サモンナイト3 レックス×ベルフラウSS 「君待ち月・二人の一日」  月を見上げて、夜ごと楽園を想う。  あの蒼い空を。  あの蒼い海を。  そこにあったあなたの笑顔を、私は想い描く。  それは眠る前の秘密の儀式。  あなたのいないこの場所での、私の儀式――。                 ※ 「ベルフラウは、次の休み実家に帰るの?」 「え?」  不意に声をかけられ、ベルフラウは頬杖をついた姿のまま相手を見た。すると、そこに はこの半年ですっかり見慣れた相棒の顔がある。 「アリーゼ? もう講義はお終い?」 「うふふ。ベルったら、最初から最後まで寝ていたでしょう」 「そ、そんなことは……ありますかも」  ニコニコと言うアリーゼは、長い髪を二つ結いにした、おっとりという言葉が良く似合 う少女だ。人見知りが激しく、引っ込み思案なことが多いのだが、親しい者に対してや自 分の興味のあることに関しては饒舌という一面もある。また、見かけによらず、いざとい う時の決断力と度胸はかなりのものがあり、それにまつわる幾つかの出来事を経てベルフ ラウと彼女は親友と言えるほどの間柄になっていた。  ――彼のいない半年で得たものの、一つだ。  とにかく、講義中に居眠りしていたことは事実で、ベルフラウはそれを素直に認めた。 ずっと頬杖をついていたせいか、頬にもしっかりと赤い跡がついている。 「でも、どうしても内容が退屈で……入学前の授業で終わらせてしまったところばかりな んですもの」 「ふぅん……私なんか、頭悪いから必死なのになあ」 「言うじゃない。この前の試験、学年三位だったんでしょ?」 「学年一位様の特別講義のおかげです」  冗談めかして、アリーゼが南無南無と両手を合わせる。ベルフラウが言う通り、アリー ゼは学園で常に上位にいる優等生だ。そしてそれはベルフラウも同じであり、二人はこの 半年で総合順位五位以下に落ちたことが無い。少女二人の成績に、軍属の名門出身の少年 たちは学科だけとたかをくくっていたが、本格的な戦闘実技が始まってもその順位は変わ ることはなかった。  もちろん、そうした少女二人の活躍が面白くない少年たちによるやっかみが無いわけで は無かったのだが、その辺りはベルフラウが気を配ってアリーゼを庇っている。勝気なベ ルフラウに比べ、見るからに打たれ弱そうなアリーゼは虐めの格好の的になったからだ。  楽しいことも、不愉快なことも同じくらいあった半年間であったが、ベルフラウが一番 不満だったのは、講義内容が初歩的過ぎることである。<忘れられた島>でレックスの個 人授業を受け、実戦の中でそれを身体に叩き込んだ彼女には、すでに終えてしまった一年 のカリキュラムを復習することは、退屈以外の何物でもなかった。  結果、講義中も指名された時以外はぼーっと考え事をしていることが増えたのだが――。 「――フラウ。ベルフラウ?」 「え? ご、ごめんなさい。聞いてなかったわ」 「もう……なんだか、休みが近づいてからぼーっとすることが増えてない? あ、もしか して何か旅行とか計画してて、待ち遠しくて夜も眠れないとか?」 「え、ええ……実はそうなんだけど。あ、さっきの質問に答えてなかったわね。実家には 戻らないで、少し船旅をするわ」 「ふうん。オニビちゃんも一緒?」 「もちろんよ」  何せ、とベルフラウは心の中で付け足した。 (私とオニビが出会った場所に行くんですもの)  そこは、<忘れられた島>という結界で世界から隔離された場所だ。かつて<無色の派 閥>によって作られた召喚術の実験場で、現在は召喚獣たちが集落を作って生活している。  ――そしてそこには、あなたがいるんだわ。 「いいなあ。私なんて、半年もお父様たちに会ってないと寂しくて、休みは全部実家で過 ごす予定だもの。実家にも帰らないで真っ先に行くなんて、よほど行きたい場所なんだ」 「ええ。お父様たちには申し訳ないけど、ずっと行くのを我慢していたところだから」 「我慢?」 「この退屈な授業から逃げ出して行きたいのを我慢して、よ」  そう言って、ベルフラウはウィンクした。アリーゼは目をパチパチさせて、次にクスク スと笑い出す。 「そうだね。じゃあ、帰ろっか」 「ええ」  友人と微笑みあい、ベルフラウは荷物をまとめて席を立った。休暇までは、もう指折り 数えるだけ。この退屈も、あと少しの辛抱だ。  ──そうすれば、私はあなたに会える。大好きなあなたに。                 ※ 「こんなものかな」  額に流れる汗を拭い、レックスは完成した家屋を見上げた。それは、護人ヤッファの許 可を得てユクレス村の端に作った、レックス自身の家だ。  基礎を南国特有のしなやかな木で組み上げた家は、原始的で雨風に弱そうに見えるが、 気候的に安定した<忘れられた島>ではその程度で充分に住居の用に足りる。むしろ、何 かあって倒壊してもすぐに建て直せることや、ちょっとやそっとでは燃えない生木を使用 していることで、レックスとしては満足の行く利便性と安全性を備えている。 「うん。完成!」 「すげー。先生、本当に一人で作っちゃったんだ」 「はは……偉そうなことを言っておいて、細かいところはヤッファに教わったんだけどね」  素直に感心してくれるスバルに、レックスは木材同士を連結させる縄の結び目を指差し た。絶対にほどけない結び方や、虫が寄り付かないように屋根にする草に虫除けの焚きこ みを行なう知恵は、全てヤッファや他の村人からのもらい物だ。 「先生って言われていても、まだまだ教わることの方が多くてびっくりするよ」 「でも、どうしてここなのさ。母上が先生に家くれるって言ったんだろ?」 「う〜ん。ジャキーニさんに任された畑の面倒も見ないといけないっていうのもあるんだ けど、一番の理由はこの村の感じが、俺の故郷に似ているから、かな」 「似てるの?」 「畑ばっかりなところがね」  実際、ユクレス村の畑は、<忘れられた島>における食糧事情の半分以上をまかなって いる。大地の恵みを知る幻獣界メイトルパの獣人たちは優秀な狩猟者であると同時に、優 秀な農家でもあるのだ。中にはマルルゥのように草木と心を通わせることができる者もい るので、ユクレス村の畑は豊作続きだという。  レックスも、故郷の村を懐かしんでユクレス村に住居を定めたのだが、彼らの生活に貢 献したくて幾つかの試行錯誤を行っている。例えば、召喚術を用いて大量のミミズを畑に 放ってみたのだが、それは時間をかけて土の質を向上させてくれるだろう。 (アズリアが見たら、呆れたかもな)  軍学校で学んだのは、戦いのための召喚術だ。しかし、レックスはそうした農耕などに 生かすことこそ召喚術の正しい使い道なのではないかと思い始めていた。  召喚術は、リィンバウムの周辺にある異世界の住人を強制的に呼び出す術だ。主に戦い のために呼び出される彼らは、生活の最中に突然戦場に放り込まれ、そして傷ついた身体 を引きずって帰っていく。中には、島の住人たちのように送還が行われず、元の世界に戻 れなくなる者もいる。 (……もう、戦いのための召喚なんてしたくないな)  密かに頷いたレックスは、作業場の近くの木に立てかけた蒼い剣に視線を向けた。  無制限の召喚の力を秘めた魔剣<果てしない蒼>。そのような強大な力の所有者になっ たからこそ、レックスはより自制を心がけようと決意するのだ。島に眠る召喚装置<喚起 の門>から世界律を操れば、護人たちのように不老の身体を得ることもできるが、それも しようとは思わない。 「俺は畑とか耕すの好きだからさ、故郷に帰ったら自分の畑が欲しかったんだ。ヤッファ に頼んだら土地を分けてくれるって言うし、いっそユクレス村で一番の農家を目指してみ ようかなあってね。あ、もちろん一番の教師も目指すつもりだけど」  ほんわかと笑う顔には欲の欠片もない。いや、本人にとっては自分の家に自分の畑、さ らに今や天職とも考える教師も続けられる環境、と最大限に欲を張ったのだけど、他人に は無欲に見えてしまうのが不思議だった。  そういうのを、子供ながらにスバルは指摘するのだ。 「先生ってさ、ほら、あれだよな」 「?」 「いい人」 「……ありがとう」  首を傾げながら、レックスはとりあえず礼を言っておいた。                 ※  軍学校の宿舎に戻ると、ベルフラウはさっそく旅支度を始めた。  生活に最低限必要なものは<忘れられた島>にあるとわかっているので、大部分は『女 としての必需品』。この半年間で、ベルフラウの身体にもそれなりに大人の兆しという名 の変化が訪れているのだ。 「まったくあの人は……そういうところの授業はしてくれなかったんだから」  それは年頃の少女には訪れてしかるべきささやかな、しかしとても大きな変化だったの だが、予備知識なしでその事態に及んだベルフラウは思い出すと恥ずかしくなるほど動転 した。おかげで、アリーゼにみっともないところを見られてしまったと、少し恨みがまし く呟く。 (恥ずかしがるだなんて、教師としてまだまだね、先生)  ――私が少しだけ大人になったことを知ったら、あなたはどんな顔をするのかしら。  他には、島に渡る日をあらかじめ伝えておいた海賊カイル一家との待ち合わせの場所を 描いた地図。島には結界のせいで通常の船で渡ることができないので、近くまで辿り着い たら合図の大砲を鳴らすのが島の住人との約束事だ。 「本当は、先生に迎えに来てもらうのが一番手っ取り早いんだけど……」  ――あなたは私に、親に顔を見せに行けって言うに決まっているから。  だから、いきなり行ってびっくりさせてやるのだ。悪巧みする顔で、ベルフラウは準備 を進める。休暇に実家に戻らない旨を親に伝える手紙もしたためる必要があるし、宿舎長 に不在届けを出す手続きもある。まだまだすることはたくさんある。  その一つ一つが。  ――あなたへの一歩になるんだわ。  ふう、とベルフラウはため息をついて、両手で自分の頬を包みこんだ。 「駄目ね……」  何をしても、何を考えていても、思考の中に想い人の顔が浮かんできてしまい、ベルフ ラウはそんな自分に一人赤面した。軍学校に入学してしばらくは、新しい学校に慣れるた めの慌しい生活でそういうこともなかったのだが、一度「もうすぐ会える」と思ってしま うともう駄目だった。  向けられた笑顔。  差し伸べられた手の温かさ。  腕を絡めた時のこそばゆい気持ち。  飛び込んだ胸の広さ。  触れ合わせた唇のやわらかさ――。  それが当たり前のようにそばにあった、あの日々。そばにない、今の日々。  そう考えると、急に寂しくなってベルフラウはオニビを手招いた。 「ビビ?」  オニビは不思議そうな顔をしたが、ベルフラウのするがままにしてくれた。火の化身と も言えるオニビの高めの体温が、迂闊にも開いてしまった胸の空洞を埋めてくれるようで、 ベルフラウは瞼を下ろしてぎゅっと抱きしめる。 (大丈夫……もうすぐ会えるんだもの。あと少しの我慢よ)  自分に言い聞かせることで、堪える。  そして、その寂しさを別の方向に向けてみたりするのだ。  ──顔を合わせたら……どうしてくれようかしら。                 ※  知らないうちに教え子に呪われているとも知らず、レックスは仮住まいにしていた風雷 の郷から生活に必要なものを新居へと運び込むのに忙しかった。  さほど広い島ではないが、森の中を歩いて家財道具を運ぶのは一仕事だ。全ての荷物を 運び終えるまでに何往復すれば良いか、考えるだけでため息も出そうなものだが、レック スはむしろ生き生きとした顔でそれをこなす。  風雷の郷の長であるミスミに選別としてもらった大きなタンスを背負った際は、さすが に生命の危機に抜剣覚醒しそうにもなっていたが、それはそれだ。 「先生、おっけー」 「ちゃんと小石もどけておいたよ!」 「あ、ありがとう、スバル、パナシェ」  重い荷物を背負うレックスが安全に進めるように、子供たちが露払いをしてくれたりも した。  島の住人たちが首を傾げたのは、彼が家の建築時から絶対必要な部分以外では誰の手も 借りようとしなかったことだ。レックスは島の英雄であるし、護人たちをはじめ島の住人 の誰もが彼に手を貸すことを嫌がりはしない。だというのに、彼は頑なに『自分で作る』 ことにこだわった。  そんなレックスの心情を的確に表現したのは、島の最長老であるニッポンから召喚され たゲンジの、 「あやつも男なんじゃよ」  というひとことだったのだが、スバルたちにはまだよくわからなかった。なので、密か な不満を漏らしていたりもする。 「最近、先生さんが委員長さんのことを話さないんですよ」 「あー? そうか」  マルルゥに不満をぶつけられたのはポカポカの陽気にまどろんでいたヤッファで、彼は 面倒くさそうに生返事だけで終わらせようとした。が、むぅっと頬を膨らませたマルルゥ はヤッファの耳を掴んで思い切り叫ぶ。 「聞いてください、シマシマさーん!」 「うおっ!? な、なんなんだいったい……いいじゃねえか、それくらい。大の大人が女 一人のことでメソメソしてるよりはよ」 「へ? 先生さん、メソメソしていたんですか?」  マルルゥには、ベルフラウを軍学校に残して帰ってきたレックスが落ち込んでいるよう には見えなかった。どちらかというと、ベルフラウが入学できたことを笑顔で話していた のだ。 「ま、お前に読めないくらいだ。酒でも飲まなけりゃ表に出ない感情ってのもあるってこ とを覚えときな」 「?」  マルルゥは余計に頭がこんがらがったらしく、身体がねじれるくらい首を傾けて、考え 込んだ。それを見たヤッファは苦笑して大きくあくびし、最後に一つだけ付け加えた。 「別に忘れたわけじゃねぇさ。あいつの家な、二人住めるようになってるんだぜ」  それがどういう意味か、マルルゥが気がついてポンと手を叩きあわせたのは、ヤッファ が気持ちの良い眠りの中に落ちてしばらく経ってからだった。                 ※  夕飯はアリーゼと一緒に食べるのが習慣になっていた。軍学校の生徒は宿舎住まいが基 本となっているので、食堂は混雑を避けるために時間帯ごとに利用できる学年が決まって いる。順番を待って食堂に向かい、先に席に座れた方がもう一人の分も確保するのが二人 のルールだ。  その日は、部屋でぼーっとしていて一足遅れたベルフラウを、アリーゼが待っている形 となった。手を振って位置を知らせるアリーゼに自分もそれを返し、ベルフラウは自分の 食事を受け取って席に向かった。  その途中、不意に食器の中の食材の一つに目を留めてクスクスと笑い出す。 「どうしたの、ベルフラウ?」 「う、ううん……な、なんでもないわ。うふふ……あははっ」  ついに堪えきれなくなって吹き出したベルフラウに、アリーゼはきょとんとした。少女 の視線を追い、不思議そうに言う。 「タコが、どうかしたの?」 「え、ええ。実は、タコがどうしても食べられない人がいて、ちょうどその人のことを考 えていたからおかしくて」  よほどおかしかったのか、ベルフラウは指で涙を拭ってそう答えた。ふ〜ん、と納得し ながら、アリーゼは少し考え、 「もしかして、前に話してくれた、ベルフラウのことが好きで好きでたまらなくて、土下 座までして泣きついてきたから、仕方なくベルフラウが付き合ってあげてる、家庭教師の 人?」 「え!? え、ええ、そうよ。あの人、タコがどうしても駄目だって行って逃げ回るんだ から」 「ふ〜ん」  誤魔化すようにして言い、ベルフラウはタコのマリネを口に運ぶ。タコが内陸で食材と して使われるようになったのはつい最近のことで、昔は宿舎の食事にも登場しなかったと いう。 (まったく……好き嫌いがあるだなんて、教師失格よ)  レックスは教え子の好き嫌いを直すために、彼女に様々な食べ物を食べさせたものだ。 中でもベルフラウは牛乳が大嫌いだったのだが、身体の特定部位の成長をほのめかされて、 結局毎日飲む習慣をつけさせられてしまった。  そっと自分の胸を見下ろし、次にアリーゼの胸元を見る。前者は果てしない平野が広が り、後者はなだらかな丘が築かれようとしていた。 (だ、騙されたのよね……絶対)  少し唇を尖らせ、ベルフラウは再びタコを口に放り込む。はむはむと弾力のある足を咀 嚼していると、<忘れられた島>で食べたオウキーニ作のタコ料理の味が思い出される。 軍学校の食事も不味くはないのだが、オウキーニの作る料理はやはり比べ物にならないく らいに美味しかった。  ──あなたは、それでも口をつけようとはしなかったけれど。  愉快な思い出。だけれど、ベルフラウは何故か心から空気が抜けてしぼんでしまうよう な錯覚に襲われた。はあ、というため息は、自分では想像しなかったくらいに深い。  そんなベルフラウに、アリーゼは言う。 「今のベルフラウって……捨てられた子犬みたい」 「はあ!?」 「お手」 「え? はい。──って違うでしょうが!」  律儀にぽふんとアリーゼの手に自分の手を乗せてしまったベルフラウは、かあっと頬を 朱に染めて仏頂面になった。本当はもっと怒りたいところだったが、この微笑の優しい少 女に自分の威圧が通じないことは、理解している。 「も、もう……っ。私は犬じゃないし、捨てられてもいませんっ」 「可愛いって意味だったんだけど……お手してくれるとは思わなかった」 「う〜」  真っ赤になったベルフラウは、周りの席でテーブルに突っ伏して笑いをこらえている同 級生たちにきついひと睨みをぶつけてから、アリーゼに問う。 「そういうふうに見えた?」 「うん」 「そう……」  ──だったら、それはあなたのせいよ。  夜が近づくにつれて、少女は想いを募らせる。  後日、その憂い顔を見て心惹かれた少年たちが、大量の恋文をベルフラウに届けるので あるが、それはまた別のお話である。                 ※ 「おう、一杯どうだ?」 「いいね、もらおうかな」  夕飯時、ヤッファの庵に呼び出されて一緒に食事を摂っていたレックスは、彼が取り出 した盃を笑顔で受け取った。大柄なヤッファに合わせた盃はレックスの手に余るほどで、 そこに徳利から濁り酒が注がれると、レックスは溢れるギリギリのところで制止をかけた。 「そこまで!」 「おっとぉ……」  ヤッファは自分の盃にも手酌し、二人はまず礼儀として一杯目を一気に呑み干した。蒸 留酒とは違い、形を失いかけた米の粒を一緒に口に流し込むのが濁り酒の醍醐味だ。 「はあ……美味しいなあ」 「お、今日はいけるじゃねえか。どんどん呑め」 「おっとっと」  ヤッファがニヤリと笑って、レックスの盃に注ぐ。レックスも笑って受けて、今度は一 口だけ舐めるようにして呑んでから、盃を戻す。 「同じ島なのに、風雷の郷のお酒とは全然違うんだよな。これ、メイトルパのお酒かい?」 「ああ、オレの故郷の酒だ。メシもな」  そう言って、ヤッファは皿から炒った豆と肉を合わせた料理をつまむ。レックスも食べ たが、すりこんだ香辛料の複雑な味を楽しめる単純だが奥深い料理だ。怠け者と言われる ヤッファだが、意外とその辺りの料理は上手なのである。 「故郷、か……」  少ししんみりと、レックスは酒を呑む。ヤッファもそうだが、この島の住人たちは皆、 異世界から召喚されてきた者たちだ。だが、彼らはもはや自分たちの世界へは帰れない。 召喚術の大原則として、召喚獣をもとの世界へ返還できるのは、召喚した本人だけという ものがあるからだ。  そして、彼らを召喚した<無色の派閥>の召喚師たちは、もはやこの世にはいない。  そんなレックスの表情を読んだのか、ヤッファはあおるようにして盃を空にして、それ をレックスに向ける。 「ついでくれよ」 「え? うん」  言われるままに徳利を取ったレックスが酒を注ぐと、ヤッファはさらにそれを一息で呑 み干した。ぷはぁ、と酒臭い息を吐き、男臭い笑みを浮かべる。 「変な気を回すんじゃねぇぞ。オレはここでの生活が気に入ってるんだからな。好きな時 に喰って、好きな時に寝られる。守ってやらぇねといけねぇ奴がいるのも、向こうじゃね ぇ。ここだ。それで充分だ」 「……そうだね」  その言葉に、ようやくレックスにも笑顔が戻った。 「ヤッファは、本当にマルルゥのことを大事に思ってるんだね」 「ぬかせ。お前の方こそどうなんだよ、先生さんよ」  ふふふ、と珍しく意地悪そうな調子で言うレックスに、ヤッファも対抗するように言う。 二人は額をぶつけそうなくらいに近づけ、思い出したように酒を呑む。 「まあしかし、帰る家があるのは悪いことじゃねぇな。故郷じゃねぇにしろよ。そういう ことなんだろ?」 「さすがにヤッファにはバレバレかあ……年の功だなあ」  二人の酔っ払いを生み出し、酒盛りは空に星が輝き出すまで続いたのである。                 ※  夜になると、ベルフラウは部屋の明かりを落として、窓を開く。  それは毎夜繰り返している、彼女だけの秘密の儀式。  暗闇の中だけで許される、本音の時間。 「先生……」  開け放った大きな窓からは、あの島で見たものと同じ満天の星空。窓に寄りかかるよう にして無数の星々の光を見上げ、少女は彼女の楽園を想い描く。  ──ここにあなたと見た蒼い海は無いけれど。  ──それでもこの夜空は同じ輝きで私を見下ろしてくれる。  ──二人で見たのと同じ星空は。  ──きっと、あなたのいる島とここを繋げてくれるに違いない。  魔法の言葉は、 「好き」  二度目に言えば、 「大好き」  忙しい日常の中では、常にあの人のことをだけを考えているわけにもいかないから、ベ ルフラウは夜の時間だけを想いに使う。恥ずかしいくらいの恋の時間。 「お星様」  ──どうか。 「今、先生もこの夜空を見ていますように」  ──あなたが、私のことを考えていますように。 「私を……」  ──まだ待っていてくれていますように……。  口で言うほど、自信などない。  レックスが、いつ他の誰かに恋をするかもわからない。  本当は離れたくなどはないけれど、それでも軍学校を卒業するのは自分で決めたことだ から。彼が学んだ学校で同じ経験をすることが、より彼に近づく方法だと、今も思えるか ら。  ──私は、あなたにつりあう女に近づけているかしら?  少しだけ伸びた身長を武器に、少女は彼が待つ島に帰る。 (びっくりさせてあげるんだから)  身体も心も、前に会った時よりもほんの少しだが大人になったのだ。 (待ってなさい!)  一番心待ちにしているのは、自分自身なのだ。                 ※  夜になると、レックスは島の浜辺に寝そべって星空を見上げる。  それは毎夜繰り返している、彼だけの秘密の儀式。  彼女の不在に慣れるように努める昼間は隠す、星空と潮騒が呼び起こす焦がれる想い。 (君は、今頃何をしているんだろう)  授業の復習でもしているだろうか。それとも、夜更かししないで早めに床についたのだ ろうか。  願わくば、と思うのだ。 「君もこの夜空を見てくれていると、嬉しいな……」  我ながらロマンチストだとは思うが、そう祈りたい気分になってしまうのだから、星空 というのは不思議なものだった。  二人並んで星空の下を散歩したことや、星座にまつわる特別授業をしたこと。それから、 瞼を閉じる彼女の唇に自分のそれを重ねたこと。 (この島には、君との思い出がどこにでも転がってる。だけど、今君がいる場所には、二 人の思い出がどこにもないから……)  ただ一つどこまでも繋がっていそうな、空。  それを見上げて、想いが届けばいいのにと思うことは、甘い考えだろうか。  不安はあるのだ。  ベルフラウは一途な少女で、自分のことを好きだと言ってくれるが、そばにいなければ どうなるだろうか。軍学校には、彼女の眼鏡にかなう男の子だっているだろう。彼女のこ とを好きになる者だっているだろう。彼女を支えるのは自分ではなく、彼女の友人たちに なるだろう。  そう考えると、胸騒ぎと、小さな嫉妬。  彼女の入学式時期はどたばたしていて、次にいつ会うと正確な約束はできなかったのだ。 そろそろ長期休暇の時期ではあるが、実家という帰る場所もあることだし、ベルフラウが この島にやってくるとは限らない。  それでも、レックスは信じているものがあるのだ。  不安もあるし、彼女のいない日常に調子を狂わせたのも事実であるが、一つのことをし てみようと思って、彼は家を作り始めた。できる範囲で自分の手だけで作るように心がけ た、二人の家だ。  とりあえず最初の休暇に合わせて特急で作ってしまったが、無駄にはならないだろう。 (俺が君の帰る家になりたいと言ったら、君はびっくりするかな?)  びっくりさせたいと思う。  彼女のことを忘れていなかったこと、彼女のことを想っていること、全てを形にしたつ もりの家に招き、色々彼女に伝えたいと思う。 (だから、君を待ってるよ)  伝わると良いと思って、星に囁く。 「待ってるよ、ベル」                 ※  星空は祈りを聞き届け、だけどそれを相手に教えることはない。  少女は星に祈る。  青年は星に願う。  お互いの想いを告げ合い、二人はその日も一日を終える。  昨日の次の今日。  今日の次の明日。  変わらないようでいて、確かに近づく再会の日を焦がれ、ベルフラウは眠る前の魔法の 呪文を唱えた。 「おやすみなさい、先生……」  ──再会の日、きっと私たちは最高の出逢い方をするんだわ。  星空は、毎夜の儀式を受け、今日も綺麗に輝いていた。                                了                 ・                 ・                 ・                後日談  翌朝、肩を落として朝食の席に着くベルフラウを眺め、アリーゼは言うのだった。 「……ベルフラウって、『待て』をされた子犬みたい」 「な!?」  その騒動がまたしても彼女の人気を高めるのだとは露知らず、ベルフラウは日課となり つつある相棒とのじゃれ合いに突入するのだった。                               本当に了