サモンナイト3 レックス×ベルフラウSS <サモンナイト3 全編ノベル化計画作品 2>                第ニ話             「はぐれものの島」                 序  子供であることの不自由さは、籠の中の鳥に似ていた。  外の世界は危ないからと、狭い家の中に閉じ込められて私は育った。外に出る時はいつ も誰かの監視つきで、一人で自由に歩いたことなんて生まれてこの方一度も無かった。  いつだって私は籠の中で、誰かが餌を与えてくれなければ飢え死ぬだけの、か弱い存在 として扱われてきた。それが愛情なのだと大人たちは言う。  でもね、お父様。私は籠の中にはいたくない。  どんなに豪華でも、どんなに素敵な餌が用意してあっても、そこにはいつも私一人しか いないのだから。他のみんなは、全員籠の外にいるのだから。  どうすれば、この籠から外に出してくれますか。  籠の中にいなくても良いくらいに強いことを見せれば良いのですか。  私は、がんばっています。  勉強だって家庭教師がいらないと証明するために、毎日遅くまで机に向かっています。  自分の身は自分で守れるように、子供でも扱える弩(いしゆみ)を訓練し、大会での成 績はお父様もご存知の通りです。  身の回りのことだって、もちろん全部自分で出来るようになりました。  それでも、まだ駄目なのでしょうか。  それでも、まだ私は子供なのでしょうか。  私はいつ大人になれるのでしょうか。  私はいつこの籠を飛びたてるのでしょうか。  私はいつ『鳥』から『私』になれるのでしょうか。  お父様――。                 1 「――とうさま……」 「ビィ?」 「あ……」  頬に触れたやわらかいものに、ベルフラウは瞼を上げてぼんやりとそれを見た。身を守 るように手足を縮こまらせて丸くなって横になっていた少女の頬を、人の頭大の球形の生 き物が小さな手でつついていた。  鬼妖界シルターン風の、不可思議な紋様の浮かび上がった赤い身体。大きな目が心配そ うにベルフラウを覗き込んでおり、少女はその生き物の名前を思い出した。 「オニビ……」 「ビィ〜」  それはベルフラウがつけた名前だ。もとの名前がどういうものなのかはわからないが、 オニビはその名前に機嫌良く反応してくれた。そのことが嬉しくて、ベルフラウも寝転が ったまま口元に微笑みを浮かべる。  ぼんやりとした思考が晴れてくると、彼女は身を起こして周囲を確認した。  海が目の前にあるのは、昨夜のままだ。半魚人に襲われた岩場の中でも大きな岩を選ん で風除けとし、焚き火を焚いて眠りについた。ベッドも無しに寝るなどベルフラウには初 めての経験だったが、疲れが濃かったのか、昨夜はすぐに眠ってしまった。 「痛……っ」  身体を動かすと、所々が痛んだ。慣れない野宿の痛みに顔をしかめ、さらにベルフラウ は全身を包む不快感に閉口した。海水に浸かった服を野ざらしにし、身体を洗うことも出 来ずに眠りをついたのだ。これまでの人生の中で、そのような不衛生な目にあったことは ない。 「最低ね……」  思わず口をついて出る。  そこで、少女はハッと気がついた。 「あの人は……オニビ、あの人はどこに行ったの?」  それにオニビが応えるよりも前に、声が遠くから届いた。 「ベルフラウ! 起きたみたいだね。ちょっと手伝ってくれるかいっ」 「え?」  大きな呼び声に、ベルフラウはわけがわからずに目をパチパチとさせた。見ると、岩場 の端の方を赤毛の青年がよろめきながら歩いていた。 「何を……鍋?」  視界に入ったものに、ベルフラウはきょとんとした。しかし、レックスが鍋や剣といっ た雑多なものを腕いっぱいに抱えているのを見て、とりあえず言われた通りに手助けに駆 け寄る。 「そんなもの、どこで拾ってきましたの?」 「浜辺に打ち上げられてたんだよ。――ありがとう」  細長く持て余していた剣をベルフラウに受け取ってもらい、レックスは大きな鍋を抱え なおす。ベルフラウが覗き込むと、鍋の中にはお玉やスプーンなどの食器が詰められてい た。 「浜辺にって……この島にはそんなに物が流れ着くのかしら?」 「いや、滅多に無いと思うよ。これらは新しいものだから、たぶん……ね」 「あ……」  歯切れ悪くレックスが言い、ベルフラウも彼が言いたいことがわかった。自然と、二人 は沈黙してオニビの待つ場所へと戻る。 「水を汲んでくる。オニビ、ベルフラウを頼んだよ」 「ビビィ〜」  任せておけ、とオニビが身体全体で頷くと、レックスは空元気の笑みを浮かべて今来た 方向とは逆に歩いていった。昨夜彼が東と言った方向だ。  それを見送り、ベルフラウはため息をついて手ごろな岩に腰を下ろした。日はまだ真上 には遠かったが、雲一つ無い空は昨日の嵐からは信じられないほどだ。またいきなり天候 が悪化するのでは、という不安を覚えながら視線を海に向けると、そこには穏やかな青い 海と、その先の水平線があるのみだった。  海は、太陽の光を波で乱反射させてキラキラと宝石のように輝いている。状況さえ忘れ れば見惚れるほどに美しい光景であったが、静かな波の音だけが聞こえる中で、再びベル フラウはため息をつく。 (助からなかった……のかしら。ジェットも、おば様たちも)  同乗していた知人の顔を思い出し、ベルフラウは唇を噛む。首を横に振って、 (いいえ。護衛艦がいたんだもの。そっちに救出されたに決まってるわ)  無理矢理そう思い込むことに決めた。確認のしようも無いし、嫌な想像は出来るだけし たくはなかった。  そのようにベルフラウが考えていると、レックスが鍋一杯に水を湛えて戻ってきた。ベ ルフラウは海水は飲めないだろうと主張したが、 「この水は、蒸留して真水に変える。でも、時間がかかるから、とりあえずの水分はこれ で補って」  渡されたのは、見たことが無い小さな実だった。米のような細長い形をしていて、色は 緑。大きさも米程度で、それがひとすくい分少女の手に乗せられていた。 「これは?」 「コチの実だよ。暑い地方でたくさん採れる実でね、産地だと畑仕事の合間にそれを食べ る。そこの林で見つけたんだ」 「……食べても大丈夫なんでしょうね?」  不審げにレックスを見るが、 「俺はもう食べてみたよ。なかなか美味しいから、安心して」  微笑んでいた。その微笑に促される形で、ベルフラウは実の一個をつまんで、思い切っ て口に入れた。奥歯で潰すと、シャリッという食感と共に、大きさの割に多めの水分がカ ラカラの喉に流れ込んだ。それを確認したベルフラウは、すぐにでも残り全部を食べてし まいたくなったが、その思いをぐっと堪えて、微笑むレックスを上目遣いに睨みつけた。 「確かに……食べられなくはないわ」 「だろ?」  少し得意げになるレックスに、ベルフラウは頷いて言う。 「使用人としては、確かに合格点ですわね。お父様も良い人を紹介してくれたわ。教師と しては、知りませんけど。そもそも、この状況じゃ勉強どころではありませんしね」 「う……まあ、さすがにね。君の教師面するのは、この島を出てからかな」  一気に苦笑まで落とされたレックスは、ところで、と告げる。 「お腹空いてない? 実は、俺はかなり」  同時にレックスの腹がぐぅと音を立て、彼は頬を赤らめて頭を掻いた。その様子に、ベ ルフラウは自分の空腹には知らない顔をして、肩をすくめる。 「……恥ずかしい人ね」  今朝も、ベルフラウは釣りのために髪の毛を数本提供することになった。                 ※  焼き魚で腹を満たしたレックスたちは、それからの行動について決定することにした。 とは言っても、レックスが案を出し、ベルフラウに承認を求めるという形の、一方的な相 談だ。 「まず、誰か人がいないかどうか探してみよう。これだけ大きな島だから、人が住んでい る可能性はかなり高いと思う。距離的にもアドニスの港とパスティスの間くらいだし、港 があってもおかしくはないよ」 「ええ。あなたに任せるわ」  さすがのベルフラウも、小言程度ならともかく真面目な方針でまで、レックスに刺々し い言葉を向けることはしなかった。レックスの慣れた様子は頼もしかったし、自分に何も 良い案が無いことは、それこそ自分が一番理解している。  だから、少女はポツリと言う。 「感謝はしているわ。あなたがいてくれて良かった……私一人じゃ、ご飯の作り方も知ら ずに、今もお腹を空かせていたでしょうね。焚き火の起こし方だって、私は知らないわ。 ……あなたといると、自分が子供だって思い知らされるわ」  それは、感謝にしては悔しそうな言葉だった。自分の無力を噛み締めているようで、少 女の瞳はレックスではなく自分の足元に落ちている。  だが、レックスはそれに首を横に振った。 「そうじゃないさ」 「え?」  驚いて、ベルフラウは青年を見上げた。海の底の色をした瞳が、少女を見つめ、元気づ けるようにして言った。 「ベルフラウ。ここまでのことは、俺も学んだから出来ることなんだよ。火の起こし方も、 魚の獲り方も、軍学校で学んだことなんだ。だから特別に凄いことじゃないし、学べば君 にだって出来るようになる」 「学べば?」 「そう。例えば、君は昨日から俺のすることを見ていたから、魚の獲り方も火の起こし方 もわかってる。次に同じことをする時は、君に任せられるんじゃないかな?」 「それは……ええ、もちろん、覚えたけど」  穏やかに言うレックスに、ベルフラウは戸惑う。彼の言おうとしていることが、読めな かった。  レックスは続ける。 「だったら、俺は君に役割を割り振って、その間に別のことが出来る。いいかい、俺は君 が子供だから昨夜から一人で作業をしているんじゃない。君が知らないから俺がやっただ けなんだ。大人でも出来ない人は出来ないし、問題は知っているか知らないかだよ」 「知っているか、知らないか……」 「うん。知識なんてそんなものだよ。知識を詰め込んでも、大人になれるわけじゃないし」 「っ!」  そのひとことに、ベルフラウは目を丸くした。  知識を詰め込んでも、大人にはなれない。  出来ること、出来ないこと、は子供大人には関係ない。 「じ、じゃあ、何が大人なの? 何をすれば大人になれるの!?」  気がついた時には、ベルフラウはレックスの服を掴んで叫んでいた。レックスは驚いた が、少女の真剣な顔を見て、慎重に言葉を選ぶ。 「そうだな……大人と子供なんて、簡単に線を引けるものじゃないと思う。でも、俺は人 が大人になるのは自分の生き方を決めた時だって思ってるよ」 「自分の……生き方?」 「うん。自分が何をするために生きるか、決めた時。子供の時期っていうのは、それを模 索する時期なんじゃないかな? まあ、俺の場合は、生まれた村が貧しかったし、戦争に 巻き込まれた人をたくさん見たことがきっかけで、軍人になろうとしたんだよ。弱い人た ちを守れるようにってさ」  そう告白するレックスの瞳には、嘘の色は無い。迷いの色も無い。しかし、だからこそ ベルフラウは負い目のようなものを感じて視線を逸らした。 「そう……よくわかったわ。ありがとう、参考になりましたわ」  胸が、ざわめいていた。                 ※  結局、レックスが持っていくと決めたのは、彼らの危機を救った碧色の剣と鍋だけだっ た。現状では食器を使うような料理は出来ないだろうし、剣はかさばるので一本あれば充 分だったからだ。  レックスが提案したのは、海岸線を東回りに進むことだ。出来るだけ森には入らずに集 落を探したいのがレックスの本音である。 (この子の体力じゃ、森を掻き分けて進むのは無理だ)  ベルフラウに言えば不機嫌にしてしまうので口にはしないが、少女の存在はレックスの 行動範囲を驚くほど狭くしている。半魚人の例もあるので、常に駆けつけられる位置を保 たなければならないのだ。  少しの時間ならばオニビの存在があるので大丈夫だろうが、と考え、レックスは自分た ちの間を浮遊する赤い球体を撫でた。 「君がいてくれて良かったよ」 「ニビビィ〜!」  褒められたことがわかり、オニビが空中で宙返りをうつ。思った以上に自在に空を飛ぶ はぐれ召喚獣に、レックスはふと思いついて尋ねた。 「ベルフラウ。昨日オニビと出会った時の話だけど、近くに人影とかはなかったかな?」 「人影? いいえ、見ませんでしたわ」 「そうか……オニビを召喚した召喚師がいたんじゃないかって思ったんだけど」  返ってきた否定に、レックスはいよいよ不思議そうにオニビを見た。ベルフラウもそう なのか、オニビの身体を両手で挟んで訊く。 「ねえ、オニビ。あなた、誰に召喚されてこの世界に来たの?」 「ビ?」  しかし、オニビは質問の意味がわからないという顔だ。ベルフラウは肩をすくめ、レッ クスもそれ以上の追求は諦めた。召喚獣の知力は様々だが、オニビのそれは犬かそれより 少し高い程度に見えた。感情を伝え合うことは出来ても、細かな質問などは無理に思えた。  そのまま二人と一匹で岩場を東に進んでいると、内陸側に見えていた森が途切れ、背の 高い岩盤がそそり立つようになった。小一時間も歩くとベルフラウが退屈して、レックス の横顔に言う。 「何か話してくれないかしら? 勉強の話でもいいんだけど」 「え? じゃあ、歩きながら出来るところで、歴史でもしようか!」 「……嬉しそうね」  パァッと顔を輝かせたレックスに、ベルフラウが呆れた。実のところ、レックスは家庭 教師らしいことをしたくてたまらなかったのだ。だが、船上で反省して押し付けるのをや めたことや、現在の状況が彼のそれに歯止めをかけていた。  そんな時に、ベルフラウ本人から待ちに待った要請があったとなれば、レックスは足取 りも軽く人差し指を立てる。 「そうだな……エルゴの王の話は知ってるかな?」 「ええ、当然ですわ。この世界、リィンバウムに異界からの侵略を防ぐ結界を張った人物 でしょう?」  いきなり生き生きとしだしたレックスに、ベルフラウは釘を刺すようにそう言った。し かし、レックスはめげずに次の段階へと進む。 「じゃあ、エルゴの王のエルゴとは?」 「確か……<界の意志>のことですわよね? 各世界には世界そのものに意志があり、世 界の秩序のために働くと聞いています」 「そう。エルゴの意志を受けた特別な人間のことを、エルゴと呼ぶこともある。エルゴの 王は、全ての世界のエルゴから尊敬と協力を得た歴史上ただ一人の人物で、その強大な力 で他界からのリィンバウムへの侵略を防ぐ結界を張った。その後、リィンバウムの統一王 として人々を導いたのは、君も知っている通りだ」 「ええ」  リィンバウムに生きる者であれば、誰もが知っている物語。<界の意志>の力を受けて あらゆる奇跡を行い、リィンバウムに平和をもたらした英雄王。 「エルゴの王に関することは、軍学校の入学試験には必ず出題されるから、詳しく知って おいて欲しい。それで、ここからは派生問題だけど、エルゴがリィンバウムの人間に与え た歴史的なものと言えば?」 「召喚術でしょう?」  何を当たり前のことを、とベルフラウが得意げに応えると、レックスはしてやったりの 笑みを浮かべた。 「残念。四界からの侵略を受けていたリィンバウムの人々にエルゴが与えたのは、送還術 っていう、相手をそれぞれの世界に追い返す術なんだ」 「え?」 「だけど、人々は戦いの中で送還術を逆用することを思いつき、召喚術を生み出した。現 在送還術があまり知られていないのは、もう用の済んだ召喚獣をもとの世界に還すのにし か使われないからだよ。召喚術の一部という扱いにしかなっていない。だから、君が知ら ないのも無理はないかな」 「それは……知りませんでしたわ」  悔しそうに、ベルフラウが言う。レックスは頷いて、さらに説明を続けた。 「召喚術は、ただ送り還すだけの送還術と違って、人足や動力として召喚獣を使うことも 出来る。人々の飲み水を海水を召喚獣で真水に変えて得ている街もある。現在のリィンバ ウムの発展は召喚術のおかげと言っても差し支えない。エルゴも人間の工夫にびっくりし ているかもね。召喚術とエルゴの関わりは、そんなところだよ」 「なるほど……そういえば、あなたも召喚術は使っていましたけど?」 「うん。興味あるかい?」 「ええ」  珍しく子供らしい瞳の輝きを見せ、ベルフラウが肯定した。異界の住人を自由に使役す る召喚術は、リィンバウムの子供たち全ての憧れだ。ベルフラウもその例に違わないらし い。  そのことを微笑ましく思い、レックスは懐に手を入れ、そして眉根を寄せて取り出した。 取り出そうとした召喚石は、船上でのカイルとの戦いで甲板に落としたままだったのを思 い出したのだ。 「どうしましたの?」 「いや……召喚石を見せてあげようと思ったんだけど、落としたみたいで……」 「そう」  少し残念そうに、ベルフラウは苦笑する。彼女も、レックスが召喚石を甲板に転がした のは目にしていた。その後はすぐに別の騒動が始まっていたし、紛失は仕方ないことと言 えた。 「あ、で、でも、少し話そうか。何か召喚で聞きたいことはあるかい?」  失望させてはいけないと思って、レックスが慌ててそう言うと、ベルフラウは歩きなが ら自分を見る青年に尋ねる。 「なら、あなたはどんな召喚術が得意なのかしら?」 「俺は幻獣界メイトルパの術が比較的得意かな」  隠さずにレックスは教えた。 「召喚術は各世界の住人を呼び出す術だから、効果に関してはどの世界だからこうという のは決まっていない。でも、大体の傾向としては、機界ロレイラルが大規模な破壊力に優 れた機械兵器。幻獣界メイトルパが、小規模だけど幅広い能力と高い生命力を併せ持つ持 つ幻獣。鬼妖界シルターンが、幻や結界などの奥深い力を得意とする妖怪。霊界サプレス が、治癒の力や精神を操る力に優れた天使や悪魔。──そんな感じかな」 「ふうん。オニビは、鬼妖界から召喚されたのよね?」 「そうだね」 「ビィ?」  自分のことが話題になり、オニビがベルフラウの腕の中で目をパチパチとさせる。愛ら しいその姿に、レックスもベルフラウも口元をほころばせた。  と、その時のことだ。 「お〜い!」  遠くから人の声が聞こえ、二人は弾かれたように顔を前に向けた。すると、遠すぎてわ からなかったが、かすかに人影のようなものが手を振っている。 「人?」 「どうやら人は住んでいたみたいだね。――お〜い!!」  レックスも声を張り上げて手を振り返した。ベルフラウはようやく人里に辿り着けたの だと、ホッと胸を撫で下ろしたが、段々と近づく声の主の姿に、レックスの服を掴む。首 を傾げてレックスが見ると、ベルフラウの表情は強張っており、そのただならぬ様子にレ ックスも改めて歩み寄って来る二つの影を見た。 「あれは……あ!」 「お?」  気づいたのは相手も同時だった。お互いの距離が近づき、それぞれの特徴がはっきりと わかるようになると、レックスは二人のうちの片方の名前を呟いた。 「カイル……さん?」 「なんだよ。先生じゃねぇか」 「海賊……っ」  ベルフラウが怯えた顔になって、掴んだレックスの服を引いた。引っ張られてベルフラ ウを庇う形で前に立たされたレックスは、苦笑を浮かべて金髪を掻く青年と、彼と行動を 共にする灰色の髪の青年を順に見た。前者はレックスも知る通り海賊の一家の頭領だった が、後者はとてもではないが海賊には見えない、哲学者風の雰囲気を持った男だった。  口火を切ったのは、カイルの方だ。 「あ〜、まあ、だいたいの事情はわかってるぜ。あんたらも流された口だろ」  肩をすくめ、次に非戦を表すかのように両手を開いて示してみせた。 「人を探してみれば、見つかるのはご同輩とはな。先生、色々あったかもしれねぇけどよ、 ここは船でのことは忘れて休戦ってことにしねぇか?」  その余裕のある物言いに、ベルフラウは癇に障るものを感じた。思わず、刺々しい声で 言う。 「ずいぶん勝手なことを言うのね。もとはと言えば、あなたたちが船を襲わなければ、嵐 の中だって船は大丈夫だったかもしれないのにっ」 「ベルフラウ……」 「いいぜ、先生。お嬢ちゃんの言うことはもっともだ。わびはいれねぇといけねぇな」  次に起こったことに、レックスとベルフラウ、そしてカイルの隣にいた男までも驚いた。 誇り高い海の男であるカイルが、その場で膝を折ったと思ったら地面に手をついて、深々 と頭を下げたのだ。  真っ直ぐに地面を見つめ、カイルは言う。 「言い訳はしねぇ。あの船が沈んだ原因の半分以上は俺たちにある。だからよ、落とし前 はキッチリさせてもらう。あんたら二人を近くの港まで俺たちの船で運んでやる。そうい うことで、ここは収めてくれねぇか」  こちらの顔色をうかがうようなことはカイルはしない。許しを請うわけでもなく、開き 直るわけでもなく、落とし前をつけるという海賊に、ベルフラウはしばし沈黙してチラリ とレックスを見た。赤毛の青年が頷くと、ベルフラウは大きなため息をついて、彼の言い 分を受け入れた。 「わかったわ。でも聞かせてちょうだい。あなたたちがもう一度襲ってこないって保証は あるの?」 「お? さすがに保証はねぇな。はは、こりゃ困った」 「ちょっと……っ」  笑いながら立ち上がったカイルに、ベルフラウは不信感を込めた瞳をぶつけた。それを 軽く流したカイルは、だがよ、とレックスに視線を向けて言う。 「そっちの先生の腕は見せてもらったからな。あんたさえ良ければ、落とし前ってこと以 前に、客分としてうちの船に迎えるぜ。ま、臨時の用心棒って感じだな」 「俺が用心棒?」  いきなりの申し出に、レックスが目を丸くする。カイルはニッと白い歯を見せて笑って 続けた。 「ああ。そうすりゃ、あんたがいる限りそっちのお嬢ちゃんの身の安全はカイル一家が全 力を持って守る。お嬢ちゃんの言う保証ってのを、俺がいくら口にしても信用しねぇだろ うからな。先生、あんたが保証になるわけだ」 「取引、ということですね」  それまでずっと黙って成り行きを見守っていた青年が口を挟んだ。灰色の髪の青年は、 ベルフラウのまだ納得していない顔を見てやんわりと言う。 「お嬢さん。彼はあなたにも納得してもらえるよう、お互いに利益を与え合う取引の形に しようとしていますが、カイル一家の誠実さは私が保証しますよ。私も彼らと付き合うよ うになってから知ったのですが、海賊にとって、約束やメンツというものは何よりも大切 なものなんです。海という場所で、海賊という商売を続けていく上でね」 「そういうこった。海の上ってのはな、何が起こるかわからねぇ。昨日みたいな嵐だって ある。その中で必要なのは、お互いに信用し合うことだ」 「海賊が……信用?」 「おおよ」  それこそ信じられないという顔をした少女に、カイルは心底楽しそうに笑った。 「俺たちは船を襲う。奪いもする。だがな、約束だけは破らねぇ。一度口にしたことは、 復讐だろうが守ることだろうが、絶対にやり通す。それが出来ねぇ奴は、信用出来ねぇ。 信用出来ねぇ奴に、嵐の中で舵を任せられるか? 狭い船の中、一緒に暮らせるか? そ ういうこった」  まるで誉れある騎士のように胸を張り、カイルは言い切った。堂々とした様には一点の 負い目も無く、信念のみが見て取れる。  その姿に、ベルフラウはレックスに感じたような鈍い痛みを胸に覚えた。唇を噛む。  頷いたのは、レックスだ。 「そうだね、ここは彼らを信用してもいいと思う」 「あなた……勝手にっ」  睨むベルフラウに、レックスは苦笑で応えた。 「どちらにしろ、船は必要なんだ。俺が客分になって君が安全になるなら、安いものだよ」 「あ……」  言われて、少女は恥じ入った。確かにレックスの言う通りだと、頭では理解出来ている のだ。何より、自分の安全のためという言葉が胸を揺さぶった。  だが、少女は心の中で慌ててそれを掻き消した。 (この程度の言葉で嬉しいだなんて……弱気になってるんだわ)  不満顔で、レックスを見上げる。強く抱き締められたオニビが苦しそうな顔をした。 「そういうことでいいかな、ベルフラウ?」  確認してくる、赤毛の青年。  しぶしぶと、そう見えるようにして、ベルフラウはほんの少しだけ頷くのだった。  それで、決定した。                 2  東にある浜辺に船は停泊しているとカイルは言った。そこまでの道を歩きながら、彼ら は互いの状況を確認し合う。  カイルたちは、嵐の中なんとか舵を取って脱出しようとしたが、結局は波に運ばれてこ の島に運ばれてしまった。その際に岩で船底が壊れ、修理の真っ最中だという。 「マストも折れちまったし、破れた帆の代わりも必要だ。人手だけはあるが、俺たちは修 理の専門家じゃねぇからな。手間取ってるのが現状だ」 「修理のための資材は?」  レックスが尋ねると、カイルは難しい顔で眉根を寄せる。顎に手を当て、ふむと呟く。 「森があるから、そこの木を加工して作るしかねぇな。島に住人でもいりゃあ、そこから 人手を借りられるかもしれねぇ」 「そうだね」  階段のようになっている背の高い岩を上りながら、レックスは頷いた。ベルフラウに手 を差し出すと、少女は一瞬躊躇ってからその手を取る。 「……ありがとう」 「滑りやすいから、気をつけて。結構歩いたけど、疲れてない?」 「問題ありませんわ」  額に汗を浮かべ、ベルフラウは強がる。レックスは苦笑し、カイルは面白そうに笑った。 そして最後の一人、哲学者風の青年はレックスの手にする剥き身の剣に、厳しい視線を注 いでいた。  青年の名はヤードといい、レックスと同じく海賊船の客分だと紹介された。正式な召喚 術を学んだ召喚師で、<無色の派閥>という組織に所属していたと話した。  召喚術を専門に扱う召喚師には幾つかの派閥があり、それぞれ<蒼の派閥>、<金の派 閥>、<無色の派閥>と言われている。  <蒼の派閥>は召喚術を通じて世界の真理に近づこうという思想を持ち、研究機関的な 性格が強い。召喚術の軍事利用を嫌い、国家権力との結びつきを否定した立場を堅持して いる。  <金の派閥>は逆に積極的に召喚術を世俗に生かそうという思想を持っており、一般に も広く門徒を開いている。労働力としての召喚獣を提供したり、召喚獣列車などの発明は 全てこの派閥からのものだ。  <無色の派閥>はそのどちらでもなく、召喚術という力を用いた世直しを主張する一派 だ。レックスも軍隊に所属していたために耳にしていたが、各国の有力者と繋がりを持つ 一方で、彼らの思想を受け入れない者たちを暗殺しており、どの国家からも犯罪者集団と して手配されている。  穏やかなヤードがその派閥に属していたと知り、レックスは驚いたのだが、ヤードは苦 笑して応えた。 「過激な思想についていけなくなり、逃げ出したんです」  岩の頂点に立つと、東西の浜辺を同時に眺めることが出来た。今レックスたちがいる場 所を中心として、左右に険しい岩場が広がり、その先に浜辺がある。東側は入り江になっ ており、見覚えのある海賊船が停泊しているのが遠目にわかった。 「レックスさん……と仰いましたね。一つ質問をよろしいでしょうか」 「ええ、どうぞ」  レックスが陸と海の境の風景を堪能していると、ヤードが問う。 「そちらの剣……どちらで?」 「ああ、これですか」  レックスは、左手に持った剣を見る。碧の光を放ち、はぐれ召喚獣の半魚人を追い払っ た不思議な剣だ。これがなければ、レックスもベルフラウも命は無かったかもしれない。 「良く覚えてないんですけど、海に飛び込んだ時に無我夢中で掴んだみたいなんです。信 じてもらえないかもしれないですけど、この剣の光ははぐれ召喚獣を追い払ってくれたん ですよ」  あまりに正直に答えるレックスに、ベルフラウがぎょっとする。弾かれたようにヤード を見る少女に、青年は苦笑した。 「別に、秘密を知ったからといって奪おうなどとは考えませんよ。実は、私が海賊たちに 回収を頼んだのは、その剣だったんです」 「この剣を?」 「その剣の名前は<碧の賢帝>シャルトスといいます。<無色の派閥>で封印されていた 剣で、私は師に命じられてその剣の力を引き出す研究を行っていました」  ヤードの視線が碧色の刃をなぞる。カイルも、物珍しそうにレックスの剣を覗き込んで いた。 「ですが、私は<無色の派閥>がその剣の力を使って良からぬことを起こそうとしている のを知りました。ちょうど血で血を洗う組織に嫌気が差していたこともあり……」 「持ち出したってわけだな」  言葉尻を、カイルが繋いだ。  そこまで言われたレックスは、慎重に剣を持ち替えて、その刃の腹をもう片方の手に乗 せた。どのような金属を使ったのか、宝石のような碧の剣は刃と柄が一体となった構造に なっている。柄には翼を模した意匠が施され、実戦用というよりは装飾用という雰囲気が 強い。 「この剣の力……お聞きしていいですか?」  ヤードに尋ねるが、 「すみません。私の研究では、その剣が召喚術を強化するということしかわかっていませ ん。しかも、使用した際には局所的な嵐が起きるなど、未知の部分が多いのです」 「なるほど……じゃあ、あの嵐は?」 「剣はその<碧の賢帝>の他にもう一本あったのですが、そちらの力を誰かが解放したの でしょう。あの騒ぎの際に私がその剣を確保しようとしましたが、すでに何者かによって 持ち去られた後でした」 「ちょっと待って」  ベルフラウが声を上げた。大人三人の注目を集めてから、鋭く言う。 「剣を組織から持ち出したのはあなたなんでしょう? なら、どうしてあの船に剣があっ たの?」  痛いところをつかれたのか、ヤードが苦しげにうつむいた。 「……お恥ずかしながら、組織の追っ手から逃げている際に、一度剣の力を解放しました。 その時も今回と同じような嵐になり、逃げるので精一杯だった私は、嵐の中で剣を見失っ てしまったんです。それをどこからか情報を手に入れた帝国軍が回収し、あの船でパステ ィスまで運ばれる予定でした」 「じゃあ……」  ベルフラウの瞳に、軽蔑の色が浮かんだ。気がついたレックスが止める前に、少女は召 喚師に言葉を叩きつける。 「あなたがそこで剣を失わなければ、こんなことにはならなかったんじゃないっ」 「……っ」  ヤードが息を詰めた。さらにベルフラウが言おうとすると、レックスとカイルがそれを 止めた。 「言いすぎだよ、ベルフラウ」 「悪いな、お嬢ちゃん……ヤードもそれはわかってんだ。許してやれとは言わねぇが、あ んまり責めねぇでやってくれ」 「……そちらの海賊はいいとして、あなたはそれでいいの? たくさんの人が死んだかも しれないのに!」  噛み付くように言われ、レックスは剣の柄を握る手に力を込めた。  確かに、多くの人が死んだのかもしれない。帝国軍があの船に護衛としてついていた理 由として、ヤードの説明は充分だ。つまり、それはあの出来事がヤードの落ち度によって 生まれたことを肯定する。 (だけど……)  レックスは、静かに首を横に振った。ベルフラウの憤りのこもった深い緑の瞳を見つめ、 諭す。 「だけど、ベルフラウ。それでも、ヤードさんは多くの人を助けようとして組織から剣を 持ち出したんだ。結果がどうあれ、ヤードさんは立派なことをした。違うかな?」 「それは……っ!」 「レックスさん……」  ベルフラウが鼻白み、ヤードも驚いて顔を上げた。レックスは、二人に苦笑いを見せてか ら剣を持ち上げてみせた。 「それより、この剣はヤードさんに返した方がいいですか?」 「い、いえ……あなたが持っていてください。今私が受け取るのは、少し……」  場を明るくしようと、わざと明るく言ったレックスに、ヤードは戸惑いながらもそう言 った。ベルフラウの視線を気にした様子に、少女も複雑な表情のまま頷く。  そして、ヤードは小さく呟いた。 「……ありがとう」  と。  それを耳にしたベルフラウは、胸の中のもやもやとした曖昧な感情が、さらに大きくな るのを感じた。 (私は……そんなふうには許せないもの)  レックスという青年の笑みは、行動は、ベルフラウの心の中の、何か大きなものを刺激 する。それは彼に対する不快感というよりは、どんどん自分の肩身が狭くなっていくよう な、それまで立っていた足場が崩れていくような不安を少女に与えていた。 (なに……?)  怖い、と少女は思った。  何が怖いのかわからないことが、さらに怖かった。 「ビィ……」 「え? な……なんでもないわ」  オニビの小さな手にぽふぽふと胸を叩かれ、ベルフラウは慌てて笑みを作った。そんな ベルフラウの額に、レックスが手を伸ばす。 「やっぱり疲れたかな? 少し休もうか」 「あ……だ、大丈夫ですっ」  汗を指で拭われて、ベルフラウの頬がカァーッと赤くなった。慌てて帽子を掴んで額を 隠し、可愛げのない仏頂面で唇を尖らせる。 「ご、ごめん」  慣れ慣れし過ぎたかとレックスが謝るが、ベルフラウは顔を上げなかった。まだ熱が引 かない。代わりに、オニビがベルフラウの前で両手をジタバタと動かして目を吊り上げた。 「ビビィ! ビィ〜!」 「い、いや、変なことしようとしたわけじゃなくてさ。――いたっ」 「おいおい……」  小さなはぐれ召喚獣にピシピシと頭を叩かれて悲鳴を上げるレックスに、カイルが呆れ た顔で肩をすくめた。その目が眼下の海賊船に向き、不意に険しいものに変わる。 「おい、様子が変だ」  緊張感を含んだ声に、オニビとじゃれていたレックスも即座に視線を移した。一見、岩 がちな砂浜に接岸した海賊船に変化は無い。  しかし、同じように目を凝らしたベルフラウが言った。 「あれは……昨日のはぐれ召喚獣だわ。海賊を囲んでる」 「見えるのかい?」 「ええ」  ベルフラウが頷くと、レックスは自分には点にしか見えない人々を見分ける少女の視力 に感心しながら、カイルを見た。カイルは早くも岩場を駆け下り始め、背後に向かって叫 んだ。 「先に行くぜ! 先生、悪いがさっそく働いてもらうぜ!」  事態を理解したレックスも、素早くベルフラウに一瞥を投げかけてから走り出す。 「ベルフラウ。ヤードさんとオニビから離れないで! 頼みます!」 「お気をつけて!」  ヤードが了承し、レックスの姿が離れていく。それを見送りながら、ベルフラウは何故 か急に心細くなって叫んでいた。 「あ……あなた! レックス!」 「ベルフラウ?」  レックスの背中が止まる。振り返る彼に、ベルフラウは自分に困惑する。  何を言うのか。  結局、当たり障り無い言葉が出た。 「き、気をつけて。あなたは海賊よりも先に私に雇われているんですから、くだらないこ とで怪我とかしないようにしてよね」 「うん、わかった」  そして、今度こそ赤毛の青年は去っていく。  ベルフラウの視界の中では、激しい集団戦が始まろうとしていた。                 ※ 「ギョ、ギョエー!」 「何よこれ。ここって、半魚人の島だったのぉ!?」  人間には発音できない奇声を上げて迫る半魚人たちに、ウェスタンハットを被った少女、 カイルの妹のソノラは、拳銃を構えながら背後に向かって言った。背中合わせになって短 剣を構えているのは、女性と見紛うほどの妖しい美貌を持つ男、スカーレルだ。  スカーレルは周囲を囲む半魚人の群れに油断のない視線を向けながら、声だけは明るく 応える。 「そうね。この調子なら海からも湧いてきて見事に挟み撃ち! って感じかしらね」 「しゃ、シャレになってないよぉ」  そこは海賊船が入り込んだ入り江の前の砂浜で、辺りには船から降ろした積荷が種類ご とに整理されて置かれていた。浸水した船底にあった貨物室から運び出したものだ。ソノ ラたちの近くには瓶詰めの食料が並べられており、そちらをチラリと見てスカーレルは口 元に笑みを浮かべた。 「まさか、うちの食いしん坊を捕まえにきたら、隠れていたあなたたちを発見しました、 なんて教えてあげたらどんな顔になるかしら」 「やめて。お願い。アニキにも黙ってて」  うう、と情けない顔で、ソノラが言う。どうしようかしら、とスカーレルは呟き、自分 たちを取り囲む半魚人の配置を観察する。  半魚人たちは、入り江にある砂浜をぐるりと半円で囲むように現れていた。岩場に隠れ ていたらしく、作業をしていた海賊たちはまったく気がつくことが出来なかった。半魚人 の数は二十匹ほどだが、召喚獣は一体でも最低人間五、六人分の戦力を持っていると考え て間違いない。  対して、海賊たちは作業中に襲われたこともあり、武装している者はごくわずかだった。 男たちは揃いの深い青の上着を脱ぎ捨て、逞しい上半身は裸だ。手には斧や剣といった武 器を持ってはいたが、この突然の奇襲に対応し切れていないのが現状だ。中でも、ソノラ とスカーレルは海賊たちよりも半魚人たちに近い位置におり、完全に孤立していた。  半魚人たちは、じりじりと包囲を狭めながら機会を伺っている。何かきっかけがあれば、 一気に襲い掛かってくるだろう。  そう判断したスカーレルは、まず全員に一箇所に集まるように合図を送ろうとし、しか し挙げかけた手を止めた。  そして。 「全員突撃! 蹴散らすわよ!」  その言葉と同時に、視界の先の半魚人の一匹が派手に宙を舞った。目を丸くするソノラ の前に、金髪と赤毛の二人の青年が現れ、凄まじい勢いではぐれ召喚獣たちが吹き飛び始 めた。 「ギョエエエエー!?」 「行くぞおぉー!」 「おおおおおお!」  悲鳴を上げる半魚人たちの群れに、百戦錬磨の海賊たちが雄たけびを上げてなだれ込ん でいった。                 ※ 「さすがにやるじゃねぇか、先生よぉ!」 「君こそ。――っと!」  背後から半魚人たちの不意をついたレックスとカイルは、人間離れした勢いではぐれ召 喚獣たちを薙ぎ払っていた。  素手の人間などに痛手を受けるはずがない、と思い込んでいる半魚人の腹にカイルの拳 が埋まると、一撃でその半魚人は白目を向いて身をくの字に折る。そこに膝が顔面を突き 上げ、半魚人は砂浜の上に仰向けになって昏倒する。  さらに無造作に拳を後ろに振るうと、まるで背後に目があるかのように、腕を振り上げ ていた半魚人の横面を薙ぐ。傾いだ身体に対して振り返っての回し蹴りを放ち、再びはぐ れ召喚獣が一匹弾け飛んだ。  レックスはさらに素早く、数匹が密集している場所に飛び込んで碧の刃を一閃させる。 その一太刀で一匹の太股が裂けて転び、続けて切り返しの一刀でもう一匹の脇腹を斬る。 「ギョエエ!」  仲間がやられたことに憤った半魚人がレックスに両手を向けると、そこから大量の水が 水鉄砲のように噴き出した。まともに受ければ、圧力で内臓破裂くらいは起こしかねない それに、レックスは逃げずに踏み込んで体勢を低くしてその下をくぐり抜ける。  必殺の一撃をかわされた半魚人が驚く間も無く、レックスは下からすくい上げるかのよ うな一閃を相手の顔に叩き込んだ。鮮血が飛び散り、顔面を剣の腹で殴られた半魚人が大 の字に転がる。 「殺さねぇのかよ。相手はバケモンだろ?」 「はぐれ召喚獣は化け物なんかんじゃない。召喚されて帰れなくなっただけの、異世界の 住人なんだ。出来るだけ殺さないようにして欲しい」  苦い顔でレックスが言うが、カイルはその言い分に苦笑するしかなかった。鋭い爪を上 半身の動きだけでかわして言う。 「そいつはわかってるがよ。襲ってくる。話も通じねぇ。この状況じゃどうしようもねぇ だろうが――よ!」  避け様の交差法で敵を殴り倒し、カイルは戦場を見渡した。  半魚人たちは完全に浮き足立っていたが、その生命力の高さで海賊たちの猛攻を凌いで いる。カイル一家の海賊たちも、人間ではない召喚獣相手の戦いには慣れていないので、 その得意の集団戦闘力を発揮出来ていない。  かろうじて数体の半魚人を倒しているのは、ソノラとスカーレルの二人だけだ。 「そこから一歩でも前に出てみな。そのどてっぱらに風穴空けてやるよ!」  貨物に隠れて迫る半魚人に叫びながら、ソノラはすでに発砲している。貨物に乗り上げ た半魚人の肩が弾丸で弾け、大柄な身体が後ろに反り返る。そこにすかさず二発三発と撃 ち込み、ソノラは不意に横を見る。大きく腕を振るようにそちらに拳銃を向けると、間を 置かずに引き金を引いて銃声を響かせる。貨物の影から顔を出そうとしてたその額を見事 に撃ち抜かれた哀れな半魚人が絶命すると、ソノラは景気良く怒鳴る。 「ほらほらぁ! このアタシの銃から逃げられると思うんじゃないよ!」  対照的に、静かに全てを終わらせるのがスカーレルだ。  彼はソノラの立ち回りを見て、艶やかな笑みを浮かべながら低い姿勢で半魚人に向かっ て走る。 「戦いはもっと美しく、確実に……ね」 「ギョエ!」  真正面から走ってくる細身の美男に、半魚人がその豪腕を振るう。だが、スカーレルは その場で跳躍し、あろうことか半魚人の腕を足場にしてさらに跳躍。一回転して相手の後 ろに回り込み、そして――。 「シィッ!」  ただの一刀で半魚人の首を掻き斬った。舞うように美しく、次の目標に向かう。  しかし、それらはやはりレックスたち四人の局所的な活躍にしか過ぎない。彼ら四人で 全ての敵を倒すには時間がかかり過ぎるし、その間に海賊に何人かの犠牲が出ることは必 然に思われた。 「ち……っ。わざわざこんな時に出てこなくてもいいだろうによ!」  怒りを拳に込めて叩きつけるカイルと同じ判断を、レックスもしていた。 (このままだと、何人か死ぬ。両方に犠牲が多すぎるっ)  これは理由のある戦いではなかった。少なくとも、海賊たちにとってはいきなりの襲撃 だ。半魚人に対して何か恨みがあるわけではない。ただ、襲われたから迎撃しているだけ なのである。  半魚人としても、おそらくは領域を侵されたために興奮して襲ってきているのだろうと レックスは思った。特別に人間を選んで襲っているわけではないことは、昨日のオニビの 件でわかっていた。 「そうか!」  前日の戦いを思い出し、レックスは碧色の刃を持つ剣<碧の賢帝>に視線を落とした。 自分に出来ることがあるかもしれないことを、思い出したのだ。 「お? どうした、先生!」 「時間を稼いでくださいっ」  突然海賊船に向かって走り出したレックスに、カイルが驚いて声をかける。それに応え、 レックスは乱戦から少し離れた貨物置場へと駆け込んだ。 「え? あの人って、確か?」 「あら」  ソノラとスカーレルが、目の前を横切ったレックスに小首を傾げる。  走りながら、レックスは強く念じていた。 (力が欲しい……もう一度、あの時と同じ力が!)  声は、すぐに返ってきた。  ――力を望むか。  ――ヨカロウ。  それは、二種類の声。海で溺れた際にも聞こえてきた、穏やかな声と、冷たい声。  ――汝、<適格者>。力を望むのであれば。  ――我ハ望ムママニ。  重なる。  ――与えヨウ! 「うおおおおおおおおお!」  手の中で剣が燃え上がった。そう錯覚するほどの熱量がレックスの腕の中に生まれ、彼 は叫び声を上げながら<碧の賢帝>を天に掲げた。碧の閃光が走り、その光は太陽を圧し、 驚いた全員の視線を集めながらレックスの身体を取り巻いていく。 「あれは……っ」  ベルフラウを連れ、離れた場所からそれを見守っていたヤードが驚愕の声を上げる。そ れを見るのは二度目になるベルフラウも、世界を覆いつくすような輝きに圧倒される。  その光の中から現れるのは、赤い髪を真っ白に染め、長く伸びたそれを足元から吹き上 がる風に躍らせたレックスの姿。剣を握る手の肌も人間のものとは思えない硬質な何かに 変化し、彼は碧の宝石のような瞳を半魚人たちに向けた。  そして、一閃。  その場で一歩も歩かずにレックスが<碧の賢帝>を横薙ぎに振るうと、不可視の衝撃波 が走った。それは海賊たちを通り抜け、全ての半魚人たちを同時に打って大きく吹き飛ば す。 「すげぇ……」  思わず、カイルが呻くように言った。それは全員が同じ思いだったのだろう。海賊も半 魚人も、全てが動きを止め、一人の男を見つめていた。半魚人たちは吹き飛ばされたまま、 膝をついて彼を見ていたが、やがて一匹、また一匹と背を向けて逃げ出していった。 (上手く……いった)  半魚人たちの姿が見えなくなると、レックスは身体の力を抜いて剣を地面に突き立てた。 急激な脱力感に後ろによろめいて尻餅をつくと、その髪がもとの赤毛に戻っていく。  まだ呆然と自分を見ている海賊たちに、レックスはどう言ったものか考え、結局。 「ええと……お邪魔、でしたか?」  カイルを爆笑させた。                 ※ 「はははははは! 邪魔なもんかよっ。良くやってくれたぜ、先生!」  腕を振り上げて注目を集めながら、カイルはへたり込むレックスのもとに歩いた。そし て、立ち上がるのに手を貸しながら言う。 「野郎共! 今日から俺たちカイル一家の客分になるレックス先生だ。歓迎してやんな!」 「え? 何それ、本当!?」 「あらあら、センセ、お久しぶり〜」  歓声が上がり、海賊たちが一斉にレックスの周りに集まった。目を白黒させる彼の前に、 ソノラとスカーレルが顔を見せる。  スカーレルを見たレックスは目を丸くしたが、すぐに悟って苦笑する。 「海賊だったんですね」 「そういうこと。あの一緒にいた可愛い子は無事なの?」 「ええ」 「それは良かったわ」  微笑むスカーレルに、レックスも微笑み返す。その間にソノラが入り込んで、目を輝か せる。 「何々? さっきの何? 凄いよ、先生。アニキだけじゃなくて、アタシたち全員の恩人 だよぉ!」 「わ!?」  腕に抱きつかれ、レックスは赤くなって身を引いた。ソノラの服装は露出度の高いもの で、彼は目のやり場に困ってカイルを見る。 「か、カイルさん。妹さん……」 「まあいいじゃねぇか。ほら、歓迎の挨拶だ」 「い、痛!?」  いきなり頭を拳骨で殴られて、レックスは面食らった。そこに、周囲の海賊たちが我先 にとレックスの頭を叩き始める。 「い、痛いっ。痛いですって! いたたたたっ」 「ははは。頭を叩くのは親くらいってな。これで先生も俺らの仲間兼家族ってわけだ」 「海賊カイル一家へようこそ〜!」  ソノラが笑顔で言い、その場にいる全員が笑った。レックスも、掻き回されて滅茶苦茶 になった髪を撫でて苦笑する。  そこに。 「その人から離れなさい! 大勢で一人を袋叩きだなんて、恥ずかしくないの!」 「……そうも見えるかもしれねぇな」  カイルの呟きに、血相を変えてやってきたベルフラウ以外の全員が爆笑した。                 3  カイルたちの海賊船は、広い砂浜にその大きな船体を寄せて停泊していた。小回りの効 く三枚の帆を張っていたマストは無残に折れ、甲板には砕けた樽や焼け焦げた跡を幾つも 見ることが出来た。 「よく沈まなかったな……」  レックスがそう呟いてしまうほどの荒れ様だ。戦闘を想定して鉄板で補強された船体を、 嵐は圧倒的な力で翻弄したのだろう。航行を続けて島まで辿り着いたのは、操舵手として のカイルの手腕である。  臨時に設置された桟橋を渡って海賊船に乗り込んだレックスたちは、そうした甲板の現 状を横目に見ながら船室へと通された。船の規模は豪華客船<成功への船出>号とは比べ 物にならなかったが、海賊船という言葉の響きから想像する猥雑な雰囲気は無く、その内 装は帝国海軍でも通用しそうな整然としたものだった。  レックスが甲板から船室への階段を下りながら見回していると、斜め後ろを歩いていた スカーレルがそっと耳打ちする。 「驚いたでしょう? 当番を決めて、毎日掃除してるのよ。廊下に私物を置くのも駄目。 緊急時に足元に落ちていると邪魔だから、壁に額縁の一枚も掛けないのよ」 「ええ。意外に綺麗で驚きました」  正直にレックスが頷くと、先行していたソノラが頬を膨らませて振り返る。 「ぶーぶー。意外には余計だよ、先生」 「ご、ごめん」  謝るレックスと並んでいるのは、ベルフラウだ。少女は珍しそうに船内を眺め、人間二 人がぎりぎり肩をそろえて歩ける程度の廊下を進む。  船の後部の階段から入った船内は、真っ直ぐな廊下の左右に部屋がある形になっていた。 一つ一つの部屋はかなり狭いらしく、短い廊下だというのに幾つもの扉がある。おそらく 海賊のものと思われる名前の書かれた表札が掛かっており、中にはソノラやスカーレルの ものもあった。  廊下の先には広い空間があり、大きく頑丈そうな丸テーブルが幾つも並んでいた。部屋 の中央には太い柱があり、壁や天井にはそこまでの廊下とは違って様々な装飾品が飾られ ている。 「へえ……色々な港に行ってるんだ」 「おお。この船が寄ったことの無い港なんざ、リィンバウムにはねぇんだぜ。まあ、とは 言ってもカイル一家じゃなくグラート一家──先代の頃の話なんだけどな」  壁に飾られた、港ごとの絵柄で作られた無数のタペストリーを指差してレックスが言う と、カイルが胸を張って自慢げにそう教えた。壁際にはワイン棚や食器棚があり、そこが 海賊たちの食堂か何かなのだと示している。  そして、水と書かれた札の貼り付けられた樽を見つけたレックスは、さらに奥に進もう とするカイルを呼び止めた。 「カイルさん。水を少しもらっていいですか?」 「お? ああ、好きなだけ飲んでくれ。この食堂にあるものは、全部自由に使ってくれて いいぜ。夜になったら一杯やろうや」 「俺はあまり強くないですよ? ベルフラウ、あまり水を飲んでいなかったよね? 少し もらおうか」  言うが早いか、レックスは樽のそばにあった鉄製のコップを手に取り、柄杓を使って樽 の水を汲み出した。胸の前にコップを差し出されたベルフラウは、レックスの顔をうかが って彼が頷くのを待ってから、それに口をつけた。  最初は舐めるように。次に一気にあおり、一息をつく。島についてから、水分らしい水 分はコチの実とわずかな蒸留水しか口にしていなかったので、その水は身体に染み入るほ どに美味しく感じられた。  レックスも同じようにしてコップを傾け、ベルフラウに笑顔を見せる。 「昨日のお昼に飲んだ飲み物より、こっちの水の方が美味しいかもね」 「そうですわね」  頷いてから、少女がレックスにコップを返す。もう一杯欲しいのだと思ってレックスが 水を注ぐと、少女は自分の横に浮いたオニビの口元にそれを持っていった。 「ビビィ〜」  嬉しそうにオニビが水を飲む。それを見つめるベルフラウの穏やかな表情に、レックス は自然に自分の口元も弛めた。青年の表情に気がついたベルフラウは、ハッとして顔をそ らしたが、レックスは余計に笑みを深めてオニビの頭を撫でる。 「ニビィ」  はぐれ召喚獣は、ニッコリとそれに応えるのだった。  それからレックスたちが通されたのは、歩いた距離からすれば船首に近い位置にある大 きな部屋だ。船長室と表札の書かれたそこは、カイルのものらしい年代物の樫の机が置か れ、壁には地方色溢れる刀剣類が飾られている。扉の正面の壁には、壁一面を覆う海図が 貼られていた。 「適当にかけてくれ」  そう言って、カイルは行儀悪く樫の机の上に腰かけた。ソノラ、スカーレル、ヤードの 三人も部屋の端にあった椅子を持ち出して座り、残り一つとなった席をレックスはベルフ ラウに譲った。  それを見たカイルが、長い足を伸ばしてソノラの背中を蹴る。椅子ごとひっくり返り、 ソノラが唇を尖らせた。 「何すんのよっ」 「馬鹿。お前が立ってろ」 「え?」  言われて、驚いた顔になっているレックスを見たソノラは、ポンと手を叩いてから愛想 良く椅子を立てた。 「あはは、ごめんね先生。はい、どうぞ」 「う、うん。ありがとう」  礼を言ってから、レックスは椅子に腰を下ろした。結局、ソノラはその後ろに立つ。  全員が揃ったのを確認してから、カイルは足を組んで言った。 「さて。改めて、先生とお嬢ちゃんを歓迎するぜ。まずは自己紹介と行こうか。さっきも 言ったが、俺はカイル。この海賊カイル一家の頭領で、船長兼操舵手だ」  立てた親指で、自分を示す。  続いたのは美貌のスカーレルで、彼は唇に指を当てて艶めいた視線をレックスとベルフ ラウに送った。 「それで、アタシがスカーレル。お二人とは船の上でも会ったわね。アタシはこの船のご 意見番をしているわ。客観的な立場から注意や提案をするのがお仕事」  スカーレルが言い終わると、ソノラが挙手をして口を開く。 「アタシは砲撃手のソノラ。大砲でも拳銃でも、アタシにかかれば百発百中なんだから!」  胸をドンと叩いて満面の笑みで言う少女に、レックスも微笑を返した。ベルフラウも、 比較的年の近い少女には険の無い瞳を向ける。  最後に、ヤードが小さく会釈して言った。 「私は召喚師のヤードです。こちらのカイル一家に客分としてご厄介になっています」 「俺たちの方はそんなところだ。先生たちにもお願いしていいか?」 「ええ」  促されて、レックスはベルフラウに目配せをした。不満そうに、少女も首を縦に振る。 「俺はレックスといいます。この子の家庭教師をしています」 「私はベルフラウ。ベルフラウ・マルティーニ」 「あら驚き。本当にお嬢様だったのね」  ベルフラウの名乗りに、スカーレルが胸の前でポンと手を合わせる。カイルは、 「まあ、あの船に乗ってたんならな」  と軽く納得して、全員の顔を見回した。思わず注意を引かれてしまうその仕草に、レッ クスは感心する。 (なるほど……船長というだけはあるな)  カイルという青年の存在感は他の人間とは一線を画していた。金色の髪は太陽そのもの のようで、その瞳は陽気そうに見えても人を射抜く鋭さがある。大きな動作は、彼の鍛え 抜かれた身体をさらに大きく見せていた。 (荒くれの海賊たちをまとめあげているのも納得出来る)  帝国軍の一部隊くらい率いることが出来そうだ、と頷く。 「ヤードを除いたこの三人が、海賊カイル一家の……まあ、幹部ってやつだ。他の奴らも おいおい紹介するからよ」 「よろしくお願いします」  レックスが深々と頭を下げ、自己紹介は終わった。  さっそくだが、とカイルは机の上に置いてあった書類を手に取る。全員に見えるように 表を向けると、それは大雑把な船の図面で、至る所に赤い円と注釈が書きこまれていた。 「破損部分ですか?」 「ああ」  察してレックスが口にすると、カイルがうんざりした顔で頷いた。覗き込んだソノラた ちも、次々と顔をしかめる。 「何これ……こんなに酷いの?」  ソノラがむしろ呆れたという感じで言い、カイルは肩をすくめて図面をスカーレルに渡 した。 「あらまあ」 「とにかく、船の修理が終わらねぇと、この島から出ることも出来ねぇ。資材さえあれば 一月かからず直せるって報告は受けてるが……問題は、その資材だな」 「一月!?」  声を上げたのは、ベルフラウだ。呆然とする少女に、レックスは苦笑して言う。 「仕方ないよ、ちゃんとした設備があるわけでもないんだし」 「でも……っ」 「なんだ、急ぎの用でもあるのか?」  事情を知らないカイルが尋ねると、レックスは自分たちが軍学校の入学試験のために、 工船都市パスティスに向かっていることを説明した。それを聞いたカイルはさすがに肩を すくめてし謝る。 「そいつは悪かったな。まあ、どんなに遅れても二月はかからねぇからよ。勘弁してくれ」 「学校かぁ……アタシ通ったことないなぁ」  ソノラがぼやき、そして良いことを思いついた顔でレックスに後ろから言う。 「あ、そうだ。先生、うちにいる間、アタシにも勉強教えてよ。いいでしょ?」 「え……あ、ええ。別に構わないですけど」 「ちょっと! 勝手に決めないでちょうだいっ」 「う……」  レックスが気軽に了承すると、ベルフラウが思わず席を立った。思い切り睨まれたレッ クスが身をのけぞらすと、ベルフラウは辛辣な口調で言う。 「あなたは、私の家庭教師として雇われたのでしょう? 海賊の用心棒をするのは仕方あ りませんけど、勝手に他の人間の教師役まで引き受けないでくださる!?」 「何それ。感じわるぅ〜っ」  それに反撃したのは、レックスではなくソノラだった。海賊の少女はキッと自分を向く ベルフラウの視線を受け止め、べぇと舌を出して挑発する。 「ちょっとくらい別にいいじゃない。それとも、海賊は勉強なんかするなって言うの?」 「どうしてそうなるのよっ。私が言いたいのはそういうことではなく……っ」 「ちょ、ちょっと待って!」  カッとなってベルフラウが身を乗り出すと、レックスがそれを慌てて止めた。立ち上が って二人の身体を遮り、ソノラに向かって言う。 「ごめん、ソノラさん。ベルフラウの言うことも、もっともだ。俺はこの子の家庭教師役 も満足に出来ていない現状で、他の生徒をとることなんて出来ないよ。本当にごめん!」  そこまで一気に言い、直角になるくらいまで頭を下げる。驚いたソノラは目を丸くして、 両手を振ってレックスに頭を上げさせる。 「わ、わ! い、いいってば、先生っ。頭上げてよ!」 「うん……ベルフラウも、ごめん。俺が考え無しだったよ」 「え、ええ。わかればいいのよ」  バツが悪そうに、ベルフラウも席につく。そして、唇を結んでうつむいてしまった少女 を心配そうに見るレックスを、ソノラは何か珍しいものを見たという目で見つめた。 「ふうん」  という呟きを聞いたのは、スカーレルだ。スカーレルはカイルに向かって小さく頷き、 船長はそれを受けて、わざとらしく一つ咳をした。 「まあ、機会があればソノラにも何か教えてやってくれよ、先生。それでな、資材の話な んだが、もしかしたらどうにかなるかもしねぇんだ」 「どうにか?」  レックスが立ったまま首を傾げると、カイルはニヤリと笑みを浮かべてもう一枚の書類 を手に取った。それには、海上から見たと思われる島の形が描いてあり、四箇所に注釈が 入れられていた。 「この島に流れ着いた際に、船の上から集落らしい明かりが見えた。この四箇所がそれだ」 「へえ……四箇所も。そうですね、海岸線を歩きましたけど、かなりの規模の島ですし、 それくらい集落があってもおかしくはないですね」 「ああ。ただ、どれも火の明かりとは違う感じでよ。赤かったり青かったり……ヤードの 話じゃ、召喚術の光にかなり近いんだってよ」  促される形で、ヤードが書類を受け取った。同時に渡されたペンで海岸線に新しい注釈 を入れてから、彼は全員にそれを見せた。 「光の色は、右上が青。これは機界ロレイラルの色です。左上が緑。こちらは幻獣界メイ トルパ。右下の赤が、鬼妖界シルターン。最後に左下が紫で、霊界サプレス。レックスさ んなら、おわかりでしょう」 「確かに、召喚門の色に当てはまりますね。こちらの線は?」  と、レックスが新たに書き込まれた、森の中から海岸に及ぶ線を指摘すると、 「川です。先ほどカイルさんと散策した際に発見しました」 「なるほど……」 「先生なら、どこから調査する? 意見が聞きてぇな」 「俺ですか?」  目を丸くしてレックスが自分を指差すと、カイルが肯定した。ベルフラウも、レックス がどう答えるか注目する。  レックスは、しばし眉根を寄せて略図を見つめた後、 「ここ……紫色の光にします」 「理由を聞かせてもらいたいわね」  スカーレルは、レックスを見極めるように目を細め、組んだ足の上で頬杖をついた。カ イルも同様で、レックスは自分が試されていることを悟った。  導き出したのは、教科書通りの答えだ。 「川が、そちらに向かっているからです。海賊船に人は多い。先ほど水をいただだきまし たが、それだっていつまでも残っているとは限りません。だから、この島に長期滞在する 上で、水源の確保は何よりも優先すべきです。つまり、光の調査は水源確保のついでとい うことになってしまうんですけど……」  頬を掻きながらレックスが言うと、 「了解。それで行こう」  カイルが席を立ち、 「そうね。アタシもそれが一番だと思うわ。文句無しよ」  スカーレルが小さく拍手しながら満足そうに微笑み、 「私も同感です」  ヤードも言葉少なく、しかし感心したように頷き、 「へぇ、一発合格なんて先生ってやっぱり凄いんだぁ。ちなみに、アタシはそういう頭使 うことは全然駄目なんだけどね」  照れの混じった苦笑いをしながら、ソノラが両手を挙げて降参を示し、 「…………」  ベルフラウは、無言でレックスの横顔を見ていた。  その視線にレックスが気がつくよりも早く、カイルが言う。 「じゃあ、さっそく調べに行くとするか。はぐれ召喚獣のこともある。スカーレル、留守 は任せるぜ」 「任せておいて。何かあったら、大砲で合図を送るわ」 「せ、船長が行くんですか?」  その会話の流れにレックスが呆れて言うと、カイルは豪快に笑った。 「ははは。まあな。船で一番腕っぷしが強いのは俺だしよ、海賊の船長ってのは先頭に立 つのが仕事みてぇなもんよ」 「はあ……」  やはり軍隊とは違うものだ、とレックスは考えを改める。カイルが帝国軍の部隊を率い たら、隊長自ら先頭に立って突進する部隊が出来上がるだろう。  苦笑するレックスの背後で、ソノラが元気良く手を挙げる。 「はいはい! アタシもついて行っていいよね?」 「そうだな……ヤードの護衛についてこい。先生にも来てもらうぜ。俺より強い奴を連れ て歩ける機会なんて、そうそうねぇからな」  玩具を与えられた子供のようにカイルが笑顔を見せる。だが、単なる我が侭ではなく、 森の中ではぐれ召喚獣に襲われた際にレックスがいれば心強いという、冷静な判断からの 言葉だろうとレックスは受け取る。 「こちらも、一つお願いしていいですか? ベルフラウを船に預かってもらいたいんです けど」 「あなた、また勝手に……っ」 「かまわねぇぜ。そういう約束だからな」  少女が声を荒げて言い切る前に、カイルが素早く了承した。レックスは胸を撫で下ろし、 まなじりを吊り上げるベルフラウに向き直って言う。 「ベルフラウ、君は船に残るんだ。森の中は何があるかわからないし、君は少し休んだ方 がいい。知らない人たちの中にいるのは不安かもしれないけど、カイルさんたちは信用出 来る人たちだと俺は思う」 「でも……っ」  そう言われても、ベルフラウは突然襲ってきた不安に、声を詰まらせてしまった。それ は自分でも意外なほどの不安だ。 (ど、どうして? 船の中の方が安全なのはわかるのに……)  レックスと離れるということに、少女は不安を感じていた。不思議と、守られることを 約束された船内にいることよりも、レックスのそばの方が安全ではないかと思ってしまう のだ。 (私は……この人のことなら、信じられるかもしれないって、思ってる?)  それは、海賊に襲われた船の中で感じた思い。  守ってみせると心から言い、そしてそれをただの口約束ではなく実現してみせた青年。  危険かもしれないが、信用出来るかもしれない人のそば。  安全だが、信用出来ない人たちの中。  その間でベルフラウの心は揺れた。  沈黙し、答えが出せないでいるベルフラウに、レックスは安心させるように少女の両肩 に手を置いて頷いた。 「大丈夫、俺もすぐに戻ってくるから。そうしたら、授業の一つでもしようか。一月も時 間があるんだからね」 「な……」  ここでそのような言葉が出てくるとは、まったく思っていなかったベルフラウは、目を 丸くして赤毛の青年の微笑を見る。  大丈夫、という言葉。  ここまで、漂流してからも約束通り彼女を守り、誠意を尽くしてくれた青年。  信じて良いのかもしれない、と少女が思った時。 「先生よぉ、注文していいか?」 「え? なんですか?」  カイルが、扉に向かう途中でレックスの肩を叩いて言った。 「その丁寧語、やめようや。さんづけもいらねぇ。俺たちは育ちが良くねぇからよ、なん て言うか……かゆくなっちまう」 「そうそう。アタシのこと、ソノラでいいからさ」 「わっ」  ソノラに腕を取られて慌てるレックスの姿に、ベルフラウは再び眉を吊り上げた。席を 立って腕を組み、驚くレックスに親の仇でも見るような目で言う。その割りに口は引きつ った笑みを浮かべており、ちぐはぐな、およそ少女が絶対に見せたくはないという顔だ。 「そ、そうですわね。あなたは私の使用人ですもの。危険なことはあなた一人でしてくれ ばいいんだわ。私はこの船にいますからね!」 「あ……ベルフラウ!」  止める間も無く、少女は大股で部屋を出て行ってしまう。レックスが追いかけようとし たが、その横を軽やかにスカーレルが追い抜き、囁いた。 「ここはアタシに任せて。女の子は、複雑なのよ」 「は、はい。よろしくお願いします」 「違うでしょ、丁寧語になってるわよ」 「うん……わかった。頼んだよ、スカーレル」 「よろしい」  男さえも魅了しそうな艶めいた笑みを残し、スカーレルがベルフラウを追いかける。そ れを見送り、レックスは思い切り深いため息をつくのだった。 「やっぱり、女の子のことは女の子にしかわからないのかな……」 「先生。スカーレル、男だから」 「……あれ?」  ソノラに訂正されて、そういえばとレックスは首を傾げるのだった。                 ※  無言で廊下を進むベルフラウの少し後ろを、足音を殺してスカーレルは歩いていた。少 女は、行く当ても無いだろうに足早に歩いている。その理由が、スカーレルにはわかった。 (出来るだけ、センセから離れたいんでしょうね)  レックスには言ったが、スカーレルもベルフラウの心境がわかっているわけではなかっ た。ただ、今は何も語りかけるべきではないと思ったから、レックスを引き止めたのだ。 (体当たりも魅力だけど、少しは見守ることも覚えないとね、センセ)  ほんの少ししか会話していなかったが、スカーレルはレックスという青年の大体の性格 は把握していた。誠実で、常に人に優しくあろうとする、そんな傾向の強い青年だ。その ままではただのお人好しで終わるが、おそらくは正規の訓練を受けた強さや、豊富な知識 が彼のそうした部分を支えている。 (人に優しく出来るだけの実力を持った人だわ)  そう評価していた。  同時に、ベルフラウの様子も観察していた。少女は、他人に対する不信感を隠しもしな い、ある意味正直な性格だ。感情的で、些細なことで声を荒げていた。特に、自分に関す る話題の際には反応が過敏で、常に自分というものを意識しているように思える。 (自分に自信が無いのかしら?)  ふむ、顎に手を当てて考えた。 (こういう子に、センセみたいな人は辛いかもしれないわね……)  スカーレルには、レックスとベルフラウの抱える決定的な問題がわかる気がしていた。                  4  海賊船を出たレックスたちは、集落と水源を求めて川沿いの道を遡った。川は船からそ う遠くない場所にあり、それを辿ることは帰り道に迷う心配も無いことでもあり、安心し て進むことが出来た。  川の流れは穏やかで、人の脛に届くか届かないか程度の深さしかない。川幅も細く、海 に注ぐ河口付近とは思えなかった。例えば、大陸であれば水源は山の奥深くにあり、海ま での長い道のりの途中で複数の川が一つにまとまって大河となり、最後に海に注ぐ。 「だから、水源は森の中すぐにあると思う。川原らしい川原がないのは、水量の増加が少 ないこと、つまりこの島が暴風や大雨に縁が無いことの証拠だ」 「へぇ〜」  細い河川を右手側に見下ろしながら説明するレックスに、ソノラが感心の視線を向けて いた。その目には尊敬の念に近いものが早くも浮かんでおり、船を出て以来、この海賊の 少女はレックスの横という位置を、兄にもヤードにも譲ろうとはしていなかった。 「先生って、何でも知ってるんだね。強いし物知りだし……アニキ、船長の座が危ういか もね」 「どうせ俺は学がねぇよ。それにしてもよ、先生。帝国軍だとそんなことまで勉強してん のか」  ニヤニヤと笑う妹を適当にあしらいつつ、カイルはそちらの方に興味があるようだった。 海賊という仕事上、敵対する相手の情報は少しでも欲しいという海賊の頭領に、レックス は頷いて肯定する。 「うん。帝国軍の隊長格に求められるのは、個人の強さよりも、どのような状況下でも安 定して部隊の指揮を執れる能力なんだ。敵の国に攻め込んだ時って、知らない土地での戦 いになるだろう? だから、地形を生かした不意打ちとかを受けないように、その地形が どういうものなのか、どういう意味を持つのか、そういうことを読み取れるような授業を 受けたよ」 「隊長格、ね。さすが先生だぜ。なあ、ヤード」 「ええ。半魚人を追い払った手際といい、あなたがあの護衛艦の指揮官ではなかったこと を、感謝しなければいけませんね」  口笛を鳴らした青年に話を振られ、黙々と一行の最後尾を歩いていた召喚師もレックス への賛辞を送った。彼らにしてみれば正直な感想なのであるが、言われるレックスは過分 な評価だと苦笑を浮かべる。 「あれは、この剣の力だよ。俺の力じゃない」  海賊船で見繕った鞘に入れた<碧の賢帝>を叩く。レックスの服には鞘の金具を掛ける 仕掛けが無かったので、カイルに予備の革ベルトを借りて腰に巻き、そこに金具を取り付 けて鞘を引っ掛けていた。正規の装備ではないので、歩くたびにカチャカチャと金具が音 を立てている。  だが、ヤードはその言葉を待っていたと語り出す。 「そのことなんですが、私の知る限り、あのような剣の使い方を出来た者はいません。せ いぜいが召喚術を強化する程度で……その際もご存知の通り嵐が起きてしまうくらいでし た」 「そういえば……」  ヤードが剣の力を解放した際には、大嵐になったという話を耳にしていたレックスは、 改めて自分の腰の剣を見た。ソノラも興味津々に覗き込む。 「それに比べ、あなたは剣の力でその姿を変え……私が見たことも無い力で敵を追い払い ました。しかも、あの時あなたははぐれ召喚獣たちを殺すことも出来た。違いますか?」 「それは……多分」  剣を天に掲げ得た力は、その程度簡単に実現出来るだけのものだった。手の中で燃え上 がったそれは、比喩ではなくあの嵐にも匹敵する強大さだったのだ。 「まるで、無限の力を得たみたいな……そんな気にさせる力だった」 「それは間違いではないでしょう。あなたはあの嵐を起こす力――剣が暴走した際にこぼ れてしまう力を、完全に自分の内に取り込んでいました。天変地異を引き出すほどの力で す。師が求め、<無色の派閥>が良からぬことに使おうとしていた力とは、あの時のあな たの力なのではないかと私は思っています」  ヤードは苦笑を浮かべる。彼が長年研究し、ついには持ち出した剣の力を、偶然居合わ せただけの青年が使いこなしているのだ。運命の皮肉を感じても仕方ないだろう。 「すみません、派閥の話はこの際置いておいて、あなたに話を戻します。私は、あなたが あの強大な力を加減して使用していることを、素晴らしいと思っているんです。強大な力 を溢れるままに使うだけでは、使いこなしているとは言えません。その点、あなたは剣の 力を自在に引き出し、収めることを可能にしている。これは興味本位の質問なんですが、 何かこつのようなものでも?」  やはり彼としてはそこが問題点だ。レックスとしても、剣を謎のまま放っておくよりは、 ヤードに相談した方が良いだろうと判断する。 「信じてもらえないかもしれないんだけど、自力でどうしようもないような状況で力が欲 しいって強く思うと、剣から声が聞こえてくるんだ」 「声?」 「力を欲しいか。欲しいなら我を手にせよ……って。俺が剣の力を使えた時は、二回とも そういう流れだった」 「なんだそりゃ」 「やだ……なんか気味悪くない?」  冗談を挟まないレックスの真剣な言葉に、カイルとソノラが薄ら寒そうな顔をする。少 女に至っては、剥き出しの二の腕を自分の手でさすって寒気を払っていた。  ヤードは真面目な顔でそれを受け、そして最後になるほどと呟いた。 「やはり、そのような例は聞いたことがありません。今のところ、あなたに変調も見られ ないので、それほど危険な声ではないのかもしれませんが、一応念のために船に戻ったら あなたの立会いのもとで、剣の研究をさせていただいてよろしいでしょうか?」 「俺なんかで協力出来るなら、喜んで」  深刻なヤードの気を和らげるためにも、レックスは気楽な様子で快諾した。その人懐っ こい笑顔を斜め下から見上げて、ソノラは何故か満足げに頷いたりしていた。  一行がそのようにして雑談を交わしながら歩いていると、川は岩場から狭い平野を経過 し、視界を覆う森の中へと続いていった。森の入り口付近はのどかな空気が流れ、ソノラ が道端の珍しい花に目を留めてはレックスに名前を尋ねていたが、段々と奥に進むにつれ て、彼らは森の変化に目を見張ることになった。  背の高い木々に覆われた森は、木漏れ日以外の光源が無く、昼間でも薄暗い黄昏の雰囲 気を漂わせている。木には成長した蔦が絡まり、枝から垂れたそれが不意の障害物として 目の前を塞いだ。かすかな光が筋のようにはっきりと見えるのは、辺りに霧が漂い始めた からで、その霧の中に巨大な紫水晶が幾つも大地から突き立っていた。 「こいつが光の正体か……」  カイルが感心して、自分の背丈よりも大きな紫水晶に手を当てる。どういう仕組みにな っているのか、水晶は内側から淡い光を生み出し、薄暮の中にその身を浮かび上がらせて いた。幻想的な光景に、ソノラも口をポカンと開けて、 「すっごーい。これ売ったらいくらになるかな?」  あまり幻想的とは関係の無いことを言った。  それにヤードと顔を見合わせて笑ったレックスは、川がまだ奥に続いていることを確認 して、カイルに声をかけようとした。  そして気づく。 「カイル、そこを離れて!」 「ああ?」  カイルが不思議そうに振り返るが早いか、水晶に移った映像でしかないはずのカイルが ニヤリと口元を歪めた。虚像のカイルは水晶の外へと手を伸ばし、本物のカイルの肩に触 れた。 「な!?」 「ナ!?」  二人のカイルが同時に驚きの声を上げ、反射的にカイルが偽者の手を振り払うと、水晶 に半身を埋めたそれはカイルの表情をまねしながら、その身の全てを現実の世界へと現し た。  一番動揺したのはもちろんカイルだ。 「お、俺が二人だぁ!?」 「オ、俺ガ二人ダァ!?」  時間差無く偽者が言う。それに、カイルのまなじりが劇的に吊りあがった。 「俺のまねしてんじゃねぇっ」 「俺ノマネシテンジャネェッ」 「こいつ……っ」 「コイツ……ッ」  二人が今まさに相手に襲いかかろうという構えを取る。それも鏡に映したようにそっく りで、あまりの出来事にソノラは目を丸くして身動きが取れなかった。 「え? あ……ど、どっちがアニキだっけ?」 「それも問題ですが……どうやら囲まれたようです」 「ええ!?」  少女の悲鳴を聞きながら、レックスは森の闇の中へと視線を巡らせていた。二人のカイ ルのやり取りに目を奪われているうちに、多数の気配が周囲に現れていた。闇の中で赤い 目の光ばかりが目立つ、半透明の人型のようなものや、オニビのような丸々とした身体に とんがり帽子を被ったもの。何種類かは召喚術で見覚えのあるそれらに、レックスは呻く ように呟いた。 「はぐれ召喚獣……しかもサプレスの霊体がこんなに」 「ちぃ……っ」  延々と怒鳴りあっていたカイルも、異常に気がついてレックスたちのもとまで後退した。 逆に、もう一人のカイルは背後に多くの霊体を従えて、初めてカイルとは違う表情を作る。 「侵入者ヲ排除セヨ!」  甲高い声で命令を下す。その声に押されるようにして水晶の広場に現れた霊体は、レッ クスたちが絶句するほどの数だった。十や二十ではない。それこそ数十、百にも及ぼうか という大群が、赤い瞳を敵意に爛々と輝かせて彼らを睨みつけていたのだ。 「や、やだ、何これ!?」  勝気なソノラも顔を真っ青にして拳銃を抜き、即座に発砲したが、実体を持たない霊を 突き抜けるだけだ。 「先生、ヤード。召喚術でどうにかならねぇのか!?」 「さすがにこの数は……信じられません」  ヤードが手杖を構えながらも顔を歪めた。帝国軍人として召喚術の勉強もしたレックス には、ヤードの戸惑いが痛いほど良くわかった。 (おかしい……おかしすぎる)  はぐれ召喚獣とは、召喚されて送還されなかった召喚獣だ。当然、この世界にいるから には、召喚した召喚師がいるはずである。  だが、これほどの数の召喚を行い、さらに支配に失敗するということがあるのか。支配 されていない召喚獣は、凶暴なものであれば召喚師自身を攻撃する。普段の生活の中を、 いきなりリィンバウムに呼びつけられた彼らは、召喚師に好意を持つはずもないからだ。 だから、はぐれ召喚獣の存在はそのまま、その召喚師の死を意味することがほとんどだ。 (なのに、この数……)  同じ場所にこれほど多くのはぐれ召喚獣がいるなど、あり得ることではなかった。  そう考えているうちにも、霊体たちによる包囲網は距離を狭めていた。レックスの知る 種類のとんがり帽子の霊体などは、すでに彼らの魔法の力の射程距離にレックスたちを捉 えている。レックスやヤードが多少召喚術を使っても、多勢に無勢で嬲り殺しにあうのが 目に見えていた。 「やだ……来ないでよ。来ないでったら!」  半魚人相手には勇ましかったソノラも、武器の通用しない霊体には怯えの顔を見せてい た。その顔に、レックスは覚悟を決めて剣の柄に手を添える。  その時だった。 「ソコマデ!」  低い、男とも女ともとれない異質な声が、森を貫いた。  カイルの偽者が驚いた顔で後ろを向き、まるで訓練された兵隊のように一斉にはぐれ召 喚獣たちが左右に割れた。 「モウヨイ……下ガレ」 「ハ」  偽者のカイルが、新しくやってきたその存在のために道を譲る。鋼の触れ合う音を響か せて、悠然と歩いて姿を現したのは、見上げるような巨漢の鎧の騎士だった。全身をくま なく分厚い鉄板で覆い、頭部も面頬を下ろした兜で隠している。わずかに覗く目は、肉眼 ではなく緑色の光だった。 「ゆ、幽霊の騎士……?」  ソノラの呟きが、的確にそれを表していた。完全武装の騎士は、人間の大人よりも大き く見える剣を背にしており、レックスは喉が渇くほどの威圧感に戦慄した。一歩ずつゆっ くり進む騎士の身体は実際よりも遥かに大きく見え、発する霊気は集まっていた百に近い はぐれ召喚獣を上回るほどだ。それはカイルも同じで、海賊の頭領は険しい顔で両拳を構 える。ヤードも、召喚術に備えて手杖を強く握り締めていた。  だが、レックスは彼が仲間を退けたことに希望を見いだして言う。 「俺たちは、この島に漂流してきた者です。飲み水が足りないため、水源を求めて川を遡 ってきました。あなたたちの領域に無断で入り込んだのは謝罪します。どうか、この場は 収めていただけないでしょうか?」  剣から手を離し、争いを否定するために手を広げて一歩前へ出る。ソノラが止めようと したが、レックスの意図を汲み取ったカイルは、少女の襟首を掴んでその場に留めた。  そして、騎士はレックスから数歩の所で、歩みを止めた。 「モトヨリ、争ウ気ハ、無イ」 「ありがとうございます……」  赤毛の青年は胸を撫で下ろした。騎士は相変わらず凄まじい威圧感を持っていたが、レ ックスより頭二つ高い位置にある瞳に、敵意は感じられなかった。頭を下げるレックスを 前に鎧の騎士は言う。 「ソレヨリ、訊キタイコトガ、アル」  それは話すという作業が酷く困難だと感じさせる、途切れ途切れの言葉だった。人の言 葉を話すのに適していない喉を使って、無理矢理人の言葉を話しているという印象を受け る。 「ファルゼン様!」  羽ばたきの音と共に白い羽根が降ってきたのは、その時だ。  驚いて顔を上げるレックスたちの立つ地面に、大きな白い鳥の翼を背にした青年が舞い 降りる。光を束ねたようなうねる金髪を伸ばした青年で、芸術家が己の技量を嘆くような 端整な顔立ちをしていた。スカーレルのような中性的な美貌とは違い、はっきりと男とわ かる線の太さで、肉体派の彫像がそうであるように、鼻筋の彫りの深さや顎から喉にかけ ての線が見事な造形を形作っている。身にはゆったりとした白い法衣にも似た服をまとっ ており、翼とあいまって清廉な印象を見る者に与えていた。 「わわ! 今度は何!?」 「天使……ですね」  横からソノラに袖を引かれ、ヤードが小声で応える。声に緊張感があるのは、天使は悪 魔と並んで霊界でも力のある種族とされていることを知るからだ。  そのような人間たちを一瞥し、天使の青年は鎧の騎士の隣で、綺麗に腰から折れる礼を した。それから、レックス同様に敵意の無いことを示すために、両手を開いてみせる。 「始めまして、人間の皆さん。私はフレイズ、こちらの冥界の騎士ファルゼン様の従者を 務める者です」  そう自己紹介をして、天使のフレイズはレックスの瞳を見る。真正面からのそれに、レ ックスは躊躇わずに視線を合わせた。  数拍の間の後、フレイズが口元に小さな笑みを浮かべる。 「なるほど、あなたはなかなか美しい魂の輝きをお持ちですね。覗き見するようなまねを してすみませんでした」 「え?」 「天使は、人の魂の輝きを見ることが出来るのですよ。そちらの方々も、邪悪な気配は感 じられません。我が<狭間の領域>の住人の勇み足をお許し下さい」 「<狭間の領域>……それがこの森の名前ですか?」 「はい」  もう一度深々と頭を下げるフレイズに尋ねると、彼はあっさりと頷いて認めた。それか ら、まだ状況に対応し切れていない人間たちに言う。 「ファルゼン様のお身体は、言葉を使って話すことにあまり向いていませんので、私が代 わりに話させていただきます」  すると、ファルゼンと呼ばれた鎧の騎士が、それまでとは違う、風の唸りのような音を 発した。それがファルゼンの声なのだとレックスが気づいた時、フレイズが通訳をする。 「ファルゼン様は、あなた方侵入者……失礼。漂着者と争う気持ちはありません。あなた 方に私たち島の住人を害する気持ちがあるのかどうか、それだけを確認したいと仰られて います」 「そうですか……良かった。俺たちも、無益な争いをするつもりはありません。先程ファ ルゼンさん? にも言いましたが、この森へは水源を調べにやってきました」 「なんか良くわからねぇが、こっちは売られた喧嘩を買ってただけだぜ、天使さんよ。俺 たちは船を修理出来次第この島からは出て行くつもりだ。この島に興味はねぇし、金にな らねぇ殺しはしぇね。約束するぜ」  相手がはぐれ召喚獣でも、カイルの言葉には対等の交渉相手に対する礼儀があった。決 して美辞麗句を並び立てていたわけではなく、むしろ荒っぽい言葉が耳についたが、それ でも真意はフレイズの胸に届いたようだ。  天使はカイルの竹を割ったような性格に、好感のある笑みを浮かべた。ファルゼンも、 かすかに鎧を軋ませて頷く。 「わかりました。ただ、島への滞在については、ファルゼン様お一人で決定するわけには いきませんので、他の護人の方々に引き合わせるとファルゼン様は仰られています」 「もり……びと?」  聞き慣れない言葉にレックスが首を傾げると、 「この島の指導者の方々です。ファルゼン様は、この<狭間の領域>で霊界サプレスの住 人をおまとめになっています」 「なるほど……じゃあ」  フレイズの言葉に、レックスとヤードは顔を見合わせた。言いたいことは天使の青年も わかったのか、即答する。 「ええ。他のお三方もそれぞれ別の世界の住人をおまとめになっています。この島は」  と、彼は人間たちが驚きに声が出なくなる告白をした。 「リィンバウムを取り巻く四つの世界。そこから召喚され帰れなくなった、はぐれ者が住 む島なのですよ」                 ※  ファルゼンとフレイズに先導されて連れて行かれたのは、美しい泉の上に建てられた宮 殿だった。森の中を一時間あまり歩いた果てに辿り着いた場所に、カイルとソノラが同時 に口笛を吹く。  宮殿は、壁の無い円柱と屋根で作られたもので、美しい女の天使や蛇体を寝そべらせた 竜の、精緻な彫刻が柱の一本一本に施されている。岸から泉の中央へと廊下が伸び、円卓 の間にはすでに先客が三人ほどいた。 「どうぞ」  フレイズに促されて宮殿に入った一同は、物珍しげに森の中に突如現れたその建築物を 眺める。ただ、その感想はまちまちで、 (凄いな……この柱。確か旧王国時代に、エルゴの王が四界の儀式を行うための祭壇があ ったらしいけど、それの様式と同じだ。まさかこの目で見れるなんてなあ)  と、レックスが感銘にうんうんと何度も頷き、 (ほう、なかなかいい彫り物じゃねぇか。まあ、取り外せるもんじゃねぇし、興味ねぇな)  と、カイルはさっさと視線を外し、 (へぇ〜……結構素敵な場所かも。後でスカーレルにも教えてあげようっと)  と、ソノラは並の女よりも女らしいスカーレルへの土産話が出来て喜び、 (これだけのものを作るとは……いや、はぐれ召喚獣が旧王国時代の建築を作るはずが無 い。では誰が?)  と、ヤードは真剣な顔で考察を進めた。  四者四様の人間たちを円卓の間に通すと、フレイズは部屋の隅に身を寄せて控えた。無 言のままファルゼンが進み出て、円卓の前で言葉を発する。 「待タ、セタナ」 「まったくね。大事な会合に遅れた理由を聞かせてもらおうかしら?」  それに冷淡な声で対応したのは、円卓の席の一つに着いた、長い栗毛の女だった。声の 通りに怜悧な美貌を持ち、瞳すら青ざめた氷のような色をしている。年齢は二十代の後半 ほどで、身体に密着する形の白い服が、そのめりはりのある女らしい起伏に富んだ身体の 線を際立て、彼女の魅力を引き出していた。  ただ、レックスたちが驚いたのは彼女の美しさではなく、剥き出しになった右肩から肘 までに見える機械の回路だった。一見すると装飾のようだが、それは紛れも無く機界ロレ イラルの高度な機械文明がもたらした、何かしらの機構だ。 (機械……なのか?)  その部分以外は生身の人間にしか見えない女に、レックスは戸惑った。彼女の眼鏡の奥 の瞳がそんなレックスを捉え、厳しいものになる。 「それは……っ」 「え?」  音を立て席を立った女に、レックスは一歩退いた。女の視線が自分を貫いたのがわかっ た。  しかし、その視線を遮るかのように鎧の騎士が間に立ち、厳かな口調で言う。 「漂着者ヲ、連レテ来タ。会合ノ、議題ニ、入レル」 「……わかったわ。他の二人は?」  女がファルゼンを睨みながら言うと、それまで黙っていた二人の男が頷いた。 「かまわねぇぜ。さっさと始めようや」  そう言ったのは、美しい白と黒の縞の毛並を持つ獣人の男だ。虎に近しい種族らしく、 長身で逞しい野生の筋肉をまとった身体つきをしている。そのほとんどが密林に覆われた 幻獣界メイトルパに多い、薄手の袖無し服を着ており、その服には何か呪術的なものなの か複雑な紋様が幾つも描かれていた。人間のものの倍はありそうな大きな手に乗せられた 顎はいかにも丈夫そうで、それこそ虎にも似た鋭い面差しの、三十を少し越えた辺りの年 齢に見える男だ。ぼさぼさに伸ばした髪が目に入らないように、服と同じような紋様が描 かれた布を額に巻いている。  続いて、 「同感です。自分もあまり暇な身ではありませんので」  淡々とした口調で、鬼妖界シルターン風の着物に身を包んだ青年が同意した。  雪のように白い髪を後ろで束ねており、額からは短い角が二本生えている青年は、鬼人 に属する存在らしい。着物の上には略式の甲冑を身につけ、背には刀を背負ったままであ ることが、レックスにこの場が決して和やかな集まりの場ではないことを悟らせた。レッ クスたちを見る青年の表情はまるで能面のようで、まったく感情を読むことが出来ない。 それでいて、刃を喉元に突きつけられたかのような圧迫感を与える、鋭い気配の持ち主で もあった。  二人の男の返事に、女は一つ頷いてから、口を開いた。 「機界集落、ラトリクスが護人アルディラ」  それは冷たい響き。 「霊界集落、<狭間ノ領域>ガ、護人、ふぁるぜん」  それは人にあらざる響き。 「幻獣界集落、ユクレス村が護人ヤッファ」  それは面倒くさげな響き。 「鬼妖界集落、風雷の郷が護人キュウマ」  それは我を殺した感情のこもらない響き。  四人が順番に名乗りを上げ、アルディラと名乗った女が締めくくる。 「四者の名において、ここに会合の場を設けます」  ファルゼンだけが立ったまま、宣誓の儀式は終了した。  アルディラはレックスたちに視線を向けると、冷たい声で言う。 「本日の議題は、かねてより問題になっていた、ユクレス村に対する何者かによる盗難事 件だったのだけど……あなたたちの話を聞く方が先のようね。ファルゼン?」 「話シテ、モラエルカ」  ファルゼンに促され、レックスたちは先程の説明をもう一度した。自分たちが嵐に巻き 込まれて漂流し、偶然この島に辿り着いたこと。島の住人たちと争う気は無く、船の修理 が終わり次第、島を出て行くこと。加えて、カイルは資材と食料の提供を要求した。 「もちろん代金は払う。金は……使えるかわからねぇが、なんなら、島の外からあんたら が欲しいと思う物を持ってきてやってもいい。大抵の物なら手に入れてくるぜ」 「結構よ」  だが、アルディラから返ったのは、そのような冷たい反応だけだった。鬼人のキュウマ も、腕を組んだまま頷く。 「そうですね。自分たちはあなた方に何も要求するつもりはありませんが、あなた方の要 求を呑むつもりもありません。船の修理をしたいのでしたら、ご自分たちだけの力でどう ぞ」 「おお。この島の森の木の一本もくれてやる気はねぇよ。石ころ一つでも手を出してみな。 生きて帰れると思うんじゃねえぞ」  獣人のヤッファも、後を継ぐようにして言った。頬杖をついた気だるげな姿であったが、 その瞳の鋭さは他の三人の護人を上回る男だ。低い声で告げられた言葉の内容を理解した レックスは、そのあまりにも敵意に溢れた姿勢に、むしろ戸惑った。それはカイルも同じ で、普段なら激昂するところを、眉間に皺を寄せるだけに収める。 「……どういうこった」 「失礼。ヤッファ、言いすぎよ。──そうね、一部の森の木の使用を許可するわ。水も好 きなだけ。ただ、私たちの方から人手を出す気は無いし、食料を渡す気もないわ。早く島 を出て行ってちょうだい。こちらから言うことはそれだけよ」 「おいおい……そこまで嫌うことはねぇだろ?」  取り付く島もない様子に、カイルがほとほと呆れたという顔になる。レックスも気にな って尋ねる。 「どうしてそこまで俺たちを敵視するのか、良ければ理由を聞かせていただけませんか?」 「ソレハ……」  と、ファルゼンが言おうとしたのを、アルディラが手で制する。語るのを苦手とする鎧 の騎士よりも、自分が説明しようというのだろう。  果たして、彼女は変わらぬ冷静な態度で言う。 「それはね、あなたたちがリィンバウムの人間だからよ」 「はぁ?」  素っ頓狂な声を上げたのはカイルだ。ソノラもまったく理解出来なかった。しかし、レ ックスとヤードの二人だけは、自分たちの予想に顔を強張らせる。 「それは、あなたたちがはぐれ召喚獣だからですか?」  レックスの問いに、アルディラは頷く。眼鏡のずれを指で修正しながら彼女は語った。 「この島はね、とある召喚師の集団が作った、召喚術の実験場だったのよ」 「な……っ」 「召喚師たちは私たちを召喚して、その誓約による支配下においたわ。それからは実験の 毎日。どの世界の召喚術が、より破壊力に優れているのか。どんな種族がどんな特殊能力 を持っているのか……そんなことばかり」 「挙句に、お互いに争いあって召喚師たちは全滅。めでたくオレらは自分たちの世界に帰 る方法を失ったわけだ」  ヤッファが唇を歪め、その鋭い牙を見せた。召喚された者は、召喚した者にしか送還出 来ないのは、召喚術の大前提だ。だからこそ、召喚師はある程度の知性のある召喚獣に対 して有利に立てる。脅し、という名の優位性だ。  衝撃を受けるレックスたちに、アルディラは憎しみすらも理性の管理下に置いたような 冷静さで告げる。 「あなたたちは自分たちを漂流者と言うけれど、私たちも自分たちの世界に戻ることが出 来ない漂流者よ。あなたたちの言葉でなら、はぐれ召喚獣なんでしょうね」 「それは……」  言うべき言葉を、レックスは見つけることが出来なかった。召喚術は、リィンバウムを 発展させた素晴らしい術。彼は、そうベルフラウに教えたばかりなのだ。 「以上が、私たちがあなたたちに協力出来ない理由よ。私たちはリィンバウムの人間を敵 としか思えない。あなたたち個人への好き嫌いじゃないの。これはわかってちょうだい」  誰も、文句を言うことは出来なかった。特に召喚術を操るレックスとヤードには辛い話 で、二人は二の句を告げることすら出来なかった。普段明るいソノラでさえ、押し黙って 不安げにレックスを見ている。  沈黙が続くと、キュウマが無言のまま席を立った。次に、ぼさぼさの頭を掻きながらヤ ッファ。最後に肩をすくめてアルディラが、順番に立ち上がる。 「どうやら、今回の会合はここまでのようね。会議を続ける気分じゃ無いわ」 「……だな。昼寝の続きでもしてくるぜ」 「アルディラ殿、ヤッファ殿、ファルゼン殿、自分もこれにて失礼します」 「仕方ナイ……」  ファルゼンまで同意し、カイルたちもため息をついてそれを受け入れようとした時だ。  レックスは、唇を噛んでうつむいていた顔を上げた。 (駄目だ……)  そう思った。 (ここで終わらせたら、きっと駄目だ)  ここまでのことを、彼は思い出していた。海賊たちを襲った半漁人たちのこと。<狭間 の領域>という森で自分たちを囲んだ霊体たちのこと。今は宮殿の隅で無言を通している、 自分たちにもやわらかい物腰を見せた天使のフレイズのこと。この場の四人の護人の語っ た、過去の出来事のこと。 「まだ……何も話してない」 「先生?」  ボソリと呟いたレックスを、ソノラが見る。その瞬間、レックスは大きな声で護人たち を呼び止めていた。 「待ってください!」  そのいきなりの声に、生まれた世界もバラバラの四人が同時に赤毛の青年を見た。自ら 距離を詰め、真剣な顔でレックスは言う。 「俺たちは、まだ何もお互いのことを話していません。今のはただお互いの状況を、立場 を明確にしただけです。違いますか!?」  何を言い出すのか、と護人たちはレックスの言葉を待った。彼は、最後の躊躇いを振り 切るように勢いをつけ、 「例えば、俺の名前はレックスといいます。カイル。ヤード。ソノラ。そのことを、あな たたちは知っていますか!?」  海賊たちを一人ずつ示し、レックスは護人たちを見据える。さらに一歩前に、青年は進 んだ。 「俺の名前は、リィンバウムの人間だなんて、そんなものじゃないんです!」 「……そいつを、リィンバウムの人間のお前が言うのか?」  最初に反応したのは、ヤッファだった。獣相の男は、目を細めてレックスのことを見下 ろしていた。返答次第ではその場ですぐにでも引き裂こうという視線に、しかしレックス は臆さない。 「もう一度言います。俺の名前はレックスです。リィンバウムの人間だなんて、そんな悲 しい言い方をしないでください」  自分たちが蔑ろにされることよりも、リィンバウムの人間全てがひとまとめにされて憎 まれていることが、辛かった。  だから、彼は自分の罪を告白する。 「俺は、召喚術を使います。戦争をするために教わりました。あなたたち異界の人々を、 誰かを傷つける力を使わせるために呼び出したことも、もちろんあります」  護人たちは、そんな彼の言葉を真剣な顔で受け止めていた。すでに帰ろうと背を向ける 者はなく、四人ともがレックスの意図を探ろうと考えを巡らしていた。  だが、レックスはそれがわかっていながら真っ直ぐに言う。隠した意図など無い。ただ、 思ったことをそのまま口にした。 「俺は、あなたたちを実験のために呼び出してこの世界に置き去りにした召喚師と、同類 かもしれません。でも、これだけはわかってください。リィンバウムには、優しい人がた くさんいます。俺は、優しい人をたくさん知っています。そんな、俺が知っている優しい 人たちまで軽蔑されるのを、俺は我慢出来ない……っ」  最後の一歩を踏み出し、彼は辿り着いた円卓に強く手を突いた。誰もが口を閉ざした中 に、その音がまるでレックスの叫びそのもののように響く。  そして。 「……あなたの言いたいことはわかりました」  キュウマが、初めてその能面のような顔に苦笑を浮かべた。そうすると、意外なほどに やわらかい表情になる。 「あなたの言うことも、もっともです。確かに自分も、同じシルターンの者ということだ けで、敬愛する主君たちを悪鬼どもと同列に扱われては、腹が立つでしょう」 「だがよ、自分が召喚師と教えて、無事でいられると思ってんのか?」  ギラリと瞳を輝かせたのはヤッファで、その大きな拳が握り締められる。人間の頭くら い簡単に砕きそうなそれを前にして、レックスは一歩も退かなかった。 「やっふぁ……待テ」 「邪魔すんのか?」  鉄の鎧がヤッファの前に立ち、二人の護人はしばし睨み合った。その険悪な雰囲気を救 済したのは、ため息をついたアルディラだ。 「あなたたちが争っても仕方ないでしょう。ごめんなさい、見苦しいところを見せたわね」 「いえ」  かぶりを振るレックスを、彼女は眼鏡の奥の瞳で見つめる。青年の髪の先から爪先まで、 そしてその心の中まで、何一つ見落とさないように観察し、アルディラは言った。 「あなたが、さっきのことを本気で口にしたのはわかったわ。でも、それでも私にとって あなたはリィンバウムの人間なの。長い時間思い続けてきたことを、あなたの思い込みか もしれない言葉で曲げることは出来ないわ」 「そう……ですか」  届かなかった。  幾分穏やかにはなっていたが、それでも拒絶するアルディラの言葉に、レックスは口惜 しさに唇を噛んだ。 (いや……)  もう一度、レックスは顔を上げて机を叩いた。そこで話が終わりだと思っていた面々が 驚いた顔で彼を見る。 「なら、俺にもっと話させてください。あなたたちがわかるまで、俺は話します。何度で も話します。例えば……そう、俺の故郷の村で隣の家に住んでいた姉さんは、俺が木に登 ろうとする度に拳骨で俺を止めてくれたりだとか、他にも――」 「先生よぉ……そりゃいい人の話なのか? ただの近所の怖いねぇちゃんの話じゃねぇの か?」 「え?」  一生懸命に自分の気持ちを伝えようとした矢先にカイルに言われ、レックスは言葉に詰 まった。それから頭の中で思い出を巡らせ、 「い、いや……その人のしつけのおかげで今の俺があるわけだし」  護人ではなく、カイルに向き直って主張した。  その様子に、殺気さえ漂わせていたヤッファがきょとんとし、それから頭に手を乗せて 豪快に笑う。 「なるほど、そいつはいい女に違いねぇ!」 「魅力的な女性のようですね」 「まったくね」  キュウマとアルディラもさすがに苦笑を浮かべ、ファルゼンとも頷き合ってからアルデ ィラは言った。 「面白い話を、ありがとう。私たち四人が同じ場所で笑ったのなんて、久しぶりよ」 「ど、どうも……」  別に笑いを提供したかったわけではなかったレックスが、気恥ずかしさに赤くなった頬 を掻く。 「あなたのお話で、少しは前向きにリィンバウムについて考えることも出来そうだわ」  決して壁が無くなったわけではなかったか、それでもまるきりの拒絶でもない言葉に、 レックスは表情を明るくする。 「じゃあ、他にも話させてください。俺の知っている人たちのことを」  青年が円卓に身を乗り出した時だ。  爆発音のようなものが遠くから聞こえ、森の木々から一斉に鳥たちが飛び上がった。無 数の鳥たちの鳴き声と羽ばたく音は、最初に聞こえた爆音よりも凄まじい轟音となって、 その場を呑み込んだ。 「何!?」 「今のは、風雷の郷の方角……まさかっ」  キュウマがサッと顔色を青くし、すぐにそれが能面に戻ると、刃の視線がレックスたち に向けられた。目にも止まらぬ早さで背から刀を抜き放ち、中腰になった低い姿勢で構え る。 「待テ。確認ガ、先ダ」 「む……」  ファルゼンが人間たちを庇い、しぶしぶ頷いたキュウマが刀を収める。それまで控えて いたフレイズが、 「私が先行します。護人の皆様もお急ぎを」 「頼んだわ」  翼を開き、天使の青年が宮殿を飛び立つ。翼が空気を叩く大きな音がして、フレイズの 身体が一気に青空の高さまで持ち上がると、今度はヤッファが足早に宮殿の外へと歩いた。  彼は不意に振り向き、 「おい、あんた。レックスとかいったな」 「はい」 「あんたの仲間が何か騒ぎを起こしてるわけじゃねぇ……そういうことでいいんだな」 「……はいっ!」  強くレックスは頷いた。それを見たヤッファは舌打ちし、 「なら、千客万来だな。どうなってやがる」  走り出した。同時にキュウマも地面を蹴って風のように駆け出し、ファルゼンとアルデ ィラも続く。  レックスたちも、迷ったがそれに続くことにした。                 5  連続する爆音の発信源を求め、レックスたちが森を東に進むと、激しい戦いの音が耳に 届くようになった。そこは森の中であったが、木々が何本も薙ぎ倒され、大きな空き地と なっていた。  まず聞こえたのは、癇癪を起こしたような男の声だった。 「ちくしょう……うぜぇんだよ、この化け物どもがぁ!」  それは顔の左半面に呪術的な紋様の刺青を施した男だった。頬がこけており、蛇のよう に狡猾な目をしていて、世の中全てを斜に構えて見ているような印象がある。黒の上に白 い羽織を合わせる軍服姿に、レックスは驚きの声を上げる。 「帝国軍!?」 「喰らいやがれ……召喚!」  男が右手を突き出すと、その先に紫色の閃光が炸裂し、オニビほどの大きさの球形の召 喚獣が現れる。身体全体に及ぶほどに大きく裂けた口を開き、その雷精が悲鳴のような金 切り声を上げると、雷雲も無いというのに幾条もの稲妻が地面に落ちた。男に迫ろうとし ていた大きな目玉のはぐれ召喚獣が、その一撃に撃たれて黒焦げになる。  レックスたちが到着した時にはすでに戦場の態を成していたそこでは、十名あまりの帝 国軍の兵士が武器を構えて陣を組んでいた。全員がかなりの腕前らしく、獅子と犬を掛け 合わせたような獣や、緑色の肌をしていて頭の上に皿を乗せた人型の妖怪などが無残な姿 で大地に横たわっている。  中でも召喚術を使う男は、その破壊力であらゆるものを焼き尽くしていた。 「落ちろぉ!」  呼び出した雷精に命令し、轟音と共に雷を落とす。帝国兵の上に圧し掛かろうとしてい た狛犬が、背を撃たれてふらついた。そこを、兵士が手にした剣でとどめを刺す。  刺青の男を中央に据えた陣形は、正規の訓練を受けた機能性があった。それに比べ、周 りから押し寄せているはぐれ召喚獣たちはまとまりに欠け、突出したところを各個撃破さ れている。 「あの戦い方じゃ……駄目だっ」  驚きから立ち直ったレックスが言うより早く、キュウマとヤッファが飛び出していた。 新しく襲い掛かる敵を、帝国兵たちは冷静さを失わずに迎え撃つ。 「なにぃ!?」  だが、刺青の男は目を見開いた。召喚術の的にするために相手を足止めするはずの兵 士が、ほぼすれ違い様の一撃のみで倒されたからだ。  キュウマの刀が兵士の喉を裂き、赤い鮮血が森の清廉な空気の中に飛び散る。ヤッフ ァの豪爪が兵士の腹を捉え、その身をまるでゴミくずのように弾き飛ばす。  二人が呟いたのは、同じ意味を込めた言葉だった。 「許しませんよ」 「好き勝手やってくれたじゃねぇか」 「な、なんだこいつら!? び、ビジュ様ー!」  兵士たちが上官に助けを求めても、刺青の男が雷精を使う間も無く二人の護人は兵士た ちを蹴散らした。ビジュと言われた上官は顔を引きつらせ、叫ぶ。 「撃てぇ!」 「ちぃっ」  再び命令された雷精が横薙ぎに稲妻をばら撒き、キュウマとヤッファは一度間合いを取 った。キュウマは手近な木の枝の上に立ち、ヤッファはレックスたちの場所まで後退する。  そこに、カイルが進み出た。 「はっ。帝国軍さんよ、こんな所でも顔を合わすなんざ、よくよく縁があるみてぇだな」 「てめぇは……あの時の海賊っ!?」  そのやり取りで、レックスは二人が<成功への船出>号の上で争った間柄であることを 知った。ビジュは、護衛艦に乗り込んでいた帝国軍兵なのだ。 (剣を取り戻しに来たのか?)  彼らの目的が<碧の賢帝>の護送であることをヤードから聞いたレックスは、そう予想 したが、しかし答えは違っていた。 「嵐に流されて漂着してみりゃぁ、はぐれ召喚獣だらけだわ、海賊には会うわ……ついて ねぇっ。なんなんだこの島は! ああ!?」  言いつつ、ビジュが懐に両手を入れる。取り出した時には、全ての指の間に投擲用の短 剣が挟み込まれていた。  彼の示した戦う意志に、レックスが両手を広げて前に出る。無防備な姿に、ビジュが目 を丸くした。 「なんだぁ……海賊じゃねぇな?」 「待ってください。この島のはぐれ召喚獣たちは、外敵に敏感なだけなんです。こちらか ら手を出さないことを約束すれば、きっと危険はありません。……そうですよね?」 「ええ」  レックスの確認に、アルディラが頷いた。  しかし、ビジュはそれを笑い飛ばす。 「化け物の言うことなんざ、誰が信じるかよ。こいつらだって、自分から襲ってきたんだ ぜ?」 「それは……」  自分たちも同じ経験をしただけに、レックスは言葉に詰まった。それに、と横からヤッ ファが口を挟む。 「こちらとしても、これだけやられといて黙って返すわけにはいかねぇよ」  明らかな怒気と共に言い捨てる。 「待ってください。ちょっとした間違いがあっただけです! 話し合えばわかります。本 当は、お互いに戦う理由なんてなかったはずです!」 「残念ですが、今は戦う理由が出来てしまったんですよ。島の住人の仇という理由がね」  高い位置から、キュウマが言う。視線はビジュから少しも離していない。 「そんな……」  間に立ったレックスに、ビジュは急き立てるように言う。 「で、てめぇはいったい何なんだ? 人間のくせに化け物の味方をすんのか? だったら、 一緒に蹴散らすぜ!?」  ビジュの頭上に浮かんだ雷精が、レックスに狙いを定める。青年はその勢いに負けない ように、決意の表情で言った。 「どちらの味方をするとかじゃない! 理由の無い戦いが嫌なんだ!」 「だからよ、理由はあるんだぜ。そいつらが、化け物だからって理由がよぉっ!」 「危ない!」  問答無用で稲妻が放たれ、それがレックスに直撃する前にヤードが手杖を大きく振った。 すると白い光が広がり、レックスの隣に彼の背丈ほどの水晶の塊が現れ、召喚獣の稲妻を 緩和した。それでも、電撃を受けたレックスの身体には強烈な痺れが走って、彼は呻き声 を上げて膝をつく。 「く……っ」  身体中の毛細血管が全て破裂したかのような痛み。頬が焼け焦げ、視界が暗くなって、 レックスは意識を手放しそうになった。 (だ……めだ……っ)  気力を振り絞って、瞼を開く。目の前には、カイルとソノラの背中があった。 「黙って見てりゃあ、好き勝手やってくれるじゃねぇかっ」 「上等よ……その汚いツラに、鉛玉ぶちこんでやるよっ」  ああ、自分のために、二人が怒ってくれているんだな、とレックスはぼんやりと思った。 出会ったばかりの二人だったが、まるで長年の友人のような怒り。それが、こんな時だと いうのにレックスは嬉しかった。 「けっ。ガタガタ騒ぐんじゃねぇよ。しかし、こんなところに戦術召喚術を使う奴がいた とはなぁ」 「……あなたの召喚術の射程距離は、私の射程距離でもあります。派閥で召喚術を学んだ 私と、撃ち合いをしてみますか?」  険しい表情で言うヤードに、ビジュが地面に唾を吐いた。戦術召喚術とは、戦闘を有利 に進めるために、魔力を遮断する水晶や物理的な障害物を召喚するものだ。望んだ物体を 召喚するのは通常の召喚術よりも難しく、攻撃に偏った軍隊ではあまり教えていない。優 れた戦術召喚術の使い手がいれば、戦況はそれだけで大きく傾くと言われている。  さらに、ビジュは四人の護人と、空から自分を見下ろしているフレイズに視線を向けた。 「確かに……分がわりぃぜ。だがな、こちらの戦力がこれだけって、誰が言った?」 「無事か、ビジュ!」  その場に駆け込んできたのは、巨漢の男を中心とする兵士の一団だった。その男は、船 の上でマストの下敷きになったレックスを救う命令を出したギャレオだ。  彼はカイルたちと睨み合うビジュを見ると、すぐに号令を出して二十人ほどの兵士たち にレックスたちを囲ませた。その展開の早さに、カイルが舌を巻く。 「よく訓練されてるじゃねぇか」  一方、ビジュは形勢逆転に嫌らしい笑みを浮かべて、救援の仲間に言葉を投げた。 「おせぇぞ、ギャレオっ」 「偵察に行ったきり戻ってこないと思えば……勝手に戦闘だと? どういうつもりだ」 「よく見ろよ、副長さんよ。そいつらは、そこらに転がってる奴らと同じ、化け物だぜ」  咎めるように言う筋肉質の男に、ビジュが地面を舐めるように視線を走らせる。それを 追ったギャレオも、戦闘の構えを取る護人たちに強い視線を向けた。 「……そのようだな。はぐれ召喚獣か」 「さぁて、皆殺しの時間だぜ。ひひっ」 「全体、抜剣!」  響く号令に、鋼の刃が鞘から解き放たれる音が周囲から聞こえた。ただ一人だけ身動き が取れないまま、レックスは考える。 (駄目だ……違うんだ)  同じ戦いを、何回繰り返しただろうか。ベルフラウを助けた時。海賊を助けた時。森の 中。どれも理由らしい理由は無い戦いだった。  話し合えば、戦いは避けられるはずだった。船の上で、カイルが海賊たちを下がらせた ように。ファルゼンが、霊体たちを下がらせたように。  だというのに、ビジュという帝国軍の兵士は、話をしようとする気すらない。言葉の通 じない半魚人たちとは違うというのに。同じ人間だというのに。 (どうしてだ……っ)  悔しさを噛み締めていると、何度か耳にした声が脳裏に響いた。  ――それは、汝に力が足りないからだ。  と。  ――力ニシカ従エヌ者モ、コノ世ニハイルノダ。  だから。  ――汝、我を求メヨ!  知らぬうちに、レックスは吼えていた。 「おおおおおおお!」  鞘に収めたままの<碧の賢帝>から光が溢れ出し、その碧の閃光が青年の身体の痺れを 消していく。まるで時間が戻るかのように傷が癒え、続いて髪が白く染まり、長く伸びて いく。 「な、なんだぁ!?」 「あれは……あの剣は!」  ビジュとギャレオが動揺する前で、レックスは白い魔人の姿へと変じていた。抜き放っ た<碧の賢帝>を天高く掲げ、彼は言う。 「退いてください。そして訂正してください。この人たちは、化け物なんかじゃない。住 んでいた世界が違うだけで、俺たちと同じ人なんです!」  神々しいほどに輝くその姿に、全ての者の視線が釘付けになった。有利なはずの帝国軍 は突撃するのも忘れ、レックスの姿に魅入る。  我に返ったのは、ビジュが一番早かった。 「だから、何なんだよぉ、てめぇはぁ!」  雷精に命令を出して、レックスに稲妻を放つ。その稲妻を、<碧の賢帝>は一振りで断 ち切った。 「馬鹿なぁ!?」 「開け、幻獣界の門! セイレーヌ!」  召喚石も無しに、レックスは召喚の言葉を紡いだ。それは初めての経験だったが、ヤー ドの言った通り、剣の力が召喚石と同じ役目を果たして、緑色の光の門がレックスの頭上 に現れる。  自分が得意とする召喚獣を呼び出すと、レックスは人魚に癒しの力を使わせた。竪琴を かき鳴らすと、虹色の水が倒れていたはぐれ召喚獣や帝国兵たちを包み込んでいく。それ は通常に召喚術を使用するよりも遥かに強力な効果で、半ば炭化して死を待つばかりだっ た者までもが、瞬時に傷一つ無い姿を取り戻す。  奇跡のような光景、と誰もが思った。  ただ一人、ビジュだけを除いて。 「な、何考えてやがる。敵まで癒しやがって……馬鹿かてめぇは!」 「これで戦う理由は無くなりませんか」 「無くならねぇよ! ひひ、馬鹿が。ギャレオ、行くぜ!」  だが、ギャレオは動かなかった。訝しむビジュが見ると、ギャレオは戦況を確認して手 を挙げる。 「撤退!」 「は!」  ビジュは面食らったが、忠実な兵士たちはギャレオの方の命令を優先しているらしく、 一斉に撤退を開始する。包囲網を解いた兵士たちに、カイルたちが安堵の息をついている と、ビジュが副長に食って掛かっている声が聞こえた。 「どういうこった、ギャレオ!」 「見たままだ。分が悪い。ここは一時撤退する。」 「分が悪い、だぁ?」  馬鹿にするように鼻で笑い、ビジュがレックスに向かう。ギャレオが止める間も無く、 「こんな野郎に何ビビッてんだぁ!?」  恐ろしいほどの素早さで、両手の短剣を投げつけた。八本の輝きがレックスに飛んだが、 彼はそれを剣の一振りで吹き飛ばす。目を見開いたビジュが雷精を動かす前に、レックス はその前に走り込んでいた。 「げはぁっ」  腹を蹴られ、ビジュが身をくの字に折る。その手からこぼれ落ちた紫色の召喚石を、レ ックスは足で仲間たちの方へと蹴り飛ばした。  ほんの一瞬の決着に、ビジュは呆然となった。こみ上げてくる吐き気を堪えながら、目 の前にある地面を見つめ、ゆっくりとその存在を見上げる。  碧の燐光をまとった、白い魔人。 「ひぃぃっ」  思わず、ビジュは悲鳴を上げていた。  自分は強いと思っていた。まともにやり合って自分に勝てる者など、帝国軍でもそうは いないし、彼よりも強い者にだってそれなりに一矢報いることは出来た。剣の模擬戦でも、 召喚術の試験でも、彼は常に上位にいた。  手も足も出ない相手など、この世にいるはずがなかった。  だというのに。 「て、てめぇ……てめぇは……」 「ビジュ!」  太い腕が、転がったビジュの腹に絡まって、彼の身体を持ち上げた。そのまま遠くなっ ていくレックスの姿を眺めながら、ビジュは心の中で怯えと怒りの入り混じった悲鳴を上 げ続けた。 (くそ……許さねぇ……許さねぇぞっ!)  それを見送り、レックスは<碧の賢帝>を鞘に収めた。青年の姿がもとの赤毛のものに 戻ると、呆気に取られていた護人たちを代表して、アルディラが言う。 「あなた……今の姿は?」 「この剣の力です」  簡潔にレックスは応えた。とりあえずそれで納得しておくことにしたのか、アルディラ は召喚されたままの人魚に振り返る。  すると、人魚のセイレーヌはホッとしたように言う。 「良かった……レックスさんですよね? さっき別人かと思っちゃいました」 「うん。今回も、ありがとう。送還するよ」 「はい」  レックスとセイレーヌのやり取りに、アルディラは目を丸くする。他の護人も同様で、 ファルゼンだけが表情の無い鎧の外見を保っていた。  進み出たのは、ヤッファだ。 「あんた、こいつの支配を受けてねぇのか?」 「あら……フバースの方ですか」  レックスも文献で知る獣人の種族の名前を出し、人魚がヤッファを見上げる。キョロキ ョロと見回し、自分以外にもリィンバウム外の生物が多いことに、少し驚いたようだ。 「誓約は、もちろん受けています。だから個体指定で呼ばれているわけですし」 「いやそうじゃなくな……なんつったらいいか……召喚されるのが、嫌じゃねぇのか?」 「そういうことですか」  なるほど、と人魚は口の中で繰り返す。それから、レックスを見てにっこりと微笑んだ。 「この人は、誓約の時に、嫌ならすぐにメイトルパに私を還してくれるって言ったんです。 力は必要だけど、別に他の人でも自分はかまわないって。都合の良さそうな人にお願いす るって」  そこで、唇を尖らせる。 「それって、酷いですよね。私じゃなくてもいい、だなんて言われたら傷つくじゃないで すか。だから、誓約しました」 「は?」  と、ヤッファが間抜けな声を上げる。意味がわからない。セイレーヌは、自慢げに胸を そらし、言うのだった。 「だって、この人と誓約すれば、他の召喚師に召喚されることはないんですよ? だった ら、いつか危険な人に無理矢理誓約させられる可能性より、この人を選んだ方がいいじゃ ないですか」  だって、と付け足す。 「この人、いい人ですよ」  カイルたち海賊の笑いが、それを肯定していた。                 ※ 「とりあえず、あなたたちには感謝しないといけないわね。そちらのあなたには、島の住 人の命まで救ってもらったわ。ありがとう」  レックスがセイレーヌの言葉に照れながら送還を済ませると、表情を改めてアルディラ が礼を言った。レックスたちは顔を見合わせてから頷き、カイルが頭を掻いて苦笑する。 「礼を言われても困るぜ。あいつらは、俺たちとドンパチやって流れ着いた奴らだからな。 厄介ごとを持ち込んじまったのを謝るぜ。カタは俺たちの方でつける」  きっぱりと言い切る海賊の頭領に、ヤッファがアルディラの肩を叩く。振り返った彼女 と小声で話すと、ヤッファは牙を見せて笑ってみせた。 「あなたがそれでいいなら」  アルディラも彼の提案を了承したらしく、レックスたちに申し出る。 「あなたちがこちらの条件を呑むのなら、当面の食料を提供してもいいわ。どうやら、あ なたたちは先程の集団よりは、交渉の余地がありそうですしね」 「そいつはありがてぇが……条件ってのはなんだ?」 「この島は外の世界から隔絶してきたわ。ずっとね。だから、外の世界の情報を提供して くれればいいわ」 「その話、乗った!」  一も二も無くカイルが喜びの声を上げた。レックスも笑顔になって礼を言ったが、アル ディラはヤッファを示して言う。 「食料を提供するのはヤッファよ。私じゃないわ」 「ありがとうございます、ヤッファさん!」 「あー……まあ、礼だ、礼。あんたは、少しはマシな人間みたいだしよ」  照れくさそうに頭を掻く。その後ろではキュウマが笑いを堪えるように肩を震わせてお り、気づいたヤッファに睨まれた。  そして、アルディラは言った。 「少し、考えさせてちょうだい。今回のことで私たちは、やはり私たちを人として見てい ない集団と、あなたたちのような対等の人として見てくれる集団の二つと出会ったわ。正 直、戸惑っているのが現状よ」  だけど、とレックスを見る目は穏やかだった。 「リィンバウムの人間全体はどうかはわからないけれど、私はあなたたちならば島の人間 に危害を加えないと信じることが出来るかもしれないわ。確か……レックスだったかしら」 「はい」  名指しで呼ばれ、赤毛の青年が頷く。アルディラも、キュウマも、ヤッファも、そして ファルゼンも彼を見ていた。彼の瞳を見ていた。 「もう一度、あなたのしたことに感謝を。さっきのセイレーヌとも、仲良くね」 「食料の受け渡しに関しては、明日にしようや。フレイズ、橋渡しを頼めるか」  ヤッファに指名されたフレイズがファルゼンに許可を求める視線を送ると、鎧の騎士は 無言で頷いた。天使の青年は優雅に胸に手を当てて頭を下げる。 「僭越ながら、橋渡しの役目を務めさせていただきます。あなた方の住処まで案内してい ただけますでしょうか」 「おお。歓迎するぜ」  カイルが笑顔で手を差し出し、フレイズも微笑んで握手した。その光景を嬉しく思い、 レックスが自然と微笑みを浮かべていると、視線を感じてファルゼンを振り返った。 「……ヨロシク、頼ム」 「はい!」  ぶっきらぼうに突き出された手甲の冷たい手を、レックスは満面の笑顔で握り返した。                 結  その夜、海賊カイル一家の船は大宴会の歌に包まれた。新しい客分の歓迎会であるそれ は、水源と食料の確保が保証された分、盛大で華やかな宴となった。  カイルの許可が出て、船に積んであった最高級の酒が船員全員に振舞われ、スカーレル などは、 「愛してるわぁ、カイル」  と大喜びでその晩の美酒を味わった。レックスも舐める程度に飲んでみたが、豪華客船 で飲んだものと大差ない品質に驚かされることになった。もちろん、その後それが盗品だ という話を聞いて苦笑するはめになったのだが。  ヤードとは、召喚術の話題で話が弾んだ。特に、ヤードが習得している戦術召喚術に関 してはレックスも素人同然なので、<無色の派閥>から持ち出したという教本を貸しても らえるということになって、赤毛の青年は子供のように喜んだ。酒よりも食べ物に集中し ていたソノラが、 「先生って、先生なのに勉強するの好きなんだね」  と呆れたほどだ。  そして、レックスは海賊たちの歓迎の波が一段落すると、浜辺に用意された宴会場の隅 にオニビを抱えて座っているベルフラウを見つけ、声をかけた。 「隣、いいかな?」 「……ご勝手にどうぞ」 「うん」  元気の無い返事を受け、レックスは少女の隣に腰を下ろした。大きな貨物の木箱に背中 を預け、しばし二人して海賊たちの焚いた大きな焚き火を見つめる。  月明かりの下、炎に照らされた場所だけが昼間のように明るかった。その明るさは火か ら離れるほどに弱くなり、ある段階で夜のそれに変わる。レックスは、まるで昼と夜の境 目が見えているかのような錯覚に陥った。  焚き火を囲んで談笑する海賊たちは一様に赤く染まり、黒い影が背後に伸びている。長 い影はレックスとベルフラウのもとにも伸びていて、青年は少女がその影を見つめている ことに気がついた。  少女は、ボソリと言う。 「大活躍だったそうね」 「え? うん。まあ、剣のおかげなんだけどね」  思いがけずベルフラウから声をかけられ、レックスは表情を明るくして頷いた。彼女の 機嫌が悪い状態で離れ、戻ってきてからも今までほとんど話すことが出来ないでいた。ス カーレルから、彼女が客室でゆっくりと休んだということだけは聞いていたが、その割に 少女の元気は戻っていないので、心配していたのだ。 「島の人たちとも、なんとか話をすることが出来て良かったよ。ただ、帝国軍とは少しも つれたけどね」  稲妻に撃たれたことを思い出し、レックスはベルフラウの小さな身体を見下ろした。レ ックスでさえ身動きの取れなくなる威力だ。まだ幼い少女では、ひとたまりもなかっただ ろう。 「君を連れて行かなくて、本当に良かったよ。もう、あんな危険なことはごめんだ」 「……そう」  レックスに見えないように、ベルフラウは顔を逆方向に背けた。青年の言葉は真摯で、 本気で自分の身を案じてくれているのだとわかった。  自慢げにソノラが語ったレックスの活躍を聞いて、ベルフラウは納得したのだ。 (そうね。この人なら、きっとそのくらい、平気でしてしまうんだわ)  異界の住人たちに、必死に自分たちをわかってもらおうと言葉をぶつけたり。  偶然出会った帝国軍の兵士さえも癒してしまったり。  その行動の結果、護人という人たちの信用を得てしまったり。 (この人には、それが出来るんだわ)  レックスという青年は、優しい男だった。優しくて、他人を信用する人だった。言葉が 届かないかもしれないと恐れることなく、真っ直ぐに思ったことを口にしてしまう人だっ た。そして、不利になったからといってそれを反故することなく、その行動力でやり遂げ てしまう人だった。  そして、だからこそ、他人も彼のことを信用出来るのではないかと、ベルフラウは思う。 (この人は、口先だけじゃない。本当にいい人で……誰からも好かれる人)  誰からも。 (私だって……嫌いじゃない)  チラリと見ると、顔を背けられたレックスが困った顔で考え込んでいるところだった。 おそらく、ベルフラウの不機嫌の理由でも考えているのだろう。 「ビィ?」  人間二人の様子に、オニビが不思議そうに身じろぎした。それに二人は同時にこのはぐ れ召喚獣を見て、お互いに顔を付き合わせることになった。 「あ……」 「ベルフラウ。俺、また何か知らないうちに君を傷つけていたりするのかな?」 「え?」  不意に青年が言ったことに、ベルフラウは思わず素の表情になった。不機嫌の仮面が割 れ、心細げな表情が覗く。そこにあるのは、初めて会った夜にベルフラウが寝顔で見せた、 漠然とした不安の色だ。  だから、レックスは思った。 (俺はまだ、この子にとってはそばにいるだけで不安を与える存在なんだろうな……)  思い返せば、レックスと出会ってから、ベルフラウは酷い目にばかりあっている。意に 沿わぬ家庭教師。見知らぬ大人との旅行。海賊の襲来。溺れたことなど、思い出したくも 無いだろう。島についてからもろくな食事を与えることも出来ず、結局は海賊たちに頼っ て食料を分けてもらっている。  焦ってはいけない、と青年は自分に言い聞かせる。  今現在、彼女にとって保護者と言えるのは、家庭教師の自分だけなのだと。傷つけない ように、慎重に付き合わなければならない、と。  同時に、少女も考えていた。 (見られた……っ)  素の表情を見られたことに、ベルフラウは焦りを感じた。弱い自分は、少女が一番嫌う ものだ。それを他人に覗かれることは、恥以外の何物でもない。  だが、思いもした。 (この人は……心配してくれるのかしら)  それは、少女の弱気。心配されてみたいという、小さな思い。  父親は、いつも心配してくれていると口にするが、ベルフラウは父親が自分の目の前で 心配げな顔をするのを見たことが無かった。父親は、いつだってベルフラウの前では笑顔 だ。  笑顔は嬉しい。だけれど、それでは心配してくれているのを信用出来ない。 (お父様……私は、あなたの笑顔しか知りません)  ベルフラウに何かあった時、父親が現れるのは、いつも全てが終わった後だった。怪我 をした時も、病気になった時も、彼はいつもその時にはいない。  しかし、レックスはそこにいた。少女の隣にいた。彼は誠実で、嘘は言わないだろう、 とベルフラウは思っている。頼りになり、信用出来るかもしれない人だ。 (……少しは、嬉しいのかもしれない)  心配が嬉しいなど、恥ずかしいことだったが、ベルフラウは少しだけそう思った。  だけれど、結局青年は何も言わなかった。  その結果に、少女は自分への失望に唇を噛んだ。 (何を期待して……)  そして、気がついた。  自分が求めてしまったことに。  籠の中から、餌を求めてしまったことに。 (……最低よ……)  少女は小さな胸の中に、鈍い痛みを覚えた。それは自己嫌悪という名前の痛みで、虫の ように彼女の中を這いずり回る悪虫だ。虫が生まれたのは、レックスという青年に出会っ てから。それまで築き上げてきた自分というものが、いかに薄っぺらなものだったか、わ からされてしまってから。  彼は言ったのだ。  出来ることが増えても、大人にはなれない、と。  出来ることを増やせば大人になれると信じていた自分の、全てが否定された気がした。 そして、否定したその人こそ、今一番信用出来るのではと思える人で、だからこそ、その 否定は強く彼女に圧し掛かってきた。 (あなたが言うんだったら、そうなんでしょうね……)  レックスは、ベルフラウが望む大抵のことが出来る。知識も、剣技も、召喚術も、そし て皆に好かれる人格でさえ、彼は揃えている。 (あなたは、大人よ。空を飛んでいる鳥なんだわ)  否定された少女は、自分が籠の中から外を覗いているだけであることを確認させられた。 (私は子供で……籠の中)  君を連れて行かないで本当に良かった。  籠の中に置いておいて良かった、と。  それは惨めで、悲しくて、ベルフラウはジッと足元に伸びている影を睨みつけた。  海賊たちの踊りの輪。  そこに、レックスはいつでも入ることが出来る。  自分には、それは出来ない。  皆から離れて座る二人の様子を遠目に眺め、グラスを傾けてスカーレルは小さく呟く。 「……ちぐはぐねぇ」  少女を傷つけまいと、たわいもない話題のみを振って、少女の歩み寄りを待つ青年。  青年の中に羨望する多くのものを見つけ、だからこそ自分の未熟さを痛感し、羽ばたけ ないのではないかと絶望しかけている少女。 「がんばりなさい」  目を細め、スカーレルは少女を応援する言葉を口にした。 「鏡に映ったものから目を逸らさず、がんばりなさい」  その夜は煌々とした月の下、賑やかに、しかし少女にとっては鬱々と更けていくのだっ た。                                <第三話へ続く>