともあって自分で運ぶのが習慣となっている。
 だが、並んだ明良が軽快に歩く横を、一樹は苦もなく同じ速度で進む。見る者が見れば、
白髪の青年が百九十センチ近い長身を華奢に見せないだけの筋肉を身につけていることに
気がついただろう。分厚くは無いが、均整の取れた体格だ。着崩してはいても人前に出る
ことを考慮したスーツ姿で、私服姿の少女と並んで歩くには不似合いな青年である。
 明良が首が痛くなるほど上を向いて一樹の横顔を見ると、そこにあるのはいつも通りの
無表情だ。明良は、大きすぎる眼鏡を中指で押さえて言う。
「一樹くん、おじ様の言葉を忘れたわけではないんでしょう? 二人で仲良く──」
「力を合わせて修行に励むように」
「そうです」
 言葉の後を継いだ一樹に、明良は神妙な顔で頷く。真夜中と言ってよい時間帯の闇を切
り裂く車のヘッドライトが、眼鏡の表面で弾かれる。
「私はおじ様に一樹くんのことを任されました。何があろうと一樹くんを支え、護身獅子
殿流の技を完成させてみせると、約束したんです」
「確かに、ずいぶん昔にそういう約束をしたな」
 興味なさそうに、一樹は車道沿いの道から右の細い道に曲がった。二本の太い道路に挟
まれたそこは個人経営の店や民家の立ち並ぶ渋谷三丁目で、そこに入るともはや遅い時間
ということもあり、二人以外に歩いている者はいなかった。
「あの約束がある限り、わたしたちは仲良しじゃないんですか? そりゃ、同門というこ
とはお互いにライバルですから色々あるかもしれませんが、それだって別に仲が悪い喧嘩
ってわけじゃないじゃないですか。力の比べ合いです。獅子殿をより高みに持って行くた
めの、切磋琢磨です」
 生来の癖で両腕を広げて話す明良に、どう言ったものかと一樹は冷めた脳で思考する。
 自分の虚しさを、どう言葉にしたらよいのだろうか。
「お前の強さは……」
 小さく呟き、言葉を切る。
 いや、と首を横に振る。
「そうだな」
「そうです!」
 肯定した青年に、我が意を得たりと少女が両手を広げたままクルリと回る。ステップは
軽く、その表情が一気に明るいものとなる。
「そうです、私と一樹くんはいつまでも仲良しなんですよ。それは大事な約束なんですか
ら、しっかり守らないと駄目なんです。『私だけは敵になってはいけない』んですよね」
 グルグルと衛星のように一樹の周りを移動する明良は、まるで幼い子供のように無邪気
な笑顔を見せる。その一言一言を皮肉に感じ、一樹はわずかだがその口元を歪めた。
「そうだな」





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