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サモンナイト3 レックス×ベルフラウSS
<サモンナイト3 全編ノベル化計画作品 3>


               第三話
           「異界と集落と護人と」



                序


 ベルフラウが目を醒ましたのは、狭い船室でのことだった。
「朝……」
 ぼんやりと呟き、身体にかかったシーツをはだけると、わずかに開かれた窓から入り込
んだかすかな潮の香りが鼻をくすぐる。海賊カイル一家の船で少女に割り当てられたのは、
横向きに接岸する船の陸側の一室だ。
 その部屋はこじんまりとはしていたが、二人一部屋が基本の海賊船の中では異例の一人
部屋だった。ベルフラウが狭いと感じる部屋は、実際には充分に広く、今少女が身を横た
えている寝台を四つは置くことが出来る。普段は使われていない部屋らしく、寝台と引き
出し付きの書台一つという、生活感というものを感じない部屋だ。
 自分がどこにいるのかを思い出したベルフラウは、ため息を一つついて寝転がったまま
蜜色の前髪を掻き上げた。昨夜まで海水でべとべとだった髪は、スカーレルという美貌の
海賊にわけてもらった洗髪剤で本来の艶やかさを取り戻している。サラサラと指の間から
こぼれる髪を無意識に弄ぶ少女は、赤味のかかった白のネグリジェ一枚で、着替えなどと
いうものは部屋のどこにも用意されてはいなかった。
 もう一つ、ため息が出た。
 着替えは、嵐に巻き込まれた豪華客船<成功への船出>号と共に海に沈んでしまった。
これまで身に着けていた赤い礼服は汚れが酷いために洗いに出している最中で、今着てい
るネグリジェも海賊の少女ソノラがスカーレルに贈られたまま一度も使用していないとい
うものを借りている。
(着るものも無いだなんて、初めて)
 寝台の上に身を起こすと、思ったよりも身体が重かった。昨日の朝は野宿明けで身体が
痛かったが、今朝の重さは薄っぺらい安物の寝台のせいではなく、むしろ彼女の心をその
まま反映しているようだった。
(起きたくない……)
 陰鬱に視線を落とす。ネグリジェの胸回りには赤い糸で花の刺繍がしてあり華やかであ
ったが、ベルフラウの気持ちはそれとは対照的に暗い。
(部屋を出たくないだなんて、逃げてるみたいで嫌だけど)
 自分の乗っていた船を襲った海賊たちに会いに部屋を出るなど、進んで出来ることでは
なかった。ある程度事情を聞き、彼らが危険な剣──<碧の賢帝>を回収するためにそれ
を行なったと知っても、警戒心はまだある。
 それに何よりも。
(部屋を出たら、あの人がいるんだもの……)
 微笑むレックスを思い描く。その笑顔は優しくて、頼りがいがある。ベルフラウだって、
素敵だな、と思う。
 船が沈み、海賊たちの中に放り込まれ、それでも笑顔で周囲に溶け込んでしまっている
凄い人。海賊たちにとって、すでに彼は恩人に近い扱いであることを少女は知っている。
さらに排他的な島の住人との和解の糸口をも見つけ、今やこの島に漂流した人間の代表の
ような立場にまでなっている。
(私とは……大違い)
 少女は、部屋に一つだけある窓を見た。窓の向きは北向きで太陽が見えないため、今の
時刻を知る術はベルフラウにはなかった。
 かなりたくさん眠った感覚があるので、さすがにそろそろ部屋を出ないといけないだろ
う。いかに自分と彼を比べて情け無く思おうとも、周りからも情け無い存在だと思われる
のだけは御免だった。
 例えそこに自分の居場所など見つけ出すことが出来なくとも、これから努力で作り出す
ことは可能のはずだった。
 出来ないなら、努力して可能にする。
 自分を高めて、周りに認めさせる。
 それこそが、彼女が一人きりの屋敷の中で見出した、籠の中から飛び出す手段だ。
 折りしも、彼女の行動を促すように扉が叩かれた。浸水などがあった際に、鍵が掛かっ
ていても簡単に破壊出来るように薄く作ってある扉は、叩かれた音も安っぽい。しっかり
頭が目覚めていなければ、廊下を誰かが通り過ぎただけと思って気づかなかったかもしれ
ない。
「どなた?」
「ソノラ──ってわかるかな? 服乾いたから持ってきたよ」
 聞こえてきたのは、少女の声で、ベルフラウはホッとした。同じ女であるし、歳も一番
近いので、警戒心は比較的薄い相手だ。
 衣擦れの音をさせて寝台を降りると、冷たい木の床に素足の裏が触れる。
 起きよう。外に出よう。
 心はネグリジェ一枚の身体と同じように頼りない状態であったが、それでもベルフラウ
は扉の鍵を開けるために歩き出した。





                1


「ん。いい天気だ」
 爽快な気分で目を覚ましたレックスは、透けるような青い空を見上げて大きく伸びをし
た。まだ早い時間、わずかに揺れる船上の甲板には他の誰の姿も見えない。
 昨日まで着ていた服は海賊たちの厚意に甘えて洗濯に出し、今朝のレックスは体格が近
かったカイルに借りた黒い半袖にズボンという格好だ。その姿で<碧の賢帝>を収めた鞘
を手にしているのは違和感よりも滑稽さが目立ったが、同じカイル一家の客分であるヤー
ドに出来るだけ肌身離さず持っているようにと注意されているために仕方が無い。
 船の上を踊るように通り過ぎていく潮風に赤毛を弄ばれながら、レックスは甲板の端に
歩み寄って、目の前に広がる島を見た。
「こうして見ると、やっぱり綺麗な島だなあ」
 思わず感嘆の声も出るくらい、その島は美しかった。
 船が接岸している場所は島の最南端と思われる岩がちな砂浜で、そこから東西に海岸線
が延びている。西側に進むと砂浜がすぐに岩場に変わり、最初の日にレックスとベルフラ
ウが漂着した砂浜に通じる長い岩の通路となる。その通路は内陸側が背の高い岩の壁とな
っているのが特徴で、自然の造形にレックスは観光名所に来たかのように目を輝かせた。
 東に進むと、今度は長い砂浜が続いており、そちら側はまだ未探索だ。しかし、東西合
わせて言えることは、どちらも一歩内陸に踏み込むとすぐさま緑豊かな大地に出会えると
いうことであった。
 昨日はその中から森を眺めたが、今遠くからそれを見ると、やはり圧倒されてしまう広
大さ。島の大部分は背の高い木々に覆われ、中でも一際背の高い木が森の北西部辺りにう
かがえた。その木は大きいと表現するのも馬鹿らしいほどに巨大で、本来なら見えるはず
がない距離であるというのにそれが一つの木であることがあかるほどだった。太い幹の直
径は、下手をすれば海賊船の長さよりもあるかもしれない。
 北東に視線を向ければ、今度はあまり標高の無い山が見えてくる。森の緑に対して地肌
の露出した荒れた山で、頂上近くは白雪に覆われている。
 それらが、甲板の上から見える島の姿だ。普段の自分の背丈よりもずっと高い位置から
見渡した世界は新鮮で、見える範囲が広いだけに島の全体像を想像しやすかった。砂浜に
打ち寄せる波や、青空の下に息づく鬱蒼とした樹海は、自然そのままの未開の大地本来の
美しさを十二分に宿しており、レックスはその眺望を得られた幸運に感謝したくなった。
 そうしてレックスが潮の香りの中で思わぬ眼福に目を細めていると、朝の新鮮な空気を
切り裂く鋭い気合の声が聞こえてきた。何事かと船縁から見下ろすと、桟橋を下りた先の
浜辺で金色の髪をした青年がその逞しい上半身をさらして、突きや蹴りなどの動きを独り
行なっていた。
 興味を惹かれたレックスが船を下りるが、海賊の船長は彼に気づかずに何かの武術の独
り訓練を続けていた。一回一回拳を突き出すごとに動きを止め、腰を落として数歩下がっ
てから拳を戻し、そして左右の回し蹴りを独楽のように回転しながら交互に打つ。かと思
いきや敵の攻撃を想定しているのか、両腕で守りの型を作り、その後に肩からの鋭い体当
たりの動きを見せる。
 何かの決まりごとがあるような一連の流れは舞いのようで、玉のような汗を胸や背から
弾けさせながらの動きは力強く、野生的だった。見ている者の口数を少なくさせる迫力が
ある。
「こおぉ……っ」
 構えたままカイルが深く息を吐くと、その身の周りに黄金色の光の粒子のようなものが
集い、レックスは目を丸くした。光はカイルの拳に吸い寄せられるように流れ込み、彼が
放った右拳は、鮮烈な衝撃をもって大気を打ち抜いた。
 ビリ、と離れた場所にいるレックスの肌が震えるほどの一撃。
 それを最後に、カイルは深呼吸をして訓練を終えた。レックスが拍手をして歩み寄ると、
朝に相応しい笑顔で彼は手を振った。
「よお、先生。よく眠れたか?」
「おかげさまで。朝から精が出るね」
「まあな。俺に喧嘩の仕方を教えてくれた人が、朝の空気はストラの力を高めるって言う
もんだからよ。それに、朝と晩くらいしかこういう時間はねぇしな」
 海賊船の船長という立場の多忙さをぼやきつつ、カイルは下ろした積荷の上に置いてあ
った手拭いで汗まみれの顔を拭く。どれほどの運動量だったのか、髪の毛の先まで汗まみ
れだ。
「ストラって初めて見たよ。カイルが使えるだなんて、正直驚いた」
「はは。俺のは初歩も初歩だけどな」
 カイルはそう言って笑ったが、レックスはたいしたものだと感心した。
 ストラとは、人間が本来持っている生命の力のことだ。一般にストラ使いと言われる者
たちは、特殊な呼吸法と強い精神力によってそのストラを増強し、目に見えるほど強い力
にして治癒や破壊へと使用する。
 生命の根幹に近いストラによる治癒は、単に傷を消すだけではなく身体に活力自体を注
ぎ込み、召喚術では治すことの出来ない病魔さえも消し去ることが出来ると言われ、スト
ラ使いはどこに行っても重宝される。ある意味、医者に近い扱いの者たちだ。
 どれほど修練を積んだ武術家でもストラを修得するのは至難の業と言われるほど珍しい
技術であり、目の前の青年がそれを使いこなすことに、レックスは素直な驚きを隠せなか
った。
 だが、カイルは謙遜でなく言う。
「いくら訓練で使えても、実戦で役に立たねぇうちは自慢出来ねぇよ。実際、先生とやり
あった時にも使わなかっただろ」
「そういえばそうだね」
 初めて会った時のことを思い出し、レックスは頷いた。その顔前に、カイルは自分の拳
を近づけてみせた。
「ストラは怪我を治したり、拳の威力を上げたり出来て便利なんだけどよ、使うのに強い
精神力がいる。精神力っつーか……平常心か? ま、戦いの中でも決して揺れない水鏡の
心を持てっていうのが、先代の遺した言葉だな」
 課題は山積みだ、というふうにカイルは肩をすくめて拳を引く。そして、思い出したか
のように言う。
「ストラに興味あるならよ、俺なんかよりすげぇ奴がいるぜ。俺たちカイル一家に喧嘩売
ってくる海賊一家の副船長なんだけどよ、俺の知る限り実戦でストラを使ってる唯一の奴
だ」
「へえ!」
 カイルのストラだけでも感心したというのに、そのさらに上の話が飛び出してレックス
は再び目を丸くした。しかもそれがまたしても海賊となれば、二重に驚きだ。
「やりあって負ける気はしねぇが、厄介な相手だぜ。この島を出た後も先生がうちの客分
続けるなら、そのうちやりあう機会もあるんじゃねぇか?」
「はは……」
 それは遠慮するよと曖昧にレックスは笑い、それから、船から北東の当たる方角の森に
視線を移して尋ねた。
「朝食前に少し歩きたいんだけど、時間は大丈夫かな?」
「ん? ああ、うちの飯の時間はもう少し後だぜ。俺もひと段落したし、ついていってい
いか?」
「うん、心強いよ」
「抜かせ」
 レックスが快く承諾すると、カイルは白い歯を見せて笑った。汗を拭き終えたカイルが
服を着るのを待ってから散歩に向かうと、やはり二人の会話は剣術や武術に関するものに
なった。
「帝国軍にはあんたより強い奴はいるのか? 謙遜はいらねぇぜ」
「うーん……俺はすぐに除隊したから、詳しくはないよ。あ、でも剣の腕なら俺より上の
人が同期にいたよ」
「やりあってみたのか?」
「一応」
 興味津々のカイルに、レックスは頷いて応える。
「試合は俺が勝ったけど、苦し紛れの足払いが偶然入ったおかげかな。凄い勢いで前進し
てくる攻めの剣で……うん、カイルの戦い方に似ていたかもしれない」
「先手必勝、か」
 ふふ、とカイルの笑みが獣じみたものになる。強い相手と戦うことが好きというのは偽
りではないらしく、今耳にした凄腕の剣士の話に食指が動いたようだ。
(ストラが水鏡の心で使うものなら……確かにカイルは苦手そうかな)
 レックスは、そう苦笑するのだった。
 ベルフラウやソノラのような少女を連れていた昨日とは違い、大人二人の歩幅で進むと
森へは意外に短い時間で辿りつくことが出来、一番最初の木の下をくぐり抜けると、濃厚
な緑の香りにレックスは胸を洗われるようで深呼吸した。
「ん〜。船の上で甲羅干しの後に森林浴って、贅沢だなあ」
「先生そういうの好きそうだしな。これではぐれ召喚獣が出てこなけりゃ、確かにいい島
だぜ」
「カイル……」
「おっと、悪ぃ」
 木陰で眉根を寄せる赤毛の青年に、木漏れ日に金の髪を輝かせてカイルは両手を広げた。
みなまで言うな、という合図だ。
「ただ、今のがカイル一家の考えだと思ってくれ。あの護人とかいう奴らも言ってただろ
うが、言葉が通じねぇ連中は襲ってくるかもしれねぇってよ。そんな場所で本気でのんび
り出来るほど、俺らはのん気じゃねぇのさ」
「……その言い方だと、俺がのん気みたいに聞こえる……」
「違ったのか?」
 冗談めかして、カイルは広げていた手を握る。レックスがそれに対してひとこと言おう
とすると、
「……待て!」
 海賊の目が鋭く反対側を向いた。レックスも、何か大きな生き物が林を掻き分ける音に
気づき、すぐに彼の横に並ぶ。
 だが、次の瞬間二人は呆気に取られて棒立ちになった。
「あ……あう……」
 草木を分けて彼らの前に飛び出してきたのは、胸元の大きく開いた赤い衣装に身を包ん
だ妙齢の美女だったからだ。俗に鬼妖界シルターン風と呼ばれている、植物の蔦にも似た
曲線的な紋様の入った衣装にも驚いたが、その美女が酷く真っ青な顔をしているのにも驚
いた。
 さらにレックスを慌てさせたのは、彼女が現れるなりその場に倒れ、ピクリとも動かな
くなったことだ。
 あまりのことにしばし呆然とした二人の青年は、やがて事態を理解すると素早く女に駆
け寄った。
「だ、大丈夫ですか!? 俺の声、聞こえますか!?」
「う……うう……」
 レックスが頬を軽く叩きながら耳元で叫ぶが、女は呻くばかりでまともな返事は返さな
かった。触れた肌は驚くほど冷たく、熱を持たない汗が浮かんでいた。
「こいつは……脱水症状だな。ちょっと待ってろ」
 症状をすぐさま診て取ったカイルが、訓練用に持っていたらしい水筒を取り出す。それ
を受け取ったレックスは、蓋を開けてまずは女のひび割れた唇を湿らす程度に数滴の水を
垂らした。
「水!?」
「うわ!?」
 途端に女が目を開き、かっぱらうようにレックスから水筒を奪う。そして顔を真上に向
けて水筒を傾けるのを見るに至り、ようやくレックスはその行為を止めた。
「だ、駄目ですよ! いきなりそんなふうに飲んだら身体に障りますっ!」
「あ、やぁんっ!」
「う、うわぁ!?」
 水筒を取り上げて、手が届かないように持ち上げると、女はレックスの身体にしなだれ
かかってきた。体力が無くて倒れたのだろうが、そのやわらかな重みにレックスは頬を染
める。
「やぁだぁ、もっとぉ〜」
「だ、駄目です。だ……っ」
 座ったまま腕を上に伸ばしたレックスの身体を、木登りのように女がよじ登り、青年は
目の前に迫った豊かな二つの膨らみに言葉を詰まらせた。
 彼が硬直しているうちに女は水筒を奪い返し、おしとやかとは言えない仕草で煽り飲ん
だ。
「ぷはぁ〜。生き返った〜」
「そいつは良かった。それでよ、あんた、先生からどいてやってくれるか」
「ふえ? あ……こりゃまた失礼」
 わかりやすい言葉に対して苦笑混じりにカイルが言うと、女は初めてレックスに気がつ
いたというふうに身を離した。それから、ペコリと頭を下げる。
「いや〜、本当に助かったよ。って、あれ? あれれ?」
「今度はなんだよ……」
 いい加減その慌しさに呆れたのか、カイルが尋ねる。すると、彼女はそれに応えずに自
分が現れた林の中をまさぐり、
「あったあった」
 と、拾い上げた眼鏡を顔にかけた。それでようやく落ち着いた女は、地面に座り込んだ
ままのレックスににっこりと微笑みかけ、改めて礼を言った。
「ありがとう、助かっちゃったわ。いやぁ、水分抜けると美味しくお酒が呑めるって話を
聞いたから試してみたんだけど、やりすぎちゃ駄目よねぇ」
「……は?」
 何か聞き捨てならないことを耳にした気がして、レックスとカイルは顔を見合わせた。
そんな二人の様子にも気づかないのか、女はさらに続ける。
「いやさぁ、家にいるとお酒の香りでどうしても堪えられなくなっちゃうから、こうやっ
て外を散歩していたんだけど、まさかその途中で、ねえ?」
「おい、待てよ。じゃあ、何か。あんた、美味い酒を呑みたいってだけで、自分から水を
絶ってたってことか?」
「うん」
「な……」
 そのあまりに軽い物言いに、レックスは絶句した。
 そして。
「なんて馬鹿なことしているんですか!」
「ほえ!?」
 珍しく柳眉を逆立てて怒鳴る青年に、女だけではなくカイルまで目を丸くした。レック
スは、勢いよく立ち上がって言う。
「自分で水を絶ったって……どれだけ危険な状態だったと思ってるんですっ。美味しいお
酒だか何だか知りませんけど、死んだら呑めないでしょう!」
「ほえ……うん。ごめんなさい」
 目をまん丸にしたまま女が頷くと、レックスはため息をついて彼女から水筒を受け取っ
た。説教臭いことは言いたくはなかったが、その余りの馬鹿馬鹿しさに初対面だというの
に叱りつけてしまった。
「まったく……」
「にゃはは。先生はいい人だね」
 やがて、女はにっこりと笑みを作ってそう言った。それは驚くほど無邪気な笑顔で、裏
表のない感想を彼女が言ったのだとわかった。
「次は気をつけるから」
「……二度とやらないでください」
 そのひとことに、レックスは苦虫を噛み潰した顔になるしかなかった。

                ※

 人を食った言動を取る女は、メイメイと名乗った。解けば長そうな黒髪を団子にしてま
とめており、眼鏡の奥のとろんとした端の垂れた瞳が神秘的な印象を与える美女だ。聖母
と見紛うほどに優しげで整った顔立ちをしているのだが、だらしなく口を開いて笑う姿で
台無しになっている。
 脱水症状からの復活が早すぎるのを疑問に思ったが、彼女の頭から生えた木の枝にも珊
瑚にも似た形の角を見て、なるほどと納得した。
「メイメイさんは、シルターンから召喚されたんですか?」
「そ。あなたたち、島の者じゃないみたいだけど、少しは事情をわかってるみたいね。護
人さんたちには会った?」
「ええ」
 レックスが頷くと、メイメイは目を細めて笑った。
「よそ者には少し厳しいけど、根は良い子たちなのよ。仲良くしてあげてね」
 それはまるで、メイメイが護人たちよりも遥かに年長者であるというふうな言い方であ
った。だが、召喚獣の年齢は外見から察することが出来るのかどうかもレックスにはわか
らないので、見たままの年齢ではないかもしれない、程度の想像に留めておく。
(……子供っぽく見えるんだけどなあ)
 と考えた途端、やや前方を歩いていたメイメイが振り返ってジロリと睨んできた。
「今、失礼なこと考えたでしょ〜」
「い、いえ、そんなことないです」
 心の中を読まれたかのような言葉に、レックスは慌てて首を横に振った。その時、ちょ
うど一羽の鳥が頭上の木の枝から飛び立っていく。
 三人は森の中を奥へと進んでいた。メイメイがお礼をするというので、彼女の家に招か
れたのだ。
 メイメイの後をついていくと、森の中にも道と呼べるものがあるのだとレックスは気が
ついた。もとは獣道程度だったものを、多くの者がそこを通って利用し、長い年月をかけ
て地面を踏み固めて出来た天然の道だ。足を引っ掛ける根っこも無い道は歩きやすく、こ
の島には確かに生活する住人がいるのだと感じさせる。
 やがて、最初に出会った場所からそれほど歩かずにそれらしい建物が姿を見せた。森の
木々の間に、こじんまりとした赤塗りの木造建築が建っていた。シルターンの竜が彫り込
まれた四つの柱に支えられたその家の屋根は、瓦で出来ている。普通の家というよりも大
きな芸術品という趣のある建物で、レックスとカイルは感心しながらその扉をくぐること
になった。
「はい、メイメイさんのお店にようこそ〜!」
「お店……なんですか」
 入ってみれば、なるほどそこは幾つかの商品の並ぶところであった。
 主に扱っているのは生地らしく、タンスの引き出しが引かれて色彩豊かなそれらが展示
されていた。他には紙袋に入った薬や、その原材料のままの植物、香草など。鍋やスプー
ンなどの生活用品も揃っており、雑貨店の印象がある。
「へえ。こんなところで商売になるのかよ?」
「そこは需要と供給。この島のみんなは、それぞれの世界から召喚されてきたから、そっ
ちの世界のものを扱えば結構売れるんだな、これが。元手はタダだし、メイメイさん大儲
けっ。えっへん」
「元手がタダって……どうしてですか?」
「それは秘密」
 唇の前で指を一本立てて、メイメイは片目を瞑ってみせた。釈然としないものを感じた
が、レックスはカイルと一緒になって商品を物色することにした。
「ふうん……」
「なんか普通のもんばっかりだな。はぐれ召喚獣の島って言うから、もっと面白いもんで
もあるのかと思ったぜ」
「む、失礼な。じゃあ、お二人にはぴったりな商品を用意してあげるわよ」
 すぐに飽きたカイルが言うと、メイメイが店の奥の間に一回消えて、すぐに戻ってきた。
黒い布切れを渡されたカイルは怪訝そうな顔をしたが、すぐにサッと顔色を変えた。
「な……海賊旗。なんでこんなものが!?」
「ふふ……お兄さん、海賊さんでしょ? しかも嵐で旗を無くして困ってるんじゃないか
な〜?」
「……どうして知っている」
 ケラケラとメイメイが笑うと、対照的にカイルの視線が厳しくなった。それまでの呆れ
たりしていた態度が一瞬にして海賊本来のものに戻り、眼鏡の美女を睨みつける。
 その剣呑な空気に気がついてレックスがカイルを止めようとすると、それよりも先にメ
イメイが店の番台の上に置いてある大きな水晶球に手を乗せた。
「ふふん、不思議? アタシは占いもするのよ。この島のことなら、大抵のことはわかっ
ちゃうんだから。凄い? 凄い?」
「……あー、そーかい」
 ほんの刹那の間だけ賢人めいた瞳の輝きを見せたメイメイであったが、すぐさまその表
情は褒めて褒めてとねだる子供のものに変わった。その様に暖簾に腕押しだと思ったのか、
カイルはため息混じりに自分の髪を掻き上げる。
「ま、確かに海賊旗がねぇと格好つかねぇからな。ありがたくもらっておくぜ」
「毎度あり〜。あ、お代はさっきのお水で結構だから」
「へへ」
 なんやかんや言いつつ、カイルはかなり嬉しいらしく、黒地に白で髑髏の描かれた海賊
旗を眺めていた。続いてメイメイは一冊の本をレックスに差し出した。
「はい、先生にはこれ」
「書き方の本……ありがとうございます」
 頁をめくってみると、リィンバウムの共通文字の綴りを扱った本だった。一頁に四つず
つ文字が並び、それを手本にして余白に書き込んでいく形式だ。
(でも、ベルフラウにこんなの渡したら怒りそうだな)
 初歩的過ぎる本の内容にレックスが苦笑していると、メイメイが意味ありげな微笑みを
浮かべて言う。
「にゃはは。その本は大事に取っておいてね。絶対に必要になるから」
「はあ」
 生返事を返して、レックスはもう一度店内を見渡した。カイルは興味を持たなかったよ
うだが、レックスには貴重な情報が多かった。それを察したのか、メイメイが隣に並んで、
ちょうどレックスが見ていた扇子を手に取る。
「なに? 先生、こういうのに興味ある?」
「そうですね。これ自体……というよりも、これを買いに来る人に興味があります」
「ほえ?」
「メイメイさんが言っていた通り、ここにある商品って需要があるから置いてあるんです
よね。俺、まだ島の人たちのこと全然知らないけど、ここの商品を見ているとなんとなく
その人たちの姿が見えてくるような気がするんです」
 例えば、とレックスは銀で出来たスプーンに触れた。
「食事をする時、俺たちと同じような食器を使うんだな、とか。別世界の人たちでも、似
たところがあれば理解しあえるでしょうし、ホッとします」
「なるほどね〜……面白いわ」
「ですよね」
「うんにゃ、先生が」
「は?」
 思わず小首を傾げてしまうレックスの額を、メイメイは人差し指で突いた。姉が歳の離
れた弟に対してするようなそれに、レックスは憮然とした顔で照れる。
「な、なんですか」
「にゃはは、なんでもな〜い」
 言って、メイメイは番台の裏から一抱えもある瓶を取り出して煽る。レックスはまだ水
分が足りないのかと思ったが、ぷはぁ〜と吐かれた息の匂いに呆れるしかなかった。
「お酒……」
「美味しい〜。お水も助かったけど、やっぱりお酒が最高だわ、こりゃ。にゃはは、どう
せならお酒を呑ませて起こしてくれたんだったら良かったのにね〜」
 どこまでも陽気な美女の様子に、レックスとカイルは朝っぱらから思い切り疲れてしま
った表情で店を後にするのだった。

                ※

 レックスたちが海賊船に戻ると、浜辺に海賊たちが集まって朝食の準備をしていた。大
人数用の大鍋で魚や乾燥野菜を煮込んでおり、磯の香りと相まってレックスの腹は早くも
音を立てて鳴りそうだった。
「あーもうっ。カイルったらどこ行ってたのよ。センセも」
 戻ってきた二人を目ざとく見つけ、小皿にスープを取って味見していたスカーレルが唇
を尖らせた。
「いつまで経っても戻ってこないんだから、何かあったかと思ったわよ」
「……その割には、楽しそうに味見してるじゃねぇか」
 他に聞こえないようにカイルが呟き、レックスは苦笑した。
 いくら海賊とはいえ、陸地が目の前にあるならそこで食事をしようというのが自然な成
り行きらしく、すでにそこにはほぼ全ての海賊が揃っていた。無意識にベルフラウの姿を
探したレックスは、海賊の集団から少し離れた所に彼女とソノラを見つけて足を向けた。
「おはよう、二人とも。ベルフラウ、よく眠れたかい?」
「おはよ、先生」
「おはよう。ええ、服も洗ってもらったし、助かりましたわ」
「そう、良かった」
 朝の元気いっぱいのソノラの笑顔と、感情を読み取らせないようにしているベルフラウ
の顔。ことさら強調された丁寧語は彼女からの壁のような気がして、レックスはカイルの
時から引き続いた苦笑をさらに継続した。
 と、ソノラがカイルの手にした布に興味を示す。
「アニキ、それ何?」
「おお、実はな、先生が胸のでかい変なねーちゃんを助けたら、そのお礼にってな」
「……アニキ下品だよ」
 ニヤニヤ笑って両手で女性の胸を表現するカイルに、ソノラが客分を気にして頬を赤く
する。鍋の近くで、スカーレルも額に手を当てて閉口した。
 妹の冷たい視線に、カイルはわざとらしい咳払いをすると、もったいぶらずに海賊旗を
広げてみせた。予想もしなかったそれに、ソノラが素っ頓狂な声を上げる。
「海賊旗!? 何それ、なんでそんなものあるの!?」
「へへ、すげぇだろ。おーい、誰かこいつを船に取り付けてこい!」
「へい」
 呼びかけるとすぐに海賊の一人が駆け寄ってきて、カイルから新しい海賊旗を受け取っ
た。それがマストに掲げられるまでの間に、カイルは森の中で会ったメイメイという美女
について全員に語った。
「そんなすげぇ美女ですか、カシラ」
「おお、酒好きの妙な女だけどよ。胸なんかこう、ばーんって感じでな。あれだけの女は
そういねぇよ」
「ほほう」
 さすがに海賊たちの関心は、店の内容などよりもカイルの語る極上の美女についての情
報らしく、まだ見ぬメイメイなる女性に皆が鼻の下を伸ばしていた。そのような男たちの
姿にソノラは頭を抱えて恥じ入り、全員が料理を放り出してしまったので仕方なく鍋の番
をしながらスカーレルとヤードは苦笑した。
 ベルフラウはソノラの隣で、海賊たちに辛辣な視線を向けていたが、
「でな、その女が先生の身体にすがりついてよ、その時の先生の顔を見せてやりたいぜ。
でかい胸に顔埋めてよ、真っ赤になって悲鳴あげてるんだぜ」
「おお〜」
「へぇ」
 ピクンと少女の眉が跳ねた。うらやましがる海賊たちの声に重なるようにベルフラウの
押し殺した声が聞こえ、レックスは思わず身を硬くした。
「べ、ベルフラウ?」
「ずいぶんお楽しみだったみたいですわね、綺麗な方と」
「い……いや、違う。確かに綺麗な人だったけど、別に俺は顔を埋めたりなんかしてない
からっ」
「ふぅん?」
 レックスは必死に弁明したが、それでもベルフラウの冷たい視線は変わらなかった。心
なしか、ソノラの視線まで強い。
「まあ、別にあなたがどこのどなたと親しくされようと私はかまいませんけど、使用人と
してのお勤めに支障が出ない程度にお願いしますわ。あなたは、私の学業の手助けをする
ために雇われたんですからね」
「そ、それはもちろん」
 嫌味のたっぷり込められた丁寧語の連発に、レックスは乾いた笑顔で頷いた。
(こうなるってわかってたから黙っていたのに……)
 ベルフラウの潔癖症を予想しておきながら、カイルに口止めするのを忘れていたレック
スの失敗である。そのカイルが面白そうにニヤニヤ笑いながらこちらを見ているので、レ
ックスは恨みがましい視線を向けさせてもらう。
「はは。ま、女にはわからねぇって。飯にしようぜ」
 そう言って、何事も無かったかのようにカイルは全体に合図を送る。そうすると、空腹
の海賊たちが我先にと鍋へと群がり始めた。
 放っておけば具の一欠片も残さずに平らげてしまいそうな勢いに、レックスはベルフラ
ウに言う。
「じゃあ、俺たちも行こうか」
 だが、ベルフラウは動かなかった。レックスが訝しげに見ると、少女は彼を上目遣いに
睨み、当然のように言った。
「取ってきて」
「ああ、そうか」
 ベルフラウの催促に、レックスは納得して苦笑した。帝国有数の商家であるマルティー
ニ家の一人娘が海賊たちに混じって朝食の奪い合いをするのは、あまりに似合わない。そ
れこそ普段の食事も使用人に運ばせているのだろう、とその豪華な食事風景を想像する。
 だから、レックスはそれほど抵抗もなく頷いて請け負ったのだが、小走りに混雑に向か
う青年の姿にベルフラウはきゅっと唇を結ぶ。
 レックスは知らない。ベルフラウが家では使用人の手を煩わせないことを第一に生活し
ていたことを。そうすることこそが大人になることなのだと思っていたことを、知らない。
 そのためレックスは、どうしてベルフラウがそのようなことを言い出したのか疑問に思
うことすら出来なかったのだ。





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