サモンナイト3 アリーゼ×ベルフラウSS 「茨姫のなれそめ」 序 臆病なわたしを囲む茨の森を乗り越え、その人はやってくる。 行く手を塞ぐ鋭棘を切り開き、恐ろしい魔物を打ち破り、あらゆる困難をものともせず にわたしの前に現れる王子様。 「私の手を取ってください、茨姫。例えその手の棘が私の皮膚を裂き、赤い血が流れよう とも、私はその手を放しはしないでしょう。そして見ていただきたい。あなたの他には誰 も棘を持って暮らしてはいないことを。この世にはもう、あなたを傷つける悪い人などい ないということを」 1 格式高い帝国軍学校といえども、学園祭が近づくとそこはごく普通の学校と変わらない 賑やかな喧騒に包まれる。 展示、販売、競技の三つで行われる祭りのために、生徒たちは夜遅くまで校舎に残り、 普段持ち込まれない角材が幾つも校門を通り抜ける。夕方の空に響くのは、合唱部の美し い歌声と管弦楽部の気高い合奏、そしてトンテンカンというトンカチの音の混ざり合った、 混沌としたものだ。 大声で後輩を呼びつけたり、女子がスカートの裾を結ぶ通称カボチャという形で走り回 ったりしても、この学園祭期間だけは、紳士淑女のたしなみに口うるさい講師たちも目を 瞑る。年に一度のお祭りくらいは大目に見てやろうという気持ちもあるし、かつてここを 卒業した自分たちも、同じように講師たちに目を瞑っていてもらっていたからである。 そんな喧騒につつまれた校舎の中を、栗色の髪を二つ結いにした少女が歩いていた。 軍学校の校舎は二つに分かれていて、少女がいるのは低学年の教室が集う初等部の建物 だ。これまでの軍学校の伝統を視覚的に感じさせる深い色合いの木造建築で、三学年九学 級分の生徒を収容している。最低学年の教室は一階にあり、少女が目指しているのもその うちの一つであった。 廊下で大きな紙を敷いて書きものをしている生徒たちをひょいと避けながら、一組と札 の掲げられた扉の前で足を止める。横引きの戸を開けようとして、しかし少女は教室の中 から聞こえてきた鮮烈な声にその手を止めた。 「黙れ! サプレスの悪魔の言葉に耳を貸す私ではない! 誓約者の名の下に、私は汝を 封印する!」 聞いた者が背筋を思わずピンと伸ばしてしまいそうな、腹に力の入った声。まだ年端も 行かない少女の声音だというのに、相手を威圧する命令慣れしたものを感じさせる言葉。 続いた複数の少女たちによる黄色い嬌声に金縛りを解かれ、二つ結いの少女は戸を開い て教室に入る。 真正面に、こちらを向いた王子様がいた。 「あら、アリーゼ。お帰りなさい」 真っ白な長袖のブラウスに、金の刺繍の入った濃い青のチョッキ。そしてやはり白いズ ボン。細い身体にそれらをまとい、長い蜜色の髪を三つ編みにして背中に流している、性 別女の王子様。 一瞬その姿に見とれたアリーゼは、自分に向けられた笑顔に慌てて同じものを返した。 「ただいまっ。ベルフラウ」 「ぎゃっ」 「え? ――きゃっ!?」 一歩を踏み出したアリーゼは、やわらかいものを踏みつけ、あまつさえそれが悲鳴を上 げたのに飛び上がって驚いた。それが退治された魔王役の少年なのだと気づく前に体勢を 崩し、足を滑らせる。 転ぶ。 そう教室にいた全員が思った時、横から伸びた手がアリーゼの腕を掴んで支えていた。 「あ……」 「大丈夫?」 何が起こったのかわからなかったアリーゼに、済まし顔の少年が何事も無かったかのよ うな平静さで言った。間近でその顔を見たアリーゼは、良く見知った顔にホッと胸を撫で 下ろす。 「ウィルくん、ありがとう」 「うん」 「アリーゼ、大丈夫?」 「ぎぎゃっ!?」 王子様役の少女――ベルフラウも駆け寄ると、足元で蛙が潰された。否、少年が一人、 王子様に踏み潰されて呻いていた。 自分が最初に踏んでしまったものが何であったのか、ようやく理解してアリーゼはサッ と顔を青くした。 「ご、ごめんなさい、ナップくん!」 「ど……どんまい」 やんちゃを絵に描いたような顔立ちの少年は、そう言って手をヒラヒラ振るのであった。 ※ さて、ことの発端は我の強い三人の生徒が、同じ教室に居合わせてしまったことにあっ た。学園祭の出し物を決定する一年一組の学級会において、この三人の意見が見事にぶつ かったのである。 一人はナップという少年。元気はつらつで、勉強よりは運動、というのを地で行く少年 だ。彼はまず最初に挙手をして言った。 「体力測定やろうぜ! 絶対ウケるって」 説明不足も甚だしい意見だったが、確かに軍学校というものでは、その手の能力診断系 の催しは人気がある。従軍志願者が多いこの学校では、皆が常にその時点での自分の能力 を気にかけ、他人との差を知りたがるのだ。もとが狭い試験の門をくぐり抜けてきた努力 家揃いだけあって、測定結果は絶対に無駄にはならないであろう。 それに否やを唱えたのが、ウィルという少年だった。今年度の入学試験で学科一位を取 った少年で、それに見合った知的な瞳をしている。 「学園祭には父兄だけじゃなく、軍学校を卒業した上級軍人の人たちも視察に来るって聞 いてる。そういう人たちに今の学生の実力を見てもらうために、前期に皆で作った帝国史 のレポートの展示をしてみたらどうかな」 穏やかではあったが、それは自分たちの成果物に対する確固たる自信が見える提案だっ た。事実、ウィルたちが作ったレポートは、軍学校でも一年生が作ったとは思えない出来 で、講師たちを唸らせた完成度だ。たかが子供の展示会、と甘く見て立ち寄った軍人たち の不意をつくという意味では、充分過ぎる展示品である。また、展示はレポートの大版を 作るだけの手間で済むので、学園祭当日に自由な時間を多く取れるというのも魅力的であ った。 最後に挙手をしたのは、ベルフラウという少女。前の二人に負けないくらいに一本筋の 通った瞳をしていて、どのようなことにも顔を上げて挑み、男子に負けない勝気さを持っ ている少女だ。 「そんなものより、模擬店はどうかしら。体力測定もレポートの展示も、その気になれば 学園祭以外でも出来るわ。だけど、みんなでお店を出すなんて機会はそうそう無いと思う の。違うかしら」 それはなかなか上手い言い回しで、ナップなどは「うーん、それは確かに」と頷いてし まい、ウィルも感心した。だけれど、ベルフラウの隣の席で聞いていたアリーゼは、 (凄い……出し物としていいか悪いかじゃなくて、機会があるか無いかの話しにしちゃっ た) と、その『上手な錯覚のさせ方』に気がついて目を丸くした。言葉の最後に機会に関す る違う違わないの質問を被せ、それが「違わない」なので、不思議とベルフラウの模擬店 主張まで「正しい」ように思えてしまうのだ。 だけれどその本音が、単純に個人的に模擬店をやってみたいというものであることを前 日の雑談で知る身としては、苦笑せざるを得ない。自分の意見を通すために、子供ながら に会話術などを調べてきたのだろう。 そのまま即決であれば模擬店に決定したであろうが、無記名の投票を行うことになった ために、結局は前述の三つが候補に残ることになった。どれも同票であり、正しいからと いって皆がそれを選ぶわけではないことを、ベルフラウは思い知るはめになった。 体力測定には、元気な男子を中心に票が集まった。 レポート展示には、研究発表に意欲的な者と、当日遊びたい者。 模擬店には、主に女子。 ちなみにアリーゼは、ベルフラウの模擬店に一票を入れた。 決着がつかなかった三人は額をくっつけて話し合い、ああでもないこうでもない、と自 分の主張がいかに正しいかを激論し、一歩も引かなかったのであるが、学級会の時間の終 わりが近づいた時に担任講師が次のように言った。 「ほらほら、喧嘩しないの。それから、他のみんなも遠慮しないでいいのよ。他に何か出 し物の意見は無いかしら? そうね……アリーゼさんは?」 「わたしですか?」 いきなり求められたアリーゼは目を白黒させたが、ベルフラウたち三人が一斉に振り返 ったので息を詰めた。これは、この三人の誰かに偏る意見を出してはいけないだろう。 そう思い、口をついて出たのは、 「演劇……とか」 蚊の鳴くような小さな声だったが、驚いたことにまずベルフラウが頷いた。 「ん〜……演劇。いいわね、私はそれでもいいわ」 「劇かぁ。悪くはないな」 「僕もそういうのしたことないから、興味あるかな」 続いてナップとウィルも同意し、知らないうちに一年一組の出し物は演劇ということに 決定してしまっていた。どうやら、三人もお互いの意見のぶつかり合いに疲れて、第三者 の妥協案を待っていたらしい。その辺り、子供のいじっぱりなところを見透かした担任は さすがである。 演目は、物語を書くのが大好きなアリーゼが密かにしたためていた『茨姫』に決定した。 真っ赤になって抵抗したのだが、「笑うような奴は私が許さないから」というベルフラウ の説得に折れた。 それに、微かに期待もしていた。 その期待が実って、王子様役にベルフラウが選ばれた時、アリーゼは他の女子たちと一 緒になって喜んだ。 お姫様役に自分が選ばれたことは、まったくの予想外だったのであるが。 2 「駄目……いけません。これ以上あなたの手が傷つくのを見るのは耐えられません。どう かわたしのことはお忘れ下さい」 「何を仰います、姫。我が誓いをお忘れになられましたか。例えこの手を裂く幾千幾万の 苦痛があろうとも、この手を引く以上の幸福はないのです」 王子様の手が、お姫様の手を握ろうとする。しかし、お姫様はその手を自分の胸に抱く ようにして隠してしまうのだ。 それは、他人の痛みを知ったから。自分が逃げることばかり考えて、他人を拒絶する棘 を魔王に願った彼女は、棘に刺される者の痛みなど少しも考えてはいなかったのだ。痛い のは、辛いのは自分ばかりだと思っていたのだ。 だから、お姫様は嘆く。どうして自分は魔王になど願ってしまったのか。解けない呪い を宿した我が身では、愛する人を傷つけるばかりで、辛すぎる。 「あなたにとって幸福でも、わたしにとっては地獄の苦しみなのです。どうしてあの塔か らわたしを連れ出したのですか。あのまま永遠の檻で眠り続けた方が、わたしは幸福かも しれなかったのに」 泣き崩れるお姫様の周囲に、たくさんの茨が現れる。無数の棘の檻の上には邪悪な魔王 の影があり、弱き人間の姿に大声で笑っている。 「ぐわっはっはっはっはっ」 「はいカーット。ナップくん、笑い方下手すぎ」 ※ 「救いようのない大根役者ね」 「うふふっ」 演技が中断されると同時に、これみよがしにベルフラウが肩をすくめると、紙で作った 茨の蔦の中にうずくまっていたアリーゼも耐え切れずに拭き出した。何せ「ぐわっはっは っはっ」だ。わざとらしいにもほどがある。 「う、うるさいなあ。兵士Aの役もやってるんだから、練習がおっつかないんだよっ」 自分でも下手だとわかっているのか、憮然とした顔で赤面して、ナップが唇を尖らせる。 あらそうかしら、とベルフラウは頬に一本指を立てて言う。 「ウィルは鏡の精の役も、魔王の部下の役もこなしてるわよ。単純にあなたが下手なのよ」 「じゃあウィル笑ってみろよ。魔王役で」 「いいけど……」 ふむ、とウィルは役柄を切り替える準備なのか、瞼を下ろして深呼吸をする。 そして。 「くく……はは、あはははははははは!」 「こ、怖っ」 「こ、これは似合いすぎね」 「イメージぴったり……」 笑いというよりも哄笑と表現した方が良さそうな迫真の演技に、アリーゼたちは思わず 引いた。何でもそつなくこなせる器用者は、少し傷ついた顔をする。 学園祭まで残り三日になった日、一日の授業が終わると一年一組はすぐに『茨姫』の通 し稽古を始めた。 主演は王子役のベルフラウと、お姫様役のアリーゼ、そして魔王役のナップで、実際に 舞台に立つのはこの三人に合わせてウィルなどの端役五人ほどだけだ。他の面々は、舞台 背景や小道具作りに余念が無い。ナップが時折台詞を忘れたりする以外は、概ね順調に進 んでいると言って良いだろう。 特筆すべきは、他にも演劇を行う学級はあるというのに、この一組ばかりに見学者が集 まっているということだ。既存作品ではなく、アリーゼの創作物語というもの珍しさもあ あるのだろうが、上級生たちまで顔を見せているのは、主にベルフラウとアリーゼ、二人 の少女の姿見たさ故である。 「ベルフラウちゃん、素敵。こっち向いてー!」 「アリーゼちゃん、だっけ? あの子可愛いなあ」 ベルフラウへの歓声の多くが女子からであり、アリーゼへのそれが男子からのものであ るのは、やはり二人の服装のせいだろう。 男装のベルフラウは、帝国一の商家であるマルティーニ家のお嬢様という気品も合わさ って、まるで宝石のような麗しさ。 対してアリーゼは、その創作や手芸を好むおしとやかさや、少し引っ込み思案なところ を華やかなお姫様の服装で飾られ、慣れないそれに照れる初々しい可愛らしさがあった。 例えるなら、並び立つ宝石と花。 目の保養にと覗きに来る者が後を絶たないわけである。 注目度が上がれば皆のやる気も盛り上がるもので、残り三日の時点でほぼ全ての準備は 終了していた。先程のナップの失敗も、笑い話で済む程度だ。 「ふう……」 一通りの練習を終えると、アリーゼは作業をする仲間の邪魔にならないように窓側の壁 際に寄った。一階なので窓の外には見学の生徒がいたが、軽く愛想笑いを浮かべて誤魔化 しておく。 (疲れたあ) 周りはどうだか知らないが、アリーゼは人の注目を受けるのが好きではない。しかも今 回は自分の物語が衆人環視のもとにさらされているのだ。どのように思われているのか、 影で笑われていないか――そんなことばかりを気にしてしまう。 (ベルフラウったら強引なんだから……) 隠していたつもりの物語を彼女が知っていたことだけでも驚きなのに、それを演劇の演 目にされてしますとは。 「しかも、わたしがお姫様」 ドキリとしたのだ。 あまりにも、『正し』すぎて。 「やっと形になったわね」 「うん。ベルフラウの王子様、大人気だね」 同じように逃げてきたベルフラウを迎え、アリーゼは自分の隣の位置を進呈した。衣装 を汚すわけにはいかないので腰は下ろさず、二人して窓を背にして教室を眺める。 雑多な雰囲気だった。授業中に綺麗に並んでいる机は全て教室の後部にまとめて寄せら れ、皆が思い思いの場所に道具を広げて作業している。黒板の前は舞台練習の場で、ウィ ルに手本を見せられてナップが下手な演技を繰り返している。それらの様子を覗き込んで いる上級生の男子女子。 すでに祭りが始まっているかのようだ。 「みんな、楽しそう」 「そうね。少し外野がうるさいけど、そのおかげでやる気も出たみたいだし」 「……ベルフラウは、模擬店じゃなくて良かったの?」 かねてより気にしていたことを尋ねると、王子様役の少女はクスリと微笑んで頷いた。 「私は、みんなで何かを出来ればそれでいいの。みんなで同じ方向を見て、一つの何かを 出来たなら……それで」 そう言うベルフラウの横顔は、妙に大人びて見えた。その瞳は級友たちを通して別の何 かを見ているようで、不意にアリーゼは不安になった。 少女の袖を、掴む。 「なに?」 「あ……ううん。なんでもない……」 自分でも、どうしてベルフラウの袖を取ってしまったのか、わからなかった。だけれど、 感じてしまった心細さは消えず、少女は相手の袖を放さず掴み続けた。 ベルフラウは、それに文句は言わなかった。 3 『茨姫』は最初、いじめられたお姫様が茨の森の中に隠れていじけるだけの物語だった。 王子様なんていない。 魔王の呪いも無い。 ただ茨に囲まれ、他人を避けて暮らすだけの、地味な物語だった。 しかし、ある日を境にそれは変わった。彼女を助けに王子様が必要になった。王子様が 倒す敵として魔王が用意された。物語は、嘆きから立ち直る、一人の少女の物語へと変わ っていった。信じる気持ちを取り戻し、他人という者を受け入れて生きていく強さを得る 物語へと変わっていった。 境になった日。 それは、アリーゼがベルフラウと出会った日のことだ。 ※ コンコン、と扉をノックする音に、アリーゼは書き物をする筆を止めて席を立った。学 生寮の一人部屋の扉の錠を開けると、三つ編みを解いたベルフラウがお菓子とお茶の乗っ た盆を持って廊下に立っていた。 「失礼。お邪魔していいかしら?」 「うん、入って」 相手が気心の知れた相手だと知り、アリーゼはすぐに扉を大きく開いて少女を招きいれ た。裕福な家の子弟の多い軍学校の寮は基本的に一人部屋で、アリーゼの部屋とベルフラ ウの部屋は三つほど他の部屋を挟んだ位置にある。内装はどこも同じで、板張りの床に白 い壁という味気ないものであったが、家具やカーテン、壁紙は個人で自由にすることが出 来て、かなり個性が出ている。 アリーゼの部屋は、クリーム色の壁紙を張り巡らせ、白く塗られた木材で作られた寝台 のシーツは花柄で女の子らしい。街で買い求めた少女小説の並んだ本棚の上には、恰幅の 良い大きな熊のぬいぐるみが座り、部屋を見下ろしていた。 勉強用の机も白い色で統一し、清らかな心を反映したかのような部屋だとベルフラウな どは思う。 食堂での夕食も終わった夜の時間、真面目に授業の復習をしていたアリーゼは、襟元に フリルのついた長袖のブラウスにカーディガンを引っ掛け、スカートという格好。ベルフ ラウは飾り気の無いブラウスにズボンというラフな格好で、それぞれ過ごしていた。お互 いに王子様だとかお姫様だとか派手な格好を見慣れてしまっているので、普段着が妙に地 味に感じられ、思わず顔を見合わせて笑ってしまう。 「勉強中だった?」 「ちょうどひと休みしようと思っていたところだから。どうぞ座って」 言うまでもなく、ベルフラウは二つある椅子のうちの一つに向かっていた。盆を置く白 いテーブルは、二人が仲良くなった記念にそれぞれの部屋に贈りあったものだ。椅子が二 脚あるのも、来客用というよりはベルフラウ専用といった方が正しい。 さっそく伏せてあったカップを返し、ティーポットから紅茶を注ぎ始めるベルフラウを 横目に見つつ、アリーゼもベッドのそばにあるお菓子棚の入ったバスケットから角砂糖の 袋を手にとって開ける。ベルフラウが一つ、アリーゼが三つ。それぞれのカップに落とし、 スプーンでかき混ぜる。 それは、出会ってから半年の間に二人の間に作られた、一つの流れだった。 それからしばらく、二人は他愛無い話題に花を咲かせた。時期的に学園祭の話題が多く なるが、それも自分たちの演目から当日の武闘会まで幅広い。教室では引っ込み思案と思 われがちなアリーゼだが、ベルフラウ相手には遠慮なく良くしゃべった。 ベルフラウは相づちを打ちながら、 「私の聞いた話だと」 と話題を展開させ、アリーゼの目を丸くさせたりする。話に夢中になっていると、ベル フラウ持参のクッキーはあっという間に底を尽き、当たり前のようにアリーゼ秘蔵のチョ コレートたちまで腹に収め、二人のおしゃべりは「お風呂に入ろう」というひとことまで 続いた。 ※ その夜、アリーゼはベルフラウと出会った時の出来事を夢に見た。すぐにそうとわかっ たのは、ベルフラウが厳しい、親の仇でも見るような目で自分を見下ろしていたからだ。 「メソメソするだけなら帰りなさい。あなたが落ちれはそれで一人受かるかもしれないし、 試験が合格してから逃げ帰られるよりは、そっちの方がずっと人のためよ」 軍学校の入学試験を受けるために、船に乗って工船都市パスティスまでやってきた少女 に、その時初めて顔を合わせた少女は言ったのだ。 「あなたは、いったい何のためにここに来たの?」 へたり込んだアリーゼに降ってきた、彼女が避け続けていた答えへの問い。 少女は、パスティスについてから毎日泣いていた。親に言われて、帝国一の学校である 軍学校を受験することになり、船に乗るまでは旅行気分だった。しかし、家を離れて段々 と日にちが過ぎると、全寮制の学校で六年間過ごすことへの不安、知らない人たちの中で 過ごすことへの不安が襲ってきて、いっそわざと受験を失敗してしまおうかとも思うよう になっていた。 そんな時、試験前日に手続きで学校に向かったアリーゼは、その少女に出会ったのだ。 受験者本人を表す標識札を破り捨てようかと見つめていたところを、アリーゼはベルフ ラウに捕まった。そして、同じ立場にある受験生であるベルフラウに不安を打ち明けたア リーゼは、頬に生まれて初めての衝撃を受けて、その場に尻餅をついた。 驚いたばあやが騒いでいたが、アリーゼには少女の言葉しか聞こえなかった。 何のためにここに来たんだろう。 お父様が「軍学校を出ることはお前のためになる」と薦めるから。 ばあやが「お嬢様の将来に必要なのです」と薦めるから。 でも、目の前の女の子が求めている答えは、そんなものではないはずだった。自分が悩 んでいた、自分の答えを、彼女は求めているのだとわかった。 見下ろしてくるのは、強い瞳。今決めなさい、と決断を迫る瞳。 (怖い……) 素直に、そう思った。だけれど、凄いとも思った。 その瞳は彼女に教えてくれていた。ここで答えを出せなければもう間に合わないぞ、と。 私は答えを出してきた。だから、酷なようだけれど、あなたもここで答えを出しなさい。 (メソメソするくらいなら……) 顔を上げて「やめる」と言え、と。 (いいな……) その瞳がいいな、とアリーゼは思った。怖いけれど、正しい方向を見せてくれる瞳。 そんな瞳を持っている人が、軍学校にはたくさんいるのだろうか。 「わたし……」 叩かれた頬を押さえ、アリーゼはベルフラウを見上げた。彼女は、アリーゼが口を開く のを黙ってまっていてくれていた。 「わたし、強くなりたい……強くなりたいから、軍学校に入りたい……」 言葉は決して強くはなかったけれど、それはアリーゼが出した答えだった。嘆いて逃げ ることばかり考えていた少女が、そんな自分以外のものになってみたいと思って出した答 えだった。 「じゃあ、一緒にがんばりましょう。まずは受からないと」 険しい顔から一転して、ベルフラウは微笑みを見せて手を差し伸べた。 「叩いてごめんなさい」 それは聖母様のように優しい声で、アリーゼは誘われるようにその手を取っていた。 引かれて、立ち上がる。 「行きましょう」 予定していた手続きを行うため、ベルフラウはアリーゼの手を引いて歩いた。思えば、 それも初めてだとアリーゼは思う。 お父様も、ばあやも、彼女の背中を押すだけだった。 誰かに手を引かれて一歩を踏み出したのは、初めてだったのだ。 茨姫の手を引いてくれる人に出会ったのは、初めてだったのだ。 ※ 学園祭当日、アリーゼはベルフラウと同じ寝台の上で目覚めた。前日に久しぶりに我が 侭を言って、ベルフラウの部屋にもぐりこんだ結果である。 ベルフラウの寝台はこれ以上無いくらいに豪奢で、庶民には一生縁の無い天蓋付き。実 用質素なものを好む傾向があるベルフラウだったが、その寝台だけは父親からの入学祝い ということで受け取ったという。 そのふかふかの寝台の上で、寄り添って眠っていた相手がまだ目を覚ましていないのを 良いことに、アリーゼはもぞもぞと動いて少女の身体に腕を回して抱擁する。お揃いのパ ジャマは、ベルフラウが赤で、アリーゼが緑。二つの色が絡み合って、アリーゼはベルフ ラウの胸に顔を埋めてもう一度瞼を下ろす。 (わたしの王子様……) この配役であれば、自分は最高の演技をすることが出来る。 至福の笑顔でアリーゼは再び眠りにつき。 ――二人して、寝過ごした。 結 『茨姫』の上演は、好評のうちに終了した。 午前二回、午後二回の上演は、心配されていたナップの失敗も無く滞りなく進み、少女 の成長を誓約者やサプレスの魔王と絡めて描いた起伏に富んだ物語は、男女を問わず人気 を博した。 途中、魔王に破れた王子様を、お姫様がその口接けで蘇らせる場面では、勢い余ったア リーゼの唇が本当にベルフラウのそれに重なってしまい、上級生のお姉さま方の黄色い喝 采を受ける羽目になってしまったのだが、それは一つの味付けとしておこう。 ナップはウィル直伝の魔王笑いで観客を引かせて大満足だし、ウィルも史実を絡めた物 語展開に一応の納得を見せていた。一組の全員がそれなりの成果を噛み締めることが出来 たので、まさに大成功と言えるだろう。 「最初の上演の時、いつまでも二人が来ないからもう駄目かと思ったけど」 「ご、ごめんなさい」 寝坊したことをウィルに言われ、アリーゼは首をすくめて謝った。そんな少女を見て、 ウィルは済まし顔に小さな笑みを浮かべてポンポンと少女の頭を叩く。 「ご苦労様、意外に楽しかったよ。他に作った物語があったら、読ませて欲しいな」 「え? あ……う、うん! 今度もって来るから!」 一瞬呆け、それからアリーゼは満面の笑みでそれに応えた。以前はベルフラウだけに向 けられていたその笑顔は、段々と多くの友達に向けられるようになってきたかもしれない。 そして、未だに蛇のような着ぐるみを着たナップが、キョロキョロと観客を締め出した 教室の中を見回して首を傾げる。 「なあ、ベルフラウは?」 「廊下に出たよ。先生が来ているんだってさ」 ああ、家庭教師の、とナップが納得している隙に、アリーゼはその場を抜け出して廊下 に顔を出した。すると、確かに王子様姿のベルフラウと楽しげに話す赤毛の青年がいた。 (あ……) 青年を見上げて話すベルフラウの頬はほのかに色づき、拗ねて見せたり笑ったり、その 表情は実に多彩。事情を知らなくても、ベルフラウがその青年に対してどのような感情を 抱いているか、周りの者にはわかってしまうほどだ。 王子様の、王子様。 「むっ」 むっときた。 よくわからないが、むっときた。 だから、アリーゼはベルフラウが「着替えてくるわ」と教室に戻ったのと入れ替わりに、 廊下の青年の前へと進み出た。 「ベルフラウの家庭教師さん……ですか?」 「え? そうだけど……君はアリーゼさん、かな? 劇、面白かったよ」 微笑み。 (わわ!?) 青年の見せた優しい笑みに、アリーゼは目を丸くした。それは陽だまりのような、少女 の胸を高鳴らせるに充分な魅力的なものだったからだ。 だけれど、気を持ち直してアリーゼは青年を上目遣いに睨みつけた。垂れ目だとか、顔 が丸いだとか、険しい表情を作るのに苦労する顔だったが、なんとかそれらしい顔をして みせる。してみせたつもりだ。 そして。 「わたし、負けませんから」 「は?」 「負けませんからっ」 「え? ちょ……君!?」 焦った声が振ってきたが、それ以上は言わない。精一杯の啖呵を切って、アリーゼはき びすを返した。 そうだ、自分は強くなりたいと思う。 まず戦わないで諦めたりなんかしたら、いけないのだ。 王子様の王子様に宣戦布告した茨姫は、晴れやかな気分で笑顔を浮かべるのであった。 了