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サモンナイト3 ナップ→レックス×ベルフラウSS
「男と女の目指すもの」




                1


 太陽が月と夫婦喧嘩して不機嫌になったのではないか。そう思えるくらいに厳しい夏の
陽射し下、今日も変わらない笑顔の花が咲く場所もある。
「お〜し、じゃあこの問題の答えがわかる奴」
 栗毛の青年がそう声をかければ、一斉に挙がる幾つものか細い手。それは透けるように
白い肌のものもあれば、黒い毛に覆われた獣相を持つものもある。十本近く挙がった手の
持ち主たちは、それぞれ別々の種に属する、異界の子供たちだ。
 切り株を机にして並ぶ子供たちがいるのは、海洋に浮かぶ孤島<忘れられた島>でも幻
獣界メイトルパの住人が生活する、ユクレス村の広場だった。犬によく似た顔の子や、兎
の耳を生やした子、鬼の角を持つ子などが行儀良く席について並び、彼らの正面で黒板の
計算式を示している教師役の青年を見つめている。
 青年は、子供たちの自信ありげだったり、不安そうだったりする顔を一瞥し、一番前の
席に座っていた鬼人の少年を指名した。
「よし、前に出て解いてみろ」
「はい!」
 まだ十歳にもなっていない少年は威勢良く返事をし、皆の注目の中見事にその問題の正
しい答えを黒板に書いてみせた。それを見た青年は満足の笑みを浮かべ、
「正解。よく出来たな」
「へへっ」
 大きな手でぐりぐりと少年の角のある頭を撫でる。細い首の上の頭をぐるんぐるんと回
されて、少年が嬉しそうに笑う。
 そこで真上の太陽を見た青年は、その強い陽射しに目を細め、大きく手を叩いた。
「じゃあ、今日の授業はここまで! 寄り道しないで家帰って、飯喰え。外で遊ぶなら、
帽子忘れんなよ」
「は〜い」
 夏の間の授業は、気温が一日の最高に達する昼の前に終了する。生徒の一人が「起立」
の号令をかけて全員が立ち上がり、青年も表情を引き締めて次の言葉を待った。
「礼!」
「ナップ先生、さようなら!」
 さようなら、と全員の声が合唱し、教師役の青年も白い歯を見せて手を振った。
「おう、さようなら。気をつけて帰れよ」
 それは、己の仕事に誇りを持つ堂々とした笑顔だった。

                ※

 ナップが<忘れられた島>で教師をするようになってから、一年あまりの時間が経った。
<忘れられた島>での経験の後、無事軍学校を卒業した彼は、恩師であるレックスの言葉
に従って、世界全てを冒険する見聞の旅に出て、そして最後にこの島へと戻ってきた。
 もちろん、彼が最初に顔を見せに行ったのは尊敬する元家庭教師のレックスのもとであ
り、その際に彼は上半身裸で畑に鍬を振り下ろす恩師の姿に、例えようもない嬉しそうな
顔をした。何と言うか、呆けてから、酸っぱいものでも食べたかのように瞼をぎゅっと閉
じてうなだれ、それから天を振り仰いで手で顔を押さえて最高の笑顔を浮かべたのだ。
 その時のナップの思いを言葉にするなら、次のようなものだろう。
「変わってねぇ〜」
 そして、彼は大きく声を上げてレックスに駆け寄った。手にした鞄を大きく振り回し、
「先生!」
「え?」
 投げた。
 それは目を丸くしたレックスの顔面に向かって飛び、
「ナップ? ──いたぁ!?」
「うわ、マジで何も変わってない!?」
 驚く赤毛の青年に命中した。そんなレックスの、平和の中でのどこか抜けたところに、
ナップは心底安心して抱きついていったのだ。
「ははは。先生、久しぶり! 言ってた通り、しっかり勉強して戻ってきたぜ!」
「な、ナップ? 本当に君かい? うわぁ……大きくなったなぁ」
 真正面からナップを受け止めたレックスは、喜びを隠せない顔で目の前の青年を見た。
それは、かつて見下ろしていた生意気そうな少年ではなく、彼と同じだけの背丈を持った
一人前の男の姿だ。
 清潔に短くまとめた栗毛色の髪に、かつての面影を残す、どこかやんちゃ坊主を思わせ
る笑顔。だが、顔立ちには大人びた落ち着きの色があり、彼が昔の少年のままではないこ
とをうかがわせる。ラフな服装で、大きく開いた胸元はよく日焼けしていて、発達した筋
肉の逞しさがある。肩幅も随分と広く、レックスが抱き締めて触れる背中にも、彼の成長
を裏付ける硬い感触がある。
 大きく、そして重くなった。逞しくなった。
 そのことを腕の中に実感し、赤毛の青年は少し泣けた。再会の喜びも加わって、思い切
りかつての少年の身体を抱き締める。
「お帰り……」
 多くは語らない。だけれど、その耳元での囁きは、ナップにとって何よりも彼のもとに
帰ってきたのだと、実感させてくれるのだった。
 同時に、ホッとする。
(でかい人だな……まったく)
 自分の身体に回された腕の太さ。触れる胸の厚さ。野良仕事に上着を抜いたレックスは、
普段服の上からではわからない、鍛え抜かれた身体をしている。
 自分だって、色々世界を旅してかなり腕には自信があった。背だって伸びたし、一人前
の男になったからと思ったからこそ、島に戻ってきたのだ。
 それでも、その人は大きかった。
 戻ってきた自分を、真正面から受け止めてくれた。
 そのことに、彼はとても安心したのだ。

                ※

「ただいま〜」
「お帰り、ナップ」
 ユクレス村にあるレックスと自分の家の玄関を、ナップはくぐった。ユクレス村のほか
の家屋がそうであるように、そこは地面をそのまま床とする平屋住宅で、部屋の仕切りは
布を天井から吊るすだけという簡素さだ。正面の台所ではレックスが鍋の火を止めている
ところで、振り返った赤毛の青年の言葉にナップはニッと白い歯を見せて笑った。
「美味そうな匂いだな」
「もう少しだから、待ってて」
 言うレックスは、なかなか似合っているエプロン姿だ。本を読みながら昼食の準備をし
ていたらしく、眼鏡をかけて片手には本、片手にはおたまを持っている。
 仕切り布の向こうにある自分のベッドの上に、黒板や教科書といった教材を放り投げた
ナップは、汗にまみれた上着を一気に脱ぎ捨てて居間へと戻った。途中で洗濯物を干すた
めのロープに引っ掛けてあった手ぬぐいを取り、湿気をまとった首回りを拭う。
「あちぃあちぃ。ガキの元気の良さにはかなわねぇよ」
「あはは。君だって数年前はあんなものだったよ」
 笑ってレックスが水の入ったコップを差し出すと、ナップは礼を言ってそれを受け取っ
た。水はぬるかったが、それでも汗で失った水分を取り戻して青年は一息をつく。
「はぁ……まあ、先生はやっぱり凄いよ。俺が来るまで、青空学校と畑の面倒、一人でや
ってたんだからな」
「それに関しては助かってるよ。君も、先生ぶりが様になってきたって、ゲンジさんが褒
めていたよ」
「マジ?」
 引退した教師であるゲンジに認められるのは、よほどのことだ。素直に喜んで、ナップ
は破顔した。レックスも、食器を並べながら上機嫌に頷く。
「お前より筋がいいかもしれん、って言われたよ。一緒に授業していて俺も驚く時がある
し、いい経験をしてきたみたいだね」
「まあね」
 実際、ナップの教師としての手腕は先輩教師たちが舌を巻くほどだ。軍学校で正規の学
問を修めたこと、自分で日銭を稼ぎながら見聞の旅を積んだこと。それらの経験が、彼の
知識を幅広くし、柔軟な対応を可能にしていた。
 だが、ナップは言うのだ。
「先生の生徒っていう、いい経験したからな」
「それは買いかぶり過ぎだって」
「わかってないねぇ〜」
 臆面も無く言ってのけるナップに、レックスが苦笑しながら木の器に煮物を移すと、青
年はひょいぱくとそれを口を放り込んで肩をすくめる。
「先生は最高の先生だよ。じゃなきゃ、俺ここにいないし」
 しかし、そこでいたずらっぽく言ってみせるのがこの青年だ。
「ま、他人にとっても最高の先生かどうかは、わかりませんがね、レックス先生? 畑仕
事してる間に、俺に追い抜かれるかもな」
「言ったね。まだまだ教師一年目の新人には負けないよ。ほら」
「へ?」
 と、レックスがおたまで家の入り口を指したので、ナップはそちらを振り返った。する
と、兎の耳を生やした少女がおずおずといった感じで家の中を覗き込んでおり、
「あの。ナップ先生、忘れ物」
「……違いねぇ」
 小さな手が差し出すチョーク箱に、ナップはレックスと顔を見合わせて笑うのだった。

                ※

 自慢の畑の野菜を使ったレックスの手料理を堪能した後、家事割り当ての洗い物をしな
がら、ナップは今後の予定を組み立てていた。料理に使った薪が燃え尽きた灰を食器にま
ぶし、無菌の灰で大まかな汚れをそぎ取った後に、レックス手製の石鹸を少量使い、最後
に共同井戸から桶で汲んできた水で流し落とす。一連の流れはすでに身についており、考
え事をしながらでも問題は無かった。
(明日の学校は先生の担当だから、準備はいらないんだよな。そろそろ西瓜を取り込んで、
近所に配っとくかな)
 二人で食べるには充分すぎるほどの収穫がある畑を脳裏に描き、ナップは収穫時期を迎
えたものと、そうでないものを選り分けていった。幾つかの候補を決めた後に、ふむ、と
頷いて青年は背後に向かって言う。
「先生。西瓜二、三個いいか?」
「うん。ヤッファにも持っていってくれるかな」
「了解」
 以心伝心。レックスが書き物から顔も上げないで言ったのを確信しながら、ナップは感
慨深いものを感じた。
(初めて会った頃は……むちゃくちゃだったからなあ)
 まだナップが小さな子供だった頃、二人はお互いに隠し事が多すぎて、すれ違ってばか
りでいた。
 強がることしか出来ず、広げられた腕に飛び込むことが出来なかった少年。
 傷つけないことばかり考え、腕を広げるだけで自ら抱き締めようと歩を進めることがな
かった青年。
 教師と生徒の垣根を越えて、まるで家族のように気軽な付き合いが出来るようになるな
どとは、当時は思いもしなかったものだ。
 そのことを、レックスの方はどう思っているのだろう、とナップは時折考える。
 自分が他人にどう思われているかなど気にせず、自分の意志を貫くことこそ大切なのだ
とはわかっているのだが、やはり親しい人に関しては少し気になってしまうものだ。特に
レックスはナップにとって人生の師そのものであり、彼に認められることを目標にして今
まで努力してきたのである。
 ふむ、とナップは顎に手を当てて首を傾げた。
(一番最初の生徒? 一番弟子。うん、それっぽいな。いや、もう一声で家族。息子……
は年齢的に吊り合わないから、弟。弟っ!)
 我知らず、ナップはにへらと口元を緩めていた。一人っ子で、幼少期に寂しい暮らしを
余儀なくされていた身として、それは実に心をそそる響きであった。
「へへ……なあ、先生」
「なんだい?」
 やはり、レックスは書き物から顔を上げない。眼鏡の奥の瞳は何度も自分の書いた文章
をなぞり、不適切な表現が無いかの確認に余念が無い。
 そこに、
「たまにでいいからさ、兄貴って呼んでいいかな?」
「え?」
 赤毛の青年は顔を上げた。ナップは背中を向けていて、レックスにその表情を見ること
は出来なかったが、青年の耳が真っ赤になっていることは充分に見て取れた。
 だから、レックスは大事な書き物を中断して、テーブルに両肘をついて合わせた掌の上
に顎を乗せて、笑みをこぼす。
「もちろん。嬉しいよ、俺は一人っ子だったからさ」
「そ、そっか。喜んでくれるならありがてぇや。な、あ……兄貴」
「うん」
 クスクスと笑うレックスと、背中に受ける視線がなんだかくすぐったいナップ。二人は
しばらくそうやって時間を過ごし、やがて照れ隠しにナップが言った。
「で、書けたのか、返事?」
「う……まだです」
 話題に選んだのは、レックスがテーブルの上に広げた手紙だ。左手側に受け取った手紙
を置き、それを眺めながらレックスは返事の手紙を書いていたのだが、自分の文章がおか
しくないかの確認ばかりしていて、遅々として進んでいない。
 手を洗い流したナップが大股に歩み寄って覗き込むと、帝国軍仕様の隊章印付きの封筒
で届けられた手紙は、拝啓で始まり草々で終わる、ナップからすれば眉をしかめてしまい
そうな格式ばった形式のものだ。その筆跡も美しく、力強い勢いが文字の端々に見え、始
まりと終わりの固さからも、一見すると男性将校からの手紙なのではと疑ってしまう。
 だが、その手紙はれっきとした女性からのもので、差出人にはベルフラウという名前が
記してあった。軍学校時代のナップの同級生であり、首席を争った好敵手の一人だ。
 思い出を共有する友人の手紙に何とは無しに目を通すと、レックスへ向けた彼女の手紙
に込められたものに、ナップは苦笑せざるを得ない。彼の視線に気がついたレックスが、
ハッとして手紙を裏返すが、内容はすでに確認済みだ。
「ナップのことばっかり書くな……だな。先生、もっと考えろよ」
「だ、だって、一回につき封筒に入る限界量の便箋分書かないと怒るんだよ、彼女。身の
回りのことになると、君のことが多くなるのは当然じゃないか」
「いや、そういう問題じゃないだろ」
 言い訳がましく主張するレックスに、ナップは同情のため息をついた。先程目を通した
文面を見れば、差出人が何を求めているかはすぐにわかるはずなのだ。それだけあからさ
まで、しかしそれでいて最後の矜持で明文化だけは避けている想い。
(本当は、『そこにいない私のことを書いてください』だろうな)
 ベルフラウ。長い蜜色の髪と、白皙の美貌を持つ少女――否、女。どうしても出会った
頃の幼い少女を思い浮かべてしまい、ナップは肩をすくめた。
 ナップと同じくレックスを家庭教師に持つ彼女は、軍学校を卒業後、帝国軍の新米士官
候補として海戦部隊に籍を置いている。陸ではなく海を志願したのは、休暇の際にこの<
忘れられた島>に足を運びやすいからだろうとナップは睨んでいた。
 しかし、そのようなことは置いておいて、この時点で重要なのは、彼女がレックスとい
う青年に対して教師に向けるものを越える、異性への恋慕の感情を持っているということ
だ。
 ことの発端は女が少女だった頃、軍学校に入学する際にしばらく会えなくなるレックス
に対して言った「大きくなったら絶対にいい女になるから、待っていて」という言葉であ
り、少年であったナップがレックスのような男になりたいと願って努力したのと同じよう
に、彼女はその約束を果たすために努力した。
「先生に吊り合う女になるの」
 そう言って、彼女がどれだけの努力を積み上げてきたか、ナップは六年間間近で見続け
た。レックスが軍学校の首席であれば自らも首席を目指し、彼の数少ない趣味の一つが歴
史書の通読であると知れば、最新の学説を手紙にまとめてレックスに送りつけた。世間で
言えば、無職と変わらないレックスと大商家の娘のベルフラウでは、むしろレックスの方
が吊り合っていないのではと口にするところだが、彼女は意固地に自分の不足を主張した。
 レックスという男の、人間としての魅力に追いつきたいのだ、と。
 それはナップも同じことで、二人は同じ人間を目標にして成長した。違っていたのは、
ナップが男であり、ベルフラウが女であったということだけなのだ。
 最近、そのことを明確にされ、ナップはガラにも無く眠れない夜を過ごした。
「先生さあ」
 埋まらない手紙を前にするレックスに、ナップは思いがけず真剣な声音で言っていた。
その変化に、レックスが敏感に反応する。
「ナップ?」
「え? あ、いや……まあ、言いたいことはだ。顔を見たいからこっち来い、とか書いて
おけば、あいつも大喜びするぜってことで」
 心の中の悩みを吐き出しそうになり、ナップは慌ててそう言った。レックスはしばらく
そんな彼を見つめていたが、
「……そうだね。俺も、ベルに会いたいしね」
 小さく微笑んで、ペン先をインク瓶につけた。それにホッと胸を撫で下ろし、ナップは
飲み込んだ自分の思いを反芻する。
(さて、女は先生に追いつき、お嫁さんになるのがゴールです。なら、俺は先生に追いつ
いて、その後どこに行けばいいんだろうか、だ)
 遠くない未来、この家で寄り添う二人の男女を想像出来て、青年はその中に自分の居場
所を探そうとして――やめた。





                2


「よし、と。まずはヤッファのところに持っていってやるか」
 両手両足の裾を捲り上げて畑の中に立ったナップは、鋏で茎を切り離した西瓜を二つ両
脇に抱えて、やわらかい土の上を歩いた。何年もかけて耕された畑は、レックスが召喚し
たミミズなどの地虫たちがかき混ぜることで多くの栄養を含み、今では島でも有数の作物
の実る場所となっている。そこで作られたスイカはナップですら抱えるのに難しく、それ
でいて中身は真っ赤で甘みのある見事なものである。
「これもヘルモグラ退治を君が手伝ってくれるからだよ」
 などとレックスは言うが、ナップが手伝ったのはこの一年間だけの話だ。畑を荒らす害
獣と長年戦い続けたのは、やはりレックスなのである。
 ナップがユクレス村を守護する護人のヤッファの庵を訪れると、彼は寝台の上に大の字
になって眠っていた。庵は壁が開放されており、木陰になっていることもあってかなり寝
心地は良さそうだ。
 眠る主に代わって青年を迎えたのは、小さな妖精の少女だ。
「あや、新人さんいらっしゃいですぅ」
「よお、マルルゥ。こいつ、ヤッファに渡しておいてくれ」
「あやや、西瓜さんですかぁ。マルルゥに任せるですよ。シマシマさんに――にぃ!?」
 あ、やべ、とナップが思った時には遅かった。思わずレックスやヤッファにやるように、
軽い気持ちでマルルゥに向かって西瓜を放ってしまった彼は、しかし次の瞬間重みに潰さ
れたマルルゥの落下が止まったことにびっくりした。
「ま、ま〜か〜せ〜る〜で〜す〜よ〜……っ」
「わりぃわりぃ」
 どこから捻り出したのか、顔を真っ赤にして西瓜を持ち上げるマルルゥに、ナップはひ
とこと謝ってその大きな玉をすくい上げた。そして、今度はヤッファの腹の上に放る。
「ん?」
 確かに熟睡していたヤッファは、飛んできた西瓜をひょいと片手で受け止めて眠そうに
瞼を開けた。それを見たナップは、この獣人にだけは不意打ちは効かなそうだと感心する。
「ああ……ナップか。こいつはレックスのところの西瓜だな」
「おはようさん。確かに届けたぜ」
 大きなあくびをしながら言うヤッファに、ナップは目覚めの挨拶をした。だが、ヤッフ
ァは起きる気などさらさら無いのか、
「ありがとよ」
 それだけを言って、西瓜を床に置くと再び静かな寝息を立て始めた。いつもながらの姿
に、ナップは特に何も思わなかったのだが、妖精の少女は寝転ぶ獣人の顔の上で怒鳴った。
「シマシマさん! 食べて寝てばっかりいると豚さんになりますよっ。西瓜さんだって、
冷たいお水で冷やしてあげないとすぐに駄目になってしまいますよ!」
「んああ……なら、井戸に入れといてくれ」
「もう。仕方ないですねぇっ」
 ぷんぷんと怒ってマルルゥが、
「うん……しょ。うん……しょ」
 と西瓜を転がし始めたのを見て、ついにナップは声を出して笑った。いきなりの笑いに
マルルゥが目を丸くしていると、ナップは西瓜を持ち上げると、ヤッファの庵のすぐ近く
にある井戸の桶に乗せた。そして、転がっていた網を使って固定し、桶を滑車で下に下ろ
す。
「これでいいだろ」
「あやや。新人さん、ありがとうですよ!」
「ああ。今日は陽射し強いから、マルルゥも気をつけろよ」
「はいですよ」
 にっこりと微笑む花の妖精に笑みを返し、ナップは次なる場所へと足を運ぶことにした。
レックスならば必ず持って行くと言い出す場所と言えば、風雷の郷に住むゲンジの家だ。
 森の中を軽快な歩みで進んで風雷の郷につくと、老人の家に家の主の姿は無かった。そ
れならと向かったのは村を治めるミスミの屋敷で、予想をつけて庭を覗くと、縁側に腰を
下ろして茶を楽しんでいるミスミとゲンジの姿を発見することが出来た。
「こんにちわ、ミスミさま、ゲンジじいちゃん。先生のところの西瓜、持ってきたぜ」
「おお、噂をすれば、じゃな」
「は?」
 ちょうど良いところに、という顔で手招きする妙齢の美女に小首を傾げ、ナップは西瓜
を渡すために彼女たちのもとへと小走りに向かった。好きな茶を飲んで上機嫌なのか、い
つもは厳ついゲンジの顔も、今日は好々爺のようにも見えた。
「何かあったのか?」
「なに。ちょうどお主のことを話していたところでな。教えることの少ない生徒でゲンジ
殿も退屈じゃな、とな」
「へぇ〜」
 ナップは思わず声を出してゲンジを見てしまった。人を良く立ててくれるミスミはとも
かく、ゲンジが人を褒めることは珍しい。先程レックスからも聞いていたが、顔がにやけ
てしまうのは仕方ないだろう。
 すると、ゲンジはこほんと咳払いをして、西瓜を片手に持つ青年に鋭い視線を向けた。
「調子に乗るなよ、小僧。お前にはたまたま身近に見習うべき先達がいたという話だ。あ
の男の背中を追いかけている間は、お前はまだまだ半人前だということを忘れるな」
「はい」
 場を引き締める訓戒に、ナップは居住まいを正して頷いた。その驕らない姿に、ゲンジ
はふと表情を優しいものにした。
「いい返事だ。良い教え子がいて、あの男も幸せ者だな」
「そっかな……へへ、俺なんか、まだまだ迷惑かけっぱなしだけど」
「良い教師は、教え子を育てる。そして、良い教え子は教師を育てる。お前がいなければ、
あの男もまだまだヒヨッコのままだったはずだ」
「ふふふ。先生が育っては、生徒が追いつくのはますます難しいの」
 ゲンジの言葉を受け取って、ミスミが着物の袖で口元を隠してコロコロと鈴が転がるよ
うな笑いを見せた。まったくだ、とナップも西瓜を縁側に置いて、そこに腰掛ける。
「本当に……そう思うよ。俺もでっかくなって島に戻ってきたつもりだったけど、先生は
俺にとって昔のまんまの大きさに見える。差は縮まってないのかもしれねぇな」
 レックスは、自分に足りないもの、欲しいものを全て持っているように思えた。力も、
知識も、意志も、何もかも。
「お前もいい男見つけたよなぁ」
 今は遠くにいるベルフラウに、ナップは呟いた。聞きとがめたのは、まさに鬼だけに地
獄耳のミスミで、噂話好きの一児の母は目を輝かせてナップに顔を寄せた。
「なんじゃ? 色恋沙汰か?」
 そういう話に乗るのは大好きなナップであったが、この時ばかりは何故か苦笑すること
しか出来ずに答える。
「ああ、先生とベルフラウの話。先生もまんざらじゃねぇみたいだし、そろそろかなって」
「ほ〜。それはまためでたい話じゃな」
「ま、そうだな」
「ふむ?」
 反応に元気の無いナップに、ミスミとゲンジは目配せをした。老人が頷き、ミスミが衣
擦れの音を立てて立ち上がる。
「ミスミ様?」
「茶が切れた。ナップは妾が淹れる茶を飲んだことはあるまい? なかなか捨てたもので
はないぞ」
「鬼姫、ついでに煎餅を頼めるか」
「良いな。では妾は饅頭をいただこう」
 去り際にぽん、と頭を叩かれ、ナップは亡き夫に代わり風雷の郷を治める鬼姫の背中を
見送った。この急な行動が何を意味するのかわからないくらい彼は子供ではなく、ばつの
悪さに短い髪を掻きむしるように掻く。
「あ〜、もしかして今の俺って格好悪い?」
「女に気を遣わせるようでは男として半人前だ。……わしは、婆さんが逝くまでずっと半
人前だったがな」
「……なんて言うか、いい奥さんだったんだな」
「ああ」
 目を細めて庭を見るゲンジの横顔に、ナップは感謝したい気がした。彼は、青年が話し
やすいように誘導してくれているのだ。滅多に口にしない亡き妻のことまで出して、青年
に歩み寄ってくれている。
 だから、ナップは自分でも驚くくらい素直に尋ねることが出来た。
「なあ、じいちゃん」
「なんだ」
「男ってさ……どこがゴールなんだろう。先生が目標で、それに追いついたら……って、
まだまだなんだけど、そこを越えたら、どうなるんだろう」
 二人、顔を合わせずに庭を向いて話す。
「いや……その時は、新しい目標でも作ればいいのかもしれねぇ。だけど、その時どうな
るんだろう? それまでの目標は、俺の中でどうなるんだろう?」
 それが、不安。
 レックスを好きな女がいる。
 レックスを尊敬する自分がいる。
 女は、彼に好意を持ち、追いついた後に彼と共にあろうとする。
 自分は、彼の大きさに憧れ、追いついた後は――後は?
(好きは、そのままでもいいのかもしれない。だけど、憧れは、尊敬は、それを越えた後
にも続くのか?)
 もちろん、ナップは能力を尊敬するだけではなく、レックスという個人自体が好きだ。
しかし、一人の男として彼を羨望する今のこの気持ちは、自分が彼より劣っていると自覚
するからのものだ。
 これまで、ナップの中でレックスに対して大きな割合を占めてきたのは、その憧れ。憧
憬。そうしたもの。それが行き先を無くした時、自分と彼の関係はどうなってしまうのか。
 そう告白するナップに、ゲンジは前を向いたまま言う。
「ふむ……小僧。確かに、目標というものは、それを越えた途端に魅力を失い、小さく見
えるようになるかもしれん」
 それは、ナップがドキリとする言葉。
 彼の不安を裏付けてしまう言葉。
 だけれど、ゲンジはこうも続けた。
「だがな、小僧。そうではないかもしれん」
「え?」
 ナップは、驚いてゲンジを見た。老人も、青年を見た。歳若い者を見るゲンジの瞳には、
長い年月を経験という宝に昇華した英知が宿っており、その達観した色はナップの心の抱
える闇の向こう側さえも見透かすようだった。
「人というものを目標にした時、それは厄介なものだ。何点以上とれた、何回以上やれた、
そんなはっきりした目標とは違う。越えたと思ったら、まだ上があるかもしれん。まだま
だだと思っていたら、とっくの昔に越えているかもしれん。そいつ自身も成長し、どんど
ん遠くなっていくこともある。お前の追いかけているものは、そういうものだ」
「うん……」
「だからな、小僧。まずは、迷わずに全力で山を登れ。そして振り返るといい。そうすれ
ば、お前はあの男、レックスのことをもっと良く理解出来る」
「先生を……理解?」
 レックスを、理解する。
 その言葉は、胸の中の暗雲を割って顔を出した太陽のように、ナップの心を満たしてい
った。
 うむ、とゲンジは頷く。
「越えてみて……いや、越えたと思えた時、初めてお前は対等の高さからあの男を見れる
だろう。見上げるのではなく、同じ高さから見て、それで相手の胸までしか見えないか、
見下ろしているかは、わからん。だが、自分が登ってきたものがいったい何だったのかは、
少なくとも今よりは理解出来るだろう」
「俺の、登ってきたもの」
 確認するように繰り返し、ナップは自分の掌に視線を向けた。六年間以上剣を振り続け、
豆を何度も潰した、硬い手の皮がそこにはある。西瓜を採った際に土に汚れ、お世辞にも
綺麗な手とは言えない。
 だが、それは彼の目指した者が持つ手だった。
 歩んできた道は、そこに刻まれていた。
 ゆっくりと指を折り、拳を作って握り締める。力が入った。気力の入った、良い力だ。
「そうだな。ありがとう、じいちゃん」
 一つの迷いの晴れた顔で、ナップは老人に礼を言った。ゲンジは孫を見る瞳そのままで
ナップの笑顔を眺め、そして最後に自らも笑顔を見せて頷いた。厳格な老人の見せた優し
い表情に、ナップは励まされた気がして縁側から腰を浮かした。
「じゃ、俺行くな。ミスミ様に悪いって言っておいてくれよ」
「おお」
 駆け出す青年の姿は水を得た魚のようで、目を細めてそれを見送ったゲンジは、控えめ
な足音に首を回して振り返った。そこにはつまらなそうな顔をした鬼姫が、菓子を乗せた
盆と急須を持って佇んでいた。
「なんじゃ、もう帰ったのか」
「若者は、わしらと違ってそうそう足を止めはせんよ」
「寂しいものじゃな」
 おどけて肩をすくめ、ミスミはゲンジに茶目っ気のある微笑で言うのだった。
「では、前途多難な若者を見守りつつ、一杯といこうか」

                ※

 足取りも軽くナップが我が家へと戻ると、レックスは未だにベルフラウへの手紙に頭を
抱えていた。自分の目標のその姿に、ナップは呆れて大きなため息をついた。
「ただいま。まだやってたのかよ」
「お帰り。あと半分なんだけどね……うーん、ヤッファはどうだった?」
「寝てた」
「『ヤッファは相変わらず寝ています』……と」
「うわあ……」
 そりゃベルフラウも怒るわけだ、とナップは絶望的な気分で額を押さえた。そして、そ
のような手紙を数年に渡って送られ続けているベルフラウに、同情の念を覚えてしまう。
「先生〜。交換日記じゃねぇんだからさ、もっと色っぽいこと書けないのかよ」
「い、色っぽい?」
「例えば……そうだな」
 困惑するレックスに、ナップは部屋の中を見回してから言った。
「今日はアルディラと家で二人きりで話をしました。楽しかったです。とか」
「そ、それは……怖いかも。でも、どうしてわかったんだい?」
「炊事場に紅茶のカップが二つ。で、先生が紅茶出すのアルディラだけだろ?」
 さすがに目ざといナップに、赤毛の青年が感心していると、教え子はさらに言った。
「ファリエルも尋ねてきたので、君への手紙を書くのを中断して楽しくおしゃべりしまし
た」
「ど……どうしてわかるのかな。あ、花か」
「正解」
 テーブルの上にはナップが出かけるまでは無かった花瓶があり、<狭間の領域>でしか
見られない紫色の花が活けられていた。それで連想するのはかの地の護人であるファリエ
ルと、その従者のフレイズであり、男のフレイズがレックスに花を持ってくるとは思えな
かったので、ナップはファリエルと断定したのだ。
 少し怯んだ様子のレックスに、ナップは意地悪な顔をして背後から首に腕を回して絞め
る。
「バレたら怖いぜ〜? 何せ、私が大人になるまで待ってて、だよなぁ?」
「べ、別にやましいことは何もしていないんだから――」
「なら書けば? 先生だって、あのお嬢様のやきもち焼きは知ってるんだろ?」
 へっへっへ、と悪魔の角と尻尾を生やしそうな顔でナップが囁くと、レックスが苦虫を
噛み潰したような表情で閉口する。後ろからだがその気配がわかり、ナップは良い傾向だ
とほくそ笑んだ。
「その程度には、あいつの気持ちもわかってるんだろ? なら、白黒つけろよ」
「ナップ?」
「その方が、きっと格好いいぜ!」
 訝しむレックスの声に、ナップは彼の首を解放して、即座に後ろを向いた。振り返る恩
師に向かって、背中を見せたまま手をひらひらと振ってみせる。
「じゃないと、俺もなんだか気持ち悪ぃや。色々覚悟決めたからさ、先生もがんばってく
れよ」
 あなたのような人間になってみたい、という目標が、あなたという人間を本当の意味で
理解出来る立場になってみたい、に変わった。肩を並べる位置から相手を見つめるための
努力をしてみようと、意識改革した意志を乗せて告げたつもりだったのだが、
「やっぱり、ナップはベルのこと好きなのかい?」
「なんだそりゃー!?」
 青年は絶叫して振り返り、恩師の頬の肉を思い切りつまんだ。椅子に座ったレックスが、
針にかかった魚のように釣れる。
「い、いひゃ!? な、ナップ!?」
「ど、どこの誰がどちらの誰様を好きだぁ!? お、俺は別にあんな奴どうとも思ってね
ぇよっ」
 まさかレックスの口から出るとは思わなかった言葉に、思わず動転してナップは早口に
まくしたてる。
「いいか、あの女は確かにいい女だけどな、先生の女に手を出すほど俺は馬鹿じゃねぇっ。
と言うか、あの女は却下だ、却下! 可愛くて美人でもあの女は駄目だっ!」
「ど、どうして?」
「どうしてって……ああ、くそっ。この先生はぁっ!」
「いひゃひゃっ」
 レックスの頬を引っ張り上げる。そこまでされても、赤毛の青年は手を押さえることを
せず、自分の手で「落ち着いて落ち着いて」とやんわりとした動作で語るのみなのだ。
(あー、もう、この人は!)
 歯がゆさに、ナップは頭に血が上った。
 ベルフラウが異性として魅力的なのは、今に始まったことではない。それこそ出会った
頃、七年前から彼女はナップにとって一番美しい少女だったし、一番身近にいた異性だっ
た。
 六年間、共に過ごした。首席を目指して切磋琢磨し、競い合う仲だからこそ多くの時間
を共有した。一緒に勉強した。一緒に食事を摂った。同じ部屋で雑魚寝をしたことだって
ある。同年代の男子にきつく当たる節のあったベルフラウに始終構い、からかって遊んで
いたナップの姿に、二人は恋人なのではと噂を立てられたことも、レックスには秘密だが
ある。
 しかし、違うのだ。
 どれほど親しくしようと、彼女にとってナップは『先生のことを知っている親友』でし
かない。二人でしたレックスの話は、数え切れないくらいだ。レックスからの手紙が届く
度に、彼女がどれほどはしゃいでいたか、レックスは知らないだろう。
(あー、くそ、思い出しちまった)
 思春期の淡い想いも、その名前と共にあったことに。
『レックス先生』。
 かなわない。
 とどかない。
 だけどいつか――。
「でいっ」
「いひゃっ」
 伸びきった輪ゴムを放すようにして頬を弾いたナップは、情けない顔で頬を撫でるレッ
クスを見下ろして思う。
(なんかムカつく)
 恨めしいと言うか、腹立たしいというか、とにかくのんびりとした様子の元家庭教師に
意地悪しないではいられなかった。
(いじめてやる、いじめてやる、いじめてやる)
 何故か、それは笑みになって顔からこぼれた。ベルフラウのことを言われて逆立った心
が、彼の平和な顔を見ているうちに、いじめてやること自体が楽しいような、そんな気に
させてくれた。
 それを人徳と言うのかは不明であるが、きっとレックスは「嬉しくない……」と落ち込
んだことだろう。
 ナップはもの凄い速度で考えを巡らせ、
「酷いよ先生……俺の気持ち知ってるくせにさ」
「はい?」
 わざとらしく悲しい顔を作り、レックスに詰め寄った。いきなりのことに、赤毛の青年
は間抜けな声を上げる。そこに思考の隙を作らせず、ナップは畳み掛けた。
「俺が先生のこと好きなの知っていて、ベルフラウの話ばかり……挙句の果ては、俺があ
いつのことを好き? イジメかよ……っ」
「え? あれ?」
 椅子に座ったまま、目をパチパチとさせるレックス。よよよと泣き崩れそうなナップ。
おかしな光景であったが、レックスは本気で動揺していた。
「あ、あれ? え? ナップ? ご、ごめん……あれ?」
 もはや言葉になっていない。こっそりしてやったりの笑みを浮かべたナップは、悪乗り
してさらにレックスの両肩に手を置いた。
 がし、と押さえ込まれたレックスが状態に気づく前に、
「冗談」
「……は? んっ!?」
 サラリと言って、驚きに顔を上げたレックスの唇に、自分のそれを合わせた。
「…………」
 たっぷりとした沈黙。
 触れ合った唇はやわらかくて、あまり女と変わらないな、とナップは思った。
 そして。
「ぐはっ」
 同時に精神的打撃を受けて、二人の青年は互いに身体をのけぞらせて口を押さえた。
「ど、どうだ……」
 渾身の一撃を加えたナップは、それでも復活が早く、レックスを見る。
 赤毛の青年は。
 肌の色も髪のように真っ赤に染め、情けない顔で肩を落としていた。
「そりゃないよ……ここまでやらなくても」
「先生悪いって。俺のは仕返しだからなっ」
「身体張らなくても……」
「これが一番。へへへ、ベルフラウにさっきみたいなこと言ったら、このことバラすから
な」
「な!?」
 驚愕に、レックスの顔が引きつる。そうだ、それがいい、とナップは楽しげに指を立て
た。
「これからは、先生への仕返しは全部こういうのにしよう」
「あの……ナップくん?」
「なに、兄貴?」
 にっこりと、ナップは白い歯を見せて笑った。レックスは赤い顔のまま、何か言いたげ
だったが、結局はナップのイタズラということで収めることにしたようだ。
 ため息をつき、レックスは言う。
「書けないことが増えたよ」
「口直しは、あいつとするんだな」
 明るい調子のナップに、レックスはついに苦笑を浮かべる。ナップなりに、レックスと
ベルフラウの仲を取り持ってくれているのだ。
「ありがとう」
「ああ」
 わかり合った笑みを交わす。お互いの言いたいことは、きっと伝わったのだ。
(俺はこれで充分、だ。格好いいよな)
 ベルフラウが触れたかもしれない――これから触れるかもしれない唇を奪い、ナップは
満足げに頷くのだった。


                               了





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