サモンナイト3 レックス×アズリアSS 『きみの名を呼べば』            第一話「アズリア」  公私問わず無数の船舶が行き来する帝国海上の要所、工船都市パスティス。  貴族たちが居を構え、最先端の技術が常に施される絢爛の帝都ウルゴーラとは対照的に、 パスティスは港独特の様々な地方の人間の交流が生み出す雑多な――それこそ猥雑とさえ 言える――活気が印象に残る街だ。  その名の由来にもなっている、工船場を備えた世界最大の港には、今日も無数の商船が 舳先を揃えて並んでいる。碇を下ろす商船の旗が潮風に揺れる向こう側、少し離れた海上 には、数隻の帝国軍艦が停留しており、この港街を統治する帝国の存在感、そしてそれに 裏打ちされた安全を強調していた。  そのようなパスティスであるが、今朝は常よりも一段と華やかな空気が漂っていた。早 朝の漁の成果たちの生臭い匂いを払拭するのは、まだ未熟も良いところの蕾の気配。桜の 季節の訪れを、陸地に疎い船乗りたちにも知らせる、帝国軍学校へと入学するために訪れ た少年少女たちの姿だ。  帝国軍学校。パスティスの名を工船以外で語る場合は、このひとことに尽きる。軍事力 を以ってして覇を唱える帝国の、文武に秀でる優秀な士官たちを養成する、帝国――否、 世界一の教育機関だ。  そこで十二歳から十八歳の卒業までを過ごした者は、軍人にならずとも、各方面で多大 な貢献を果たす能力を身につけることができる。もちろん、厳しいカリキュラムを消化で きてこそだが、特筆すべきは未消化者、つまり卒業までの脱落者の数が極めて少ないこと だ。それは軍学校の講師陣の手腕もあるのだろうが、何よりも入学者に対する門戸の厳し さが挙げられる。  何せ、帝国の未来を担う青少年を育成するのだ。学問、品性、意志まで、あらゆる点で 基準を越えた者しか入学を許されない、狭き門なのである。そこには身分の優劣すら存在 せず、どれほどの有力者の子息であろうとも、正しく試験を乗り越えなければ門の内を見 ることはできない。だが、それだけ難度の高い試験だけに、一般の子供たちが独学や学習 塾程度の勉強で入れる学校でも無くなってしまっていた。  故に、主な学生は裕福な家庭の勤勉な子供ということになる。パスティスがこの時期華 やぐのは、新たな幼い子供たちの到来と共に、その着飾った親たちが街に落としていく金 銭によるものなのである。  ――さて。  深く蒼い海から、厳しかった冬の面影が消えていった小春日和の今日この頃、街でも最 高級に位置するホテルのロビーで、その少女は昨夜数ヶ月ぶりに顔を合わせた父親の前に 立っていた。  他数組の親子がソファに座って語らっている中でも、その親子の姿は格別に目立ってい る。他の者たちがいかにも貴族や有力商人といった鷹揚な空気を纏っているのに対し、そ の父親は厳格で微笑むには硬い頬と、座ってなおピンと伸びた背筋という真っ直ぐな―― 軍人の佇まいを持っており、その娘もまた、入学式の晴れ着に着飾っておきながらどこか ムスッとした、近寄りがたい雰囲気をかもしだしていたからだ。  いや、娘の方はそうでもないかもしれない。  背中の半ばまでの漆のように艶やかな黒髪で、墨のように混じり無い、黒玉のような瞳 を持つ少女は、その高貴な身分の子女に似合わない日焼けした手で前日に送られてきた上 質紙を握り締めていた。  内容に不満があるのか、引き結んだ唇に力が入っている。  それには父親も疑問に思ったのか、肉刺を潰しすぎて硬くなった指で自分の顎を撫でな がら尋ねる。 「どうした、アズリア。せっかくの入学式にしかめっ面で」  静かだが、思わず耳を傾けずにはいられない深みのある声。責任のある立場の者にしか 身につけることのできないその声で促されて、少女――アズリアは真逆の子供らしい高い 声で応える。 「挨拶が半分しかないの」 「ん?」 「入学式の新入生総代挨拶の原稿が、半分しかないの。後半は別の子が読むんだって」  意味をはかりかねた父親に、アズリアは続けて補足する。  その言葉を吟味した父親は、 「そんなことか」  拍子抜けしたのか、広い肩をすくめて足を組む。それに少女は頬を膨らましかけたが、 「回って見せてくれ。娘の晴れ姿をな」  言われて、渋々とその場で横にゆっくり回転してみせた。  軽く手を広げて、一回転。着ているのは、これから通う軍学校の制服だ。帝国の軍服が そうであるように、軍学校の制服もまた白を基調としている。  ブラウスにベストを合わせ、ブレザーでまとめたシンプルなデザイン。左胸には筆と剣 を意匠化した、軍学校の校章がついており、ネクタイや袖口のワンポイントには、学年色 である青が用いられていた。  完全無欠の、卸したて新一年生である。  しかし、我がことのように満足そうに頷くのはアズリアつきの女中であり、父親の方は 目を細めた以外目立った反応は見せなかった。それでも、生まれてからずっと付き合って きた身内の性格を熟知している少女は、それに不満を述べることはなかった。 (父上は無骨者だから)  母がことあるごとに口にする言葉を、アズリアは言葉にせずに呟いた。それよりも、口 惜しさを理解して欲しい思いがさらに先程の話題を強要する。 「私と同じ点を取った子がいるみたいなの」 「そうか」  だが、父親はまともに取り合わない。総代に選ばれるということは、入学試験に於いて 最高の成績を出したということだ。筆記試験、面接試験、両方で最高の手ごたえを得てい たアズリアとしては、納得であり、自慢の結果だ。  そもそも、自分ほど努力した者などいないと少女は幼心に思っていたりしたのだ。  年頃の子供たちがするような遊びなど一切手をつけず、それこそ寝食を惜しんで勉強し た一年間だった。家庭教師たちは誰もが彼女の総代入学を確信し、絶賛した。  ――余計なひとことと共に。 「……父上も、私が『男』だったら、レヴィノスの家の名誉のために怒ってくれたの?」 「アズリア」 「べぇー!」  ピクッと眉を動かした父親に、アズリアは思い切り舌を突き出してそっぽを向いた。そ のまま、ホテルの出口へと歩いていく。  父親が手を挙げると、そばに控えていた二人の男が了解して少女の後をついていった。 そして、彼は表情を変えないまま硬い指で顎を撫でる。 「…………」  沈黙は、息をつかないため息のようにも感じられた。                 ※ 『これでお嬢様が男の子であったならば、レヴィノス家も安泰だったでしょうに』  レヴィノス家――軍部の力の強い帝国ならではの、軍閥貴族の名門。紳士録にも名を連 ねる、成り上がりではない本物の貴族だ。男子は代々軍の要職を任され、その発言力は帝 国の運営にまで影響する、知らぬ者のない家名である。  アズリアは、そのレヴィノス家の長女として生まれた。それは何の問題も無い。男子が 望まれる相続系であるが、女子が軽んじられるわけでもないからだ。  彼女に遅れて数年で待望の男子も生まれ、レヴィノス家は磐石を絵に描いたような幸せ を手に入れた。  厳しいが家族想いの父。  おっとりしているが父不在の屋敷を見事に切り盛りする母。  やんちゃを絵に描いたような姉弟。  明日も幸せなことを信じて眠りにつけたあの頃を、まだたったの十二歳であるアズリア は懐かしく思う。  何の憂いもなかったレヴィノス家。  それを打ち壊したのは――。 (……負けられないっ)  小さな歩幅でパスティスの街並みの中を進みながら、アズリアは懐にしまった挨拶文に 意識を向けた。それほどにこだわってしまうのは、自分の後に挨拶を読むと書かれてあっ た『男の子』の名前のせいだ。  そう、負けられない。 (男の子には、絶対に負けられないんだから!)  ――弟を、守るために。                 ※ 「遅かったな」  入学式のために軍学校の門をくぐったアズリアを待ち受けていたのは、馬車から降りた 父親、レヴィノスの姿だった。  予定通り馬車でやって来たらしいレヴィノスに、飛び出してきたアズリアはバツの悪い 顔で腰の後ろで腕を組む。  不満顔を一つ。 「一生懸命急いだもの」 「結果は私の方が先に到着している。努力よりも大切なのは効率化だ。覚えておけ」 「……はい」  まるで親子の会話ではないが、どこか上司というか教師というか、そういう雰囲気のあ るレヴィノスであれば不自然さは無い。アズリアも自分が幼い癇癪を起こしたことは理解 しているので、深呼吸を一つして父の前に進み出た。 「ごめんなさい」 「肩の力を抜いておけ。軍学校の総代程度で、レヴィノスの名はどうにもならない。お前 が勝負を挑むのは、もっと大きなものだ」 「はい」  その言葉に、アズリアは表情を明るくする。気の無い対応は、男女の違いのせいではな く、それが本当に瑣末なことでしかないからだったのだ。  同時に、自覚して背筋が冷たくなるのは、自分がレヴィノス家のために全力を尽くして 得たものなど、欠片の価値もないものだとわかったからだ。  合格通知の時の喜びが滑稽に思えてしまう。 (よし)  とアズリアは両手を広げ、それを見下ろした。  肉刺が潰れた手。同年代の少女――否、少年でもそんな手はしていないだろう。  握れば、まだ固まり切っていないそれはジクリと痛む。 (こんなの、序の口ね)  そんな娘。悲壮とも言える表情を浮かべる子供に、レヴィノスは一瞬いたたまれない光 を瞳に宿したが、すぐにそれは誰にも気づかれずに無表情の中に消えていった。  そして。 「行くぞ。挨拶、楽しみにしている」 「うん。任せて」  ようやく、二人は親子らしい会話で共に歩き始めた。                                   了