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サモンナイト3 レックス×大人アリーゼSS
「スペシャルED 楽園の唄」




                1


 最近アリーゼの態度がよそよそしい気がする。
 ランプのつまみを絞って光量を落としながら、レックスはそう考えていた。
 ユクレス村にある彼の家には、光源となるランプが三つしか用意されておらず、そのう
ち一つが現在扱っている彼の部屋用のものだ。小さくなった炎の光に照らされた部屋は夕
焼け色で、青年の赤毛もその色の中に溶け込むような色彩となっている。
 レックスの部屋は、食堂兼任居間となっている空間と布一枚隔てただけの場所だった。
家は板も張られていない地面が露出した床の、竪穴式住居だ。家自体が一つの部屋という
作りの簡素なもので、個人の部屋のような場所は天井から下げた分厚い布で仕切る。
 ちなみに、今のところ個人用の部屋は二つ。レックスの部屋と、同居するアリーゼの部
屋である。
 深夜に近くなった時間、家の中にはレックスのランプしか明かりは無かった。居間の窓
から入り込んだ月光が床を照らしているくらいで、彼以外の人の気配は無い。アリーゼの
部屋は、もぬけの空だ。
(夜遅くまで、何しているんだろう……?)
 この一週間、アリーゼは夜になると家を空けてどこかに出かけていることが多かった。
昼間はレックスと一緒に島の子供たちに勉強を教え、他の時間は畑仕事をするレックスの
代わりにテストの採点などをしてくれている。炊事洗濯は二人の交替制で、しかし最近は
アリーゼが進んで当番になる日が増えてきた気がする。
 軍学校を卒業した彼女が島に戻り、かつての家庭教師と教え子として同じ家で生活する
ようになって二年。これまでの流れを思い出し、レックスはそれらが『順調』という以上
のものを見出させないことに、むうと腕を組んだ。
(無意識のうちに彼女が怒るようなことをしていたとか……)
 それこそ無意識なら気づきようも無いが、とりあえず悩んではみる。
 アリーゼが怒っている姿というのは、結構簡単に思い出せる。
「もうっ。先生ったら、まだその服を着ていたんですか? 裾のところが磨り減って駄目
になっちゃってるんですから、街への買い出しの時に新調しておいてって言ったじゃない
ですか! 替えを用意しますから、脱いじゃってくださいっ!」
 つい先日も、そのような出来事があった。
 子供の頃なかなか人に打ち解けようとしなかった引っ込み思案な少女は、しかし一度心
を許した相手にはかなり世話好きで説教好きだ。その落差にレックスも目を白黒させた思
い出があったが、成長して戻ってきた彼女はさらにその度合いを増していた。
「洗濯が面倒だからって昨日と同じものを着たら駄目ですっ」
 とか言われて、無理矢理服を剥ぎ取られたりだとか。
「休日に寝てばかりだなんて、生徒たちがまねしたらどうするんですか。ヤッファさんを
誘って釣りにでも行って来てください」
 とか言われて、掃除をする彼女に家から叩き出されたりだとか。
「そもそも先生はつき合いが良すぎるんです。学校の先生をして、お野菜の世話をして、
子供たちと一緒に蓮沼で遊んで、ヘルモグラ退治をして、毎日集落を回って、最後にマネ
マネ師匠の相手をしていたら、誰だって身体を壊しますっ。特に最後のは今後自重してく
ださい。マネマネ師匠は、先生が駄目なら他の人を誘っていますから!」
 何度言われても改まらない生活習慣に、ついに彼女が癇癪を起こしてほとんど息継ぎ無
しに怒鳴り散らしたりだとか。
 アリーゼの言葉や表情には、いちいち「先生が心配なんです」と書かれていて、レック
スは肩身が狭くて仕方が無い。こうまで注意される部分が多いと、実は自分の方が生徒な
のではないかと錯覚してくる。
 ヤッファ風に言うならば、
「尻にしかれてんな」
 ということであるが、マルルゥの尻にしかれている彼に言われたくはなかった。
 ともあれ、アリーゼが怒るのはそう珍しくはないのだが、彼女の怒りは瞬間的なものが
多く、後を引く類のものではない。それが一週間もよそよそしく、夜に理由も告げずに出
かけているとあれば、レックスは気が気でなかった。
「う〜ん……」
 だが考えてみても、一週間ほど前に何か彼女の機嫌を大きく損ねるようなことをした覚
えは無い。
(原因が俺に無いなら?)
 発想の転換。
 直後に出た答えに、彼は額を押さえて寝台に寝転んだ。実に真っ直ぐな、わかりやすい
想像をしてしまった。
(アリーゼも、もう年頃だしなあ)
 恋人の一人や二人――いや、二人いたら問題なので無しとして、一人くらいはいてもお
かしくはない。ユクレス村や風雷の郷には、レックスの目から見ても女子に騒がれそうと
わかる青年たちもいる。異界の者同士の婚礼も例が無いわけではないので、不思議な話で
はないだろう。
「はあ……」
 別にそうと決まったわけではないのだが、青年は重いため息をついて自分の赤毛を掻き
上げた。なんだか、身体中の力が抜けるような気がした。寝転がったまま寝台に沈み込み、
そのまま地面の中に落ち、這い上がれなくなるのではないか。そのような落下感。
 どうにも、アリーゼと恋人のいる女という言葉を頭の中で結び付けようとすると、心が
拒否反応を起こす。世界が彼を裏切ったかのような思いがした。そんなはずはないのに、
と考えてしまう。
(まだ子供……だって思ってたんだな)
 美しく成長し、島に戻ってきた少女。彼の肩にも届かなかった身長は、彼の鼻の高さほ
どにまで伸び、子供っぽく二つに結っていた髪を解いて流した彼女は、目を見張るほどに
魅力的だった。聖母を思わせる穏やかな表情に、子供たちのやんちゃを微笑ましく見守る
瞳。縁無しの眼鏡を引っ掛けた様は、知的な美女の雰囲気も彼女に与えていた。女性らし
い起伏に富んだ肢体は瑞々しく、若さと成熟を併せ持ったその姿を、島の青年たちが熱い
眼差しで追っているのを、レックスは知っていた。
 それでも、アリーゼはレックスにとっては、まだ小さな子供のままだったのかもしれな
い。出逢った日に守ると約束した、彼の初めての生徒。幼かった彼女の笑顔も、涙も、ま
だ昨日のことのようにレックスの胸の中にある。
「はあ……」
 ため息。
(娘を嫁に出す父親ってこんな気持ちなのかな……)
 実の父親を差し置いて、そのようなことを考えるレックスなのだった。

 結局、アリーゼが家に帰ってきたのは、レックスが寝付いた後のことであった。

                ※

「しばらく、青空学校をわたし一人に任せてもらえませんか?」
 そのことをアリーゼが言い出したのは、レックスが『アリーゼに恋人がいる説』を生み
出した翌朝のことだった。彼よりも早く起きて朝食の用意をしていたアリーゼの姿に複雑
なものを感じていたレックスは、いきなりのそれに自分の耳を疑った。
「一人でって……君が一人で全部の授業をやるってことかい?」
「はい。力不足は承知してます。でも、一生懸命やりますから」
 背すじを伸ばして行儀良く椅子に座り、アリーゼは朝食の席についたレックスを真正面
から見て言った。その瞳に、自分が初めて教壇に立った時と同じような意気込みを見つけ
たレックスは、慎重に言葉を選んで尋ねる。
「それは、自分の力を試してみたいってことかな?」
「それもあります。でも……その、一番の理由は話せないんですけど」
 途端に困った顔で、アリーゼは首をすくめる。その様子はまるで子供の頃のままで、言
えないことを抱えた申し訳ない気持ちがそのまま表われている。
 ふむ、とレックスは頷いた。
「わかった。君が話したくないなら、それでいい。君ももう立派な教師だ。俺が教師を始
めた頃より、ずっと上手くやれるさ」
「そんな……先生みたいにはいきません、きっと」
 眼鏡の奥で小さくはにかんで、アリーゼは両手を重ねて胸に当てた。その仕草はやはり
幼い頃からの癖で、レックスは小さな少女と目の前の女性との落差を埋めるのに苦労した。
「先生みたいな教師になるのがわたしの夢で……それでこの島に来たんです。その一歩を
踏み出したい。その時は今しかないって、そう思うんです」
「うん……それで、一人で?」
「はい」
 興奮に頬を染めて頷くアリーゼに、ではそのきっかけとは、一番の理由とは何だろうと
首を傾げた。
 だが、詮索するのも失礼な気がして、止まっていた朝食の手を再開する。
(この子は、もう大人なんだ)
 一人前の教師となる一歩を、先輩の目で見守っていこう、と青年は決意した。
 が。
「あ、それと……出来れば、先生にはわたしの授業を見ないで欲しいんですけど」
「な……っ!?」
 愕然と、レックスは再び食事の手を止めた。今度は、最初の驚きの比ではない。ガツン
と殴られたような衝撃があった。
 呆然とするレックスに、アリーゼは本当に申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんなさい……っ。本当に、理由は言えません。けど、ゲンジ校長にはしっかり見て
いただきますから、それで納得してくださいっ」
 ひしひしと伝わったのは、アリーゼの真剣さ。
 理由は言えないが、それはレックスがいてはいけないことなのだ。
 だから、レックスは納得することにした。アリーゼはレックスの大事な生徒だ。その彼
女のことを信じられないはずがない。
「……わかった。俺は、顔を出さないよ」
「ありがとうございます!」
 信用してもらった。その喜びが、アリーゼの顔から溢れ、笑顔になる。
 複雑な思いながら、レックスはその笑顔に自分の胸も安らぐのを感じた。彼女が笑って
くれれば、それで良いのではないかと、そう思える。
 すると、アリーゼが付け足す。
「一週間……それだけ待ってください。一週間後に、結果を見せられると思います。その
……夜に出歩いていることとか、そういうのも含めて」
 最後の部分は、気まずそうに言った。
 それにもレックスは「うん」と頷いた。アリーゼの考えていることはわからなかったが、
願われるならば自分はそれに応えなければならない。
 それが教師なのだ、と彼はこの時本気でそう思っていた。





                2


 それからの数日間、アリーゼの姿はまさに元気はつらつという言葉が似合うものだった。
 朝はレックスより早く起きて朝食の朝食の準備を済ませ、朝のスープの香りにレックス
が目覚める頃には、彼の昼の弁当まで用意している。黒板を始めとする重い教材を、彼女
がその小柄な身体で運ぼうとしてふらついているのを見る度にレックスは手を貸したくな
ったが、それはしない約束になっていたので堪えた。
 レックスが午前中の畑仕事を終えて、ユクレス村の亜人たちと一緒に切り株に座って弁
当箱の蓋を開ければ、そこには食材で作られたレックスの似顔絵。その日の収穫を入れた
籠を背負って家に戻ると、学校の昼休みを利用して戻ってきていたらしいアリーゼが残し
た、野良着で帰ってくるレックスのための着替え一式。
 授業を終えて帰ってくると、すぐに洗濯物を取り込んでから、生徒たちの提出物の採点。
手早くそれを終えると、今度はその日あった問題点についてレックスに助言を求める。よ
うやく自分の出番かと彼が張り切ると、その問題は本当に小さなものでしかなく、彼女の
授業が想像よりもずっと上手くいっていることをレックスに教えた。
 それからも、アリーゼは夕飯の準備や縫い物を一人でこなし、手伝おうとするレックス
の背中を押して家から追い出した。
「夕飯まで遊んできてください」
「あ、遊んできてって……」
 言われても困る。
 当てもなくレックスが散歩していると、同じように浮かない顔で歩いているヤッファを
見つけた。ユクレス村の護人はレックスを見て何かを感じたようで、二人は無言で頷いて
釣りを楽しむことにした。川魚は夕方に餌を求めて動き出すものが多いので、ぼーっとし
ているだけでも結構釣れた。
 尋ねると、ヤッファも妙に張り切ったマルルゥに庵から追い出されたらしく、二人はた
め息をつきながらお互いに同情した。
「たいした世話女房ぶりじゃねえか」
「うん……知らないうちに怒らせていたって線は無くなったからホッとしてるんだけど、
なんだか張り切り過ぎていて。今はいいけど、そのうち疲れてしまうんじゃないかって、
見ていて心配だよ」
「そりゃ、お前が言えることじゃねぇな」
「う……」
 痛いところを突かれ、レックスは苦虫を噛み潰した顔になった。アリーゼに働きすぎだ
と叱られていたのは、彼自身だ。そのような彼が注意しても、果たして彼女は聞く耳を持
つだろうか。
「そこは……ヤッファが言ってくれれば少しは聞くかも。学校のこととかは仕方ないけど
さ、俺の食事の世話とかは、ほら、別に子供じゃないんだしなんとかなるし」
「ばーか」
 並んで河原の岩に腰かけていたヤッファの大きな手に、頭を小突かれる。
「お前の世話も含めて、あの娘は好きでやってるんだろうよ。それをオレみてぇな年寄り
が止めるわけにはいかねぇだろうが。好きでやってることはな」
 『好き』を強調して言われ、レックスはううむと考え込む。
 確かにアリーゼは世話好きだしなあ、と。
 思った瞬間、ヤッファがもう一回彼を小突いた。今度は少し強めだ。
「い、痛ぁ」
「ばーか」
 呆れを含んだ言葉に、レックスは釈然としない顔をするのであった。
 そして、食べられる魚を四匹ほど抱えて家に戻ると、待ってましたとばかりにアリーゼ
がそれをさばいた。食卓に並べられることになった魚のうち三つはレックスが食べて、ア
リーゼは彼の健啖さに微笑みを見せて、一匹だけを食べた。
 空に月が昇り、星が瞬くようになると、一日の疲れを癒す入浴の時間となる。ユクレス
村では風呂というものは無く、井戸水で身体を洗う程度。寒い季節だけ沸かした湯を使う
といった程度であったが、レックスはアリーゼのために家の裏に簡単な風呂と言えるもの
を作っていた。
 基本は大きな木樽で、底の部分が鉄板となっている。樽の下で火を焚いて水を温めて湯
にする仕組みで、そのままでは中に入れないので、鉄板の上に落し蓋をして浸かる。
 レックスの家には、裏に繋がる扉が玄関の他についていて、風呂をちょうど良い温度に
沸かしたレックスと入れ替わりにアリーゼが外に出る。風呂の周りには充分な広さを取り、
布で外界との間に仕切りを立てているため、覗かれる心配もなかった。
 アリーゼが入浴に行ってしまうと、レックスは一人居間で読書を始めるしかない。本を
読む時だけかける眼鏡を取り出すと、ふとテーブルの上に置いてある自分のものではない
眼鏡に気がついた。
「そういえば、アリーゼも目が悪くなっちゃったんだな」
 薄暗い光源で毎夜遅くまで読書している自分の影響かもしれない。苦笑して、レックス
はその眼鏡を手にとって、度を確かめるように目の前にかざした。
「あれ?」
 眼鏡越しの視界に、何の変化も無かった。試しに文庫本の文字に目を落とすが、文字は
ぼやけたままだ。レックスの視力に対して度が足りないというよりも、度そのものが無い
ようだった。
「伊達眼鏡?」
「すみません、先生。洗髪剤を取ってもらえますか?」
「う、うん」
 まるで眼鏡に触れたことを咎められたような気がして、レックスは少し動揺して扉越し
の声に了承を返した。さすがにアリーゼも疲れていたらしく、しっかり者の彼女にしては
珍しく忘れ物をしたらしい。
「失礼」
 と呟いてアリーゼの部屋に入ると、レックスはおぼろげな記憶を頼りに洗髪剤の瓶を探
した。長い髪の毛を痛まないようにするには必須なのだと、アリーゼに見せられたことが
あった。
 年若い女性の部屋を覗くことは、同じ家に住んでいるとはいっても罪悪感があり、レッ
クスは出来るだけ余計なものを目に入れないようにと努めたが、それでも家の作りに不似
合いな明るい色合いの寝台のシーツや、その上に置かれた寝巻きなどが視界に飛び込んで
くる。彼女の愛読する少女小説も目に入り、それと一緒に枕元に置かれた小瓶に、レック
スはホッとして手を伸ばした。
 と。
 目当てのものを見つけて気が楽になったせいか、それまで気づかなかったものに彼は気
がついた。それは機界集落ラトリクスの機材で撮ってもらった、一枚の写真だ。
「あ……」
 写真の中で微笑む、数年前の自分。海を背景にして立つ彼の隣には、まだ子供のアリー
ゼが並んでいた。精一杯お澄ましをして、だけれど頬を林檎のように赤く染めてこちらを
見つめている少女。その右手は青年の袖を遠慮がちに掴み、身体は緊張にしゃちほこばっ
ていた。
「そうか……こういうふうに見えていたのか」
 思わず苦笑してしまうのは、どうしてか。ああ、自分は鈍いのだ、とわからされてしま
った。
 少女は、隣にいる青年のことが好きなのだ。そばにいるだけで顔を染めてしまうほどに、
大好きなのだ。それは決して一教師に対する好きではなく、異性として意識した相手に対
する、恥ずかしいほどの初恋の好き。
 ――では、今は、どうなのだろう。
 不意に浮かんだ考えを、レックスは頭を振ることで払った。あれから何年経ったと思う
のか。幼い少女が身近な頼りになる年長者に向けていた想いが風化するには充分な時間だ。
(そもそも、もう先生って感じじゃないしな……)
 大人になったアリーゼは、彼と同じ教師になった。教えたいことはまだたくさんあった
が、教え子というよりは同じ道を志す後輩といった感じだろう。
「あの……見つかりませんか?」
「あ、ごめん、見つかったよ」
 部屋の主の声に、レックスは青い小瓶を掴んで写真から目を外した。思索に浸るには、
他人の部屋というのは適当ではないだろう。小走りに裏手口へと向かい、少しだけ開いた
扉から顔を半分覗かせているアリーゼに、頼まれた物を差し出す。
「これで良かったよね」
「はい。その……部屋散らかっていて、すみません」
「アリーゼの部屋が散らかってるなら、俺の部屋はゴミ箱だよ」
 頭から湯を被った後に洗髪剤が無いことに気がついたのか、アリーゼの髪は湿り、小瓶
を受け取るために伸ばされた腕からも温かい水滴が滴り落ちていた。頬も上気していて、
普段清楚な彼女からは想像も出来ない色気があり、レックスは少し怯んだ。
 アリーゼは子供ではない。それを強く意識した。
「あ」
「あ……」
 それがいけなかったのか、受け渡しの際に軽く指が触れて、レックスは思わず手を開い
てしまった。床に落ちた小瓶が割れて、二人はほぼ同時に破片を拾おうとかがみこんだ。
「ア……アリーゼっ」
「え? あ、きゃあっ!?」
 扉を開け、真正面から向かい合う形で。
 反射的にそうしてしまったアリーゼは、バスタオル一枚身体に巻いただけの自分の姿に
赤面した。レックスは慌てて背中を向けるが、一度見てしまったものは忘れようが無い。
「うう……み、見ました?」
「ご、ごめん」
「せ、先生は悪くないです。わたしの不注意ですから! ご、ごめんなさい」
「でも、瓶を割ったのは俺だし……ごめん」
「でもでも、そもそも洗髪剤忘れたのはわたしですからっ。ごめんなさい!」
 レックスもアリーゼも、耳まで真っ赤になってお互いに「ごめんなさい」をする。だが、
その滑稽さに気がつくと、二人は同時にぷっと吹き出した。
「今度、街に出た時に弁償するよ」
「は、はい」
 互いに照れ笑い。同じように真っ赤でも、違うのはレックスからはアリーゼは見えない
けれど、アリーゼからは朱に染まった彼の耳が見えてしまっていること。
 そのことが随分不利なことに思えて、レックスは急いで話題を作る。
「そ、そういえば、眼鏡に度は入ってなかったんだね」
「あ……はい。伊達なんです」
 慎重に破片をつまんで掌に乗せながら、アリーゼは言う。はにかんで、視線を地面に落
として告げるのは、明確な答え。
「先生のマネなんです。少しでも近づけたらって……変ですか?」
「い、いや。似合ってる、と、思うよ」
「ふふ」
 しどろもどろに応える青年の背中に、アリーゼははにかみを深める。思うのは、夜とい
うのは口を軽くするものなのかもしれないということ。そう、子供の頃、星空の下で二人
様々なことを語り合っていた時のように。
「実は、それも建て前なんです」
「アリーゼ?」
「軍学校の宿舎で一人で夜を過ごす時、心細くて寂しくて……この島のこと、先生のこと
ばかり考えてました。先生の写真とか……ふふ、授業で描いた、自分の下手な先生の似顔
絵とか眺めていたんですよ、わたし」
 何と言って良いのか、レックスが迷っていると、
「あの眼鏡も、そういうことなんです。いつも身に付けられるもので、先生を感じさせて
くれるものってことで……本当の理由は、そういうことなんです」
 破片の最後の一欠片を、拾い上げる。
「眼鏡が……先生がいつもそばにいてくれたから、わたしは軍学校も卒業出来たんです。
駄目ですよね、全然独り立ち出来てないんです。泣き虫だった頃と、全然変わってないん
です」
 もう自分が先生なのに、と綺麗にまとめる。世間話のようにまとめる。だけれど、彼女
が実際に何を伝えたかったのか、にぶいレックスにもさすがに察することが出来た。
 彼女は、確かにもう子供ではない。だが、幼いアリーゼとまったく重ならない女性でも
ない。
 あの頃のままのアリーゼを内に秘め、しかしそれを蕾として花開いた、一輪の花。
 初めて、レックスの中でアリーゼという存在と大人の女性という言葉が、完全に結びつ
いた気がした。





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