サモンナイト3 レックス×ベルフラウSS 「○ルマED?」                 序  それはアルディラがラトリクスの中央制御室で、優雅なお茶の時間を楽しんでいた時の ことだ。  普通人には意味不明の、高速で流れる一と零の数字の羅列を何とは無しに眺めていたア ルディラは、身の回りの世話をしてくれている看護医療用機械人形であるクノンの来室に もそれほど注意を払ってはいなかった。  クノンの行動パターンならば、長年の付き合いでわかりきっている。何か問題があるな らばすぐに電波通信で連絡を寄越していただろうし、そうでないということは他愛もない 日常の用件なのだろう。  可能性で一番高いのはお茶のおかわりか、それとも誰か客でも来たか――そんなことを 考えながら、アルディラは風雷の郷の主であるミスミからの貰いものの煎餅をパキンとか じる。しょうゆ味だが、意外と紅茶にも合うものだ。  そのようなのんびりした女主人に、クノンはいつもの表情に乏しい顔で言うのだった。 「アルディラ様、質問があるのですが」 「あら、何かしら?」  ちょっと驚いて、アルディラは回転椅子をクノンに向けた。自らの機能に満足し、それ で出来る範囲のみに全力を尽くすことに価値を見出すクノンが、積極的に何か質問してく ることは珍しい。  それもレックスをはじめとする新しい住人たちの影響だろうか、とアルディラは少し嬉 しくなった。  彼らのもたらした多くの新しい『可能性』――青空教室で学ぶ子供たちや、好奇心を持 ち始めたクノンを見ていると、島の外の者たちと本格的に交流する日も遠くはないのでは と思えてくる。  閉じた世界に吹いた、新しい風。  それは春の訪れにも似て、この島に眠っていた『可能性』のつぼみをどんどん開花させ ていっているのだ。  だから、アルディラは微笑んで促した。クノンの成長を見守るのは、彼女にとってもと ても嬉しいことだ。  クノンも、その笑顔に後押しされたかのように頷いて尋ねた。 「室内でベルフラウ様にブルマを履かせることに、何の意味があるのでしょう?」 「あの男をここに呼びなさいっ!」  ガシャーン、と機材を蹴り飛ばしてアルディラは言うのだった。                 1 「来たわね、ブルマ男爵」 「ブ……ブルマ男爵ですか」  クノンの強襲によって有無を言わさず連れ出されたレックスは、ミシミシと音を立てる 関節に泣きそうになりながら呻いた。  アルディラの前に立たされた彼の身体にはクノンが密着しており、右足の内側からクノ ンの右足が絡まり、上半身に手が絡んで身体がへし折れそうになっている。いわゆるコブ ラツイストの形である。 「く、クノンさん、痛いんですが……こんな機能あったんですか?」 「仕様です」  丁寧語で尋ねるレックスに、看護医療用機械人形は涼しい顔で応えた。彼女がユサユサ と身体を揺すると、レックスが「いたたたた」と悲鳴を上げる。 「さて……そのまま楽な姿勢で聞いてちょうだい」 「楽じゃないっ。全然楽じゃないっ。……って、いたたたた!」 「お静かに」  クノンの囁きに、もうレックスはぶんぶん頷くしなかった。アルディラなどはその様子 を見つつ、 (その気になれば外せるのに、まず状況を把握するまで受け手に回ってしまうのが彼の性 格的欠点ね)  などと冷静に判断していたりする。  ともあれ、アルディラは回転椅子の上で足を組み替えてから言った。 「昨夜、海賊船で貸し与えられている自室で、あなたはベルフラウにブルマを履かせてい たそうね。しかも赤いものを」 「え? あ、ああ……ベルフラウがいいものを見せてくれるっていうから部屋に入れたら、 確かに誓約の儀式失敗で出てきたブルマを履いていたけど……まさかそのことで?」 「その際に、あなたはブルマ好きであることを認めたそうね。嘆かわしいわ」 「だ、だって嫌いなわけじゃないし――」 「どちらかというと?」 「好きかな」 「クノン」 「いた、いたたたたた!」  少し照れたように笑って言ったレックスに、アルディラの非情な号令がかかって悲鳴が 響き渡った。  たっぷり五分ほどしてから解放されたレックスは、痛む関節をさすりながら、アルディ ラに視線を向ける。なんだかもう苦笑するしかないという気分で、 「ところで、どうして二人はブルマなんだい?」 「合理的に嫌がらせよ」 「仕様です」  二人はサラリと言ってのけた。  はは、と乾いた笑いを浮かべながらも、レックスの視線は座るアルディラに釘付けだっ た。どこから仕入れてきたのか、赤いブルマだけではなく綿で出来た半袖の上着も着たそ の姿は、レックスの学生時代の女子の体操着姿そのままだ。  当時はあまり気にしていなかったが、今こうして見事なプロポーションを誇るアルディ ラが着ているのを前にすると、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまうほどそれは魅力的で、 一種官能的ですらあった。 「どうしたの、レックス?」 「い、いや……」 「表皮の発熱と心拍数の上昇が診られます。また、少量の発汗も診られ、これは――」 「風邪ね」 「なんでやねん」  ボケたアルディラに、クノンの裏手ツッコミが入った。もはや割り込みようもない会話 にレックスが沈黙していると、アルディラは艶然とした微笑を浮かべてもう一度足を組み 替えた。その瞬間に垣間見える足の付け根から、レックスはサッと視線をそらす。気まず そうに閉口する彼に、アルディラはクノンと目配せし合って頷いた。 「重傷ね。あなたは治療の必要があるわ」 「ええ!?」 「私がブルマになっただけでその様子じゃ、世間のブルマを愛好する婦女子の身の危険を 守るためにも、あなたの治療を行わざるを得ないわ」 「そ、そんな……って楽しんでないかい、アルディラ?」 「気のせいよ」  はたと気がついて尋ねるレックスに、アルディラはニッコリと満面の笑みで「楽しんで いますとも」と表現しつつ、否定した。  不幸なことは、レックスという男が、そうした笑みを見せられるとその遊びに付き合っ てあげたくなってしまう性分の持ち主であったことである。 (ま、アルディラさんがこんなに楽しそうに笑うことってあまりないし……)  お人好し、と彼の教え子ならば言ったであろう。                 ※ 「それで、治療ってどうすればいいのかな? 注射は勘弁だよ?」 「そうね……ブルマに関して嫌な思い出でも作ればいいかしら。それが無意識にあなたの 犯罪を抑止してくれるわ」 「犯罪を抑止って……」  何やら酷いことを言われるレックスだ。  アルディラはしばし考えると、 「そうね、このプランで行きましょう。少し待っていてくれるかしら」 「はは……お手柔らかに頼むよ」  席を立つアルディラを苦笑して見送ると、クノンに袖を引かれてレックスは振り返った。  すると、体操着姿のクノンが上目遣いに彼を覗き込んでいる。 「う……く、クノン?」 「レックス様……アルディラ様の方ばかりを見て、私には目を向けてくださりませんでし た。それは、私に外見的魅力が足りなかったということでしょうか?」  言葉は事務的だったが、その表情には驚くほど感情がこもっていた。潤んだ瞳、桃色に 染まった頬、機械とは思えない濡れた唇――。 「ち、違うよ、クノン。別にクノンに魅力がないとかじゃなくて、その……」  焦ってしどろもどろになりながら、レックスがクノンの両肩に手を乗せる。  その瞬間だった。 「……貴様、何をしている」 「え?」  怒気のこもった低い声に、レックスは油の切れた機械のように、ぎこちなく首だけを巡 らせてそちらを見た。声だけで相手が誰だかわかったレックスだったが、しかし彼女を視 界に入れた途端目を丸くした。 「アズリア?」  それは彼の古い記憶にある、体操着姿のアズリア。  が。 「襲われました。あーれー」 「この痴れ者がぁ!」 「ぐうぅ!?」  背後からの回し蹴りを脇腹に受けて、レックスは膝をついた。急所に入ったのか、息も 出来ない様子で吐くように言う。 「く……のん……」 「仕様です」  そりゃないよ、と青年は意識を手放した。                 ※  目が醒めると、花の香りに包まれていた。 「……アズリア?」 「起きたか。まったく……世話になっている身だが、あの女も何を考えているんだか」  そう言って見せる仏頂面が逆さまであることに、レックスは小首を傾げようとした。だ が、窪みにはまるようにして何かに乗せられている頭は動かず、彼は自分が寝かされてい ることを知った。  アズリアが、レックスに膝枕をしてくれていたのだ。 「……なんだか懐かしいな」 「うん?」 「俺がさ、教官に気絶させられたことあっただろ? その時もアズリアがこうして膝枕し てくれてたんだよな」 「あれは教官が大人気なかった。まだ十五だったお前に一本取られて、それで本気を出し たんだからな」 「はは……そうだったっけ。ところでさ」 「うん?」 「もしかして、今ブル――」 「黙れ」  レックスは、顔面に落ちた肘で黙らされた。                 ※  受けたダメージも回復し、ようやく立ち上がったレックスは、そこが中央制御室のまま であることを知った。予想通りアズリアはブルマの体操着姿だったが、レックスは敢えて そのことを気にしないで会話をすることにした。  アズリアは、ホッとしたような、残念なような微妙な顔をしたが、その心情を口にする ようなことはなかった。 「それじゃ、やっぱりアルディラが?」 「ああ。手当たり次第にブルマを広げようとしている。これを早く止めねば、この島の命 運にも関わるだろう」 「いや、それは言いすぎだと思うけど……」  なんだか真面目な顔で言うアズリアに、レックスは苦笑して頬を掻く。退屈のせいか悪 ノリしているアルディラを止めるだけの話だ。 「よし……じゃあ、行くよ」 「ああ。私もついて行こう。文句の一つも言ってやらねば気がすまん」  ギリ、と奥歯を噛み締めて険しい顔になるアズリアに、レックスは訝しげな表情になっ た。何か、アズリアが本気なのである。 「何かあったのかい?」 「……医務室に寄ってこい」 「え? うん」  そして、ラトリクス前で待ち合わせをして二人は別れた。言われた通りに医務室に向か ったレックスは、その中から低い嗚咽が聞こえてきてビクリと足を止める。 「お……お……おおおおおおお……っ」 「ギャ、ギャレオ……」  アズリアの副官、ギャレオ。巨躯を生かした肉弾戦を得意とし、多くの戦いでレックス たちを苦しめた強敵。そして仲間になった今は、誠実で頼りがいのある男だ。  その彼が、泣いていた。声を殺すことも無く、慟哭していた。 「ごめん……ギャレオ、ごめん……」  犠牲は、すでに出ていたのだ。  いたたまれなくなって、彼はその場を走り去った。それが勇敢なる戦士ギャレオに対す るせめてもの情けだった。 「守れなかった……」  悲しみというより、あまりの馬鹿らしさに涙が溢れるレックスであった。  そして、合流したレックスの決意に満ちた顔を見て、アズリアはうむと頷く。 「その気になったようだな」 「ああ。何があろうともアルディラを止めるんだ。協力してくれ、アズリア」 「ふん。可愛い部下の仇討ちだ。言われなくてもそのつもりだ」  力強い視線を絡め、二人は腕をがしっと叩き合わせた。  並んで歩き出し、不意にレックスが言う。 「ところで、なんでブルマのまま?」 「言うなっ」  鉄拳が、レックスの顔面を殴り飛ばした。                 2  まず風雷の郷に向かったレックスたちは、ブルマ姿で遊ぶスバルたちの姿に少しだけほ んわかした。 「ああ……子供なら可愛いなあ」 「そうだな」 「そういえば、アズリアはギャレオのブルマ姿を……」 「聞くな」 「ごめん……」  ギャレオの名誉のためにこの会話は避けよう、とレックスは思った。そこに、彼を見つ けたスバルとパナシェがやってくる。二人ともまだ子供であるし、性別的に未分化な時期 だけあってブルマも違和感無く似合っていた。スバルなど、白いタイツでも履けばどこか の王子様にも見えたかもしれない。 「やっほー、先生ー!」 「見て見て先生。アルディラさんに新しいパンツもらったんだよ」  ニコニコと言うパナシェに、レックスはとても微笑ましい気分で「良かったね」と頭を 撫でてやった。垣間見た地獄の底の後だけに、その笑顔は彼にこの世の素晴らしさを教え てくれた。 「それで、アルディラはどこに行ったかわかるかな」 「オイラの屋敷に行くって言ってたぜ」 「……ミスミ様が危ない」  レックスとアズリアは頷くと、全力で走り出した。子供たちが目を丸くする中、二人は 凄まじい速さで郷を駆け抜けていく。  そして――。 「こらぁー! 廊下を走るでないわー!」 「ゲン……くっ」  屋敷の中で怒鳴られたレックスは、刹那だけ視界に入ったゲンジの姿から視線を逸らし た。涙が出そうだった。 「おや、先生。どうしたのじゃ?」  続いて姿を現したミスミに、レックスは涙に滲んだ瞳を上げた。そこには、アルディラ にも勝る豊満な肢体を窮屈げに体操着に押し込んだ美女がいた。 「う、うわぁ……」  上着を押し上げる胸の大きさが眩しくて、レックスは真っ赤になって口をポカンと開け た。ムッとしたアズリアがその脇をつつき、コホンとレックスはわざとらしい咳払いをす る。 「み、ミスミ様。アルディラがどこに行ったかわかりませんか?」 「なんじゃ、今出て行ったが、会わなかったのか? 狭間の領域に用があると言っておっ たぞ」 「ありがとうございます」 「あ、これ、先生」 「なんですか?」  走り出そうとしたところを呼び止められ、レックスは目をパチパチとさせた。そんな彼 に、ミスミはクスクスとおかしそうに笑い、 「どうじゃ、妾もまだまだ捨てたものではないじゃろう」  一発のウィンクに、レックスはヘロヘロになった。                 ※ 「しっかりしろ、馬鹿が」 「うう……」  鼻血を出しそうになった鼻を押さえ、レックスがよたよたと走っていると、アズリアが その後頭部を叩く。段々二人の調子が学生時代のそれに戻ってきているのは、果たしてア ズリアの体操着姿のせいだろうか。  ともあれ、気を取り直したレックスが霊気漂う森に足を踏み入れると、 「ゲレ〜」  いきなりタケシーが犠牲になっていた。もうなんでもありですか、とレックスは頭痛を 感じて次のアルディラの目標を探す。  狭間の領域を守護する護人と言えばファルゼンことファリエルなので、レックスは今の うちに心の準備をしておくことにした。  脳裏に、彼女がブルマを履いた姿を思い浮かべてみる。 「……可憐だ」 「今恥知らずなことを考えなかったか?」 「そ、そんなことないよ」  ゴツンと殴られ、レックスは首をすくめた。そして、遠くから聞こえた悲鳴に足を速め る。 「ファリエ――!?」 「センセイ!」  視界に飛び込んできたブルマを履いた鎧に、レックスは顔面から地面に突っ込んだ。ア ズリアも盛大に転び、土ぼこりの中にファルゼンの音声変換後の声が響く。 「ワ、ワタシハイヤダッテイッタノニ、あるでぃらネエサンガー!」  シナを作ってよよよと泣き崩れる巨漢の姿に、レックスもアズリアも真っ白になって虚 ろな目を漂わせた。何をどう言えば良いのかわからない時も、この世にはあるのである。 「ア〜ン!」  しばらくすると、泣いているファルゼンの鎧が光の粒子に変わり、それが散ると中から ファリエルが姿を見せた。どうやって鎧の上から着せたのか、体操着だ。しかも、ただの 体操着ではなく応援団仕様でタスキ掛けがしてある。 「ま、まあ……それはそれで似合ってるよ」  口の中をカラカラにしてどうにかレックスが言うと、ファリエルが涙目を上目遣いに向 けてくる。 「本当?」 「うん。可愛いと思うよ。ね、アズリア」 「私か? あ、ああ。似合っている。男たちは、私のようながさつな女よりも、お前のよ うな者の方が好みだろうな」  どうにかお世辞を引っ張り出した、という感じの言葉だったが、ファリエルは大袈裟に 反応して両手を振った。 「そ、そんなこと……アズリアさん、体操着似合ってますよ」 「……嬉しくないな、なんだか」 「ま、まあまあ。ところでファリエル。アルディラだけど……」 「義姉さんなら、ユクレスに向かうと言っていました」 「……最悪の事態が待ち受けているような気がするなあ」  げっそりとした顔で、レックスは呟くのだった。                 ※ 「戦争じゃあああああああ!」 「やっぱり……」  ユクレス村に響き渡る怒声に、レックスはもう自分の部屋に戻って眠りたくなった。ま だ村の入り口で距離があったが、果樹園の方向から響く海賊ジャキーニ一家の叫びで、何 が起こっているか想像することは容易だった。 「どうする、一応見に行くか?」 「いや、よしておこう」  アズリアの確認に、レックスは首を横に振った。 「俺たちがしなくちゃいけないのは、被害の拡大を阻止することだ。ジャキーニさんたち には悪いけど、アルディラに追いつくためにここは素通りしよう。決して彼らのブルマ姿 を見たくないからの言い訳じゃない」 「……見たくないんだな」  ボソリと言ったツッコミに、レックスはふっと哀愁の漂う笑みで応えた。  同じ村の中ならば、護人のヤッファが狙われるだろうと検討をつけて向かうと、彼は例 によって怠惰に寝転がりながら彼らを迎えた。ブルマを履いた姿で。 「ヤッファー!」 「なんだよ。長い人生こういう日もあるだろうよ」 「お、大人だな」  思わずアズリアが感心してしまったほどヤッファは堂々としていた。だが、レックスは そろそろ何かが心に傷を与えてしまったのか、座り込んでブツブツと呟き始めていた。 「ブルマブルマブルマブルマブルマブルマブルマはもうたくさんだぁぁぁぁ!」  ――そして、彼は抜剣覚醒した。                 ※  深い森、その中にイスラはいた。  <無色の派閥>とも袂を分かち、島の住人からも身を隠す必要がある彼にあるのは、日 日の孤独。誰かと話すことはない。ただ一人森を徘徊し、時が熟すのを待つ。 (それに飽きたわけじゃないけどさ)  争いの元凶、島に眠る<喚起の門>を操る力を持つ魔剣<紅の暴君>を手に、彼は宿敵 の前に立った。すでに魔剣の力により髪は白く長く伸び、無限に近い魔力がその身から溢 れ出ていた。  敵は、正面から走ってくる、<果てしない蒼>を持つ男。 「決着をつけようか、レックス!」 「うわああああああああああああああ!」 「あきゃっ!?」  爆音を立てて走ってきたレックスに吹き飛ばされ、微妙に可愛い声を出してイスラは天 高く舞い上がった。ひゅるるる、ぽて、と地面に落ちた彼の上を、直後に実の姉が踏みつ けて駆け抜けていく。 「待て、レックス! どこに行く!」 「ね、ねぇさぁん……」  一瞬にしてズタボロにされたイスラは、もの凄くいじけた声で言うのだった。 「ほ、滅ぼしてやるこんな世界ー!」                 3 「事態は深刻よ。覚醒状態のレックスは、手当たり次第に森の木々に頭突きを入れて倒壊 させているわ。その被害は一時間でジルコーダを越えたわ」  ちゃっかり責任の無いような顔をして、アルディラは言った。場所は集いの泉で、全て の護人と海賊がそこに出席していた。  尋常でないのは、そこにいるほぼ全員が体操着にブルマを着用しているということだろ う。カイルとヤードは燃え尽き、キュウマは辞世の句の最後の下の句を考えていた。男で 平気な顔をしているのはヤッファとスカーレルくらいのもので、戦力になりそうなのは女 性陣だけというのが現状だった。 「脛のお手入れもしていない男なんてこんなものよね」  とはスカーレルの弁だ。  意外と皆が適応しているのを見て、一人だけ普段着のベルフラウは頭痛を堪えるのに必 死だったが、状況が状況だけに真剣な表情でアルディラに尋ねた。 「それで、先生をもとに戻すにはどうしたらいいんですか、お姉さま」 「そうね……いくら混乱していても根がレックスだし、話が通じないということはないと 思うわ。要は彼はブルマに関する衝撃──視覚情報の混乱と、周りに対する申し訳無さに 耐え切れなくなったんだから、その記憶を」  ニヤリと笑う。 「叩いて脳から消すわ」 「合理的な判断です、アルディラ様」 「おいおい、あの先生に近づいて一発やれってのか? 言いたくはねぇが、今のあいつは イスラの小僧よりもタチが悪いんだぜ」  やれやれといった感じで、ヤッファが口を挟んだ。今回ばかりはアルディラに任せては 場が混乱するだけと思ったのだろう。  彼は全員を見回すと、やはりベルフラウが適任と考えたのか、次のように言った。 「そうだな、あいつのことを一番よくわかってるのはお前だろう。何かないのか? あい つの気を一瞬逸らすだけでもいい。例えば……ブルマ以外であいつが好きそうなものとか よ」 「はあ!? いきなりそんなこと言われても……あ!」  面食らったベルフラウだったが、しかしすぐに何か思いついた顔で席を立った。それを 見たヤッファは即座に、 「よし、それで行くか。お前らも文句は無いな。オレはこれ以上真面目に話すつもりはな いからな」  何故なら、とヤッファは肩をすくめた。 「馬鹿らしいからな」  アルディラとクノン以外の全員が頷いた。                 ※ 「ブルマブルマブルマブルマ怖い……っ」  ごちん、めきめき、どがーん、とまたしても森の木が一本その生涯を終えた。<果てし ない蒼>の力で変身したレックスが頭突きをかましているだけなのだが、その威力は落雷 にも匹敵するようだ。  ぶつぶつ言いながら次なる木へ向かうレックスを、アズリアはこれ以上無いくらいに思 いつめた瞳で見つめていた。 「レックス……そこまで追い詰められていたか」  声に混じるのは、憐憫。  かつては軍学校での好敵手だった。そのこともあり、敵になってからもアズリアはレッ クスに対しては、敵対者というよりも競争相手という感覚の方が強かったのを自覚してい る。そして、その好敵手としての思いが、時として自分の素直な気持ちを口に出すのを躊 躇わせていたこともだ。  だが、今理性を失ったレックスを前にして、アズリアは正直に自分の想いを言葉に乗せ ることが出来た。 「憐れだな。これだけアルディラが騒ぎを起こしても、お前はその責任を自分に向け、自 分を痛めつけることで完結させようとしている。他者の自分への妬みを曖昧に笑うことで 受け流し、他者の痛みには敏感に反応した挙句、守りきれなかったと自分を責めていた学 生時代と、お前は何も変わっていない」  そして、と繋ぐ。 「私も、何も変わっていなかった」  変える必要すら感じなかった。  理想を口にし、それを諦めずに求め続けるレックス。  家という鎖に繋がれ、現実の中で生きることを余儀なくされたアズリア。  二人の最終的な結論はいつだって平行線で、同じ道を歩むことは、おそらく生涯無い。  そう割り切っていた──つもりだった。 「だがな、今のお前を見ていると、変わらねばならんと思う」  一歩、ふらふらと夢遊病者のように歩くレックスに近づく。すると、彼はブルマ姿が怖 いのか、顔を引きつらせて飛び退った。むしろ滑稽なその様子に、アズリアは苦笑する。 「私が怖いか? 残された理性で思い出すといい。私はあの頃、怖かったか?」 「…………」  真剣な様子に、レックスの表情が変わる。戸惑い、だろうか。  アズリアは、さらに一歩近づきながら続けた。今度はレックスも逃げはしなかった。 「レックス。私は、今のお前の姿を憐れだと思う。憐れで、愚かだと思う。いいか、お前 は愚か者だ。そして、私は愚か者をそのままにしておくのが許せないタチでな。そのこと はお前もよく知っているな?」 「…………」  レックスは逃げない。  アズリアは、残り数歩の距離まで彼との間合いを詰めた。  それは、心の距離のように思えた。  そう、後、数歩の距離。  今まで自分が詰めてこなかった距離。 「ふ……お前の愚かなところは、筋金入りだからな。私もそうやすやすと変えられるとは 思っていない。そもそも、変えることなど出来ないのかもしれない。だから、私は」  想いをこめて、言う。 「お前が変わるまで、そばにいて、お前が愚かな理由で傷つかないように気を配ってやる のも悪くはないと……思っている」  頬が熱くなるのを感じた。 「も、もちろん、お前のことだ。一生変わらないのは充分に有り得る話だが、その時はそ の時だ。お前と、その……」  ごにょごにょと口の中で言葉を転がしながら、アズリアは最後の数歩を一気に詰めよう とした。 「ええい、だから私はお前のことがだな!」  大きく、踏み出した。  が。 「いたっ」  飛び込もうとした男の胸がいきなり正面から消えて、彼が背にしていた木の幹に顔を打 ちつけるはめになり、アズリアは面食らって振り返った。  見事な体捌きでアズリアを回避したレックスは、呆然とした顔で一点を見ていた。 「む? な……なに!?」  アズリアが絶句する。  そこには、学ラン姿のベルフラウが立っていたのである。                 ※ 「先生……」  さすがに恥ずかしいのか、視線を斜め下に落としてベルフラウはレックスに呼びかけた。  彼女が着ているのは、俗に学ランと言われる学生の男子制服だ。詰襟の上着に、黒いス ラックス。男用のために大きいのか、ベルフラウの手は袖の中にすっかりと隠れてしまい、 全体的にぶかぶかという表現が当てはまるだろう。  だが、一番の問題はラフに全開にされた掛けボタンで、そこからベルフラウの白い肌が 惜しげもなくさらけ出されていた。 「先生……こういうの、好き?」  おそらく飼い主に駆け込む犬や猫よりも早く、レックスは少女の胸の中に飛び込んだの である。                 ※ 「な……なんだそれはぁぁぁぁ!」  思わずアズリアは叫んでしまった。もう何が何だかわからなくなるほどに羞恥と怒りが こみ上げてきて、彼女は先ほどまでのレックスのように、木に向かってガスガスと己の額 を叩きつけ始める。  その背後では、正座したベルフラウにすがりつくようにして、レックスが甘えまくって いた。 「ベルフラウ……ブルマブルマブルマがぁ〜!」 「はいはい、先生。もう大丈夫ですからね。ブルマはもう無いから、安心しなさい」 「うん……うん……」  いつの間にやら、レックスの抜剣状態も解除され、白くなっていた彼の髪も本来の赤毛 に戻っていた。ホッとしたベルフラウは、自らの腹に顔をうずめるレックスの頭にそっと 手を乗せた。 (こういうのも……たまにはいいのかも)  子供のように泣きじゃくる青年に、少女はそう思ってクスリと笑うのであった。  そして。 「きゃっ!? ちょ、ちょっとどこに顔を……やだ、先生っ」 「この……痴れ者がぁ!」 「ぐぅ!?」  自分にではなく教え子に甘えまくるレックスにアズリアが一撃を加え、彼はブルマに関 する悪夢を忘れたのである。                 結 「なかなか面白かったわね」  ラトリクスの中央制御室で、アルディラは紅茶を片手に煎餅をパキンとかじった。今回 は胡麻をまぶしたもので、彼女の一番のお気に入りだ。  事件の後、主に男性陣から苦情が殺到したが、彼女はレックスの治療ということで押し 切った。ぶつくさ言いながらも彼らが引き下がったのは、結局は彼らもかなりのお人好し だということだろう。  アルディラがくつろいでいると、例によってクノンがやって来て報告した。 「アズリア様ですが、どうやらただの知恵熱のようです。よく睡眠をとって心的負荷を軽 減すれば、自然と回復すると思われます」 「そう」 「ところで、一つよろしいですか?」 「あら、何かしら?」  クノンが報告以外に質問を向けてきたことに、アルディラは意外な驚きを覚え、回転椅 子を回して彼女を見た。また何かブルマの時のような質問があるのかと、促す。  果たして、クノンは言った。 「アルディラ様の心拍数及び体温に多少の異常が診られます。本日のアルディラ様らしく ない行動は、それに起因するかと思われます」 「つまり?」 「風邪ですので、お薬をお出しします。今夜は早くお休みください」  つまりは、そういうことであった。                 ※ 「いたた……なんだか起きたら頭にたんこぶがいくつもあったんだけど、そんなに寝相わ るかったかな」  その夜の自室での授業、レックスはズキズキと痛む後頭部に手を当てて顔をしかめてそ う言った。ベルフラウは、処置なしという表情で肩をすくめてみせる。 「さあ。あなたの寝相なんて、私が知るわけないじゃない」 「そうなんだけど……」  苦笑し、レックスはベルフラウを見る。 「どうして学ラン姿?」 「気分です」 「ふうん……珍しい格好だけど、可愛いよ。ブルマの時もそうだったけど、少し恥ずかし いけどね」  そう言って、レックスは照れたように頬を掻いた。それから誤魔化すように教科書を開 く彼の横顔を見て、ベルフラウは呟く。 「こっちはもっと恥ずかしいのよ」 「え? 何か言った?」 「いいえ。授業を始めてください」  いつになったらこの人は自分の寝相を教えてくれる気なのかしら、と精一杯の勇気を振 り絞った格好のまま、ベルフラウは内心毒づくのだった。                                了