サモンナイト3 レックス×ベルフラウSS <サモンナイト3 全編ノベル化計画作品 1>                第一話             「楽園への漂流者」                 序  リィンバウムという世界がある。  周囲を四つの異界に囲まれたこの世界のことを、人々は誇りを持って聖地と呼ぶ。  あらゆる世界の頂点に立つ世界。神々が最初に降り立った至福の大地、聖地リィンバウ ムと。  そこを囲むのは、次の四つの世界。  鬱蒼とした森に覆われ、獣相を持つ亜人たちが狩猟農耕で日々を営む幻獣界メイトルパ。  竜を筆頭に鬼や妖怪が住み、リィンバウム以外で唯一人間が存在する鬼妖界シルターン。  天使や悪魔などの霊的なものが住処とする、肉体の無い一風変わった霊界サプレス。  そして、独自の発展を遂げ全てが機械で埋め尽くされた、機界ロレイラル。  四つの世界は、それぞれ聖地を独占しようと太古の昔から争った。霊界と鬼妖界がぶつ かり、獣界と機界が火花を散らした。世界同士の戦いは、しかしお互いを疲弊させ、混乱 を生み、結局は痛みわけに終わった。  得をしたのは、最初からリィンバウムに住んでいた人間たちだった。彼らは、聖地を舞 台に戦う異界の者たちを調べ上げ、彼らの自由を奪い使役する術を編み出した。  召喚術。  対象の『真の名』を支配し、その存在の全てを掌握する究極の魔法。  聖地の人々は、その力を使って四つの異界に攻め込んだ。戦況は一方的だった。召喚師 を先頭にする彼らは、相手を自らの味方に変えることが出来たのだから。  聖地による四世界統一は目前と思われた。  だがある時、霊界の悪魔王が聖地への大反撃に出た。かの存在は、自ら召喚術を操る人 間に憑依することによって、その力を逆に利用した。部下の悪魔たちの支配を解き放ち、 聖地に侵攻を開始した。  聖地の人々は各世界に救援を要請したが、召喚術という力に驕り他者の命を軽んじてき た聖地の彼らに手を差し伸べたのは、元から悪魔と敵対していた天使たちだけであった。  結果、絶大な力を誇った召喚師の一族のほとんどはその戦いで息絶えた。悪魔王と大天 使が相打ちになって果てた後、天使たちもついに聖地を見限り、己の世界へと帰っていっ た。  そして各世界は、戦乱の痛みを癒すため、聖地を忘れることにした。  かの地は聖地ではない。争いだけがある、呪われた地だと。  それから千年以上の時が過ぎても、聖地は孤独だった。  天使の祝福も、竜神の加護もその世界には届かず、人々はかつて四つの異界が争った場 所で、人間の国同士の戦を繰り広げていた。帝国に聖王国。名前は違えど同じ人間だとい うのに、争い続けている。  わずかに生き残った召喚師たちが細々と継承してきた召喚術は、戦争を拡大するために 使用され、哀れな異界の人々――召喚獣たちに無益な戦いを強要している。  そこは聖地だろうか。  誰が最初に聖地と呼んだのだろうか。  使役することに慣れ、他者の痛みを忘れてしまった人々を、神がどうしてお許しになる だろう。  私は、思うのだ。  世界をもう一度やり直せたらと。  この世に、聖地の人々と異界の人々が共に暮らせる楽園が作れたらと。  私は、そう思うのだ――。                 1  規則正しい馬蹄の音が、間延びした汽笛の音に混じって眠りを誘う昼下がり。入り江状 の港街アドニスの街並を、天蓋つきの馬車の上からぼんやりと眺めていたレックスは、何 度目かの老婆の呼びかけに二人乗りの座席の隣に視線を向けた。 「レックス様。再度の確認をよろしいですか?」 「はあ、どうぞ」  老域にも貫禄が見える老婆の、どこか硬い調子の声に気圧されたようにレックスが頷く。 すると、彼女は初対面から続けていた、怪しい者を見る目をさらに強めて青年を見た。 「まったく……旦那様もどうしてこのような者をお嬢様の家庭教師に」  あからさまに聞こえるように呟かれたそれに、レックスは人の好い顔に微苦笑を浮かべ、 まったくだと内心同意した。そもそも、レックスの身なりを見れば、現在乗っているよう な天蓋つきの馬車など不釣合いも良い所だろう。馬車に帝国有数の商家であるマルティー ニ家の家紋がついていれば、尚更だ。  深い緑を基調とした、落ち着いた色合いの長衣に身を包んだ老婆は、そのマルティーニ 家で女中頭を勤めるサローネという。すっかり色の抜けた髪と、顔に刻まれた深い皺が彼 女の生きてきた時間を物語る、厳格そうな人物だ。  一方、レックスは徒歩の旅人が好む厚手の服を着潰す寸前にまでしており、所々ほつれ たそれを騙し騙し縫い合わせて着込んでいる。足元には薄汚れた肩提げ袋が一つだけ転が っており、それが彼の全財産だと言った時にサローネが見せた表情は、ならず者を見るも のに近かった。  もし彼がマルティーニの馬車に乗ることに資格を求めるのならば、安物の服装の内側、 その人物としての価値に求めるしかないだろう。 「顔立ちは、まあ悪くはありませんが」  それはどうも、とレックスは大きな独り言に心の中で応える。  レックスは、まだ二十歳を越えたばかりの青年だ。冬の厳しい山岳地方に多い燃えるよ うな赤毛に、深い海の底の色の瞳。やや面長な顔は穏やかな眼差しと相まって、どこかの んびりとした、人好きのする面立ちをしている。  背は平均よりも多少高く、足が長いのが印象に残るかもしれない。身長のために細身に 見えるが、襟元から覗いた首の太さを伺えば、ずいぶんと鍛えられた身体をしているのが わかっただろう。  例えばサローネほどの熟練の女中が、それなりの見立てをして着せ替えをすれば、大商 家の晩餐に招かれた新鋭商家の若旦那に見えないこともない。  それが、見た目でわかる範囲のレックスという青年である。  やがて、サローネは気を取り直したようにレックスに尋ねる。 「レックス様は、軍学校をかなり優秀な成績で卒業されたとか……差し支えなければ、そ の辺りについてお聞かせ願えますでしょうか?」 「はあ、一応首席で卒業はしましたが」  特に誇ることもなくレックスが応えると、サローネがふむと目を細めた。その目はまる で値踏みするようで、最高級の馬車の椅子の意外な居心地の悪さに、レックスは思わず身 じろぎした。 「それは見事な経歴で。ではその後は軍に?」 「ええ、一年ほど帝国軍に仕官しましたが、最初の大きな任務で少し失敗をしてしまいま して。自分は兵隊には向いていないと思い知らされて、除隊しました」  包み隠さずレックスは言った。瞳の奥まで覗き込むような老婆の視線を静かに受け止め ていると、サローネの表情が少しだけやわらいだ。 「そうですか。では、旦那様とお知り合いになったのは?」 「まだ軍に在籍していた頃です。それからもマルティーニ氏には何かと良くしていただい ていました。……まさか、ご息女の家庭教師に指名されるとは思っていなかったですけど」  そう言って、レックスはもう一度アドニスの街並に視線を移した。入り江を囲むように して作られた古い時代からある港街で、帝都からは一番近い大型の港である。その分発展 も著しく、美しく揃えられた煉瓦敷きの道路や、街のどこからでも見える時計塔、貿易港 らしく異国の商品の並んだ露店と見るべきところは際限がない。  軍を除隊した後、レックスは立派な軍人になってくれと学費を渡して送り出してくれた 村に帰ることも出来ず、短期間の雇い仕事をすることでどうにか食い繋げてきた。街から 街を転々とし、いよいよ宿を取る路銀も尽きた時、マルティーニから連絡があったのだ。 『この度、娘がパスティスにある軍学校の入学試験を受けることになった。君さえ良けれ ば、その経験を生かして娘の家庭教師をしてはくれないだろうか』  用件ばかりの短い文面だったが、レックスに対するマルティーニの深い信頼の込められ た手紙であり、彼はその日のうちに指定されたアドニスの港へと足を向けた。教師の経験 は無かったが、軍学校の入試ならば体験済みだ。報酬も満足過ぎるほどの金額で、その依 頼を断る理由はどこにも無かった。  そして、待ち合わせの場所で合流したサローネと共に、マルティーニの馬車で出港予定 の客船に急いでいるのが今である。  問題のマルティーニの娘であるが、先に船に乗り込んでいるということで、まだ顔も見 ていない。 (マルティーニさんの娘さんか……確か十二歳って話だったかな)  軍との繋がりも深い大商家の一人娘ともなれば、ちょうど社交界に姿を見せる年頃だ。 礼儀作法やダンス、社交辞令などを詰め込まれ、さぞや深窓の令嬢風なのだろうとレック スは想像する。  そのようなお嬢様が軍学校などに入学するとは、他の国ならば意外なのだろうが、こと 帝国に関してはそうではない。  帝国では、軍の権力が何よりも強い。いわゆる貴族と言われる家柄も、多くは軍部の名 門が占めている。そうした事情と、すぐ隣に聖王国という睨み合いの続いている外敵があ ることも重なって、国の未来を守る若者を養成する軍学校には、最高の施設と教師陣が揃 えられているのだ。  試験の厳しさにおいても最高の狭き門であり、卒業生は軍に仕官しなくてもどの分野で も重宝される。まさにその格式においても帝国内で並ぶものが無い学校。それが軍学校で ある。  そのようなことを回想していると、サローネが念を押すような調子で言った。 「帝立軍学校に入学することこそ、お嬢様の輝かしき未来のために必要なことです。あな たはそのために雇われたということをお忘れのないように」 「ええ。結果を出せるように微力を尽くさせていただきます。……まあ、結果を出すのは ご息女なんですが」 「はあ……頼りない」 「……すみません……」  老女のため息に、レックスは肩をすくめた。だが、サローネの言葉の意図は別のところ にあった。 「いえ、レックス様。あなたの経歴については、失礼ですが旦那様より聞き及んでおりま した。あなたの人柄を知るために、わざと質問させていただきましたが……ええ、あなた が偽らない誠実な人物であることはわかりました」 「はあ」 「ただ……」  と、サローネは皺だらけの眉間にさらに皺を集めた。 「これからお会いしていただくお嬢様は、大変気難しいお方でして。大人――特に殿方に は何かにつけて反発する気性の持ち主なのです」 「それは……初耳です」  反抗期というものだろうか、とレックスは考える。先程まで想像していたお嬢様像に、 子供特有の不満そうなむくれ顔を加えてみる。 「実は、これまでも何人かの方に家庭教師をお願いしたのですが、ことごとくお嬢様に追 い出されてしまいまして。帝都でも有名な、最高の教師を揃えたのですが……」 「ちょ、ちょっと待ってください。それじゃ、教師経験の無い俺なんかの手に負えるはず ないんじゃ?」  面食らって、思わずレックスは言っていた。子供の家庭教師ということで気軽な気持ち だったが、職業教師の者たちに教えられない子供をどうにか出来ると思うほど自惚れては いなかった。特に、教師の腕前によって教え子の理解度が大きく変わることは、軍学校で 実感してきている。 「それなのに、なんでまた俺なんかを……」 「さあ……旦那様のお考えはわかりかねます。私としては、あなたのやわらかすぎる態度 や気弱な様子が、押しの強いお嬢様相手には不安なのです」  貶しているのではありません。相性の良し悪しについて言っているのですよ、と補足す るサローネに、レックスは生返事で応えるしかなかった。                 ※  潮の匂いが鼻につくほど強くなると、馬車は人々で賑わう港へと到着した。二頭仕立て の優雅な馬車が止まると、レックスは男の礼儀としてサローネよりも早く下車し、彼女が 下りるのに手を貸した。 「すみません」 「いえ。それにしても、賑やかですね。あちらの船ですか?」  礼に笑顔で返し、レックスは視界の大半を占める客船を指差した。サローネが頷くのを 見て、なるほどと感心する。  その客船は、船底が鮮やかな緑に塗られた巨大なものだった。速度よりも利便性を追求 した大きさを誇っており、大抵の波ならば悪路にも感じず切り裂いていく圧倒的な安定感 が船体から感じられる。最初から金持ちだけを顧客と見込んでいるらしく、欄干は複雑な 紋様を描く優雅なもので、船首からは身を乗り出すようにして天使の像があった。  アドニスの港の規模は決して小さくは無いのだが、その客船の大きさはさすがに港でも 持て余しているようで、近年の造船技術の進歩にはレックスも感心のひとことしかない。 (ただ、小回りは効かなそうだな……海賊とかに襲われたら、逃げ切れるものじゃない。 鍵の無い金庫を見せびらかしながら航海するようなものだ)  元軍人らしく辛口の判断も下すが、すぐに気づく。  豪華客船に並ぶようにして、やや小ぶりな、しかし並の船よりは余程大きな軍艦が接岸 していたのだ。当然のように掲げてある帝国の旗とは別に用意された、馬の前半身と魚の 後ろ半身を持つ生き物を描いた船の個別識別旗に、レックスは目を見張る。 「<蒼の海馬>号? 帝国海軍の主力艦じゃないか」  目の肥えた者が見れば、その軍艦が異常なほどの重装備であることがわかっただろう。 敵艦をすれ違い様に沈めるための大砲が船腹に何門も用意され、船首には体当たり用の衝 角が取り付けられている。三本のマストが張る帆はあらゆる角度の風を捉え、素早い操船 を実現している。  強く、そして速い、軍艦のお手本のような船だ。  通常、私有の客船の護衛には私設の海防隊が当たるものなので、レックスは意外な思い でその軍艦を見た。 (でも、護衛としてこれ以上は無いな……安全な旅になりそうだ)  ふと隣に目をやると、それまでそばにいたサローネが見あたらなかった。首を傾げて見 回すと、少し離れた場所で身なりの良い付き人風の男と話しているのが見えた。 「?」  何やら口調が激しく、サローネが男を叱っている様子で、レックスは気になってそちら に歩き出そうとした。  その時だ。 「そこのあなた!」  唐突に後ろから声をかけられて、レックスは驚いて振り返った。そして、自分に呼びか けた相手を見て二度驚いた。 「俺を呼んだのは……君?」 「ええ、そうよ。あなた、私の新しい使用人でしょう? 船に乗りますから、荷物を運ん でくださらない」  何かを急き立てるような強い口調。自分を真っ直ぐに睨みつけている小さな少女に、レ ックスは困惑に目をパチパチとさせた。  レックスの前に立つのは、黄金と薔薇を共に抱いて生まれてきたような少女だ。  同量の黄金よりも価値がありそうな蜜色の長い髪。深すぎて黒く見える緑色の瞳は、臆 することなく大人を見上げる意志の強さを感じさせるもの。肌の白さは最上級の白絹より も上で、日焼けとは縁の無い世界で過ごしていたことを思わせる。幼さを十二分に残す顔 立ちは、それでも将来の美貌を確約された者特有の端整さで、まだ伸びきっていない手足 を包むのが余所行き様の赤い礼服に帽子ということもあって、貴族の少女が好む着せ替え 人形をそのまま大きくしたような愛らしさがあった。  そのような少女が、まるで親の仇でも見るような険しい顔を自分に向けているのだ。あ まりのことに、レックスは二の句が告げなかった。 「ふん」  レックスが黙していると、少女は鼻を鳴らしてその横を通り過ぎた。  すれ違い様、 「言っておきますが、私はあなたを私の先生だなんて認めていませんからね」  一瞥と共に言われた言葉に、さらにレックスは絶句することになった。 「ベルフラウ様! 勝手に出歩かないようにとあれほど申しましたのに……っ」 「少し散歩していただけよ。ばあや、お父様は?」 「旦那様は、本日は大事な商談があるということでして……」 「そう」  動くことも出来ないレックスの背後で、少女が感情の色の見えない声音で頷いた。  そして、 「あなたのお名前は? 長い付き合いではないでしょうけど、一応聞いておいてあげます わ」  ようやく、レックスは振り返った。ぎこちなく微笑んでなんとか言う。 「レックス。君は、ベルフラウ?」 「ええ。ベルフラウ。ベルフラウ・マルティーニ。別に覚えなくても結構よ」 「いや……覚えたよ」 「そう」  視線が針ならば刺さりそうなそれに、レックスは頬を引きつらせた。サローネの言って いたことが、今ならば良くわかった。 (確かに……これは相当押しが強いな)  彼女の歴代の家庭教師を押し退けてきた視線だ。だが、だからこそレックスはそれに負 けてはいけないと思った。  二回呼吸をする。一回は浅く吸って深く吐く。苦しくなったら、二回目は深く吸って浅 く吐く。意図的にそれを行って、軍学校で習った通りに平常心を取り戻す。 「もう聞いているなら話が早い。マルティーニさんに頼まれて、俺が今日から君の先生だ。 よろしく、ベルフラウ」 「そうそう」 「え?」  笑顔で言ったレックスに、ベルフラウは氷よりも冷たい視線で付け足した。 「あなたは、先生である前に私の使用人ですから、それをお忘れなく。もちろん、さっき も言いましたけれど、私はあなたを先生と認めてはいません。私は一人で何でもやれます。 軍学校の試験に合格することも」 「お嬢様!」 「ふん……先に船に乗ってるわ。あなた、荷物忘れないでくださいね」 「あ、う、うん……」  結局、レックスは押し切られてしまったのである。                 ※ 「驚かれましたか?」 「はあ……少し」  呆然と、薔薇のような赤い服を着た少女が去っていくのを眺めていたレックスは、苦笑 気味にサローネが言うのにどうにか頷くことが出来た。彼女は、ため息混じりに言う。 「お嬢様は早くに母親である奥方様を亡くし、広い屋敷でたったお一人でお育ちになられ ました。もちろん私共は精一杯のお世話をさせていただきいたのですが、お嬢様の寂しさ を埋めることはできなかったようで……」 「……マルティーニ氏は?」  返る答えは予想できていたが、レックスは尋ねずにはいられなかった。サローネも苦い 顔をする。 「旦那様は多忙なお方です。お屋敷に帰られることは月に何度あるか……」 「そう、ですか」 「旦那様は、お嬢様に不自由が無いようにと様々な物を贈られているのですが、そうした 大人の下心に敏感なお方で……一時期は旦那様ですらお憎みになられていたように見えま した。今は、お嬢様も旦那様のお仕事の大切さを理解なさり、以前のような我が侭を言う ことはなくなりましたが……」 「我が侭、とは?」  尋ねると、言いにくそうにサローネは応える。 「旦那様に会いたい、と。会いに来なければ、食事も摂らず、時には屋敷を飛び出すこと もありました」 「……我が侭ですか、それは?」 「いえ……」  それを聞き、レックスが顔をしかめて言うと、サローネも静かに首を横に振った。彼女 にもわかっているのだ、子供のそうした行動が、我が侭という大人の都合の良い言葉で置 き換えて良いものではないことに。 (一人で何でもやれます、か)  少女の言葉を思い出し、レックスは足元に落ちていた自分の荷物と、少女が残した大き な旅行鞄を手に取った。客船の前で係員が笛を鳴らし、順番に乗船するように促し始める。  手紙の依頼では、これからレックスは客船に乗って、軍学校のあるパスティスまでベル フラウと向かうことになっていた。一緒の船旅にした理由はもうわかっていたが、サロー ネが口にしてくれる。 「レックス様には、パスティスに着くまでにどうにかお嬢様との間に信頼関係を築いて欲 しいのです。それから、馬車の上での非礼をお詫びします」 「はい?」 「他の家庭教師の皆様は、最初に先程の話をした際、お嬢様が我が侭を言わなくなったこ とを良いことだと仰いました。ご息女に理解が出来て、旦那様も安心だろうと。ですが、 レックス様はそうではありませんでした」  にっこりと、初めて老婆は満面の笑みを浮かべた。困惑しながら、レックスは後押しさ れて歩き出す。 「お嬢様を、よろしくお願いします」 「ええ、きっと良い結果をお届け出来るようにします」  会釈をして、レックスは客船へと向かった。近づき、目に入った船の名前を書いた看板 にクスリと笑う。  船の名前は<成功への船出>号といった。                 2 「ベルフラウ!」  手紙に同封されていた乗船券で桟橋を抜けると、レックスは先に向かった赤い少女を探 した。船に上がるために下ろされた階段の手前に彼女を見つけると、ホッとして手を振る。 正確には、手を振ろうとして、荷物の重さにそれが出来なかった。  ただ、笑顔だけは届いたようで、ベルフラウが少し意外そうな顔をして、次にムッとむ くれた顔になった。 「遅いわよ。ばあやに何を言われたのか知らないけど、ぐずはすぐに置いていくから、そ の気でいなさい」 「あはは……お手柔らかに頼むよ」  すぐに笑顔を苦笑に変えるはめになったレックスは、改めてベルフラウの横に立って階 段を上った。鉄の階段をブーツが踏んでカンカンと良い音をさせる横を、ほとんど音をさ せない軽さで少女が歩く。背筋がピンと伸びた様は、毅然としていてどこか近寄りがたい 雰囲気を漂わせていた。  そのようなベルフラウとレックスの二人連れは目立つのか、一緒に乗り込む客たちも興 味ありげに視線を向けてくる。多分には、レックスの服装が場にそぐわないのだろう。  甲板にまで上がると、ベルフラウが言った。 「もう少しまともな格好は出来なかったの? 私の品位まで疑われてしまうじゃない」 「ご、ごめん……でも、こまめに洗ってるから、汚くは無いよ」 「当然です」  それから、ベルフラウは甲板の上を見回した。客船はパーティーを開催することも出来 る作りになっていて、いたる所に固定式の椅子やテーブルがある。驚いたことに甲板の中 央には池があって、そこで色とりどりの魚が優雅に泳いでいた。  レックスが通りがかった燕尾服姿の係員に尋ねると、出港の時間まではまだ少しあると いうことで、彼は荷物を見下ろしてベルフラウに声をかける。 「部屋に荷物を置きに行くけど、どうする?」  すると、ベルフラウは彼の方を見もしないで、 「私はもう少しここにいるわ。そうね、部屋の鍵はあなたが受け取っておいて。ただし、 荷物を置きに入るのはいいですけど、勝手に鞄を開けるのは許しませんからね」 「開けないよ。女の子の荷物だもんな」  すぐに案内の者がやって来ると、レックスは客室のある船内へと入っていった。それを チラリと振り返って確認したベルフラウは、 「……ふん。ご機嫌取りをしないだけ、まだましね」  きつい目で、呟いた。  一方、レックスは高級ホテルさながらの船内に、目を丸くして珍しがっていた。自分よ り身なりの良い係員に先導されながら、キョロキョロ周りを見回す様は田舎者そのものだ が、良く訓練された係員は不快な顔一つ見せない。  船の中で客室があるのは二階層目までで、そこから下は船員たちが汗水流して働く機関 室となっている。機界ロレイラルの技術を組み入れて作られたそこでは、召喚術で呼び出 された召喚獣が雷の力で機械を動かしているという。 (召喚術、か)  趣味の良いカーペットの敷き詰められた廊下を歩きながら、レックスは懐に入れた数個 の石に思いを馳せた。  召喚術。異界の住人を呼び出して、その優れた力を利用する究極の魔法。現在では戦争 ばかりではなく、民間の工事や動力にも彼らが使われつつある。  レックス自身、軍学校で召喚術を学んだ身だ。その有効性には疑いもないし、確かに便 利だと思う。好きな時に風を生み、好きな時に雷を落とす。人間にはどうあがいても出来 ないことを、召喚術はいとも簡単に叶えてくれる。  懐にあるのは、その召喚術を使うための石だ。召喚石と呼ばれるもので、<誓約>した 召喚獣の固体名が掘り込んである。元来が異界同士を繋ぐ貴重な石で、<誓約>済みの石 はさらに価値があった。  この石があれば、レックスでなくても自由に召喚獣を呼べる。異界の住人を支配し<誓 約>出来るのは特別な訓練を積んだ者だけだが、召喚獣を<誓約>済みの石から呼び出す ことは、正式な手順さえ覚えてしまえば誰にでも出来るのである。  だから、レックスは未だに召喚石を持っていた。軍を辞め、食うために剣も売り払った が、それでも一般の商人に召喚石を売る気にはなれなかった。 (大砲を持っているのと変わらないからなあ……)  戦争での利用法に、レックスはため息をつく。それに比べ、船の動力源にされている分、 ここで働かせられている召喚獣たちは幸せと言えるのかもしれなかった。 「こちらがマルティーニ様のお部屋となります。お隣がお嬢様で。何か御用がございまし たら、室内に備え付けてあるベルをお鳴らしください」 「ベルの音が届くんですか?」 「はい。伝令管を伝わって係りの者まで届く様になっています」  はあ、とレックスは感心した。良く出来ているものである。  他に質問はと尋ねられ、一つ興味本位で訊く。 「艦橋がずいぶん大きく作られていましたけど、あれは?」 「あちらは各種の催しのためのホールを一階部分にご用意しております。本日の演目はシ ルターン自治区の楽団による演奏となっております」 「はあ……凄いですね」  その後、レックスは自分の部屋を覗き込んで、その豪勢さに眩暈がした。豪商マルティ ーニが用意しただけあって、船内でも格別の部屋らしく、広さも調度品もそこが船の中と は思えなかった。一つあるとすれば、窓が丸く、揺れている波を見下ろせるのが船らしい と言えば言える。  次にベルフラウの部屋の扉を開けた彼は、一抱えもある旅行鞄を最高級のやわらかさの ベッドの隣に置くと、ようやく荷物から解放されて両肩を回した。考えてみれば係員に荷 物を運んでもらっても良い身分なのだが、終えてみるまでそういう思考はまったく浮かば なかった。 (貧乏人だなあ……)  卑下することも無く苦笑し、レックスは甲板に戻った。そろそろ乗客も揃っており、見 送りに来た人々に向かって船縁から手を振っている者が多い。  ベルフラウを探したレックスは、船首の方に赤い塊を見つけ安心したが、すぐに表情を 引き締めた。彼女の前に、見慣れぬ少年がいたからだ。  二人は会話をしているようだったが、ベルフラウが彼を邪険に扱っているのは遠目にも わかった。そもそも彼女は相手を見てすらいない。だが、彼女よりも少し年上らしい少年 は彼女に詰め寄り、果てはその肩に手をかけようとした。  さすがにレックスが止めようと早足になった時、 「気安く触らないで!」  少女は少年の手を振り払って怒鳴っていた。  少年だけではなく、レックスも驚いて足を止める。立ち直りが早かったのは、少年の方 だ。 「な、なんだよ。せっかく俺が誘ってやってるんじゃねぇか、ベルフラウ」 「大きなお世話よ。あなたはあなただけで船旅を楽しめばいいんだわ、ジェット」  嫌悪感を露わにしたベルフラウと、顔を怒りに染めた顔見知りらしい栗毛黒瞳の少年。  レックスは咄嗟にどうするか悩み、結局二人の間に入ることにした。 「ちょっと待って。二人とも、落ち着いて!」 「な、なんだよあんた」  突然の大人の参入に、ジェットと呼ばれた少年は面食らった顔をしたが、すぐに噛みつ いてきた。レックスはベルフラウを背に庇い、両手で少年を制した。 「俺はこの子の家庭教師だよ。君は、ベルフラウのお友達かい?」 「俺はジェット。ボローニャ家のもんだ。名前くらいは聞いたことあるだろ」 「ああ……あの」  合点がいって、レックスは頷いた。ボローニャ家はマルティーニ家にも並ぶ大商家だ。 豪華客船に乗り合わせていてもおかしくはないし、ベルフラウと顔馴染みでも当たり前で ある。  ただ、ベルフラウの様子を見れば、仲の良い友達というわけではないようで、レックス はどうしたものかと考える。その結果は、次のような言葉だった。 「何があったのかは知らないけど、せっかくの船出なんだし、喧嘩していたら気分も台無 しだろ? せっかく面白いものも見えるのに」 「面白い」 「もの?」  二人の子供が、同時にレックスを見上げた。赤毛の青年は、ニッコリと笑って船首へと 歩いていった。そこは、乗客が風景を眺めるための欄干が用意されており、彼は海を背に するように寄りかかって、ベルフラウたちの方を見る。  そして、左手を後ろに回し、右手を前に出して指を三本立てた。 「三、二、一――っ!」 「わあ!?」  瞬間、歓声が上がった。  レックスの背後、天使像の上の空間が緑色の輝きを放ったと思ったら、そこから大量の 水しぶきと共に何人もの人魚が飛び出したからだ。  青い海色の肌をした人魚たちは手に七色に輝く竪琴を持っており、それが一斉に奏でら れると船の前に大きな虹がかかった。一つや二つではなく、十近い虹の競演。それは一瞬 のことで、人魚たちがアーチを描いて海に飛び込むと、全ては幻だったかのように消え去 った。  だが、人々の驚きと興奮は消えない。まるで船の名前<成功への船出>号を象徴するよ うな奇跡に、盛大な拍手が巻き起こった。それはジェットも同じことで、呆然とした態で 目を丸くしている。  そして、ベルフラウは――。 「……召喚術……」  信じられないという顔でレックスを見つめ、 「……ふん」  彼が微笑んだので、思い切り不機嫌な顔をしてみせた。                 ※ 「それはまあ、あれだけ派手に召喚術を使えば当たり前ですわよね、無法召喚師さん」 「うぐ……」  一時は拍手喝采を浴びたレックスだったが、すぐに船の警備員に呼ばれて大目玉を食ら った。そもそも召喚術を使って人を騒がせるだけでも犯罪なのに、そのせいで船側で用意 していた出港のファンファーレなどがすっかり影が薄くなってしまったのだ。  たっぷり半刻ほど正座させられて説教された後、すでに出港した船の甲板で彼を待って いたのはベルフラウの冷たい視線だった。もはや教師としての威厳も何も無く、レックス は肩身を狭くするしかない。 「でも、まあ、面白い見世物でしたわ。あなた、あれで食べていけるんではなくて?」 「……そういうのもありかな……」 「呆れた」  腕を組んで本気で考えるレックスに、ベルフラウは処置無しというふうに肩をすくめた。  それから二人で客室に向かい、レックスはこれからの予定について相談することにした。 「この船は、これから三日をかけて工船都市パスティスに向かう。パスティスに着いたら、 あちらで用意してある宿で、三ヵ月後の入学試験までみっちり授業をする予定だよ。期間 をたっぷり取ったのは観光旅行を兼ねているからで、パスティス周辺の名所を一通り回っ ても充分勉強時間は取れる。パスティスも都会だし、遊び場も多くていい所だよ」  メモを見ながら言うレックスに、ベルフラウはベッドの端に腰掛けながら訊く。 「あなたは、軍学校を出たんでしょう? 成績はどうだったの? お父様が推薦するくら いだから、さぞやよろしかったんでしょうね」  皮肉げなそれに、レックスは苦笑して、 「サローネさんにも聞かれたけど、一応首席だったよ」 「はあ!?」 「だからというわけじゃないけど、君の勉強には協力出来ると思う。こう見えて勉強の虫 なんだよ」 「……本当にこう見えて、ですわね……人は見かけによらないわ」  何か納得がいかないのか、ベルフラウは口の中でぶつぶつと言葉を転がす。サローネと いい、ベルフラウといい、自分はどう見えているんだろうか、と少し心配になるレックス である。 「ま、まあ、そういうことだけど、授業開始はパスティスに着いてから。それまでは、こ の船旅を楽しもう」 「そうね。特にあなたは、一生に一度の機会でしょうし」  嫌味たっぷりにベルフラウは言ったのだが、 「う〜ん、そう言われるとそうだね。よし、じゃあ色々見学してくるよ」 「え?」  レックスが嬉しそうに微笑んだので、少女は呆けた顔になった。レックスは顎に手を当 てて考え込み、 「動力部とか興味あるなあ……入れてくれるかな? 元軍人ってことを言えばどうにか?」  楽しげにベルフラウに尋ねてきたので、彼女は「知りません」と突っぱねた。  一緒に見て回らないかという青年の誘いを断ったベルフラウは、彼の出て行った後にポ フンとベッドに寝転がって、小さく呟いた。 「……変な人」  瞼を下ろすと、波の割って進む船の振動が全身に感じられ、その快い感覚にベルフラウ は身体の力を抜いた。  実は、昨夜からほとんど眠っていなかったため、かなり疲れている。 (私は一人で大丈夫だって言っているのに、また家庭教師なんか……それに、今度は一緒 にパスティスに行けだなんて……)  唇を、噛む。  仰向けに寝たのは、横になると涙がこぼれそうだったからだ。                 ※ 「さすがに慣れ慣れしかったかな……でも、子供って船とか好きそうなんだけどなあ」  俺は好きだったし、と呟きながらレックスは甲板に出た。すると、遮るものが無い太陽 の光が目を刺して、思わず目を細める。天気は快晴で、まさに航海日和だ。  そんな昼の光を全身で満喫していると、レックスは甲板にずいぶんと人が多いことに気 がついた。昼日中から船室にこもって昼寝する者は少なく、離れていく陸地を堪能する賢 い楽しみ方をする者が多いのだろう。良家の子息らしい子供たちが横を駆け抜けていくの を、レックスは微笑ましい顔で眺めた。 「あ」  だが、レックスはそうした光景の中に、額を押さえてベンチに座り込んでいる青年を見 つけて駆け寄った。肌から血の気が失せ、蒼白な色で荒い呼吸を繰り返している。 「どうしました!? 気分でも?」 「だい……じょうぶです。貧血で……少し休めば治りますから……」 「大丈夫って顔じゃないですよ。――すみません、水を!」  手近な係員にグラスに入った水を運んでもらうと、レックスはそれを青年に手渡した。 礼を言って青年はそれを一口含み、大きく息を吐いた。 「すみません……ご迷惑を」  言う青年は、まだ少年の色を強く残す細面だった。女性的ですらある面立ちで、薄い黒 い上着の下の身体は病人かと思うほど細い。やや精彩を取り戻した肌は、それでも透ける ように白いのが印象的だ。その白さと黒い髪の対比が、どこか幻想的かつ中性的な魅力と なってレックスには見えた。 「歩けますか? 客室まで送りますよ」 「いえ、もう大丈夫ですから……よくあることなんです」 「そうなんですか?」  心配するレックスに、青年は優しい笑顔を見せて頷いた。 「ええ。生まれつき身体が弱くて、慣れっこなんです。だけど、辛いものはやっぱり辛い ですから、さっきは助かりました。改めてお礼をさせてください」 「お、お礼なんていいですよ。苦しんでいる人がいたら助けるのは当たり前でしょう?」  そう言って青年が懐から財布を取り出したのを見て、レックスは慌てて両手を振って遠 慮した。青年は一瞬目をパチパチとさせ、次にクスクスと笑い出した。 「え?」 「あはは。あなたはいい人ですね。じゃあ、言葉でお礼を。本当にありがとうございまし た。僕はイスラと言います。よろしければお名前を」 「どうも。俺はレックスです」  手を差し出したイスラに、レックスはその握手を受けた。二人はしっかりと手を握り合 い、笑う。イスラの手は、レックスが驚いてしまうくらいに冷たかった。  そう言えば、とイスラはレックスの顔を見た。 「お連れの女の子は?」 「客室の方に……って、目立ってましたか?」 「凄く。面白かったですよ」 「参ったな……」  楽しそうなイスラに、レックスは苦笑して頭をポリポリと掻いた。  それが縁となり、レックスはイスラと一緒に船内を見て回ることにした。主に年配の客 が多い中、年齢が近くて気軽に話せそうな相手は他にいなかったこともある。  少し話すと、二人はお互いの博学に舌を巻いた。レックスは軍学校首席卒業の実績があ るし、イスラも病弱なために運動よりも読書などに時間を割いてきたという。この帆の立 て方には、実は帝国海軍のこういう逸話が、と二人は飽きることなく語り合い、めぼしい 所の見学を終えてもとの場所に戻ってきた時には、陽もずいぶんと傾いていた。 「今日は楽しかったです、イスラさん」 「こちらこそ。レックスさんも家庭教師がんばってください。機会があれば、また明日に でも話せるといいですね。僕たちは、いい友達になれますよ」  別れ際にイスラが言った言葉に、レックスは大きく頷いた。 「そうですね」                 ※  客室に戻るというレックスを見送ると、イスラは大きく息をついてベンチに身を預けた。 青白い肌にうっすらと汗が浮き、彼が相当な無理をしていたことをうかがわせる。 「まったく……このポンコツの身体さえ無ければ……」  大きく深呼吸して、息を整える。  そして、談笑する人々の中で彼は瞼を下ろし、小声で呟き始めた。 「――ええ、そうです。船の中を見回って確認しました。二本ともほぼ場所は。――ええ、 後はどうにか事故として全てを処理する段取りだけで……了解しました」  虚空に向かい、青年は呟き続ける。  不思議なことに、その声を誰かが聞きとめることはなかった。                 ※ 「ベルフラウ、飲み物を持ってきたんだけど、入っていいかな?」  コンコン、と扉を叩いてレックスが尋ねても、部屋の中から返事は無かった。訝しんだ レックスが鍵を使って部屋に入ると、少女は礼服のままベッドの上に丸くなって眠ってい た。 「……退屈だったかな」  子供らしい寝姿にレックスが目を細めて微笑んで、せめてもと毛布をかけようとした時 だ。 「お父様……」  ベルフラウが、小さく囁いた。毛布をかけようと身を寄せていたレックスは、その目の 端に涙があることを見て、神妙な気持ちになる。 「そうだよな……まだ子供なんだ。いきなり知らない大人と引き合わされて、それで一緒 に船旅をしろだなんて、不安で当たり前だよな……」  きっと、前日は眠れなかったに違いない。そう考えると、レックスは自分の無神経さに 腹が立った。 (俺は早く家庭教師らしくだなんて考えて、いちいちこの子にかまおうとしていたけど、 この子にとっては知らない大人に話しかけられているってことだったんだ。相手を信用し ていいのかもわからない状況で、この子が俺をどれくらい警戒していたか、考えもしなか った……)  もっと事務的に、例えば幾つか問題を解かせるようなところからコミュニケーションを 取る方法もあったはずだ。人はいきなり親しくなるわけではない。きっかけは、必要なは ずだ。 「ごめん」  情けなくなり、レックスは口に出して謝った。そして、ベルフラウの頬にかかった金色 の髪をどけてやる。 (もっと、考えてやらないとな……)  ここまでレックスが見てきたベルフラウは、高慢で大人嫌いの少女だ。  だが、その高慢さは、彼女の強がりなのかもしれない。眠る少女を見ていると、そう思 えてきた。  なぜなら、その姿はとても弱々しい、生まれたばかりの子犬のように危ういものだった のだから――。                 3  船旅二日目の昼食は、甲板での立食パーティーとなった。結局昼近くまで熟睡したベル フラウを起こしたレックスは、それとなくイスラの姿を探しながら豪華な食事を楽しんだ。 「へえ、この貝美味しいなあ。ベルフラウ、食べてみるかい?」 「……遠慮します」  サッと視線を逸らすベルフラウは、少しだけ気恥ずかしそうだった。眠るだけ眠った寝 起きの顔をレックスに見られた時、彼女は顔を真っ赤にして毛布で隠した。そして、その 毛布を掛けてくれたのがレックスだと理解して彼女は言った。 「も、毛布、ありがとう。勝手に部屋に入ったことは大目に見てあげますわ」  それにニッコリと微笑みかけ、レックスは次のように応えた。 「どういたしまして。もう昼御飯だけど、食べられる? 丸一日何も食べてないんだ。お 腹空いただろう?」  もちろん、ベルフラウに否やは無かった。  立食パーティーにはほぼ全ての乗客が参加しているようで、青空の下での食事は高級料 理の味をさらに引き立てた。新鮮な海の幸はベルフラウの好物のようで、彼女が綺麗な作 法で何かを口に含む度にほんの少し目元をやわらげるのを、レックスは穏やかな瞳で眺め た。  その視線にベルフラウがムッとした顔をしてみせると、彼は困った笑顔を返してみせる。 それがおかしくて、ベルフラウはレックスの前で初めてクスリと微笑んだ。 「こちらばかり気にしてないで、あなたも自由に食べていていいですわよ。私は私で勝手 にやってますから」 「そのことなんだけど、昨日は無神経で悪かったね。こちらの話もしないで、一方的で」 「……え?」  不意にレックスが真剣な顔になると、ベルフラウが驚いた様子で彼を見上げた。レック スは、皿を手近なテーブルに置き、そして頭を下げた。ベルフラウが目を丸くする。 「ごめん。とりあえず、先に謝らせて欲しい」 「な、何のことなんですか? 覚えがないんだけど……」 「いいんだ。謝らないと俺の気が済まなかっただけだから。それでさ、さっそくだけど」  と、レックスは下げていた頭を上げて、人差し指を立てて笑顔で言った。 「好きな食べ物を教えっこしよう」 「はあ?」  今度は、ベルフラウはぽかんとした。言われたことが理解出来ない。それまでの人生で そのようなことが言われたことがない。そういう顔をした。  だから、レックスは皿を取ってそこに乗っていた果物の実にフォークを刺した。指で押 すだけで崩れるほどやわらかい実で、彼はそれを一口で放り込んで美味しそうに食べる。 「うん、美味しい」 「ナウバの実が、あなたの好物というわけ?」  もの凄く幸せそうな顔になるレックスに、ベルフラウはまだ戸惑ったまま尋ねた。する と、レックスが満足そうに頷く。 「俺の故郷の村だと、ナウバの実は病気の時だけしか食べられなかったんだ。貧しい村だ ったからね。一度山ほどのナウバの実を食べてみたいと思ってたから、今日は夢が叶いそ うだよ」 「夢……」  二人の視線が絡む。冗談の無いレックスの瞳に、ついにベルフラウは吹き出した。 「ぷ……ふふ、あはは。あなた、この会場のナウバの実を全部食べてしまう気? 面白い 人」 「こんな船に乗れる機会は今回限りじゃないかって言ったのは君じゃないか」 「そうだったかしら」 「うん。それで、ベルフラウの好きな食べ物も教えて欲しいんだ。お互いに一つずつ。駄 目かい?」 「まあ、別にそれくらいなら──」  と、ベルフラウが言いかけた時だ。  すぐそばで二人を見ていた少年が、自然な動作でグラスの中身をレックスにかけた。い きなりのことにレックスも対応出来ず、無防備に顔に浴びてしまう。 「わ!?」 「な……ジェット!? 何するのよっ」  林檎の果汁でびしょ濡れになったレックスに、ベルフラウが険しい視線を栗毛の少年に 向ける。だが、少年は悪びれもせずにグラスを指で弄んでニッと笑った。 「よ、ベルフラウ。今日こそ一緒に船を見て回ろうぜ」  そうして、少女の手を取ろうとしたが、ベルフラウはその手を払う。彼女は無言のまま ハンカチを取り出すと、レックスの前に突き出した。 「使いなさい」 「あ、ありがとう」 「おい、無視すんなよっ」 「無視したくもなるわよ。いったい何を考えてるわけ!? あなたが私に嫌がらせしたい のはいいけど、他の人まで巻き込むのはやめてちょうだい!」 「嫌がらせって……お前なぁっ」 「け、喧嘩はしない。ほら、二人とも周りに人もいるんだし」  ついに大声で怒鳴り合い始めた二人に、慌ててレックスは言うが、睨み合う二人の怒気 は収まらない。途方にくれていると、一際派手な格好の男がレックスの前に進み出た。 「あらあら、可愛いお子様たちが何をしてるの?」  それは女と見紛うような美貌の男だった。  一瞬性別の判断に迷う整った線の細い面立ちに、細く長い首。自然にしなを作った艶か しい仕草の佇まいで、紫色の口紅が映えている。男物のスーツに柔毛の長いマフラーを引 っ掛け、首を一周する傷を縫った跡が特徴的だった。  突然の闖入者にレックスたち三人は驚いたが、男はレックスが受け取ったベルフラウの ハンカチを奪い、それで彼の濡れた髪を拭った。ふふ、と唇が笑みを刻む。 「水も滴るいい男ね。好みだわ〜」 「え!?」  ドキリとしてレックスが一歩下がると、ちょうどそこにテーブルがあって食器が音を立 てた。男はおかしそうに手の甲で口元を隠して上品に笑うと、二人の子供の頭を同時にポ ンと叩いた。 「お兄さんにあまり迷惑かけちゃ駄目よぉ? それからボク」  素早く、男はジェットの耳元に口を寄せると何かを囁いた。カッと少年の頬に朱が散り、 「大きなお世話だ!」  ジェットはベルフラウをチラリと見てから、背を向けて去っていった。そちらには苦笑 している両親らしき人物がおり、レックスは軽く会釈した。  憤慨したのは、ベルフラウだ。 「何よあれ……っ」 「なんとなく、わかったかな」  レックスは、男と目配せして少しだけ笑った。そのようなレックスを見て、ベルフラウ は片眉だけを著しく撥ね上げた。 「あなたも、何をヘラヘラ笑ってるのよ! 子供だから許すの? それでいいの!?」 「ベルフラウ……」  激しい剣幕で詰め寄られ、レックスは困惑した。それは、彼にとっては怒るほどでもな かったということだけなのだが、彼女にはそれが納得出来ないらしかった。  しかし、レックスは偽らずに言う。 「別に子供だからってわけじゃないよ。どちらかというと呆れたし……怒るほどじゃない だけだよ」 「怒るほどじゃないって……飲み物をかけられて?」 「うん。叱る分は、あちらのご両親がしてくれてるみたいだし」  指さした方向をベルフラウが見ると、ジェットが父親に拳骨を落とされているところだ った。 「俺が何か言うより、あっちの方がこたえそうだろ?」 「……あなたがそう言うのでしたら、私はもう言いませんけど」  それでも不満そうに、ベルフラウは腕を組む。レックスには、彼女が何を不満に思って いるかわからなかった。  それが、まだお互いにわかり合っていないということなのだろうと、レックスは思った。                 ※ 「スカーレル、探しましたよ」 「あら、ヤード。ごめんなさい」  子供たちの喧嘩を鎮めた男は、足元まで届くローブ姿の男に呼ばれて振り返った。  声をかけたのは灰色の髪を清潔にまとめた男で、哲人めいた落ち着きを漂わせていた。 周りよりも頭半分背が高く痩身で、スカーレルと呼ばれた美男を見下ろす瞳には深い知性 の光がある。 「例の物は見つかったの? 一般客のふりをした帝国兵が何人か混じっているのはわかる けど、アタシには魔法とかはさっぱりだわ」 「ええ。とりあえず二本の場所は掴めました。後は、あなたにお願いすることになります が……」  心配そうに言う男に、スカーレルは艶やかに微笑んで言った。 「任せといて。海賊カイル一家の手際は、帝国海軍なんかメじゃないってことを教えてあ げるわ」                 ※  午後になってから、レックスはベルフラウの部屋を訪れて、幾つかの確認をすることに した。軍学校の入学試験に必要な学習段階の問題を用意し、ベルフラウに投げかけたのだ。  結果は、 「驚いたな……これは、学科の授業はいらないかもしれないね」  レックスがそう判断せざるを得ないものだった。  実際、ベルフラウの知識はほぼ独学とは思えないほどだ。歴代の家庭教師たちも、ベル フラウの気性に追い出されただけではなく、教えることがないほどに彼女が優秀だったと いうことかもしれない。 「このくらい、当然ですわ」  レックスの手放しの賛辞に得意げに胸を張り、ベルフラウは荷物で持ってきたらしい文 庫本へと視線を落とした。覗き込むと、レックスも読んだことがある有名な海戦小説だっ た。 「ふうん……そういう小説、好きなのかい?」 「ええ。あなたも女のくせに、とか言うのかしら?」 「いや、おかしくないよ。俺の同期にはさ、軍閥貴族の女の子がいてね。その子もよく海 戦物は読んでいたよ。今頃は、本物の帝国海軍兵になっているはずさ」 「へえ……」  冷たくあしらったベルフラウにレックスは素で返し、その話題には少女も興味深そうに 視線を上げた。脈ありかな、と嬉しくなったレックスは表情を明るくしたが、 「なんなら、その方に家庭教師を勤めていただきたかったですわ。女同士ですし」 「う……」  そう来たか、とレックスは苦笑させられた。  しかし、初対面の時よりはさすがに対応もまともになってきており、表情に笑みが浮か ぶのも見ることが出来た。  昨日のこともあり、そのまま部屋に居座るのも少女を追い詰めるだけだろうと思い、レ ックスは頃合を見て席を立った。  去り際、 「明日の昼には工船都市パスティスだ。あそこの街は、海から見るのが一番綺麗なんだ。 楽しみにしておいて」 「そう。期待しておきますわ」  そっけないようだったが、ベルフラウの返事には確かに少し弾むようなものが混じって いたのである。                 ※  新鮮な空気を求めて甲板に上がったレックスは、今日も眩しい太陽の下で大きく伸びを した。散歩がてらに船首にまで足を向けると、船の最前面から進行方向の海を眺める。  大きな船なのでわかりにくいが、船が海面を切る速度はかなりのものだ。吹きつける風 がレックスの赤毛を舞い上げ、弄んでいく。 「ん〜!」  もう一度、気持ちよく伸び。斜め後ろを見ると、かなり遠い海面の上に帝国海軍の<蒼 の海馬>号が浮かんでいるのが視界に入る。客の景観を損ねず、それでいてすぐに救援に 駆けつけることが出来る距離を保っているのだ。広い海原では、よほどのことがない限り 接近する海賊船などを見過ごすことはない。  だが、レックスは眉根を寄せた。 (なんだ? 遠すぎる)  レックスの知識に照らし合わせ、<成功への船出>号と<蒼の海馬>号の距離は開きす ぎていた。  最初レックスは軍艦の方に何か問題が起きたのかと思ったが、すぐにそれが間違いであ ることに気づいた。心なしか、髪をなぶる風の力が強くなってきている。さらに太陽を見 上げた彼は、確信を得る。 「加速して……進路が変わってる!?」  その直後だった。  緊急を知らせる警鐘が鳴り響いた。カンカンカンと耳障りな金属音が、遮蔽物の無い海 原のど真ん中で独奏される。誰かが叫んだ言葉が、状況を的確にレックスに伝えてくれた。 「海賊だー!」  欄干に張り付いて身を乗り出したレックスの視界の先に、貫禄さえ感じさせる威容を誇 る海賊船が出現していた。  そして、大金を積んだ金庫は止まらずに、その海賊船へと向かって加速し続けていたの である。                 4 「操舵室が占拠されてる。マストの上の監視台も……いつの間にっ」  途端にざわめき始めた甲板で、レックスは艦橋とマストを見上げて舌打ちした。まだ水 夫以外でその事実に気がついている者はいないようだったが、こちらの異常を悟って加速 しだした軍艦が追いつくよりも、相互に加速して近づいている海賊船と客船が接舷する方 が早い。  そして、小型の海賊船は巨大な客船に張り付いてしまえば、その獲物を盾にして軍艦か らの砲撃を回避できるのだ。  そうこう考えているうちに、海賊船は接近していた。軍艦と同じで三本のマストに帆を 張ったもので、その帆は風を受けて見事に膨らんでいる。旧型の船で、機械のような動力 は積んでいないようだったが、その速度はレックスが見てきたどのような船よりも速い。 波を裂いて接近する様は、喉元に突き立てる剣のような鋭さだ。船首には当然のように衝 角を備えている。  そして、これから襲うことを明示するかのように、高々と海賊旗が揚げられる。眼帯を した髑髏の意匠で、それを見た水夫の一人が叫んだ。 「海賊カイル一家だ!」  同時に轟音と共に客船の脇に巨大な水柱が立った。海賊船が威嚇砲撃したのだ。その水 しぶきは天高く跳ね上がり、雨のようにレックスに降り注ぐ。  いよいよ乗客たちが騒ぎ出し、レックスは咄嗟に視線を走らせ、それから水夫を呼び止 めて言った。 「俺は元軍人です。軍艦での訓練を受けたこともあります。たぶん、操舵室を占拠されて います。帆を畳んで、動力を止める連絡を出来ますか?」 「あ、ああ、軍人さんかっ。ちょっと待っててくだせぇ」  中年の水夫は甲板から張り出た伝令管に口を寄せ、怒鳴るようにしてレックスの言葉を 伝えた。次に耳を澄まし、くぐもった返事を管から聞き取る。 「いい判断だぁ、だそうでさぁ!」  身を起こして言う赤ら顔の水夫に頷き、レックスは続ける。 「ありがとうございます。次ですけど、大型船には緊急脱出用のボートが幾つか用意され ているはずです。船が止まったら、乗客をそれに乗せて避難させてください。規模は?」 「へぇ。一隻二十人乗りで、組み立て式を合わせて十ありまさぁ」 「わかりました。乗客の誘導をお願いします。女性と子供を優先して!」  それだけを言うと、レックスは目前にまで迫った海賊船を見て、唇を噛む。今言ったこ とのどこまでが混乱の中で実行出来るか、可能性の低さはレックスにはわかっていた。  そして、すれ違う前に船首を返して海賊船が客船に並び、並走するそこからロープがか けられるのを見たレックスは、客室へと向かった。海賊船を指差して混乱する人々の間を 抜け、ベルフラウの部屋の扉を開く。 「ベルフラウ!」 「あ……」  ちょうどベルフラウも室外に出ようとしていたところで、二人は開いた扉を挟んで向か い合った。海賊の襲撃を知らせる声は彼女にも聞こえていたらしく、顔面蒼白になってい た。 「か、海賊が来たって」 「うん。甲板に出るから、貴重品を持って。ただし、外から見て金目の物とわかるものは 駄目だ」 「そ、外に出るっていうの!? 海賊が来てるのに!?」  目を見開くベルフラウに、レックスは真剣な顔で頷いた。 「帝国航路で海賊に襲われた時に一番危険なのは、客室なんだ。金目の物を探して一つ一 つ部屋を覗かれるからね。そこで見つかると殺される。だけど、彼らも金が目的だ。虐殺 が目的じゃない限り、何も持たないで甲板の隅にいる無抵抗な者には何もしない」 「で、でも……」 「正規の航路上で襲うってことは、ここを通る船が彼らの収入源ってことなんだ。だから、 二度と船が通らなくなるような非道は絶対にしない。それに、この船の乗客は裕福な人が 多い。彼らとしても、二度三度船に乗ってもらいたいだろうからね」 「そ、それでも……こ、怖い……怖いわよっ」  口早に言うレックスに、ベルフラウは戸惑った顔で叫ぶ。目を固く瞑り、自らの手で自 分を抱き締めるように肩を掴んでいた。  無理も無い、とレックスは思う。海賊がいる中に自ら身を晒すなど、わかっていてもそ うそう出来ることではない。レックスは軍人経験者だが、ベルフラウはまだ十二歳の子供 なのだ。 (怖くて当たり前だよな……)  絶対に大丈夫だという保証など、誰がしてくれるのか。肩を震わせる少女を連れ出す資 格が、大人だからというだけで自分にあるのか。 「資格……か。ある、よな。そうだ」  レックスは、ベルフラウの小さな姿を見下ろした。 「俺は、君の家庭教師だ」 「……え?」  驚いたのか、ベルフラウがレックスを見上げた。怯えの色のある瞳。大人に反発する少 女の、大人へ向ける本当の瞳。 (君は誰も、マルティーニさんですら信じてないんだろうか)  赤毛の青年は、決意を込めて繰り返す。 「俺は、君の家庭教師だ。だから、信じて欲しい。俺は君を絶対に守ってみせる。俺なら 君を守れるって、信じて欲しい」  信頼が無ければ、少女は連れ出せない。  真っ直ぐな瞳で言う青年に、少女はそれ以上無いくらい目を大きく見開き。  こくん、と小さく頷いた。                 ※  甲板では、すでに船の衛士たちと海賊たちの戦いが始まっていた。青空の下に飛び出し た途端の怒声と喧騒にベルフラウが身をすくませ、レックスはそこまで引いてきた小さな 手を強く握り締めた。  まずレックスが見たのはマストだ。帆は水夫たちによってロープを切られて落ちている。 船の速度もほとんど出ておらず、護衛艦が追いつくのはすぐに思えた。  だが、船に乗り込んできた二十数名あまりの海賊たちは、凄まじい早さで衛士たちを蹴 散らしていく。それはレックスが帝国軍にいた頃ですら見たことの無い侵攻速度で、一人 の海賊がまとめて五、六人を叩きのめしている勢いだ。  中でも尋常でないのは、空に輝く太陽のような金髪の男で、素手のその男が拳を振るう 度に必ず誰かが倒れている。剣をさばき、流れるように接近して打撃を当てるその動きは、 乱戦の中で一際異彩を放っていた。 「オラオラァ、もっと強い奴はいねぇのかー!」  良く通る低い声が戦場となった場所を貫く。その声だけで衛士たちは萎縮し、乗客たち がまとまっている後部甲板まで後退りしてくる。艦橋を挟んで前後に伸びる大きな甲板で あるが、すでに前半分を落とされてしまったということだ。  ベルフラウは、恐怖に身を震わせながらそれらを見ていた。近くには、両親に抱かれる ようにして縮こまったジェットの姿もある。大人でさえ、海賊の脅威の前には怯える様子 しか見せない。 「よぉ、さっさと例のもんを探してきな。こっちは俺だけでも充分みてぇだ」 「ヘイ、カシラァ」  金髪の男が指示を出すと、深い青の上下で統一した海賊たちが船室へと下りていく。残 ったのは五人ほどの男たちで、それを好機と見た衛士たちが一気に攻めかかるが、 「甘ぇ!」  男が躍動感溢れる動きで、その全てを一瞬にして叩きのめす。軽快なステップで剣をか わし、低い体勢で懐に入ったと思ったら地を這う回し蹴りが相手の足を刈る。転んだ相手 は無視し、次に斬りかかってきた相手に伸び上がり様の蹴りを叩き込んで沈黙させ、最後 の相手には振り上げた剣を振り下ろす暇も与えずに顔面を殴り飛ばした。 「はっ。つまらねぇんだよ、お前ら!」  圧倒的な強さを見せつけ、男が歩み寄ってくる。  近くで見れば、それは男というものの魅力を詰め込んだような男だった。ざんばらな金 色の髪に、ややつり上がり気味の鋭い目。顎の骨格は太く、大きな口が豪快さを感じさせ る。陽に焼けた肌も、野性味を強調していた。  それでいて、その男が着ているのは海の男らしからぬラフなスーツだった。インバネス を引っ掛け、シャツも胸元のボタンを外して逞しい胸板を覗かせている。背中には海賊旗 と同じ眼帯髑髏の意匠が施され、特注のものであるとわかる。  そこにいるだけで存在感が際立つ男に、ついに衛士たちが悲鳴を上げて下がった。その 際に背中がジェット親子を突き飛ばし、彼らが甲板に尻餅をつく。  それを見たベルフラウは、絶望感と一緒に軽蔑心が心の中で大きくなった。 (大人っていったって……)  脳裏に浮かんだのは、父親の顔。  ベルフラウは、父親のことが嫌いではなかった。幼い頃は、かまってくれない父親を恨 んだこともあるが、今ではマルティーニがいかに多忙な人物であるかを理解している。そ の忙しい合間を縫って家に帰ってきてくれているだけでも、破格のことなのだと、わかっ ている。  それでも。 (お父様は、私のことを愛してくれてる……はずよ)  父のことを思う時、彼女はその言葉を断定することが出来なかった。 (愛してくれている……はずなのよ)  父に問えば、きっと微笑んで答えてくれるだろう。 (……と思う)  でも、きっと答えてもらっても、ベルフラウは満足出来ないのだ。  逃げ出した衛士を眺め、少女は独白する。 (だって……信じられないんだもの)  大人が逃げ出す姿を知っている。自分が屋敷で寂しい思いをしていた時に、パーティで 談笑していた父を知っている。 (私のことを忘れたことはないだなんて……どうやって信じたらいいのよ)  無邪気に子供らしく父のことを信頼できたら、どれほど良かったか。 (もし私がここで死んだら……お父様は悲しんでくれるのかしら?)  確信を持てないことが、悲しかった。  その瞬間だった。 「下がらないで! あなたたちが逃げたら、誰がこの船を守るんですか!」  間近での一喝が、ベルフラウの意識を現実に引き戻した。それは、彼女の手を握る男が 発した声だ。  彼は、ベルフラウの手を引いたままジェットに手を貸し、その身を立たせてやった。 「大丈夫かい?」 「あ、ああ」  少年が頷くと、レックスはベルフラウの手を少年に預ける。驚いて見上げると、彼は見 たことも無い険しい顔でベルフラウに言った。 「これから、護衛艦が追いつくまでの時間稼ぎをする。少し揺れるかもしれないから、何 か丈夫なものに……大人の人でもいいから掴まってるんだ。いいね」 「あ、あなた……何を?」  震える声でベルフラウが問いかけると、レックスは少しだけ表情をやわらげて言った。 「大丈夫。君だけは守るよ。俺を信じて」  そして、職務を思い出した衛士たちが手に剣を取るのを見届けて、レックスも乗客たち の前に立った。その背中を、ベルフラウは見る。  金髪の男は、感心したように口笛を鳴らす。 「いるじゃねぇか、ちったぁマシな奴が。いいツラしてやがるぜ」 「あなたにお願いがある」 「なんだ? 黙ってお引取りください、は無しだぜ」  レックスが口を開くと、男は茶化すように言った。レックスは苦笑し、 「駄目か」 「……おいおい、言うつもりだったのかよ」  男は呆れて肩をすくめたが、レックスは気を取り直して言う。 「じゃあ、二番目のお願いだ。俺の後ろにいる人たちに、手荒なことはしないで欲しい」 「いいぜ。最初からそのつもりだ。海賊カイル一家は、物は奪うが金にならねぇ命は奪わ ねぇ。ただし、歯向かうなら別だぜ?」 「歯向かうのは俺だけだ。この人たちの財産を奪う権利はあなたたちには無い。だから、 精一杯抵抗させてもらう」 「言うねぇ」  男の顔が輝いた。片手の拳をもう片方の掌に叩き合わせ、生き生きとした表情で言う。 「俺はカイル。あの船の船長だ。お前は?」 「レックス。家庭教師だ」 「はっ。最高だ!」  互いに名乗り――二人は激突した。                 ※ 「俺と素手でやろうってのかっ」  お互いに間合いを詰めるや否や、カイルがレックスの顔面に向かって必殺の拳を繰り出 した。当たれば一撃で岩をも砕きかねないそれを、しかしレックスは身をわずかに沈める ことで避ける。  そこに下がったレックスの顎めがけてカイルが鋭い膝蹴りを叩き込んだが、赤毛の青年 はそれを予測して両腕で受け止めた。突進がそのまま体当たりの形となり、カイルが後ろ に飛ばされる。 「ちっ……やっぱり素人じゃねぇか。――って、それが狙いかよ」  体勢を立て直したカイルは、レックスが先程カイルが気絶させた衛士の剣を拾い上げて いるのを見て、舌打ちした。レックスが剣を構えると、それまでとは違いカイルが大きく 間合いを取る。 「その構え……帝国軍仕込ってわけか」  ひゅっ、と鋭く息を吐き、カイルも構えを改めた。無防備な棒立ちに近かったものを、 身体の側面のみをレックスに向ける半身に変える。そうなると、レックスからは斬りつけ る面が一気に半分以下になったことになる。 「さあ、やろうか、先生さんよぉ。俺は強い奴とバチバチやるのが大好きなんだ――」  膝がたわみ、 「――ぜ!」  弾丸のようにカイルは踏み出した。それに合わせてレックスが右回りの弧を描くように 足を運び、剣を振る。真っ直ぐに距離を詰めたカイルの側面に、最小限の動きで回り込ん だ形になり、まさか自分の突進に反応されるとは思わなかったカイルの左腕が斬り裂かれ る。  が、レックスの手に返ったのは硬い衝撃だった。 「手甲!?」 「ソノラの心配性が役に立った――ぜぇ!」  袖の裏につけた鋼鉄の手甲でレックスの斬撃を受けたカイルは、受けた手もそのままに 即座の右回し蹴りを放った。斜め下から顎を狙って迫るそれを、今度はレックスが左腕で 受け止める。 「つぅっ」 「オラオラオラァ!」  まるで巨大な槌で叩かれたかのように横に弾けたレックスを追って、カイルが連続で拳 を繰り出した。レックスはそれを上半身の動きや剣を持たない左腕で受けようとしたが、 不意をついて顔面ではなく腹へと突き出された一撃を受けて膝を折った。 「ぐ……っ」 「しめぇだ。先生」  勝利を確信したカイルが蹴りを放とうとした時、レックスは素早く懐の召喚石を甲板に 転がした。  カイルが目を見張る。 「なぁ!?」 「開け幻獣界の門! ――セイレーヌ!」  緑色の光が炸裂した。  召喚石を中心に広がった光輝はおぼろげな円形の門を構成し、そこから水しぶきを伴っ て一人の人魚が姿を現した。  人魚が間髪を入れず手の中の竪琴を奏でると、水しぶきが竜巻となってカイルを押し包 む。水の刃が肌を裂き、カイルの血が赤い霧のように舞い上がった。 「しょ、召喚術だぁ!?」  苦痛の声よりも驚きの声がカイルの口から漏れ、その彼の視界が一瞬にして反転した。 「お!?」  レックスに、自分が衛士にしたような低い回し蹴りで足を刈られたのだと気づいた時に は、カイルの喉にはレックスの剣の切っ先が突きつけられていた。  カイルは、自分を見下ろすレックスの額に汗の浮いた顔を見て、 「は……はははははは!」  心底愉快そうに、大爆笑した。                 ※ 「あー、負けた負けた。あれだけの腕を持ってて、さらに召喚術とはな。とんでもない先 生だぜ」  豪快な笑いが、甲板の上で響いていた。それまでの喧騒が嘘のように静まり返っており、 船内に入らなかった海賊たちも信じられないという顔で、カイルとレックスの二人を見て いた。 「あー、くそ。負けたのは親父以来初めてだぜ。――よぉ、お前ら! スカーレルとヤー ドに連絡して、例のブツだけさっさと持ち出しちまえ! 船内のものには手をつけるんじ ゃねぇぞ!」 「か、カシラ?」  笑顔で言うカイルに、海賊たちが面食らう。すると、カイルは陽気な顔を一転して鬼の ような形相にして声を低めた。 「受けた恩は絶対に返せ。それが俺ら一家の流儀だろうが。先生はよぉ、わざわざ俺を殺 さないでくれたんだぜ。そこんとこわかれ。ああ!?」 「へ、へい!」  そして海賊たちは慌しく動き始めた。手旗信号で海賊船に合図を送ると、すぐに十五、 六歳ほどの金髪の少女が大きな目をさらに大きくして、ロープを上って船を移ってきた。 「あ、アニキが負けたってホント!? って、ああ! 本当に負けてるしっ!?」  いきなり場の空気が軽くなるような明るい声。  少女はカイルと同じ太陽を思わせる金髪で、大胆に胴回りを切り抜いた涼しげな服装を していた。俗にウェスタンハットと呼ばれる、鍔が上側内向きに丸まった帽子を被ってお り、腰のホルスターには火薬式の拳銃が収められている。  海賊とは思えない愛らしい少女で、大きな目、小ぶりな口鼻、同年代と比べてもかなり 低い身長が、張り詰めていたレックスの緊張を軽々と骨抜きにした。 「え、ええと……妹さん?」 「あ〜……まあな」  レックスが尋ねると、カイルが苦笑気味に応える。そんな男二人を前に、少女は意外に 素早い動作で拳銃を抜き取り、手の中でクルリと回した。 「船長が泥被ったままじゃ、格好つかないじゃない。アニキがやらないんだったら、アタ シがアニキの仇を討ってあげる」 「おい、ソノラ――」  カイルが投げやりに言おうとした時だった。レックスがカイルから剣を外し、無造作に 甲板の上を船の脇の縁に向かって歩き出す。少女が首を傾げると、レックスは頬を掻いて 言った。 「出来れば、撃たないで欲しいんだけど……」 「え? 何? 今の間って何?」 「ぷ、は、あはははははははは!」  遠慮がちに言うレックスに、まるでわけがわからない少女。ただ一人、カイルだけが理 解したのか腹を抱えて大笑いした。 「ぶーぶー。何よ、アニキだけわかっちゃってさ。なんなの?」 「そ、その先生、後ろに他人がいないところで撃てって言ってんだよ!」  ついに涙まで拭いながらカイルは言った。少女はポカンとし、レックスは、 「いや……撃たないで欲しいな」  困ったように言った。  それで本当に気が抜けてしまったのか、少女はがっくりと両肩を落として銃をホルスタ ーに戻す。  そこまで確認し、レックスは人ごみの中の赤い服に視線を向けた。自分を見つめている ベルフラウに、彼は満面の笑みで応えるのだった。                 ※  ベルフラウは、その赤毛の青年から目を逸らすことが出来なかった。  目にしたものが信じられなくて、それでも現実に彼は海賊を制していて、そして──。  向けられた笑みに、胸がドキンと高鳴った。  その人が、他の誰でもなくベルフラウに向かって微笑んだのが、わかった。  守ってみせると言い、彼はそれを成し遂げたのだ。 (信じて欲しい……って)  彼はそう言ったのだ。  少女は、信じ切っては、いなかった。  どんなに誠実な心でも、どんなに本気で言われた言葉でも、彼が海賊をどうにか出来る などとは思っていなかった。優しそうないい人だとは思ったが、それだけだと思っていた。  だが、青年は今彼女に笑顔を見せている。  気持ちだけでなく、口先だけでなく、彼は全てを実行してみせた。 (この人は……)  心の端をかすめたのは、今まで感じたことが無い気持ち。  まだよくわからない。  彼の全てを理解したわけでもない。  それでも、彼が一つのことをやり遂げたことだけは事実だ。 「……それだけは、評価してあげるわ」 「?」  ボソリと呟いたベルフラウを、ジェットが不思議そうな顔で見つめた。                 ※  笑顔を向けた途端ぷいと横を向いたベルフラウに、レックスは仕方ないかと微苦笑を浮 かべ、カイルへと注意を戻した。海賊の船長は、服を裂いた無数の切り傷に顔をしかめな がら立ち上がり、大きな声で言った。 「引き上げるぞ、野郎共! お次は帝国の船とドンパチだ。気合入れてけ!」 「おお!」  海賊たちが一斉に撤収を開始する。ほぼ同時に砲撃の音がして、甲高い警鐘の音が客船 に隣接した。海賊と同じ要領で、ロープを掛けた帝国海軍兵が船に乗り込み、それを見た カイルたちはニヤリと口元を歪めて走り出した。 「あばよ、先生。縁があったらまた会おうぜ!」  そして、甲板は再び戦場と化した。黒服に白い羽織のようなものを合わせた帝国の軍服 が四十名あまり甲板に雪崩れ込み、カイルたちが撤退しながらそれを迎え撃つ。しかし、 帝国海軍兵はそれだけではなく、かたまっていた乗客たちの中からも飛び出してカイルた ちに襲い掛かった。  自分たちの中に混じっていた軍人たちに乗客は驚いたが、レックスは複雑な表情で再開 された戦いを見る。 「どうしたの?」  安全を確認したベルフラウがレックスに尋ねると、彼は剣戟の音を響かせる乱戦を見て 言った。 「それが……カイルたちを応援したらいいのか、帝国軍を応援したらいいのか複雑で」 「呆れた。あなた、相手は船を襲った海賊なのよ?」 「わかってるんだけどね。それに、そんなに悪い人じゃなかったよ」 「はあ……なんとなく、あなたという人がわかってきた気がしますわ」  ため息をつき、ベルフラウは嫌味をこめて言った。  それから、少し躊躇ってから腕を胸の前で組む。 「でも、よくやってくれたわ。さすが軍学校の首席ですわね、褒めてさしあげます。まあ、 主人のために働くのは使用人として当然なんですけどね!」  ことさら語尾を強調する。  レックスは、ベルフラウのどこか不機嫌そうな、それでいて照れくさそうな顔を見て、 思わず頬を掻いて応えた。 「うん……なんだか俺も、少し君の性格がわかったような気がするよ」 「な、何をっ」  カッとベルフラウの頬が赤くなり、文句を口にしようとした。  だが、突然大きく船が横に揺れ、その言葉は飲み込まれる。 「きゃあっ」 「なんだ!?」  ベルフラウを支えて欄干に掴まり、レックスはまるで大地震のようなそれに叫んだ。も う一度ガクンと強い横揺れがあり、レックスは軍艦か海賊船が激突したのかと思ったが、 それは違った。 「空が……!」  ベルフラウが空を指差し、それを追ったレックスは絶句する。先程まで青空が広がって いた空を、真っ黒な分厚い雲が覆い尽くしていた。見る間にかろうじて残っていた太陽を 飲み込み、夜のように暗くなった世界に、稲光が走る。  直後に轟音が来た。 「きゃあああ!」 「くっ!」  鼓膜が破けそうな大音響でマストが縦に裂けた。真っ赤に燃え上がった木の柱が、地獄 の底から響き渡る悲鳴の恐ろしさで軋み、ゆっくりとその身を横に傾ける。  片方は、帝国軍艦へ。  片方は、後方甲板にかたまった乗客たちの上へ。 「危ない!」  とっさに、レックスはマストの落下を呆然と見るジェットを突き飛ばした。少年は勢い よく弾かれ、巨大な影がレックスの上に落ちる。 「く……そっ!」  レックスは自らも身をかわそうとしたが、間に合わずに彼の胴体よりも太いマストがそ の右足を巻き込んで甲板に叩きつけられた。瞬間に走った激痛に、悲鳴を押し殺し噛み締 めた唇から鮮血が流れる。  濃厚な鉄の味を口の中に感じながら、レックスはうつぶせの状態で後ろを見た。マスト は甲板を砕いて船の外にまで及び、レックスの他にも何人かが下敷きになっていた。 「つう……っ」  燃えたマストの火が、甲板に燃え移る。接した右足が焼け始めた痛みにレックスは顔を しかめ、残された左足でマストを思い切り蹴った。しかし、人間一人の力ではそれは動か ない。  息を呑んだベルフラウは、悲鳴を上げる人々に向かって叫んだ。 「助けて! 人が下敷きになってるのよ! 誰か手伝って!」  だが、それに耳を貸すものはいなかった。ベルフラウはサッと青ざめ、倒れたレックス の背中を見下ろし──。  今度は縦揺れが、彼女の身体を甲板に投げ出した。 「な、なに?」  痛みをこらえてベルフラウが見ると、船全体が激しく縦に横に揺れていた。波が荒れて いるのだと気づいたのは、たっぷり十を数えるほどの時間が経ってからで、不意に自分の 顔に落ちてきた水滴に少女は空を見上げる。 「雨……」  それだけではない。雷光が暗雲の中を竜のように荒れ狂い、突風が激しく人々を打った。 跳ね上がった海水までも甲板に飛び込み、<成功への船出>号は海洋に落ちた一枚の木の 葉のように踊り狂った。  波に押し上げられ、いきなり空が近くなり、次の瞬間には同じ高さを落下する。ベルフ ラウは床に這いつくばるしか出来なくなり、恐怖に混乱する頭の中でレックスの姿を探し た。 「あ」  レックスは、未だにマストを蹴り続けていた。叩きつけるような雨によってマストの火 は沈静化していたが、彼はまだ足を捕らえられている。その向こうでは、ジェット親子が 抱き締めあって甲板の無事な方へと這いずって逃げているところだった。 (あの人に助けてもらっておいて……っ)  すでに、船上は戦闘など行なえない状況だった。海賊たちは船に引き上げ、カイルが大 声で指示を出して客船から距離を取り始める。 「こいつはどういうこった……スカーレル、ヤード、無事か!」  雨粒に打たれながらカイルが叫ぶと、昼食の際にベルフラウとジェットの喧嘩を仲裁し た美男が走ってくる。隣には、一緒にいた賢者風の男もいる。 「アタシたちは無事よ。それより、ちょっとヤバい感じね」 「例のブツはどうした。手に入ったのか」 「残念ながら」  と、賢者風の男──ヤードが険しい顔で言う。 「私たちが行った時には、すでに何者かによって持ち出された後でした。この嵐はおそら く、剣の力を引き出したためのものです」 「ちぃ……仕方ねえ。離れるぞ! 俺が舵を取る。全員海に落ちるんじゃねぇぞ!」  一方、帝国海軍も浮き足立つ兵士たちを巨漢の男が一喝していた。 「落ち着け! 一般客の保護が先だ。マストの下敷きになった人々を助ける。続け!」  前進を筋肉で包まれたような男が支持を出して走り出すと、何人かの兵士たちがそれに 続いた。 「ギャレオ副長! 隊長から連絡です。剣の回収が最優先、至急戻れ、とのことです!」 「わかった。客を助けたらすぐに戻る。アズリア隊長にはそう伝えておけ!」 「はっ」  男が言うと、伝令兵が敬礼して去っていく。だが、すぐに、 「副長! 剣が、剣がありません! 何者かに奪われています!」 「な……っ」  他の兵士からの報告に、目を見開いた。  横殴りの雨の中、兵士たちがマストに取り付いて一斉にそれを持ち上げた。レックスや 他の乗客が抜け出すと、彼らは乗客たちに大きな身振りで誘導を開始する。  最悪の出来事はその時に起こった。  空が、真昼の陽射しよりも強く輝いた。  レックスが助け出されたのを見て、ホッと胸を撫で下ろしていたベルフラウが顔を上げ る。  数十、数百の雷撃が、<成功への船出>号をズタズタに引き裂いた。  それは、神の怒りのように一方的な破壊だった。                 ※ 「え?」  身体が宙に飛んだ。  ベルフラウが感じたのはそれだけだった。  至近距離で炸裂した稲妻の威力が視界を真っ白に染め、轟音に他の音が聞こえなくなっ た。 (死ん……だ?)  落ちる。  最後の瞬間に見えたのは、白む視界を突き破って飛び込んでくる、一人の赤毛の青年の 顔だった。                 ※ 「ベルフラウ!」  少女の赤い服が砕けた甲板の外に弾き出された瞬間、レックスは足の痛みも忘れて駆け 出していた。つんのめり、右足を引きずりながら走り、無残な破壊の縁に辿り着き。  彼は、躊躇うことなく荒れ狂う海へと飛び込んだ。  浮遊感の後に海面が迫り、暗天を写し取った黒い海にレックスの姿が消える。水を割っ た彼はベルフラウを探そうとして、しかし想像以上の波の荒れ具合に身体の自由を奪われ て船の側面に叩きつけられた。 「ぐ……っ」  嵐の中、レックスは無力だった。それでも激突で避けた額から血を流しながら、彼は海 の中に潜った。  視界のほとんど利かない中、彼は薔薇の赤を求めて必死に手足を動かした。そして、ゆ っくりと海の底へと沈んでいく少女の身体を見つけると、夢中になってそれを掻き抱いた。  だが、そこまでが限界だった。  水を吸い込んだ服は鉛のように重く、強烈な波は彼の思考までも押し流すほどに容赦が 無い。最後の空気が口から漏れ、気泡が頭の上の海面へと昇っていくのを見ながら、レッ クスは口惜しく思った。 (ここまで……か)  腕の中に、ベルフラウの小さな身体がある。 (絶対に助けるとか言っておきながら、俺は結局この子を助けることが出来なかった)  情けなかった。  短い時間に、ベルフラウとは様々な出来事があったように思える。そして、ほんの少し だけ彼女のことを理解したと思った矢先に、無力な自分は彼女との約束を破ることになっ た。  誰も責めないことはわかっている。  この嵐の前に、何者も抗える者はいないと、わかっている。  それでも、少女を腕の中に抱いて沈んでいきながらレックスは思った。 (この子を死なせたくない……っ)  まだ、ベルフラウには世界にあるたくさんの美しいものを見る権利がある。  信じられるものがあることも。親の愛というものも。 (俺だって、死にたくない……っ)  遠い昔、親に救ってもらった命だった。  たくさんの人に出会ってきた命だった。 (まだ俺は……救われた命の分の何もしていないっていうのに……)  脳裏に、過去の光景が広がった。  辺境の村。  戦争。  自分を庇った母。  母を庇った父。  優しい村の人々。  守るもの。  軍学校。  放浪の旅。  そしてベルフラウ。  まとまりのない映像が浮かんでは消え、レックスは消えていく意識の果てで願った。 (助けたい……)  と。 (助かりたい……)  と。  運命のような巨大な天災の力に屈しない、強い力を得て、この苦境を切り抜けたいと。  無力の実感の先にある願いを、彼は強烈に弾けさせた。 (力が……欲しい!)  声は、その願いに応えた。  ──力が欲しいか。  混濁する意識。  混沌とする願い。  ──力ガ欲シイノナラ、我ヲ求メヨ。  どこからか届く、鮮烈な呼び声。  ──汝、運命を切り開くことを望むのであれば。  ──汝、運命ヲ破壊スルコトヲ望ムノデアレバ。  二つの声。  穏やかな声と、冷たい声。  それは幻聴なのだと思った。  霞む視界の先、レックスは海中を漂う碧色の輝きを見た。闇の中で輝く、淡い光。弱々 しいが、美しい光。  無意識に、手を伸ばした。  ──我を求メヨ!  二つの声が、唱和した。  そして──。                 5  穏やかな波の音が、青年の耳に届いていた。強い陽射しに温められた海水が足元を濡ら し、彼は自分が浜辺に倒れていることを悟った。  寄せては返す波が、覚醒を促すように彼の足に触れる。  彼は、うつ伏せに倒れていた。顔が焼けるように熱いので少し動かすと、砂が肌にくっ ついてきた。ゆっくりと両腕を動かして、腕立て伏せの要領で身を起こしてみるが、身体 に痛みのようなものは無かった。 「ここ……は?」  ぼんやりとする頭を振ると、彼は膝に手をついて立ち上がる。多少の気だるさはあった が、怪我はしていないようだった。  見回してみると、そこはやはり浜辺だった。広い場所で、彼のいる場所から左右に果て なく広がっているように見える。正面に少し行った所には豊かな森の木々が見え、視線を 上げるとかなり遠くの方に土肌ばかりが目立つ山も見えた。 「陸地?」  呟きながら、彼は歩き出す。二度三度辺りを見回し、探しているものが見つからないの で場所を変えてみることにする。  だが、彼は首を傾げた。 (何を探さないといけないんだっけ?)  頭に霞がかかっているようで、上手く思い出すことが出来なかった。  空を見上げると、太陽はすでにかなり傾いていた。夕方にさしかかる少し前だろう。そ う判断した彼は、まずは海面から見て右手側、東に向かって調べてみることにした。離れ た場所に岩の切り立った場所があり、そういった場所は釣りに向いていることを彼は経験 から知っていた。小腹が空いているので、食事も必要だと感じていた。 (どこで知ったんだっけ?)  思い出せない。  岩場に向かいながらも、彼は目を凝らして赤い薔薇を探した。正確には、赤い薔薇のよ うなものだ。黄金のような蜜色でもいい。今、彼が守らないといけない、約束をしたもの だ。 (約束……そうだ、約束したんだ)  知らないうちに、小走りになっていた。  段々と胸のうちに焦燥感が広がりつつあった。 「いない……どこに? あ……」  名前を呼ぼうとして、思い出せなかった。  焦る。  自分の名前は?  どうしてここにいる? 「俺は……そうだ、レックス。船が嵐に巻き込まれて……」  順に、記憶を追っていく。  大丈夫、完全に忘れたわけではない。少し混乱しているだけだ。  探しているものの名前は──。 「下がりなさい! 一人を相手にそんなにたくさんで、恥ずかしくないの!?」 「!」  聞こえていた少女の声に、青年──レックスはハッと顔を上げた。岩場の中、そこから 争う声が聞こえていた。  即座に、レックスは全力で走った。岩場に飛び込むと、赤い服を着た少女が、六匹の半 漁人囲まれているのが見えた。 「ベルフラウ!」  思い出した。  叫んだレックスは、無手であることも構わずに半漁人の前に躍り出た。ベルフラウを背 に庇い、笑顔で言う。 「無事だったんだね!」 「あなた……無事でしたの!」  ベルフラウも目を丸くして笑顔になった。しかしすぐに顔を赤くして、それより、と言 う。 「こいつら、この子をいじめてたの。大勢で一人を……だから」 「この子?」  チラリと背後を見たレックスは、ベルフラウの胸に抱えられている人間の頭ほどの生き 物に気がついた。炎のような赤色をしており、小さいが手のようなものが生えている。大 きなつぶらな目をしていて、鞠のような身体には鬼妖界シルターン独特の紋様が浮かんで いた。 「召喚獣? こいつらも」  と、レックスは自分たちを遠巻きにする半漁人たちを見た。リィンバウムには本来生息 しない半漁人たちは、人間と似たような姿だが、その全身に魚の鱗を生やした幻獣界メイ トルパの住人だ。だが、彼らは「ギョギョ」と独自の会話をしながらレックスたちを見て おり、召喚術で呼び出されたもの独特の支配を受けている気配が無い。 「はぐれ召喚獣か……でも、六匹もだなんて」  訝しむ。召喚された召喚獣は、召喚主しかもとの世界に還すことは出来ない。召喚主が 何かの理由で死亡した場合、また、召喚はされたが<誓約>せずに放逐された召喚獣が、 たまに主無しでリィンバウムにとどまり、はぐれ召喚獣として脅威となることがあるが、 それが徒党を組むという話は聞いたことが無かった。  やがて、話がまとまったのか、半漁人たちが包囲を狭めてくる。レックスたちは一歩下 がり、ベルフラウの胸の中ではぐれ召喚獣がか細い声を上げる。 「ビビィ〜……」  それは怯え、震える子供の声だった。  ベルフラウは自らも震えながら頷き、強くはぐれ召喚獣を抱き締める。 「大丈夫よ……あなたは一人じゃない。私がいるんだから。私が、絶対に守ってあげるん だから」  その言葉に、レックスは拳を握り締めた。ただ一匹で襲われたはぐれ召喚獣に対して、 ベルフラウがどのような想いを抱いたのかはわからない。しかし、それはまるで自分に言 い聞かせているような悲壮なものを感じさせた。 (守らないと)  レックスたちに武器が無いことを知り、笑いながら近づいてくる半漁人たちから少女を 庇いながら、レックスは迫る敵を睨みつけた。  召喚獣が戦う時の強さは、人間の比ではない。特に腕力に優れた幻獣界メイトルパの召 喚獣であれば、素手のレックスなど少しの時間もかけずに引き裂かれてしまうだろう。  それでも、逃げるわけにはいかなかった。 (守るって約束したんだ)  必要なのは。 (この子を守る力が欲しいっ)  半漁人が一斉に襲い掛かった。  レックスは無意識に右手を天に向かって伸ばしていた。  ──力が欲しいのなら、我を求めよ!  碧色の閃光が空に輝いた。 「なに!?」  ベルフラウがそれを見る。レックスが伸ばした手の先に現れる、光。光が束ねられ、形 作られる、細長いもの。  それは美しい、宝石のような碧の刃を持つ剣。  同時に、レックスの身体に異変が生じた。燃えるような赤毛が、瞬時に白く染まり、時 間を早送りするかのように急激に長く伸びる。彼の身体に絡んだ光が肌に染み込み、質感 を硬質な何かに変えていく。そして、瞳の色までが剣の碧を宿すと、彼は獣のように吠え ていた。 「おおおおおおおおおおおおおおおお!」 「ギョギャ!?」  一睨み。  それだけで半漁人たちの顔に怯えが走った。それでも彼らは止まらず、四方からレック スに飛びかかる。 「危ないっ」  ベルフラウが叫ぶが、レックスは無造作に剣を横に一閃させた。  輝く碧。  碧の光の爆発が、半漁人たちを大きく弾き飛ばし、岩場に叩きつけられた彼らはレック スを見た。  レックスが、剣を振り上げる。それを見た半漁人たちは、悲鳴を上げて逃げていった。 見届けると、レックスは大きく息を吐く。 「え?」  ベルフラウは目を丸くした。今度は、白くなっていたレックスの髪がもとの色に戻った。 髪の長さも、肌も、全てが一瞬にして彼女の知る青年のものに戻っていく。 「あなた……今のは?」 「今の? あ……この剣」  そこで、レックスは初めて剣に気がついた顔になった。拍子抜けしたベルフラウは、腕 の中で動くはぐれ召喚獣に慌てて自由を返した。 「ビビィ〜」 「良かった……助かったわよ、オニビ」 「オニビ?」  聞きなれない言葉にレックスが首を傾げると、ベルフラウが頷く。 「名前が無いみたいだったから、私がつけたの。そこで倒れてた私を、この子が介抱して くれたみたいで……危険な子じゃないのよ」 「そうか……」  納得して、レックスは次に自分が手にした剣に目を落とした。  美しい剣は、昔から馴染んでいた剣のように手に吸い付く感触がある。それを持つこと が当然のような、剣から生気のようなものが流れ込んでくるような、不思議な熱を感じる 剣だった。 (そう言えば、怪我も治ってるけど……この剣のおかげかな?)  溺れた時、この剣を掴んだような記憶もおぼろげながらあった。 「この剣に助けられたのか……」 「ねえ、ここはどこなの?」 「え?」  自分の思考に没頭していたレックスは、ベルフラウに言われて辺りを見回した。広い海 岸線に、目の前の森。遠くに見える山。海図を脳裏に描き、レックスは応えた。 「船の位置から考えて、大陸に流れ着いたわけじゃないと思う。たぶん、あの近くにある 島なんだろうけど……人がいるかどうかはわからないな」  そして、レックスはベルフラウを頭の上から爪先まで見て言った。 「でも、調べるのは明日にしよう。日ももう落ちるし、もし人がいない場合を考えると、 森に入るのは危険すぎる」 「そうですわね……」  うん、とベルフラウは頷いた。 「あなたがそう言うなら、そうなんでしょう」  少し恥ずかしそうに、ぶっきらぼうに言うのだった。                 結  空には、無数の星が瞬いていた。岩場に作った焚き火を絶やさないようにしながら、レ ックスは自分の傍らで丸くなって眠る少女の寝顔を見下ろす。 「さすがに、疲れたよな……」  夢も見ずに眠っているだろうベルフラウの寝顔には、濃い疲労が見える。服も砂まみれ になっていたし、綺麗な金髪も海水でべとつき、固まってしまっている。奇跡的に砂場に 流れ着いているのを回収した帽子も、潮の香りが強い。  それでも、ベルフラウは文句の一つも言わずにレックスと野営の作業を分担した。レッ クスが釣りをする際には、その長い髪の毛を提供し、木の枝と合わせて即席の釣竿とした。 枝は生木のままでは火がつきにくいので困ったが、はぐれ召喚獣のオニビが息を一吹きす ると、火炎が巻き起こってその問題は解決した。  だが、 「こんな野蛮な食べ方をするのは初めてですわ」  釣った魚をただ焼いただけのものを渡した時は、さすがのベルフラウも困惑した顔を見 せた。しかし、空腹もあり食べ始めると、信じられないという顔も見せた。 「どうして……ソースもかかっていない、料理とも言えないものなのに……こんなに美味 しいだなんて」 「魚はね、こうして食べるのが一番なんだよ」  得意げに語るレックスに、ベルフラウは恥ずかしそうにおかわりを要求した。そして横 になるとすぐに、気絶すような深い眠りに入ってしまった。  パキン、とレックスが木の枝を半分に折る。焚き火に放り込むと、長い枝で焚き火を掻 き混ぜて新鮮な空気を送り込む。 「ビビィ」 「うん……ありがとう」  同じように焚き火を見ていたオニビが、レックスを見て心配そうに鳴いた。はぐれ召喚 獣の言葉は、心に直接意味が届くような感覚がある。 「もう少ししたら、俺も寝るよ。君が見張ってくれるもんな」 「ビビィ〜」  任せてくれ、とオニビが空中で旋回する。頼もしい仲間に、レックスはクスリと緊張感 の抜けた快い笑みを浮かべることが出来た。  日が落ちるまでに枝集めなどのために少し歩いたが、やはり地形的にそこは島に違いな かった。月の位置的に、海の方向がまず違う。もし大陸であれば、レックスたちは大陸の 反対側まで流されてしまった計算になるからだ。 (明日は、島に人がいないかどうか調べてみよう。まずはどうにか食料を分けてもらって ……船があるなら借りないと)  ベルフラウが寝返りを打つ。その額にかかった髪を、レックスは指で払ってやった。前 に同じことをしたのは、<成功への船出>号の客室でだ。  あの船はどうなっただろうかと考え、レックスは首を横に振った。帝国軍の軍艦が一緒 だったのだから、どうにかなったのだと信じたい。 「ん……」  ベルフラウの手が、不意にレックスの足に触れた。レックスは穏やかに微笑み、その小 さな手をそっと握り締めた。 「参ったなあ……」 「ビ?」 「家庭教師の仕事、遅れそうだ。ゆっくり勉強が出来る場所まで、この子を連れて行って あげなきゃね」 「ビィ〜?」  言葉の意味がわからないオニビが、その鞠のような身体全体を傾ける。それにクスクス と笑いながら、レックスは笑顔の奥の真剣な瞳で、呟くのだった。 「守ってみせる……絶対に」  小さな手は、まるでその言葉が聞こえたかのように握り返してくるのだった。                 ※  そして、剣は碧の燐光をまとい、囁く。  ──我が楽園へ。  ──ヨウコソ。  と。                                <第二話へ続く>