サモンナイト3 レックス×ベルフラウSS 本編第十六話アナザーストーリー 「彼女の夢みたこと」                 序  夢の中の自分というのは、ずいぶんと卑怯だとベルフラウは思った。  同量の金にも勝る、癖の無い艶やかな蜜色の髪。成長期を終え、健やかに伸びた手足。 乙女の悩みの種の胸だって、慎ましいながらしっかり女らしい膨らみを見せている。  それは、鏡を覗き込みながら少女が夢想する、自分の未来の姿。こうあって欲しいと思 い描く、理想の姿。  まだ幼さを残す顔も、夢の中では一人前の大人の女だ。こっそりと気にしていた子供ら しい丸みの抜けた頬。眼差しは毅然として、意志の強さを思わせ、薄く紅をひいた唇には、 嫌味にならない程度の色気を漂わせている。  美しい女。  誰だってそう言うに決まっている。 (あの人だって……そう思うに決まってる)  現実はそうではないが、夢の中は彼女の自由だ。  成長した彼女の隣に立つ、赤毛の青年。端整な顔立ちのくせに、どこか気の抜けたよう な、人好きのする笑みを絶やさない人。  その人が、不意に彼女の肩を抱いてくる。ベルフラウは少しだけ驚き、だが抗うそぶり もなく、引き寄せられるままにその身体に自らを預けた。 「綺麗だよ、ベルフラウ」  とろけるような囁き。  背景は、人っ子一人いない砂浜。夕焼けの朱に染まる空は、海とベルフラウの肌も同じ 色に染めていく。火照った自分の頬や、触れる彼の手の大きさが妙に意識され、彼女は覚 悟を決めて瞼を下ろした。  何の覚悟か――決まっている。この最高の状況で逃げたりすれば、それは失礼の極みだ。 「レックス……」  いつもは呼べない名前だって、呼んでみたりする。  そうして、二人の顔が静かに近づいていく。まだ慣れない恋人の初々しさで、互いの想 いを重ねる方法を模索するようにゆっくりと唇が触れ――。  ――ようとしたところで、ベルフラウは首を傾げた。  視界の先には、夕日の逆行で影にしか見えなくなった、スラリと背の高い二人の男女。 交じり合って一つになった影は、まるで完璧な恋人の象徴。 「……あれ?」  彼女は、そこにいた。  まだ成長途中の棒のような手足も、秘密だが引っ張ると良く伸びる頬も、悲しいくらい になだらかな胸も、全てそのままの彼女がそこにいた。 「じゃあ、あれは……ってああ!?」  ついに恋人たちはその唇を合わせていた。それを横から見るはめになったベルフラウは、 反射的に駆け出し、二人の間に割って入った。 「離れなさいよっ」  言うまでもなかった。彼女が怒鳴り込んだ瞬間に大人のベルフラウの姿は掻き消え、そ の場には優しい笑みを浮かべたレックスと、今度こそ本当の姿のベルフラウだけが残され た。 「そ、それじゃ……やり直しよ」  夢ならではの都合の良さで、彼女はレックスを振り返る。申し合わせたかのように彼は 彼女の肩に手を置き、甘い声で囁いた。  彼女の望んだ言葉。 「可愛いよ、ベルフラウ」 「え?」  変わらない笑顔。  変わらない甘い声。  だというのに。 「せん……せい?」  かがみ込む、その身長差。  そして、額に触れた彼の唇のやわらかさ。 「可愛いよ」  それは夢の中ではあってはならない、彼女の現実。  理想の彼女だけが得られて、現実の彼女が得られないものをはっきりさせる――。  ――悪夢だった。                 1 「おはよう」  その朝、レックスが会議室を兼ねる食堂に顔を見せると、そこには朝の茶を楽しむヤー ドの姿しか見つけることができなかった。  海賊カイル一家の朝は早い。全員が二十四時間体制の船上生活に慣れているし、船長の カイルをはじめ、最低限の休みの時間以外は鍛錬に充てようという勤勉な者が多いのもそ の理由だ。  普段の生活ぶりを見ていると自由奔放に見える彼らだが、それも文字通りの『朝飯前』 の鍛錬あってこそ成り立つゆとりなのだと、最近になってレックスは知った。 「おはようございます。良く眠れましたか?」 「うん、おかげさまでね。カイルたちは、外かな?」 「ええ。昨日の今日だというのに、あの元気の良さには感服しますよ」  朝の挨拶を交わし、レックスが自分の席につきながら言うと、ヤードは苦笑を浮かべた。 苦笑を浮かべる様にもどこか賢者じみた静謐さを漂わせるのは、彼が召喚師という真性の インテリであるということよりも、彼の持って生まれた性格によるものだろう。本を好み、 茶を好む、一流の風流人の姿だ。  そんな彼が、過激な理想を掲げ、他者を排することを躊躇わない<無色の派閥>に属し ていたというのは、もしかしたら何かの冗談ではないかと、レックスは時折思う。  ヤードの言う昨日の今日、とはその<無色の派閥>との最後の戦いを指していた。それ は、<忘れられた島>で戦い続けてきた彼らにとっても最大の激戦であり、カイル一家も あわや全滅という危機にまで追い詰められたのだ。もちろん、怪我の多くは召喚術で癒さ れたとはいえ、完治にはほど遠いはずである。  海賊たちの逞しさに二人のインテリが笑い合っていると、足音も高らかに船長であるカ イルが食堂にやってきた。まさに今まで運動をしてきたという様子の、筋肉質な裸体を晒 した上半身裸での参上だ。首に手ぬぐいを引っ掛けているが、汗の玉はまだ消えていない。 「お。目ぇ醒ましたか、先生。身体の調子どうだ? また気合が抜けてたりとかは勘弁だ ぜ」 「おはよう、カイル。昨日はありがとう。僕がこうしていられるのも、君たちのおかげだ」 「はは。結局俺たちが先生に助けられちまったけどな。その辺りは持ちつ持たれつってこ とだ」  豪快に笑うこの好漢のことが、レックスは大好きだった。荒くれの海賊たちをまとめる、 この太陽のような金髪を持つ男は、こうした大雑把な態度を取る一方で、細心の注意を払 って仲間一人一人のことを考えてくれている。時には直接的に、特には遠回しに助言して くれるカイルを、兄や親のように慕う者も海賊の中には多い。  男というものを突き詰めたような、肉食獣を思わせる無駄の無い筋肉のつき方。よく日 焼けした男臭い顔立ちは、険しい長の表情も、やんちゃな子供の表情も浮かべる。甲板に 立つ姿には若くして風格すら感じさせる彼なのだが、不思議なことに恋人の一人も聞かな いのは、レックスも首を傾げるところだ。 「あ、先生おはよ〜」 「あら、もう少し寝ていても良かったのに。起こしちゃった?」 「二人も、おはよう。自然に目が醒めたんだ。久しぶりにぐっすり眠れたからね」  続けて、カイルの妹で砲手を務めるソノラと、ご意見番のスカーレルが姿を見せた。  ソノラは元気を余らせている様子の、きびきびしとした動きが目に快い少女で、カイル と同じで甲板に降り注ぐ太陽を思い切り吸収した金色の髪と、しなやかな肉体の持つ健康 美が魅力的だ。  スカーレルは一見妙齢の美女にしか見えないが、れっきとした男性で、かつては<無色 の派閥>の凄腕の暗殺者であった。だが、今ではヤードと共にカイル一家のもとに居着き、 派閥とは敵対する身だ。並の女よりも艶めいた面立ちの美男で、身体つきも長身の女を思 わせる。自分の椅子に座る仕草一つをとっても、世間の女を悔しがらせることは間違いな い。  この四人が、現在の海賊カイル一家の重鎮と言われる面々だ。レックスは偶然から彼ら と仲間になり、これまで島の平和を守って戦い続けてきたのである。  思い返せば、それは険しい道程だ。  人の善を信じる。死んで良い人間などいない。  そのような信念を持っていたがために、レックスは故国である帝国の軍属をやめた。命 令のためには、時には人道に反することすらしなければならない軍は、彼にとってエリー トという立場があったとしても堪えられる場所ではなかった。  そうしてレックスは、彼の信念に理解を示したとある富豪の娘の家庭教師になった。  それが、ベルフラウという少女だ。  だが、ベルフラウが軍学校に入るための試験に向かう船旅の最中、その船に大きな秘密 を持つ魔剣<碧の賢帝>が隠されていたことから、船はカイル一家の襲撃を受け、剣の暴 走によって生まれた嵐で、レックスたちは<忘れられた島>に流れ着いた。  そこはかつて<無色の派閥>によって作られた召喚術の実験場で、現在は召喚獣たちが それぞれの故郷に似せた集落を作って暮らしている島だった。  カイル一家と和解し、島の者たちと心を通わせたレックスを待っていたのは、帝国軍が レックスの所持する<碧の賢帝>を奪おうとしている事実だった。そこから始まった、昔 日の友人アズリア率いる帝国軍との戦いは熾烈を極めた。  しかし、その戦いは<碧の賢帝>と対を成す魔剣<紅の暴君>を掲げたアズリアの弟イ スラの裏切りと、<無色の派閥>の乱入によって終わりを告げた。  明かされる真実。  <忘れられた島>は、あらゆる世界律を支配する<エルゴの王>の力を人為的に生み出 す大きな装置であること。無制限の召喚を可能にする力を封印開放する鍵が、二本の魔剣 なのだということ。  戦いの中、レックスの魔剣はイスラの魔剣によって砕かれ、彼自身心に大きな傷を負っ た。それは、人の善を信じ、仲間を守り抜くことだけに力を振るう信念を捨て、その上で イスラと戦い破れたということが生んだ、自責の傷だ。  そんな彼を再び奮い立たせたのは、仲間たちの必死の思いだった。自分が守ろうと思っ てばかりいた皆もまた、彼を守ろうとしていたのだということを知った時、彼は人一人に できることの限界と、人が集った時に生まれる力の大きさを悟った。それは強大な力を誇 った魔剣よりも確かな力で、彼を支えてくれた。  そして、彼のいない間<無色の派閥>の攻撃から必死に島を守っていた仲間のため、彼 は新たな魔剣<果てしない蒼>を手にした。迷い無く守るためだけの力は、ついに<無色 の派閥>を島から追い払うことに成功したのだ。  それが、つい先日のことである。  度重なる激戦の果ての勝利に、皆疲れきって倒れこむようにして眠りについたはずだっ たのだが、こうして海賊たちは今日も元気に日常を暮らしている。  いや、ようやく取り戻した日常を堪能しているのだろうか。 (とにかく、後は<紅の暴君>を持つイスラだけだ。彼の魔剣を破壊すれば、島の力を目 覚めさせることはできなくなる。それで全て終わるんだ)  そのようにレックスが決意を改めていると、 「な、なんだい?」  四人分、計八つの瞳が彼のことを見ていて、レックスは少し怯んだ。  まず最初にため息をついたのは、スカーレルだ。肩をすくめ、やれやれと苦笑する。 「センセ、朝っぱらから疲れること考えちゃダメよ。よ〜やく、あのメンド臭い連中がい なくなったんだから」 「そーそー。敵があとイスラ一人だけ、とかってなると、先生ってば『じゃあ後は俺一人 で』とか考えそうだし」 「う……そ、そんなことはないよ」  いかにも自分が考えそうなことをソノラに言われ、レックスは誤魔化すように笑みを浮 かべた。 「一人で悩むのはやめたよ。俺一人が無茶したって、誰も喜ばないって身に染みてわかっ たし、俺一人で立ち向かう必要なんか無いんだってわかったんだ」 「だな」  カイルがニッと白い歯を見せる。そのままレックスに歩み寄ると、力強い手が彼の背を 叩いた。 「先生には俺たちがいる。そういうこった。イスラが何かするにしてもよ、あいつもたっ た一人なんだ。でかいことをやるにはそれなりの準備がいる。それまでの間、俺たちもじ っくり休んどく義務があるのさ」 「同感です」 「うん」  カイル、ヤードの順番で言われ、ようやくレックスも破顔した。ちょうどその時、レッ クスの腹が意外なほど大きく鳴り、全員が顔を見合わせて笑う。 「ははは。腹が減るなら確かに心配ねぇな。おっし、朝飯だ朝飯。ソノラ、用意しろ」 「ぶーぶー。すぐにあたしにばかり運ばせるんだから。アニキも少しは働きなよね」 「家事もできない男って無様よねぇ」 「同感です」 「ヤード、お前もかよっ!?」  一家の仲の良さをなのか流れるようにして言われ、カイルが大仰に怒鳴る。自分の腹の 虫に赤面していたレックスは、そこに足りない姿があることに気がついた。 「そういえば、ベルフラウは? 部屋にいなかったんだけど」 「お嬢ちゃんなら、アルディラに用があるって出て行ったぜ」 「ラトリクスに? なんでまた」  レックスが目をパチパチとさせて尋ねると、カイルは肩をすくめて応える。 「さあな。結構メンド臭い顔してたんで、わざわざ聞かなかったからな」 「メンド……って、カイルっ」 「野暮だぜ、先生」 「え?」  憤慨しかけたレックスは、ニヤリと唇の端を歪めてみせたカイルに、今度はきょとんと する。そうしたレックスの良く動く表情を見ていると、スカーレルなどは、 (可愛い人ねぇ)  などと思ってしまうのだが、本人には秘密だ。  結局、レックスは教え子のことが心配なのか、食事の間も身じろぎを続けていた。ラト リクスは機界の住人が集まった集落で、島を守る四人の護人の一人、融機人のアルディラ が治めている。  アルディラは機界の召喚術に長け、ラトリクスの防衛機構は四つの集落で一番強固であ る。なので、ベルフラウがそこにいるのであれば、危険の心配はする必要は無い――はず だ。  それでもレックスが気もそぞろにしている様は、周りから言わせれば過保護ということ になるだろう。事実、出かけたのが同じ少女であるソノラであったとしても、レックスが これほどの狼狽を見せることは無い。  だが、それだけでもないだろうとカイルは思っている。  実は周りが思っているほど、レックスは教え子を子供扱いはしていない。本当に子供だ と思っているのなら、彼はベルフラウを戦闘に駆り出したりはしないだろう。彼女がどう 懇願しても、レックスはそれを良しとしなかったはずだ。  レックスは、ベルフラウに、少なくとも対等の意志と責任力を認めている。格好良いか らだとか、雰囲気に酔って英雄志願する者とは違う、確固たる戦う理由を彼女の中に見出 し、最悪の事態があろうとそれは彼女の選択なのだという、そういう認め方を。  もちろん、レックスの性格を考えれば、本当に彼女に何かがあれば自分のせいだと自責 するのは明白なのだが、それは誰に対してもそうなのでこの際無視して良いだろう。  そんな彼が、こうまであの教え子の少女のことを心配するのは、どうしてだろう。  信用していないわけではない。  子供扱いしているわけではない。  だけれど、目に届く場所に置いておきたくて、その姿をそばに置いておきたくて、その 行動に一喜一憂するのは。 「……剣を直した時に、何かあったのかなぁ? って痛ぁ!?」 「野暮なこと言うな」  妹の額を人差し指で弾き、カイルは意味も無く甲板を行ったり来たりする青年を眺める のだった。実に楽しそうに、であるが。                 2 「アルディラさま。ベルフラウさまがお見えになりました」  プシュ、という空気が漏れる音がして自動扉が開くと、看護医療用機械人形のクノンが 中央管理室に足を踏み入れた。管理室の内部には所狭しとモニターやコードが散らばって いたが、クノンはその全てを把握しているのか、足元を見ることもなく歩を進める。対照 的におっかなびっくり入ってくるのは、赤い帽子を頭に乗せたベルフラウである。一緒に 炎の塊のようなオニビもいる。  そして、それを迎え入れるのは、ラトリクスを治める護人アルディラだ。色素の薄い波 打った長い髪の、才媛という言葉が良く似合う美女だ。今も朝一番の仕事である集落の管 理業務のため、ラトリクスの機能が集中する管理室でその眼鏡を光らせている。 「お姉さま、おはようございます」 「おはよう、ベルフラウ。どうしたの? ずいぶんと早いじゃない」  融機人であるアルディラは、眠りも普通の人間よりも少なくて済む。そうした彼女だか ら眠りによる休息を大切に思い口にしたのだが、ベルフラウは暗い顔でうつむくばかりだ。  いつも勝気な少女のそのような姿を見て、これは何かあったなとすぐに推察したが、ア ルディラは彼女の問題に土足で立ち入るようなまねはしなかった。  まず、ノックから入るのが礼儀だ。 「その様子だと、まだ食事もまだでしょう? クノン、何か用意してくれるかしら。もち ろん、この子に食べられるものをね」 「はい」  最後の部分は、アルディラ流の冗談だったらしく、彼女は普段は怜悧な表情をクスリと 笑みにやわらかくした。その心遣いに、ベルフラウも少しだけ気分を上昇させる。クノン を部屋から出したのが人払いなのだと気づけないほど、少女は愚かではなかった。  硬質な表情だが、一時期よりはずっと人間味が出てきたと噂になっているクノンの姿が 見えなくなると、ベルフラウは思い切って顔を上げた。  すると、そこに端整な顔立ちの美女がいる。数多の機械に築き上げられた椅子に座り、 ラトリクスの全てを把握して操作する護人。気高く、賢く、美しい。ベルフラウの理想の 女性像だ。  だから、だったのかもしれない。一瞬だが、暗い感情をベルフラウは覚えた。そして、 その感情を、聡いアルディラは確かに眼鏡の奥の瞳で読み取った。  かぁっと頬を紅潮させたベルフラウは、咄嗟にその場を駆け去ろうとした。だが、アル ディラの落ち着いた声がそれを引き止める。 「私に相談しに来たんでしょう? 話してみなさい」 「う……」  全てお見通しという声に、ベルフラウは観念する。  そうよね、と呟く。 (そういうお姉さまだから、頼りになるんですもの)  他の誰かに相談しようとは、少しも思わなかった。姉とも慕い、そして恋愛経験も豊富、 と勝手に思い込んでいるアルディラに対してだからこそできる相談だ。 「じ、実は――」 「アルディラさま、お食事の支度が整いました」 「きゃあっ!?」  口を開きかけたところにクノンが戻ってきて、ベルフラウは思わず悲鳴を上げた。クノ ンが「?」と首を傾げるのに対し、アルディラが完璧な笑みで指示を出す。 「そうね、その食事はアズリアたちに回して。ベルフラウには新しいものを。一番の力作 を期待するわ」 「力作――承知しました」  何やら感じるものがあったのか、クノンはコクリと頷いて再び去っていった。機械のは ずのその顔に、やる気という名の赤味がさしたような気がして、ベルフラウは目をパチパ チさせたが、 「どうぞ」 「あ、はい」  促されて続けることにした。 「実は、先生のことなんですけど……」 「レックスの? 彼がどうかしたの?」 「お姉さまは、どう思います? そ、その、好きとか嫌いじゃないところで」 「……好きとか嫌いじゃないところでの彼の評価? 面白いことを訊くわね」  顔を真っ赤にして言う少女に、アルディラは年長者の余裕で腕組みし、しばし考えてか ら応えた。 「まず、彼は適格者という稀有な存在だと言えるわ。魔剣を扱うことができ、エルゴの王 に匹敵する力を持つ可能性がある、数少ない存在。それを抜きにしても、反発しあってい た四人の護人をまとめあげた人格、統率力、高度な学習を受けたと思われる知識の広さ、 柔軟な発想力、難を言えば自罰的に過ぎるところがあるけれど、それも周りが充分補助で きる範囲ね。容姿に関しては好みの分かれるところでしょうけど、この島の女の好みには 合致していると思うわ」 「好み、ですか……」 「ええ。好きとか嫌いじゃないところで、ね」  動揺するベルフラウに、アルディラはいたずらっぽく微笑んだ。 「ともあれ、彼は良い男よ。誰が彼のことを慕ってもおかしくないわ。それだけの魅力を 持った人だと評価するわ」 「そ、そうですよね。うん……やっぱりそうなんだわ」  断定されると、ベルフラウはぶつぶつと口の中で呟いた。そして、上目遣いにアルディ ラを見る。すがるような目つきで見られたアルディラは、少女の心の扉を開く最後の駄目 押しのひとことを口にする。 「それで本題は何かしら? 秘密は守るし、力になれることなら助言は惜しまないわ。特 に、恋愛関係のこととか」 「れ、れ、恋愛!?」  ひゃあ、とベルフラウが両手で頬を押さえた。何故かオニビまでが同じ仕草をする。そ の姿に、アルディラは思わずぷっと拭き出してしまう。すぐに少女は赤い顔のまま唇を尖 らせたが、それが怒りに変わる前にアルディラは謝罪した。 「ごめんなさい。可愛くてつい……。そうね、私にもあなたみたいな頃があったわ。あの 人──マスターが生きていた頃、だけどね。レックスはあの人に良く似てるから、あなた を見ていると本当にあの頃の私を見てるみたいで、嬉しいの」 「わ……わかりますか、お姉さま?」 「ふふ、護人の眼力を舐めないでね」  茶目っ気たっぷりにアルディラが言うことで、ベルフラウの緊張も多少ほぐれたようで、 彼女は胸の前で人差し指をこすり合わせ、もじもじとしながら頷く。 「ええ。あのう……実は、その、先生のことで、お姉さまに相談が……」 「どうぞ」 「え、ええと……実は、昨夜……」 「うんうん、昨夜?」  キラン、とアルディラの眼鏡が輝く。ベルフラウはそれに気づかず、おずおずと言う。 「先生と、その、キ、キスしまして」 「あら」  パァーッとアルディラの表情が明るいものになったが、その割にはベルフラウの表情が 暗かったことを思い出し、彼女は首を傾げる。 「それは、あなたから?」 「はい。先生に、不意打ちで」  それは相当に恥ずかしい告白らしく、耳まで真っ赤にして言う。その照れ具合に、アル ディラは、 (本当に可愛い子ねぇ)  と思うのだが、今言うと余計に少女を追い詰めそうで自制する。 「それで、した時は私も盛り上がっていたって言うか、後のことなんて気にもしなっかっ たんですけど……一晩経ってみると、やっぱり不安で」 「逃げてきたのね?」 「……はい」  早朝の訪問の理由がわかって、アルディラは苦笑した。この少女は、思い切りレックス にぶつかり、その懐に一気に入り込みすぎたことに怯えたのだ。  魔剣の再生の際に、二人の間にどのような会話があったのかは知らないが、レックスが 彼女をもっとも必要な人とし、彼女もそれに応えたのは間違いない。そして、求められた ことに自信をつけ、ベルフラウは彼の胸に飛び込んだ。  だが、自分が確信した彼の想いが、一瞬の錯覚だったのではないかと、少女は怯えてい るのだ。 (レックスは、誰にでも優しいから、この子が不安になるのもわかるわね……)  昔愛した男によく似た性格だ、と懐かしく思う。  そして、そういう男には慣れているとも自負するアルディラである。 「そうね、あなたの不安はもっともだわ。だけど、自信を持っていいわ」 「え?」 「ベルフラウ。あなたは魅力的よ。さっき挙げたレックスの美点に負けないくらい、私は あなたに良い評価を与えることができる。それこそ、男なら誰もが放っておかない素敵な 女に、あなたはすぐになれるわ」 「すぐ、ですか?」 「ええ、すぐに」  その言葉を、アルディラは優しい笑みと共に言った。それは少女の可能性の大きさを喜 ぶ姉の立場からの言葉だったが、彼女の予想に反してベルフラウは唇をきゅっと結んだ。 「ベルフラウ?」 「今は、どうですか?」 「今?」 「今の私は……先生につりあうでしょうか?」 「ええ、もちろんよ。あなたはとても可愛いもの。レックスもあなたを可愛くて魅力的な 女の子だと思っているはずよ」  嘘偽りの無い本心だったが、アルディラは後でこの言葉を後悔した。ベルフラウとレッ クス。傍目に見てもお互いに想い合う二人のことだからこそ、アルディラも最後に少女の 心を見抜く努力を怠ってしまった。  結果は、拳を握り締めて肩を震わせる少女の姿だ。 「可愛い……ですよね」  声が震えていることに、アルディラはハッとした。慌てて椅子から腰を浮かしかけるが、 その時にはベルフラウは身を翻して部屋から出て行ってしまっていた。  自分の迂闊さに、アルディラは額を押さえる。 「もう……馬鹿」 「アルディラさま。今ベルフラウさまとすれ違いましたが」 「ああ、クノン。ご苦労様。ごめんなさい、用意してくれたものは私が食べるわ」  戻ってきたクノンに苦笑交じりに言うと、しかしクノンは心配げな表情になる。それは 珍しいほどの表情の変化だ。 「クノン?」 「ベルフラウさまはお泣きになっていましたが、どうかなされましたか?」 「もう……大馬鹿だわ」  大きく、ラトリクスの主はため息をついた。                 3  鬼妖界の住人が集う集落、風雷の郷の高台にある鎮守の杜。そこはイスラに率いられた 帝国軍がスバルたち郷の子供を人質に立てこもった場所であるが、現在はその本来の閑静 な佇まいを取り戻している。  この場所は、風雷の郷における墓地の役割を果たしているのだが、ギャレオは険しい顔 でその一角を見つめていた。  かつて、帝国軍の副隊長として島の者たちを苦しめたギャレオであるが、今ではレック スたちの仲間としてある程度自由に島の中を歩き回ることができる。そんな彼が鎮守の杜 に足を運んだのは、先日の戦いで命を失った多くの帝国兵を弔う墓を作るためだった。  だが──。 「どういうことだ……?」  見上げるほどの巨漢であり、はち切れんばかりの筋肉を誇るギャレオであるが、その時 だけは普段の力強さを失った困惑の色に顔を染めていた。穴を掘るためのスコップを担い だ彼が見下ろすのは、兵士たちの遺体を安置していた茣蓙だ。しかし、今そこは多少の血 の跡が残るだけとなっている。 「……どういうことだ?」  もう一度呻き、彼は少し離れた場所に別に用意した茣蓙にも視線を移す。 「ビジュ……」  そこに、名前を呼ばれた男の遺体は無い。  ギャレオは即座に、その事件を郷の護人に知らせることにした。知らせを受けた鬼忍キ ュウマは郷の周囲を探索したが、遺体を発見することはできず、そしてその情報はレック スたちの耳にも届くことになった。  彼らがイスラという男の顔を思い描いたのは、あながち間違いではなかった。                 ※ 「ど〜ゆうこったよ、死人が勝手に歩いて出て行ったってのか?」  幻獣界の住人が集うユクレス村。その周囲を囲む森の中を駆けながら、護人ヤッファは ぼやいていた。元来暇な時は昼寝をして過ごすのが信条の彼だが、島の一大事とあっては そうそうさぼってもいられない。 (もう十年分は働いたぜ……)  あくびを噛み殺しながらも、その疾走は風よりも速い。足場の悪い森の中でも、幻獣界 メイトルパの獣人であるヤッファは自由に動き回ることができる。常人では意識しなけれ ば彼が目の前を通り過ぎたことにすら気づけないような速度だ。  そんな彼の腕に張り付き、メイトルパ特産のルシャナの花の妖精であるマルルゥが供を していた。 「シマシマさぁん、速すぎますよぉ〜」 「舌噛むなよ、マルルゥ。もし死体が動いてるなら、村に入る前に俺が祓ってやらねぇと いけねぇ。奴らを見つけたら、お前はすぐに村に連絡に行くんだ。いいな」 「はぁいぃ〜」  あまりの速度に目を回しているマルルゥに見えない位置で、ヤッファはその獣眼を素早 く周囲に向ける。マルルゥが呼ぶ通りのシマ模様の毛皮に包まれた身体が躍動し、走りな がらでも瞬時に獲物に襲いかかれる姿勢を維持する。 「まったく、メンドくせぇ……」                 ※  ヤッファもそうであるが、他の護人たちの対応も早かった。  風雷の郷は、キューマの報告を受けた主君のミスミが即座に外出禁止の令を出し、ラト リスクはアルディラが閉鎖した。ユクレス村は海賊ジャキーニ一家も有志として警備に当 たり、狭間の領域では霊魂たちがその霊的感覚を生かして策敵を急いだ。 「フレイズ、消えた人たちはまだ見つからないの?」 「はい。私をはじめ、空を飛べる者は総動員しているのですが、狭間の領域からユクレス 村の間にそれらしいものは見つかりません。おそらく、事件の起きた風雷の郷からラトリ クスの辺りに隠れているのではないでしょうか」 「そう……」  霊界の住人を束ねる護人ファルゼン──その重装甲を脱ぎ捨てた少女霊ファリエルは、 彼女に忠誠を誓う天使フレイズの報告を聞き、青白い顔をさらに暗くさせた。半透明の身 体のため、病的な印象のある彼女であるが、生前はその手に剣を持つ健康的な美を誇って いた。現在もその華麗な容姿に衰えは無く、思い悩む姿は儚げで生前とは違った魅力を醸 し出している。 「マネマネ師匠はいますか?」 「ココニ」  しばし考えてファリエルが呼ぶと、フレイズそっくりの姿に化けたマネマネ師匠がやっ て来た。変身した相手の能力をある程度身につけることができる彼は、フレイズと共に空 からの警備を担当していたのだ。  そのマネマネ師匠に、ファリエルは言う。 「私に変身して、しばらくここで指揮をとってもらえますか。私は武装してレックスたち に合流します」 「承知シタ。──コンナモノカナ?」  言うが早いか、マネマネ師匠の姿が霧のように霞み、次の瞬間には目の前のファリエル そっくりに化けていた。ただし、表情は本物よりも強気で、自信ありげだ。 「姿ばかりが似ていても」  何かこだわりがあるのか、フレイズが皮肉げに言うが、 「ヤダ、フレイズッタラ……ソンナニ似テナイ?」 「う、い、いや……」 「マネマネ師匠、私の格好でそういうことはやめてくださいっ」  しなを作ったマネマネ師匠に擦り寄られて、フレイズがしどろもどろになったところに、 少し頬を染めた本物のファリエルが仏頂面で言う。マネマネ師匠は爆笑して離れ、フレイ ズもわざとらしく咳をして表情を引き締める。  とにかく、とファリエルは身の回りに生み出した光の粒子を鎧の形に組み替えながら、 瞳に戦場に赴く戦士の意志を宿す。 「死者を操っているのだとしたら、それは霊界サプレスの管轄です。──後ハ任セマス」  最後の部分は、顔まで甲冑に覆った中からの、男と自分を偽った時の声色だ。島の皆に その事実を明かしてからも、戦場では常にその声を使うことにしている。それは、長い年 月その姿で戦い続けてきたケジメのようなものだ。 (これは、私のみんなに対する罪滅ぼしのための鎧なんだから)  少女の心を無骨な鎧に閉じ込め、ファリエルは──ファルゼンは鋼の刃を取る。  ベルフラウが行方知れずという情報が、彼女を急がせているのだ。                 ※ 「ここにもいないか」  ラトリクスから北に進んだ森。召喚術の実験場としての実体である<喚起の門>が眠る 遺跡の近くを、帝国軍の白い軍服に身を包んだ女が小走りに移動していた。良い家柄を想 像させる女らしい繊細な面立ちに、厳しい軍人の仮面を上乗せしたような、いるだけで空 気を引き締め、一緒にいる者が思わず背筋を伸ばしてしまいそうな印象の女――アゼリア だ。ラトリクスに寝泊りしている彼女は、アルディラに頼まれてもっとも危険である島の 北側で捜索を行っている。  探す対象は、二つ。  一つは、現在問題になっている帝国兵たちの遺体。  もう一つは、彼女の積年の好敵手の教え子。 (真っ直ぐな瞳をした少女だったな……)  あちらが望み、何度か話をする機会もあった。その際の会話は、あちらが一方的にアズ リアたち帝国軍の非道を責めるものであり、または彼女のレックスへの反発の理由を問う ものであった。 (軍学校に入ると言っていたが……夢を壊したか?)  そのことに関しては、後悔はない。命令であればそれに従うのが軍人の務めだ。民の生 活を守ることが軍の役目だが、国が傾けばその民の生活も危うくなる。だから、時には軍 人は少数の民衆を切り捨てて――小を殺して大を生かすことがある。それが現実というも のだ。 (現実は、時に矛盾をはらむ。それを教えていないあの男でもないだろうがな)  赤毛の青年の顔を思い描く。  誰よりも理想を口にし、現実と衝突を繰り返すのが彼だ。その結果、彼は軍を去った。 (私を置いて、な)  チラリと脳裏をかすめたその考えを、アズリアは頭をぶんと振って追い払った。軍学校 時代に何かとやりあったレックスに淡い恋心を抱いているのは事実だが、その想いを告げ たことはない。レックスが彼女にひとことの相談も無く軍を辞めたとしても、文句をつけ ることはできないはずだ。 (あの男は物事に聡いくせに、妙なところで鈍感だからな)  いや、と時々思うことはある。  もしかしたら、彼はアズリアの想いを知っていたのではないか。彼女が試験の結果に勝 負を持ちかけても、盤上模擬戦で弱兵を切り捨てずに敗北を甘んじる彼をなじっても、彼 はいつも優しく、もしくは困ったように笑っていた。女でありながら軍の名門の家柄を背 負い、友人も寄せ付けなかった彼女を、彼だけは真正面から受け止めてくれていた。 (……だとしたら、一発殴ってやらないといかんな。女を何だと思っているのか)  思わず拳をげんこつの形にする。  今回のこともそうだ、とアズリアは思う。  彼の教え子。アズリアを厳しい目で、競争相手を見る目で睨んでくる少女。  彼が、彼女の知らない間に出会い、守り抜くと誓ったという少女。  とりあえず、とアズリアは呟く。 「あの娘を泣かすようなことだけはしないように、あの男には言っておく必要があるな」  それは、少女が抱いているだろう想いに向けた、憧憬。  自分の越えられなかった壁を、彼女ならば越えられるのではないか。  越えて欲しい。  そう思うくらいには、アズリアはあの少女のことを気に入っているのだ。                 4 「あー、もう、最低よ! お姉さまにはみっともないところを見せてしまうし、飛び出し た手前もう一回相談するわけにはいかないし」  島が騒然とした雰囲気に包まれていた頃、ベルフラウはラトリクスから風雷の郷に向か う森の中にいた。気分転換のために普段とは違う道を使っているのだが、美しい森の景色 も、どん底にまで落ちた少女の胸のもやもやを晴らしてくれることはなかった。 「先生も心配してるでしょうから、そろそろ帰った方がいいんでしょうけど、でも……」 「ビィー……」  思いつめた表情のベルフラウに、オニビも元気が無い。二人は一心同体と言えるほどに 心を通い合わせているが、今回はそれが悪影響してこの召喚獣の調子まで狂わせていた。 人間で言えば、心配で飯も喉を通らないという心境なのだろう。 「わかってるのよ、自分が子供だってことくらい……」  ついに帰宅の足をも止め、ベルフラウはちょうど目についた大きな石に腰掛けた。座る と足が地面につかなくなる程度の石で、少女は足をぷらぷらと揺らしながら独白する。 「私は子供で、先生は大人。それくらいわかってるのよ。それでも、私は先生が好きにな ったの。自然に好きになったの。アルディラお姉さまも言っていたけど、先生は素敵な人 だもの。……少しあぶなっかしいけど」 「ビビィー」  そうだそうだとオニビが頷く。そんな友人を膝の上に乗せ、ベルフラウは続けた。 「あの時……魔剣を失った先生を見て、私壊れてしまったんだわ。ずっと私、先生は傷つ けられても、笑って乗り越えられる人だと思ってた。叩かれても絶対に曲がらない人なん だって、そういう心の強さが魅力なんだって、そう思ってた」  だけど、とオニビを抱きしめる。 「だけど、折れてしまった先生を見て、私は先生のこと好きだって、それまでよりずっと 強く思ったの。先生が折れこともある人だってわかって、そんな姿見たくないって思って、 先生が立ち直るなら何と引き換えにしたっていいって思って、私の命だってかけたってい いって思って……っ」  その瞬間だった。  ただ憧れるだけの人だったのが、抱きしめてあげたい人に変わったのは。  自分が、守りたい人に変わったのは。 「先生が、魔剣を直す時に一番大切な人って……私を選んでくれた時、嬉しかったわ。み っともなくはしゃぐところを見せないようにするのに大変で……みんなは<無色の派閥> と戦っていたのにね」  それくらい嬉しかった。人は誰かを好きになると、怖いくらいにその人のことが胸を占 めるのだと、わからされた。  そしてその夜、唇を重ねた彼女は幸せの絶頂だったはずだ。  だというのに。 「夢って卑怯だわ。自分の願望を見せつけられたんですもの」  無意識の引け目というものだろうか。大人の彼と吊り合う、大人の自分。今の自分は彼 にとって小さな子供でしかなくて、そう思うと自分は彼の子供への優しさを勘違いして受 け取り、舞い上がっていただけなのでは、と。  不安が胸に押し寄せた。  確かに彼は彼女を一番と選んでくれたというのに、疑心は消えない。 「……だって、私のことを一番子供だと思っているのは、私なんですもの」  誰かに否定して欲しくて、レックスとお似合いだと言って欲しくてアルディラを訪ねた が、鋭いベルフラウは自分が姉と慕う彼女の『子供を見守る目』を見抜いてしまった。そ れは年長者であり、かつての恋人を失った彼女からすれば当たり前の、優しい想いの込め られたものだったのだろうが、今のベルフラウにはそれすら痛かった。 「……それこそ、子供じゃない」  この不安を解消する方法は、酷く簡単だ。しかし、簡単だけに難しい。この世には、な んでこうも矛盾が多いのか。 「先生に聞けるはずなんかないのに……。ね、オニビ」 「ビィー」  オニビもため息をつき、一人と一匹は重苦しい雰囲気で沈黙した。  その時だった。 「辛いのなら、好きになるのをやめてしまえばいいのに」 「誰!?」  聞こえてきた声に、ベルフラウは鋭く誰何の視線を向けた。子供ながらに実戦に揉まれ た彼女は、素早く石を下りると、背負っていた長弓を手にする。オニビが森の一角を睨ん でその炎を強くすると、そこから真っ白い髪をした男が姿を現した。  一見優しそうな笑顔を見せるその男を見て、ベルフラウは絶句する。 「イ、イスラ!?」 「奇遇だね、ベルフラウ。それでね、話の続きだよ。好きなことが辛いのなら、そこで好 きを終わらせればいいんだ」 「な、何を……」  すでに魔剣<紅の暴君>の力でその身を変じさせているイスラからは、人間が持ち得る はずがない莫大な力が溢れている。突風にも似た感覚でそれを感じ、ベルフラウは最悪の 敵に出会ってしまったことを悟った。魔剣を持つイスラに対抗できるのは、同じ魔剣を持 つレックスのみ。ベルフラウがここでどう足掻いても、逃げることすらおぼつかないだろ う。  だが、焦るベルフラウに対し、イスラは剣を向けることなく言う。 「人を好きになるってのはさ、結局は自分に都合のいい相手を選んでいるにすぎないんだ よ。例えば、そうだね、君はわかりやすい。優しい先生。守ってくれる先生。君が彼を好 きになるのは、必然だったんだよ」 「な……にを……」  イスラが一歩踏み出すと、ベルフラウは押されるように一歩下がった。彼女を庇うよう にオニビが前に出るが、イスラは意に介さない。 「何を? わからない? だからさ、辛くなったんなら、彼をやめて他の誰かに乗り換え たらどうだいって言ってるんだよ。楽しくないなら、好きになったって仕方ないだろう?」  一歩を進む。一歩を下がる。 「誰かを好きになることは楽しいことさ。辛くなったらすぐに切り捨てて、別の誰かを好 きになれば、ずっと楽しい気分でいられる。そうだろう? ふふ、僕はスバルくんたちを お薦めするよ。だって、彼らは君と歳も近いからね」 「こな……いで」 「年上は……そうだね、やめておいた方がいい。ベルフラウ、君は子供だから。子供の君 なんて、彼らは本気で相手にしないからね。そう、おままごとに付き合ってくれるだけさ」 「来ないでって言ってるの!」  叫び、ベルフラウは矢を弦にかけて引き絞った。二人の間は数歩分も無い。射れば、確 実に当たる距離だ。それでも、イスラの顔から笑みは消えなかった。それどころか、優し い笑みはいつの間にか、嘲笑を含んだものに変わっている。  毒が、その口から放たれる。 「みんな同じさ。君を子供だと思ってる。――レックスみたいにね」 「オニビっ!」 「ビィー!」  カッと顔を紅潮させ、ベルフラウが矢を射った。同時にオニビがその身を巨大な炎に変 え、イスラの身体を飲み込む。  だが。 「あははははは! ベルフラウ、君だってわかってるはずさ。わかっているのに目をそら しているだけさ」  必殺の矢も、オニビの劫火も、イスラの<紅の暴君>の守りを破壊してその身を傷つけ ることはできなかった。  心底おかしそうに笑うイスラに、ベルフラウは唇を噛んで言う。 「何をわかったふうに……あなた全然わかってないじゃない」 「……なんだって?」  その強い視線と共に言われたひとことに、イスラが笑みを消した。  ベルフラウは、もう一度弓を構えながら、苦悩を隠しもしないで叫ぶ。 「辛いわよ。苦しいわよ。だけど、それでどうして先生以外の人を好きにならないといけ ないのよ。辛いくらいに好きなのは、先生だけなのに。苦しいくらい自分の欠点が許せな くなるのは、先生に対してだけなのに。そこまで好きになった人を、簡単に諦められるわ けがないのに!」  イスラの眉が跳ね上がる。それでもベルフラウは臆せずに言い放つ。 「私が欲しいのは、解決よ。あなたの言う――逃げじゃないわ!」 「……へぇ、解決?」 「きゃあっ」 「ビ、ビィー!」 「うるさいよっ」  <紅の暴君>が一閃して、ベルフラウの長弓が半ばから切断される。そのまま少女の胸 倉を掴んだイスラは、体当たりしてきたオニビを一喝の衝撃波で弾き飛ばした。  そして、イスラは苛立った顔で言う。 「じゃあ、教えてもらおうか。何が解決なんだい? 辛い思いをしてその人を好きでい続 けて、それで何が解決するって言うんだい?」 「それは……」  鼻が触れ合うほどの距離で睨まれ、ベルフラウは言葉に窮した。その答えは、少女が持 たなかったもの。誰かを好きで、だけれど自分への引け目がその好きを辛いものに変えて しまっていた少女が、必死に見つけ出そうとしていたもの。  沈黙したベルフラウに、イスラは勝ち誇った笑みを浮かべた。 「ほら見ろ。子供がわかったような口をきくんじゃない」  しかし、それは間違いだった。ベルフラウは沈黙し、考えていたのだ。イスラの考えは、 彼女には建前をかざした逃げにしか感じられない。ならば、どのようにすれば逃げではな いのか。  そして辿り着いた答えに、ベルフラウは一瞬呆けた顔になった。思わず、イスラが目を 見開いて驚いたほどに。 「そう……そうだったの。なんておバカ」 「何? 君、ベルフラウ?」  イスラが怯んだ隙を、オニビは見逃さなかった。背中から体当たりされたイスラは、つ んのめってベルフラウを放してしまう。自由を取り戻した少女は、魔剣を持つ男から距離 を取りながら、強い視線を向けた。 「『お手本』はすぐそばにあったんだわ。イスラ、あなたが大嫌いだっていう、先生の甘 い考えが私は大好き。最初は私も呆れたわ。馬鹿みたいって。だけど、信じて、理想を捨 てないで、少しでも理想に近づこうとがんばるその姿を、私は今大好きだって思ってる」  ベルフラウが手を空に伸ばす。木々の間から木漏れ日となって降り注ぐ日の光が、少女 の蜜色の髪を黄金のように、星のように煌めかす。  それは、可愛らしかった少女が、つかの間見せる美しい本質。迷いながらも、気高く、 一途に生きたいという、少女の心が表に出た美しさ。 「ええ、確かに私は子供かもしれない。でも、もし先生が私のことを子供としか見れない んだったら、私はすぐに大きくなるわ。アゼリアよりも、アルディラお姉さまよりも、い い女になるわ。私が先生に一番ふさわしい女になるの! だって私は――」  オニビが燃え上がる。小さかった炎を大きくし、空に向けたベルフラウの手の上で、か つて鬼妖界に置いてきた力の大部分を与えられたかのように、激しく力強い姿を取り戻し ていく。 「先生のことが好きだから!」  言葉が引き金となった。今や天を覆うほどにまで成長した炎が、巨獣の姿でイスラに襲 い掛かる。イスラは魔剣で身を守ったが、それでもその威力は消し去れずに、紅い光に包 まれた痩身が炎に飲み込まれる。 「ぐ、あぁぁぁぁ!」  それこそ、魔剣の所持者でなければ骨も残らなかったであろう劫火に、半身を半ば炭化 させたイスラが膝をつく。肉の焦げるむせるような匂いの中、すぐさまその不滅の肉体は 再生を開始したが、受けた痛手は瞬時に回復するほど生易しいものではなかった。  ベルフラウも、自分の使用した術の反動に肩を大きく上下させていたが、その表情は晴 れやかだ。雲の切れ間から覗いた太陽のように強い印象を与える瞳。  舌打ちし、イスラは<紅の暴君>の柄を改めて握り直した。 「舐めていたよ……君みたいな子供にこんな目に合わされるなんてね。しかも、いつか振 り向いてもらえるかもしれないから、努力する? 好きでい続ける? その間、ずっと苦 しい思いをしても? ――くだらない」  憎悪にも似た感情が、彼の瞳に宿る。九の憎悪と、しかしただ一つの迷いのようなもの が含まれた感情。 「苦しみの前に、綺麗ごとなんか何の意味を持つっ。あいつは明日にも別の女を選ぶかも しれない。その瞬間、君の想いは全部無駄になるんだよ!」 「無駄になんて、ならないわ。絶対にならない」  もはや、イスラの言葉は露ほどの動揺もベルフラウに与えはしなかった。イスラもそれ を感じたのか、顔を歪めて立ち上がる。  二人の視線がぶつかり合い、先に目をそらしたのはイスラだった。 「……君は、あの先生と同じくらい嫌な奴になったよ」  だが一瞬の後にはいつもの不敵な笑みを取り戻す。 「ふふ、これだけ想ってくれている子を目の前で殺したら、先生は僕をどうするかな? それでも僕を殺さないで、許すだとか言い出すと思うかい?」  愉快そうに笑い、イスラは背を向けた。そのまま、もう振り返らずに歩き出す。 「この場は生かしてあげるよ。後の楽しみのためにね。――もっとも、君がこの後生き残 れたらだけど」 「……え?」 「<紅の暴君>の覚醒で、かつてこの島を作った<無色の派閥>の亡霊が活性化している のさ。覚えがあるだろう?」 「あ……!」  ベルフラウは、以前<碧の賢帝>の力で目覚めた亡霊たちが仲間を襲った事件を思い出 した。確かに、同じ力を持つ魔剣ならば、同様の事態が起こるだろう。  火傷を負った身体を引きずるようにして歩きながら、イスラは笑う。 「あはははは。意図したことじゃないけど、面白い見世物にはなりそうだよ。特に、姉さ んがどんな顔するかな。亡霊たちは、使える死体があれば活用するからね」 「まさか!」  激戦の連続で、島には墓も作られていない遺体がいくつもある。その幾つかはイスラの 姉であるアズリア直属の帝国兵たちだ。  ベルフラウは、その事実を早く皆に知らせねばと走り出そうとしたが、消耗が激しく、 その足は一歩も動こうとはしなかった。それを予想していたのか、イスラは姿を消す最後 に付け加える。 「生き残れたら、また会おうか」  その意味するところ。  巨大な何かが森の木々を踏み荒らし、近づいてくる音を耳にし、ベルフラウは戦慄した。 視線を上げ、絶句する。  それは見上げるほどの、人の死体を組み合わせて作られた大きな人型だったからだ。                 5  キュウマが森中に鳴り響かせた笛の音に、一番最初に反応したのはレックスだった。ベ ルフラウを探し、カイルと共に行動していた彼は、ヤッファにも匹敵する速度で森の中を 駆ける。  やがて見えた光景は、この世のものとは思えないものだ。  周囲の木々よりも大きな、死体で作られた巨人。死体の数自体はそれほど多くはなく、 表面を覆う程度の数だ。だが、その内側を青白い亡霊たちの光が埋め、動かしている。言 うなれば肉の鎧をまとった亡霊だ。  その死巨人が、身体から動く死体や小さな霊をボトボトと地表に落としながら、先に辿 り着いていた仲間たちと戦っている。レックスの目を見開かせたのは、死巨人の手の中だ。 「ベルフラウ!」 「先生ー!」  捕らえられたベルフラウの姿を見た瞬間、彼の魔剣<果てしない蒼>は自動的にその力 を開放していた。レックスの赤毛が白く染まり、その身を澄んだ蒼い光が包む。その光に、 亡霊たちが悲鳴を上げた。痛い、苦しい、眩しすぎる。逆に仲間たちにとっては傷を癒し、 心を高揚させる温かな光。  勇気と希望に裏打ちされた、レックスの理想を貫くためだけの剣の放つ光に、ベルフラ ウは目を奪われた。 (これなんだわ)  それは蒼い空。蒼い海。太陽のある場所。生命を育む場所。懐広くて、温かくて、いつ だって彼女を迎え入れてくれる人。 (この人が、私は好き。この蒼さを、私は支えたい)  大それた考えかもしれない。彼に言ったら笑われるかもしれない。それでも逃げないで 言ってみようとベルフラウは思った。  思った直後には、彼の腕の中にいた。                 ※  レックスの魔剣での一撃が死巨人の腕を切り落とすと、そこから膨大な量の亡霊が溢れ 出した。ある者は半透明のまま、ある者は死体を操って生者たちに襲い掛かる。  帝国兵のビジュも、その中の一人だった。帝国仕込の剣技と召喚術で周りを薙ぎ払う彼 の前に、ヤッファが立つ。ヤッファの憑依を祓う力は、亡霊自体は無理だが、操られた肉 体を解放することができる。  だが、それを遮ったのが、ギャレオだ。彼は無言で拳を構えると、すでに人ではなくな ったビジュと戦闘を開始した。ヤッファはそれをしばらく見つめていたが、 「ま、そういうもんか」  ポリポリと頭をかいて、他の敵に向かった。  各護人や、海賊たちも昨日までの連戦を感じさせない活躍を見せた。  アズリアとクノンが前衛となってアルディラを庇い、彼女が大規模な機界の召喚術で一 度に大量の亡霊を消し飛ばす。  肉体を持つ死者たちはヤッファが祓い、マルルゥがその背をしっかりと守る。  ミスミとスバルの鬼の親子は薙刀と斧でまさに鬼神の戦いぶりを見せ、その防衛線を迂 回する敵は、素早くキュウマが迎撃する。  海賊カイル一家の面々はもとから集団戦に慣れており、近距離ではカイルが、遠距離で はソノラが、そしてかき乱された敵の背後をスカーレルが取り、ヤードが全体の補助と回 復を担当する。  そして、かつての仲間の亡霊と悲壮な戦いを繰り広げたのがファルゼンで、剛剣の一振 りごとに確実に一体の亡霊が消滅する。それは彼女なりの弔いの戦いのように見えた。  それらの戦いを、ベルフラウはレックスの腕に抱えられて見ていた。亡霊たちは死巨人 から際限無く溢れてくるようで、段々と皆にも疲労が溜まっていく。それでも誰一人絶望 しないのは、死巨人の前にレックスが立っているからだと、少女は理解していた。 「みんなの先生……ですものね」 「ベル?」 「なんでも――あ!」  呟きを誤魔化そうとしたベルフラウは、レックスが自分のことを愛称で呼んだことに頬 を赤くした。その朱はすぐに顔全体に広がり、白い首までが鮮やかに色づいた。  二人きりの時は、愛称で呼んで欲しい。  それは、昨夜彼女が口接けた際に彼に言い含めたことであり、彼がそれに忠実に従った ことは、意外なほどに彼女を狼狽させた。 「うう……こんなに嬉し恥ずかしいんなら、よしておけば良かったかしら」 「え?」 「な、なんでもありません! わ、私が単純だって話よっ!」  わけもわからず怒鳴られ、レックスは怪訝な顔をしたが、すぐに戦士の表情に戻って死 巨人に視線を向けた。その際、一度だけ腕の中の小さな少女を強く抱きしめる。  良かった、とレックスは安堵していた。ベルフラウが一人で出かけているというだけで 気が気でなかったというのに、さらに今回の事件が重なって、生きている心地がしなかっ た。 (宝物は肌身離さず持っていたい……とか子供っぽいとか言われそうだなあ)  教え子を相手に、顔を見るだけで力が湧いてくるだとか。時折見せる大人びた横顔にド キリとさせられるとか。今も、抱きしめていると、何とも言えない想いが胸に溢れてくる とか。  どれもこれも、彼女に告げたら笑われるだろうか。ずいぶんと格好良く彼女に告白を決 められてしまった手前、少年のような胸の高鳴りを教えてしまうのは怖いものがある。  だから今は、そばにいることで受け取る力を剣に込めて戦おう、とレックスは決意する。 「ベル、行くよ!」 「はい、先生!」  魔剣の蒼と、炎の赤が並んで走り出した。                 ※  レックスが剣を振るって念じると、空に無数の召喚門が開く。一つ一つから召喚される のは小型の召喚獣たちだったが、全て別属性という豪華さだ。相手の弱点を見抜くのでは なく、わからないのなら全部当ててみようという、魔剣の持ち主だからできる戦いだ。  雷に打たれ、ドリルで穴を穿たれ、水の刃で切り刻まれ、星の光に焼かれても死巨人は 怯まなかった。しかし、ベルフラウが放ったオニビの炎が炸裂すると身をよじって苦しみ、 より多くの亡霊を撒き散らし始める。 「火に弱いのか」 「先生、力を貸して!」  言うが早いか、ベルフラウは宙にその指を走らせた。複雑な文字を幾重にも重ね、言葉 を放つ。 「行くわよオニビ! 言霊呪滅式!」 「ビビビビィー!」  宙に刻まれた文字が、オニビの身体に転写される。その身体が空に舞い上がり、天へと 向けたベルフラウの手の上でオニビの本来の姿が顕現する。それは、イスラさえも後退さ せたベルフラウとオニビの最高の術だ。  だが、火勢は先ほどのものよりも弱い。彼女たちはすでに力を出し切っているのだ。そ こに、レックスが<果てしない蒼>の力を加えた。  名前の通り、どこまでも蒼い光が辺りを埋め尽くした。光は亡霊たちを圧し、死巨人を たじろがせる。そしてその光はベルフラウの身体に染み入り、残り僅かな力を最大限にま で増幅させてくれた。 「これが先生の力……今は、私だけの力」  赤に混じる蒼。前に立つ蒼に、後ろで支える赤。大人のレックスに、子供のベルフラウ。 どれもこれも違うものだけれど、案外上手くやっていけるのではないか。不意に少女はそ う思った。今は可愛いで良い。綺麗にはこれからなるのだ。大人になってなるのだ。  そう、今は迷いも不安も何も無い。 「い、けぇぇぇぇ!」  天まで届く炎の柱が、呪われた死巨人を焼滅させた。                 結 「結局、引き止めなかったアニキが悪いんじゃん」 「俺かよ!?」  一連の騒動が終わると、そのような冗談が飛び出すくらい皆が表情を明るくしていた。  ベルフラウの外出に関しては、別にそれ自体は悪いことでも何でもなく、時期が悪かっ たということになった。彼女はお騒がせしてすみませんと謝ったのだが、ソノラ曰く、 「いいよ。悪いのアニキだし」 「俺かよ!?」  スカーレル曰く、 「いいのよ。悪いのはセンセだし」 「俺なの!?」  ということであった。ちなみに、ヤードはどちらにも同感の意を示していた。  その他にも色々と迷惑と心配をかけたベルフラウは、まずはアルディラに謝りに行った のだが、彼女は逆に謝罪し、恋人でもあったマスターとの思い出話を聞かせてくれた。少 し刺激が強すぎる内容が含まれており、大変勉強になったと後にベルフラウは語る。  同じラトリクスに住んでいるアズリアは、廊下ですれ違ったベルフラウの肩を無言でぽ んぽんと叩いた。ベルフラウはびっくりしたが、手を振って去っていく彼女の姿に感じる ものがあって、不思議と感謝したい気持ちになった。余談であるが、後日ベルフラウは彼 女から軍学校時代のレックスの失敗談を大量に仕入れることになる。どういう共感があっ て二人が仲良くなったのか、レックスは首を傾げることになるのだが、それは彼が鈍いせ いだろう。  事件で利用されてしまった遺体は、ギャレオの希望で共同墓地に埋葬されることになっ た。ビジュの身体との戦いを一身に引き受けた彼は、黙して多くを語ることは無かった。  ベルフラウがイスラと出会っていたことに関しては全員が驚いたが、それは最後の決戦 が近づいたことを彼らに知らせることとなった。イスラは島の北東にある<喚起の門>を 目指しており、決戦はそこで行われるだろうというのが大方の見解だ。  そして──。                 ※  夕日に染まる海岸を、ベルフラウはレックスと歩いていた。  背の高い彼の腕を取り、歩幅を合わせてもらって、ゆっくりと散歩。ちらりと横を見て、 二人の影が交じり合って一つになっていることに、ベルフラウは今朝の夢を思い出してク スリと密かな笑みを浮かべた。 「二人でお散歩に行きましょう」  と言い出したのはベルフラウの方だ。その言葉に思いの他動揺して赤面するレックスを、 カイルとソノラが蹴飛ばして船の外に送り出したのである。  こっそりと見上げた彼の頬は夕日だけでなく染まっており、夢の中の落ち着いた素振り は一切無い。だけれど、絡めた腕は夢の中の彼よりもずっと温かいと彼女は思った。  さりげなく言うことができたのは、雰囲気のせいだろう。 「先生」 「うん?」 「私、先生のことが好き」  心は穏やかに、それでも胸の鼓動は激しく、ベルフラウは言った。同時にさらに身を寄 せると、レックスが足を止めて頷いた。 「……うん」 「わ、反応薄いわねっ」 「い、いや、だって慣れてないから!」  途端に少女が目を吊り上げると、レックスが焦ったように弁解する。それが嘘ではない ことをジッと見て確認すると、ベルフラウはよろしいと頷いた。彼の仲間たちがその様を 見ていたら、笑っていたことだろう。思わず、レックスは自分で苦笑してしまった。 「先生?」 「いや、尻に敷かれるのかなあって」 「誰が……って、あ」  またもや怒りかけたベルフラウだったが、その言葉の意味することを悟って口を噤んだ。 照れた顔で見下ろしてくる青年の視線に、そらしたことのない少女の視線が思わず逃げる。 「ベル」 「は、はい!」  両肩に手を乗せられ、ベルフラウは上擦った声を上げた。反射的に上げてしまった顔に、 不意打ちのようにレックスの顔が重なる。 「!?」  たっぷり十秒ほど、少女は石化した。  次に、徐々に赤面し、茹でタコのような顔になって砂浜にへたり込む。風が、少女の帽 子を舞い上げていった。 「君が好きだよ、ベル」  それは幻聴だったのか、そうでなかったのか。  手を差し伸べてくる彼に、ベルフラウはようやく精一杯の不満顔を浮かべることに成功 した。 「……何が好きよ」  スルリと手をかわし、少女は青年の胸に飛び込んだ。  今だけは彼女のためだけにある、広くて温かい胸。蒼い心の収まるところ。 「私は、先生のこと大好きなんですからね」  夢ではないのだけれど、夢見心地で彼女はそう言うのだった。                                了